建築CAD検定2級3級合格体験記1-パソコン・CAD学習帖3 CADて何?学歴コンプレッスの経営者

[第217回]建築CAD検定2級・3級合格体験記≪1≫
【1】 建築CAD検定 の 2級 と 3級 に合格したよ♪
   聞いて、聞いて、聞いてえ。 2014年の10月の受験で、建築CAD検定の2級と3級に合格しました
  <(“○”)>  <(^●^)>   )^o^(   (#^.^#)   (*^_^*)
  すごいでしょお~お・・・・て、誰もすごいと思わんか?  別に自慢するものでもないし、自慢してもしかたがないのだけれども、一生懸命努力した結果、なんとか合格できました。
・・・・という文章を打ち込んで、この回のブログを完成させず、1年近く経ちました。 今1年近く前に打ち込んだ自分の文章を見ると、その時はそれだけうれしかったんだなあ・・と懐かしい思いすらしてきます。 そのことを、1年近く経って、多少、冷静になったところで、述べてみたい。

   1970年代後半に大阪府の北野高校を卒業した後、東京圏の大学に行くと、ある程度の進学校を卒業した人は東京の人間でも北野高校の名前を知っていたが、そうでない人は知らない人が多かった。「野球の強い学校でしょ」とか言う人があったが、どこからそんな話が出てきたのかというと、今はなくなったようだが、かつて、高校野球のセンバツ大会では、外野の壁に歴代の優勝校の名前が張り出されていて、「戦後のどさくさに紛れて」というのかどうかしらんが、今のように「野球名門校」「スポーツ専門校」といった学校がそれほどない時代に北野高校の野球部が1回だけ全国優勝していて、そこに名前があったのだ。 その掲示もなくなった後、東京圏では誰も知らない学校になっていたが、ここにきて、ウチワのみどり(松嶋みどり)とか、さらに、城崎温泉 野々村竜太郎とか、なんか、“ 有名人 ”が続々と出てきて・・・・、なんか、おもろいな・・・・(笑)。 で、城崎温泉の名誉のために言っておくが、竜太郎ちゃんがどうであるかにかかわらず、城崎温泉は何も悪くないからね。 志賀直哉の小説にも出てくる温泉地で、大阪から遠からず近からずの場所で、ともかく、城崎温泉が悪いんじゃないから、そこは誤解しないようにしておこうではないか・・・。
   何か月か前の「フライデー」に松嶋みどりさんの記事が出ていて、そこに、松嶋さんが東大に合格した時に、エール出版社から出ている『東大入試合格作戦』という本に合格体験記を書いていて、それを探し出したところ、そこには、「私は早稲田大学に不合格になってしまい、この時、絶対に東大に合格してこの早稲田大学という大学を軽蔑してやるんだと誓った」とかなんか、そういう人によっては腹立つかもしれんようなことがいっぱい書いてあったのだ。 小学校は大阪府の文教地区である豊中市でも学力レベルの高いなんとか小学校でオール5だったとかなんやら、だから何やねん、てことが、まあ、ある程度以上の年齢になってみると、おお、恥ずかしい~い・・てなことが書かれてあった。 だいたい、だ。 その地域で1番の高校に行くような人間は、小学校や中学校では、まあ、上の方の成績であった場合が多いし、それは松嶋さんに限ったことでもない。 「フライデ-」は『東大入試合格作戦』を引っ張り出して、「中学生の時に、東京大学が一番の大学だと知って私は絶対に東大に行くんだと誓った」とかなんとか、私は東大だという意識の塊みたいで、なんやら、自分が一番エライみたいに思いやがって、結局、ウチワでひっくり返ってんじゃねえかよお・・・てそんな感じで書いていたのだが、しかし、『東大入試合格作戦』なんてものは、だ。 他にも『京大入試合格作戦』『早慶入試合格作戦』『医学部入試合格作戦』とかあったように思うが、しょせんは、20歳前の青い時期に書いた未熟な文章であり、たしか、庄司薫が『バクの飼い主めざして』だったかで、昔の日記なんか見つけて読むと、ギャッと言ってひっくりかえりそうになると書いていたと思うが、そんなもんだ。 もしも、今も松嶋のおばさんがその当時とまったく同じなら恥ずかしい限りだが、20歳前の青臭い時期の未熟な人間の文章を探し出してきたとしても、もともとそんなもんだ・・・と思う。私は。
   それから、別に私は松嶋のおばさんの支持者でもなんでもないのだが、「フライデー」には、松嶋のおばさんが法務省にあらかじめあった庁用車と別に自分用にワゴン車を用意させたというのを自分勝手だみたいに書いていたが、松嶋のおばさんて、腰が悪いのと違うのか? だから、出入りが楽なワゴン車が欲しかったのではないのか。 写真なんか見ていても、姿勢を見ると、少々、腰が悪そうな感じがしないでもないのだが、それであらかじめ用意されている庁用車は乗り降りしにくかったのではないのか?  私は、松嶋のおばさんの支持者でもなんでもないが、「フライデー」のその記事は、あんまり、的確なところをついた記事でもないように思った。
(  ちなみに、松嶋のおばさんの似顔絵入りウチワを渡すと「利益供与」になるらしいが、「美しすぎる市議」とかが水着写真入りのチラシとかを配ったとすると、それは「利益供与」になるだろうか。 松嶋のおばさんの似顔絵入りウチワなんか別に要らんけど、「美しすぎる市議」の水着写真入りチラシなら欲しいような気もせんでもないが・・・・などと言っちゃ不謹慎か? しかし、松嶋みどりのおばさんの似顔絵入りウチワなんかよりええような・・・・・というより、丸川珠代がまだ30代だった時、街頭で、おっさんに「握手しましょ」と言って手を握ってまわっていて、おっさんは喜んでいたという記事がなんかの週刊誌に載っていたが、松嶋のおばさんの似顔絵入りウチワなんかより、そっちの方がよっぽど「利益供与」と違うんか、て感じがしないでもないが・・・、なんだかなあ・・・・・。 )
  それで。 20歳前の時期に頭狂大学でも通れば、「手の舞、足の踏む所を知らず」て感じにでもなって、ぼく、えらいでしょ~、て感じの文章でも書きたくなるかもしれんが、ええ歳になって、建築CAD検定に通ったとしても、「ああ、そう」てところでしかないのだが、CADをこれから学習しようという人には参考になるかもしれないと思うので、私が合格に至るまでの経緯をちょっくら書いてみようと思う。 これから受けよう、これから学習しようという人には、けっこう役に立つと思うよ。


