三渓園 臨春閣(旧 紀州徳川家巌出御殿)(横浜市中区)訪問1―「数寄屋建築」て何だろ

[第252回] 三渓園訪問4部作の1、数寄屋造りの建物3ー1
【1】   「数寄屋」とは何ぞや?  この問いは、真面目に建築屋をやってきた人間にとっては、考えれば考えるほど結論は出にくい問題である。 住宅展示場に行って、営業か設計のにいちゃんに「数寄屋とは?」ときくと、「桂離宮のような」と答えが返ってくるが、それなら、「桂離宮とは?」ときくと、「数寄屋造りの代表的建築」と言う。それならば、「数寄屋造りとは?」と言うと、「桂離宮のような」と。 こう答えてくれるならまだしも、「和風のかっこいい家のことです」とかもっといいかげんなこと言うやつまでいるし、追及されると困るので和風は避けるように話を持っていこうとするようなやつまでいたりする。
   で、山田信亮(のぶあき)・井上国博・齋藤裕子・秋山秀猷(ひでのり) 『初めて受けるインテリアコーディネーター試験 インテリア基礎編』(1989.9.1. オーム社)の「日本の建築様式―時代と特徴ー」を見ると、
古代(上代) 神明造り、 大社造り、 住吉造り
奈良時代   春日造り、 校倉造り
平安時代   寝殿造り
室町時代   書院造り
江戸時代   数寄屋造り(茶室)
・・・と出ていて、そして、「数寄屋造り(茶室)」の説明として、≪茶室趣味の建築様式で、丸太の肌や、土壁の持ち味などを生かして、風流・上品に洗練された表現をもつ造りをいいます。≫とあり、代表建築として、≪桂離宮や修学院離宮、また妙喜庵待庵などの茶室に見ることができます。≫と書かれている。 インテリアコーディネーターの学科試験に合格するためということなら、このレベルの理解でいいのかと思います。住宅展示場にいる営業さんも、せめて、この程度は言ってもらいたいとも思うのですが、もっとも、「数寄屋の家」とかいう名称の戸建住宅を建てている工務店とかで、はたして、土壁で施工しているかというと、たいてい、していないと思うのです。 モルタル壁ならいい方で、「防火サイディング」と称する窯業系サイディングで外壁を作っておいて、「数寄屋の家」と称しているとなると、どこが数寄屋なんだ? 杉の磨き丸太を玄関のポーチ柱に立てているからか。 それだけ? 屋根裏をケイ酸カルシウム板ではなく、木の板を貼っているからか。 それだけ? それだけで「数寄屋の家」とか言ってるの? とか追及されると困るから、あんまり正確に答えられない、ということもあるが、それよりも、本格的に「数寄屋」とは何ぞやと答えようすると、これはなかなか難しいようなのだ。 それに、「数寄屋造り」と「茶室」て、一緒かあ? ちょっと違うような気もするのだが、まあ、この本は、「とりあえず、インテリアコーディネーター試験の学科試験に通ればいいや」て本だから、試験に通るかどうかと関係ない部分はあんまりうるさく言ってもしかたがないと割り切って・・・・と言っても、やっぱり、「数寄屋」と「茶室」は同じではないような気がするのだが、しかし、まったく別でもない、となると、「数寄屋」と「茶室」はどういう関係にあるのか?
   森谷尅久他執筆・京都商工会議所編『改訂版 京都 観光文化検定 公式テキストブック』(2005.初版、2007.10.8.8版 淡交社)には、≪茶室のもつ自由闊達な建築手法を茶室に限らず取り入れた座敷や建物が建てられるようになり、江戸時代にはそれが数寄屋(すきや)と呼ばれた。 江戸初期に後水尾上皇の意図なんだ修学院離宮や、八条宮智仁親王・智忠親王親子が造営した桂離宮は数寄屋造の代表的事例である。≫と出ている。 「茶室」イコール「数寄屋」ではなく、「茶室」の手法を茶室に限らず取り入れた建物が「数寄屋」だと。

