熱田神宮参拝-北野高校の史跡[2]-【6/6】八剣宮。ファシズム人格に通じる「女子高にブルマ型人間」

[第327回] 北野高校の史跡[2]-「 熱田神宮に草薙剣型」vs「女子高にブルマ型」

   熱田神宮の南門の第一鳥居の脇を左手(西側)に進むと、正面(西側)に上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)があり、右手(北側)に別宮八剣宮(べつぐうはっけんぐう)がある。 ↓
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↑ 摂社 上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)
    「上知我麻神社」という字で書かれるが、「上」は上・下の上だろう。 熱田神宮の北西のカドのあたりに、「下知我麻神社(しも ちかまじんじゃ)」がある。 「チカマ」とはどういう意味なのだろう。 字に意味があるのではなく、音に感じを当てたような字だが。 知っている人で、チカマさんという方がおられるのだが、その人の名字はこの神社とは別の字で2文字だが、おそらく、この神社の名称と由来は共通しているのではないかと思うが。
    『週刊日本の神社 熱田神宮』(2014.7.1. ディアゴスティーニ・ジャパン)には、≪ 尾張国造(おわりのくにのみやっこ)の乎止與命(おとよのみこと)を祀っているため、地主神として崇められている。・・・・
  また、子供に名前をつける際に神様から一字をいただく「名氏子」の特殊信仰が受け継がれている。 「知恵の文殊様」としても有名で、受験シーズンには参拝者で賑わい、絵馬奉納などが行われる。 ≫と出ている。
≪ 「知恵の文殊さま」とも呼ばれ、命名・学業成就の信仰が伝わるお社です。≫(「熱田神宮 境内案内」)
   「上・・・・神社」「下・・・・神社」という名称がついている神社の場合、その2つは場所が異なるが祭神が共通していたり、あるいは、祭神が同じというわけではないが、同じ系統の神さんで、2つ合わせて意味が出てくるような神社であったりする場合がある。 ここではどうか。
   下知我麻神社(しも ちかまじんじゃ)は、祭神は『週刊日本の神社 熱田神宮』(2014.7.1. ディアゴスティーニ・ジャパン)には、≪真敷刀俾命(ましきとべのみこと)≫とあり、≪境内北西の国道19号線沿いにある下知我麻神社の石を持ち帰り、願いが叶ったら倍の数量の石を同社に奉納するという珍しい風習も伝わる。≫と出ており、「熱田神宮 境内案内図」には、≪ 古くから旅行安全の信仰が伝わるお社です。≫とある。 旅行安全の神さんと命名・学業成就の神さんでは、ずいぶん違うように思うのだが。
   地主神だと、一般に、本宮の脇か奥あたりに位置している神社が多いように思うのだが、上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)は摂社・末社の中では社殿は大きく広いが、熱田神宮の入口脇の位置にある。 下知我麻神社になると、北西の隅の位置であり、今まで訪ねてきた寺社の地主神社とは少々違うように思える。 本当に昔から地主神だったのだろうか・・・。

    ↑の左右手前にある小ぶりの社は、社殿に向かって右側(北側)が大国主社、 左側(南側)が事代主社
大国主社、事代主社は、≪ 熱田の大黒様・恵比寿様として知られ「初えびす」は多くの参拝者で賑わいます。≫( 「熱田神宮 境内案内図」 )
   大黒さん・えべっさん と考えると、オオクニヌシとコトシロヌシの社が左右に並ぶのも、そうかいなあという気がしてくるが、しかし、『古事記』によると、オオクニヌシの子にタケミナカタとコトシロヌシがいたわけで、オオクニヌシとコトシロヌシは親子であり、兄弟であるタケミナカタとコトシロヌシが左右に並ぶのではなく、親子であるオオクニヌシとコトシロヌシが左右にならぶというのはどういう理由によるものだろうか。 タケミナカタは、アマテラス一派・高天原系が派遣した武闘派タケミカヅチとの対決に敗れて、出雲から日本海沿いに逃げて長野県の諏訪まで行き、諏訪から外には出ませんから許してくださいと詫びをいれて認められた・・というお話があり、それゆえ、タケミナカタを祀る神社は諏訪と逃げて行った経路の地の他にはないということか。しかし、千葉県の香取神宮にはタケミナカタを祀る摂社なのか末社なのかがあるのです。
  そういえば、熱田神宮の摂社・末社には、『古事記』『日本書紀』に登場する有名人というのか有名神の祠がけっこうあるのですが、タケミナカタの社はないというのは、タケミナカタは熱田神宮においては、異種というのか異質というのかの神なのか。コトシロヌシは認められてもタケミナカタは認められない理由があるのか。


