「ボストン美術館の至宝展」と東京都美術館【1/6】ゴッホと佐伯祐三の「郵便配達夫」+慶應義塾の構図

[第314回] 東京圏の美術館(11)-1
   美術館の雰囲気を味わいながら、絵画や彫刻を鑑賞しつつ、芸術的素養を高め、そして、美術館の建築を味わおう・・・・とした時、東京圏において最もけしからんというのか、それを妨げる存在は、何と言っても、上野の東京都美術館である。
   なにしろ、ここの美術館は今までにも何度も足を運んだのだから、今度は他の所に行きたいと思っていたにもかかわらず、またしても、「これだけは、やっぱり、見ておかねば」という企画展を開催するのだ。 「今度だけ」と思って、またもや、行ってしまい、その結果として、他の美術館に行けなくなってしまう。 まったく、つくづくけしからん美術館である。
   実際問題として、仕事を持つ身としては、3ヶ月に1回くらい、年に4回くらい、美術館に足を運ぶことができれば良しとせざるをえない、となると、企画展に何度も見に行ったのでは、せっかく、常設展でいいものを置いている美術館に足を運べなくなるし、美術館の建物自体に魅力がある美術館にも行けなくなってしまうのだが、まあ、東京都美術館という企画展専門の美術館のおかげで・・・・なんて、美術館のせいにする者が悪いのかもしれんが、ポリシーを曲げてでもそこの企画展に行きたくなるような企画展を東京都美術館は何度も何度も開催するものだ。 まったく、つくづく、けしからん。

   今回、ポリシーを曲げて東京都美術館に見に行ったものは、「ボストン美術館の至宝」展である。
   『美術展&美術館 2017秋冬-2018』(2017.10.20.ぴあMOOK)なんて、こんな本が出るから、また、東京都美術館にばっかり行くことになってしまうのだ。しかも、この本は、セブンイレブンの雑誌コーナーに置いてあったのだ。 となると、手に取ることになり、そして、買ってしまい、そして、またもや、東京都美術館に行くことになる。
   美術館ばっかり行ってるわけにもいかないのだが、しかし、『美術展&美術館 2017秋冬-2018』(2017.10.20.ぴあMOOK)なんて本を買ってしまうと、これは見逃せない! というものが続出してくるわけで、まあ、書いている方もそう思わせようと思って掲載しているのかもしれないが。
   で、同書の「美術展スケジュール 2017秋冬-2018」を見て、私が見逃せないと思ったのは、
『ボストン美術館の至宝展』 ~10月9日  東京都美術館
『ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』 10月24日~2018年1月8日 東京都美術館
『ブリューゲル展 画家一族 150年の系譜』 2018年1月23日~4月1日 東京都美術館
『シャガール 三次元の世界』 9月16日~12月3日 東京ステーションギャラリー
『デンマークデザイン』 11月23日~12月27日 東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館
『安藤忠雄展―挑戦―』9月27日~12月18日 新国立美術館
・・・・・と、とりあえず、「見逃せない!」という気になったのが、これらだったのだが、「見逃せない」と言っても、実際問題として、そのうちのいくつかは見逃すしかないわけだ。 時間が取れない、ということもあるが、企画展は高い。 チケット代が高いというだけでなく、行くと、プログラムというのか、その美術展の展示をカラー刷りにした豪華本が最後の所で販売されていて、ここで買わないと他ではない! ということもあって買ってしまうのだ。 決して悪い本ではない・・・・のだが、買って帰ったのはいいが、他にも読まないといけない本はいっぱいあるので、読めずにその分厚い本がたまる。 音楽会の場合、海外のビッグネームの演奏会だとチケット代はけっこう高く、これがまた、S席・A席・B席・C席・D席と書いてあって、CかDなら俺でもなんとか買えるかなあ~あ・・・とか思ってみたところで、この書き方だと、「B席が中くらいの席」て印象を受けるが実際はそうではない。S席とA席が大部分で、C席となると、2階か3階の後ろの方。 D席になるともう、横の上の方の階。舞台を見ようと思うと、正面ではなく右を見るか、もしくは左を見るかでないと見えない、音も右からか左から聞こえてくる・・・て所で、せっかく聴きに行くのにそんな場所ではなあ~あ・・・・とか思い、B席くらいはやむをえないかと思って電話を入れてB席の場所を尋ねると、B席というのは「真ん中よりいい方の席」かと思うとそうでもなく、「S席が普通で、A席はちょっと我慢」てところで、しかも、販売日にすぐ電話しても、「S席かA席しか残ってません」とかいう話だったりして、ここまできて諦められるかあ・・・なんて思って買ってしまうと、もう、財布が破裂してしまう・・・・が、高いのはチケット代であって、当日、販売されるプログラム代は、1000円かそこらの場合が多い。 それに対して、美術展の場合、音楽会なら、演奏者の写真を見栄えよく映しまくっても、曲目についての解説を誰やらかれやらに書かせても、ページ数はそれほどにはならないが、美術展の場合、なにしろ、掲載するものはいくらでもあるし、それも、カラー刷りにしてこそ価値があるとなると、結果として、分厚いし高い。
