大江戸線「六本木」駅と千代田線「乃木坂」駅-国立新美術館と「安藤忠雄展-挑戦」 【1/6】

[第328回] 東京圏の美術館・博物館(12)-1
   東京都港区六本木の新国立美術館 で、「安藤忠雄展―挑戦」が開催されており、(建築屋+建築家)÷2 としては、見に行かないわけにいかないと思って行きました・・・が。

   新国立美術館訪問は3回目。これまでは、東京メトロ日比谷線「六本木」駅を降りて、出雲大社東京分祠の前を通って行く行き方と〔この行き方を、[第245回]《新国立美術館(黒川紀章)(東京都港区六本木)訪問1-六本木駅から新国立美術館へ。芸術は非庶民ではない》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_1.html で述べました〕、東京メトロ千代田線「乃木坂」駅から行く行きかたで、帰り、都営大江戸線「六本木」駅から帰った時もありましたが、今回は、JR「浜松町」駅で降りて都営大江戸線「大門」駅より大江戸線「六本木」駅↓まで行きました。
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   新国立美術館の設計者は黒川紀章、そこで開催される展示会が「安藤忠雄展」。今回は、その前に、東京メトロ「六本木」駅をとりあげます。設計者は、愛知産業大学の建築学科でお世話になった守屋先生です。
※ 《建築家資格制度 守屋弓男》http://www.jcarb.com/Portfolio00004077.html
   株式会社MIA http://www.m-i-a.co.jp/aboutus.html

   お世話になった先生の作品については、ほめるとヨイショしているみたいだし、批判的に述べると恩知らずみたいですから、だから、ほめまくったり、けなしまくったりということはしません。というよりも、ブログで取り上げるのもやめようかとも思ったのですが、六本木駅から新国立美術館に「安藤忠雄展」を見に行くと、黒川紀章と安藤忠雄は取り上げて、世話になった先生の作品を取り上げないというのもどうかとも思いますし、この駅を見に行ったことから、建築でも駅について関心を持つようになった建築ですので、述べます。

   今回、↑のホームに電車から降りて、「あれっ」と思ったこと。
   1回目に大江戸線「六本木」駅に行った時、「悪いとは言わんが、暗い」と思ったのです。そして、2回目に行った時は、「それほど、暗くもないかな」と思ったのですが、今回は「前に来た時は『(悪いとは言わんが)暗い』と思ったけれども、別に暗くないよな・・・・」と思ったのです。この感じ方の違いってなんだろ?
   北欧のインテリアというのは、色鮮やかなものが多いという話があります。なぜ、そうなるかというと、北欧は緯度が高いため、冬になると夜が長い。だから、夜が長い冬場は、室内くらい、色鮮やかにしたいということから、色鮮やかなもの と、暖かみのあるもの が北欧のインテリアには多い・・・らしい。そういうことを考えると、駅でも、地下の駅というのは、地上の駅と違って、一般に、明るめの色にした方がいいのではないか・・・・と思ったのですが、それにしては、暗い・・・と、初回に大江戸線「六本木」駅を見学に来た時には思ったのです。
   しかし、2回目に訪問した時には、明るいということはないが、それほど特に暗いとも思わなかったのです。その違いとして、訪問のしかたの違いがあるかと思いました。 1回目、暗いと思った時は、その前、昼すぎに東京メトロ日比谷線の「六本木」駅に到着して、地上に出て、六本木ヒルズの森タワーの上の方の階にある森美術館に行って、「ル=コルビュジェ展」を見学して、その後、六本木ヒルズの地上を歩いて、そこから都営大江戸線の「六本木」駅に入ったところ、「悪いとは言わんが、暗い」という印象を受けたのです。
   東京メトロ日比谷線の方の「六本木」駅↓が明るめの駅であるため、先に日比谷線の駅に行ってから行くと、大江戸線の六本木駅が暗めに感じるということもあったかもしれません。
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   次は、やはり、東京メトロ日比谷線「六本木」駅から出雲大社東京分祠に行って、日没頃に付近のサイゼリヤに入って夕食をとり、完全に日が暮れた後に、地下に入って都営大江戸線「六本木」駅に入ったところ、前回ほどは「暗い」とは思わなかった。おそらく、1回目は明るい時間帯に屋外をしばらく歩いてきた後に地下に入ったのに対して、2回目は日没後に街灯はあるとはいえ暗い屋外をしばらく歩いてきた後に地下に入ったことから、1回目ほどは「暗い」とは思わなかった、ということではないかと思います。又、守屋先生から「夜の六本木」というのが頭にあってあのデザインになった、という話を聞いていたので、大江戸線「六本木」駅は、多くの駅が昼を基本としての駅であるのに対して、「夜の六本木」という前提の方の駅なのか? と思いつつ見たということもあったかと思います。