   で、とりあえず、横浜市中区本牧三之谷 の 三渓園の中に今は存在する「臨春閣(りんしゅんかく」が↓
画像

↑ 三渓園 臨春閣 第二屋。 ≪建築年:江戸時代 慶安2(1649)年/移築年:大正6年(1917)年≫≪重要文化財≫(三渓園 リーフレット による)
いいですねえ・・・・。



   「数寄屋とは?」というやつですが、ドイツ人建築家・ブルーノ=タウトさんが賞賛した桂離宮のような日本美の象徴的建築・・・・と言ってごまかそうとすると、これも困ったことに、ブルーノ=タウトさんは、『日本美の再発見』(篠田英雄訳。1939.6.28.第一刷。 1962.2.20.改訳版発行。 岩波新書)で、桂離宮は称賛されているのですが、やはり、数寄屋造りの代表建築とされる西本願寺飛雲閣はボロクソに言われているわけです。
   藤井正一・小原二郎編『インテリアコーディネーター ハンドブック 技術編』(1994.1.10.)を見ると、≪ 数寄屋といえば、草庵風茶室の意匠のみを取り入れたものと理解されがちだが、そうした自然素材を用いることは数寄屋造意匠の一面の表現に過ぎず、ましてや、「ワビ」「サビ」を重視した地味で静寂な空間が数寄屋造であると考えるのは誤りである。 逆に、派手でにぎにぎしく、ときには目がさめるような華美な「キレイサビ」の空間もあるという一面を忘れてはならない。 前者の代表が「桂離宮」であるとするならば、後者の代表は西本願寺飛雲閣や金沢城成巽閣(せいそんかく)である。 こうしたデザインの多様さがあるだけに、数寄屋造は意匠性に様式上の特質が認められるわけで、平面の構成や機能は原則的に書院造のそれを踏襲している。 ≫と出ている。
「ワビ」「サビ」を重視した静寂な空間・・・・桂離宮
派手でにぎにぎしく、ときには目がさめるような「キレイサビ」の空間・・・・西本願寺飛雲閣、金沢城成巽閣

   ところが、まだ、他の分類があるようなのです。 俵万智(たわら まち)・十文字美信(じゅうもんじ びしん)他『桂離宮』(1996.3.25.新潮社 とんぼの本)所収の俵 万智「桂離宮散策」に、
≪ こちら(修学院離宮)の庭を造った後水尾上皇は、桂離宮を造りはじめた智仁親王の甥であり、つまり桂離宮を完成させた智忠親王のいとこである人だ。 庭好きの一族だったのだなあと感心する。
   が、一歩庭園に足を踏み入れると、桂離宮とはまったく違った世界が広がっていて、「こういうのも、ありか」と驚いてしまった。 好対照、といってもいいぐらいだ。
   まず、広さは桂離宮の約八倍、十六万五千坪というから、ディズニーランド(約十四万坪)よりも広い。 門を入ると、「入った」というよりは「出た」という感じを受ける。 正面に修学院山という山がどーんと姿を見せ、その左手には比叡山が黒っぽい頭をのぞかせている。手前には田んぼが広がっていて素晴らしい開放感だ。 ・・・・
   周りの風景を抱き込んで、開放的な演出を見せる修学院離宮。 そこを訪れたことは、外界を遮断して、緻密な演出を見せる桂離宮の個性を、いっそう感じる結果となった。 ≫ と書かれている。
   木村宗慎(そうしん)監修・ペン編集部編『pen BOOKS 茶の湯デザイン』(2009.10.16.阪急コミュニケーションズ)にも、
≪ 桂離宮と修学院離宮。日本建築史上に名高い両離宮は、性質が正反対なのが面白い。 たとえるなら、テーマパークのごとく盛りだくさんで計算し尽くされた空間が桂離宮あるがままの自然に寄り添うように作られたのが修学院離宮、といったところか。 ≫と出ている。
「わび」「さび」(桂離宮、修学院離宮)⇔「きれいさび」(飛雲閣、成巽閣)
という対比とともに、
「開放的な演出」(修学院離宮)⇔「緻密な演出」(桂離宮)
という対比もあるようだ。 もっとも、桂離宮に私が訪問・見学した時の感想としては、桂離宮も、京都の周囲の山々を借景として≪周りの風景を抱き込んで≫成り立っていたように思ったのだけれども。