【2】 CAD(キャド)というものが、地球上にあるのを知ったのは。
   1980年代の後半。 大学4年を2回やり、1回目の4年の時に来てくださいと言ってもらった会社がコンピュータのソフトウェアの会社だった。 コンピュータというのは、「ハード」と「ソフト」から成り立っている。「ハード」というのは、 コンピュータの機械そのもののことで、それにプログラミングされた「ソフト」が入ることでコンピュータは機能している。 だから、「コンピュータ、 ソフトなければ ただの箱」というようなことが言われて、ソフトウェアがそれだけ大事だと言われてきたのではあるけれども、それなら、ソフトウェアの会社、ソフトハウスの方が、「ハード」の会社より上位の立場にあるかというと、そうではない。 コンピュータの「ハード」の会社というのは、富士通・日立・日本電気、そして、I BM といった会社だが、ソフトハウスには、メーカー系・ユーザー系・独立系の3種があって、メーカー系というのは、富士通・日立・日電にそれぞれ、系列のソフトハウスがあるわけだ。 ユーザー系というのは、一般の会社(コンピューター以外の業界の会社)が自社のコンピュータを運営していくために、システムエンジニアとかプログラマーとかいった人を確保しておくのがユーザー系で、独立系はそのいずれでもない、コンピュータのシステムエンジニア・プログラマーを自社で確保して運営していくというもので、「独立系の方が様々な仕事をできる」といい、「独立系であってこその技術者集団」とか言ったりする会社もあったが、なんとかかんとか言ってみても、実際は、メーカー系・ユーザー系のソフトハウスがメーカー系・ユーザー系の仕事をする上で人が足らない時に呼んでもらえるメーカー系・ユーザー系の補完企業みたいになっている会社が多かったように思う。 ちなみに、日本で「システムエンジニア」と称している人たちの中には、欧米の基準では、あくまで「プログラマー」であってシステムエンジニアのレベルに達していない人が多いそうだ。日本ではそれを「システムエンジニア」と称している場合が多いらしい。
   それまで、コンピュータというものに特に関心もなかったのだが、3年以上遅れて、なかなか採用してもらえずにいた時に、ありがたいことにあるソフトウェアの会社から来てもらいたいと言ってもらい、しかも、その年は卒業しなかったのだが、卒業しなくてもいいから来てくださいと言ってもらい、大学4年に在学して週に2コマだけ授業に出ながら、人事総務部で勤務させてもらった。
   その時に、コンピュータとはどういうものか一通りのことを理解したいと思い、鵜沢昌和『コンピュータの知識 基礎編』(1977.5.22.日経文庫)・『コンピュータの知識 応用編』(1987.8.25.日経文庫)他、コンピュータに関する本を何冊か読んだ。 そこで、「CAM(キャム)」と「CAD(キャド)」というものが、最近は出てきた・・・ということを知った。 それが私が「CAD(キャド)」という言葉を知った最初だった。
   CAD とは、≪CAD(キャド、英: computer aided design)は、コンピュータ支援設計(直訳)とも呼ばれ、コンピュータを用いて設計をすること。あるいはコンピュータによる設計支援ツールのこと(CADシステム)。人の手によって行われていた設計作業をコンピュータによって支援し、効率を高めるという目的からきた言葉である。CADを「コンピュータを用いた製図システム」と解する場合は「英: Computer Assisted Drafting」、「英: Computer Assisted Drawing」を指し、同義として扱われることもある。≫(《ウィキペディア―CAD》https://ja.wikipedia.org/wiki/CAD )
   CAM とは、≪コンピュータ支援製造 (computer aided manufacturing) の略語。製品の製造を行うために、CADで作成された形状データを入力データとして、加工用のNCプログラム作成などの生産準備全般をコンピュータ上で行う為のシステムであり、出力されたデータは、CNC化された工作機械に送られて実際の加工が行われる。≫(《ウィキペディア―CAM》https://ja.wikipedia.org/wiki/CAM )
   ↑ この説明は間違いではないが、しかし、これだけでは何のことかよくわからないのではないかと思うが、要するに、手書きでなく、パソコンを使って作成してプリンタで印刷した図面がCAD(キャド)だ、というと荒っぽいかもしれないが、そういうものだ。