   今回は、大門駅から大江戸線で行きました。「大門」駅の入口から地下に入り、地下のホームで電車を待って、大江戸線の電車にしばらく乗って、六本木駅のホームに降りたところ、↑の写真の状態を見て、特に「暗い」とは感じなかったので、「あれっ」と思ったのです。1回目に「暗い」と感じ、2回目に「それほどでもないかな」と思いつつ、暗くないとは思わなかったのに対して、今回は、特にそう思わなかった。 これは何だろう? それは、地下鉄の車内に大門から六本木までしばらくいて、地下鉄の車内に慣れたことからではないか。おそらく、それだと思う。
    1990年代、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ の 福島県いわき市の営業所にいた時、同じ営業所にいたベテランのKさん(男。当時、40代)が、展示場(事務所スペース含む)のエアコンを、矢鱈と低い温度に設定したがるので、「これ、温度が低すぎませんか。もう、少し高めでもいいのと違いますか」と私が言ったところ、Kさんは「こういう展示場というものは、外から入ってきた人が『ちょっと寒い』と感じるくらいにするものなんです。だから、中にいる人間にとっては相当寒いくらいがちょうどいいんです。それがお店のエアコンの設定のしかたなんです」と言ってきかなかった、ということがあった。そうかなあ・・・と思ったが、それはKさんがそのテの話を逆に理解していたということだと思う。夏、屋外の暑いところを歩いてきたような人が、入ってきた時に「少し寒いくらい」に感じる室内の温度というのは、Kさんが言うような継続的にその中にいた人間にとっては「寒すぎる」と感じる温度のことではなく、継続的にその室内にいた人間にとっては「少し暑め」「少し緩めの冷房」に感じる温度のことだと思う。 継続的に室内にいる人間にとって「寒くてしかたがない」という温度というのは、夏、屋外を歩いてきた人にとっては「異常な寒さ」であって「ここちよい涼しさ」とか「ちょっと寒めに感じる温度」ではないはずで、「継続的に室内にいる人間にとって『寒くてしかたがない』という温度に設定するのが外から入ってくるお客さんにとっていいんですよ」というKさんのお説は間違いだ・・・が、「それは違うと思います」と言っても、「さっきのお客さんが『寒い』と言われていました」と言っても、「お客さんの中には薄着の人もいますから寒すぎます」と言っても、Kさんは「これが客商売のエアコンの入れ方なんです。覚えておいてください」かなんかそんなことを言ってきかなかった。(株)一条工務店というのは、変なことを言う人の多い会社だった。
   さらに、2006年、(株)エイブルhttp://www.able.co.jp/ の海浜幕張WBG店(今はない)にいた時だが、店長のO野(男。当時、20代)が、「エイブルでは、勤務中は夏でも背広を着ているというのがエイブルの会社の規則ですから」と言うので、あんまりいい考え方だとは思わなかったが、「会社の規則」ならしかたがないと思って、真夏の暑いさなかに苦痛を感じながら背広を着ていたのだが、O野も真夏に背広を着ていたのでは暑くてたまらないらしく、背広を着た人間が過ごせる温度にエアコンで室温を設定するので、来客にとっては、特に薄着の女性にとっては寒くてたまらないらしかった・・・・が、(株)エイブルのものの考え方というのは、これは根本的に間違っていると思うぞ。その季節、誰もが冬服なんて来ていない時期に、冬服みたいな背広を着て、その服装の人間が過ごせる室温に設定するなどという「会社の規則」では、来客にとっては「いい迷惑」だと思う・・・が、「会社の規則」だと言っているというのは、(株)エイブルはそのあたり、考え方を間違えていると思う。大野はひとには「どんなに暑くても背広を着ないといけないというのがエイブルの会社の規則ですから守ってください」と言いながら、20代の若造が言うことだが、「店長」様のおっしゃることだと言うので、40代も後半の私が暑いさなかに背広着ていたのだが、そのうち、自分だけ、背広を脱ぎだしたが・・・、まあ、そんなものだ。真夏に、屋内で背広を着て背広を着た人間に合わせて室温を設定するのが礼儀正しいという(株)エイブルのその考え方は、ものの考え方がおかしいと思う。 
    世の中、変な会社はいっぱいあるわけで、「世の中いろいろ、会社もいろいろ」なのだが、室温を寒めと感じるか暑めと感じるかは、その部屋に入る前にどのくらいの温度の所にいたかによっても変わるとともに、その空間が暗いと感じるか明るいと感じるかは、そこに入る前にどのくらいの明るさの場所にいたかによっても感じ方は変わるようだ、というのを、大江戸線「六本木」駅に何度か来て実感した。地下の駅というのは、北欧のインテリアが長くて寒い冬を考えて、色彩鮮やかで温かみのあるものが多いというのと同じく、地下だからこそ明るめにした方がいいのではないかと私は思っていたのだが、そういう考え方もあると思うが、そうではなく、地下鉄の電車の中の明るさと屋外の明るさの中間域がいいという考え方もあるのではないか。同時に、その場合、地下鉄の電車の中の明るさと屋外の明るさの中間域と考えた時、その場合の屋外というのは昼間なのか夜間なのか。「黙って座れば」昼間を前提としてたいていの人間は考えるのだが、日没後の時間帯の方を基本として考えた方がいい場合もあるのかもしれない。大江戸線「六本木」駅は、来るたびにそういう問題を考えることになる駅です。

