東京都美術館とボストン美術館の至宝展【3/6】なぜ、ルノワールなのか。発掘して他国に持ち帰る是非。

[第316回] 東京圏の美術館・博物館(11)‐3
   東京都美術館における「ボストン美術館の至宝展」
   「ボストン美術館」とはどういう美術館なのかというと、「ボストン美術館の至宝展」のプログラムというのかによると・・・・、まず、このプログラムがたけえんだわ! 1900円もするが、カラー刷りで美術作品の写真を豊富に掲載した一冊の本である以上、約2000円はやむをえないとも言えるが、しかし、入場料というのか、拝観料じゃないな・・・見学料というのかが、まず、1600円。貧乏人にはきついなあ~あ・・・。
で、これだけでも、
1600円+1900円=3500円
するわけだ。 だから、この絵はいいなあ~あ・・・と思って、気に入った絵の絵葉書の1枚でも2枚でも3枚でも買って帰ろうかなんて思っても、展示作品の写真の絵葉書が1枚150円で、3枚購入したとすると、
150円/枚×3枚=450円
3500円+450円=3950円
ほぼ4000円。
これに、行き帰りの交通費を合わせると約5000円、見学した後、喫茶店にでも入って休憩しながら余韻を楽しもうなどとすると、コーヒー代もバカにならんし、ケーキなんて食おうものならその分も合わせると、6000円くらいの出費になるわけで、美術展見学はバカにならんな・・・・ということになる。 Tシャツなんて、いずれは着るものだから、スーパーで買うのも美術展の出口の売り場で買うのも一緒じゃないか・・なんて思うと、美術展の出口の売り場で売ってるのはたけえんだわ!!!  だから、Tシャツだのトートバッグだのなんて買えないし、展示品の写真の絵ハガキも買えない。
   で、その「ボストン美術館の至宝展」のプログラムだが、1900円するだけあって、分厚い! ↓
画像

↑ 愛用のA4型ノートパソコンより分厚いのではないかと思ったが、並べてみると、蓋を閉めるとノートパソコンの方が分厚かったが、開いた状態なら「ボストン美術館の至宝展」の方が分厚い。
   で、それに書いてある記述によると、
≪ 1870年に設立されたボストン美術館は、「百科事典的」とも言える多種多様なコレクションを有する世界有数の大美術館へと成長した。 他の多くの著名な美術館とは異なり、ボストン美術館は公的財源から作品収集のための資金援助を受けていない。したがって、館が卓越した美術コレクションを構築できたのは、何世代にもわたる寄贈者とコレクターたち個々人による、類い稀なる慈善活動のおかげだった。・・・・≫
と出ている。 東京都美術館の「ボストン美術館の至宝展」でも入口を入ってすぐの所に同様のことが書かれていたと思う。
   ちなみに、ボストンという市は、アメリカ合衆国の東海岸で、ワシントン・ボルチモア・フィラデルフィア・ニューヨークなどの並びで、それらより北に位置したと思ったのだが、何州だったかと思い、帝国書院編集部編『帝国書院 最新基本地図―世界・日本― 20訂版』(1995.12.25.帝国書院)を見ると、ボストンはマサチューセッツ州らしい。 ニューヨーク州の州都はニューヨークではなくオールバニ、ペンシルバニア州の州都はフィラデルフィアではなくハリスバーグ、メリーランド州の州都はボルチモアではなくアナポリス、カリフォルニア州の州都はロスアンゼルスでもサンフランシスコでもなくサクラメント、ワシントン州の州都はシアトルではなくオリンピア、イリノイ州の州都はシカゴではなくフィールドと、アメリカ合衆国では人口の多い大都市が州都には必ずしもなっていないのだが、ボストンはマサチューセッツ州の州都になっている。
   さらに、ちなみに。 かつて、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ にいた時、こういう話をすると、遠州人は「そうでしょ。政治都市よりも商業都市の方が発展するんですよ。静岡県でも浜松の方が静岡より大都市ですし開けてますから」などと言うのだ・・・・・が、しかし、浜松をニューヨークと一緒にされても・・・、なんだかなあ~あ・・・・と思うのだが、それを言うと遠州人は怒るので、そういうので怒らせてみるのも面白いかもしれないが、(株)一条工務店という会社においては「経営者は浜松の見方」であるので、そういう遠州人至上主義の会社においては、「浜松こそ宇宙の中心」と信じている浜松中心天動説の信奉者たる遠州人には逆らわない方がいいので、まあ、浜松とニューヨークを一緒にされてもなんだか・・・・と心の中で思いながらも口に出さずに微笑みを浮かべておくようにした方がよいであろう。「太陽・月・星といった宇宙の天体はすべて浜松を中心として回転している」と心の底から信じている人に、「それは違いますよ。太陽のまわりを地球とか火星・木星・土星といった惑星が回転していて、地球の周りを月が回転していて、浜松はその地球のうちの日本の一地域にあるんですよ」なんて言うと、彼らは怒るので、せっかく親切で教えているのにからに、怒られてまで教えることないから、黙っておけばよろし。