【3】 最初にCADの画面を見たのは
   1980年代後半。 新卒入社で、小堀住研(株)に入社し、大阪駅のすぐ南、地下鉄谷町線「東梅田」駅の上にあった本社での研修で、本社のCAD室を見学させてもらった。 その時、説明をしてくれた講師役の従業員が、「こうやって書いていくんです。簡単でしょお~お」と言った・・・・のだが、その後、何十年か経って自分でやってみると・・・、どこが簡単やねん、難しいやないか、無茶苦茶言うなあ~あ・・て感じだった。 簡単なのは、「相当にできる人にとって簡単」ということかもしれないが、これから学ぼうという者、学習途中の者にとって簡単かというと、話は別なのだ。
   手書きで図面を作成する場合には、一度、書いた線を消そうとすると、字消板を当てて消しゴムで消してもきっちりと消すのには苦労するし、書いて消して書いて消してを繰り返すと、だんだんと図面が汚くなっていき、悪くすると紙が破れることにもなりかねないのに対し、CADの場合は、消して書いて消して書いて・・というのを何度繰り返しても印刷するときれいな図面を印刷できるという点はあり、その点は簡単といえば簡単だが、CADを学習するのは、実際にやってみると「簡単でしょお~お」などというものではなかった。

   1990年前後、小堀住研(株)では、「設計」担当と「CAD」担当は別人だった。 「設計」が手書きで作成したものを「CAD」担当がCAD図面に変えていた。 その後、1990年代前半に入社した(株)一条工務店でも「設計」担当と「CAD」担当は別人で、「設計」担当が作成した手書きの図面を「CAD」担当がCAD図面に変えていた。2000年代前半になって、(株)一条工務店ではフィリピンにCADセンターを作ったが、国内の地域ごとに「設計」担当がいて、「設計」担当が図面を手書きで書き、フィリピンのCADセンターのフィリピン人がCADの図面に変える作業をするようになった。

   2000年代前半に同社を辞めた後、一条工務店における「設計」という職種の人間に対する過度の優遇と「営業」という職種の社内的地位の低さにうんざりして、他社に勤める場合でも、もともとが、商品開発か新規出店計画の仕事につく予定であったし、そうでなければ、一条工務店の最低でも過半数のヘボ設計よりは私の方が「設計力」は上だと思うので、へぼ設計の下働きのような扱いを受ける「営業」ではなく、「設計」の仕事をしたいと考えた。

