山梨県側の富士山。富士山の写真を撮るのは難しい。あけおめ。躑躅が崎館と甲府城。山梨県立図書館。

[第207回] 2015年(平成27年)の第1回
  あけおめ。
  一昨年、2013年(平成25年)は己(み)、蛇の年で、2012年の終わり、年賀状用にヘビ・・てのはあんまりいい印象でないと思い、「一富士、ニタカ、三なすび」と言う富士山の写真を撮ろうと思い、箱根の芦ノ湖のあたりに行くと、富士山が見えるのではないかと思い、元箱根から箱根神社まで行ったものの、見えへ~ん! な~んでだ? というと、箱根神社は芦ノ湖の南寄りで北岸にあるので、すぐ北側に山があり、富士山は見えない。芦ノ湖でももっと南岸に行くと富士山は見える。 帰り、元箱根から小田原まで行くバスの窓から一瞬見えたが、写真は撮れなかった。
  その前の年、2012年(平成24年)は龍の年。 竜なんて動物はいないから、ここは富士山と思い、2011年の終わり、千葉県の浜金谷から鋸山に登った時、富士山がきれいに見えたことがあったので、鋸山に行くべし・・と行った。 大仏さんの下の駐車場にクルマを停めて山上まで登った・・・・が、見えへん。 曇ってると見えんのだ。 雨ニモ負ケス風ニモ負ケス、ホメラレモせス、雲ニモ負ケス、再度、今度はロープウェイで山上まで行ったのだが、やっぱり、雲で見えない。
  そして今年、山梨県上野原市に住んでいた時、甲府に行くと、甲府城の付近から富士山がきれいに見えた・・・記憶がある。 上野原町(現・上野原市)も、私が住んでいた場所からは富士山は見えないが、上野原でも富士山が見える場所はある・・が、甲府の方が正面にでっかく見える。
   そこで、甲府まで行ったのだ。 千葉県の船橋からはるばると。 あずさ2号・・ではなく何号か忘れたがに乗って。 で・・・・、見えへん。 曇ってると見えんのだ。 天気予報はそれなりに見て行ったはずが。 午後から曇るというから あずさ何号かの特急料金払って行ったのに。
   富士山の写真を撮ろうとしてわざわざ行って、見えんがな・・てのが、これで3年目。 鋸山、箱根、甲府と。 俺は前から、もしかして、アホと違うかいなあアホと違うかいなあアホと違うかいなあ~あ・・・・・と思ってきたが、やっぱり、アホやった・・か・・・・・・。 あ~あ。 あ~あ。 あ~あ・・・・。
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↑  で。 たしか、この方角のはずなんだけれども、と思って、ともかく、その方角の写真を撮ってきたのが、これ。↑  こうやって見ると、うっすらと、富士山らしきものが写ってはいる。
(↑写真はクリックすると大きくなるので、クリックしてみて下さい。)
   歴史的な街並、建造物などを見学に行って、写真ばっかり撮って、おのれの眼で見ない、おのれの心で感じることをしないというのは愚かである・・・とは思うが、一方で写真の絵葉書を買って帰ってもそれは修正が施されているのか、必ずしも実物と一緒ではない場合が多いし、そして、写真を撮って帰ると、帰ってから自分が撮った写真を見て、現地で気づかなかったことに気づくという場合もある。
   ナポリのヴォメロの丘からナポリ市街の写真を撮って帰った時のこと。 現地で見て、なんと美しいと感動した。 「世界中で一番美しい」とか歌に歌われたり、「世界三大美港」とか言われるナポリの街だが、最初にナポリ中央駅で降りた時に思ったのは、「なんか、汚い街だなあ~あ」というものだった。 どこが汚いかというと、バールという菓子パンみたいのを売っている店でその菓子パンみたいのを買って、道で、くっちゃくっちゃくっちゃくっちゃ食べて、その包み紙を道にポイと捨てるのだ。 次から次へと。 そこの街の人が。 その紙屑が道端にいっぱい落ちているのだ。 どこが「世界で一番美しい」んだ? とそれを見て思ったのだ。 ナポリの人は本当に親切でうれしかったが、だが、紙屑がいっぱい落ちているナポリの街、さらに、マレキアーロに向かう道を歩くと、ぐにゃっとなんか変な感覚を足に受けたのだ。 マレキアーロ街道はウンコドーロだった。 犬のウンコがあった。 もうイヤ、ウンコドーロなんて、と思った。 しかし、ナポリを離れる日、カポディモンテの丘に登って見ると、そこから見るナポリ市街は美しい。 さらに、翌年、再度行って、ヴォメロの丘に登って見ると、たしかに、そこから見たナポリ市街は「世界で一番美しい」かもしれない景観だった。 ナポリ中央駅の向こうに、「丹下健三が計画した」という「ナポリ新市街計画」による高層ビル群があるが、ユネスコ世界遺産にも指定されている「ナポリ旧市街」の景観を妨げないよう、高層ビル群はその向こうの位置に配されており、そのあたりを考えて計画されているというのは悪くない・・・と思ったのだ。 現地では。 しかし、撮って帰ったヴォメロの丘からの写真を再度見ると、「世界の丹下」が計画したという高層ビル群は、やっぱり、ナポリ歴史的市街の景観を全体ではないが破壊していると思う。 あんな高層ビル群はナポリには要らない。 「カステル デツローヴォ(卵城)の基礎の下には卵が埋まっていて、その卵が破壊されると、その時、カステル デツローヴォも破壊されナポリの町も滅びる」とかいうお話があるナポリの町で、カポディモンテの丘やヴォメロの丘から見たあのナポリの街の景観がなくなれば、その時、ナポリの街が残っていても、それはナポリではないのではないか。 「世界の丹下」は世界の街の景観を破壊する。撮ってきた写真を見て認識できたのだ。 だから、現地で体感することは写真を撮ることより重要ではあるものの、写真は必ずしも悪くはない、と思う。
※《YouTube―Gigliola Cinquetti - Napoli fortuna mia .avi 》https://www.youtube.com/watch?v=8x5V3rduCd8
   で、↑の甲府城から撮った富士山方向ではないかと思える写真には、うっすらと富士山らしきものが写ってはいたのだ・・・・が、かつて、富士山を見に行ったわけでもない時には、正面に迫力十分に見えた・・ように思うのだが、今回、そうは見えなかった。
   青森県の下北半島の恐山に行った時、恐山の南に釜伏山という山があり、どちらから見る釜伏山が正面かというと、恐山のお坊さんの説では、恐山の方から見るのが正面だそうだ。 但し、大湊の町の人は大湊から見るのが正面で恐山の方から見るのは裏面だということになるというのだ。 「富士山と一緒」というお話だった。
   富士山も静岡県の人間からすれば、南側が正面だが、山梨県の人間からすれば北側が正面だ、というのだ。 関西から東京に行く人間は、電車で行く場合、東海道新幹線に乗ると窓から北側に富士山が見える。 
「こだま」で三島あたりで下車するとプラットホームから北側に富士山が見えたと思う。 この静岡県側から見える富士山が、全国的にはポピュラーな富士山の外観ではないかと思うのだが、かつて、甲府に行った時に、甲府城のあたりから見えた富士山を見て、富士山は山梨県側からの方が正面ではないか、こっちの方が迫力がある、と思ったのだ・・・・・が、年賀状用に写真を撮ろうと思って行くと、見えないのだわ・・・・、はっきりとは・・・。

