歩けない母親を外出させる時の問題点。及、「少子高齢化対策」(「子供帝国主義」)は反社会的勢力。

[第336回]
   2011年、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕(いずれも、2013年11月に正式に倒産)に在籍した時、自称「工事責任者」のU草A二(男。当時、30代)が、「ぼく、営業やったことないですけど、営業で~きま~すもお~ん」と大きな声で何度も何度も言ったことがあってあきれたことがあった。 もし、中途入社の募集に応募してきた人で実際にその職種を同業他社でやったことがあるという人が、過去にやった時には、こういう価格帯のこういう内容の商品を扱い、こういう場所でおこなった、その時の景気の状態はこういう状態で、会社の支援体制はこういう体制であり、自分が配属された場所の条件はどういう条件であった、自分はその時と今とではこのように変わった、プラスの条件はこういうもので、マイナスの条件としてはこういうものがあるかもしれない、今度、対処する仕事においては、その時より良い条件としてこういうものがあり、マイナスの条件としてこういうものがある、それらを考えて、自分がこの仕事についたなら、このくらいの成果を出せると考えます・・・と述べるならば、それは、その見通しが厳しめか甘めかということはあっても、そういうことを考えて、その人は自分はできると考えているのだなと判断することができる。それに対して、すでに30代のなかばにもなって、「やったことないです」と自分自身で名言した上で、「で~きま~すもお~ん」などと言い出すというのは、それは、認識が甘い、その職種についてなめている、人間としての姿勢に真面目さがない、ということを示していると考えるべきもので、「できる」ということを示しているものではない。まず、(1)実際にその仕事をやってみると、やる前に思っていたのと違うものというのが多かれ少なかれ、いくらかは出て来るもので、U草はそういったことについて、営業の仕事はやったことがなかったとしても、勤務経験がないわけではないのだから、認識できていて良さそうであるにもかかわらず、認識できていない。ということは、これまで就いてきた職種についても真面目に勤務してきていないということか。 (2)営業とは何か、営業とは人の気持ちを理解することである、と考えるならば、まず、自分が「やったことない」のに、「やったことないですけど、で~きまあ~すもお~ん」などと口にするということは、実際にその職種をやってきた人間に対して失礼であるということくらいは、社会人として認識するべきであり、平気でそういった口をきく無神経な人間というのは、その点において、「営業できない要素」を1つ持っている、と判断できるだろう。

    戸建住宅建築業においては、「やったこと」というのは、戸建住宅建築業の営業の仕事を「やったこと」を指す場合もあるが、個々の戸建住宅についての内容は少しずつ異なるので、そのタイプのものを「やったこと」があるかどうかを指す場合もある。 又、知識が求められるようなものについては、そういうものを学んだかどうかという、学習を「やった」かどうかが問われる時もある。 又、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ の福島県いわき市の営業所にいた時、営業所長のKさんが、新卒入社した新人の営業に同行してお客様と会った時、「所長となら契約してもいいけれども、うちの息子より若いようなやつと契約なんてできないよ」と言われたことがあったというのだが、20代後半から30代前半くらいの営業が、同年代の施主に対して、「友達営業」と言って、「友達感覚」で接して営業活動をおこなうということはあっても、又、比較的高齢の人よりもそれほど高齢でない営業の方が、入居後も会社に在籍して対応してくれるのではないかと見られることもあるが、20代前半で新卒入社したばかりという人の場合、他の物ならともかく、戸建住宅といった大きな買い物の場合、見込客からその人がどういう人かにかかわらず、「頼りない」と見られてしまうことがあり、だからといって、しっかりしているふりをしようとすると、その態度が不真面目と見られることもある。若い営業に対しては、営業所長などが「私が一緒に対応しますから」と顔を出すなどすれば、そして、新人はおかしな細工をするのではなく真面目に努力すれば、その営業と営業所長・営業課長とをセットで見て、会社として対応してくれるのだからと見てもらえることもある。1980年代後半に私が小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→(株)ヤマダエスバイエルホームhttp://www.sxl.co.jp/ 〕に入社した1年目なども、それで数字を残せたようなところがある。 30代以上で中途入社した人の場合、歳をいっているということが、「しっかりしているように見える」「頼れそう」と「そう」の部分で評価される場合もあるが、しかし、「20代で入社して経験を積んだ30代後半から40代」というのと、「それまでその仕事を経験してきてもいない知識・経験においては20代前半の人間と変わらないのに年齢だけいってる30代後半から40代」というのは同じではない。1980年代後半に小堀住研(株)に新卒入社した年、ミサワホームの営業を過去にやっていたという方に契約してもらったことがあったが、その際、「住宅の営業は、ある程度、年齢がいった人の方が評価されるようなところがあるみたいに思えます」と言ったところ、「そうかな。俺はそうは思わないな」と言われたことがあった。「20代でその仕事について40代になったという人ならいいけれども、それまでその仕事をやってきていない人間が40代で入社したというような営業の場合、実際には何も知らないし何も経験ないのに、見てくれだけ経験あるみたいに見えるというのは、それはかえってみじめだと思うよ。」と言われたのだ。そして、自分が実際に経験して年齢をいくと、その発言はあたっているところがあると思うようになった。 又、若いうちにその仕事について40代以上になったという人間の場合、私生活においても、その仕事に役立つ経験をすることがあって、そこから学ぶものがある。 住宅を取得するということも、実際に取得するかどうかは別として、自分自身がその立場に立つことがあるし、ローンを組んで住宅を取得した時、失職したならどうするかとか、年収はいくらかアップするだろうと思っているとちっともアップしないとか、かえって下がってしまったとか、そういうことは、実際に体験した者、「カラダで理解した者」と理屈を本で読んだり誰かから聞かされたりした者とは同じではない。 そういった経験を踏まえて考えると、「ぼく、営業やったことないですけど、営業で~きまあ~すもお~ん」などとでかい声ででかい顔してでかい腹して口にする男というのは、まあ、いい神経してるな、この男、相当長生きするだろうな・・・とは思っても、実際にできるだろうとは思わないし、思えない。とりあえず、今現在の職種をもっと真面目にやってもらいたいものである・・・・が、「やったことないですけど、で~きまあ~すもお~ん」などと不真面目な口をきく男に、今現在の職種をもっと真面目にやれ! と言っても、「できてなくても、できると言いますもお~ん」てところだろう・・・。その根性・人間性は簡単には変わらないだろう。