   それ以外にも欲しくなるようなものも売っているのだが、Tシャツとかトートバックとかは、いずれ、必要になるものだし、そこで買わなくても他で買ったってただではないのだから・・・・・なんて思ったりもするのだが、企画展の出口付近で売られているTシャツとかトートバックとかは、スーパーで売っているものに比べて、高いのだ。だから、どうせ、他で買うなら美術展のものを買おうかとか思って行っても、「わしぁ、貧乏やからな」「わしぁ、日陰の月見草や」という身にとっては、あきらめるしかなくなる場合が多い。
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( ↑ 東京都台東区上野   東京都美術館 )
   千葉方面から上野に行くには、JR総武線の各駅停車(黄色い電車)の西向き、中野行きか三鷹行きに乗って「秋葉原」で京浜東北線か山手線の北向きの電車に乗り換えて「上野」まで行くか、京成本線で「上野」駅まで行くか、そのどちらかが妥当ですが、国立西洋美術館・国立科学博物館・東京国立博物館・東京文化会館、そして、東京都美術館に行くには、JR「上野」駅の方が降りてから近い。 かつて、京成電鉄に「博物館動物園」駅というのが、上野駅と日暮里駅との間、地下からの出口は東京国立博物館の南西、池田家の黒門の西のあたりに今も出口跡があるが、そのあたりにあったのが無くなってしまったのだが、たしかに、京成「上野」駅で降りると、旧寛永寺の正面から入って、旧寛永寺のよすがを偲ぼうというにはいいのですが、できるだけ最短距離で、先の国立西洋美術館・国立科学博物館・東京国立博物館・東京文化会館・東京都美術館に行こうとすると、JR「上野」駅の北西側の改札、「公園口」と言うのでしょうか、そこで出た方が近く、京成の「上野」駅からは遠いし、坂か階段かを登らないといけないので、「博物館動物園」駅というのを作ろうと考えた人の気持ちはわかる・・・・のだが無くなってしまった。特に、東京文化会館はJRの改札を出てすぐ目の前だし、山手線・京浜東北線は最も上野公園に近い側を走っているので、降りてからもすぐ。
   京成だと、たとえば、船橋・八幡あたりからだと上野行きの特急があるのに対し、JR総武線だと、船橋に快速は停まっても錦糸町から南に曲がってしまい、秋葉原に行こうとすると各駅停車に乗るしかないし、本八幡には快速は停まらない。 だから、京成の方が便利そうな感じもするのだが、京成の特急はいったん乗ると、さすがに停まる駅が少ない分だけJRの各停より早い気がするが、上野駅から乗ろうとすると、本数が少ないので、相当待たないといけないため、そこで待つ時間を考えると、JRの山手線か京浜東北線に乗って秋葉原で乗り換えた方が、待つ時間が少ないので結果として早いのではないかという気がする。

     熊本県立美術館の設計において、前川國男は、熊本城が主役であって、県立美術館は脇役であると認識して、けっして出しゃばり過ぎないようにという前提でのデザインで設計されたが、L型になった本棟と離れ棟とで囲まれた美術館占有の領域に入ってくると、そこは美術館の領域であり美術館の雰囲気につつまれ、さらに館内に入れば、そこでは大いに美術館らしさが発揮されるという展開は見事であるが、東京都美術館においても、上野公園全体の調和を考えて、出しゃばり過ぎない外観でありながらも、ここでも、北側の入口のある棟と西側の公募展棟、それに東側の企画展棟とで囲まれた区画内に近づくにしたがい、美術館の雰囲気が徐々に感じるようになり、その区画内にはいれば、もはや、そこは美術館の領域であり、館内に入ると、完全に美術館となるというアプローチを進むに従い美術館の雰囲気が増していく造りはさすがという印象を受ける。 東京都美術館は、何度、尋ねても、いい美術館、いい建物だと思う。

   今回、「企画展を追いかけまわすのはやめよう」というポリシーを破って、またもや、東京都美術館に行こうと思ったのは、「ボストン美術館の至宝」展に、フィンセント=ファン=ゴッホ「郵便配達人ジョセフ=ルーラン」の絵(1888年)が出展されたからだ。 「ボストン美術館の至宝展」の「プログラム」というのかによると、ゴッホは、「郵便配達人ジョセフ=ルーラン」の絵を1枚ではなく何枚か描いたようで、そのうちの1枚がボストン美術館の絵で、他にも、デトロイト美術館にあるものなど何枚かあるようだが、しかし、このボストン美術館が所蔵する絵が最もいいと私は思う。
   で、雑誌やインターネットなどで、このゴッホの「郵便配達人ジョセフ=ルーラン」のボストン美術館所蔵の絵を見ていて、あれっ・・・と思ったことがあった。 北野高校卒の画家の佐伯祐三にも、なんか、似たような絵があったような気がしたのだ・・・が・・・・。