   私は慶應義塾大学の商学部で労務管理論・労働法・労働経済学などを学び、又、マーケティングや経済学などを学んできた人間であり、同社に入社した時点においては語学の能力も同社の従業員のレベルから考えるならば間違いなく上の方であり、もともと、慶應に行こうと思って行ったわけではなく、高校卒業までは「文系科目」「理系科目」をまんべんなく学習してきた者なので、工学部・理工学部の建築学科を卒業して入社した者と比較しても、高校までの「理系科目」については劣らないはずで、「カネさえあればほぼ無試験で入れる私立の五流大学の建築学科卒」だということで「学校でてる」とふんぞりかえっているいる一条工務店の「設計」という職種の大部分の従業員よりも私の方が間違いなくはるかに上のはずだった。これを学んでくれとはっきりと指定してくれれば学びものにすることはできたはずであり、(株)一条工務店のような「中卒か高卒しかいない会社」においては、役立ててくれれば十分に役立ったはずである。
   前職で人事総務部の経験もあったので、入社した頃の同社の人事総務部といえば、社長Oの義理の弟のAの嫁はんが「総務の責任者」で他には「無能のお手本」みたいなY本というヌケ作に主任になるだけの貢献をしたわけでもないにもかかわらず「主任」という肩書をつけてやっていて、それ以外は事実上「一般職」扱いの女性社員だけという状態だったので、営業の経験を踏んだ上で「人事総務をやってくれ」と私に言えば、私は相当の実力を発揮することができたはずである。入社直後、社長の義理の弟の嫁はんが総務の「責任者」で、誰かの縁故らしいY本という無能の男が特に実績を残したわけでもないが「主任」という肩書をもらっていて、他は高卒の女性社員しかいないという状況を見て、「浜松地方の工務店」ならそんなものかもしれないが、「全国企業になりつつある会社」ではこれではだめで、私のように慶應クラスの大学の商学部・経営学部などで労務管理論・労働法・労働経済学などを学んできた者を、ひとり、人事総務部に配置することが必要であるはずだった。 ところが、その後も「浜松地方の地方工務店の人事総務」を一条工務店は頑固に続け、2002年、総務部長であった社長の親戚か?と思われる天野雅弘は、私に「アホか、人事や総務なんて、一族でもない者にやらせるわけがないだろうが。何、考えてんだ」と発言した。 「何、考えてんだ」は天野雅弘の方であろう。 「無能でもいい、一族であれば」の人事総務でよいのは浜松工務店である時代のことで、全国企業においてはそれではだめだろう・・・というのが私の認識であったし、森川英正『日本経営史』(日経文庫)などを見ても、日本の会社は、まず、明治維新までの商店においては、オーナーの一族でない者を「番頭」という立場につけて相当の権限を持たせかなり重要な判断・行為をさせており、明治維新後においては、「学識」のある者、大学の社会科学系学部出身者を採用して、一族でなくても相当上の役職につかせて腕を振るわせるということをやってきた。 慶應の理財科→経済学部・商学部というのはそういう「プロ経営者」を育成する学部だった。森川英正『日本経営史』(日経文庫)では、そういった一族でない「学識者」を採用して重要な役職につかせて活用した企業と一族の経営に固執した企業では、一族の経営に固執して「学識者」の活用を拒んだ企業は十分に発展しなかった例が多いことが指摘されている。 ところが、一条工務店のオーナー経営者一族としては、一族が中核に座り、その周囲を一族の友人で、さらにその周囲を友人の友人、そのさらに周囲を中卒か高卒の人間で固めて、「一流大学」卒の人間から守る防波堤にする・・という発想らしかった。「一流大学」卒の人間からの防波堤にするといっても、「一流大学」卒の従業員というのは敵ではないし、会社を乗っ取ろうとしたとかいうなら警戒されてもしかたがないが、そんなこと何もしていないし、会社のために滅私奉公を続けてきた者から守るための「防波堤」としておかしな人間を優遇するという発想は理解しがたかったが、そういう奇妙な発想をする経営者だった。 アホと違うか?!?と思ったし、それでは会社は発展しないのではないかとも思ったが、発展するかどうかよりも、一族⇒一族の友人⇒中卒・高卒⇒底辺の方の大学卒⇒「一流大学」卒 というように扱うという方針で会社を運営したいというのが一族の意思であり、それをやめなければならないくらいなら会社をつぶした方がマシという認識らしかった。 最初はわからなかったが、徐々にわかってきた。 一条工務店に入社2年目、けっこう古くからいる人で「慶應出た人間が一条工務店に長くいても、一条工務店はトップの学歴コンプレックスが甚だしいから、あんまりいいことないと思うよ」と言ってくれた人がいたが、その人が言ってくれたようになった。
    慶應の商学部にいた時に、「住友銀行とか野村證券とかは、給料も高いけれども、よう働かせよるぞお~お」とかいう話があったので・・・、そうかな? と思ったのですが、(株)一条工務店だって「よう働かせよる」けれども、給料高くないじゃねえかよお・・・。 それから、「外資系の会社は給料は高いが、そのかわり、福利厚生施設とかがない」という話があり、そうかな? と思ったのですが、小堀住研(株)に入社してそれをある先輩社員に話すと・・・、「(外資系じゃなくても)、うちだってないじゃねえかよお」と言われ・・・、そう言われればたしかに・・と思ったのです。その後、(株)一条工務店に勤めると、一条は小堀住研(株)よりさらに何もなかった。(その時点においては、創業20年弱の会社が創業40年少々の会社と比べて充実していない部分があってもしかたがないという面もあることはありましたが。)( 一条工務店の場合、「浜名湖にクルーザーを2艘、購入しました。従業員誰でも使ってもらうことができます」とか、「かなり全国企業」になってきてもおかまいなしの「浜松中心主義」「浜松優遇主義」「浜松優先主義」が頑固にあり、「箱根より東」の地域の多くの従業員は不快感を口にしていた。) さらに、「住友銀行とか野村證券とか物産・商事(三井物産・三菱商事)とか行ったら、まわりが、東大・京大・一橋とか慶應・早稲田とかの出身の人間ばかりだから、そういう人間ばかりの中での競争でやっていくというのは大変だぞお~お」とかいう話もあり、そうかな? と思ったのですが、一条工務店に勤めて、「一流大学」出身者というものに敵意を持っているような経営者の会社で勤めるのは、それ以上に大変ではないかと思うに至りました。 周りが東大・京大・一橋・慶應・早稲田といった大学の出身者ばかりという会社に勤めて「競争」すれば、「競争」に勝つこともあれば負けることもあるとしても、「学歴コンプレックスのかたまり」の経営者に苦労させられることから考えれば、勝っても負けてもその方がいいのではないのかと思うようになりました。
   入社2年目に、同社の営業本部長であったA野T夫が、インテリアコーディネーターの資格をとってくれと私に求めたので、会社の上役が取ってくれと言う以上は何としてもとらないといけないと思い、片方で営業の仕事をこなしながら、大変な思いをして取得した。 「転勤はありません」と求人広告に書かれた会社だったが、2年目に「慶應大学の出身の人ですから、他の人とは違っていろいろな場所の経験を積んでもらおうと思いまして」と言われて福島県いわき市の営業所に赴任し、東京圏など都市部とは異なる市場を経験し、その後、栃木県の営業所にも赴任したが、いわき市に行ってくれと言われた時には、慶應の商学部で学んできたマーケティング・経済学などの知識・認識と県民性・ニーズの異なる地域での実際の勤務経験とインテリアコーディネーターの資格を取得する過程で身につける建築・住宅・インテリアについての知識・技術と同社の従業員のレベルから考えれば間違いなく上の方の語学力とを合わせて商品開発や新規出店計画などの担当をしてもらおうということであろうと思い努力したが、次に栃木県の営業所に行ってくれと言われた時には、この会社はいつまで私に一線の営業をさせるんだ、私をまともに使う気があるのか、と疑問を感じ出した。 結論を言うと、慶應の先生で、「東大や慶應などの大学の卒業生ばっかりの会社よりも、慶應を出たような人間はなかなか採用できないというくらいの会社の方が、実力を発揮できる場があってよい」と言われることがあったので、「○○くんが応募した時には、うちの会社に慶應を出た人が来てくれるのかとびっくりした」と営業本部長のA野が入社直後に話した一条工務店なら、それに該当してよいかもしれないと思ったが、実際には「中学校しか出ていない営業本部長」には、慶應大を卒業したくらいの人間を採用してもまともに使うことができなかった、ということのようだ。 ヴィットリオ=デ=シーカ監督のイタリア映画『昨日・今日・明日』のミラノの話では、ロールスロイスのクルマをソフィア=ローレン演ずる金持ちの女がマルチェロ=マストロヤンニが演ずるツバメの男に運転させたところ、ぶつけてへこませ、そこに通りかかったクルマの年配の運転者にソフィア=ローレン演ずる金持ちの女が「ロールスロイスて、だめなクルマなんでしょうか」と言うと、年配の男が「いいえ、運転する人 しだいですよ」と答える場面があったが、一条工務店の「学歴コンプレックスの高卒の社長」「中学校しか出ていない営業本部長」には「東大や慶應出身の人間」をたとえ採用できても、ロールスロイスと一緒でまともに使うことができなかった、というのが結論のようだ。
※《ニコニコ動画―昨日・今日・明日》http://www.nicovideo.jp/watch/sm10398699