   ボストン美術館はさまざまな収蔵があるようで、今回の「ボストン美術館の至宝展」でも、
《1》 異国を旅したボストニアンたち
 (1)古代エジプト美術
 (2)中国美術
 (3)日本美術
《2》 「グランドツアー」 ヨーロッパ美術を集めたボストニアンたち
 (4)フランス絵画
《3》 アメリカン・ドリーム 自国の美術を収集するボストニアンたち
 (5)アメリカ絵画
《4》 同時代の美術へ 未来に向かう美術館
 (6)版画・写真
 (7)現代美術
と、4分野に分かれて展示されている

   『美術展&美術館 2017秋冬-2018』(2017.10.20.ぴあMOOK)に「ボストン美術館の至宝が大集合!」として掲載されている記事に、「ゴッホのルーラン夫妻が揃って来日!」と掲載されているフィンセント=ファン=ゴッホ《郵便配達人ジョセフ=ルーラン》《子守唄、ゆりかごを揺らすオーギュスティーヌ・ルーラン夫人》の絵は、《2》「グランドツアー」 ヨーロッパ美術を集めたボストニアンたち のコーナーにあります。
   今回の企画展はボストン美術館の収蔵品を展示するという趣旨のものですが、この企画展のポスターやチラシなどにはゴッホの《郵便配達人ジョセフ=ルーラン》の絵の写真が掲載されたものが多く、ゴッホの絵などを念頭に見に行った者には、古代エジプト美術・中国美術・日本美術の展示には違和感というのかを感じたりもします。
   ジョセフ=ルーランの絵もオーギュスティーヌ=ルーランの絵も、ゴッホは何枚も描いたらしく、ボストン美術館に収蔵されている絵はそのうちの1枚らしいのですが、ルーラン夫妻というのは誰だったのかというと、「ボストン美術館の至宝展」の「プログラム」によると、≪ファン・ゴッホは、1888年2月、パリを発って南フランスの小さな町アルルに移り住んだ。その町で最も親しい友人ともなった人物のひとりは、地元で郵便の仕事に携わっていたジョセフ・ルーランで、共和主義を信奉するその熱烈な政治思想にファン・ゴッホは共感していた。彼はのちにジョセフの妻オーギュスティーヌと3人の子どもたちの肖像画も描いている。 ゴッホは本作品について、個人の肖像画として描くと同時に、プロヴァンス地方の社会に特有な「タイプ」、つまりある特定の地方や場所や時代の人々を代表するような典型的なイメージを描きたいと思っていた。・・・≫というそういう人だったらしい。
   「郵便配達人ジョセフ=ルーラン」の絵は、その姿勢と髭面と服装が特徴のように思ってきたが、≪ジョゼフについて、ファン・ゴッホは弟テオにこう書き送っている。「私は今、別のモデル、金色の刺繍飾りのついた青い制服を着た郵便配達人を描いている。立派なひげ面で、まるでソクラテスのようだ。(中略)多くの人々よりもずっと興味深い男だ」。≫とゴッホ自身が述べていたそうで、「気に路の刺繍飾りのついた青い制服」と「立派なひげ面」は相当重要な部分のようだ。
   「ボストン美術館の至宝展」では、フィンセント=ファン=ゴッホの「郵便配達人ジョセフ=ルーラン」の絵と「子守唄、ゆりかごを揺らすオーギュスティーヌ・ルーラン夫人」の絵が夫婦だということで左右に並べて展示されていたが、しかし、この絵は、いずれも、セットで見るよりも、むしろ、別々に見た方がふさわしい絵ということはないのかな・・・・などと思った。同じ展示室にあってもいいが、すぐ横にセットにして配置されると、どうしても、その2つでセットの絵のように見てしまうが、作者はそういうつもりはなかったのではないかと思うし、別々に見た方がいい絵のような気がした。