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   ↑ 「建築家」とされる人・・・というと、私は何者なのか、「建築家」ではないのかというと、私の場合は「建築屋」であり、プライド高き「建築屋」である・・・つもりだった。この場合、「建築家」と「建築屋」はどこが違うかというと、たとえば、「世界の丹下健三」先生が設計なさった文京区関口の東京カテドラル聖マリア大聖堂なんてのは、竣工したその時から雨漏れがしたというのだ。それでいて、「名建築」、「さすがは世界の丹下」とか称賛されたのだ。それに対して、「建築屋」がそういうことをすると、どうなるかというと、「おい、いったい、これ、どうしてくれるんだよお」「最初から雨漏れのする家なんて、家と言えるわけないだろうがあ」「ぶっ壊して立て直せよ、こらあ」となる・・・だろう。だから、「建築屋」は、雨漏れとかは起こさないように考えて建てないといけない。 東京カテドラル聖マリア大聖堂では、木製の扉が雨にあたり陽に焼けて変色していたが、ハウスメーカーにおいては、たとえ、お客様が木製の玄関扉にしたいと言われても、「木製の玄関扉は雨に当たったり陽に焼けたりして変色してしまったりしますから、住宅展示場などでは使いますが、実際に住まれるお宅にはあまりお勧めしていませんが」とか言ってそういう問題点を説明しないといけない。そして、本物の木による木製ではなく「木目調」の玄関扉も商品としてあるので、そういうものの使用もできることを紹介し、それでも、本物の木の玄関扉にしたいと言われて初めて木製の玄関扉にするもので、その場合も、東京カテドラル聖マリア大聖堂みたいに、もろに雨があたるようなつけかたではなく、木製扉を少し内側に入れるか、庇を長めに出すかして、木製の扉に雨がモロにあたらない配置にするといった工夫をするものです。私は、1980年代の後半に、小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→(株)ヤマダエスバイエルホーム〕に入社して、最初に、松戸営業課長のUさんにそれを教えられた。それが「建築屋」のすることで、私はそういう配慮をしてきたつもりですが、そういった工夫をしないのが「世界の丹下」とかそういった「建築家」で、そこが「建築家」と「建築屋」の違い・・・と思ってきた。
   さらに。2015年、フリーダムアーキテクツデザイン(株)〔本社:東京都中央区〕https://www.freedom.co.jp/ でアフター課にいた時のことだが、千葉県船橋市の入居1年少々のお宅にお邪魔すると、床暖房を使ったところの床の板に隙間が出てしかたがないと苦情を言われたのだ。見ると、実際に隙間があいていたのだが、「床暖房対応可」の床板を使っていたのに、なぜ、こんな隙間が出るのだろうかと思っていたところ、施工会社の工事担当者が「この家、冬、床暖房を使いながら、その上にカーペットを敷いていたのじゃないか」と言うので、奥さんに「もしかして、床暖房を使う時に、その上にカーペットを敷いて使われたとかいうことはありませんか」と尋ねてみたところ、「カーペット敷いてました」と言われたので、「床暖房はその上にカーペットを敷いて使ってはいけないのです。カーペットを敷くか、床暖房を使ってカーペットは敷かないか、どちらかにしていただかないといけません」と言うと、「ええ~え? 床暖房を入れる季節こそ、一番、カーペットを敷きたい時なのにい~い」と言われたので、このお宅の「営業担当」及び「設計担当」はアホだな、三下だな、初心者だなと思い、フリーダムアーキテクツデザイン(株)の場合は、営業と設計が別れておらず、「営業兼設計」としてやっていたので、担当者に、床暖房にするかどうか決定する前に、お施主さんに、「床暖房にするなら、冬場、カーペットをその上に敷いて使うことはできません。冬場、カーペットを敷いて生活したいか、それとも、床暖房を使ってカーペットは敷かないか、どちらかを選ばないといけません」ということをきっちりと説明して、その上で、床暖房にするのか床暖房はとりやめるのか選んでいただかないといけませんと、若造の「営業兼設計」に教えてあげようとしたのです。ところが、アフター課の山本大輔(男。当時、20代前半)が、「そんなもの言う必要ないです。言ってはいけませんからねえ」と言うので、「なぜ、言ってはいけないのですか」と言うと、「床暖房にしたらカーペットを敷いてはいけないなんて、誰でも知ってますう。そんなこと説明することないです。知らないお客さんが悪いんですう」と言うので、「それは、住宅建築業の業界で働いている人間の場合でしょ。