   1990年代前半に、父が60代の終わりで他界した時、60代後半だった母は、体力的にはまだ元気だった。もっとも、母は今の私より20歳以上若い時から、「私は歳やから。あんたは若いんやから」と言って、「若者」である以上は「若者」が何でもやれみたいな態度をとる時はあったし、「あんたは若いんやから」と今の私より20歳以上若い時から言い続けた母は、私が残念ながらもう若くなくなってしまった今も「あんたは若いんやから」と言い続けている。 「もう、若くない」と言っても、「いいや。あんたは若い」と今の私より20歳以上若い時に、血圧がどうの、心臓がどうの、ああ、夜、寝られん・・・ああ、何たら・・・と言いまくっていた母は、もう若くなくなってしまった私がそれと同様のことを主張することは絶対に許さない。 なんか、勝手やなあとも思うが、まあ、そんなものかもしれない。
   精神面がどうかは別として、体力的な面においては、母は60代後半の時、「私は歳やから」とか言いながらも、普通に階段も昇り降りしていた。(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ に在籍した時、1990年代前半に、福島県いわき市の営業所に転勤した時、アパートの2階の部屋を借りたのだが、母は普通に階段を昇り降りした。 しかし、それから5年後、栃木県佐野市の営業所に転勤した時に、やはり、アパートの2階を借りた時、母は階段をあがるのを相当大義がった。 そして、佐野市のアパートは屋外の階段で、鉄骨でできた階段の踏板の向こうに蹴込板がない階段(「ストリップ階段」)だったのだが、その蹴込板のないのが怖いと言った。 若い頃には言わないことだった。
   その後、母は脳卒中と脳梗塞をやり、普通に歩けなくなったが、脳卒中と脳梗塞をやるより前でも、年齢とともに徐々に体力は弱まっていったようで、駅の階段などでは、登りにエスカレーターがない所はつらいようだった。 しかし、エスカレーターについては、最初は登りのエスカレーターを欲しがり、下りはそれほど欲しがらなかったのだが、そのうち、逆になった。下りの階段は怖いというのだ。昇りの階段は体力的にきついという点はあっても、それほど「怖い」ということはないらしいのだが、下りの階段は「怖い」そうで、エスカレーターは登りよりも下りのエスカレーターを欲しがるようになった。
   エスカレーターとエレベーターはどちらがいいかというと、最初はどちらでもよかったようだが、そのうち、エスカレーターの方がいい、エレベーターは嫌だと言い出すようになった。なぜなら、エスカレーターは開放されているのに対して、エレベーターは閉鎖された部屋であり、「エレベーターガール」、もしくは、エレベーターおばさん がいるエレベーターならいいのだけれども、今は自分で操作するエレベーターの方が多く、もし、1人で乗って、操作できなかった時に降りられないというのが不安だと言うのだ。 私が一緒に乗るならエレベーターでも悪くはなかったようだが、それでも、感覚的に、開放された場所であるエスカレーターと閉鎖された箱であるエレベーターならエスカレーターの方がいいと言った。
   脳卒中と脳梗塞をやった後、母は足が悪いわけではないけれども、身体がふらつくのと、身体の半分が動かないというわけでもないが、右半分と左半分が同じだけは動かないようになってしまい、平坦な道を歩くにおいても、片手で杖を持ち、もう片方を私が腕をだして腕につかまらせるようにしないと歩けなくなってしまった。
   エスカレーターは、少し前まで、「お急ぎの方のために右側を空けてお乗りください」などと東京圏の駅などではアナウンスをしていたが、あれは「高齢者・障害者に優しくない」考え方である。 母は1人ではエスカレーターに乗れなかったのだ。 片手をエスカレーターの手摺につかまり、もう片方の手を私が横に乗ってささえないとエスカレーターに乗れなかったのだ。 かつ、エスカレーターの問題として、最初にエスカレーターに乗る時と、エスカレーターから降りる時、無事に乗ること、降りることができるかどうかという問題がある。 母はエスカレーターに1人では乗り降りできなかったのだ。私が横について、「さあ、降りるよ」と言って、よいしょと降りないと降りれなかったのだ。 それを、「エスカレーターでは、お急ぎの方のために、右側を空けてお乗りください」などというアナウンスをされることがしばしばあり、なんだか、横について腕をささえて高齢者兼障害者をエスカレーターに乗せている人間は「非国民」みたいに言われたのは、どうも、不適切感を覚えた。
   最初は、エスカレーターとエレベーターであれば、エスカレーターの方がいいと母は言っていたのだが、そのうち、エレベーターなら乗れるがエスカレーターは乗り降りが怖いと言い出すようになった。 私が横について片方の腕をささえても、それでも、エスカレーターに乗る時、降りるとき、きっちり乗れるか、きっちり降りられるか、というのが不安になったようだ。 そして、実際、もう、エスカレーターに無事に乗ったり降りたりできなくなってきた。
   男性が付き添って外出した時に困るのは、トイレである。義兄がお母さんが高齢になった時に連れて外出すると、お母さんが、一人でトイレに入るのは不安だから、一緒に来てくれと言って困ったと話していたことがあった。一緒に来てくれと言われても、男性が女性用トイレに一緒に入るわけにはいかない。その話を聞いた時、それなら、お母さんに男性用のトイレを使ってもらうようにすればよかったのではないのかと思った・・・が、高速道路のサービスエリアのトイレに行くと、なんだか、“男性用トイレを使うのが大好き♪”て感じのおばさんがいっぱいいるのだが、片方で、お母さんには、やっぱり、女性として男性用トイレを使うということに抵抗もあったようだ。
   JR総武線のどこの駅だったか、トイレの前で、視覚の不自由な人のためのアナウンスがされていて、「左側は男性用トイレです。右側は女性用トイレです。この前の真ん中は滝のトイレです」と言っていたので、「滝のトイレ」とは何ぞや? と思ったのだが、「多機能トイレ」らしい。 「多機能トイレ」は男性でも女性でも使用してよく、自分の性について納得できないという人なども利用できるらしい。 「多機能トイレ」は内部が広くて、障害者も利用しやすくできていることが多い。
   何年か前まで、母はトイレくらいは、なんとか女性用トイレに自分1人で入って1人で用を足せたのだが、一人では不安なので、必ず、トイレの前に立って待っていてくれと言った。 母が言うには、私は「真面目そうに見える」ので不審者には見えないそうだが、世の中には真面目そうに見える不審者なんていっぱいいるし、又、けーさつ漢なんてのはいかにも怪しそうな人間が多いし、そういういかにも怪しそう人間がなる仕事についている人間から見ると、いかにも危なそうな感じの人間の方が同類に見えてラポールを感じるようで、「真面目そうに見える」人間は「新左翼」か何かに見える、もしくは、なんらそういう根拠がなくても断定してやりたい衝動にかられる・・・ということもあるようで、そう見られてしまうと、理屈もへちまもない。警察→検察→裁判所 のやることは天下無敵、どんな無茶苦茶でもまかり通る! ということになってしまう。だから、女性用トイレの前で男性がずう~っと立っているというのは、これは「不審者」扱いされる危険をはらんでいることになる。 東京都内の某所で、何年か前、母がトイレに入っている時に女性用トイレの前で立っていたところ、おばさんから、「男性用はあちらですよ」と言われたことがあった。「いえ、母が中にいますので待ってるのです」と言うと、「そうでしたか」と言われたのだが、なにかと、男性がおばあさんを外に連れて行くのは苦労する。
   何年か前、ある音楽会に母を連れて行った時、女性用トイレに入った母がなかなか出てこないので、女性職員の方に「すいませんが、母が中にいるはずなのですが、どうしているか見てもらえませんでしょうか」と頼んで見てもらったことがある。
   ついでに、高齢者・障害者の問題とは別だが、2000年代、(株)チムニーhttps://www.chimney.co.jp/ の建設部にいた時、店舗の新装工事が終わった後、できばえを写真に撮ってくる必要があり、その店舗に行った時、女性用トイレも内部を撮らないといけないので、その店の女性店員に、「私、建設部の〇〇ですが、女性用トイレの内部の写真を撮りたいのですが、その間、すいませんが、扉の外にいてもらえませんか。 私が中にいる間に、知らない女性が使おうと入ってくると、私、変態になってしまいますから」とお願いしたところ、その店舗の担当の「デザイナー」のおっさんが横にいて、「わかりました。今すぐ、警察に電話します」と言い、店員の女性が何人もで、「や~い、へんた~い♪」と大喜びして言ったということがあったが、私は変態ではない。「正当業務行為」である。
   母は、今年の春、転倒して大腿骨の腰骨に近い部分の「転子部」という部分を骨折してしまい、そこに「γネイル」というチタン製の人工物を埋め込む手術をした。 その後、リハビリもおこなってきたが、今も、車椅子で移動するか、もしくは、手摺などがある所をつたい歩きするか、「手引き」と言って誰かに手を持ってもらって歩くかしかできなくなってしまった。
   「転子部」の骨折をしてしまった場合、「γネイル」というチタン製の人工物を埋め込むのでなければ、自然に骨が接合するのを待つという選択肢もあることはあったらしいが、その場合、寝た状態が長く続くため、その間に体力が弱まり、又、他の病気になってしまうという可能性が考えられることから、γネイルを埋め込むという方法の方がいいのではないかと整形外科医から言われてその選択にした。「これまでと同じ状態には戻らないかもしれません」とは言われたのだが、実際、これまでは、片腕を支えれば、もう片方で杖をついて歩いたのだが、それはできなくなってしまった。