   インターネットで検索すると、たしかにあった。 佐伯祐三の「郵便配達夫」という作品(1928年)が。 別に盗作とかいうわけではなく、ゴッホの「郵便配達人ジョセフ=ルーラン」(1888年)と佐伯祐三「郵便配達夫」(1928年)は、それぞれ、いいと思うが、佐伯祐三は盗作するつもりなんか、もちろん、なかっただろうけれども、絵を志す者として、ゴッホの絵は知っていただろうから、佐伯祐三が「郵便配達夫」の絵を描いた時、当然、頭にはあっただろう。
   そう思った時、これは、この「ボストン美術館の至宝展」は万難を排して見に行かないわけにいかない・・・と思ったのだ・・・・が、そんなこと言っていると、万難を排して見に行かないといけないものだらけになってしまうのだが、ともかく、そういうことで、「ボストン美術館の至宝展」を見に行った。
   佐伯祐三の「郵便配達夫」の絵はどこにあるのだろう・・・・と思ってインターネットで検索すると、≪大阪市は、中之島に新しい美術館を整備する計画をすすめています。≫(《大阪新美術館コレクション》http://www.city.osaka.lg.jp/contents/wdu120/artrip/ )と出ているのだが、大阪市北区の中之島の国立国際美術館や市立科学館の近くに大阪市が新美術館を建てるということで、その「建設準備室」が所蔵しているらしい。
※ 《ウィキペディア-佐伯祐三》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%BC%AF%E7%A5%90%E4%B8%89
《大阪新美術館 佐伯祐三の世界》http://www.city.osaka.lg.jp/contents/wdu120/artrip/saeki_gallery_09.html
《ウィキペディア-フィンセント・ファン・ゴッホ》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%9B
《ウィキペディア-郵便配達人ジョセフ・ルーラン》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%B5%E4%BE%BF%E9%85%8D%E9%81%94%E4%BA%BA%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3

   東京都美術館では、10月24日から「ゴッホ展」が開催されるが、そちらには「郵便配達人ジョセフ=ルーラン」は出展されないようだ。 となると、「ゴッホ展」と「ボストン美術館の至宝展」でどちらを選ぶかというと、「ボストン美術館の至宝展」を選ぶことになって、今回、足を運んだ。
   「ボストン美術館の至宝展」は、東京都美術館でのものは10月9日で終わりになったが、この後、
神戸市立博物館 10月28日~2018年2月4日
名古屋ボストン美術館 2018年2月18日~7月1日
と、神戸と名古屋で開催されるらしい。

   「週刊ダイヤモンド 2016.5.28.号 特集 慶應三田会」(ダイヤモンド社)に掲載の図がなかなか面白い(^^)/   思わず、吹き出した・・・が、吹き出すくらい、これは的確に取材した上で書かれた図であるか、もしくは、慶應大卒の記者が自分自身が実感したものをもとに作成した図であるか、いずれかだと思う。 慶應義塾「非主流派」の人間、もしくは、慶應義塾内における「抑圧されてきた少数民族」が書いたのではないか・・・? て感じがする。そうでないと、なかなかここまで書けない(^^♪
  まず、
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↑  左の「高」というのは、「慶應義塾内での地位」である。
↑  慶應義塾においては、内部進学の人間というのは、「自分たちはエライ」と思うておるわけだ。なぜ、エライのかと言っても、なにしろ、慶應義塾は内部進学の方のものであって、内部進学の人たちが言うところの「外部の者」という大学から入った人間なんてのは、これは内部進学の方のお家の軒先の先っちょの下のあたりにお情けで入れていただいているような存在であり、特に、公立高校卒の人間というのは、「私学だってことはいいってことじゃないか。そんな常識がわからんのかあ~あ!」とおっしゃるような教授先生やその同類の内部進学の学生からすれば、ドジンみたいな存在であり、植民地の白人支配者にとってのドジンかインデアンみたいなものであり、私なんかは「慶應義塾カースト」の最下層に位置するわけで、これは、どんなに頑張っても、頑張ってどうこうなるものではないわけだ・・・(^^)/ 
   アメリカ合衆国の西部劇映画あるでしょ、『黄色いリボン』とか『荒野の決闘』とか、ドク=ホリディとかワイアット=アープとか出てくるやつ、場所はたいてい、ツームストーン。ああいうので、白人同士の争いが描かれるが、その外側の岩山や砂漠や強風などと同じような存在のように描かれる、駅馬車が白人入植地の間を往来する途中で「アワワワワ・・・」とか言って出没する「インデアン」というのが出てきますでしょ。あれが、慶應義塾における「外部の者」「外部の連中」であるわけですよ。「内部進学の人間も一枚岩ではない」かもしれないが、あくまでも、白人支配者の間での争いであり、「インデアン」や黒人奴隷に該当する「外部の連中」というのは、白人の「入植地」における支配者である白人に該当する「内部進学者」からすれば、その「外部」の存在であるわけです(^^)/