住宅建築業の業界で仕事をしている人間の場合は、知らない人も中にいるかもしれないけれども、知っている方が基本ですが、一般のお客さんは知っている人も中にあるでしょうけれども、知らないものだという前提で私たち住宅建築業の仕事をしている人間は説明しないといけません」と言ってあげたのですが、「そんなことありませ~ん。『床暖房にする場合にはカーペットを敷いては使えません。床暖房にするかカーペットを敷いて使うかどちらかです』なんて、絶対に言ってはいけませんからねえ。言わないように気をつけてくださいねえ」と言うので、「どうして、言ってはいけないのですか」と言ったのですが、「言うことないです。言ってはいけません」と言ってきかないので、なんか、もう疲れたので、「そうですか」と言ってあきらめたのですが、フリーダムアーキテクツデザイン(株)は「世界でただひとつの家」とホームページにコピーを入れて、「設計」が最初からお客様と打合せをして進めるというのを「売り」にしていたが、その「設計」(営業兼設計)というのは、(株)一条工務店の中学校しか出てないような営業でも、お客さんに説明するようなことを説明できない人間で、説明できないだけでなく、「説明してはいけない」と主張する人間だったのです。変な会社です。
   さらに、フリーダムアーキテクツデザイン(株)で、東京都狛江市で建てて1年目の方のお宅で、2階の床と壁の間に隙間が空いてきたという家がありました。今すぐ家がひっくり返るとかそういう問題ではありませんが、たしかに、よく見ると隙間が空いています。なぜ、そうなるか? 理由はいくつか考えられます。2階のその部分の上に柱が立っていて、かつ、筋交いの下端がとりついている。それだけではなく、2階からロフト3階へ上がる階段の下端もその部分に取りついている。柱は常に下に向かっての力を加えており、筋交いは地震や風による横方向の力が加わった際に斜め下に向かって力を加える。階段の下端が取りついた所というのは、その階段の下端は下に向かっての力が加わります。そういう特に下に向かっての力が加わる所というのは、その真下の1階にも柱を入れておくべきです。間取りの都合などでどうしてもその真下に柱を入れることができない場合は、その部分は他よりも太い梁を入れるなど考える必要があります。まず、2階に柱があって、そこに筋交いの下端が取りついていて、階段の下端もそこに取りついているというような場所には、やはり、1階にも柱を入れておくべきです。又、2階から3階にあがる階段の下端は、その真下に柱がない場所ではなく、真下に柱を配置できる場所に持ってくるようにした方がよい。ところが、フリーダムアーキテクツデザイン(株)のその家の担当者「営業兼設計」は、真下に柱を入れることができるにもかかわらず、わざわざ、上に柱があって筋交いの下端がとりついていて、階段の下端もとりついているという所で、その下の1階で柱をわざわざ抜いているのです。アホです。そこに柱を入れておけば、2階の床が下がるということはないのに、わざわざ、入れておくべき場所で柱を抜いているの。特に、そこで柱を抜いた方が機能上使いやすいとか、デザインの上で良いデザインが実現できるとかいうのなら、また、事情は違うでしょうけれども、そうではないのです。機能上の必要性もデザイン上の必要性もないにもかかわらず、一番荷重がかかる場所で、わざわざ、柱を抜いているわけで、「アホのやること」と言うしかありません。(株)一条工務店では、上階の柱の真下には30%以上は柱がないといけない、上階の柱の真下かそこから3尺以内の場所には柱がないといけない、としていた。聞いた話ですが、住友林業はこの後半部を3尺以内ではなく6尺以内としていたとかいう。聞いてから何年か経ちますから今もそうかどうかはわかりません。この「30%以上」というのは厳しい基準か緩い基準かというと、「普通の基準」です。私がここで言う「普通の基準」というのは、その基準を守ると、物凄く使いにくい家しかできないとか、ぶっさいくな家しかできないという基準ではない、同時に、無茶苦茶やっても達成できる基準というわけでもないというものです。実際に自分で図面を書いてみるとわかります。2階建ての家の図面を、お施主様の要望を踏まえて書いてみて、その上で、2階の真下の1階にどれだけ柱を配置できるか。私は実際に図面を描いた上で、自分が描いた図面で計算してみますと、たいてい、30%を少しだけ越えます。但し、私は、基本的には、2階の壁の通りは1階の壁の通りに一致させた方が強いという認識のもとに、わざわざ、2階の壁の通りを1階の壁の通りからはずすとかそういうことをしませんから、だから、たいてい、30%を越えますが、わざわざ、機能上の必要もなければ、それでデザインが良くなるわけでもないのに、2階の壁の通りを1階の壁の通りとはずすとかそういうことをしたがるフリーダムアーキテクツデザイン(株)のへんてこ設計が設計した場合にも30%を超えるかどうかはわかりませんよ。そういう構造上の基本を守った上で、機能上使いやすい間取りでデザインも優れたものにしようと考えて設計すれば、それほど床が下がったりとかはしないのです。私が設計するなら、2階に柱があって筋交いの下端が取りついていて、2階からロフト3階に上がる階段の下端も取りついているなんて場所の真下の柱を、そこに柱を入れようと思えば、何の苦労もないのに、わざわざはずすなんて、「アホのすること」はしません・・・・が、それをするのがフリーダムアーキテクツデザイン(株)なのです。
