ヴォーリズ「大阪医科大学別館(大阪医科大学歴史資料館)」(大阪府高槻市)見学

[第214回] ヴォーリズさんの建築[5]
   今は昔、1970年代、大阪府高槻市の阪急京都線「高槻市」駅の北側、その当時は国鉄だった東海道線(最近、「JR京都線」などと並行して走る阪急京都線に対抗したような「愛称」を名乗りだしたようですが、生まれた時から、京阪は京阪本線、阪急は京都線、国鉄は「東海道本線」と小学校の4年の時の「社会科」で学習して、そう認識してきた者としては、JRは「東海道線」、もしくは「東海道本線」)の線路のすぐそばに、YMCA予備校高槻校というのがあって、「京大東大文系クラス」というどう考えても内容が名称にともなわないクラスがあって、そこにしばらく通った際、隣りというのか斜め向かいというのかに大阪医大とその附属病院があったのを認識していました。
  ある時、YMCA予備校を出てすぐの所で、大阪医大の学生らしいおねえさん(といっても、こちらも高校生ではなく浪人生ですから、もしも、「おねえさん」が1年生なら同じ歳だったのですが)が、大学祭の案内を配っていたことがあったものの、浪人生としては、そんな大学の大学祭なんて知ったことか・・・、そんなもの相手にしている余裕はないわい・・て感じで受け取らなかったのですが、今から考えれば、そんな冷たいことせずに、せっかく大学祭へ来場を誘ってくれているのだから、案内のチラシくらい受け取ればよかったように思います。 それがきっかけとなって、「おねえさん」と恋が芽生えた・・・かどうかはわからんけど・・・・せっかく、案内のチラシを配ってくれているんだから、受け取るくらい受け取ればいいのにね・・・・。