   西門の鳥居のすぐ内側に外に向かって存在する「外天神」というのは、あれは祭神は菅原道真と言っているけれども、熱田神宮では摂社・末社を含めて、実在が確認されている人間としては、熱田神宮ができてより後に生きた人間である菅原道真だけが祀られているのだが、「菅原社」「外天神」はもとから菅原道真を祀ったものだったのか。 多くの社が南に向いており、西を向いている社もあるとはいえ、そういう社はたいてい比較的内部の社であるが、外天神は西門の鳥居のすぐ内側で外に向いている。あれも、どうも、異種というのか異質というのかの神だから、菅原道真だということに後からしたのかという疑問を感じる。内天神社の祭神は「天神」と言いながら菅原道真ではないというのであるし。 熱田神宮には、摂社・末社で、「祭神」とされている人というのか神というのかが、どうも、本当にその人というのか神というのか疑問に思えるような社があり、そして、祭神が明示されない社がある。そもそも、本宮の神である熱田大神とは何者なのか、熱田大神からして、その性質が不明確だ。そのあたりに、何か、明らかにしにくい事情があるのか・・たとえ、今はなくても過去にあったのか・・・といったことが思えてくる。もしかして、「外天神」がタケミナカタだったのだろうか? と、ふと思ったが、やっぱり、違うか。 熱田神宮には、オオクニヌシとコトシロヌシは随神のような社の配置で存在し、片方で、タケミカヅチやフツヌシを祀る社はない。 ということは、あんまり、親高天原系の神社ではないということか。 「西」に対する備えとして、西側に向かって建っている「外天神」というのは、反高天原系の武神のタケミナカタだったが、熱田の神が大和朝廷と「手打ち」をしたことから、高天原系の神に徹底抗戦して破れたタケミナカタは、そこから外されて、ぼやかされて、かわりに菅原道真を祀るということにしたのか・・・? ありそうな気もするが、はたして・・・。
   ・・・・で、草薙剣っちゅうやつを盗み出して、検分してこましたろか・・・と思う者が出てきたとしても、わからんこともない?・・・・か?  決して開けてはならぬと伝えられてきた法隆寺の夢殿を、明治政府と組んで開扉したフェノロサが良くて、熱田神宮の本殿の草薙剣っちゅうやつを、いっちょ、検分してこましたろかと考える者はケシカランというのも、不公平な感じがしないでもない・・・。 だから、熱田神宮に草薙剣を盗みに行けとは言わんが、しかし、こういう面もあるわけで、こういう考察をケシカランと言うヤツ、慶應の学生とか教授、特に内部進学の学生とか教授にそういうフェノロサは偉人だが草薙の剣を盗みだして検分してやろうとするような者はケシカランとこういった考察なしで決めつける男(および女)が多いのだが、そういうヤツはケシカランと私は思うのだ。 だから、熱田神宮に草薙の剣を盗みに行けとは言わないけれども。もしも、実際に、盗み出しても、たぶん、「たいしたもん」はないのではないかと思うし。
  で、フェノロサは偉人だと決めつけておきながら、熱田神宮にあるという草薙剣ちゅうやつを盗み出して検分してこましたろかと考える者というのは、こっちは無条件にケシカランと決めつける人間というのは、これは「権威主義的パーソナリティー」「ファシズム人格」であり、「女子高にブルマ型人間」だと考えていいと思うのだが、ところが、「慶應タイプ」の「心理学者」は逆だと主張するのだ。「慶應タイプ」の「心理学者」は、そうではなく、「フェノロサは偉人だと決めつけておきながら、熱田神宮にあるという草薙剣ちゅうやつを盗み出して検分してこましたろかと考える者はケシカランと決めつける『塾風タイプ』」こそ、「独立自尊の精神を身につけている」であり「思考が柔軟」であり「自我が確立されている」であり「アイデンティティーを身につけている」であり「そういう人間が社会で役に立つ」であり、さらには「ギャルにもてもて」とやらで(「アホにもてもて」?)、それっておかしいのではないかと言う者は、「ギャルにもてもて」とやらの「慶應ボーイ」から「おまえ、慶應らしくないな」「就職に困るぞお」「おまえの親はかわいそうだな」「おまえなんかと結婚するような女ないだろな」とか罵られ、「慶應タイプ」の「心理学者」からは「自我が確立されていない」「アイデンティティーを身につけていない」「独立自尊の精神を身につけていたらそんなことは言わないはずだ」とか「診断」されるのだ。怖いねえ・・。しかし、「それでも地球はまわっている」・・「慶應タイプ」の「心理学者」の「心理学」は「心理学ごっこ」でしかなく害がある。むしろ、そういう「ごっこの構造」を解明・解体することこそ意義がある。

