東京都美術館と「ボストン美術館の至宝展」【5/6】美術館北口・博物館動物園駅・池田家黒門・自由な女神

[第318回] 東京圏の美術館・博物館(11)‐5
   ところで、実は、東京都美術館の北棟には南からだけでなく北からも入れる入口があったようなのです。↓
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↑  今は閉鎖されて、出入りは南進入路か東進入路から南側の「地下1階」中庭を経て北棟の南側の「地下1階」からか、それとも、北棟の1階から出入りするようになっていますが、北側の出入口は、いつでも、開門しようと思えばできる状態になっています。

    実際には、電車で来る人間は、今はJR「上野」・京成「上野」・東京メトロ日比谷線「上野」・東京メトロ銀座線「上野」駅のいずれから来ても、あるいは、本郷の東大の方から不忍池を経て来ても、南側から来ることになるので、北棟の北側を開ける意味はそれほどないと思われますが、実は、かつては、東京都美術館の北口のすぐ北西側に、京成電鉄「博物館動物園」駅があったのです。↓
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( ↑ クリックすると大きくなるので拡大して見てください。 左に横長のプレートがついていて、「博物館動物園駅跡」と書かれています。 )
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そんなに昔々その昔の話ではなく、私が生まれてからしばらくもあったと思ったのですが、《ウィキペディア―博物館動物園駅》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8%E5%8B%95%E7%89%A9%E5%9C%92%E9%A7%85 によると、1933年(昭和8年)〔1931年(昭和6年)の「ひどく災(1931)」満州事変の2年後〕に京成の上野線が開通した時に開業した駅で、1997年(平成5年)に営業停止、2004年(平成16年)に廃止になったということで、私の感覚では「ちょっと前まであった」駅だったわけで、「惜しい、しまった。一度はそこで乗り降りしておくのだった・・・」て感じです。 京成電鉄の利用者からすれば、東京国立博物館・国立科学博物館・東京都美術館や上野動物園・寛永寺に行くには「上野」駅で降りるよりも、この「博物館動物園」駅で降りた方が間違いなく近い。
  もっとも、↑の東京国立博物館の南西のカドの地下からの出口では、東京国立博物館や芸大に行くには便利としても、上野動物園の入口にはそれほどすぐでもなく、「博物館美術館駅」ではなく「博物館動物園駅」という名称だったのは動物園の方が来客が多いからか、「博物館美術館動物園駅」では長いので「博物館」で博物館と美術館を代表させたのかと思ったが、《ウィキペディア―博物館動物園駅》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8%E5%8B%95%E7%89%A9%E5%9C%92%E9%A7%85 を見ると、≪動物園旧正門側の地上口も現存するものの、休止以前に閉鎖されたため駅出入口であったことを表すものは特に無い。≫と出ている。「動物園旧正門」とは何ぞや? と思うと、そういえば、上野動物園はJR「上野」駅から出て西に直進した所に現在は出入口があるが、上野動物園と東京都美術館との間の道を少し北に行ったあたりに、今は、普段、閉鎖させている門があるが、あれが「動物園旧正門」だったということではないか。↓

地下に駅を設けた場合、出入口は1箇所ではなく2箇所くらい設ける場合の方が多いと思うが、東京国立博物館の南西のカドにある駅跡は北側の出入口で、南側の出入口は上野動物園のかつての門の目の前にあったのか・・・ということなら、「博物館動物園」駅という名称はいかにももっともだ。
   京成電鉄の「博物館動物園」駅が開業したのと東京都美術館の2代目、現在の東京都美術館が竣工したのでは、2代目東京都美術館が出来た方が後だったのだが、「博物館動物園」駅の北側の出口、東京国立博物館の南西のカドの出口から近い場所には東京都美術館の北口(今は閉鎖されている)が設けられたが、上野動物園の「旧正門」のそばの南側の出口のすぐ東側に東京都美術館が建っているにもかかわらず、そちらの側には美術館の出入口は設けられなかったというのは、それは、動物園の来場者と美術館の来場者は質が違うので、あえて、動物園の来場者の出入口からすぐの場所には美術館の出入口は設置しなかった、ということだろうか。それとも、たまたまなのか。前川國男の設計の建物は、そのあたりを良く考えた設計されたものが多いので、「たまたま」ではない方の可能性が高いと私は思ったが。