   で、その大阪医大(大阪医科大学)という私立の医科大の敷地の南東の隅に、ウィリアム=メレル=ヴォーリズが設計した建物が「大阪医大歴史資料館」として今も存在している、ということを山形政昭監修『ヴォーリズ建築の100年』(2008.2.10.創元社)の「ヴォーリズ建築主要作品リスト」の「学校建築」の所に出ていました。 そこには、「竣工年 1930年(昭和5年)」「現名称 大阪医科大学歴史資料館」「旧名称 旧別館」「登録有形文化財」「所在地 大阪府高槻市大学町」と出ていますが、同書には写真などの掲載はありません。
   ヴォーリズ設計の建物としては、関学はヴォーリズが構想を練って設計をした建物が今も存在し、その周囲に新たに作られた建物も一粒社ヴォーリズ設計事務所の設計によるもので、ひとつひとつの建物の美しさとともに全体の構成を考えて作られている全体の美しさがありますが、大阪医大の場合は1棟だけ、ヴォーリズが設計して建てられたのかと思っていたら、そうではなく、大阪医大が作られる時には、全体をヴォーリズが構想を練って設計して建てたものの、その後、建て替えられて別の建物になるものが続き、今現在では1棟だけが残り、それを「大阪医科大学歴史資料館」として残し、希望者には内部も公開しているようです。
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最寄り駅は、阪急京都線「高槻市」駅です。 JR東海道本線の線路からも大阪医大はすぐそばですが、線路がすぐそばだからといって駅がすぐそばというわけでもなく、JR「高槻」駅からも行けないことはないけれども、阪急「高槻市」駅よりは遠い。
  《大阪医科大学歴史資料館 利用案内》http://office.osaka-med.ac.jp/trad/guide/ には、≪※見学を希望される場合は、事前に大阪医科大学歴史資料館(072-684-6738)まで連絡をお願いいたします。≫と出ており、今回、電話で連絡の上、見学させていただきましたが、それは内部のことで、外部、特に南面・西面については、南側は公道ですから、道路からも見えるわけです。↓
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  その道路の南側には阪急京都線が走っており、阪急の電車の窓からも、気をつけて見ておれば、一瞬、見えます。  「気をつけて見ておれば」というのは、京都の東寺の五重塔は、最近では背の高い建物が多くなって見えにくくなってきましたが、かつては、新幹線に乗って京都駅に近づいてスピードが遅くなった頃、窓から外を見ておれば、特に気をつけて見ていなくても五重塔が見えるのにたいていの人間は気づいたと思うのですが、ヴォーリズ設計の「大阪医大 歴史資料館」は、そこにあるのを知らずに、ただ、窓から外を見ていたならば、気づかない可能性が十分にあります。 私も、阪急京都線には何回も乗ってきたのですが、建築とヴォーリズに関心を持つようになり、山形政昭監修『ヴォーリズ建築の100年』(2008.2.10.創元社)で、そこにあることを知るまでは、気づきませんでした。
  私は「単なる観光客」ではない。では、いったい、何さま か? というと、「建築探偵団」である♪⇒《YouTube―◆少年探偵団(ひばり児童合唱団) 歌唱:亀太郎》https://www.youtube.com/watch?v=SNdkgi50p_o
泣く子も黙・・らないけれども・・・。 ましてや、おばさん なんて黙るわけがない・・・・。 さらに、「ヴォーリズ建築研究家」である。嘘じゃないぞ・・・。このブログでもヴォーリズの建築について、今までもいくつか公開している・・・が、「◇◇大学建築学科教授」とかいう役職についているわけではない。 「いっきゅうけんちくしい~い」と言えば人は「言うことをきく」と思っているアホが建築学科を卒業した人間には少なくない。そういうアホではない。 資格は取得すればよいが、それを出せば人は「言うことをきく」と思いこむヤツは愚かである・・・が、それが愚かだとわからんアホが建築学科卒の人間には多い・・・。
   それで、あらかじめ電話でお願いすると見学させてもらえるというので、電話でお願いした上、見学させてもらったのだが、「◇◇大学建築学科教授」とかでないと見学させないという規定は別にないらしい。 だから、「ヴォーリズ建築研究家」「建築探偵団」でも見学させてもらうことができた・・が、総務課の方がわざわざ時間をとってくださって説明までしていただいたのは、特別に「エライ人」でもない者としては、少々申し訳なかった。
   私はこれまで知らなかったのですが、総務課の方から教えてもらった話では、大阪医大の創設者は「クリスチャン」だったらしい。その縁もあってか、ウィリアム=メレル=ヴォーリズに高槻市の現校地での設計が依頼されたらしく、当初の校地は現在の大学敷地の南半分くらいだったらしく、そこにどのように校舎や病棟を配置するかといったところからヴォーリズは考案したようで、その案も展示されていた。
   イスラム教のモスクやロシアの正教会でしばしば見るまあるいホイップクリームをたらしたようなやつ・・といってわかってもらえるかどうか・・・・↓
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↑ 写真はクリックすると大きくなるので、ぜひ大きくして見てください。 この写真に見える「玄関の上に乗っかってる曲線状のやつ」と言ってわかってもらえるか・・がこの大阪医大歴史資料館の建物にもあるというのは、イスラム圏で医学が発達したということで、医大の建物である大阪医大の旧別館(歴史資料館)にこの「オブジェ」というのかがついているらしい。
  大阪医科大学のホームページの「歴史と沿革」 http://www.osaka-med.ac.jp/others/rekishi/index.html を読むと、≪これらの建築はヴォーリズの設計によるもので、サラセン様式のアーチアラベスク装飾などを施した個性的な意匠が、当時の人々の目を惹きました。 この竣工当時「別館」と称されていた建物は「附属看護専門学校」の校舎として利用され、2003年に高槻市では初めて、国の有形文化財として登録されています。現在復元改修し、内部に「歴史資料館」を設置して公開しています。この「歴史資料館別館」は、当時の日本建築の中でも最先端のモダンな学舎群の中のひとつで、・・・≫と出ていますが、言われてみると、なるほど・・・という気がしてきます・・・。
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↑ どうも、最近、「右に90度回転」させた写真がうまくアップロードできません。申し訳ないけれども、よっこいしょ・・と「右に90度回転」させたものを想定して考えてください。
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↑ 屋根のパラペットもおしゃれです。 ワンパターンな屋根しかできないフリーダムアーキテクツデザインの自称「設計士(さま)」に見せてやりたい・・気もするが、見に行かないでしょうね。アホは。 「歴史的建築」「有名建築」や他社建築を見学に足を運ぼうという努力をしない人間だから、「ワンパターン」「単細胞」なデザインしかできないのです。フリーダムアーキテクツデザイン(株)http://www.freedom.co.jp/ の未熟で傲慢で青臭いセンスの悪い自称「設計士(さま)」は。そういう学習の努力をしないからセンスも向上しないのです。
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↑ 玄関部。
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↑ これも、よっこいしょと「右に90度回転」させたものを想定して考えてください。
↑ 壁面のタイルの貼り方にも工夫があります。 私がタイルの貼り方に関心を持つようになったのは、前川國男設計の東京都美術館と熊本県立美術館で、何気なしに貼られているように見えて、実は同じ色ではなくわずかに異なる色のものが貼られていたり、又、ところどころに「穴あきタイル」が貼られていたりして、それが全体の印象に影響を与えているのに気づき、そう思って前川國男設計の他の建物も見ると、東大の本郷の山上会館でも「穴あきタイル」があり、前川國男という人はこの「穴あきタイル」がずいぶんと好きなんだなと思って、さすがにここではないだろう・・と思って紀伊国屋書店新宿本店に行って見ると、そこにも「穴あきタイル」があったのに感動した・・・。 さらに、全体としてはあまり良いと思わないけれども、磯崎新 設計という つくばセンタービルの壁面を見ていたところ、どういう性質のものなのかよくわかりませんが、つくばセンタービルの壁面のタイルは、光の当たり具合で見え方が変わるのです。 これは御茶ノ水スクエアA館でも見られます。 この前川國男の東京都美術館や熊本県立美術館、磯崎新の つくばセンタービル のタイルで関心を持って以来、建物の壁面のタイルの貼り方が気になるようになったのです。 岐阜県高山市の高山市役所の壁面のタイルも何色か組み合わせて貼ることで複層的な印象を出しています。 そして、↑のように、ここ大阪医大歴史資料館の壁面のタイルも、貼る作業をする人はけっこう大変かもしれませんが、なかなか素敵です。

