「入墨クリスチャン」に感じた疑問+借金とりに追われる大変さ?、よその息子の学費の献金

[第211回]
【1】 「入墨クリスチャン」についての疑問
   2000年頃のこと。 御茶ノ水のクリスチャン文書センター(CLCブックス 御茶ノ水店)かどこかのキリスト教書店で、「入墨クリスチャン」と言われる人たちについて書かれたリーフレットを見ました。 その頃、在来木造の一条工務店に勤務して栃木県佐野市の営業所にいたと記憶しています。 「悪に強きは善にも強し」「親分はイエスさま」というコピーで、元ヤクザで入墨を入れている5人くらいの男性がキリスト教と出会うことでヤクザをやめてカタギになったという話でした。 カタギになった上でキリスト教の伝道についているようなことでしたが、なんか、少々、違うのではないかと思ったのです。 「元ヤクザのクリスチャン」というのは「元ヤクザでないクリスチャン」よりエライのだろうか? 「元ヤクザ」を「売り」にする「クリスチャン」というのは、そういうのは何か人にアピールするネタとするべきものなのだろうか・・・と思ったのです。

   マルコム=Xは犯罪と言われることをずいぶんとやった上で刑務所に入り、刑務所の中でイスラム教と出会って改心して黒人解放運動に尽力するようになったというのですが、マルコム=Xは以前の自分がなってない生活を送っていたということを告白はしても、それを自慢にしたり「売り」にしたりはしていなかったと思うのです。

   先日、乗ったタクシーの運転手が「タクシーの運転手には元ヤクザなんて人もいますよ。そういう人はおとなしいですよ。お客さんともめても絶対に逆らわない。ひたすら謝ります。もう、あの世界には絶対に戻りたくないからって」。 そういう人はいいと思うのです。大阪市長の橋下が、市職員に入墨を入れているか申告しろと言いましたが、入墨自体は犯罪でもなく、問題はそれをネタに人を脅したりすることであり、過去に入れてしまった人がそれを只管隠して穏便に生きているのなら、特に清掃局の職員などに、無理にそれを申告しろというのは酷で、適切と言えないと思ったのです。 「もう、あの世界に戻りたくない」と普通の人間以上におとなしく生きている人、過去に入れてしまった入墨を隠して穏便に生きている人には、「人間にとって大事なのは過去よりも現在」ですから、特に責めなくてもいいと思うのですが、逆に「元ヤクザ」を「売り」にして「入墨クリスチャン」「親分はイエスさま」「悪に強きは善にも強し」とそれをアピールするというのは、なんか、ちょっと違うんじゃないのかという気がしました。芸能人なんかで、「元、不良だった」とか「売り」にする人とかいますが、そんなの「売り」にするなよ、て気がします。 「元不良」というのは「元不良でない人間」よりエライのか? て感じもするのですが、それと同じ。 元不良でも今は不良でないのなら、それでいいと思いますが、「元不良」というのは、「売り」にしたり自慢にしたりするものではないと思うのです。
   神戸の人を殺した児童が成人してなんとかいう手記を出版したことについて、サムの息子法というニューヨーク州の法律が、「週刊文春」の記事に出ていたのですが、犯罪者が自分の犯罪について述べることで利益を得るのを阻止する法律らしい。犯罪者が自分の更生の過程や犯罪に至った経緯を述べるのは基本的には悪いことではないとしても、その手記の出版によって大きな利益を得るとなると話は違ってくるわけです。「入墨クリスチャン」はそこまで大きな利益は得ていないかもしれませんが、同様の疑問を感じたのです。
※《ウィキペディア―サムの息子法》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A0%E3%81%AE%E6%81%AF%E5%AD%90%E6%B3%95

   「入墨クリスチャン」の人たちて、本当にヤクザをやめたのか? という疑問も感じないでもないのです。 この5人のメンバーはヤクザをやめた後、何になったかというと、ひとりは不動産屋の社長になったという話だったと思います。 不動産屋というのは、世間ではヤクザとつながりがあるのではないかと胡散臭い目で見られている業界で、私が勤めた千葉県八千代市に本社がある東海住宅(株)でも、当時 常務で後に社長になったO澤(男)、花見川店の店長T中(男)などは、公式にはヤクザでないのかもしれないが、疑う余地なく人相が悪く目つきが悪い。T中は賃貸マンションでポスティングをしていた時、住人から「ヤクザが来ている」と警察に通報されたと自分で言っていたが、そう見られる人相格好をしている。本店(八千代台店)にいたS(女)は元オミズかという感じで堅気の営業にはとても見えなかった。 (株)一条工務店で福島県いわき市平(たいら)尼子町の住宅展示場に勤務した時、同じ総合住宅展示場に出展していた建築もやっているが不動産分譲が主のN社(本社:いわき市)の平(たいら)展示場がありましたが、N社の社長は元ヤクザと言われていました。N社の展示場に、黒の2人乗りのベンツに乗ってやってきてクルマは斜め止め、サングラスをかけて背広は腕を通さずに肩にかけて肩をゆすって歩く・・という男性がいましたが、その人だと思うのです。格好だけ見ると元ヤクザよりも現ヤクザに見えました。 小堀住研(株)に入社した時、営業の乗るクルマについて、羽根付きのクルマは禁止という項目がありましたが、N社の社員はほぼ全員が羽根つきのクルマに乗っていました。 他にも、仕事でかかわった不動産屋の社長で、ウルトライタリアンファッションとでも言うのか、どう見てもカタギに見えない格好をした人がいました。「元ヤクザで入墨入れてる不動産屋の社長」て、本当にカタギになったのでしょうか?  「元ヤクザ の不動産屋の社長」には、本当に「元」なの?て感じの人が現実にいますから。 「入墨クリスチャン」と言われた5人のひとりの「不動産屋の社長」は、決して「クリスチャン」を隠れ蓑にしていたのではなく本当にカタギとして歩んでいる人なのかもしれませんが、もしも、キリスト教と出会うことでヤクザを辞めてカタギになったというのであれば、自分の心の底に信仰を持ってカタギの商売をすればいいことで、「元ヤクザのクリスチャン」というのを売物にする必要はないのではないのかという気もするのです。