   そして、幹部社員らしい山本大輔(男。当時、20代前半)が言うには、「構造の設計事務所が大丈夫だと言ってるのですから大丈夫なんですう」と言うのですが、「構造計算をする設計事務所」という「構造屋」というのは「計算屋」であり、それで建築確認申請が通るかどうかを見ているだけで、竣工後に床が下がることがないかどうかなんて見てないのです。さらに、山本は「それから、プレカット工場が大丈夫だと言ってますから、大丈夫です」などと言うので、「プレカット工場には、普通は、建築の構造がわかる人なんていませんよ」と教えてあげたのですが、フリーダムアーキテクツデザイン(株)は設計会社で施工会社は別の会社で、プレカット工場は施工会社によって違うわけですが、それぞれの施工会社が依頼しているプレカット工場とは別とはいえ、ともかくも、プレカット工場に実際に勤務して働いたこともある私が教えてあげているのに、それでも、「プレカット工場が大丈夫だと言っているんですから、大丈夫なんですぅう~う」と言って、この頑固で傲慢な男はきかないのです。疲れました。私なども、建築業界に入ってから、大工さんであったり、それ以外の職人や業者など様々な人から教えてもらって知識を増やしてきましたが、ところが、フリーダムアーキテクツデザイン(株)の「営業兼設計」の場合は、アフター課の阿諏訪が「設計士(さま)なんだから」と言って、若造のしろうとに意見を言うなと言うのです。フリーダムアーキテクツデザイン(株)は、そうやって若造のしろうとを「設計士(さま)」扱いしてもちあげて、そして、無茶苦茶な建物を増産しているのです。そうでなければ、「こんなやり方は問題がでるよ」と言ってくれる職人や業者が、「設計士(さま)なんだから、設計士(さま)の指示に従ってください」とか言われ続けると、誰しも、だんだんと口をきかなくなり、「無茶苦茶でもその通りやれば気がすむのだから、言われた通りやればいいだろ」と考えるようになっていく。そうなった職人・業者が、問題があると言わなかったから大丈夫か? というと、そんなこと言うなら勝手にしろと思って口きかなくなっただけで、ちっとも大丈夫じゃないのです。
   もうひとつの問題は、たいていの戸建住宅では、床と壁の取り合いの部分に「巾木(はばき)」を床側にとりつけます。なぜ、巾木をつけるか? ひとつには、掃除機で床を掃除した時に掃除機があたった時などに、壁が傷つきにくいようにといったことが言われます。そういうこともあるでしょうけれども、もっと大きな問題として、木構造の建物というのは、完成後もけっこう揺れるわけです。鉄筋コンクリート造の建物と違って「揺れながらもつ」という性質があります。ですから、床と壁のとりあい、壁と天井のとりあいの部分というのは、あまりにもぴったりとつけていると、隙間があくのですが、そこをわからないようにするのが「巾木」です。壁は巾木と同じ面にあるのではなく、巾木の後ろに壁がありますでしょ。壁は巾木の後ろに入っていて、そして、巾木は床側にくっついているのです。だから、少しくらいなら揺れても、そして、少しだけなら床が下がるということがあっても、巾木は壁側ではなく床側についていて、壁は巾木の後ろに入り込んでいますから、わからないのです。ところが、フリーダムアーキテクツデザイン(株)の「設計士(さま)」という若造は何をやるかというと、「巾木(はばき)」をつけずに、「見切り」という幅の狭い樹脂(プラスチック)をつけるのです。床側ではなく壁側に。すると、「巾木」は床と一緒に動き、壁は巾木の後ろに入り込んでいますので、少しくらい床が下がってもわからないのに対して、「見切り」は壁にくっついているので、床と壁が離れるとそのまんま見えるのです。かつ、「巾木」はたいてい5センチ程度ありますが、「見切り」は2センチあるかないかですから、5センチの巾木との間に隙間ができても目立ちにくいのに対して、2センチあるかないかの見切りが床から浮くと目立つのです。なんで、そんなことするかなあ・・・と思うのですが、未熟だからそういうことをしたがるのでしょう。もうひとつ、職人・業者や他部署の人間の言うことをきかない。楽天イーグルスの監督をしていた時の野村克也が、打たれた田中将大に「もっと、捕手の言うことをきかんか」と言ったことがあって新聞のスポーツ欄に出ていましたが、一般に、「設計士(さま)」とか若造のしろうとが名乗りだすと、周囲の人間の言うことをきかなくなります。