   車椅子というのは、横に輪がついていて、車椅子に乗った人間が自分でその輪をまわして進むことができるものと、ひとに押してもらう方法に限るものとがあるらしい。その車椅子によっても違うのでしょうけれども、車椅子というのは、折りたたみのできるものが多いのです。座面を下から上に押し上げると左右が縮まるようになる。今回、そうやって、自家用車のトランクに載せ、母を座席に乗せて、降りる際にトランクから車椅子を降ろして広げて乗せて押しました。私が乗っている自家用車は、後部座席を前に倒すとトランク部分と後部座席が続きになり、スキーとか長い物でも入れられるという機能があるものなのですが、折りたたんだ車椅子は後部座席を前に倒さなくてもぎりぎり入るくらいでしたが、後部座席を前に倒すことで余裕をもって入れるようにしました。
   横に輪がついていて乗った人が自分で輪をまわして進む車椅子とひとに押してもらう場合専用の車椅子では、ひとに押してもらう場合専用の車椅子の方が重さが軽いようです。今回、横に輪がついていて乗った人が自分で動かせる車椅子を使用したのですが、折りたたむことはできるのですが、クルマのトランクに入れたり出したりするのは、実際問題として、息子の方も残念ながら若くなくなってしまった者としては、けっこう大変でした・・・が、本人にとっては、自分で動かせる以上は自分で動かして移動したいようで、ひとに動かしてもらう場合専用にしてしまうと、それだけ、体力も精神面も老化が進んでしまうのではないかと思うと、出し入れするのに、少々、重くても、自分で動かせる車椅子を使用するようにした方がいいのかとも思いましたが、「老々介護」とまでいかないとしても、息子の方が残念ながらあまり若くなくなってしまった者としては、出し入れが重いというのはけっこう負担でした。