    ひとりは「キリスト教の伝道者」になったということだったと思いますが、「元ヤクザ」に伝道者になられるというのも、そういう人に「説教」されるというのも、どうなのだろう・・、そういう人に「教え」を受けるべきなのだろうか、と思わないでもありません。
    かつて、中ピ連の榎美沙子さんが、身勝手な男性に泣き寝入りせずに闘った時、女性だけでなく少なくない男性も支持したと思います。 しかし、選挙に榎美沙子が出るなら投票しようという人も少なくなかったかもしれないけれども、「元ホステス」とかいった人を選挙に出した際には、男性より、むしろ女性から、「なんで、あんな人に投票しなければならないの?」という疑問の声が出たりしました。 私は知人の女性から言われたのです。「榎美沙子が出るならともかく、なんで、元ホステスとかいう人に投票しなければならないの?」と。
    「元ヤクザ」が「キリスト教の伝道者」になってはならないという規則はないのかもしれませんが、「元ヤクザ」を「売り」に「キリスト教の伝道者」になられたのでは、どうも、ちょっと違うのではないのか、という気がいたしました。

    「キリスト教の伝道者」にがすべて、人間的にも能力的にも優秀な人というわけでもないでしょうし、人間的にも能力的にも優秀でなければ伝道者になってはならないというものでもないでしょうけれども、「元ヤクザ」を「売り」にする伝道者というのは、やっぱり、「ちょっと違うのではないか」という気がします。

   「親分はイエスさま」というコピーも変といえば変です。 イエスさまという方は「親分」になりたいという人ではなかったように思うのです。 違ったでしょうか。

   《YouTube―刺青クリスチャン洗礼 》https://www.youtube.com/watch?v=fq15Iyz7VB4 なんか見ると、正直なところ、あまり、「カタギ」という印象を受けないですね・・・・。 




【2】-1 「借金取りに追われる大変さ」と「払ってもらえるはずのカネを払ってもらえない大変さ」 
    昔、私の家族が行っていた日本基督教団のキリスト教会のある牧師さんは、子供の頃、親が借金をかかえていて、借金取りに追われて大変だったそうで、「借金取りに追われる苦労を考えれば、どんなことだってできる」としばしば、おっしゃっていたのです。それが教会の「説教」でした。 たしかに大変だったかもしれません。 しかし、私は彼にひとこと言いたいのです。 「借金とりに追われる苦労」というのを100回アピールするのなら、本来、払ってもらえるはずのカネを払ってもらえずに逃げられた人間の苦労というものも、100回に1回くらいは考えてみてはどうか、と。 違いますか?
    千葉市中央区鵜の森町 の 新華ハウジング有限会社(建設業)・ビルダーズジャパン株式会社(不動産業)・ジャムズグローバルスクエア株式会社(不明業)の社長の長○川 S二は、私の給料払わずに会社を倒産させて逃げました。私の私物まで持ち去り、返却を求めても返しません。 長○川の嫁の親、長○川の息子の祖母はその後も千葉市中央区でけっこう大きな家に住んでいます。 裁判所の債権者会議に長○川は来ましたが、倒産させて賃金を払わずに踏み倒す男にしては、けっこういい服を着ていました。 法律上、どうであるかにかかわらず、倒産とか破産とかいう手続きをおこなうことによって、本来、払わなければならないものを払わずにすまそうという男は、払ってもらえない人間に対して「すいません」なり「申し訳ありません」なりのひと言くらい言ってよいのではないのかと思いますが、彼はそういう言葉を一言も口にしませんでした。  後で、書記官にそのことを言いますと、「私たちもいつもそう思うのですけれどもね」と言われました。 倒産させたり破産したりして、本来、払うべきものを払わずに逃げる男(女)というのは、債権者会議で「すいません」くらい言うものと違うのかと思うのですが、言わない人がけっこういるということのようです。 「債権者に追われる大変さ」ばっかり言って、「払ってもらえるはずのものを払ってもらえずに逃げられた人間の大変さ」を一言も言わない人って・・・・、どうなのでしょうね・・・・・。 払うべきものを払わずに逃げてる人って、被害者なのですか?