   で、せっかくここまで来たのにい~い・・・と思って、とぼとぼ、がっくり、しょぼ~んとして甲府駅の南のあたりを歩くと、そこに、人の気も知らずに、なんかでかいツラして座ってるおっさんがいるんだわ。 ↓
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↑ 武田信玄。
   「山梨県では武田信玄がすべてを作った」という武田信玄だ。 なんで、山梨県では武田信玄が何でも作ったかというと、「甲府五山」を武田信玄が作った・・というあたりは、実際に作ったのは「大工さん」だと思うし、武田信玄がその費用を出した・・・といっても、武田信玄が「夜討ち朝駆け」とかやってせっせと働いた給料から出したのではなく、山梨県民長野県民からふんだくったカネで出したのだしい~い・・・といっても、甲府五山に関与したのは確かだろう・・として、だ。 「山梨県は米がとれないけれども野菜は採れるというところから、腹持ちのいい料理を作ろうということで、武田信玄がほうとうを作った」というあたりになると、なんで、武田信玄なんだ? どっかの料理人かどこかの家庭の主婦が作ったのとちゃうんかい・・て感じがしてくる。 「山梨県で有名なお菓子は?」⇒「信玄もち」てなると・・・、なんか、山梨県てなんでも武田信玄なんだな・・・て思えてくるが、それだけ、存在感がある。
   しかし、ひとが富士山の写真とろうと思って、カネもないのに特急料金払って甲府まで来たのに曇ってて撮れん、人生わびしいのお~お・・・
《YouTube―昭和枯れすすき さくらと一郎》https://www.youtube.com/watch?v=fRk8S4LeSyU て感じで歩いてるのに、人の気も知らずにでかいツラしてふんぞりかえって座りやがってからに、ほんまにもう~お・・・。↑