    熱田神宮の南門 第一鳥居の脇を西に向かって正面(西側)に、摂社 上知我麻神社があり、そこを右(北)に向くと、別宮 八剣宮(べつぐう はちけんぐう) がある。↓
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  『週刊日本の神社 熱田神宮』(2014.7.1. ディアゴスティーニ・ジャパン)には、「別宮・摂社・末社一覧」として、
境内摂社が8社(一之御崎神社、下知我麻神社、上知我麻神社ほか)、
境外摂社が4社(松姤社ほか)、
境内末社が19社(清水社、大国主社、事代主社、内天神社、菅原社ほか)、
境外末社が5社
あげられている。「六末社」はそこには含まれていない。  八剣宮の場合は、摂社なのか末社なのかというと、どちらでもなく、「別宮(べつぐう)」という存在らしい。
   ≪ 社殿の建築様式は本宮(ほんぐう)と同様で、年間の祭典・神事もすべて本宮に準じて執り行われている。 元明天皇の和銅元年(708)に、宝剣(ほうけん)を新たに鋳造して創祀された。一の鳥居の西側に鎮座し、本宮と同じ祭神を祀っている。 ≫『週刊日本の神社 熱田神宮』(2014.7.1. ディアゴスティーニ・ジャパン) という。 本宮の場合、拝殿はよく見えるが、それより後ろに位置している社殿は、実際のところ、あまりよく見えない。 別宮(べつぐう)だという八剣宮は、社殿の構成は本宮と同じで、全体が本宮よりもひとまわり小さく、本宮よりはよく見えるので、社殿がどうなっているのか見たい場合は、こちらの方が建築探偵団にとってはよくわかる。

   草薙剣というのは、たしか、源平の争乱の時の壇ノ浦の戦いの際に、関門海峡の海に沈んだはずで、「三種の神器を失った」というのが勝利者の源義経に対しての批判としてなされたと言われてきたのだが、ところが、『週刊日本の神社 熱田神宮』(2014.7.1. ディアゴスティーニ・ジャパン)に掲載の三種の神器の変遷の図を見ると、鏡と剣(草薙剣)については、実は、本体形代(かたしろ)の2つずつあって、関門海峡に沈んだのは形代の方でした、鏡の本体は伊勢神宮にありました、剣の本体は依然として熱田神宮にありましたあ~あ・・・・とか言っているらしいのだ。そんなアホな・・て感じがするのだが。
   もし、それならば、だ。 勝将軍の源義経は、あそこまで「たとえ、勝ったといっても、三種の神器を失ったのでは」とかなんとか言われなくてもよかったてことないか? 失くしたとしても、今現在の主張では、どうせ、本体じゃなかったのでしょ。 相撲の優勝力士が「優勝したといっても、誰々との対戦の相撲は相撲がよくない」とかダメだしされたり、プロ野球の監督が、せえっかく頑張って努力して優勝して日本シリーズでも勝ったのに、「森の野球は強いばっかりで面白味がない。もっと、長嶋のように客を呼べる監督でないと」だの「やりたきゃやれば」だの言われて、たいへんな思いをして勝った者に対して、その言い草ないやろうが・・・というのと同様に「たとえ、勝ったにしても、三種の神器を失くしてしまったのはいただけない」だのと源義経について言わなくても良かったのじゃないのか・・・・て・・・思いませんか?
   「別宮 八剣宮」て何なんだろう。 もしかして・・・・。 草薙の剣をなくしてしまった・・・ということは過去にあって、その際、「しまった。 代わりを用意しなきゃ」てことで、たとえば、コンタクトレンズ、なくしちゃったあ、困った、どうしよう・・・てことで、しかたなしに新しいのを作り直したら、実は、ケースの片方の側に両目用とも入ってましたあ、あったんじゃないのお~お・・・みたいな、そんな感じ? で、見つかったという時に、見つかった以上は、新たに作ったのはもう要らないとしても、コンタクトレンズだって高いし、せっかく作ったものを捨てるのももったいないしということで、とりあえず、置いておく・・・みたいに置いておいたのが、「別宮」だった・・・なんてこと、ないか? なんてこと言うと怒られるかもしれんが、そういう可能性はないとは言えないような気がするのだが・・・。