※ 《YouTube-黄色いリボン》https://www.youtube.com/watch?v=ufABukMOcPI
   まあ、しかし、そういう「内部と外部」という思考を常にしなければ気がすまないというそういう精神構造というのは、なんだかなあ~あ・・・・と私のような「公立小学校→公立中学校→公立高校・・」と進んだ人間は思うのですが、彼らにとってはそれが「慶應ボーイらしい柔軟な思考」であり「自我が確立されている」であり「アイデンティティーを身につけている」であり「常識人」であり「独立自尊」で「福沢精神」であり「ギャルにもてもて」とからしいのだ。逆らうと怖いから、「なんか、違うような気がするけど・・・」と思っても黙っていたほうがいい。
   慶應義塾大学には、通学過程と別に通信課程というのもある。私は何の因果か、建築関係の業種に就いたのだが、建築業においては、どうも、建築学科卒の人間がえらそうにしておるところがあって、いっそ、自分自身が建築学科卒になってしまおうかということを考えたことがあった。それで、建築学科に通信課程なんてないわなあと思って調べていたら、愛知産業大学と京都造形芸術大学と大阪芸術大学に通信課程の「芸術学部系の建築学科」があった。「芸術学部系の建築学科」というのは「理工学部系の建築学科」と比べると、理工学よりもデザイン・意匠面の方に重心があるところに特徴がある。慶應大学は昔から建築学科のない大学だったのだが、1985年にできた日吉の新図書館は「東京大学の建築学科を卒業されて慶應大学で教えておられる(ついでに、慶應幼稚舎の御出身で竹中工務店の会長さまのお孫さんらしい)槇文彦先生が設計された」ということなので、その建築界のビッグネームの槇文彦大先生が慶應大学で教えておられる以上、慶應にも建築学科ができたのかな? と思ったが、インターネットで検索すると今もないらしかったが、その際、思い出したことがある。商学部のある教授だったか助教授だったかがおっしゃったのだが、ある大物教授は、通学過程の学生からは講義の後に質問も聞くが、「通信課程のスクーリングでは、講義の終わり、チャイムが鳴ると同時に荷物をもってささ~っと帰って質問等はいっさい受けつけないようにしている」とおっしゃったらしいのだ。「ぼくは、そんな過激なこと言いませんから」とその話をされた助教授だったかは言われたのだが、その「大物教授」にとっては、通学過程で内部進学の学生は自分らのテカ(手下)であるが通信課程の学生は「敵」であり、通学過程の学生でも大学から入ってきた「外部の者」の場合はその中間という意識であったと思われる。「慶應的精神空間」の外側の人間は「敵」だという意識の人というのがいる、「慶應的精神空間」の外側にいる者というのは猛獣か何かのように思ているわけで、そういう小さい頃から「慶應的精神空間」で生きてきて、そこから外へは怖くて出れないみたいな人達というのがいるわけだ。そこでも、「通学過程内部進学→通学過程の『外部』→通信課程」という「内→外」という思考があるわけだ。そういう思考のことを「福沢精神」とか「独立自尊」とか「自我が確立されている」とか「大人だ」とか「常識人だ」とか「スマート」とか「ギャルにもてもて」とか言うわけだ・・・(^^♪ だから、慶應の通信課程というのは、通学過程でも大学から入った人間というのは、内部進学の人たちから「外部の者」と呼ばれる被支配階級になるのと同様に、通学過程から差別された存在であるというのを、通信課程の学生にスクーリングの際に教授は言わないと思うが、通学過程の学生にはそういう考えの教授がいるとポロっと教えてくれる先生があったりしたので、たとえ、慶應の通信課程に建築学科ができることがあっても、それはやめようと思った。愛知産業大学や京都造形芸術大学では通学過程と通信課程はどちらが上でも下でもないのに対して、慶應では通学過程と通信課程では、「内→外」という構図がここでもあるらしい。 まあ、しかし、何かにつけて、「内←→外」という思考をしないとおれない人間というのは、なんというのか・・・・「ギャルにもてもて」か何かしらんが、かわいそうな教育うけとんなあ~あ・・・と思うがそう言うと彼らは怒るので、うるさいから黙っておいた方がよい・・・のだが、私なんかは人間できてないからか、言うたらいかん、言うたらいかんと思いつつ、百回に一回くらい口に出てしまう。 