【4】 いつから、CADというものを、「CAD担当」ではなく、「設計」であったり、「設計兼営業」「設計兼営業兼工事担当」だったりが扱うようになったのだろう。
   (株)一条工務店を辞めた後、応募した会社の面接で、「CADは何を使えますか」と質問されたことがあった。 「何を」と言われても、CAD図面を作成してくださいと依頼することはしてきても、その頃まで、自分がCADを使うとは考えたこともなかった。 さらに、キッチンスペシャリストとインテリアコーディネーターいう資格を大変な思いをして取得したことでもあって、三田会のある方から、キッチン関係の会社を経営しているという女性を紹介してもらい会ったのだが、「図面は何で書くの?」「手書き?」と言うので、「はい」と言うと、「今どき、手書きの図面なんてえ。CADが使えなくて、建築業界に勤めようなんて、どうかしてんじゃないの」と約束の時刻に長時間遅刻してきた、「バカでも入れる美大」の建築学科卒の女に言われた。
   私は高校生の頃、首をもがれても経済学部・商学部・経営学部といった学部に行かされるのは嫌だと思っていた。そんな所に行かされるために小学校の1年から他の同級生が遊んでいる時でも雨ニモ負ケス風ニモ負ケス勉強してきたのではない、と思っていた・・が、父は「うちは工学部なんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言った。 「国立大学は工学部でも経済学部でも学費は一緒のはずだ」と言ったのだが、母は「何を勝手なこと言ってますの。落ちるかもしれないでしょ。落ちた時に私立に行く時には、工学部なら学費は高いでしょ」と言い、父は「会社のために犠牲になる。犠牲の精神。とってちってたあ~♪ 木口小平はちんでもラッパをはなちまちぇんでちたあ~あ! とってちってたあ~あ! 欲しがりません、勝つまでは!」とか毎日毎日私に言った。 幼稚園の時、ひとつ上とひとつ下のいとこが叔父の夫婦に連れられて正月に来て、帰りにおもちゃ箱に入っていた、私が1週間ほど前のクリスマスに幼稚園でもらってきたばかりの15の数字を合わせるゲームをもらって帰ると言い出した。 私だって、よその家に遊びに行った時、自分が持っていないおもちゃをよその子供が持っているということはあったが、そういう時に、それを欲しいなどと口にしたなら親からえらい怒られた。だから、よその家に行って自分が持っていないものをよその子が持っていても、だからといってそこでそれを欲しいなどとは絶対に口にしなかった。ところが、母は「それをあの子にあげなさい」「あの子たち、持ってないらしいから」と命令した。私は「それ、1週間前に幼稚園でもらったばかりだよ」と言った。私は幼稚園児が1週間前に幼稚園でもらったきたばかりのものを「それをあげなさい」という母の言うことが信じられなかった。母は「あの子たちは、あんたみたいにいろいろと買ってもらえない子なんだから」と言ったが、私は幼稚園の同級生や近所の子供と比べて、どう考えてもよその子よりもいろいろと買ってもらえている方ではなかった。 たとえば、近所にアイスクリームを売っている店があり、1960年代のその頃、10円のものと20円のものが売っていて、私は10円のアイスクリームは買ってもらえたが20円のものは一度も買ってもらえなかった。 10円のアイスクリームが悪いわけではないが、一度でいいから20円のアイスクリームを食べてみたいと思い、幼稚園や小学校の同級生も同じようなものだろうと思い、「一回、20円のを食べてみたいなあ」と言うと、「なんでやのん。僕、そんなの何回も食べたでえ」と言われた。 母と一緒に商店街に買い物に行くと、八百屋・果物屋に緑の色をしたマスカットが置かれていることがあり、種無しぶどう(デラウェア)や巨砲は買ってもらい食べたことがあったが、魅力的な緑色をしたマスカットを一度でいいから食べてみたいと思ったが、「いけません」と言われ、食べさせてもらえることはなかったが、幼稚園や小学校の同級生に言うと、「なんでえ。そんなん、何回でも食べたでえ~え」と言われた。幼稚園の同級生の家に遊びに行った時、お母さんが商店街に買い物に行くというので、その同級生と一緒に買い物についていったところ、お菓子屋で、その同級生が「あれ、欲しい」とオマケが入ったシスコーンの大きい方の箱をねだり、そのお母さんは同級生(自分の子)に1つと私にも1つ、オマケが入ったシスコーンの大きな箱を買ってくれた。しかし、私が自分の母に商店街に買い物についていった時、お菓子屋で同じことを言うと、「買ってあげよ」と言って、オマケの入っていない小さい箱のものを買おうとするので、「大きな箱のが欲しい」と言うと、「いけません」と言って、一番の目的であるオマケが入っていない小さい箱の方を買い、「買ってあげたでしょ」と言われた。 小学校の同級生で、その当時、4000円するゴジラとバラゴンのプラモデルを持っている人間が何人かいたが、私は買ってもらえなかった。 小学校の同級生で昆虫採集セットを買ってもらって持っていた者が何人かいたが我が家は買ってもらえなかった。 小学校の同級生の家に遊びに行くと、男の子の家には、どこの家にも野球盤があったが、唯一、我が家だけなかった。その当時、「モノポリ」というゲームがあって、ものすごく面白いと思ったが、男の子の家にも女の子の家にもどこの家に行っても「モノポリ」はあったが、唯一、我が家だけなかった。 こういったことは列挙しようとするときりがない。 いずれにせよ、よその家と比較すれば、どう考えても我が家はいろいろと買ってもらえる方の家ではなかったし、私はよその子よりもいろいろと買ってもらって来た子供ではなかった。幼稚園の同級生と比較して他の子が買ってもらえているものでも買ってもらえずに我慢してきた私よりもまだ買ってもらえないということは、そのいとこの2人というのは、よっぽど貧乏でよっぽどかわいそうな家庭の子供なんだとその時は思った。 ところが、1つ下のいとこが、京都工業繊維大学しか行けないくせに、工学部に行った。たしか土木学科と聞いたように思う。 私には父が「うちは、工学部に行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言ったのに、我が家よりも貧乏で極端にかわいそうな家庭の子であるはずの1つ下のいとこが京都工繊大しか行けないくせに工学部に行ったので、「どうして、◇◇は工学部に行かせてもらえるの?」と私は親に言ったのだが、すると、母は「あの子たちは、あんたと違って子供の頃から苦労してきた子だから、だから大学は行きたい所に行かせてもらえるのでしょ」と言った。 そうかな? どうも納得いかなかったが、たしかに住んでいる家は豪邸でも何でもないが叔父の家よりは我が家の方が大きな家に住んでいたが、だからと言って、よその子と比べて、あれ欲しいと言った時に買ってもらえるかどうかというと幼稚園・小学校の同級生と比較して私は買ってもらえないことが多かったはずだ。それでもしかたがないと我慢してきたはずだ。 買ってほしいというものを買ってもらえないと道で寝転んで泣きわめく子がいると、母は「みっともないでしょ。 あんな子は、今、我儘言って買ってもらえても、あんなことでは勉強もできないし、行きたい学校にも行けなくなるんだわ」と言ったはずだった。 さらに経って、落ち着いて考えてみると、「子供の頃」どうであったかというと、自分が幼稚園でクリスマスにもらってきて1週間しか経っていないものを「それをあの子にあげなさい」と取り上げられたのが私で、自分も幼稚園に行っていて私がもらったものと別のものであるが自分もクリスマスに自分が行っている幼稚園でクリスマスプレゼントをもらったにもかかわらず、自分がもらったものは自分のものにして、私がもらったものも取り上げて持って帰ったのはいとこの方だったはずだ。 ところが、大学に進学する時になると、私には「うちは工学部なんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな。とってちってたあ~あ!」と言いながら、私が幼稚園でもらって1週間ほどしか経たないものを「それ、もらって帰る」と言って持って帰ったヤツが京都工繊大しか行けない勉強しない甘ったれたできそこないのくせに、工学部に行かせてもらった。 私は日本で一番嫌いな大学の首をもがれても行かされたくない、そんな所に行かされるくらいなら学校は高校までで終わりにした方がよっぽどいいと思っていた大学の学部に強制的に行かされてしまった。 「撃ちてしやまん、一億火の玉。欲しがりません、勝つまでは。会社のために犠牲になれえ! とってちってたあ~あ! 木口小平はちんでもらっぱをはなちまちぇんでちああ~あ! ロスケどもをやっつけてや~る! とってちってたあ! ど~ん、が~ん、ど~ん、がらったちゃちゃちゃちゃちゃ~ん♪(⇒《YouTube-軍歌 軍艦マーチ("Gunkan māchi "~March "Man-of-War"~) RemakeVer. with Eng/Sub 》https://www.youtube.com/watch?v=iDcvlV0Lb8s )」と言われて。(パチンコ屋みたいな歌、歌いやがって、何やねん!) それで、嫌だ嫌だと思いながら、日本で一番嫌いな大学の首をもがれても行かされたくない学部を結果として卒業した。 卒業した以上、どこかに就職しなければならないので、何社が応募したが採用に至っていない時、慶應の就職部の掲示板に小堀住研(株)が追加募集の求人票を出していたので応募し、採用されて、その経緯で住宅の建築業界に入ることになった。
   そして、それから15年ほど後、カネのかかる私立の「バカでも入れる美大」の建築学科に最初から国立大学なんか入れるわけのない成績で入ったウルトラばか女から、「私なんか、最初から建築の仕事をしたいと思ったから美大の建築学科に行ったのよお~お。 そんなの商学部卒業して建築の業界で仕事したいなんて、どうかしてんじゃないのお」と超人的生意気な口をきかれるはめになってしまった。 「甘ったれるな!」と言ってやりたかったし、高校を卒業した年、東大を落ちてしまったところ、父と父の友人から「おまえみたいなもん、高校行ったの、余計じゃ! 甘ったれるな!」と何度も何度も言われたものだが、その基準からいけば、「バカでも入れる美大」に大威張りで行ったバカ女などは、間違いなく「小学校行ったの余計じゃ!」ということになるであろう。三田会の方が特に義務があるわけでも何でもないのに親切に紹介してくださった相手なので、そう言うわけにもいかず我慢してお説を拝聴してきたが、京大とか阪大とかの建築学科に行きたいと思ったなら、ある程度以上の難易度の大学の学部を受ける場合、受けたとして合格したかどうかというのは、これは、相手がある程度以上手ごわい以上は、「絶対に通る」など「絶対」などというものはありえないが、私の場合は狙えたはずで、その女みたいに「バカでも入れる私立の美大」などというものを受けるだの入学するだのということはとうてい考えられないことで、およそ、そんな所を受けるなどということは口にできるものではなかったのだが、慶應の商学部なんぞに行かされて建築業界に勤めた結果、「カネさえあればバカでも入れる私立の美大」にふんぞり返って行った女から、そういう口をきかれるはめになってしまった。 俺の人生はこういう人生だったのか、と思った。⇒《YouTube-Когда над Сибирью займётся заря Russian Folk Song 》(ロシア民謡 「流刑人の歌」)https://www.youtube.com/watch?v=RQzrBou5lZE&list=PLYy4Q6qgRS1iFeobjEY-IMg5rSlk3QB7j