  さて、内部ですが・・・・、ありましたよ、これ↓
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↑ 山形政昭監修『ヴォーリズ建築の100年』(2008.2.10.創元社)に所収の 阿川佐和子「ヴォーリズの恩恵」に、東洋英和女学院の校舎の話が出ています。 
≪ 「私たちはあの校舎の第一期生なんですよ。 ・・・で、新しい校舎に移って私たちが最初にやったこと、おわかりになる?」
そう聞かれ、私は首を傾げた。さあ・・・・・。
「階段の手すりを滑り降りたの」
私は思わず吹き出した。 目の前にお立ちの、おそらく七十代半ばほどとお見え受けするこの品のいいご婦人の口から、まさかそんな言葉が発せられるとは思いもよらなかった。
「まあ、先輩もそんなことを?」
「ええ、もちろん。 だってあの階段の手すりはとても滑り心地がよかったんですもの。 幅が広くてなだらかで、そのうえ、最後の降り口に手すり止めがついていないから、ストンと床に降りられるの」
  セーラー服のスカートをひらめかせ、大股あけてキャアキャアはしゃいでいらした姿が目に浮かぶようだ。・・・
 私はそのとき気がついた。 東洋英和の生徒であったなら、誰しも一度は階段を滑り降りた経験があるはずだろうけれど、その歴史が校舎設立当初から始まっていたとは驚いた。 ヴォーリズが作った手すりはいったいどれほどの数の生徒のお尻を滑らせてきたことであろう。 あの手すりの黒光りは、移りゆく代々の生徒たちのお尻によって輝き続けてきたのである。・・・・≫
  山形政昭監修『ヴォーリズ建築の100年』(2008.2.10.創元社)に所収の 阿川佐和子「ヴォーリズの恩恵」に掲載されている東洋英和女学院の階段の手すりと似た手すりがここにもありました・・・・が、ここは女子校ではないので、女の子たちのお尻によって手すりが磨かれることはなかったでしょう。 又、山形政昭監修『ヴォーリズ建築の100年』(2008.2.10.創元社)に掲載されている東洋英和女学院の階段の手すりは≪最後の降り口に手すり止めがついていないから、ストンと床に降りられる≫ようになっていたようですが、大阪医大の歴史資料館の1階から2階への部分の手すりの1階側は↑のように少々曲がっており、≪ストンと床に降りられる≫というわけにはいかないようです。
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↑ 上の方で外観の写真で見られた窓の室内側はこうなっています。 特別おどろおどろしいものではないが、安心感があり、落ち着いており、親しみがもてて、魅力の感じられる・・というところがヴォーリズの建築の特徴ではないでしょうか。それは外観の方もそうなら、室内側でもそれが見られるように思います。