   ↑の図を見ると、「中高入学組」と「大学入学組」との間に「深い溝がある」だけでなく、「中高入学組」と「幼稚舎入学組」との間にも「深い溝がある」(^^)/  私が思うに、「このぼくは中等部から慶應に行ってるんだぞお。我々内部進学の人間はおまえら外部の者とは違うんだ。わかってんのかあ! 中等部から慶應に行ってるこのぼくがおまえら外部の者に話をしてやってるんだぞお」と、今は昔、1984年のこと、慶應義塾大学商学部の黒川行治助教授(男。当時、30歳。現在は「教授」におなりあそばされたらしい)が「会計学総論」という講義の最中に教壇で叫ばれたことがあったのだが、そんなに「外部の者」だか「外部の連中」だかに話をするのが嫌なら助教授になんかならなきゃいいのにと思ったものだが、「なんだ、こいつ」と思ったが、「中高入学組」の人間からすれば、「なんだ、こいつ」と思う人間の方が「異常」であり「適応できていない」であり「塾風を身につけていない」のであり「自我が確立されていない」であり「独立自尊の精神を身につけていない」であり、あるいは「未成熟」とか「適応障害」とか「なんとかシンドローム」「なんじゃら症候群」と「診断」されることになるらしい。「診断」されると次は「治療」と称して「人間による人間の加工」をされるということになるので怖い怖い! 要するに、「外部の連中」の側が常に内部進学者様に「適応」するのが当然でありそれが「正常」で、それが「独立自尊」の態度であり、それが「福沢精神」であり、それが「慶應義塾のアイデンティティ-」で、そういう思考のことを「慶大生らしい思考の柔軟さ」とか「慶應ボーイらしいスマートさ」とか「ギャルにもてもて」とか内部進学の人間は思うておるわけだ。そういう思考が正しい思考でそういう思考が「大人」で「常識」で「成熟した人間」で「社会で役に立つ」であるとそういう思想を内部の学校では叩き込んでいるらしいのだ。 但し、↑の図で「幼稚舎入学組」と「中高入学組」の間にも「深い溝がある」と書かれているように、「幼稚舎入学組」の人の中には、「中高入学組」の人間で「このぼくは中等部から慶應に行ってるんだぞお。我々内部進学の人間はおまえら外部の者とは違うんだ。わかってんのかあ!」という黒川先生みたいな態度を必ずしも良いとは思わない方もいらっしゃるようなのだ。「私たちは、あなたたち『中高入学組』に対して、そんな態度をとってこなかったと思うのに、なんで、あんたたち『中高入学組』の人は、『大学入学組』にそんな態度をとるのか」と思う人もいるのではないかと思う。そこで、「敵の敵は味方だ」という論理が発動する? のか、時としては「中高入学組」VS「幼稚舎入学組」+「大学入学組」という構図になる場合だってないとは言えない・・・(^^♪   アメリカ合衆国がイギリスからの独立戦争をおこなった際、イギリス側は「インデアン」と彼らが呼んだアメリカ大陸の原住民と手を組んだこともあったとかいうような、なんか、そんな感じ・・・かな???  ちなみに、私が述べているものは、実際に体験したものを基に述べており、決してでまかせではない。本多勝一『アメリカ合州国』(朝日文庫)によると、「インデアン、嘘つかない」という言葉は、アメリカの原住民には嘘はついてはならないというおきてがあるとかいうことではなく、白人の侵略者と「インデアン」と白人が呼んだ原住民との間で争いが起こった際に、白人と(「インデアン」と白人が呼んだ)原住民との間で取り決めをおこなったが、その取り決めを白人は平気で破ったので、それに対して、原住民は抗議して、「(その取り決めに対して)白人、嘘つく。『インデアン』嘘つかない」と言ったというものらしいのだが・・・、私がここで述べているものは嘘ではないので、「インデアン、嘘つかない」・・・てところ・・・か?
   で、内部進学の高校は皆おなじなのかというと、そうではないのだ。↓
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↑ 高校では慶應義塾高校と慶應女子高校という2つがエライらしくて、それからちょっと落ちて慶應志木高校というのがある。慶應義塾高校及び慶應女子高校と慶應志木高校の間には「少しある壁」が存在する(^^)/ しかし、あくまでも「少し」なのだ。この3つに比べると、藤沢に新しくできたのは、相当落ちるわけで「距離の壁」なんて書いてあるが、「あんなもの、藤沢慶應大学付属高校だろうが」みたいに慶應義塾高校・慶應女子高校の人間は思うておるのではないかいなあ・・・て感じがする(^^♪ 海外のはもっと落ちる・・・みたい・・・だが、その相当落ちるのからしても、大学から入ってきた「外部の連中」というのは、これは言葉の通り、「慶應義塾の外部の連中」であり、そして、内部進学の方々は「最低でも高校から入った人間が本物の慶大生」とおっしゃるように、私らは「にせもの」なのだ(^^♪  「なんか、えらい悪かったなあ」て言いたくもなるが、内部進学の方々は「悪かった」なんてちっとも思っていない。むしろ、自分たちの家の軒の先っぽの下にでも入れてあげてやってあげてやっていることを感謝しろ! みたいに思うておるわけだ(^^♪ 軒の先っぽの下にでもお情けで入れてやったのに、それを座敷にあげるなんてとんでもない、て感じに思とるようだ。 
   それで、大学から入った「外部の者」の中でも意識の違いはあるわけで、「開成・麻布など有名私立高校から流入」の人間というのは、おのれは東大を落ちたか東大受験を回避して一橋あたりを受けてそれも落ちたくせしやがってからに、それにもかかわらず、自分は「東大進学校出身」みたいに思うておるわけだ。 一方、「トップ公立高校から流入」という者はこれはこれで、「公立小学校→公立中学校→公立高校→現役 京都大学 これこそ、最高のエリート」とか思うておるわけで、灘だの開成だのといった新興私立受験校なんてのは「なんや、あんな変な学校」とか思って見下しておるわけだ。 ここで、私立受験校出身者と公立トップ校出身者に意識の違いというのが存在する↓