    今回、夢庵とカッパ寿司で食事をし、市川市文化会館で「サンクトペテルブルグ室内合奏団+マリーナ=トレグボヴィッチ・ナタリア=マカロワ(ソプラノ)」の「三大アベマリア/クリスマス コンサート」に行ったのですが、市川市文化会館http://www.tekona.net/bunkakaikan/ は、できてからある程度経つ建物らしいのですが、大ホールの1階の最後部までは階段なしで進めます。今回、最後列の座席を指定して取得できたので、最後部まで車椅子で進み、そのすぐ脇の席まで移動して視聴しました。 市川市文化会館の場合、大ホールでも1階の最後部の席でも、十分に聴けます。 むしろ、リートなどなら比較的前の席の方がいいかもしれませんが、「室内楽+声楽」ですと、あまり前過ぎない席の方がいいくらいで、最後部の座席でも決して悪くありません。
    問題はトイレなのです。 市川市文化会館にも、男性用トイレ・女性用トイレと別に、車椅子のままで入ることができる障害者用トイレがあるのです。 その点はいいのですが、障害者用トイレは、引戸の開閉を「開」「閉」のボタンを押すことでおこなうようになっているのです。 外から入る時には引戸のすぐ外の壁面についている「開」を押して開けて入り、中から「閉」を押して閉めて、出る時には「開」を押して開けて出ます。入る時はいいのです。 問題は出る時です。入る時に中から「閉」を押して閉めたとして、出る時に、はたして、年寄に「開」を押すことができるかどうか。別段、難しい操作ではないのですが、年寄にとってはそれでも不安なのです。こういう時、娘なら、障害者用トイレは広いので、中まで一緒に入るという方法もあるかもしれませんが、息子はそうはいきません。障害者用(車椅子用?)トイレは、できれば、ボタンで押して開閉するだけでなく、手で引いても開けられるというようにできないものかと思いました。
   習志野市のカッパ寿司には男性用トイレ・女性用トイレと別に障害者用トイレも設置されていたのですが、こちらは、引戸には開閉するためのボタンはなく、手で引いて開けるようになっていました。 一般には、手で引いて開閉するよりもボタンを押して開閉する方が、車椅子に乗った状態で引戸を引くのは大義ですからいいのですが、年寄の場合、ボタンを押して開閉するというものは、単にボタンをひとつ押すだけであっても、はたして、間違いなく押せるだろうかと不安が残るようなのです。 又、ある程度閉めた端だけ開けた状態ですぐ外に息子にいてほしいと言うので、カッパ寿司ではそうしましたが、ボタンを押して開閉する方法の引戸の場合、完全に開くのでもなく完全に閉じるのでもない状態にはしにくいようです。 