   大阪医大の歴史資料館は、現地の案内書きには、
≪ 国登録有形文化財(平成15年7月1日登録)
大阪医科大学別館
設計者 ウィリアム・メレル・ヴォーリズ 
(1980~1964年、米国カンザス州生まれ)
別館は医学生の講堂・講義室として昭和5年(1930年)竣工より昭和49年(1974年)まで使用され、その後、建物を改造して看護学教育の場として平成17年(2005年)まで永年に亘り医学・看護学教育に供された。
この建物を利用・維持・保存するため平成18年(2006年)6月1日別館内に「大阪医科大学歴史資料館」を設置した。≫
と出ています。 私がローニン生としてこの西のあたりを通行した1970年代後半は≪看護学教育の場として≫使用されていた時期で、まだ、「歴史資料館」とはなっていなかったようです。
  最初に作られた時から、ずっと同じ用途で使われてきたわけではないので、内部は改築された部分もあるようですが、ヴォーリズらしいと思われるものは見えます。
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↑ この階段教室(講堂)は、医科大であるため、教員が前でおこなう実習を上の方(後ろの方)の席からでも見やすいように、一般の階段教室より急な勾配で作られているそうです。
(⇒「大阪医大HP 歴史資料館について フロアガイド 1階」http://office.osaka-med.ac.jp/trad/about/floor.html )

   総務課の方に教えていただいた話では、国登録有形文化財と指定されているのは、建物の南面と西面らしく、全体が指定されているということではないそうですが、全体として、ヴォーリズらしい落ち着いた・親しみやすい、そして、「優しい建物」という印象を受けることができます。

   エレベーターも設置されており、又、「トグル式制振装置」か?と思われる耐震補強もされており、ヴォーリズが設計して建てられた時そのままではない部分も見受けられますが、今も使用・活用されている建物、「現役の建物」として見ることができます。

   背面(北面)を見ると↓
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↑ ヴォーリズが設計して最初に建てられた時からのものではなく、後に設置されたものなのかもしれませんが、配管の覆いも全体のイメージを損なわないように考慮されています。 配管があると、それは「見栄えを損なうもの」ととらえるのではなく、むしろ、それをデザイン化するか、もしくは覆いを設けることで覆いにデザインを考えることもできるわけで、そのあたりの配慮がされているあたりは、「建築家の建物」だけのことはあります。 配管などは北面などに配置して隣地との間で見えにくい場所だからいいでしょ・・みたいな対応しかしないハウスメーカーの設計や営業は再考した方がいいかもしれません・・・・・と現地では思ったのですが。
   しかし、撮影してきた写真をここで見ると、ヴォーリズが設計して最初に建てた頃にはなかったのであろうエアコンの室外機であるとか、電気の配線であるとか、今はこの後ろに別の建物があってこちらの面はそれほど常に人から見られる側ではないということでか、意匠面の配慮は十分にはなされていないように思えます。 国の有形登録文化財としての指定も南面と西面であって北面は指定されていないそうですが、たしかに、北面は窓にしても、南面などで見られるものと異なり、1970年代あたりに普通に使用されていた銀色というのかアルミ色のサッシが使われていたり、おそらく、最初の建築時のものと異なるものが、特に配慮なくそこに使用されたのかと思われるところがあります。たとえば、東寄りの北面に玄関がある前川國男設計の東京文化会館では西側にエアコンの室外機などが配置されていますが、室外機の外側に意匠も考えた柵が設けられてその面は他の面とは異なった顔が見えますし、丹下健三設計という東大の本郷キャンパス本部棟では北側にダクトなどがでていますが、ダクト自体がひとつの意匠になるような配慮があります。 この北面については、特別に高いものを使用しなくても、それまでのものと調和するものを考えて使用するということができなかったのかと思います。 ハウスメーカーの設計担当者(及び、営業担当者)には、道路側の外観は考えても、背面の外観は考えないという人がけっこう多いのですが、実際のところ、戸建住宅で隣地と1メートルも空いていないというような場所で意匠に凝ってもしかたがないという場合もあるかもしれませんが、しかし、「道路側でない北側はぶさいくでもよい」という認識が基本ではないはずです。
  西宮市上ヶ原の関学の建物は、最初にヴォーリズが設計して建てられた建物群の周囲に必要性から新たに別の建物が建てられて現在の状態になっているのですが、周囲に新たに建てられた建物も一粒社ヴォーリズ設計事務所が設計したもので、既存のヴォーリズの建物と調和するように考えて作られています。 大阪医大の歴史資料館の場合、この建物の北側の建物は、すでにヴォーリズの建物ではない建物が並んでいることもあり、北面については縦の配管の覆いは意匠面の配慮があっても、電線やエアコンの室外機については配慮なく並べられ、サッシもそれまでのものとの調和を考えずに選択さた、もしくは、そのサッシがつけられた時代においては、サッシは銀色、アルミ色のものしかアルミサッシはなかったので、それ以上のことは考えずにアルミ色のものがとりつけられた・・ということでしょうか。 内部においては、ヴォーリズが設計して建てられた時のものだけが残っているのではなく、当初のものが破損して補われたり、利用目的が変更されたために改造されたりした場合でも、多くの箇所が当初のイメージを壊さないように配慮して作られているのですが、北面についてはそうなっていないところも見られ、もう少しなんとかならなかったのかな・・という気がするところもないではありません。