   さらに、床と壁の間に隙間があいた狛江市のお宅については、幹部社員らしい山本大輔(男。当時、20代前半)は、「山本6ミリ理論」なるものを言い出した。「壁や床は、どこまでずれていてもいいかというと、6ミリまではいいと決まってると知っていますか」と言うのです。知らんよ、そんなもの。入居者からすれば、何ミリであろうが、隙間があいているのを見ていい印象をうけなかったわけで、山本にとって「6ミリまでいい」ものでも、施主にとってはそうではない場合もあるのです。山本はフリーダムアーキテクツデザイン(株)に入社する前、ゼネコンの工事現場で働いていたらしく、そのゼネコンでは、壁などが傾いているのは6ミリまでいいことにしていたらしい。しかし、それは木構造の戸建住宅とはまったく別の話。ラーメン構造の鉄筋コンクリート造、もしくは鉄骨造のマンションにおいて、壁が全体で6ミリ傾いていても、その壁は構造壁ではなく、間仕切壁・化粧壁で、その「6ミリ」というのは、肉眼で見て、傾いているかどうかわからないというのが「6ミリ」なのです。それは構造上、問題があるかないかの基準ではないのです。まったく、別の基準です。しかし、それでも、山本はきかないのです。それで、その狛江市の家に、アフター課の阿諏訪と山本の2人でレーザー光線による測定器で何ミリ床がいがんでいるか測定しにいき、「6ミリ以内だから大丈夫です」と言いくるめるつもりで行った・・・のですが、私は、「6ミリを超えていたら問題ですが、6ミリ以内なら大丈夫ですから、測定させてください」などと言って測りに行って、もしも、6ミリを超えていたらどうするの? ぶっ壊して建て替えるの? 見ものだな・・・・と思って見ていたら、阿諏訪と山本の2人で、そのお宅に行ってレーザー測定器で高さを測定したところ、「6ミリ未満」ではなく、「最大で10ミリ」差があったというのです。それで、どうしたかというと、これは「6ミリを超えていたら問題です」という「山本6ミリ理論」からいくと、ぶっ壊して建て替えないといけないことになるはずです・・・が、ぶっ壊して建て替えることにしたのかというと、そうではなく、今度は「10ミリですから大丈夫です」と言って帰ってきたというのです。なんだか、放射能汚染の限度は何シーベルトまでという法律を設けたものの、原発事故が発生して放射能汚染が現実の問題になると、今度はその何シーベルトまでという基準を変えようと言い出した御用学者みたいですね。私は言ってやったのです。「6ミリを超えていたら大問題だったのではないのですか」と。阿諏訪と山本は「いや、10ミリですから大丈夫です」と言うのです。「6ミリを超えていたら大問題」なのに、なぜ、「10ミリだから大丈夫」なのか? 変だと思いませんか? 
   私が「営業兼設計」なら、そんなことになっては嫌だから、最初から、2階に柱があって筋交いの下端がとりついていて2階からロフト3階にあがる階段の下端もとりついているというような場所はその真下の1階にも柱を入れて設計します。入れるべき場所で柱を抜くなどというのを「かっこいい」とも思わないし「独創的だ」とも思いません。「アホのすること」です。最近、発がん物質であるタール色素で奇妙な色に染めたお菓子とか売ってますが、私が「気持ち悪い」と感じるものに魅力を感じる人がいるようですが、その感覚は問題がありますが、同様に、柱を入れるべき場所で抜いた建物がかっこいいと感じるならその感覚は問題があります。そして、私なら、レーザー測定器で測りに行くなんてことは、しないな。「山本6ミリ理論」というのは、6ミリ未満だろうと勝手に思い込んで、それで、お施主さんを言いくるめるつもりでいたのだろうけれども、もしも、測って6ミリを超えてたら、どうしよ・・・と、建築屋なら考えるものだろうがと私は思うわけですよ。そのあたり、「建築屋」なら考えても、「設計士(さま)」になると考えないみたいで、逆に、レーザー測定器とか使ってみたくなるようです。そんなもの、使うとね。「6ミリ以内」だった時は、こけおどしに役立ちますが、その「6ミリ」を越えていた時に、ごまかしにくくなるでしょ。どうせ、自分が勤めている会社は、会社が費用を負担してぶっ壊して建て替えるのは嫌なんだから、建築屋なら、そのくらい考えろよなあ・・・て思いますが、「設計士(さま)」というのは、ちょっと違うみたい。
   2階に柱があって、筋交いの下端が取りついていて、2階からロフト3階にあがる階段の下端もとりついている所の真下の1階には柱を入れて置いた方がいいとか、竣工後に、壁と床の間に隙間が出ることも考えて、床側に巾木をとりつけて、壁は巾木の後ろに入り込む施工にしておいた方がいいとか考えるのが「建築屋」の思考で、2階に柱があって筋交いの下端がとりついていて、2階からロフト3階にあがる階段の下端もとりついているというような場所では、機能上もデザインの上でも、その真下に柱を入れるのは何ら問題ないという場合、わざわざ、そういう所で1階の柱を抜いてやろう、それが「世界でただひとつの家」「フリーダムな発想」とか考えるのが、それが「建築家」「設計士(さま)」の発想。「建築屋」やってきた私からすると、バッカじゃなかろかルンバ♪ て感じがしますけれどもね。〔⇒《YouTube-野村監督「バッカじゃなかろかルンバ」(原曲入り)》https://www.youtube.com/watch?v=ewJ6WwU76Rs 〕