【2】-2 よその息子の学費の献金 
   その牧師さん、聖職者になりたいという若い人を応援しようと言って、東京神学大学に進学しようという20代の男性に教会員から寄付を集めていまして、私の親も払っていたのです。 私が大学に進学する頃、東大の哲学科にでも行って大学院に進み宗教哲学の研究者になりたいといった気持ちを持ったこともあったのですが、私の親は私に「うちは哲学科だの行かせるような金持ちとは違います。」「うちは大学院なんかに行かせるような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言ったのです。 その親が人の息子には、すでに一度、(底辺の方の・・というといかんと言う人もあるのかもしれませんが、頂点でない方の)大学をひとつ卒業して会社に勤めたがうまくいかないから牧師に転職したいという人を神学大学に行かそうとして寄付していたのです。 よその息子で高校までたいして勉強してこなかったヤツを神学大学に行かせるために寄付するカネはあっても、自分の息子を国立大学の宗教哲学科に行かせるカネはなかったようです。
   私は高校を卒業する時点で東大に合格できたか京大に合格できたかということになると、相手がある程度以上てごわい以上、一般論としても絶対に合格できるなどということはないし、私自身の問題としてもそれはわからない問題だったが、しかし、ある程度以上の大学に合格できる可能性がある学力、ある程度以上の大学を狙える学力はあったし、そこまで至るためには相当の努力をしてきたつもりだ。 親の年収が日本育英会奨学金をもらえる規定の額を上回っていたのでもらえなかったが、学力の方は規定を上回っていたはずだ。 私は、哲学、特に宗教哲学を学び研究者になりたいという気持ちがあったが、人間の心の問題を扱う学問として、臨床心理学・心身医学の方面かどちらかに進みたいという気持ちがあった。もし、そういう研究者になるのでなければ、司法試験を受けて裁判官か弁護士になりたいと思っていた。小学校から高校まで一生懸命、勉強してきたつもりであったので、経済学部・商学部・経営学部のようなところに行ったのでは、せっかく勉強してきたものが無駄になってしまうように思えて嫌だったし、「会社のために、犠牲になって働く、とってちってたあ~」と父は言っていたが、そういうために努力して精進して勉強してきたのではないつもりだった。中学生の時、姉がお見合いをした際、姉があんな人は嫌だと行った時、父が「おまえとあの男といったいどっちが学校は上だと思っているんだ。上か下か!」と言うのを聞いて、それ以来、たとえ、首をもがれても経済学部・商学部・経営学部には行きたくないと思った。 高校まである程度以上、一生懸命、勉強してきた人間が、大学も「ある程度以上のところ」に行きたいと思うに至るのは当然だと思うが、しかし、「上かあ、下かあ!」とかいうような、そういうものではないと思うのだ。 そもそも、男女の関係は「上」であろうが「下」であろうが、本人が嫌だと言うのならそれはしかたがないことだと思う。「上かあ、下かあ」という発想は間違っていると思う。 しかし、父は「わしは、あんたにどこに行かそうと親が決めようという考えはないねん。わしはそういう人間。わしは、あくまで息子のためだけを思ってる人間やねん」と言いながら、「うちは文学部なんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」「うちは工学部なんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれるな!」「うちは6年間も行くような大学(医学部・歯学部)に行かすような金持ちとは違います。4年で卒業できる学部にしなさい」「うちは大学院なんか行かすような金持ちとは違います」「うちは学校の先生なんかにならすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」「うちは司法試験なんか受けさせるような金持ちとは違います」「国家公務員は転勤が多いからなってはいかん」「マスコミに勤めるなら、朝日はアカやからいかん。毎日もあかん。マスコミに勤めるなら産経新聞かNHKにしなさい。」と言い、さらに、「哲学なんか勉強しようという人間は精神的におかしい人間なんや。」「マルクスは宗教はアヘンだと言ったんや。宗教だの哲学だのはアヘンだ。宗教はアヘンだあ!」とか言っていました(実際は、「宗教はアヘンだ」という言葉はマルクスが初めて言った言葉ではなく、マルクスが生きた時代にけっこう使われていた言葉で、詩人のハイネ、哲学者のヘーゲルなども使ったことがあり、また、アヘンという言葉には「毒薬」という意味と「なぐさめ」という意味があり、マルクスが「宗教はアヘンだ」と言ったのは、あくまで、「宗教は貧しい人たちのなぐさめだ」という意味であり、なぐさめを必要としない社会を築くことができればなぐさめとしての宗教は必要なくなっていくが、なぐさめを必要とする状況を改善しないでなぐさめだけをとりあげるようなことはあってはならない・・といったことをマルクスは述べているのであって、毒薬だという意味では使っていないはずで、父が知り合いの医者から吹きこまれた「宗教はアヘンだとマルクスは言うとる」というの話は、その「医者」自身が意味を誤解しているのですけれども)。 そして、「学校の先生なんか、なるようなヤツは全員、アカだ!」とかも言っていました。そういうことになると、結果として、「会社のために、死んでも働く、会社のための犠牲にな~る。木口小平は死んでもラッパを離しまちぇんでちたあ! 会社のために、死ぬほど働く、死んでも働く、とってちってたあ!」と父が言う学部、即ち、経済学部・商学部・経営学部しかないことになる。 よその人間に対してはおぼこいおっさんのくせに、自分の息子に対しては、実に、巧妙なやり口でした。
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(↑ 「ぼく、ヒットラー ユーゲントなんか入りたくないんだ」
手塚 治虫『アドルフに告ぐ 1』(2008.7.5. 小学館 ビッグコミックススペシャル 手塚治虫の収穫 より)
   たしかに、どこに行け、どの学部に行けとは言っていないが、文学部はいかん、法学部→司法試験はいかん、6年大学に行く医学部・歯学部はいかん、大学院はいかん、学校の先生はいかんとなると結果として理学部もほぼいかん、国家公務員はいかん、マスコミは産経かNHKでないといかん、朝日はいかん、毎日もいかんとなると、経済学部(もしくは商学部・経営学部)に行って「会社のために犠牲にな~る。犠牲になりたいなりたいなりたいという気持ちい~い!」というやつしかないことになってしまうのだ。 どこに行けとはひとことも言っていないと言いながら、要するに、結果として言っていたのだ。それでいて、「わしは今まで、どこでないといか~んやなんて、ひとこととして言ったことはないのに、なんで、こいつはわからんのでっしゃろなあ~あ」とかよその人間に言っていた。 言われた人は、「そりぁ、お父さんが優しすぎるからですよお~お」とか言い、父は「そうでっしゃろかあ」とか言っていた。
   慶應の商学部に入った1年目、商学部の先生でもデンマーク語を教える方があり、キルケゴールの勉強をしたいと思って、それで、その先生の「研究会1」という講座に出て、白水社から発行されていた『デンマーク語入門』という本を買って宿舎に持っていたところ、父が来て、「デンマーク語みたいなもん、勉強してもしかたがないやろ」と言い、私が「勉強したいねん」と言うと、父は「そんなもん、やらんでええ。甘ったれるな!」と言って、その本をとりあげはしなかったけれどもとりあげるような雰囲気になった。 私には小学校から高校までは「親というものは、本人が大学に行くときに行きたいと思うところに行けるようにという気持ちから、無理にでも勉強させようとするものなんや」と言って勉強させておいて、大学に進学する時になると「撃ちてしやまん、一億、火の玉。欲しがりません、勝つまでは。会社のために死ぬほど働く、死んでも働く。犠牲の精神! とってちってたあ~あ!」と言って、今まで言っていたことを100%否定した。 経済学部・商学部・経営学部に行かされるというのは姉に対する裏切り行為でもあり絶対に嫌でしたが、「とってちってたあ」のおっさんには通じませんでした。 「甘ったれるな」と言って私からは『デンマーク語入門』をとりあげようとした男が、よその息子がバカ大学卒業して会社勤めしたがうまくいかないから牧師に転職したいので東京神学大学に行き直したいとなると、そのためのカネを寄付したです。
   その牧師は、自分の息子には「うちは文学部なんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな。とってちってたあ~あ!」と言っていた私の親に、よそのバカ息子を神学大学に行かすためのカネを寄付させたのです。 それがキリスト教の教えだ、教会のためだと思っていたようです。 そのあたりの話を聞いて、私はその教会には首をもがれても行きたくないと思いました。