   2014年9月、埼玉県の川口土木建築工業(株)http://www.kawado.co.jp/ の建築現場に、「施工管理」という職種で勤めたはずが、実質、雑役労務者の仕事をさせられ、又、「最大で片道1時間半までの通勤時間で行ける場所に勤務してもらう」という条件で勤めたはずであるにもかかわらず、最初から片道1時間40分少々かかる所に勤務させられ、3日目からは片道2時間超かかる場所に行かされ、右足の甲を骨折させられた上、その後も適切な対処がされなかったということがあった。川口土木建築工業(株)http://www.kawado.co.jp/ のホームページには「あたりまえを大切に」などというコピーが書かれていますが、この会社は「あたりまえを大切に」していません。川口土木建築工業(株)の経営者は業務上過失傷害罪に該当します。 その際、3ヶ月ほど足を石膏で固定し、移動する際には松葉杖で移動しましたが、最初にかかった朝霞市の病院で、病院の前の薬局まで行くのに病院で車椅子を借りて自分で輪をまわして移動した際、道路から薬局に入るスロープを登ろうとして、後ろにひっくり返ったということがありました。 車椅子はスロープがあれば自力で登れるのかというとそうでもないのです。相当緩やかなスロープなら登れるでしょうけれども、なかなか緩やかなスロープを設置できない場合が多いようです。病院の前にある薬局なら登れるスロープになっているのだろうと思いこんだのですが、そうではありませんでした。その時、見ていた病院の職員が押してくれたのですが、ある程度の傾斜のあるスロープの場合、平地なら自分で輪をまわして進む力がある人が乗っている場合でも、スロープは誰かが後ろから押して登る、下りの場合、後ろに人が立って後ろ向きに進むというようにしないと、登りの際、自力で登ろうとすると後ろにひっくり返ることになります。下りの場合、前から進むと前に落ちてしまうおそれがあります。川口土木建築工業(株)は安全管理が無茶苦茶ですから、いずれ、あの会社の工事現場では死人が出るでしょう・・・・が、私にとっては、そこで足を骨折させられて、痛い思いもしましたし、いくらか足の骨がいがんでくっついてしまったようで、それまで、健脚だったのに、どうも、歩きにくくなってしまいましたが、住宅建築業の仕事に携わる者としては、考えようによっては「いい経験」をしました。
   母は、私が車椅子を押して連れて行くというと、「あんた、車椅子、押せるか?」などと言うので、ばあさん、何を言うかと思いました。 まだ、母が60歳の時、家で足をねじって捻挫して病院に行った時も私が車椅子を押したのに、ばあさん、忘れてるのです。 年寄はしかたがない。 私が大学生だった時の夏休みのことでしたが、夏休みが終わった後、1週間くらいなら授業に出ずに遅れて帰京してもいいと思ったのですが、母がもう大丈夫だというので帰京したのですが、しかし、その後、母から聞いた話によると、病院に父と行って、父に車椅子を押してくれと言うと、「なんで、そんなもん、わしが押さんといかんねん。ええかげんにせえよ、ええかげんに。そんなみっともないことできるか! このわしが車椅子みたいなもん、そんなもん押せるかあ!」と言って怒って逃げて行ったというのです。 父に怒って逃げていかれて、歩けない母はどうしたものかと途方に暮れていたところ、病院に来ていた夫婦づれの男性の方が押してくれたそうです。父は「このわしが車椅子みたいなもん、そんなもん、押せるかあ。ええかげんにせえよ。そんなみっともないこと、できるかあ! ええかげんにせえよ」と怒って逃げていったというのですが、やっぱり、あのおっさんのやることやなあ、と思いました。あのおっさんらしいなあと思いました。「わしはえっらいえっらいえっらいえっらい人間やねんぞお。えっらいえっらいえっらいえっらいこのわしが車椅子みたいなもん、押せるかあ。そんなみっともない真似できるかあ」と言うのですが、どんなにおえらい方か知りませんが、おえらい方であってもなくても、自分の嫁さんが足を怪我したという時、さりげなく車椅子を押すことができる男と、「このわしがなんでそんなもん押さんといかんねん。ええかげんにせえよ、ええかげんに」とか言って逃げていくおっさんと、どちらがかっこいいか。どちらがみっともないか。私は、自分のお嫁さんが足を怪我したという時には、逃げていくおっさんよりも、さりげなく車椅子を押すことのできる男性の方がかっこいいと思います。・・・そう思いませんか?

   市川市文化会館の駐車場からは大ホールの最後部の席まで特に段差はなかったのですが、駐車場の車道部分から建物に入る際の歩道部分の間が完全なスロープ状にはなっていなかったので、少々苦心しました。それ以外は、市川市文化会館では段差はなくスムーズに進めました。
   夢庵でもカッパ寿司でも駐車場から入口までスロープが設けられていて進めたのですが、習志野市のカッパ寿司ではスロープが少し急でしたので、最初、登りの時、押していて、車椅子を固定する装置があるのですが、その固定装置をオフにせずにオンにした状態になっていたかと思ったのですが、そうではなくオフになっていたけれども、スロープの勾配がある程度以上ある場合、後ろから押したときに、けっこうな重さを感じるようでした。 もし、女性で車椅子を押した経験があまりない人で、特に「女だから重い物なんて持たないのが当然でしょ」なんて気持ちで勤めてきたような人の場合、車椅子を押したとしても、勾配が急なスロープの場合、その重さに驚いて対応できないという場合があるかもしれません。というより、最近、「女性の社会進出」なんて言われたりしますが、これまでなら仕事につかなかったような女性が仕事につき、かつ、男性と同じ条件の処遇を要求することが増えてきましたが、そういう人には、重い物を持ったり力がいる仕事をするのは「男性がするのが当たり前でしょ」とか言う人というのがいるのですが、男性の立場に立てば、やって悪いとは言わんが「当たり前」ということはないはずなのです。2008年、東海住宅(株)〔本社:千葉県八千代市〕http://www.10kai.co.jp/ の花見川店で、冬場、雪が積もった際、店長の「ゆうこりん」(仮名)(女。当時、50代)が、私に雪かきをしてくれと言い、「雪かきは男性がするものでしょ」と言ったのですが、やってもいいけれども、しかし、「男性がするもの」と決まってはいないはずですし、もし、男性が雪かきをするのなら、その間、女性は何か他のことをするべきものではないのかと思いましたが、「ゆうこりん」は男性の私が雪かきをすると女性の自分は何をしたかというと、部屋の中に入って座ってコーヒー入れて飲んだのでした・・・。 この話を建築業界に勤める男性にすると、「うんうん、いるよ、いるよ。そういうおばはん」と少なくない人間がうなづきます・・・・が、そういう「女性」の「社会進出」というのは、あんまり、歓迎したくないですね・・・。
   オバタリアンというのは、普段、くそどあつかましいオバタリアンのくせして、勝手な時だけ、「女」になるという特徴があります。 この女、女でなかったら殴られるぞ! という気持ちになりますが、そういう女というのは、女は「女でなかったら殴られるぞ」という行為をする権利がある、女は「女でなかったら殴られるぞ」という行為をしても殴られない権利がある・・・みたいに思っているようです・・・・が、そういう状態を認めている会社はどうなるかというと、男性従業員はあほくさいですから、男は出て行って女が残る。「レディース営業の店」と称するおばさんばっかりの店だらけ・・・になってしまうようで、東海住宅(株)はそうなっていました。