   『美術展&美術館 2017‐2018』(2017.10.20.ぴあMOOK)に、ルーラン夫妻の絵の左に掲載されているクロード=モネ「睡蓮」(1905年)の絵も、《2》「グランドツアー」 フランス絵画 のコーナーにあった。 「モネの睡蓮」というと、国立西洋美術館にあるものという印象があるが、モネは睡蓮の絵を200枚から描いたらしく、ボストン美術館にもその1枚があって、それが、今回、来日したらしい。 国立西洋美術館にある「睡蓮」の絵とはまた違った趣がある。
   ボストン美術館所蔵の「睡蓮」は国立西洋美術館の「睡蓮」のイメージを持って見ると、ずいぶんと違うが、モネが何枚も睡蓮の絵を描いたというだけあって、睡蓮でも見え方がずいぶんと異なることがあるようだ。こうなると、他の「睡蓮」の絵もまた見たくなってくるが・・・・、残念ながら、美術館ばかり訪ねてまわる時間はない。
   今回、私は、ゴッホの「郵便配達人ジョセフ=ルーラン」の絵を直に見たいと思って行ったのだが、悪くはないが、それよりも、クロード=モネ「くぼ地のヒナゲシ畑、シヴェルニー近郊」(1885年)の絵がいいと思った。モネの絵は、国立西洋美術館にある「睡蓮」の絵もそうだが、聖人を描いたり聖書の中の話を描いた宗教画でもなく、政治的な事件を描いたものでもなく、魅力的な女性の絵でもなく、自然を描いたものなのだが、しかし、引き込まれるようなものがあり、迫力がある。

   ピエール=オーギュスト=ルノワール「陶製ポットに生けられた花」(1869年頃)もいいと思った。 喫茶店で「ルノワール」という店があるが、あの店は、なぜ、他の画家ではなく「ルノワール」なのだろうと思ったことがある。 思いませんか?
   さらに、昔、なんとかいう会社員の悲哀を描いた日本の映画で、勤める会社の会長が絵を描くのが趣味で、取引先の人間が、「ぜひ、会長の絵をわが社にも飾らせていただきたい」と言い、会長はそれならと思って描いて贈呈したところ、「すばらしい! ぜひ、この絵をわが社の応接室に飾らせていただきたい」と話したのを聞いて会長は有頂天になるが、しばらくして、社員がその会社を訪ねた際に、「すばらしい!・・・・」と言った担当者に、「会長の絵を応接室に飾っていただいているのですよね」と言うと、「いえ、そんなことはしませんよ。応接室の絵はルノワールです」と言われ、片方で、自分が描いた絵を応接室に飾ってもらっていると思って得意になっている会長を見て、なんとも複雑な思いをしたという話があった。 その応接室に飾られたルノワールの絵というのは、ボストン美術館にある絵とは違って複製だと思うが、それも、なぜ、他の画家の絵ではなくルノワールの絵なのか?
   複製画にしても、そこに飾るのにふさわしい絵とそうでない絵があって、ルノワールの絵というのは、「落ち着いた雰囲気の喫茶店」や「会社の応接室」を飾る絵としてふさわしいものが多いということではないか。 群馬県館林市に「彫刻の小道」という、もともとは防風林だったのではないかと思われる林に散歩するのに悪くないような道をつけて、その両側に日本の「彫刻家」の像を並べた「小道」があるのだが、そこを歩いてみて、なんで、日本の「彫刻家」というのは裸の女しか関心がないのだろうなあ・・・・と思ったことがあった。裸の女の像が悪いとは言わんが、しかし、おまえら、他に関心ないのか?!? と、ふと思ったのだ。 「彫刻の小道」が悪いとは言わんが、両側に裸の女の像が並んだ小径(こみち)て・・・、悪いとは言わんが・・・、なんか、日本の「彫刻家」て他のものに関心ないのかな・・・・という気がしたのだ。 裸の女の絵が悪いとは言わんが、会社の応接室に通されて、そこに掲げられている絵が裸の女の絵だったとしたら、たとえ、それが「世界的有名画家」の絵であったとしても、ここの会社はこういう絵を応接室に飾るのかな・・・などと思ったりしないか? 宗教画の場合、その宗教について思い入れのある人はいいが、そうでない人はどういう印象を受けるか? 政治的な事件をあつかったものの場合、その問題について、感じ方は人それぞれ異なる。 たとえば、ミュシャというのは、化粧品の箱にでも合いそうな装飾画ばかり描いていたのかというとそうではなく、パリで活躍したが、もともと、チェコの人間で、ゲルマン民族に侵略を受けるスラブ民族の悲哀を描いたといった「抗議抵抗絵画」とでもいったものも描いているのだが、しかし、ドイツ宗教騎士団というのは「宗教騎士団」と言っても実質は宗教の伝道ではなくドイツ民族によるスラブ人の居住地への侵略であるとしてスラブ民族の抵抗を描いたといった絵などそういうものは、それは価値があるものかもしれないが、会社の応接室や「落ち着いた雰囲気の店」として評価されたい喫茶店に飾るものとしては、来訪者は人さまざまであることを考えると、避けたいと考えることになるのではないか。 そういったことを考えた時、「落ち着いた雰囲気の店と評価されたい喫茶店」や「会社の応接室」に飾る絵としてふさわしい画家となると・・・・・、ルノワールの絵になるということか・・・。 「会長の絵」ではなかったわけだ・・・。 この「陶製ポットに生けられた花」の絵を見て、なるほど、それで、「ルノワール」なのか・・・とわかった。 もちろん、ルノワール自身は喫茶店や会社の応接室に複製画を飾ってもらうために描いたわけではないだろうけれども。