  「建築家」「設計士(さま)」「デザイナー」と「建築屋」は、そんな感じで違いがある! と思ってきたのです。しかし、↑の大江戸線「六本木」駅の設計者である〔《建築家資格制度 守屋弓男》http://www.jcarb.com/Portfolio00004077.html を見ると、「設計」でも「全体の統括」という立場らしいが〕愛知産業大学の建築学科の守屋先生の話を聞いて、「この方は、『建築家』か『建築屋』かというと、『建築家』の方の人のようだが、必ずしも『建築家』ぽくない人だな」と思ったのです。どこが「建築家」ぽくないかというと、雨漏れしようが、耐久性に問題があろうが、使いにくかろうが、ともかく、ひょっとこみたいなへんてこりんなデザインの建物を造ると「建築家」・・・・なんて、そういう考え方ではないのです。へえ~え、「建築家」にもこういう考え方の人がいるのか・・・と思った。むしろ、守屋先生の場合は、「使えなくてもいい、独創的でさえあれば」という建築については否定的な認識のようだ。その点で、「建築家」とはいえ、「建築屋」ぽいところのある人だなと思った。
   そもそも、「使えなくてもいい、独創的でさえあれば」が「建築家」て、その「建築家」観は本来的なのだろうか? そう思って、大江戸線「六本木」駅を見ると、↑のプラットホームの柱、「面取り」がしてありますでしょ。地下鉄のホームは混雑時、人がぶつかりあったりすることがありますから、そういう場合に、柱がとんがっていては危険・・・・と私は思います。大江戸線「六本木」駅の柱はそういったことを考えて「面取り」がされているのです。なんだか、大江戸線「六本木」駅の設計者って、「建築家」じゃなくて「建築屋」みたい♪ と思い、そのあたりに感動したのです。
   「世界の磯崎新」が設計なさった「ポストモダンの集大成」とか言うらしい、畏れ多くも二級建築士の学科テキストにも名前が登場する つくばセンタービル なんて見に行きますと、なんで、こんな所、とんがらせるの? ぶつかったら危ないんちゃう? てところを鋭角にしてみたり、つま先つっ込んでひっくり返りそうな溝をわざわざ作ったり。わざわざ、子供の頭・眼くらいの高さに、金属製のオブジェをつきだしたり、屋外燈を、やはり、子供の頭・眼くらいの高さに設置したりと、あらゆる所で「建築家」やってる。でもって、「世界の磯崎」の設計のつくばセンタービルの商店街は、向かいに つくばエクスプレス「つくば」駅ができたにもかかわらず、閑古鳥が鳴いていてシャッターじめの空き店舗だらけ。道路隔てた向かいの「フツーの人」が設計した「フツーのビル」は人がいっぱい入って繁盛している。やっぱり、商業ビルは「建築家」に設計させちゃいかんな・・・と思った。「フツーの人」が設計すると、どういう建物にすれば、人を呼べて、商売をしやすい建物になるかと考えて設計するのに対して、「世界の磯崎」とかそういう人に設計してもらうと、「ポストモダンの集大成」とかいうゼネコンの能力を使った巨大な彫刻を作ってしまい、客の入らない閑古鳥の鳴く建物にされる・・・と思ってきた。
   しかし、「建築家」の設計した駅にしては、大江戸線「六本木」駅では、ホームの柱に「面取り」がされて、混雑時に人がぶつかっても怪我したりしにくいようにという工夫がなされている。これはどう考えたものだろうか?
    「建築家にしてはすごい♪」なんて言っていいか? 今は昔、橋下徹が「政治家の中で最もイケメン」に選ばれた時、「『政治家の中で最もイケメン』なんて言われても、『ウンコの中では最も形のいいウンコ』と言われているようなもので、うれしくない」と言ったことがあったが(さすがに北野高校卒だけあって、そのあたりは、のせられて手の舞足の踏むところを知らずみたいにならない、かつ、上品ではないとしてもセンスは悪くない文句)、「建築家にしてはすごい」というのは、あんまり、ほめてないのではないか? 「ウンコの中では最も形のいいウンコ」と言っているみたいな。
   「建築家」の建物というのは、「ぶつかった時に怪我しやすいように、わざととんがらせた柱」とか「足をつっこんで転んだり、捻挫したり骨折したりしやすい溝をわざとつくる」「子供の眼の高さくらいに金属製のオブジェを突き出す」とかそういうのが「建築家」かというと、前川國男設計の東京文化会館では、音楽の演奏会の後、人がどっと出てきた時にぶつかっても怪我しにくいように、入口の外のコンクリートの柱は、大江戸線「六本木」駅と同じように「面取り」がされているのです。東京都美術館もそうです。東京都美術館や熊本県立美術館の屋外燈は、つくばセンタービルの屋外燈みたいに、子供の眼の高さくらいに設置するのではなく、背の高めの大人の頭より少し上くらいの位置についています。だから、「建築家」でも、そういったことを考えて設計するという人は、守屋先生だけということではなく、前川國男もそうしていたし、そうする人はあったわけです。 だから、子供の眼の高さくらいに屋外燈をつけるのが「建築家」で、屋外燈は大人の頭の上くらいにつけるのが「建築屋」というわけでもないみたいです。