   敷地面積も広く、摂社末社も多いという神社を訪問する場合、ともかく、一通り訪ねるという訪問・参拝のしかたでは、結局、何も印象に残らなかった、という可能性があるので、今回は、ともかくも、草薙の剣があると言われる本宮を中心として、その別宮だという八剣宮と、ほかに菅原社・内天神くらいを訪ねたいと思って訪問した。 「寺社は、初回の訪問においては正門から入る」というポリシーにのっとり、地下鉄名城線「伝馬町」駅で下車して南門に向かったことから、境外摂社・境外末社まで訪問する余裕は今回はないと思っていたのだが、地下鉄「伝馬町」駅から南門に至る途中に、境外摂社の松姤社があったので、松姤社には訪問・参拝した。
   だから、熱田神宮のすべての摂社・末社まで訪ねたわけではないのだが、私が訪問して見た限りでは、千木と堅魚木については、千木の先端は地面と水平、堅魚木の本数は複数で、この2つは「女の神様」の性質を示しており、千木に穴が開いており、この点は「男の神様」の方の性質を示している。 これは、私が見たものについては、熱田神宮の中の社、すべてに共通していたと思う。
   ≪ 本宮(ほんぐう)は、かつては尾張造といわれる建築形式であったが、明治26年(1893)、3種の神器を祀る社として伊勢の神宮と同様の神明造に改築された。 ・・・・昭和20年(1945)に空襲で一部焼失したが、ご神体は難を逃れ、社殿は昭和30年(1955)に復興し、ご遷座されている。・・・・≫
   「尾張造」とは、《ウィキペディア-尾張造》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E5%BC%B5%E9%80%A0 によると、≪本殿(後)、祭文殿(中)、拝殿(前)を回廊で繋いだ左右対称の建築様式で、尾張地方独特の建築様式≫らしく、今現在、尾張造の社殿が存在するのは、≪ 真清田神社(愛知県一宮市) 津島神社(愛知県津島市) 尾張大国霊神社(愛知県稲沢市) 大縣神社(愛知県犬山市) 田縣神社(愛知県小牧市) 高座結御子神社 (愛知県名古屋市熱田区) 氷上姉子神社 (愛知県名古屋市緑区) 富部神社(愛知県名古屋市南区) ≫ らしい。
   かつては、熱田神宮の本宮は「尾張造」であったのが、1893年(明治26年)、「いちやく清(1894)を攻撃す」の日清戦争の前年、尾張造であった社殿を伊勢神宮と同じ神明造に建替えた・・・。 時期から考えても、熱田神宮と熱田の神を「皇祖 アマテラス」を祀る伊勢内宮に同化させようという政策のひとつだったということなのか?
   「切妻屋根で平(ヒラ)入りの神明造は、伊勢神宮にだけ認められている」と言われてきたわけで、住宅建築業の仕事をすると、戸建住宅でも、切妻屋根でヒラ入りはいかんと言うじいさんと出会ったりもする。 単に切妻屋根で入口をヒラ(平)側に作れば千木もなければ堅魚木もくっついていない建物がそれで神明造かというと、「ち~が~う~だ~ろ」と思うのだが、お客さんに向かって、「このハゲぇ~え!」と言うわけにもいかないので、そういう方には、そうならない方向で努力してきたのだが、それにしても、伊勢神宮は「切妻屋根平(ヒラ)入りの神明造は伊勢神宮にだけ認められた形式で、決して他の神社がこの形式をとることは許されない」とか言いながら、熱田神宮には本来の尾張造を改めさせて神明造にさせるというのは、なんか、要するに、「その時その時で勝手なことばっかり言ってるだけ」てこと???
    「別宮 八剣宮」は、≪社殿の建築様式は本宮(ほんぐう)と同様で、年間の祭典・神事もすべて本宮に準じて執り行われている。≫ということは、八剣宮の建物は、今は神明造だが、かつては、尾張造だったということか。 ということは、1893年、日清戦争の前年、「明治維新体制」の時期に、本宮を伊勢神宮と同じ形式に建替えた時に、八剣宮も伊勢神宮と同じ形式に建替えた、ということなのか・・・。

    熱田神宮の摂社・末社を見てまわると、祭神がどういう由緒の神なのか、よくわからない社があるとともに、上知我麻神社の左右手前に随神のようにオオクニヌシとコトシロヌシが社をかまえていたり、『週刊日本の神社 熱田神宮』(2014.7.1. ディアゴスティーニ・ジャパン)の「別宮・摂社・末社一覧」によると、「内天神」の祭神は「外天神」と違って菅原道真ではなく「少彦名(すくなひこな)」だそうで、スクナヒコナというと、オオクニヌシのパートナーであり、そのあたりを考えると、「出雲系」の神の社が少なくないとも思える。 熱田の神というのは、明治維新以降・敗戦以前の「明治維新体制」の時期に、明治維新政府の政策として伊勢の内宮に同化させられたが、もともとの熱田の神は伊勢の内宮とは相当異なるのではないか・・・・。

   熱田神宮にあるとされる草薙剣は、誰も見たことがない・・・ということになっていたはずだが、≪明治26年(1893)、三種の神器を祀る社として伊勢の神宮と同様の神明造に改築された。≫ ≪本殿には草薙御剣(くさなぎのみつるぎ)が鎮座している。かつては尾張造であったが、明治時代に伊勢の神宮にならった神明造へ改築された。≫(『週刊日本の神社 熱田神宮』2014. ディアゴスティーニ・ジャパン) ということは、その1893年(明治26年)の改築の際、大工さんは見たわけだわなあ・・・・。 大工さんだけでなく、たぶん、宮司さんも見たのではないか。 明治政府の役人でも見た人がいるのではないか・・・・。
   参拝者に毎度毎度見せる必要はないとしても、建て替えの際にでも、歴史学者・考古学者といった人には調査を認めた上で、その内容を国民に公表しても悪くないと思うのだが、「もったいばっかしつけてからに」というのはどうかと思う。 キリスト教においても、歴史的イエスと宗教的イエスは同じでないところがあると思うが、歴史学によって歴史的イエスについての研究が実証的になされたとしても、それによって宗教的イエスの価値がなくなるというものでもない。 熱田神宮においても、本殿にあるという草薙剣というのは、それはどういうものなのか、歴史学者・考古学者による調査はなされてもいいと私は思う。