   その牧師さんは大阪経済大学卒だそうで、大阪経大を卒業した後、東京神学大学に行き直して牧師になったと聞きました。 大学をひとつ卒業した後、他の大学に行き直す人も世の中にはあります。たとえば、朝日新聞の記者であった本多勝一は長野県伊那市の出身で父親はそこで薬局でもやるといいという気持ちがあって息子を薬学部に行かせたかったらしいが、本多勝一は薬学部は気が進まなかったそうで、それで、千葉大の薬学部に行って卒業して薬剤師の資格を取得し、その後、本人が行きたいと思う大学・学部に行き直すということで妥協し、千葉大薬学部を卒業した後、京大の農学部に行き直したという話を読みました。 私は、慶應の商学部にともかく入学した時、この学校・学部はどうしても嫌だと思いましたが、学校を受け直すことを両親が認めてくれないので、それなら、慶應の商学部をともかく卒業して、その後、自分が行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行かせてほしいと言いましたが、「何、言うてんねん。うちは2つも大学に行かせるような金持ちとは違います。甘ったれるな」と言われました。 費用は新聞配達でも何でもやって自分で稼いで行くから行かせてほしいとも言いましたが、「何言うとるんじゃあ。 あんたが慶應を卒業したら、働いて、生まれてから今まであんたを育てるのにかかったカネを返してもらわんといかんのや。 もうひとつ、大学行かすなんてできるわけないやろ。甘ったれるな」と言われました。 結局、「欲しがりません、勝つまでは。とってちってたあ~あ」の大学学部、日本で一番嫌だと思っていた大学の首をもがれても行かされたくないと中学生の時から思っていた学部に行かされるしかない結果になりました。 その牧師さんは、「うちは貧乏だったから」「子供の頃から借金取りに追われる生活だったから、あの大変さを考えるとどんなことだってできる」と「説教」されていたのです。それが「礼拝」の「牧師の説教」だったのです。 東大京大クラスを狙える学力で、ともかく、慶應に行った私が、親が経済学部・商学部・経営学部を卒業させたいなら、ともかくそれを卒業した上で自分が行きたい大学の行きたい学部に行くようにさせてほしいと言った時には、私の親は「うちは2つも大学に行かせるような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言ったはずでしたが、「貧乏だから大阪経大に行った」「私ほど貧乏で苦労した人間はない」と自称する牧師さんは、高校卒業時には大阪経大にしか行けない学力であったくせに、その後東京神学大学にも行き、結果として2つ大学に行ったのです。 「貧乏」な人ってそんなことできるんですね。
   それで、私は親から言われたのです。 「◇◇さん(牧師の名前)は貧乏やったから、大阪経大(大阪経済大学)しか行かせてもらえんかったんやぞ。 おまえみたいに慶應なんか、行かせてもらえんかったんやぞ。おまえとは違うんやぞ、おまえとは、このチャンコロ! 」と。 それで、私は言ったのです。 「貧乏なのに、なんで、大阪経大みたいな私立大学に行くの? 貧乏なら勉強してカネのかからない国立大学に行けばよかったんじゃないの? 東大行けば良かったんじゃないの? なんで、東大行かずに大阪経大行ったのお? 貧乏なら大阪経大なんか行かずに東大に行けば良かったんじゃないの? 東大に。なんで、東大に行かなかったの? なんでえ???」と。 すると、「東大行ったら下宿しなければいけないからお金かかるでしょ。だから、東大行かずに大阪経大に行ったんでしょ」と母は言ったのです。 それで、私は「大阪の人間が東大に行くなら下宿代がかかると言うのなら、それなら、阪大(大阪大学)に行けば良かったんじゃないのお? 大阪大学と大阪経済大学なら大阪大学の方が学費は安いでしょ。 大阪経済大学の方が国立大学より学費が安いなんてことないと思うよお。 なんで、阪大に行かなかったのお?」と。 すると、母は「阪大に行かせてもらえるだけの勉強させてもらえなかったんでしょ。あんたみたいに勉強させてもらえなかったから、大阪経大しか行かせてもらえなかったんでしょうがあ」と言ったのです。 そして、父は「おまえみたいに、慶應みたいなカネのかかる学校に行かせてもらえんかったいうことやぞ、わかっとんのか、チャンコロ、わかっとんのか、このチャンコロ!」と私に言ったのです。 もし、家が貧乏だったのなら、学費の安い国立大学に行けるように真面目に努力して勉強するべきだったのではないのでしょうか。 家が貧乏だったのなら、真面目に努力して勉強して国立大に行くか、もしくは、学費タダで全寮制で寮費タダの自治医大とか、行けば在学中から「給料」払ってもらえる防衛大・防衛医大とか行けばよかったのじゃないのでしょうか。 それをしないで、「家が貧乏だったから」なんとかかんとかぐじゃぐじゃぐじゃぐじゃ言われてもねえ・・・・・。