    『インテリアコーディネーターハンドブック 技術編』(インテリア産業協会)などを見ると、車椅子で使用できるスロープの勾配を相当緩い勾配でないといけないように記載していたのですが、店舗や公共施設などで見ても、実際には、そこまで緩い勾配でできていないものが多いように思います。 特に、既存の建物に後からスロープを設けたというような場合、緩い勾配のスロープは設けようと思ってもなかなかその場所をとれないというケースがあるようです。
    車椅子で通行する場合のスロープの問題点として、横の輪を自分でまわして自力で走行しようとした時には、相当緩やかな勾配でないと、登りで前に進もうとした時に後ろにひっくり返る、下りで前に進もうとした時に落ちそうになるという問題があるとともに、スロープの勾配が急な場合、ひとが後ろから押して登ろうとした時、相当の荷重がかかり重い。下りの時も、後ろを支えてバックしようとした時、相当の重さがかかる、という問題があります。 実際にスロープを押して登ってみて、後ろを支えてバックで下がってみて、その重さを実感しました。

   高齢者・障害者対策の難しいところは、高齢者・障害者といっても、ひとそれぞれで、条件は異なる点です。 健常者と同様に歩けないという場合でも、私が2014年に右足の甲を骨折した時などは、整形外科に通うような時には、松葉杖で移動したのですが、松葉杖の場合、階段でも2段や3段くらいならそれほど大変でもありません。 スロープの方がいいと思う人がいるようですが、スロープを長い距離松葉杖で移動するより、階段を2段か3段登る方がむしろ楽なくらいでした。スロープでも、車椅子で昇り降りする場合と、足が動かないわけではないが、あまり高くあげることができないというような人の場合には、その人にもよるでしょうけれども、特別に緩やかなスロープでなくても、ともかく、スロープであればなんとかなるというケースがあるのではないかと思います。

    2011年、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕で自分で「工事責任者」と称していたわりに工事現場を見に行かない、工事現場を見て、対処を求めても、「すぐやります」と言うばかりでいつまで経っても何もしない男のU草A二(男。当時、30代なかば)が、「ぼく、営業やったことないですけど、やったことなくても、営業で~きまあすもお~ん」と何度も大きな声で、あつかましく、ヌケヌケとでぶでぶと叫んだということがありましたが、「やったことない」ことはできないと思いますよ。 私は、母が老化していくのを一緒に歩いて一緒に体験してきて、そして、↑のようなことをカラダで認識したのです。 自分自身も足を骨折する経験をして、カラダで知ったのです。 経験もせず、「で~きまあすもおん」とか叫ぶ男を見ると、一度、「カラダでわからせてやろうか」・・・・なんて気持ちになってきませんか? しかし、「カラダでわからせる」といっても、どうすれば、このくそどあつかましいブタに「カラダでわからせる」ことができるか、という問題が出てきます。リモコンで頭部を思いっきり殴って裂傷を負わせるとかやってもこのブタ男は理解できないのではないか、「ち~が~う~だ~ろ。このデブ~」と言ってボコボコ殴っても理解できないのではないか。営業の場合、実際にやらせてみて、やってもみないで、「で~きまあ~すもおん」とか勝手なこと言ってる人間が、はたしてできるものか、はたして売れるものかどうか、経験させる、実感させるという方法もあるかもしれませんが、やらせてみたい気持ちになりません。営業というのは、そういう無神経なデブのやる仕事ではないと思うのです。営業というのは、もっとプライドのある高潔な仕事だと思うのです。