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↑・・・・のだが、慶應大学というのは、試験科目は国立大学に比べれば少なくて、その試験にある科目も東大や京大などに比べればずっと易しいので、公立にせよ私立にせよ、あんまりトップでない方の高校の出身者で高校卒業時にはたいした大学に行けそうにないのに1浪して行った予備校が肌にあって慶應の試験科目だけ勉強して入れた・・・なんてのもいるわけで、そういう連中を見ると、「開成・麻布など有名私立高校から流入」の者も「トップ公立高校から流入」の者も、いずれもが、「なんで、あんな奴らと一緒にされんといかんのだ」とかいう気持ちになるわけだ。で、口に出して言うかどうかはさておき、心の中ではそう思っておるわけで、「私立新興受験校」VS「公立伝統進学校」の意識の違いはあれども、「なんで、あんなんと一緒にされんといかんねん!」という怒りの気持ちは共通するもので、「クロマティ高校卒のヤツなんかと一緒にされてたまるか」とか心の中で思うておるという点においては「開成・麻布など有名私立高校から流入」も「トップ公立高校から流入」も共通しているわけで、そこのところで、大同団結してみたり(^^)/・・・・なんてこともあるわけだ・・・が、「開成・麻布など有名私立高校卒」の人間には、「トップ公立高校」は「クロマティ高校」の側だと思っておる者もいるわけで、おのれは東大に落ちたか東大を回避して一橋あたりを受けてそれも落ちたくせしやがってからに、それでも「開成・麻布など有名私立高校卒」は「トップ公立高校卒」よりエライみたいに思うておるだけでなく、「トップ公立高校」なんて「クロマティ高校」と一緒のグループだと思うておるヤツがおるわけで、他方、「トップ公立校から流入」の人間は、「私立受験校なんてあんなもの、6年間、予備校に行ったようなものだろうが」とか思っており、「トップ公立校」が「私立受験校」に劣るなどとは露ほども思っていない、「トップ公立校」の方が上だと思っているので、たとえ大同団結しても、また、それが崩れることもあるわけだ・・・。「クロマティ高校卒」のやつというのは、これはこれで、「同じ大学に入った以上、どこの高校でてても一緒だ」とか言いだすわけで、そういうことを言われると、「私立受験校」出身の人間も「トップ公立校」出身の人間も、胸くそ悪いな、こんちくしょう、誰がこんな大学行くもんか、二浪しようが三浪しようが四浪しようが、こんなヤツと一緒にされてたまるか!とか思ったりもするわけで、こいつ、けっちゃんぱっちゃんくわっちゃんにしてこましたろか・・・と思っても実際にするわけにもいかないが、そのくらいむかついているわけだ・・・が、クロマティ高校卒の人間にはトップ高卒の人間が自分に対してむかついているなどとは夢にも考えとらん男がいてその無神経さに気分を害することもあり、クロマティ高校卒の男というのは、「同じ浪人した者同士、仲良くしようぜえ」などとあつかましくも言うのですが、「ふざけんな! おまえは高校卒業時に行ける大学なんてろくな所なくて、そんな人間が厚かましくも浪人なんてさせてもらって、それで、1浪してやっとこせえで慶應に入ったんだろうが。俺は慶應みたいなもんに入るために浪人したんじゃねえっつんだ、このガキ。慶應大に行くのなら高校卒業時点で通った可能性が高いと思うし、おまえみたいな人間と一緒にされるのが嫌だから行かなかったんだろうが。このクソガキ。浪人は浪人でも『同じ浪人』じゃねえっつんだ! まったく、このガキだけは許せ~ん!」とか思ってると、そして、そう言ってやると、「なんでよ。同じ浪人じゃん。今は、同じ、浪人で慶應じゃ~ん。もう、これからは何の違いもないまったく一緒なんだから、仲良くやろうぜえ」などと言うので、このガキとだけは「仲良く」なんて誰がするか、誰があ・・と思うわけだ。クロマティ高校卒の人間というのは、進学校出身の人間がむかついていると思うとそれに何より快感覚えるというのもいるわけで、この野郎、その首へし折ったろかと怒りを感じるがへし折るわけにもいかんと思って我慢すると、心の底から怒りを感じながらも苦労して我慢しているというのがわかるとそれに何より快感覚えるわけで、小学校の時も中学校の時も高校の時も自分よりずっと成績が良かった人間が今ここで自分と同じ大学にいると思うとうれしいわ楽しいわ♪ それを悔しがるヤツの顔を見るとうれしくって楽しくってこれ以上の幸せないっての♪、まさに至福のひと時、ネスカフェゴールドブレンド、違いがわかる男♪〔⇒《 CMネスカフェ・ゴールドブレンド 》https://www.youtube.com/watch?v=eB02iclsvW8 〕・・・とか思いおるわけだ。私ら卒業させてもらってから20年以上経っても、今でも、「あのガキだけは許せ~ん」と今でも思ってるし・・・・・子供の頃に見た映画『南海の大決闘 ゴジラ対エビラ対モスラ』みたいな・・・なんかそんな感じのところもあるような・・・・?