   その頃から私は疑問に思っていたのです。 高校卒業時の学力において、慶應あたりにはとても入れないという人、及び、その親には、「うちは慶應みたいなカネのかかる学校なんか行かすことはできまへんね~ん」とか言う人がけっこういるのですが、慶應義塾大学という大学は私立大学の中では学費は安い方の大学のはずなんです。 早稲田より慶應の方が大学は学費はかなり安かったはずです。私が高校を卒業する1970年代後半において、早稲田と慶應なら大学は慶應の方がずっと安かったんですが、最近、週刊誌で見ましたが、今も早稲田大学の方が慶應大学より学費は高いようです。教授が講義の中で言われていた話では、昔から慶應の方が早稲田より学費は安かったようで、その教授が大学に入学される頃も慶應の方が大学は早稲田より学費は安かったそうです。かなり。 そして、学生には慶應と早稲田と両方通って、慶應の方が学費が安かったから慶應にしたと言っていた人もいました。 (1)普通に考えれば、慶應のような昔からある大学は校舎も敷地もあって新設大学のように新しく購入する必要がないのでその分の費用がかからないし、(2)慶應はOBが相当寄付をしてくれる大学だという話があり、私だって卒業後、▽▽三田会に会費を払い、その会費の一部は慶應義塾奨励金だったか何かの名目で慶應に寄付されたはずで、私が払った会費なんてたいした額ではないけれども、財界から相当の額の寄付がなされることもあるそうで、槇文彦設計という日吉新図書館なんかも財界からの寄付でできたとかいう話もあり、(財界から寄付をもらえるというのは手放しで喜んでいいのか、そういうものをもらうと「財界のひも付き大学」にならないかとか、ナマ言うたらあかん、そんなもん、とうになっとるがな、とかいう話もないでもないのですが、)そういうものがある大学であり、そういうもののない大学に比べて経営は良好なはずで、その分、学費だって高くとらなくてもすむはずなんです。 (3)在学中にある助教授から、慶應は債権関係をいいのを持っていてそれで財テクやって儲けているのではないか、それで早稲田より学費は安くてすむのではという話を聞かせてもらったことがあり、そう言われると、なんか大学の体質からして財テクとか好きそうな感じがするのですが、そう思っていると、2,3年前だったか、日経新聞に慶應義塾が財テクで失敗して赤字を出したとかいう記事が載っていたので、誰やねん、そんな失敗する財テクさせた経済学部商学部の先生て誰やねん、頼りにならん経済学やなあ、ほんまにい・・・とか冗談みたいに思ったことがありました。 「慶應は高い」という話は行きたいと思っても学力の点で行けるわけがない人(かつ、裏口入学させるコネクションなんかない人)が悔し紛れに言った文句かと思っていたら、少し前になんかの週刊誌にでていた話、及び、昔からの神奈川県の住民に聞いた話では、慶應は大学については国立大学よりは学費は高いけれども私立大学の中では間違いなく相当安い方であるが、小学校から高校までは他の私立の学校と比べても学費は高いというのです。 なるほど。 (4)小学校から高校までは意図的に学費は高めに設定して、誰でもかれでもは入れないようにして、逆に大学は私立大学の中では一番安いのではないかというくらいの額に設定することで、入学試験の成績さえ良ければ誰でも入れる、ということにして学校の値打ちを下げないようにしている・・・ということか。 な~るほど。なかなか、考えるではないか・・・・ということかどうか知らんが、そんなところではないかな・・・。 (5)もうひとつ、慶應の前の塾長が「日本では、小学校の場合は国公立と私立との比率は圧倒的に国公立の方が多いので、私立の小学校が多少高い学費を設定しても、金持ちでない人は国公立に行けばよいのであるから、国民の学ぶ権利を侵害することにはならないのに対し、大学の場合は国公立の大学と私立の大学では学校数でも学生数でも私立の方が圧倒的に多いので、大学は私立だからとあまり高い学費を設定したのでは、国民の学ぶ権利を侵害することになってしまう」といったことを書かれていたのを見ました。そういう考え方もあるかもしれません。もっとも、私が行っていた頃の北野高校のような関西地区の公立進学校の生徒の感覚では、大学は小学校から高校まで勉強した人間が行くところであり、小学校から高校まで勉強しなかった人間の行くところではないので、大学は京都大学とか国立に行くもので、駅弁の国立の大学にも行けない成績の人間が私立の大学に行くのにカネがかかるのはしかたがないことで、貧乏なくせに国立大学に行けるだけの勉強をしなかった人間が大学に行けないのはしかたがないこと、貧乏なくせに国立大学に行けるだけの勉強をしなかった人は別に大学行く必要ないのではないのか、という認識でした。ただ、慶應大学あたりの先生は「コストと利益を比較衡量して」考えると、「こっち(慶應)の方がいいんだもん」といったことを言われるわけです。「国立大学より慶応の方が学費が少々高かったとしても、『コストと利益を比較衡量して』考えると、慶應の方がいいんだもん」、という考え方があるらしいのです。そういう考え方からいくと、「国立大学よりは高いけれども私立大学の中では間違いなく安い方」という学費が決定されてくるのかもしれません。 大阪経済大学という学校も、昔から、私立大学の中では比較的学費が安い大学と言われてきた学校らしいのですが、でも、東大より高いと思いますよ。阪大(はんだい)より高いし。 なんで、貧乏だった人が阪大に行かずに大阪経大に行ったのか、不思議なこと・・。 なんでやろなあ、ぼく、頭悪いからなんか、さっぱりわからへ~ん・・・・。