    今回は、「寺社は初回に訪問する時は、正門から入る」というポリシーに従って、地下鉄名城線「伝馬町」駅で下車して、南門 第一鳥居をくぐって参拝したが、帰りは、塀を乗り越えて帰るとかいうのはいかんが、正規の出入口である限り、どこから帰ってもいいという「現実主義」により、東門 を経て、名鉄「神宮前」駅より名古屋駅まで名鉄に乗って帰った。
    名鉄名古屋本線はこのあたりではJR東海道本線と接してすぐ東側を走っており、名鉄「神宮前」駅もJR東海道本線のすぐ東側に駅があるので、熱田神宮まで来るにはぐるっとまわらないといけないとかいうことはないかと思ったが、そうではなく、名鉄「神宮前」駅のホームから上に上がると、そこから西に進めば、自動的にJRの線路を越えて、さらに県道226号も超えて県道の西側、熱田神宮の側に降りることができる。 ↓
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( ↑ 右の向こう側の建物、「MEITETSU」と書いてある。 ここが名鉄の駅なんだとわかりやすい。)

    東門の少し北あたりにある名鉄「神宮前」駅に渡る歩道橋の上からは、熱田神宮の全景を見ることができるが、見えるのは森林ばっかりで社殿が見えるわけではない。↓
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    熱田神宮では、鳥居は見た限り、すべて、木製の鳥居で、そのあたりを見ると、木の神さまなのか? という感じもしたが、そういう由来の神さまではなかったと思うが、樹木が生い茂った境内と木製の大きな鳥居と社殿を見ると、木とのつながりがあるのかという雰囲気がある。

    電車で名古屋駅から熱田神宮まで、もしくはその逆は、地下鉄では一度乗り換える必要があって、遠回りでもあり、「初回の訪問は、正門から入る」というポリシーが特になければ、名鉄「神宮前」駅かJR「熱田」駅を利用した方が便利ではないかと思う。 今回は、名鉄「神宮前」駅から「名鉄名古屋」駅まで名鉄で帰ったが、乗り換えがなく、地下鉄より迂回することなく距離が短いので、地下鉄よりは所要時間が短いと思ったが、名古屋駅から熱田駅、名鉄名古屋駅から神宮前駅というのは、すぐかと思ったら、けっこうかかった。 それほど近い場所ではないようだ。  それから、「名古屋は大きないなか」なんて言葉があって、名古屋人はその表現に怒るらしいのだが、名古屋は東京と関西に次ぐ都市圏だと思っていると、土地柄として、けっこう、田舎っぽいところがあるというのが、その言葉の趣旨だが、逆に「大きないなか」なんて思っていると、けっこう都会であり、地下鉄も路線が多くて、けっこう迷ったりもする。そのあたりでは、あんまり、「いなか」なんて思わない方がいいと思う。

    名鉄の乗った電車だが、↓
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↑  出口付近、つり革が↑のように何重にもついていた。 これは東京圏でも関西圏でも私は見たことがない。名古屋人もけっこう工夫するではないか・・・。

   熱田神宮は愛知県の尾張地方にある神社の中では相当大きい神社ですが、しかし、東海道本線の名古屋と岐阜の真ん中あたりの愛知県側に「尾張一宮」という駅があり、熊沢天皇さんは尾張一宮の出だったと思いますが、そちらが一の宮で、熱田神宮は一の宮ではないのです。となると、二の宮かと思っていたら、《ウィキペディア-熱田神宮》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%B1%E7%94%B0%E7%A5%9E%E5%AE%AE を見ると、熱田神宮は、尾張国三宮と出ています。 二の宮ですらないのか・・・・。
   尾張国一の宮は、おそらく、一宮市にあるのだろうと誰もが考えるのですが、一宮市のどこかと思ってインターネットで検索しますと、一宮市にある真清田神社(ますみたじんじゃ)大神神社(おおみわじんじゃ)の2つが尾張国一宮を名のっているようです。 
※ 《ウィキペディア-真清田神社(ますみたじんじゃ)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E6%B8%85%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE
《ウィキペディア-大神神社(一宮市)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E4%B8%80%E5%AE%AE%E5%B8%82)
   二の宮はというと、犬山市の大縣神社(おおあがたじんじゃ)のようです。
※ 《ウィキペディア-大縣神社(おおあがたじんじゃ)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%B8%A3%E7%A5%9E%E7%A4%BE 