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↑ 「博物館動物園駅跡」の「壁付照明器具」
東京国立博物館の南西のカドの出口跡に付いているもので、
≪ 博物館動物園駅 照明復元事業
この博物館動物園駅は、1933年(昭和8年)に竣工しました。
6灯の壁付照明器具が、3方に開いた出入口を照らしていましたが、
第2次世界大戦の金属供出により取外され、永く失われていました。
この駅舎と地下空間の保存と再生を願い
20年間にわたる活動を続けてきた市民グループ、
I PO法人<上野の杜芸術フォーラム>による企画と募金活動により、
2010年、漸く1灯の復元がなりました。
芸術の中枢機能が集中するこの交差点<アートクロス上野>に
向けた光を復活させるものです。
照明復元企画・プロデュース:上野の杜芸術フォーラム ≫
と下の青銅製? の板に書かれています。但し、「永く」ではなく「長く」にした方が良かったのではないかとも思います。

   東京都美術館と上野公園中央噴水広場(旧 寛永寺本堂〔根本中堂〕跡)との間の通路を北に直進すると、「旧因州池田藩黒門」が道路を隔てた向こうに見えてきます。↓
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↑ 門というものは、単に保存するだけではなく、その下を人が通ってこそ「門」であり、東大の本郷の赤門のように、たとえ、「加賀前田家屋敷の赤門」が「東大の赤門」に変わったとしても、人が通ってこそ門として価値があり、建物を保存して周囲を柵で囲って見物できる状態では、保存していないわけではないとしても、すでに半分は「門」でなくなっているのではないか・・・といったことを、増上寺の「御成門」を見た時に思ったのですが、この「因州池田家の黒門」もまたそうではないかと思って見ていると、↓
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↑ 土日・祝日の10:00-16:00 に「開門」されるそうだ。
  もう15年以上前だが、パリに行った際、『地球の歩き方 フランス』(ダイヤモンド社)に、「登って楽しい凱旋門」と書いてあったのだ。 私が思い浮かんだ「門」というと、東大の本郷の赤門(加賀前田家屋敷赤門)、浅草の雷門、鎌倉の建長寺の山門、奈良の東大寺の南大門、芝の増上寺の御成門、それにこの因州池田家黒門といったものだったのですが・・・・・、そんなもん、よじ登ってどないすんねん!Д!〒!・・・て感じだったのですが、実際にパリに行ってみて意味がわかった。 パリのエトワール広場にある凱旋門というのは、「門」といっても4階建てか5階建ての建物くらいの大きさがある門で、最初から屋上まで登れるようにできていて、東大の赤門とか浅草の雷門とかによじ登って、「変態ちゃうかあ~あ」とか思われるのとは意味が違ったのだ。 日本にある「門」としてだと、大阪の南御堂(難波御堂)の「御堂会館」というのが南御堂の山門を兼ねていたわけですが、あえて、いえ「ば、それがパリの凱旋門といくらかなりとも似たところがあるか・・・・。
〔南御堂(難波御堂)は、浄土真宗大谷派の難波別院であり、京都の東本願寺より前からあるとも言われ、大阪の船場の商人にとっては「御堂さんの鐘が聴こえるところで商いをする」というのが「ステータス」であったとも言われ、浄土真宗本願寺派の北御堂(津村別院)と南御堂(難波御堂)の前を南北に通る通りとして大阪の最もメインの通りである「御堂筋」という名称がつけられ、旧制大阪一中(→現・北野高校)が最初にできた場所でもあるのですが・・・・、南御堂HPの「南御堂建替工事」http://minamimido.jp/?press-release=%E5%BE%A1%E5%A0%82%E4%BC%9A%E9%A4%A8%E5%BB%BA%E6%9B%BF%E3%81%88%E5%B7%A5%E4%BA%8B によると、「御堂会館」は、2016年1月に閉鎖されて、建て替えられるらしい。それだけ、由緒ある寺にしては・・・、南御堂に10数年前に行って見た時、南御堂って、「なんだか、お寺全体がセレモニーホールみたい」というのか、付近は大阪の「船場」と言われる地域で、ビジネスビルが立ち並ぶ場所で、付近の会社が会場を借りたいというニーズがあるのか、なんだか、「お寺全体が貸しホールみたい」という印象を受けたのだが、今度は、山門を兼ねていた「御堂会館」を、「定期借地権」として寺が積和不動産関西(株)に土地を貸して、山門をホテルなどにする・・・・て、なんか、ええのんかい・・・て感じがしてきたが・・・、ええのんかい? 〕
≪ この門は、もと因州池田家江戸屋敷の表門で丸の内大名小路(現丸の内3丁目)に建てられていたが、明治25年(1892年)、芝高輪台町の常宮御殿の表門として移建された。のちに東宮御所として使用され、さらに高松宮家に引き継がれる。表門は昭和29年(1954年)3月、さらにここに移建して修理を加えたものである。 創建年代は明らかでないが、形式と手法からみて、江戸時代末期のものである。 屋根は入母屋造、門の左右に向唐破風造番所を備えており。大名屋敷表門として最も格式が高い。 昭和26年(1951年)9月、重要文化財に指定。 ≫
と書かれている。