※ 《YouTube-ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘 》https://www.youtube.com/watch?v=OCqAv7jBHk0
  ・・・・いやあ、それを絵というのか図というのかで示したこの「週刊ダイヤモンド」の記事はほんまに、おもろい(^^)/(^^)/(^^)/
〔 慶應の内部進学の人や準内部進学の人が、「ギャルにもてもての慶大生」だの「スマートな慶應ボーイ」だのなんだのと「嘘でも百回言えば真実」みたいに言うのを聞いて、そんなアホくさい話を本気にする人も中にはあるようですが、白人の支配者が黒人やインデアンを強姦して何が悪いか・・・みたいに思っているような連中に、自分自身も慶應女子高卒など「白人支配者」の側でないのに関わると、「黒人」か「インデアン」のような扱いを受けることになるでしょう。絶対いいことないと思いますよ。 ・・・老婆心から申します。〕

   それで、私なんかは、公立の北野高校に合格した時は、行きたいと思って受けた高校だったのでうれしかったが、卒業して10年以上経って考えると、実際のところ、良かったのか悪かったのかよくわからない。 これはどう考えてもいいと言えないという点はあるが、それなら、どこへ行けばよかったのかというと、それもよくわからない。 ただ、ひとつ、言えることとして、私立新興受験校出身の人というのは、ひとにもよるのだろうけれども、一般に、試験科目にあるものはある程度以上学習しても、試験にないものは学習しないという傾向があり、具体的には、音楽や美術などは、底辺の高校に行った人間よりもまだ下ではないか・・・という感じの人が少なからずいる。一般に「一流大学」に進学するような人間は試験科目だけが優秀であるのではなく試験科目にない科目でもそうでない人間よりも学んできている傾向があるはずだが、同時に、「入試に通る」「入試に勝つ」ためには「I D野球式学習法」として「戦力の集中」をはかる必要もあるわけで、「試験にでる」部分を「出る順」に学習する態度も求められることになると思いますが、公立伝統進学校出身の人間と私立新興受験校出身の人間では、公立伝統校出身の人間の方が、その前者の方、「試験にない科目でもそうでない人よりは学んできているのが普通」という傾向が強く、私立新興受験校出身の人間には「戦力の集中」は入試対策としてある程度やむをえないとしても、大学入試にない科目はまったく学習していないし、学習してはならないという思想信条を持っているような人がいます。
   いいのか悪いのかわからんのだが、私なんかは増位山みたいなもので、体育はそれほどできる方ではなかったが、音楽と美術が好きで、「主要5科目」より音楽と美術の方がよっぽど好きみたいなところがあった。 しかし、体育の成績が良かったとしてもそれで運動選手として大成できるというものでもないのと同じく、音楽や美術が好きとは言ってもそれで音楽家や画家・彫刻家として大成できるというものでもないわけだが、たとえ、そうであっても、「気分は音楽家」であり「気分は画家・彫刻家」であった。で、「気分は」ではなく、本当に画家になったのが北野高校出身の佐伯祐三だったらしい。 2年も浪人してしまって、2浪で東大を受けた時、試験の前日に東大の駒場キャンパスに下見に行った帰り、京王帝都電鉄の電車を「渋谷」駅で降りようとした時、北野高校で1年下であったUくんと会った。彼は東大の文科三類を受けて現役で通り、私よりひとつ年下だったが大学には先に入学したのだが、渋谷でコントラバスを習っていて、これから行くところだと話してくれた・・・のだが、私なんかは、結局、2年浪人しても東大に行くことはできず、慶應大に嫌々入学したが、父は「大学は勉強する所とは違うんじゃ。甘ったれるな」と言ってアルバイトの口を決めてきて、「アルバイト、あるばいとお、アルバイトお、あるばいとお! とってちってたあ~あ!」と毎日のように言い、高校の時は、大学に入ったら、絵の1枚でも描いてみたいとか思ったこともあったのだが、およそ、そんなどころではなかった。 だから、佐伯祐三という人は、早世してしまったかもしれないが、画家になりたいと思って挑戦してなった人として、私にとっては、なんともうらやましい存在の人であった。 私より年上というより私の親より年上の人ではあるが、高校の頃は私なんかと同じ高校に同じように行った人が、その後、挑戦したいと思うものに挑戦させてもらって、それである程度以上成功する人もおれば、そこまで行かない人もおり、趣味・ライフワークとして続けるという人もいるが、最初から挑戦させてもらえなかった者としては、いずれの人もうらやましい限りである。 私だって、人生のレールが何か所か異なった方向に進んでいたとしたならば、佐伯祐三みたいになれたかもしれない・・・なれなかったかもしれないが、なれなかったとしても挑戦するくらいはできたかもしれない・・・と思うと、身近な存在に思えてくる。大阪新美術館が開館して佐伯祐三の「郵便配達人」が展示されるようになったら見に行きたいと思い、どこか通じるものが感じられるゴッホの「郵便配達人ジョセフ=ルーラン」はこれは見なきゃと思って見に行ったのだ。