   一条工務店の栃木県の佐野市の展示場に勤務した時、岩舟町の見込客で、ある住宅メーカーが手書きの図面を持ってきたといって、「手書きの図面なんて持ってきたんですよ。笑っちゃうよ」とかいう男がいたので、変なことを言う人だなと思ったことがあった。 佐野市は、市が力を入れて「ラーメンの街」を売り出しており、特に「青竹手打ちラーメン」が売りで、佐野展示場の近くにも、道路に面した窓を一面ガラス張りにして、「青竹手打ち」の作業が見えるようにしている店があったりしたのだが、ラーメンなら「手打ち」を「売り」にして、住宅の図面はなんで「機械打ち」がありがたいのか? けったいなおっさんやな! と思ったのだ。
   結論を言うと「CAD(キャド)」とは文房具であり、その文房具を使ってすぐれた図面が作れるのならその文房具を使えばよいし、そうではなく、シャープペンシルを使って手書きで描いて良い図面が作成できるのならそれでも良いのだ。 あるいは、CADで作成した方がきれいにできる部分はCADで作成し、手書きの方が良いものができるというケースにおいては手書きで描けば良いのだ。 ところが、そのあたりを理解せず、住宅の図面においては「機械打ち」を内容空虚なヘボ図面でも無条件にありがたがって、「手打ち」の図面を軽視するのは愚かなのだが、愚かな人間が栃木県南部には時々いた。 (ラーメンだって「機械打ち」でいいものができるなら、「機械打ち」で悪いことないんだよ。 チキンラーメン好きだし♪ ⇒《YouTube-1986年CM 日清食品 チキンラーメン 「すぐおいしい、すごくおいしい」篇 南伸坊  》https://www.youtube.com/watch?v=u2w4OGU4vls