   世の中、アホな会長・社長というのはいるようで、又、それに苦労させられる従業員というのもいるようだが、小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)…→(株)ヤマダエスバイエルホームhttp://www.sxl.co.jp/ 〕の2代目の社長の中島昭午が1990年に「中島昭午 演歌集」なるCDを出したというのには笑ったし、あきれたし、驚いた。 まあ、よくそこまでやると思う。 バッカじゃなかろかルンバ♪・・・・というのか、私は今までからこの人のことを「特別に賢い」とかいうようには思ってなかったけれども、しかし、ここまでアホとは思わんかった!  それから考えると、絵を描くのが趣味で、取引先から「ぜひ、会長の絵をわが社にもいただきたい」などと言われて調子に乗って描くじいさんなんて、かわいい方なのかもしれない。 実際、「バッカじゃなかろかルンバ♪」てことする会長・社長というのはいるようだが、CD「中島昭午 演歌集」なんてよ~うやる!・・・ 「社長、そういうことはやめておいた方がいいですよ」と言う人間おらんかったのか・・・というと、おらんかったか言ってもきかない人だったかどちらかということだろう。私をもっと大事にしてくれれば、私なら言ったと思うけれどもね。もっとも、言うと怒りよったかもしれんけれども。せっかく会社のためを思って言う人間というものを。会社のためを思って言わなきゃならないことを言う人間だと思うから大事にしてもらえなかったのかもしれない。俺を大事にしない会社はある程度長い目で見ればつぶれるか下降線をたどるかどちらかになるんだよ。「ぜひ、出されるといいですよ。社長、演歌、お上手ですから」とか言うと喜びよったのかもしれん・・・・が、それにしても、アホやな。どうしようもないアホやな・・・。だから、小堀住研(株)→エスバイエル(株) はつぶれたのだろう。〔今ある(株)ヤマダエスバイエルホーム という会社は、いったん、つぶれたエスバイエル(株)をヤマダ電機が「いぬき」で買い取ったもので、エスバイエル(株)はいったんつぶれた。「演歌集 熱唱」などというアホなもの作った中島昭午らがつぶしたのである。やっぱり、アホやで、あれは。〕
   東日本ハウス(株)〔→日本ハウスホールディングス(株)https://www.nihonhouse-hd.co.jp/ 〕は、右翼の会社として住宅建築業の業界に勤める人間の間では知られている。 青年自由党などという政党を作って、そして、下請け業者にそのポスターを貼らせたり協力を要請というのか、おそらく、「強制」に近い要請だったのではないかと思うがをやっていたようだが、下請け業者としては迷惑な話である。 下請け業者だけではない。東日本ハウス(株)〔→日本ハウスホールディングス〕では、客宅に訪問する際には、クルマの中で軍歌を聴かせるそうで、従業員もまた迷惑な話である。なんか「ほとんどビョーキ!」て感じがするが、そういう会社は、一時期、調子がよくても、長いうちには下降線をたどるようで、そういう会社は「長い目で見ればハリコの虎であって、その実力はたかがしれている」ということなのだろう。