   さらに。 斎藤英俊「解説―桂離宮の御殿の意匠と技法」(斎藤英俊・穂積和夫『日本人はどのように建造物をつくってきたか10 桂離宮 日本建築の美しさの秘密』1993.8.31.草思社 所収)には、
≪  桂離宮の御殿のような建物は、一般には「数寄屋風書院」とか「数寄屋造り」などとよばれています。 しかし、私はこの名称を使わないことにしています。 その理由の一つは、この名称が使う人によって意味が異なり、言葉としての定義があいまいで混乱しているからです。  もう一つの理由は「数寄屋」は草庵茶室のことですので、名称は「草庵茶室の意匠を取り入れた書院」や「草庵茶室の影響を受けてつくられた書院」を意味していますが、後述するように、この種の建物は中世の草庵の要素を取り入れてつくられたと考えられるので、あたかも茶室と関係があるかのような名称は誤解を与えかねないからです。
   私は桂離宮の御殿のような建物は「草庵風書院」とよんでいます。 このような建物は、様式としては書院造りの範疇に入ることと、先のア~キの特徴〔ア.規模が小さく、つくりが瀟洒である イ.主要な部材にマツやスギなどが用いられ、ヒノキは使われない。また、竹が積極的に使用される ウ.木部に色付けをほどこす エ.丸太材や面皮材が化粧として用いられる オ.長押を省略することがある カ.色土壁が用いられる キ.起り(むくり)屋根とする 〕が草庵の要素を取り入れたものだからです。ここでいう草庵とは、中世の隠遁者が山里、あるいは人里離れた山中や海辺にかまえて住んだ簡素な家屋をさしています。 ・・・・≫と出ており、
家永三郎『日本文化史 第二版』(1982.3.23.岩波新書)には、
≪ 茶室よりもむしろ書院造の様式を踏襲したものであるが、同じように装飾的要素を徹底的にふり落とし、生活の場所としての機能性と力学的な構造美とのみに最大の力をそそいで造られたものに桂離宮がある。 その廻遊式庭園内に配置された建築のすぐれた意匠は、日本の文化財として世界にほこる独自の産物である。 ・・・(略)・・・ ここで、後水尾天皇の山荘として十七世紀後半に造られた修学院離宮が、洛北の山々を展望する、日本では珍しい雄大な景観をもつ庭園であり、これまた皇室の造営にかかるものであることが考えあわせられよう。・・・・≫ と出ている。
   中村修也 監修『よくわかる伝統文化の歴史2 茶道・香道・華道と水墨画 室町時代』(2006.11.17.淡交社)の「よりよくわかるための用語解説」を見ると、
≪ 数寄 すき
数寄という言葉は「好く」という言葉から発生して、物に対する執着心を意味した。 ロドリーゲスの『日本協会史』の中には、中世文化の中で、隠者たちの楽しみが数寄と称されていたが、しだいに茶の湯に限定されるようになった、とある。 戦国から江戸初期にかけては明確に茶の湯を指していた。 ≫ とあり、
≪ 草庵 そうあん
本来は藁葺・草葺の粗末な家のこと。 鎌倉時代には仏間・居間・世事の間の三室から構成されるのが一つの形式として成立した。 室町時代になると、洛中の市街地に粗末な竹作りの庵が作られ、「市中(しちゅう)の山居(さんきょ)」と称された。 こうした都市の中の山里風の庵が草庵と呼ばれ、数寄の建築として好まれ、茶の湯にも利用された。≫ と出ている。
   たしかに、慈照寺の東求堂のようなものを書院造だとして、桂離宮は、その書院造に茶室風のものが加わった茶室風の書院造りと考えるべきか、草庵風のものが加わった草庵風の書院造りと考えるべきか、というと、茶の湯に利用されることがあったとしても、現実の建物を見ると、茶室風の書院造というより、草庵風の書院造と見た方が適しているように思える。 臨春閣の場合は、三渓園で屋根を檜皮葺にしたそうで、もともとは瓦葺きだったそうで、檜皮葺になっているので、瓦の場合より草庵風の印象を受けるというところもあるかもしれませんが。
「草庵」+「茶室」=「数寄屋」
「草庵」+「書院」=「草庵風書院」・・・・桂離宮など
ということで、桂離宮のような建物は、「数寄屋」と呼ぶよりも、「草庵風書院」と呼ぶ方がふさわしい、ということでしょうか。
   こうなると、最初の藤井正一・小原二郎編『インテリアコーディネーター ハンドブック 技術編』(1994.1.10.)の「数寄屋造り(茶室)」という表現は、根本的に不正確ということか、となってきますし、これは専門書ではなく、あくまで、インテリアコーディネーターの1次試験(学科試験)に合格するための受験用テキストとして、あまり立ち入ったところまでの正確さはこだわらずにおおまかなところを述べたものだからということもあるかもしれないとしても、森谷尅久他執筆・京都商工会議所編『改訂版 京都 観光文化検定 公式テキストブック』(2005.初版、2007.10.8.8版 淡交社)に書かれている≪茶室のもつ自由闊達な建築手法を茶室に限らず取り入れた座敷や建物が建てられるようになり、江戸時代にはそれが数寄屋(すきや)と呼ばれた。≫という記述も不正確だということか、となってきます。 桂離宮・修学院離宮など「数寄屋」と呼ばれているものは、「茶室」の手法を多く取り入れたものというわけではなかったということか・・・。