   それで、慶應大学(東京のケー大)と大阪経大(大阪のケー大)は、今も昔も、どちらも「国立大学よりは高いけれども私立大学の中では学費が安い方の大学」で、どっちがより安いか、私は調べたことがないのですが、もしかして、慶應の方が安いかもしれませんよ。 さらに、慶應は、家庭の収入が低い場合、日本育英会の奨学金で学費が全額出て、その上に、慶應義塾奨学金というものがあって生活費を出してもらえたはずなんです。 今もその制度が私が20代であった頃と一緒かどうかわかりませんが、1980年前後はそういう制度があったのです。 さらに、日吉に寮があって、6帖の部屋に2人相部屋だったそうですが、1日2食付で風呂は週2回で月1万2千円だったと聞きました。 風呂については、私が川崎市幸区で住んだアパートだって風呂なしで銭湯に行ってましたから、週2回でもあればいい方だし、相部屋というのはきついといえばきついけれども、2食付で月1万2千円で住めるというのは超格安で、本当に貧乏ならそういう所に住むという手もあったわけです。 慶應義塾奨学金なんてあるのは慶應だけで、他の大学に同様のものがあるのかないのか知りませんが、そういった制度を利用するなりすれば、貧乏な家庭の息子でも十分行けます。 「うちは金持ちやおまへんから慶應みたいなカネのかかる学校なんかとても行かすことはできまへんね~ん」なんて話はずえ~ったいに、ウソ! だということがわかります。  学校のイメージが「金持ちの学校」というイメージがあったから、慶應より早稲田に魅力を感じたとか言う人もたまにいますが、学費は早稲田の方が大学は高いのですが、そのくらいならともかく、拓殖とか国士舘とか亜細亜大とかに息子をやった親が「うちは慶應みたいな金持ちの学校に行かすようなこと、できまへんね~ん」とか言うのを聞いて、私の父なんか、本気にして、「☆☆さんの息子は国士舘やぞ。 △△さんの息子は拓殖やぞ。おまえとは違うねんぞ、おまえとは。わかっとんのか、このチャンコロ。わかっとんのか、このチャンコロ!」と、毎日毎日、私の顔の鼻のあたりを指差して言っていましたが、そういう拓殖か国士舘か亜細亜大かに行ったどこやらの息子というのがが慶應に行かずに拓殖とか国士舘とか行ったというのは、金持ちであるとかないとかいう問題ですかね・・・・・。 学費は慶應の方が安いはずなんですけれども。
   それで、その牧師さんも「自分は家が貧乏やったから、大阪経大に行ったんだ。慶應なんか行かせてもらえなかった」とかおっしゃっていたそうなのですが、私は高校を卒業した時とその翌年翌々年あたり、国立大学や慶應、早稲田、同志社、関学あたりの学費は見ましたが、大阪経大の学費がいくらかなんて考えたこともなかったので、慶應と大阪経大とどっちが学費が高いか安いか知らないのですが、本当に貧乏であって慶應に行きたかったのなら、日本育英会奨学金で学費を出してもらった上で、慶應義塾奨学金で生活費を出してもらい、さらに寮に入れば、十分、生活できて慶應義塾大学に行けたはずなのです。 なんで、慶應に行かずに大阪経大に行ったのでしょうね。 「なんで?」と私はうちの親にきいたのです。 すると、「東京まで往復するのに交通費がかかるでしょうよ」と言われたのですが、その頃は今ほど、夜行バスはありませんでしたが、国鉄(→JR)のドリーム号という夜行バスが東京―大阪間を走っていて、新幹線の半分くらいの額で乗れたのです。〔東京駅の八重洲口のバス乗り場には、「男には男の夢がある」と書いて『あしたのジョー』の絵が描かれた「ドリーム号」の宣伝ポスターが貼られていました。 ⇒《YouTube―あしたのジョー「美しき狼たち」(1980) 》https://www.youtube.com/watch?v=oaqOX-6P4_0 〕 片道5000円くらいだったと思います。2往復しても2万円、3往復しても3万円です。 その3往復3万円/年がかかるからというのが東大に行かずに大阪経大に行った理由なんですかあ? なんか、おもろい理由やねえ・・。もし、なんやったら、その3万円、わしが出したろか? わしがその3万円、出したったら、大阪経大に行かずに東大に行ったんか? ほんまに出したろか、その3万円。 その3万円があったら大阪経大やのうて東大に行ったんかあ~あ? その3万円/年を出すのが嫌なら阪大に行けば良かったのと違うのでしょうか。 なんで、「貧乏やったからカネのかかる大学には行けなかった」と言う人間が、国立で学費の安い阪大に行かずに阪大よりカネのかかる大阪経大に行ったのでしょうね? なんで? なんでやのん? さらに不思議なことに、東大に行くには往復の交通費がかかるから大阪経大しか行かせてもらえなかったとかいうわりに、その牧師さんは、大阪経大を卒業した後、東京神学大学なんて行ってるんですよね。東京神学大学まで大阪の人間が行くのに交通費はかからないの?  大阪から東大に行くなら交通費がかかるけれども、東京神学大学に行く為に東京に行くには交通費はかからないの? なんでえ? なんで、なんでえ???  「大阪から東京までの交通費がかかるから東大に行かずに大阪経大に行ったと言う人なら、たとえ、神学部に行くにしても、関学の神学部とか同志社の神学部も関西にあるはずやけど、なんで、トーシンダイなんて行ったの? なんでえ?」と私は母に言ったのです。そうすると、母は「それは、トーシンダイ(東京神学大学)の方がいいからでしょうよ」と言ったのです。 それで、「そうかなあ。普通の人間の感覚では関学の神学部とか同志社の神学部の方がトーシンダイなんかよりええと思うけどなあ。トーシンダイなんて、そんな学校、知らんでえ~え」と私が言ったところ、母は「あなたはそう思うかもしれんけど、専門の牧師さんにとってはトーシンダイの方がいいんでしょう」と言ったのでした。牧師業界ではどういう評価なのかなんて知りまへんけれども、やっぱり、世間一般では同志社の神学部とか関学の神学部とかの方がトーシンダイより少なくとも関西では評価は高いように思うのだが、それより、東大と大阪経大なら経済学部業界では東大の方が評価は高いと思うのだが、交通費がかかるからという理由で大阪経大に行った人が、なんで、トーシンダイには大阪から東京まで行くのに交通費のかかってもおかまいなし行くのか、不思議やなあ、わけわかれへんわ、ほんまに・・・・。