   千葉県に5店舗を持つリフォーム会社のウッディホーム(株)http://www.woodyhome.com/ では、社長のH木さんが、神道系宗教団体で右翼系政治団体の倫理研究所(=倫理法人会)〔旧「ひとのみち」〕の信者で、従業員にまで倫理研究所(=倫理法人会)の「研修会」の参加を強制し、毎日、倫理研究所(=倫理法人会)の機関紙である「職場の教養」というあほくさい月刊誌を強制的に読まされる。倫理研究所(=倫理法人会)の会員はそうでない従業員よりいくらか給料が高い、ということがあった。「傾向経営」の場合は別として、会社は従業員を宗教によって差別してはならないものであり、違法であるし、宗教・政治の団体の行事への参加の強制は認められるものではないのだが、会社という所においては「認められるものではない」と言っても、社長が細木さんのように「社長が行きなさいと言ってるんだあ」と言い出すと無視できなくなるのであり、労働基準監督官とか総合労働相談員とかのおっさんのように「それは参加しなくても問題ないですよ」などとノー天気なことを言っていると解雇されたりする。しかし、日本の会社においては「社長はやりたい放題」であったとしても、お客さんからも「リフォーム工事の内容は悪くはなかったけれども、倫理研究所を勧められたのにはまいった」とか言われるようでは、そういう公私混同は長い目で見ればあんまりいいことないと思うがな・・・・。
   千葉市中央区鵜の森町にあった新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕でも、社長の長谷川新二が倫理研究所(=倫理法人会)にはまってしまい、会社のホームページとリンクした長谷川のブログにまで「倫理研究所の役員をやってます」などと書き出したが、そういう内容を会社のホームページとリンクしたブログに掲載されたのでは営業妨害もいいところである。倫理研究所(=倫理法人会)の会員で右翼新聞の「稲毛新聞」にまでカネを払って広告を出すという公私混同をやり出したがこれも営業妨害である・・・・がその結果、2013年11月につぶれた。やっぱり、社長が公私混同する会社というのは、つぶれるか下降線をたどる傾向があるようだ。会社が実質閉鎖してシャッターじめの状態になって社長の長谷川が行方をくらませた後も、倫理研究所(=倫理法人会)の関係から前衆議院議員の田沼たかし から社長の長谷川宛に郵便が来ていたが、そういうものが来るということは、社長の長谷川は私などの従業員に払うべき給料を払わずに逃げた上で、田沼たかし にはカネをやっていたか何かではないか・・・といったことが想像される。 長谷川の机の上に倫理研究所(=倫理法人会)から来た書類が載っていたのだが、そこに名前があがっていたのは、田沼たかし の他、日本維新の会であったり、民主党議員であったが実質「自民党より右」の前原誠司であったりそういう人間であった。(インターネットで見ていると、前原誠司のことを、「人間はいい人なんだけれども」などと述べている人がいたが、従業員の給料を払わずに逃げた会社から、倫理研究所を間に挟んでであっても、カネもらって平気な男というのが「人間はいい人」か? その思考はどうかしていないか。) 倫理研究所(=倫理法人会)がずるいのは、あえて、宗教団体の認定を受けないようにして、それで、「宗教を従業員に強制してはいけませんが、倫理研究所は宗教ではないんです」などと詭弁を弄して拡張しようとしている所である。「政治の団体ではないんです」などと言うが、それなら、田沼たかし だの維新の会だの前原誠一だのといった右翼議員ばっかり応援するのはなぜなのか? そのあたり、考えてみるべきで、「宗教の団体ではない」だの「政治の団体ではない」だのといった寝言は寝てから言ってもらいたいものだと思う。