  代表的建築としてあげられるものも、「数寄屋」の方では、桂離宮・修学院離宮・臨春閣、飛雲閣・成巽閣といったものであるのに対し、「茶室」となると、たとえば、木村宗慎(そうしん)監修・ペン編集部編『pen BOOKS 茶の湯デザイン』(2009.10.16.阪急コミュニケーションズ)に出ているものでは、有楽苑 如庵(織田有楽)・大徳寺 三玄院 篁庵(こうあん)(古田織部)・妙喜庵 待庵(千利休)・大徳寺 狐篷庵(こほうあん)忘筌(小堀遠州)・二条城黒書・大徳寺 狐篷庵 直入軒(小堀遠州)・大徳寺 聚光院 閑隠席(千利休)・表千家 不審菴(表千家4代 江岑〔こうしん〕)と桂離宮・修学院離宮。
   桂離宮・修学院離宮も「茶室」の方にも名前が出てはいますが、
「数寄屋」の代表建築として名前が出るのは、桂離宮・修学院離宮・臨春閣・飛雲閣・成巽閣
「茶室」の代表建築として名前が出るのは、妙喜庵 待庵(千利休)・大徳寺三玄院篁庵(古田織部)・大徳寺狐篷庵(こほうあん)忘筌(小堀遠州)・有楽苑 如庵(織田有楽)
と、メンバーが違います。