  それで、だ。 甲府駅の南側に甲府の中心市街地は広がっている。 甲府駅の南側に武田信玄の像は座っている。 そして、甲府駅のすぐ南に甲府城がある、となると、だ。 「山梨県ではなんでもかんでも武田信玄」の城は甲府駅の南側、駅前にある甲府城かいなあ~あ・・・↓
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↑・・・・と思いがちだが、違うらしいのだ。 甲府城の「鉄門」の説明書きには、
≪ 今から410余年前、豊臣秀吉の命により、浅野長政・幸長によって甲府城は築城されました。 築城は江戸の徳川家康をけん制する目的でしたが、江戸幕府が開かれると代々徳川一門や柳沢氏の居城となりました。≫と書かれている。
  鳥羽正雄 監修・日本城郭資料館 著『日本の名城100選』(1969.6.20.秋田書店)には、
≪ 甲府城を築いたのは、徳川家康で、天正10年(1582)甲斐国を統治することとなり、一条小山に、新しい城づくりにかかった。  そのうち、天正18年(1590)家康は江戸に入部したため、そのあとは秀吉が治めることとなり、ここを家臣浅野幸長の領地として封じた。 幸長は工事を引き継いで完成し、あわせて城下町の建設にかかった。  慶長3年(1598年)秀吉歿し、家康は関ケ原の役に功のあった幸長を和歌山城に移し、甲府は江戸を守るための、最前線の重要基地と考え、血縁の大名を封ずることとした。・・・・≫とある。 別名を「舞鶴城」と言うらしい。

  「忠臣蔵」で悪役の柳沢さんの城だったんですね。


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↑ 中央に見える五重塔のあたりが、「甲府五山」の第1位、長禅寺のはず。(甲府城から)
〔↑ 写真はクリックすると大きくなります。 大きくしてみてください。〕
※ 《甲府市 観光情報 甲府五山 長禅寺》http://www.city.kofu.yamanashi.jp/welcome/rekishi/gozan.html

   武田信玄は、「人は城」とか言って、人心が自分に集まっている限り、城なんぞなくても統治できる、人の心が離れられば城なんぞあっても守ることはできないと言ったとかで、たいして城は持たなかったという話がどこかにあったが、それなら、武田信玄の居所はどこだったのかというと、「躑躅が崎館」というものらしい。↓
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↑ しかし、行って見ると(せっかく、二号じゃない あずさ に乗って甲府まで来たんだから、躑躅が崎館でも行ってくるかと思って行ったのだ。)
   「躑躅が崎館」と言って「◇◇城」と言わないあたり、これは、あくまで、武田信玄の館であって城ではないということだろうか?  確かに、「人は城」というのはわかる。
   そもそも、戦国時代から安土桃山時代にかけての「城」というものが、実際に戦闘においてどれだけ役立ったかというと疑問もある。  「堅固」ということになっていた城では、なにより、大阪城というのは、結局、大阪冬・夏の陣で敗れ、豊臣は滅亡したが、籠城が有効なのは、その城に籠って持ちこたえておれば、他から別軍が救援に来ることが期待できる時であって、大阪冬・夏の陣の時のように、大阪城にいる隊がすべてで全国的には徳川が優勢である時には、城に籠ってはだめで、全国的には徳川優勢であっても、大阪限定では絶対的に豊臣が支配していたその時の状況においては、まず、その有利な状況を利用して徳川方の関西での拠点・伏見城を攻めて落とし、その勝利の報を全国に知らせる。 そうすることで、豊臣恩顧の大名で豊臣につくのをためらっている大名、本来は徳川方でも豊臣方でもない大名で、徳川が勝つと思うから徳川方についている大名に、豊臣が勝つのではないかと思わせ、そういう状況のもと、東から攻めてきた長距離を歩んできて疲れのある徳川軍を宇治川付近で破る、という真田信繁(幸村)らの主張を、徳川からスパイとして送り込まれていた小幡景憲が拒絶して籠城に持ち込み滅亡に至ったとかいうお話があるらしく、戦法の間違いもあるかもしれません。
   他に、「堅固」ということになっていた城として、岐阜城は、実際には、斎藤龍興が城主の時に竹中半兵衛がゲリラ戦で1度、織田信長が正攻法で1度、落としており、その後、織田信孝が城主の時に豊臣秀吉が正攻法で1度、織田秀信が城主の時に徳川軍が正攻法で1度、計4度、落城しており、「堅固」と言われたにしてはよく落城している。 結局、「武田信玄が言った」のかどうかわからんが、人の心がその城主に向いている時にはどういう城かにかかわらず、統治することは可能で、人の心が離れたならば、堅固な城を持っていてもだめということなのかもしれない。 司馬遼太郎の『国盗り物語』(新潮社)の中で、岐阜城を作った斎藤道三が、武田信玄と同じく、城なんかあってもなくても関係ないようなことを言っている。 それなら、なぜ、城を作るのかというと、「こけおどし」だというのだ。 城というのは、その程度のものだというのだ。 司馬遼太郎の小説というのは、取材した上で書かれているのはわかるが、俗説を集めて集成したようなところがあり、実際に斎藤道三がそういうことを言ったのかどうかはわからないが、ありそうな話ではある。
※ 《YouTube―国盗り物語のテーマ》https://www.youtube.com/watch?v=CgbVhpXdIAM