   自分の方が頼まれる側であったとはいえ、長時間の遅刻をしてきた上で「バカでも入れる美大」に行ってそれを自慢にする女にはむかついたけれども、その前に述べた面接で「CAD(キャド)は何が使えますか」と質問された会社のことも合わせ考え、私が小堀住研(株)に入社した1980年代後半においては、「設計」をする人間と「CAD(キャド)」をする人間は別の人間で、いわば、手書きで文章を作成する人間がいて、それをタイプライターで活字にする人間が別にいたような状態だったのが、文章を考える人間が最初から「Microsoft Word(マイクロソフト ワード)」で文章を打ち込んでいく方が普通になってきたのと同様に、図面を考える人間が自分でCAD(キャド)を使うことが多い時代に変わってきていると思えたことから、CAD(キャド)を学習することを考えるようになった。 小堀住研(株)に入社した1年目に営業課長から教えてもらったフリーハンドにより定規を使用した図面より優れた図面の作成方法に、インテリアコーディネーターの2次試験の際に家具の配置と合わせて書いていく方法、キッチンスペシャリストの製図試験の際にフリーハンドで描いていく方法などやハウジングエージェンシーの講習を自主的に受けて学んだフリーハンドパースの作成など、それまでに苦労して努力して学び工夫して身につけてきた手書きによる図面作製法はありは何だったんだ、という気もした、営業としてハードな事をこなしながらが「I D野球式勉強法」「弱者の戦術」でインテリアコーディネーターの2次の製図試験、キッチンスペシャリストの製図試験を切り抜けてきたのにとも思ったが、CAD(キャド)ができるかどうかで建築業界では評価が変わるのなら習得しようと考えた。 「バカでも入れる美大」の建築学科に行ったというのを自慢にする女には相当むかついたけれども。実際のところ、ウエスタンラリアートでもお見舞いしたろか、というくらいの気持ちだったが。(⇒《YouTube-不沈艦 スタン・ハンセン Part1》https://www.youtube.com/watch?v=OFJS2_bhwug


【5】 CADの資格としてどういうものがあるか。
   たとえば、「ワード」とか「エクセル」とかを学ぼうと思えば、パソコンを買うとたいてい最初からパソコンに「ワード」「エクセル」というソフトは入っています。 「パワーポイント」とかになると、パソコンによって最初から入っているパソコンと最初は入っていないパソコンがあります。 入っていないパソコンの場合、「パワーポイント」のソフトを電気店などで購入してインストールすれば使えるようになります。私が使っているパソコンには入ってなかったのでヤマダ電機で購入しました。 何万円というくらいの額だったと思います。
   CAD(キャド)のソフトが最初から入っているパソコンはあまりないので、CAD(キャド)のソフトを別に手に入れる必要があります。 CADのソフトはどこで手に入れればよいでしょうか。 「CAD(キャド)」とは「CAD(キャド)」という名称のソフトがあるのでしょうか。 まず、そこから始まりました。
   学習するにはどうやって学習するべきでしょうか。 とりあえず、CAD(キャド)についての資格試験があれば、それに合格するように勉強すれば、ある程度のレベルに達するのではないか、ということを考えました。