   熱田神宮に草薙の剣を盗みに行った男 と 女子高にブルマを盗みに行った男 と、どっちがいいか? これが今回の最大の問題であった。 T=W=アドルノらによる『権威主義的パーソナリティー』(青木書店)では、様々な精神的態度・行動形式から、「ファシズム的人格」か「民主主義的人格」かといった傾向を考察しているが、そこで「ファシズム人格」「権威主義的パーソナリティー」「サド・マゾ人格」には相関があることが指摘されているが、同様に、「熱田神宮に草薙の剣を盗みに行く」のと「女子高にブルマを盗みに行く」のと、もしも、どちらも選ばないという選択肢はない、どちらかを選ばないといけないとした場合、あえて、どちらかを選ぶとすると、どちらを選ぶか。 もしも、どちらかを選ばないといけない、どちらも選ばないという選択肢はないとして、どちらにラポールを感じるか。 どちらを許容できるか、という質問項目に対して、「熱田神宮に草薙剣」を選ぶ人間に対して「女子高にブルマ」を選ぶ人間というのは、「ファシズム人格」「権威主義的パーソナリティー」「サド・マゾ人格」に相関がある人間だと判断していいと私は思っている。
   こういうことを言うと、「そんなこと言うような人は怖いですね。草薙の剣を盗みに行こうなんて」とか言う人間が必ず出てくるのだが、そういったことを言う人間というのは「女子高にブルマ型人間」だということだ。なおかつ、そういう人間というのは、≪ もしも、あえて、「熱田神宮に草薙の剣を盗みに行く」というのと「女子高にブルマを盗みに行く」というのと、どちらか片方をどうしても選ばないといけないとすると、どちらを選ぶか ≫という調査項目に対して、「熱田神宮に草薙の剣を盗みに行く」という方により強く拒否反応を示しているということであるから、その人は「女子高にブルマ型人間」であり、その分だけ、「ファシズム人格」「権威主義的パーソナリティー」「サド・マゾ人格」に相関がある人間であり、独立自尊の精神に欠ける人間、自我が確立されていない人間である、と私は考える。 「女子高にブルマを盗みに行くヤツ」というのは怖くないという思想は相当問題があるはずですが、彼らはそれを問題があるとはまったく思っていないのです。そういう「女子高にブルマ型人間」というのは、自分自身の実状を認める謙虚さに欠けています。 そして、そういう人間が「独立自尊の精神を身につけている」とか「福沢精神を身につけている」とか「自我が確立されている」とか「アイデンティティーを身につけている」とか「慶大生らしいスマートさ」とか「そういう人間こそ社会で役に立つ」とか、はては「ギャルにもてもて」とか勝手なことを言いよるわけだ・・・、ほんと。
   さらに、「女子高にブルマ型人間」というのは、「そんな熱田神宮に草薙の剣を盗みに行く方がいいとかいうような人間なんて、学生運動でもやって企業爆破事件でもおこしそうだから、そういうのは困る」とか言い出すヤツが出てくるのだ・・・が、「困る」なら「企業爆破事件」なんてやらなきゃいいじゃん。 そうでしょ。 誰が、爆破事件やれっつった、誰が!  なにより、熱田神宮に草薙剣を盗みに生けなんて、俺は言ってないからな。 あくまでも、「女子高にブルマを盗みに行くヤツ」と「熱田神宮に草薙の剣を盗みに行く者」と、あえて、どっちを許容できるかというと、「熱田神宮に草薙の剣」の方だと言っているのだ・・・と言うと、またもや、「そんなこと言うような人は怖いですねえ」とか言い出すのだ、「女子高にブルマ型人間」というのは。 そういう人間というのは「女子高にブルマを盗みに行く人」というのは怖くないらしいのだ。 だから、そういう人と議論なんてしても、どうもしようがないので、関わらない方がいいと私は思うようになった。 慶應という学校では「女子高にブルマ型人間」というのが大変多い。 特に慶應の内部進学の人間というのは、大部分の人間が、実際に女子高にブルマを盗みに行った人間でなくても、性格傾向として見ると、「女子高にブルマ型人間」である。そして、そういう人間が自分たちのことを「独立自尊の精神を身につけている」とか「福沢精神を身につけている」とか福沢諭吉の著作や伝記など1冊も読まずに言いまくるのである。 子供の頃、近所の稲荷社の社の中に何が入っているのだろうと思って、人がいない時に開けて見たという経験があるが、大人になってからはそういうことはやっていないけれども、その「実証的態度」については大人になってからでも否定するものではなかった福沢諭吉が、もしも、今、学生として慶應大学に在籍したならば、おそらく、福沢諭吉のその実証的態度・反権威主義に対して、「おまえは慶應らしくないよ」とか「塾風を身につけてないな」とか「福沢精神を身につけろ」とか「慶應義塾のアイデンティティーを身につけろ」とか「せ~んえつぅ~う」とか勝手なことを言って攻撃することになるだろう。 慶應義塾においては、福沢諭吉の思想信条に反する人間が「福沢精神」を名のっているのであり、その反福沢の人間が「塾風を身につけている」とかなんとか言うておるわけだ。 言い続けてきたわけだ。 日吉の街を裸で走ってつかまったヤツとか、女子学生を複数の男で力づくで輪姦したヤツとかは、そういうのを「冒険」と思っているかもしれないが、「塾風をみにつけている」とか何とか勝手なことを言うような連中のできる「冒険」などというものは、その程度のもの、冒険と言うに値しない、権力側・体制側のパシリとしての行動でしかない。 こういうことをすると得はしないだろうと思う場合でも、「人はパンのみで生きるものではない」と考え、「自ら虫けらとなる者は、後で踏みつけられても文句は言えない」と考えて立ち向かう人間と、複数の男が1人の女性を輪姦する人間と、どちらが独立自尊か? どちらが「自我が確立されている」態度か?  そのあたりについて、「慶應タイプ」の学生や教授に言っても、彼ら、「女子高にブルマ型人間」は絶対に理解しない。
   別の表現、江崎の社長を自宅浴室から拉致した上で、「グリコ、つぶしたる」というのと、交番に相談に尋ねた女性のスカートの中をミニカメラで盗撮といったケーサツ漢がよくやる犯罪と、どちらがいいか? 「ワルでもええ。怪人21面相のように育ってくれたら」という文句を聞くと、「そんな怖い人は御免ですねえ」と言い出す人というのがいるのだが、あくまでも、、どちらも選ばないという選択肢はないとした場合にどちらを選ぶか、あえて、どちらを許容できるかと考えた時に、江崎の社長を自宅浴室から拉致した上で、「グリコ、つぶしたる」の方が許容できない、交番に相談に尋ねた女性のスカートの中をミニカメラで盗撮という方が「気持ちはわかるわあ~あ」と言う男というのがいるのだが、私はわからんな。 あえて、どちらを許容するか、どちらも許容できないという選択肢はないとすると、「グリコ、つぶしたる」の方だな・・・と思ってきたし、公立進学校卒タイプの人間、元旧制中学校の公立伝統校卒タイプの人間というのは、こちらの「熱田神宮に草薙剣」「グリコ、つぶしたる」の方を許容するというタイプが多く、慶應内部進学の人間は「女子高にブルマ」「交番に相談に尋ねた女性のスカートの中をミニカメラで盗撮」タイプが圧倒的に多い。 但し、あくまでも、「多い」であって、公立進学校出身者でも、「女子高にブルマ型」「交番に相談に来た女性のスカートの中をミニカメラで盗撮タイプ」という人もいることはいる。
   さて、皆さん、あなたはどちらのタイプだと思いますか?  女性の場合は、女子校にブルマを盗みに行ったり、交番に相談に尋ねた女性のスカートの中を盗撮なんてしないかもしれませんが、その裏返しみたいな女性というのが慶應女子高卒の人間なんかには大変多いわけであり、女子校にブルマを盗みに行ったりはしないとしても、女性にもそちらのタイプの人間はけっこういるのです。 かつ、慶應女子高の人間、慶應女子高卒の人間なんかは、そういうのを得意にしており、そういうのを自慢にしているのです。・・・そういう人間を見て、そういう人間と関わりたくないと思いながらも嫌々関わらさせられてきた私が言うのですから、間違いありません。