   もうひとつ、「建築家」の特徴として、ベレー帽かぶる人とか、ラーメン屋みたいにヒゲはやす人とか、バッハ・ヘンデルみたいな頭する人とか、男なのに紫式部か志茂田景樹みたいなカッコした人とか、暴走族みたいな羽根つきの真っ赤なスポーツカーに乗るおっさんとか、大久保清みたいなカッコする人とか、なんか、そういうのが「建築家」・・・・て、なんか、そんな印象があって、「建築家」て、なんだか、「ほとんどビョーキ」て感じの人が多いのではないか。本多勝一がどこかで書いていたのだが、太平洋をひとりでヨットで横断した堀江健一にしても、植村直己にしても、会ってみると「普通の人」で「普通の顔」をしているという。逆に、少年雑誌の漫画などに登場する「冒険家の顔」をしているような人間というのは、たいした冒険のできない人間が多いと。で、いつも、思ってきたのです。「建築家」とか「デザイナー」とか、あるいは「いっきゅうけんちくしい~い」とか名乗りだした人間て、なんで、ベレー帽とかかぶりたがるのか、なんで、暴走族みたいなクルマに乗りたがるのか・・・・と。
  美術展もその内容によって「客層」が異なるのですが、茶道関係だと、「けっこうなお点前ですこと、オホホ・・・」みたいな雰囲気を漂わせている人が多いのですが、安藤忠雄なんて「建築家」の展示となると、やっぱり、「大久保清みたいなカッコした人」とかが多いみたい・・・。紫式部や志茂田景樹はいなかったが。そのあたりは、この後の稿で、述べます。「建築家」とともに、ラーメン屋というのも、なぜか、ヒゲはやしたがるみたいですが、「ヒゲはやしたら建築家」と「ヒゲはやしたらラーメン屋」て、なんで? ・・・て思いませんか?

   「建築家」か「建築屋」か暴走族か大久保清かはさておき、↑のように、地下鉄のプラットホームの柱などは、混雑時に人がぶつかった時など考えて「面取り」をした設計とそういうことを考えない設計なら、「面取り」をした設計の方が、その部分について優秀な設計だと私は思います。
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( ↑ 大江戸線「六本木」駅  エスカレーター )
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( ↑ 大江戸線「六本木」駅 階段 )
   ↑ この大江戸線「六本木」駅のエスカレーターと階段の部分ですが、エスカレーターや階段の部分の天井というのは、エスカレーター・階段の勾配に合わせて平面で斜めになっているか、もしくは、床と平行な面が何段かになっているか、いずれかというのが「普通」でしたが、大江戸線「六本木」駅ではそうではなく、曲面になっているのです。「建築屋」なら、そういうことすると平面の天井にくらべて費用がかかるとか考えるのですが、「建築家」としては、発想として、エスカレーターや階段の天井というのは、エスカレーターや階段の勾配に合わせた斜めの平面か、床と平行な平面が何段か続くかとは決まってはいない。 曲面の天井だっていいじゃないか・・・という発想はあるのかなと思ったのです。
   自分が世話になった方の作品は「ほめもしなければけなしもしない」ことにしたものの、取り上げた以上は言いましょう。この曲面の天井については、平面よりもいくらか費用はかかるかもしれないけれども、さすが「建築家」の設計だなと思ったのですが、問題として、こういう曲面の天井にした場合、照明器具をどうつけるのか、という問題がでてきます。大江戸線「六本木」駅では、どうも、「まぶしい」。 その点、もし今からでも改善できるものなら改善できたらとも思います。

   このエスカレーター・階段の部分での曲面の天井ですが、大江戸線「六本木」駅だけ、今まで私が見たものでは大江戸線「六本木」駅だけだったのですが、ところが、新国立美術館に行った帰り、東京メトロ千代田線「乃木坂」駅に入ろうとすると、↓
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↑  「乃木坂」駅でも、曲面の天井があり、エスカレーターの側壁もまた、曲線を描いていたのです。
  ちなみに、乃木坂なんとか いう ねーちゃんは、乃木坂駅にはいない。

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  ↑クリックすると大きくなるので、大きくして見てください。大江戸線「六本木」駅の↑のエスカレーターの手摺の色あい ですが、「建築屋」は、どうも、こういうのを見ると、「特注色」だからその分、オプションとして高いのではないか、「標準色」にしておいた方が安くないかとかそういうことを考えてしまうのですが、しかし、上品で、周囲と調和したいい色だと思います。
〔 その後、「フツーの人」の設計と思われる「フツーの建物」のエレベーターの手摺を見ても、けっこう、「ありきたり色」でない色を使っているものを見ます。今は、「特注」でなくても、手摺に様々な色が使えるのでしょうか・・・・ (12.1.)〕

   次回、新国立美術館へ http://tetsukenrumba.at.webry.info/201711/article_8.html

  (2017.11.21.)

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