  しかし、行って見ると、甲府駅から「躑躅が崎館」へは徐々に登る坂道で、躑躅が先館は周囲よりいくらか高い場所に設けられ、石垣があって堀がある。 やっぱり、「城」でしょう。
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↑ 躑躅が崎館内、武田神社

甲府駅のすぐ北のような感じがするが、歩くとけっこうある。 今回、往きはタクシーで行って、帰りはバスの時刻を見ておいてバスで甲府駅まで帰った。 バスはあるのだが本数は必ずしも多くない。
※ 武田神社HPは、http://www.takedajinja.or.jp/

   武田信玄の「城」の躑躅が崎館は甲府駅の北側にあって、甲府駅の南側の甲府城(舞鶴城)は武田信玄の城ではないのだが、武田信玄の像は駅の北側ではなく南側にある。


  これ↓は、甲府駅のすぐ北側にある 山梨県立図書館。 連続片流れ屋根は北が高くなっており、北側の垂直面がすべてガラスで、そこから自然光を入れるようにできている。 2階にはすべての場所に自然光が入り、さらに、1階にも1~2階の吹き抜けの部分を通じていくらかは自然光が入る。
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↓ 南面には、水平な桟が並び、南からの強い日差しを遮りながら、光は入れるという工夫がなされている。
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誰の設計かと思ってインターネットで検索してみたが、出ていない・・・ということは、設計者は「有名建築家」「世界的建築家」「世界の◇◇」とかいう人ではないということか。 私は常々思うのだが、「現代建築」の評価はおかしいと思うのだ。 先に「世界的建築家」という人が決まっていて、そういう人が設計したというものだと「名建築」と認定される、というのは思考が逆立ちしていると思うのだ。 「名建築」を設計した人が「名建築家」であるはずで、先に「世界の◇◇」というのが決まっていて、そういう人が設計したというものは、ほめなきゃいけない、そういう人が設計したものは「裸の王様」みたいに賞賛しなきゃいけないというのはおかしいと思うのだ。
  「世界的建築家」と言われる人ならほめなきゃならないみたいに思っている自称「建築家」もいます。そういう人は、「世界の丹下」とかを実際に良いかどうか自分自身で考えるのではなく、考えもせずせっせと賞賛することで、それで、「丹下健三のエピゴウネン」であるちっぽけな自分もまた評価してもらう権利がある、みたいに思っているようですが、馬鹿げています。

↑ 私は、この山梨県立図書館は、機能的にもデザインにおいても相当に高く評価して良い建物だと思う。
  少なくとも、自然光の取り入れを全く配慮していない「槇文彦先生」の慶應義塾日吉(新)図書館より、こっちの方が自然光の取り入れというその点において絶対にいいと思う。
※ 山梨県立図書館のHPは https://www.lib.pref.yamanashi.jp/