   《3》「アメリカンドリーム」 (5)アメリカ絵画 のコーナーでは、フィッツ=ヘンリー=レーン「ニューヨーク港」(1855年頃)の絵が、私はいいと思った・・・というより、え? これがニューヨーク? と思い、しばらく、見入った。 そういう絵だった。

   東京都美術館では気がつかなかったのだが、「プログラム」に掲載のものを見て気づいたものとして、《1》「異国を旅したボストニアンたち」の(2)中国美術 のもので、陣容「九龍図巻」(13世紀前期。南宋)という墨画があるのだが、日本のお寺で見る泰然とした龍の絵とは違って、激動的というのか、暴れる龍というのかの絵であるが、そこに描かれている龍には指が5本ある。
   鎌倉の建長寺の法堂だったかの天井に描かれている龍の絵では、龍の指は5本ある。そこの説明書きで知ったのだが、日本では、龍の指は3本だと思われてきたというのだ。妖怪人間ベムみたいなものだ(「早く人間になりたい」)。ところが、建長寺の龍は指が5本ある。 実は、龍というのは、中国では指は5本で描かれていたそうで、それを、朝鮮では中国に対しての事大的態度から指を1本減らして4本で描き、日本ではさらに1本減らして3本にした、というもので、もともと、龍の指は3本であったわけではないらしいのだ。 だから、建長寺では中国流に5本の指の龍が天井に描かれているということだった。 そう思って、この南宋の時代の作品らしい陣容「九龍図巻」を見ると、たしかに、中国の龍の指は5本ある。
※ 建長寺HP http://www.kenchoji.com/
《YouTube-妖怪人間ベム -オープニング- 「人面の悪鬼」》 https://www.youtube.com/watch?v=cGN1AoePdPI

  《1》異国を旅したボストニアンたち (1)古代エジプト美術 のところで、疑問に感じたものがあった。 なんで、エジプトのものがボストンにあるのか・・・・? 19世紀や20世紀の絵画や彫刻を、作者にお金を払って購入したというのなら悪くないと思うのだ。 しかし、エジプトで発掘作業をおこなって、そこから出てきたものをボストンに持ち帰る・・・というのは、はたして、それは、芸術振興・遺産保存の趣旨として賞賛されるべきものなのだろうか? エジプトの遺跡から出土したものはエジプトに保存されるべきということはないのか・・・? などということを、ふと思ったのだ。
   『地球の歩き方 フランス』だったか『地球の歩き方 ロンドン』だったかどちらかに出ていた話なのだが、フランスのルーブル美術館とイギリスの大英博物館というのは、あれは、要するに、イギリスとフランスの帝国主義者どもがアフリカ・アジアに侵略して強奪してきたものを展示しているだけではないのか。早く、強奪してものを返すべきではないのか・・・と。 実は、ルーブル美術館は前まで行って外観は見てきたが中には入っていないし、ロンドンに行ったが大英博物館には行かなかったので、ルーブル美術館と大英博物館の内部がどうなっているのか私はよくわからないのだが、そういう話もあるらしい。
   そういったことを考えた時、ボストン美術館というのは、公的機関の財政的援助はわずかで、多くのボストン付近の住民の協力で収蔵品が蓄積された美術館で、世界中から収集してきてものだ・・・というのだが、エジプトまで行って発掘してそれをボストンに持ち帰るというそういう作業て、称賛すべきものなのだろうか・・・・と、少々、疑問に思ったのだ。 思いませんか?
   上野の東京国立美術館http://www.tnm.jp/ の一室には、40センチから50センチくらいの仏像が何体も置かれている部屋がある。 なんか、異様な感じがした。 やっぱり、仏像というものはお寺にあるべきもので、博物館にあるべきものではないのではないか。 中には、そのお寺が廃寺になってしまって保存できない場合もあり、個人で所蔵していたが維持できないので博物館に保存するようになったというものもあるかもしれないが、やっぱり、仏像はお寺にあるべきもので博物館に移してしまったら、その時から仏像の価値は半減してしまうのではないか・・・。 それと同じということでもないかもしれないが、エジプトで発掘したものは、エジプトで保存して展示するのが本来ではないか。エジプトで保存できない事情があった場合に、ヨーロッパやアメリカで保存したとしても悪くはないかもしれないが、いい美術館を造ろうとして積極的にエジプトに出かけて行って発掘して持ち帰るというのは、な~んか、ちょっとやっていることが「ち~が~う~だ~ろ」て感じがしたのだが。「ハゲ」ではないと思うが。