   歩けなくなってしまった母を連れて外出して、一番大変だったのはトイレです。男性が母親を連れて外出した際、トイレは中まで一緒に入れないので、それに苦労します。 この春、母が入院した際も、病院からこれを用意してくださいと言われて持って行くのに、女性用の下着を購入しようと思っても、男性が女性用の下着を買うのは大変でした。
   これまで、職場において、子供がある者のために、ずいぶんと配慮してきてあげました。(株)一条工務店においても、日曜日、子供がいるから先に帰りたいという人のために、後の戸締りなどもしてきましたし、子供を大義名分にかかげて昼過ぎに出勤してくる人がいても、私は午前から仕事をしてきました。その頃のその人たちの子供は今は大きくなっているはずですが、母のために今は大人になったその時の子供が何かしてくれるかというと何もしてくれません。
   2011年、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕(いずれも、2013年11月に正式に倒産。)に、社長の長谷川新二(男。当時、40代前半)の嫁の河野利華(女。当時、40代前半)の友人だということで縁故入社した滝口恵(女。当時、30代前半)は「子供があるから」と「子供」を大義名分にして、他の従業員が仕事をしていてもおかまいなしに定時に帰り、朝は遅刻してくる。 自分が担当の仕事のために会社が印刷屋に依頼して印刷したチラシが何千枚と床に積みあがっていてもおかまいなしにさっさと帰る。労働基準法と就業規則から考えると定時に帰って「何が悪いの」と言うのですが、しかし、自分のために会社が費用をかけて印刷したチラシを何千枚と紙屑にしてしまうということに対して、「何が悪いの」というその感覚は営業の仕事をしてきた者として理解できません。そういう滝口のような感覚の人間は営業の仕事はしない方がいいでしょう。 私は担当外でありながら、滝口(と滝口のオットと滝口の子供)のために、本来なら滝口がやらないといけないはずの仕事をずいぶんと時間外に労基法違反の時間外労働・無賃労働でやりました。自分がやらないといけない仕事をやらずに先に帰って、それを担当外の従業員にやってもらったなら、「どうも、すいません」とか「ありがとうございました」といったことくらいは言うのが社会人としての常識ですが、滝口に「社会人としての常識」を求めるのは「八百屋で魚を求めるようなもの」でした。 滝口は、「子供があるから」と「子供」を大義名分にかかげて定時に帰り、その結果として残った仕事を、担当外の従業員に押しつけて、担当外の従業員に時間外に労基法違反の時間外労働・時間外賃金不払いで働かせてやらせ、まさにその時間にオットと「妊活」(性交)して3人目をはらんで産みました。「少子高齢化対策」のために、「子供がある人間のためには子供のない人間を犠牲にするのが当然」とか言う人がいますが、すでに結婚して2人も子供を産んだ滝口はおのれが担当の仕事を残して定時に帰り、もう結婚していていい年齢でふさわしい相手とめぐりあうことができずにいる人間から「婚活」の時間を奪い、結婚はできたが子供にはまだめぐまれない人間から「妊活」の時間を奪い、まさにその時間におのれが「妊活」をして3人目をはらんで産みました。 「少子高齢化対策」は結婚していい年齢なのにふさわしい相手とめぐり合うことができずにいる人間から「婚活」の時間を奪い、結婚はできたが子供に恵まれない人間から「妊活」の時間を奪って、すでに結婚できて子供も2人もできた人間に「妊活」させるということを意味しているのか? そんな「少子高齢化対策」ならそれは国民にとって、日本の社会にとって害がある。そんな「少子高齢化対策」で生まれた滝口の3人目の子供は社会に害がある子供、社会に害をなす子供です。滝口は、おのれが報酬を受け取っている仕事を担当外の従業員に労基法違反で時間外に労基法違反の時間外労働・労基法違反の時間外賃金賃金不払いでさせた上で、そうやってあけた時間に、なんと、千葉市の幕張の小学校に行っている子供のPTA役員をやったといって、会社のホームページとリンクさせたブログで「PTA役員やってます。PTA役員も悪くないなと思いました」などと記載して公開しました。あきれました。普通、おのれが担当でおのれがその労働に対して報酬を受け取っている仕事を担当外の従業員に労基法違反の時間外労働・労基法違反の時間外賃金不払いでさせて、「子供」を大義名分にかかげておのれはさっさと定時に帰るといったことをやり、そうやって空けた時間に子供の学校のPTA役員などというものをやった女は、せめて、こっそりとやるものであり、わざわざ、それを会社のホームページとリンクしたブログで公開するとは、入社した時からおかしな女だと思っていましたが、精神が異常であると考えるか、そういうことを平気でする人間、カタギでない人間であると判断するしかないでしょう。
   新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕の社長 長谷川新二は、「滝口さんは子供があるんだから、子供のある人間は子供のない人間に尽くしてもらうのが当然じゃないかあ。子供のない人間は子供のある者の為に尽くすのが当たり前じゃないかあ。子供がない人間が悪いんじゃないかあ」と暴言をはきました。滝口恵とともに社長 長谷川新二の嫁 河野利華の友人だとして縁故入社した事務員の大竹加代子(女。当時、40代前半)は、「滝口さんは子供があるんだから、子供のない人に何でもやってもらうのが当たり前でしょおおおおおおお! 〇〇さんは子供がないんだから、子供のない人は子供のある滝口さんのために何でもやってあげるのが当然でしょおおおおおおお!」と暴言をはきました。 母が脳卒中と脳梗塞をやった上、大腿部の骨の骨折までやり、世話するのも大変ですし、時々は外出させないと老化も進んでしまうと思って外に連れていこうとしても、何よりも男性が母親を連れて外出した時、トイレに行かせる時に一緒に中に入れないという点が困ります。「滝口さんは子供があるんだから、子供のない人に何でもやってもらうのが当たり前でしょおおおおお! 〇〇さんは子供がないんだから、子供のない人は子供のある滝口さんのために何でもやってあげるのが当たり前でしょおおおおお!」と暴言をはいた大竹加代子は、脳卒中と脳梗塞をやり足の骨まで骨折して歩けなくなった母のために、まったく何もしてくれません。 大竹加代子は、滝口に子供があるからその子供の世話をしないといけないから滝口が定時に帰らないといけないというのなら、他人に滝口が報酬をもらっている仕事を無賃労働でさせようとするのではなく、滝口のオットに、子供というものは妻だけが育てるものではなく、育児はオットもまたおこなうべきものであり、オットも協力するのが当然でしょおおおおおお! オットが協力せずに妻の職場の周囲の男性従業員に負担をかけて犠牲にするのは筋違いも甚だしいでしょおおおおおおお! と言うべきであったはずですが、千葉県の船橋市の船橋ららぽーと の中の食べ物屋で働いていたという滝口のあほのオットには「滝口さんが滝口さんが報酬をもらっている仕事をせずに定時に帰って、担当外の従業員にその仕事を労基法違反の時間外労働・労基法違反の無賃労働でさせて、担当外の従業員とその家族を犠牲にするのは筋違いでしょおおおおおおお!」と言うべきであったはずですが、大竹加代子はまったく言いませんでした。私は滝口とそのオットと子供のために、ずいぶんといろいろとやってあげたわけですから、滝口とそのオットと子供は私や母のために少しくらい何かやってもいいはずで、滝口の子供もある程度大きくなって「世話のかかる子供」ではなく「役に立つ子供」になってきているはずですが、世話になった私や母のために何もしません。大竹加代子は滝口と滝口のオットと滝口の子供に対して、「世話になった人とその高齢の親のために、少しくらいは何なりとするのが当たり前でしょおおおおおおお!」くらい言うべきはずですが、大竹加代子はふてぶてしくも何も言いません。頭おかしいのじゃないでしょうか。長谷川新二と嫁の河野利華は「子供を大義名分にして世話になった相手とその家族のために、滝口さんとその世話になった子供は少しくらい尽くすのが当たり前じゃないかあ」と言うべきですが、言いません。なぜ、言わないのでしょうか。 どうかしてないでしょうか。
   1990年代、(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所(展示場)におりました時、同じ営業所にいたS藤さん(男。当時、40代前半)は、高校生だった息子が、テニスがよくできるから大学はスポーツ入学でどこでも入らせてもらえるんだと「豪語」していたわりに、実際はどこもとってもらえなかった・・らしいが、それはしかたがないとして、バカ息子は大学に行くのをやめたと思ったらさっさと結婚して子供を作った。すると、S藤さんは、正月、私に「うちの息子はおまえよりも若いのに子供を作って、少子高齢化対策に貢献してお国のために尽くしているんだ。おまえはうちの息子よりも年上なのにまだ結婚しないで子供を作らない非国民だ。非国民は罰として、少子高齢化対策に貢献してお国に尽くしている俺に年玉よこせ。カネよこせ」と言って手をだして追いかけてきて、「何、言ってるんだ」と言って逃げても逃げても追いかけてきたことがありました。会社はそういうことをするものではないと注意するべきですが、(株)一条工務店は注意しない「保護義務違反」の会社でした。その「少子高齢化対策」で生まれた子供も今はけっこう大きくなったはずですが、「お国のために産んだ」という子供は、脳梗塞と脳卒中をやって足の骨まで骨折した私の母のために何もしてくれません。どうなっているのでしょうね?