   人生、なかなかいいことないけれども、苦労して努力して勤めてきて、何箇所か転勤もしてきたおかげで、転勤経験のない人間なら知らないことも知るようになったし、山梨県側から見る富士山 というのが、新幹線のおかげで関西と東京を行き来する人間がよく見る静岡県側の富士山以上にすばらしい ということも知った・・・のだが、年賀状用に写真を撮ろうと思って、二号でない あずさ にカネだして乗って行っても、ばっちり撮らせてもらうことはできなかった・・・が、「甲府城」と「躑躅が先館」の対比、 なかなかよく考えて作られている山梨県立図書館を見学することはできた。 

   木村政昭『緊急警告 次に来る噴火・大地震』(2015.1.15.青春新書)によると、火山の噴火は、地震と同じく地球をおおっているプレートの圧力によって、マグマが押し出されて起こるということが考えられ、水蒸気爆発が起こった御嶽山の噴火は、これで終わりではなく、今後、本格的な噴火が起こる可能性があり、富士山の噴火も考えられるらしい。

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   地震・津波に火山の噴火が十分に考えられる日本列島に、原発を稼働させるのは危険であるはずだ。 武田邦彦教授が、ブログに、「足し算ができない大学教授」として、原発事故が起こって放射線・放射性物質が放散された時、自然界にもこのくらいの放射線量があるから・・といったことを言う大学教授について、もともと、自然界に放射線があったとしても、もともとあるくらいの放射線の放散だから大丈夫かというとそうではなく、原発事故で放射線・放射性物質が放散された時には、自然界にあるものに新たに放散されたものが加わるのであり、「足し算」して考えなければならないのに、それをわかっていない? 大学教授がいるらしいという話を述べておられた。 
   もうひとつ、「かけ算のできない」人がいるのではないかとも思うのだ。 福島第一原発で事故が起こった後、青森県の小川原地区の放射性廃棄物処理施設の付近の人が、テレビで「福島の事故なんて、あんなものは千年に一度の事故なんですから」などと発言しているのが出ていた。 最近、足を骨折して整形外科に通った時、待合室でじいさんの2人連れが、「福島の事故なんて、あんなもの、菅直人のバカが処理を誤らなければ、どうってことない事故だったんだ」とか無茶苦茶言っているのが聞こえた。 じいちゃん、それは違うよ、と言ってあげたかったが、言ってもききそうになかった。 もしも、仮に、原発事故というものが「千年に一度」のものだとしても、今、日本に原発が50基あるとして計算すると、 
  1回/1000年・基 × 50基 = 1回/20年  
ということで、「20年に1回の事故」ということになる。
 50基以上あっても、それでも「千年に1度の事故」とか言っている人というのは、「かけ算ができない」のと違うのか? ということになる。 

   「軍師」と評価され、大阪冬・夏の陣の時に豊臣方として大阪城にいた小幡景憲は、実は徳川方からスパイとして大阪城に送り込まれていたのではないかとも言われるらしい。 関ケ原の戦いにおいては、小早川秀秋が、西軍に所属していたにもかかわらず、東軍に寝返り、奮戦していた石田・宇喜多・大谷らの軍勢を崩壊させた。 
   私、思うのですが、弁護士て、小早川秀秋で、かつ、小幡景憲じゃないのか?  という気がするのです。
   小早川秀秋をやりたいなら、弁護士をやらずに裁判官をやればいいと思うのです。 裁判官なら、これは、どっちが勝ちそうかと考えて、勝ちそうな方につく、ということをやったとしても、職業としておかしくないかもしれない。 しかし、弁護士がそれをやったのでは弁護士にならないのではないか。 ところが、弁護士は小早川秀秋をやる。
   そして、弁護士には、小幡景憲みたいなヤツがいる と思うのだ。 相手方のスパイ。 相手方のマワシモノが。
   「○日までに◇十万円振り込んでください」と要求して振り込ませた上で、実際の仕事では、小早川秀秋やり、小幡景憲やりするのでは、弁護士こそ「振り込め詐欺」ではないのか? ということになる。 弁護士は振り込め詐欺で、弁護士は火事場泥棒ではないのか?
   そのあたりについては、別に改めて述べる時もあると思う。 

   今回は、あけおめブログ としての甲府訪問記。 今年もよろしく。

  なお、「あずさ2号」を知らない方は、
⇒《YouTube―183・9系国鉄色あずさ あずさ2号》https://www.youtube.com/watch?v=I0M1K_iZKmE など参照。
(↑落ち着いて考えてみると、なんか、変な歌詞だな・・・)
       (2015.1.4.) 



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