   さらに。 今回、「ボストン美術館の至宝展」を見に行きたいと思ったのは、ゴッホの「郵便配達人ジョセフ=ルーラン」の絵を直に見たいという気持ちからだったのだが、今回の展示の4部構成のうちの《2》~《3》はいいとして、《1》の特に(1)古代エジプト美術 のところを見て、ボストン美術館について書かれた本の記述で思い出したものだがあったのだ。井上光貞『日本の歴史[1] 神話から古代へ』(1973.10.10.中公文庫)の古墳についての記述である。そのまま、その箇所を引用する。
≪ アメリカのボストン博物館は仁徳陵出土と伝える優秀な遺物が陳列されている。一つは後漢製の獣帯鏡(じゅうたいきょう)で、もう一つは南鮮でさかんに制作された豪華な刀の柄の飾りである。この二つの遺物は1908年(明治41)にはすでにボストン博物館の蔵品となっていて、博物館の目録にもそう記してある。これらは前方部の石棺から出、国外へ流れ出たのかもしれない。
   このような話は読者には意外かもしれない。しかし普通の古墳でも、たいていは盗掘をうけていて、今日、専門の学者でさえ立ち入りを許されないほど神厳な天皇陵でさえも、じつは過去に荒らされた例が多い。平安時代には成務陵が盗掘され、事件に関係した興福寺の僧ら十六人が流刑にされている。鎌倉時代に天武・持統合葬陵へ賊が侵入した事件も、藤原定家の『明月記』などにくわしく、石室内の状態もなまなましく伝えられている。1915年(大正4)には、濠外からトンネルを掘ってヒバス(日葉酸)媛陵の後円部に墓泥棒が侵入した。そのときに盗まれた銅鏡などは宮内庁に保管されている。これらはたまたま記録に残ったものだが、千数百年間というながいあいだには、ほとんどが荒らされたらしく、考古学者の推測するところでは、天皇陵で盗掘をうけた形跡がまずないのは、応神陵ただ一つであろうといわれている。
   応神陵は、応神天皇を主祭神とする誉田(こんだ)八幡宮が陵のすぐそばにあり、神社から後円部までは参道が設けられ、頂上の奥の宮には六角形の殿舎が建てられていた。つまり応神陵そのものが信仰の対象として、祭られ保護されていたから盗掘をまぬかれたのであろう。 ・・・・≫
   「仁徳天皇陵」というのは、大阪府堺市にあって、私は中学校だったかの遠足の時にバスで横の道を通って窓から見たことがあり、多くの日本人は「仁徳天皇陵」の写真を見たことがあって、中学校の「歴史」や高校の「日本史」で、仁徳天皇の墓で日本一の大きさの前方後円墳であり、高さではエジプトのピラミッドの方が高いものがあるが面積ではエジプトのピラミッドより「仁徳天皇陵」の方が大きいと教えられてきたはずで、学校の「教科書」に断定的な文の調子で書かれている以上、これは確定的なものなのだろうと思っていたら、なんだか、最近は、そうではないという説もあるらしい。 《ウィキペディア―大仙陵古墳》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BB%99%E9%99%B5%E5%8F%A4%E5%A2%B3 には、≪ 形状を現す大山・大仙、被葬者を表す仁徳、これに続けるものに学術的な古墳、陵墓としての陵・天皇陵・御陵・帝陵と多数の組み合わせが生じ、混乱している。また、併記する場合も多いため、より多種に渡ってしまっている。江戸時代の絵図等では「仁徳天皇陵」「大山陵」の表記が見られる。 主因は仁徳天皇の墓かどうかの論争にあり、1971年(昭和46年)以降「仁徳陵」の名称で呼ぶことが提唱された。しかし、これでは仁徳天皇の墓であることを否定したことにはならないため、1976年(昭和51年)以降[27]、より学術的な遺跡の命名法に則り「大仙陵古墳」の使用が始まった。宮内庁は仁徳天皇の墓に比定しており、地図上では「仁徳天皇陵」が採用されている(かつては「仁徳帝陵」を採用したものが多かった)。また、国民的にも(近畿地方、中でも地元大阪府では、大仙古墳よりも仁徳天皇陵のほうが広く認知されている)国際的にも定着した名称を重んずる意見も多数あり、学術用語としては流動的でいまだに確定しておらず、いずれもが正式名称として使用可能である。・・・≫と出ている。 関裕二氏などは、仁徳天皇の父であるとされ、実在した可能性が高い最初の天皇と言われる応神は実在したけれども、仁徳は実在しなかった天皇ではないかと見ているようだが、そうなると、大仙陵古墳というのは誰の墓なのか・・・ということになってくる。