    もう一度、念のために断っておきます。 このブログにおいても、ここまで述べてきたもので、私は、熱田神宮に草薙の剣を盗みに行けとは、一言も言っていません。 私自身も盗みに行ったことはありませんし、今後も、参拝や見学に行くことはあっても、草薙剣を盗みに行くことはないでしょう。 しかし、もしも、「女子校にブルマを盗みに行く人間」と、「熱田神宮にあるという草薙剣っちゅうやつを、いっちょ、盗み出して検分してこましたろか」と考える人間の、あえて、どちらにラポールを感じるか、あえて、どちらを許容できるかというと、「女子高にブルマ」でない方、「慶應タイプ」でない方です。
    こういったことは、わかる人には、少し話せばすぐにわかることなのですが、「女子高にブルマ型人間」「交番に相談に尋ねた女性のスカートの中をミニカメラで盗撮型人間」に話てわからせようとしても、わからせるのは極めて難しい。 フリードリヒ=ニーチェの『ツァラトゥストラはこう語った』の冒頭に、「万人に与える書。 何人にも与えぬ書」と書かれていたと思いますが、まさにそれは当てはまります。 万人に述べているのであり、わかる人にはすぐわかるはずなのですが、相当強固な「女子高にブルマ型人間」、慶應の内部進学の男や女はたいていこちらのタイプですし、慶應の教授もこちらのタイプが多いのですが、そういう人間にわからせようとしても、与えようとしても、絶対に彼らは理解しない。 「何人にも与えぬ書」というように、彼ら、「女子高にブルマ型人間」「交番に相談に尋ねた女性のスカートの中をミニカメラで盗撮型人間」は、ずえったいに理解しない、彼らにこの智慧を与えようなどとしても、疲れるだけ。 絶対に彼らは理解しないし理解できない。理解しない理解できない態度のことを彼らは「塾風」「福沢精神」「独立自尊」「自我が確立されている」「大人だ」「社会を知っている」、そして、「ギャルにもてもて」とか思うておるわけだ・・・。 どうしようもない。

    だいたい、「ルパン3世」が女子高にブルマ盗みに入ると思うかあ~あ? 「命はとらない、女をかどわかさに、盗られて生活できなくなる者からは盗らない」という「盗み(つとめ)の3箇条」を守る「本格の盗賊」が女子高にブルマ盗みに入ると思うかあ~あ?