   その牧師さんが「貧乏やったから大阪経大しか行けなかった」と言ったものを、「おまえとは違うんやぞ。◇◇さんは貧乏やから慶應みたいなもん、行かせてもらえんかったんやぞ。 わかっとんのか、チャンコロ! わかっとんのか、チャンコロ!」ということにうちの親はしたのですが、実際には、「大阪経大が大学の中で一番学費が安かったから大阪経大に行った」というその牧師さんの発言は言葉足らずで、あくまで、その◇◇さんの高校卒業時の学力で行ける大学の中では大阪経済大学が最も学費の安い大学だったということで、東大より安かったわけではないし、阪大より安かったわけでもなく、慶應と比べてどうであったかなんてその◇◇さんも考えたことはなかったのではないかと思います・・・・が、私はその◇◇さんのおかげで、何度も何度も、「◇◇さんは貧乏やったから慶應みたいなもん、行かせてもらえんかったんやぞ。 貧乏やから大阪経大しか行かせてもらえんかったんや! わかっとんのか、チャンコロ! わかっとんのか、チャンコロッ! わかっとんのか、わかっとんのか、わかっとんのか、チャンコロゥ、チャンコロゥ、チャンコロゥ!」と言われてきたのです。 正直な気持ちを言いましょうか。 私は高校を卒業した年に東大を落ちた後、父から「高校は義務教育じゃないんやから、おまえみたいなもん、高校行くことないんじゃ。甘ったれるな! おまえは高校行ったのは余計じゃ。このチャンコロゥ! おまえは高校行くことないんじゃ、このチャンコロゥ!」と何度も何度も言われました。 その基準を適用するならば、大阪経大みたいなもん、行くようなヤツなんて、義務教育であろうがなかろうが、小学校行くことないんじゃ、甘ったれるな! ということになるでしょう。その基準を適用するならば、ですけれども。
    そして、私がキルケゴールの研究をしたいと思って買ってきた『デンマーク語の入門』(白水社)を見て、「デンマーク語みたいなもん、勉強せんでええんじゃ。 甘ったれるな!」と怒鳴りつけた父は、「家が貧乏だったから慶應みたいなもん行かせてもらえなくって大阪経大に行った」という牧師の◇◇さんから、教会員の息子で五流私立大学をいったん卒業して会社勤めをしたけれどもうまくいかず、牧師に転職したいという人を東京神学大学に行かすための学費を教会員みんなで負担して出してあげましょうと言われて、寄付していたようです。 「教会から学費を出してもらって、東京神学大学に行こうというんだ。 おまえとは違うんやぞ、おまえとは。おまえとは違うんやぞ、おまえとは、このチャンコロゥ、チャンコロゥ、チャンコロゥ」と叫びながら。 私、高校を卒業する頃、大阪経大に行きたいなんて、とても、言えませんでした。 ましてや、東大なり京大なりを卒業した場合に、もうひとつ、他の学部に行きたいとか大学院に行きたいというのならともかく、大阪経大しか出てない人間が、さらにもうひとつ、大学に行こうなんて、とても想像できませんでした。 なにしろ、「おまえとは違うんやぞ、おまえとは」と言われるようなクズカス人間でしたから・・・・・。   毎日、毎日、「クズカスクズカスクズカスクズカス」と言われていましたから。 私が高校を卒業する時、大阪経大に行きたいなんて言ったとしたら、「ふざけるな」と言われたと思いますし、東京神学大学に行きたいなんてとても言いだせなかったはずです。同志社とか関学とかの神学部に行きたいというのも言えなかったと思います。 あえて、可能性があるとすれば、東大の文1か文2に入って3年に上がる時に無断で転部して文学部に行くか、文1・文2は難しいが文3なら入れる可能性があるとして文3に入って、そこから『家族の政治学』において闘いながら宗教哲学科に進むというものですが、我が家の『家族の政治学』は少々のことで私が勝てるものではなかった。 で、それでいて、いったんどこかの大学を卒業したよその息子がトーシンダイ(東京神学大学)に行きたいとなると、その学費を寄付するというのは、なんとも理解しがたい・・というより、理解したくないですね。
〔  「宗教はアヘンだ とマルクスは言うとる」という文句を父に吹き込んで私に哲学科に行かせないようにしようとした父の「親友」の「医者」は、相当カネだして息子を関西医大に裏口入学させたそうですが(そのカネは「患者」を薬漬けにして稼いだカネですよね)、「●●先生の息子さんは関西医大裏口入学やぞ。 おまえとは違うんやぞ、おまえとは、このチャンコロ。 裏口入学やねんぞ、●●先生の息子さんは。裏口入学ということは、思考が柔軟やいうことやぞ。おまえとは違うんじゃ、おまえとは。わかっとんのか、チャンコロ。わかっとんのか、チャンコロ!」と父は何度も何度も言っていました。 何度も何度も私は言われました。 なんで、裏口入学する人間が「思考が柔軟な人間」なのか、わからんのですよ、私は。 「入学試験というものは成績の良い者から順番に合格するのが当然」と先生が常々言っている高校に行ってたもので、そういうことを言われると、なんだか、“ カルチャーショック ”みたいなものを感じてしまうのです。 やっぱり、大学は裏口入学で入るものではなく、「 弱者が勝者となるために」「『I D野球』式勉強法」「『試験にでる』部分を『出る順』に」、あるいは、「『ドラゴン桜』式勉強法」でもやってでも、実力で合格して入るものだと思いますよ。 なんで、実力で入試に合格して大学に入ろうとする者より(患者を薬漬けにしたカネで)裏口入学して入る人間の方が「思考が柔軟」なのか? ぼく、頭悪いからなんか、さっぱりわからへ~ん。  〕