そもそも、前方後円墳というのはあれは墓なのか? 白井新平『奴隷制としての天皇制』(三一書房)は、あれは城塞だったということはないか? 墓としては規模が大きすぎるし、あれだけのものをあれだけの量、作ろうとすると、毎年、墓ばっかり作っていなければならなかったのではないのか・・・といった疑問を提示している・・・がそれはさておき、≪宮内庁が調査のための発掘を認めていない現状において、学術上ここが仁徳天皇陵であると確定することは不可能であることにより、現在では教科書などを含めて「仁徳天皇陵」との呼び名は用いられなくなっている。≫(《ウィキペディア―大仙陵古墳》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BB%99%E9%99%B5%E5%8F%A4%E5%A2%B3 )という「大仙陵古墳」「仁徳天皇陵」からの出土品が、なにゆえに、ボストン美術館にあるのか・・・というと、誰かが盗掘したものではないか・・・ということになる。
    《ウィキペディア―大仙陵古墳》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BB%99%E9%99%B5%E5%8F%A4%E5%A2%B3 には、≪ アメリカのボストン美術館に仁徳天皇陵出土とされている銅鏡や環頭大刀などが収蔵されている。これらの品は、1908年(明治41年)には既に博物館に所蔵されていたようで、梅原末治によって紹介されている。・・・・・宮内庁書陵部の研究によると、これらの出土品は、ボストン美術館中国・日本美術部勤務であった岡倉覚三(天心)により、1906年(明治39年)に京都で購入された可能性が高いという。≫と出ているのだが、もし、そうだとすると、岡倉天心は誰から買ったのか? ・・・ということになる。 岡倉天心は盗掘者から買ったのか? 日本政府が専門の考古学者には立ち入らせないで、ボストン美術館には遺物を販売したのか?
   もし、盗掘者から買ったとしても、ボストン美術館がけしからんとただちに決まったわけでもなく、もし、ボストン美術館が買って保存しなければ、とうにどこかわからない所に消えてしまったかもわからないわけで、ともかくも、美術館が買って保存したことで今も存在しているという面もあるかもしれない・・・・けれども、そうであったとしても、やっぱり、≪宮内庁が調査のための発掘を認めていない≫「大仙陵古墳」「仁徳天皇陵」からの出土品がボストン美術館にあるというのは、少なくとも、貴重な物を集めたけっこうな美術館ですことと手放しで喜び称賛するわけにはいかないように思うのだ。 そう思うと、今回の展示についても、「古代エジプト美術」については、どうも、複雑な思いを感じる。

  (2017.10.17.)

 次回、 東面のプランター http://tetsukenrumba.at.webry.info/201710/article_4.html

☆ 東京都美術館と「ボストン美術館の至宝展」
1. ゴッホと佐伯祐三の「郵便配達夫」http://tetsukenrumba.at.webry.info/201710/article_1.html
2. とがったオブジェは端 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201710/article_2.html
3. なぜルノワールか。発掘して自国に持ち帰る是非 〔今回〕
4. 東面のプランター http://tetsukenrumba.at.webry.info/201710/article_4.html
5. 北口・博物館動物園駅・池田家黒門・自由な女神http://tetsukenrumba.at.webry.info/201710/article_5.html
6. 通用門・事務棟・西面・公募展棟南面・椅子の背が窓から見える窓http://tetsukenrumba.at.webry.info/201710/article_6.html 


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