   建築に関するCADの資格試験、検定試験としてどういうものがあるか。 邑(むら)ネットワーク編『コンピュータの資格・取り方全ガイド』(2004.2.10.成美堂出版)を見ると、まあ、いっぱいあるわ、あるわ、コンピュータ関連の資格・検定が。
   国家資格とか公的資格があれば、できればそちらの方がいいと考えました。 なぜなら、国家資格であろうが民間資格であろうが価値があるものは価値があり、価値がないものは価値がない・・はずなのだが、その資格を取得して、どこかの会社に応募しよう、何かの仕事にありつこうと考えた際、あるいは、勤めた後に、私はこういう資格を取得してますからこういうことができますよお~お、とアピールしようと考えた時、国家資格なら価値があるが民間資格なら価値はないと決めつけているおっさんというのが世の中にはいるからだ。 就職の面接で会った時、「こいつ、何言うとんねん、アホちゃうか」と思うことはあるが、面接の場で応募する側がそう言うわけにもいかない。 だから、馬鹿げているといえば馬鹿げているのだが、もし、国家資格かそれに準ずるようなものがあれば、その方が良いと考えた。
   但し、国家資格と言う場合、建築士とか宅地建物取引主任者(→宅地建物取引士)とかは、この資格を持っていなければこういう仕事はしてはいけませんよお、この資格を持っておればこの仕事をしてもよろしいよ、というものが法律で定められているが、コンピュータ関連については、「資格」といっても能力認定資格、この人はこの分野について、このくらいの能力があると考えられますよ、という能力認定で、能力認定の「資格」については、一般に民間資格が多く国家資格は少ない。
   もっとも、それまで、「国家資格」であってそうであるから取得しようと思って取得したインテリアコーディネーターが小泉行政改革の時であったと思うが、民間資格に「格下げ」された。 インテリアコーディネーターは国家資格だったのに民間資格に格下げされたが、一方で、英語検定は英語検定協会(実質、旺文社)がおこなっていた民間資格だったのが、国家資格に「格上げ」された。 国家資格であった時にインテリアコーディネーターを取得した以上は、その時期に取得した者は国家資格扱いしてもよさそうな気もするが、取得後にその資格が民間資格に「格下げ」されると国家資格の時に取得した者も民間資格扱いになってしまう。 だから、取得した時にどうであっても、取得後に変わる可能性もある。

   コンピュータの資格についてどういうものがあるかというと、
1. 全国建築CAD連盟 が実施している 「建築CAD検定」http://www.aacl.gr.jp/ 
2. コンピュータソフトウェア協会 が実施している 「CAD利用技術者試験」http://www.acsp.jp/cad/ 
3. 中央職業能力開発協会 技能検定部 実施 「CADトレース技能審査」(厚生労働省認定)http://www.javada.or.jp/jigyou/gino/sinsa_cad/cad.html
4. コンピュータキャリア教育振興会 「CAD実務キャリア認定制度」http://www.gec.or.jp/career/
5. エーアントデー(株) 「Vector Works 操作技能保持者認定試験」http://www.aanda.co.jp/exam/
の5つと、
6. 全国建築CAD連盟 「建築CADデザイナー資格認定試験」
7. 全日本情報学習振興協会 「パソコン技能検定CAD試験」
が邑(むら)ネットワーク編『コンピュータの資格・取り方全ガイド』(2004.2.10.成美堂出版)には出ています。
  「CADトレース技能審査」は厚生労働省認定なので、国家資格ということではないが、国家資格に準ずるものということで、「公的資格」と同書では分類し、それ以外の6つは「民間資格」と分類しています。
  「建築CADデザイナー資格認定試験」は、建築CAD検定と同じ全国建築CAD連盟が実施の試験ですが、今、全国建築CAD連盟のホームページを見ても、《建築CADデザイナー資格認定試験の認定証更新・再発行手続きについて 》http://www.aacl.gr.jp/14ninteisho03.html という頁はありますが、受験要綱とかは見つからず、建築CAD検定のホームページのトップページhttp://www.aacl.gr.jp/ の「認定証の発行」のところに、≪建築CADデザイナー資格認定試験 (2006年度をもって終了)≫と出ていますので、邑(むら)ネットワーク編『コンピュータの資格・取り方全ガイド』(成美堂)が発行された2004年2月には実施されていて、2006年度までに合格した人について認定はされるが、現在は試験は実施されていないようです。
  「パソコン技能検定CAD試験」は全日本情報学習振興協会http://www.joho-gakushu.or.jp/approval/ のホームページはあって、いくつかの試験を今も実施しているようですが、「検定案内」に出ている検定試験の項目に「パソコン技能検定CAD試験」は見当たらないので、これも、2004年2月の時点では実施されていたが、現在は実施されていないということかもしれません。

   この邑(むら)ネットワーク編『コンピュータの資格・取り方全ガイド』(2004.成美堂)を見て、世の中にはCADをマスターして、それを建築の分野で生かすか機械の分野で生かすかどちらの方面に進もうかという人もいるでしょうけれども、私の場合は、建築の業界で仕事をしてきてCADを学習した方が良いのではないかと考えるに至ったという人間なので、建築に特化した試験である建築CAD検定がよいのではないかな・・。そうでなければ、CAD利用技術者試験かな・・・、というようなことを考え、その上で、この2つについて、ガイドブックをインターネットで取り寄せて読み出しましたが、ガイドブックを見ても・・・・・、なんか、ようわからん・・・・・てところで悪戦苦闘が始まったのです。 建築CAD検定2級・3級合格体験記は、(結果として)6部作になりましたが、そのあたりを次回、≪2≫http://tetsukenrumba.at.webry.info/201511/article_2.html で述べます。 おつきあいください。
    (2015.11.10.)

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