    「智慧を売ってはならない。むしろ、智慧と教訓と悟りを買え」と、旧約聖書の「箴言」に書かれていたはずであるが、こういうことを慶應の学生に言うと、「そんな甘ったれたこと言ってるヤツなんて、社会で役に立たないぞ」とか言うわけだ。 そうだろうか? 学問とは「智慧を売ってはならない。むしろ、智慧と教訓と悟りを買え」という性質のものだと私は高校を卒業する頃まで思い続けてきたのだが。 慶應タイプのブタ人間 は、私とは違った考え方をするようだ。 「女子高にブルマ型人間」というのは、上司にたてつく気概もないような人間が多いだろうから、そういう気概のない人間の方が「扱いやすい」と考える人間も日本の会社にはいるようだが、そういう人間が「社会で役に立つ」だろうか?  そんな人間なんて、たいして「会社で役に立つ」と思えないのだけれども。 小泉信三なども「草薙の剣型人間」の方で、その意味で「慶應タイプ」ではない人だったと思うが、日本共産党の議長になった野坂参三は慶應大の学生の時、小泉信三のゼミにいたそうで、小泉信三は野坂参三を大変高く評価したらしく、近代経済学者で社会主義・共産主義には否定的立場である小泉信三が共産党の議長になったような野坂参三を高く評価したというのはおかしいということはないのかと言うと、小泉信三は「たとえ、自分と考えが違う人間であっても、有能なものは有能だと評価するのは当然だ」と言ったそうで、逆に、たとえ、自分と経済体制についての主張が同じであっても、権力・体制にこびるだけしか能のない人間なんて、評価する必要はないという認識だったようだ。 小泉信三なんかは、慶應の塾長だった人とはいえ、「慶應タイプ」ではなかったということだ。

   「熱田神宮に草薙剣型人間」と「女子高にブルマ型人間」というのは、これは、デジタルに2つに分かれるのではなく、アナログで、どちらの傾向がより強いか、という問題である。
   このブログを虚心な気持ちで読んでくださった方は、私は、熱田神宮に草薙剣を盗みに行けとは一言も言っていないし、江崎の社長を自宅浴室から拉致しろとも言っていないというのを理解されると思うのだが、ところが、私が、草薙の剣を盗みに行けなんて一言も言っていないにもかかわらず、「そんなこと言うような怖い人は許せないですねえ」なとと頑固に言って、「盗みに行けなんて一言も言ってないでしょ」と言っても絶対にきかないという人がいるわけで、そういう人というのは、相当に強度な「女子高にブルマ型人間」「交番に相談に尋ねた女性のスカートの中をミニカメラで盗撮型人間(警察型人間)」だということだ。 ぜひ、ご自分はどちらの度合が大きいか考えてもられたい。 別に、盗みに行かなくてもいいから。参拝には一回くらいは行っていいと思うけれども。

   ここで述べたようなことは、塾風強姦主義・内部進学独善主義の学生や教授は、おそらく、一生、理解しないだろうし、理解できないでしょう・・し、理解してたまるかという強い強い意志を持っているでしょう。

   (2017.11.11.)

   ニュースを見ると警察官の性犯罪がずいぶん多いが、採用する際に「女子高にブルマ型人間」を採用して「熱田神宮に草薙の剣型人間」を「排除」しているので、もともと性犯罪を犯しやすい人を多く採用しているてことないか?
   (2017.12.16.)

☆ 熱田神宮参拝-北野高校の史跡[2]-熱田神宮に草薙剣型vs女子高にブルマ型
1.南門第一鳥居から拝殿まで。大学は正門から入ろう♪ http://tetsukenrumba.at.webry.info/201711/article_1.html
2.本宮 拝殿・本殿。校風の違い。冒険と「日本人」http://tetsukenrumba.at.webry.info/201711/article_2.html
3. 有刺鉄線・防犯カメラの本宮。http://tetsukenrumba.at.webry.info/201711/article_3.html
4.伝馬町駅から南門。松ご社。「チカンは犯罪」http://tetsukenrumba.at.webry.info/201711/article_4.html
5.清雪門…過去にも盗難にあった草薙剣、http://tetsukenrumba.at.webry.info/201711/article_5.html
6.八剣宮、上知我麻神社。「ファシズム人格」に通じる「女子高にブルマ型人間」 〔今回〕

☆  北野高校の史跡[1]
[第76回]《大阪の (旧制)北野中学校〔北野高校〕と福沢諭吉の史跡、及、『福翁自伝』から見る 橋下 徹 の矮小さ 》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201201/article_5.html 

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