   「少子高齢化対策」は害があると思います。「少子高齢化対策」のために国民は迷惑を蒙っています。「少子高齢化対策」を大義名分にしておのれとおのれのオットとおのれの子供のためだけの利益をはかった人間は、そうやっておのれとおのれのオットとおのれの子供の我儘だけを通しているのです。
   私も残念ながら若くなくなってしまいました。車椅子をクルマのトランクから出したり入れたりするのも重くて大変でしたが、「少子高齢化対策」だと言って私に無賃労働させておのれとおのれのオットとおのれの子供の利益をはかった女は母のために何もしてくれません。車椅子を出し入れするのを一緒に持ってくれるわけでもないし、母がトイレに行くのに付き添ってくれるわけでもありません。「やらずぶったくり主義」の女とその女のオットと子供は、そうやって自分たちの我儘を押し通すのが「少子高齢化対策」だと主張するのです。
   滝口が新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕で、「子供」を大義名分にして定時に帰ったあと、会社が費用をかけて滝口のために印刷屋に作らせたチラシが床の上に何千枚と紐でくくられたままで置いてあり、チラシの有効期限が翌日だったか翌々日だったかに迫っていたのを見て、担当外で、始業時刻も終業時刻も滝口より早かった私が、いくらなんでも、その何千枚かを紙屑にしてしまうわけにはいかないと思って無理をして、高齢の母が待っていたけれども、会社のためを考えると、いくらなんでもそれらを紙屑にするわけにはいかないと思って、いくらかポスティングをして帰りましたが、母は高齢になると若い頃に比べて物分かりがよくなって言うことをきいてくれるようになりましたが、片方で、何時くらいに戻ると言っていたのにその時刻に行けないと、弱ってしまうのがわかるのです。滝口が自分の仕事をやらずに「子供」を大義名分にして定時にかえって、労基法と就業規則から考えて、定時に帰って「何が悪いの」と居直った時、私が労基法違反の時間外労働・労基法違反の無賃労働で本来なら滝口が担当の仕事を遅くまでやってあげて帰ったあと、母が弱るのを見て、こういうことは今後は絶対にやってはいけないと思いました。特に、担当外の従業員に自分が担当の仕事をやってもらっても、「すいません」「ありがとうございました」という一言を言えないバカ女とそのバカ女のオットのアホ男のために、そういうことはするものではないと思いました。バカ女とアホ男とその子供3人は、脳卒中と脳梗塞をして足の骨も骨折した母のために、まったく何もしてくれません。自分たちがやってもらうばかり、自分たちはやってもらうのが当たり前でしょおおおおおおお! と思っているようです。 そういう人間を増長させるための「少子高齢化対策」は害があります。
   車椅子は折りたたむことができるのですが、折りたたんでも、クルマのトランクに載せて、また、クルマのトランクから出してという作業は重くてけっこう大変でした。私も残念ながら若くなくなってしまいましたので、今後、その作業ができなくなってしまう可能性もあります。有名人でも個人的な知り合いでも、今の私より若い年齢で他界した人は何人かいます。母より私の方が先に他界するという可能性もありますが、「子供」を大義名分にかかげて定時にかえった滝口とそのオットと子供は、滝口の担当の仕事を勤務時間外に労基法違反の時間外労働・労基法違反の賃金不払いでおこなってあげた私が他界した後、高齢の母のめんどうをいくらかなりともみるでしょうか。おそらく、何もしないでしょう。私にとっては滝口とそのオットと子供と「少子高齢化対策」は親の仇です。親の仇である滝口の子供はどうしているでしょう。ひとを犠牲にしておのれとおのれのオットとおのれの子供さえ良ければいいという態度で産んだ呪われた子供は、もし、その子供が幸せに育つようなことでもあれば世も末です。

   (2017.12.30.)

☆ この稿は、[第335回]《サンクトペテルブルグ室内合奏団 コンサート・市川文化会館。室内合奏団+声楽 は誰が指揮すべきか》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201712/article_2.html とセットで作成しました。 

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