   上野公園内の東京都美術館の北西側に「上野音楽学校 奏楽堂」があるが、ただ今、改修工事中。

   ・・・・それで、ですね・・・・、上野公園内の東京都美術館の北側に、今まで来た時になかったものが、今回、あったのです。↓
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↑ 「自由な女神」と言うそうです。 「自由の女神」ではなく「自由な女神」と。
   はたして、これは芸術作品なのか・・・、それとも、パロディなのか・・・・と思って見まわしていましたところ、説明書きがありました。
  最初、宮城県多賀城市のパチンコ屋の看板として制作されたが、後に潰れた。2010年、宮城県石巻市の中瀬公園の広場にモニュメントとして引き取られたが、2011年の東日本大震災の際、津波で左下を失った。2014年、耐久性の低下により、石巻市の倉庫に撤去された。2016年、石巻市で再建されないことになり、村上愛佳が引き取り、仙台市の倉庫に移され、2017年より、上野のこの地にやってきた・・・らしい。 なるほど、「自由の女神」みたいだけれども、なんだか、パロディっぽい感じがしたのは、最初に建てられたのがパチンコ屋だったというあたりによるのかもしれない・・・・が、ここにあるとけっこう悪くない感じで、多くの人がここで記念撮影していくのを見る。
≪ かつて「自由の女神」はフランスがアメリカに、共通する理念を表現するために贈られた。 本プロジェクトでは女神像レプリカが震災後も立ち続けた石巻市と他地域の共通点を想像し、新たな移設先を見つけたい。あなたが思う移設先と、石巻市との共通点をメールで送ってください。≫
と書かれている。けっこう、この場所に合ってるような気もするが・・・・・。↓

   で・・・、村上愛佳て誰やねん? とインターネットで検索したところ、《カオス! 東京芸術大学は最後の秘境だ―東洋経済ONLINE》http://toyokeizai.net/articles/-/136359?page=3 に、
≪ 先端芸術表現科の村上愛佳さんも負けてはいない。彼女の作品は、アスファルトで車を作って、駐車場に置くというもの。思い立ったきっかけは「アスファルトの上にアスファルトの車があるのって、面白いかなって。」というものであったそうだ。 ≫
と出ていた。

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↑  交差点北西側「上島珈琲」。

  次回、通用門・事務棟・西面・公募展棟南面・椅子の背が窓から見える窓http://tetsukenrumba.at.webry.info/201710/article_6.html

  (2018.10.17.)

☆ 東京都美術館と「ボストン美術館の至宝展」
1. ゴッホと佐伯祐三の「郵便配達夫」http://tetsukenrumba.at.webry.info/201710/article_1.html
2. とがったオブジェは端 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201710/article_2.html
3. なぜルノワールか。発掘して自国に持ち帰る是非。http://tetsukenrumba.at.webry.info/201710/article_3.html
4. 東面のプランター http://tetsukenrumba.at.webry.info/201710/article_4.html
5. 北口・博物館動物園駅・池田家黒門・自由な女神〔今回〕
6. 通用門・事務棟・西面・公募展棟南面・椅子の背が窓から見える窓http://tetsukenrumba.at.webry.info/201710/article_6.html



↑ アマゾンでは新刊書はなく中古のみのようですが、セブンイレブンの棚には今も新刊書が置いてある店があります。(2017.10.12.)



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