  大阪医大歴史資料館は、内部に、大阪医大最初の電子顕微鏡など大阪医大における医学の歴史や(「大阪医大 歴史資料館 展示案内」http://office.osaka-med.ac.jp/trad/about/show.html )、大阪医大が高槻市の現校地に建てられた頃の高槻市のその頃の写真なども展示されています。 総務課の方が言われるには、「来訪される方は、割合としては、医学の歴史について関心があって来られる方よりも、ヴォーリズの建築に関心があって来られる方が多い」そうです。 私も、最初、何で知ったかと言いますと、山形政昭監修『ヴォーリズ建築の100年』(2008.2.10.創元社)の「ヴォーリズ建築主要作品リスト」の「学校建築」の所に出ていたことから知りました。 「歴史資料館」というので、日常的に博物館として公開されているのかと思いましたが、そういうわけではなく、直接、行っても、外観を見ることはできますが、入口はしまっています。 総務課の方には、私の方は特に「エライ人」でもないのに親切に案内・説明していただき、申し訳なかったようにも思いましたが、おかげさまで内部まで見学させていただき、ヴォーリズ建築について、外観だけでなく、内部についても学ぶことができました。

   大阪医大は、関西では、「関西では唯一の実力で入れる私立の医大」と言われてきた大学です。 それなら、他の私立医大はどうなんだというと、全国的には、「私立」に分類されるとはいえ全国の自治体が設立者として作られた実質的には「公立」に近い自治医大は別として、東京圏においては、慶應大医学部と慈恵医大は「法学部・経済学部などよりは学費は高く、6年間行く必要がある」ものの「実力で入れる」と言われているが、それ以外のほとんどの私立の医大は、「私立・金権・裏口 医大」であって、寄付金を払わない限り、入学試験でどんなに高得点を取ろうが永劫に合格はできない・・・と言われている。 父の友人で大阪医大卒で医者をやっていたおっさんが、「うちの大学は、私立の医大といっても、金権医学部と違って、寄付金払って裏口で入るような大学とは違いまっせ。うちの大学は実力で入る大学です」と言われていたことがありました。「関西医大だの帝京医大だのとは違います」と。 1970年代、私が大学に進学した頃も、京大医学部・阪大医学部などを目指す高校生・浪人生が「併願」で大阪医大を受けることが多いようでした。
   もっとも、保坂正康『大学医学部』(現代評論社)だったかで読んだ話では、「私立医大の裏技」というものがあるらしく、表立っては「寄付金等は必要ありません」と入学要綱に書かれていても、たとえば、京大医学部・阪大医学部あたりを目指している受験生に、うちの大学も受けてくれと頼んで受けさせれば、定員通りの「正規合格者」の大部分は国立大学の医学部にも合格した者となり、「正規合格者」に入学辞退者が大量に出て結果として「補欠」で入学する人間の割合が多くなり、「正規合格者」は「寄付金など必要ありません」となっていても、「定員」までの「正規合格者」で入学する者は少なく、寄付金を払って入学する「補欠」の割合を多くすることができる・・・すごい! ・・・・という方法がとられることがある・・・と載っていた・・・・。 大阪医大がそういうことをやっているのかやっていないのかは・・・私は、知らん。