【2】-1 臨春閣(旧・紀州徳川家 巌出御殿)(1)
   横浜市の三渓園は、≪製糸・生糸貿易で財をなした横浜の実業家・原三渓(本名 富三郎)が、東京湾に面した“三之谷”と呼ばれる谷あいの地に造りあげた、広さ約175,000㎡(53、000坪)の日本庭園です。≫ ≪京都や鎌倉などから集められた17棟の歴史的建造物と四季折々の自然とがみごとに調和した景観が見どころとなっています。≫(三渓園 リーフレット)というもので、三渓園にある建物は、原 三渓(富三郎)が隠居所として自分が住むために建てた鶴翔閣や白雲邸といったものもあるものの、多くは他から移築されたもので、臨春閣も、最初から三渓園にあったのではなく、どこかから移築したもので、現地の説明書きには≪三渓園には大正6年(1917年)に移築されました。≫とあるのですが、どこからなのか。
   三渓園HPhttp://www.sankeien.or.jp/index.html  →「園内のご案内」http://www.sankeien.or.jp/guide/index.html →「臨春閣」http://www.sankeien.or.jp/kokenchiku/rinshunkaku.html と見ると、≪桃山時代に豊臣秀吉が建てた聚楽第の遺構と伝えられていましたが、現在では和歌山県岩出市にあった紀州徳川家の別荘 巌出御殿(いわでごてん)ではないかと考えられています。≫と書かれており、かつては、聚楽第の遺構ではないかと言われていたが、○○先生の研究の結果、和歌山県の紀の川のほとりに建っていた紀州徳川家の別荘の巌出御殿らしい、と考えられるようになったというのですが、自分が持って来たものを、どこから持って来たのかわからんかったんかい? というと、どうも、三渓園にある建物で歴史的建造物が移築されたというものは、一番最初に建てられた所から直接移築されたのではなく、すでにどこかに移築されたもの、あるいは、二度か三度移築されて最初に建てられた場所でない所にあったものを移築してきたというものがけっこうあるようなのです。 だから、臨春閣もそうなのかもしれません。
   ≪周りの風景を抱き込んで、開放的な演出を見せる修学院離宮≫、≪外界を遮断して、緻密な演出を見せる桂離宮≫と対比するなら、臨春閣はどうなのか、というと、それは、もともと、紀の川のそばにあったらしい臨春閣と三渓園で原三渓が存命中に存在した臨春閣がどうか、それに、今現在の臨春閣がどうか、は同じではないと思えます。 三渓園の建物は、多くの歴史的建造物を単に移すだけではなく、前にあった場所での存在状況を尊重しながらも、それを利用してそこに新たな庭園を作っているので、もとあった場所での性質とすべてが同じというわけではない。
画像

↑ 三渓園 臨春閣。 (右)第一屋。 (中)第二屋。 (左)第三屋。
第二屋と第三屋の間の渡り廊下は、三渓園で新たに作ったらしい。
紀の川沿いにあったというデショウを尊重して池のほとりに配置されているのですが、桂離宮のように3つの建物が雁行しているのですが、↑の写真で見るとすばらしいのですが、はたして、もともとの配置もこの雁行のしかただったのでしょうか。

   なお、今回の「三渓園 臨春閣(旧 紀州徳川家巌出御殿)(横浜市中区)訪問」のタイトルを「訪問」にしようか「見学」にしようか迷ったのですが、こういった歴史的建造物は見学して学習する以前に、まず、そこに行ってその場所での雰囲気を味わうことが第一で、見学・検討・学習はその後のものであると考え、「訪問」にしました。、

   次回http://tetsukenrumba.at.webry.info/201606/article_2.html 、 臨春閣について、実際の写真とともに述べます。
  (2016.6.11.)
 
☆ 三渓園 訪問4部作
1.「数寄屋」とは何ぞや [今回]
2.臨春閣 第一屋・第二屋 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201606/article_2.html
3.臨春閣 第三屋 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201606/article_3.html
4.聴秋閣・三渓記念館・三渓園天満宮他、「デザイナーズ住宅」とは? http://tetsukenrumba.at.webry.info/201606/article_4.html


☆「数寄屋建築」を考える
[第11回]やっぱり桂離宮はすばらしい!~私の好きな建築家〔1〕ブルーノ=タウト 〔引越掲載〕 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201101/article_13.html
[第113回](西本願寺)飛雲閣、ちょっとだけ~「数寄屋造」の建物(2)、及、金閣・銀閣について検討、少々、など http://tetsukenrumba.at.webry.info/201208/article_3.html
[第252回] 三渓園 臨春閣(旧・紀州藩 巌出御殿)1 数寄屋とは? 〔今回〕
[第253回] 三渓園 臨春閣(旧・紀州藩 巌出御殿)2 第一屋・第二屋 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201606/article_2.html
[第254回] 三渓園 臨春閣(旧・紀州藩 巌出御殿)3 第三屋 他 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201606/article_3.html


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