   灘とか開成とかいうような(「ち~が~う~だ~ろ。このハゲぇ~え」の怖いおばさんの出身の「桜陰」なんてのもそうじゃないかと思うが)新興私立6年制高校に中学校から行った人は、私立中学校受験に際して音楽や美術は試験にないはずで、高校から入った人間も高校入試に音楽や美術はなく、「試験に出る」科目の「試験に出る」部分が価値があるもので試験にない科目・試験に出ない部分は価値がないという思考が相当強い人が多い。一方、慶應の内部進学の教授は「我々、内部進学の人間は高校の時から、さまざまな人と出会えるが、その点がおまえら外部の者とは違うんだ。わかってんのかあ!」とおっしゃるのだが、それって逆と違うのかと思ったのだ。北野高校など公立進学校に行けば、卒業生でも京大に行った人もおれば阪大に行った人もおり東大に行った人もおり、そして、佐伯祐三のように今でいう東京芸大に行って画家になった人もおれば、大学進学については「落ちこぼれ」の方でも森繁久弥なんて俳優になった人もいるわけで、自分と同学年でも、京大に行く者もおれば阪大に行く者もおり東大に行く者もおれば、最終的にどうするかはさておき、芸大に行きたいなんてヤツもいたわけだ。それが慶應の内部進学の高校に行くと進学先はほとんどが慶應義塾大学で、たまに、槇文彦なんて慶應に建築学科がないことから東大の建築学科に行った人もおり、歯学部は慶應にないので他の大学の歯学部に行って歯科医師三田会なんて作った人もいたようだが、それでも、ほとんどの人間は慶應大に進学するもので、在学中から、「どの大学がいいか」という思考は欠落している。卒業生で議員になった人でも、北野高校の卒業生では自民党から共産党までさまざまな政党の人がおり、「連合赤軍」なんてのもいたが、慶應出身の人間なんて、自民党ばっかり、右翼ばっかりじゃないか。そういう「自民党ばっかり」「右翼ばっかり」のことを慶應の人間は「慶應リベラル」と言うのだが、それっておかしいのじゃないか、そうではなく、北野高校のような元旧制中学校の公立進学校のように、「自民党の人間でも共産党の人間でもいたっていいじゃないか。その人はその人、俺は俺だ」というのが「リベラル」であって、「何が何でも自民党じゃないと許せん」という「慶應タイプ」が「リベラル」なのか? そういうのを「リベラル」と言うのか? というと、違うのではないかと思ったのだが、又、北野高校のような元 旧制中学校の公立進学校に行くと、金持ちの息子・娘もおればそうでない家庭の息子・娘もおり、親が東大や京大卒の人の息子・娘もおればそうではない家庭の息子・娘もいるわけだが、慶應の内部進学の中学校・高校なんて行けば、だいたい似たような(気色の悪い)家庭の息子・娘ばっかりじゃないか・・・と思ったのだが、慶應義塾においては、それを口に出して言うと殴られるので、怖いから「慶應的精神空間」においては言わない方がよい・・・というのが良いか悪いかわからんが身についてしまった。

   ゴッホのことを、フィンセント=ファン=ゴッホ と書くのは、「ええかっこしい」「いきり」だからかというと、そうでもなくて、『Pen 2016.11.1.号 完全保存版 ゴッホ、君は誰?』(2016.11.1.CCCメディアハウス)掲載の「特異な人生を彩った、キーパーソンたち。」によると、フィンセント=ファン=ゴッホの父親がテオドルス=ファン=ゴッホで牧師であったらしく、弟が、やはり、テオドルス=ファン=ゴッホで画商で、兄を経済的に支援したそうで、弟の妻がヨハンナ=ファン=ゴッホで、夫の死後、フィンセント=ファン=ゴッホの作品を管理して名声を世に広めたそうで、その弟夫婦の息子でフィンセント=ファン=ゴッホからすると甥にあたるのがフィンセント=ウィレム=ファン=ゴッホでファン=ゴッホ美術館の設立に尽力したそうだ。
  そして、ゴッホは、自分の署名を「ゴッホ」とではなく「フィンセント(Vincent)」と署名したということがあったようだ。『Pen 2016.11.1. No。416 完全保存版 ゴッホ、君は誰?』(2016.11.1. CCCメディアハウス)には次のように出ている。
≪ 日本でのファン・ゴッホの呼び方はいくつかあるが、今では「ゴッホ」の部分は一定している。オランダ本国では「フィンセント・ファン・ホッホ」である。しかし、現地読みにこだわって今さら「ホッホ」というわけにもゆかない。ところで、ゴッホという立派な名前があるにもかかわらず、彼の作品で署名のあるものはすべて「フィンセント(Vincent)」と署名され、「ゴッホ」はない。
  なぜ苗字を使わなかったかについては、ふたつの説がある。ひとつは、ゴッホが尊敬してやまなかったレンブラント・ファン・レインが常にレンブラントと署名したので、これに倣ったというもの。・・・・
  もうひとつの説は、「ホッホ」というオランダ語特有の発音がフランス人にはできないが、ファーストネームなら問題ないからというもの。そもそも「Vincent」はキリスト教の聖人で、フランス人にも馴染み深い名であり、読み方、呼び方もフランス流に「ヴァンサン」で通せるという利点はある。ただしそれだけでは、そうした問題のないオランダ時代にすでにゴッホがなぜ「Vincent」と署名したかの説明がつかない。
  細部を省略して言えば、この問題はゴッホと父との葛藤、折り合いの悪さに行きつく。ゴッホにとって聖職者の父は偽善的、独善的で、ゴッホ自身の言葉によれば、「心が狭く、氷のように冷たい性格」であった。
  極めつきは、ゴッホが30歳の頃に弟のテオに宛てた次の手紙である。
《 君もまた“ファン・ゴッホ”か? 僕は君をいつも“テオ”と見てきた。僕は性格的に家族の他のメンバーとは違っており、本質的に“ファン・ゴッホ”ではないのだ》(書簡345a)
  ファン・ゴッホではなく常にフィンセントと署名した背景には、父との深刻な葛藤、その挙げ句の果てに「ゴッホ家」との断絶があったのである。≫

  次回、http://tetsukenrumba.at.webry.info/201710/article_2.html
  (2017.10.14.) 

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