  なお、大阪医大歴史資料館の南側、目の前、阪急の高架下に公衆便所みたいなのがあるので、これはちょうどいいわ・・・と思ったが、それは公衆便所ではなく、外観は公衆便所に似ているが、便所ではなく交番だった。 私は借りなかったが、西隣に大阪医大の附属病院もあるし、阪急「高槻市」駅の南西に正真正銘の公衆便所もあるので、困ることもないとは思う・・・が、すぐ目の前の「公衆便所みたいの」は便所ではない。

※大阪医科大学HP 歴史資料館 http://office.osaka-med.ac.jp/trad/
 大阪医科大学HP キャンパスマップ・施設 http://www.osaka-med.ac.jp/others/campus_map/index.html
   南東の(16)の建物が「歴史資料館」です。
※ウィキペディア―ウィリアム・メレル・ヴォーリズ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%BA
  ≪ 旧制大阪高等医学専門学校(現大阪医科大学)(高槻市) 1930 講堂・階段教室として建てられた別館が現存(国の登録有形文化財) 。後に附属看護専門学校校舎として使用され、現在は大阪医科大学歴史資料館として公開。≫


   かつて、1970年代後半からYMCA予備校高槻校があった場所↓は、今は大阪医大の「本部北西キャンパス」となっています。

YMCA予備校は、「京大東大文系クラス」と勝手な名称をつけても東大の問題を解ける指導をするわけでもなく指導できる人間もおらず、教えるだけの指導者も用意せず、学歴詐称すれば人は「言うことをきく」と考えている不心得者に受験指導などできるわけないのに身の程知らずな口をきかせ、良心的でない経営をした結果、1970年代終わりには、大阪府に土佐堀・天王寺・豊中・堺と高槻の5校、神奈川県に横浜市の関内と菊名の2校があったが、あっと言う間に衰退して、すべて消え去ったかと思ったら、インターネットで検索すると今は天王寺校1校だけあるようです。 予備校とはいえ「学校」であろうと思って見ると、YMCA予備校は学校という感じではなく、生徒のために役立とうという意識が欠落しており、カネもらえればそれでいいという姿勢でしたが、「学校」ではなく「企業」として見ても、それではうまくいかないようでした。 当然ですね・・・・。
   キリスト教がいいか悪かの問題ではなく、そもそも、YMCAなんて、あんなもの、キリスト教だなんて、私は思っていませんからね・・・。
 (2015.10.28.) 

※ヴォーリズさんの建築
[1]大丸心斎橋店。  〔第18回〕の《 「屋上緑化」「屋上庭園」「屋上利用」の意義について、プラス、大丸心斎橋店の思い出 〔引っ越し掲載〕 》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201101/article_18.html  
[2]慶應日吉YMCAチャペル 。 〔第105回〕《慶應義塾大学YMCAチャペル(ヴォーリズ)~日本の教会建築(2)、及、日吉箕輪町方面の現在 》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201206/article_3.html 
[3]関西学院。 [第108回]《関西学院 時計台・文学部・経済学部・神学部・ランバス記念礼拝堂・他~ヴォーリズさんの建築(3) 》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201207/article_1.html
[4]関西学院。 [第201回]《関西学院教会 と 関学 ランバス記念礼拝堂、関学神学部 他―日本の教会建築(7) 》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201405/article_2.html
[5]大阪医大別館(歴史資料館) 〔今回〕

☆ 高槻シリーズ
1.高槻カトリック教会・高山右近天守教会堂跡・野見神社 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201510/article_2.html
2.大阪医大別館(歴史資料館) 〔今回〕
3.日本キリスト教会高槻教会・つぶれて当然、YMCA高槻 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201510/article_4.html



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