   たとえ、大阪経大の学費が私立大学の中では安い方であったとしても、大阪経大とトーシンダイ(東京神学大学)と私立大学2つ行ったのでは、合計すると決して安くないはずなんです。 大学を2つ行く人はありますが、国立大学か早慶くらいを卒業してもうひとつ別の大学、別の学部に行くのはわかりますが、大阪経大しか行けない人が「貧乏だったから」とか「貧乏」を自慢しながらなんでもうひとつ大学行くのかという気もしないではありません。 又、たとえ、私立大学で大阪経大より学費の高い大学に行く場合でも、家庭の収入が少なく、学業成績が一定以上であれば、日本育英会奨学金で学費分を出してもらえたはずなんです。だから、日本育英会奨学金をもらえたならば、出してもらえる奨学金の額は「学費分」ですから、「寄付金」が必要な私立金権医大とかは別として、「普通の私立大学」であったなら、奨学金をもらって行く限り、その学費が少々高いか安いかは関係ないはずなんです。 だから、たとえば、早稲田大学とかが大阪経大より学費が高かったとしても、日本育英会奨学金で出してもらえる金額は「学費分」ですから、行く人間にとっては一緒のはずなんです。 なんか、よくわからんことを言う人だったなあ、と思いますね。
   「◇◇さんは家が貧乏やったから大阪経大しか行かせてもらえんかったんやぞ。おまえとは違うんやぞ。わ、わ、わ、わかっとんのか、このチャンコロ」と何度も言われてきましたが、この言い方をすると怒られるかもしれないが、「貧乏」のくせに「結論として底辺の方の私立大学」2つも行く人って、そんなにエライのか?


   国立大か早慶くらいに行った人間ならともかく、大阪経大なんか行ったヤツが私立大学2つも行ってからに、「貧乏やった」てよう言うわ。 おもろい貧乏もあったもんや・・・。
 (東大医学部卒と詐称していた帝京医大卒の男が「貧乏だった」とぬかしたこともあった。私立金権医学部行った奴が貧乏て、よう言うわ、あほくさい・・・)


   「入墨クリスチャン」の人たちは、講談社プラスアルファ文庫から『刺青クリスチャン親分はイエス様 』という本まで出版していたのですね・・・。 私、買う気しません。
   (2015.7.24.) (【2】-2 の後半部、 2015.7.30.補足)

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この記事へのコメント

大経大は学歴コンプがマジで多い
2016年06月02日 19:55
学費は慶応より大阪経済大学の方が安いですね。国立を除けば関西一安い私立です。夜間部なら200万くらいで行けます。昼間でも390万円以下で行けるようです。

ただ、慶応行けるだけの学力が無かったとどうして素直に認めないのか、、、

大経大の今は関西ではまずまずの中堅私立ですが、(産近甲龍の下位くらい)慶応とは比べ物になりません。

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