岐阜羽島駅と北大阪急行「新箕面」駅(仮称)。知っている人は知っている。やはり、気になる橋下徹の関与。

[第125回]
   大阪府の北部に北大阪急行電鉄という「私鉄」があるのですが、これが、北端の「千里中央」駅から北に2駅延伸する計画があるらしい。(箕面市役所のホームページhttp://www.city.minoh.lg.jp/index.html にも、「北大阪急行延伸計画 イメージ画像」がでています。)
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(↑ 箕面市の配布資料より。 クリックすると大きくなります。)


   東海道新幹線が1964年(昭和39年)に開通した時、岐阜県の「岐阜羽島」駅について、当時は、田んぼの中の何もないところに新幹線の駅が作られたということで、「大野伴睦が自分の地盤の地域に無理矢理新幹線の駅を作った」と言われた。
   しかし、落ち着いて考えてみると、岐阜羽島駅というのは、もしも、新幹線の駅を岐阜県に1駅設けるとした時、そこが絶対に最適かどうかというと異論もあるかもしれないが、それほど無茶苦茶おかしな場所でもないように思うのだが、どうだろうか。
   又、「ウィキペディア‐大野伴睦」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%87%8E%E4%BC%B4%E7%9D%A6 によると、大野伴睦は、岐阜県の出身であっても、羽島市の出身というわけではなく、岐阜県山県郡美山町(現・山県市)の出身らしい。

   『週刊朝日百科 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 東海道本線』(2009.7.5.朝日新聞出版)によると、東海道本線は、最初から東海道本線として計画して作られたわけではなく、最初、東京の新橋(汐留)と横浜(現・桜木町)の間に日本で最初の鉄道が開通し、それに続いて、大阪―神戸間、その翌年、大阪―京都間が開通した。 その後くらいから、東京と関西を結ぶ鉄道を作ろうではないかという話がでてきたらしいが、当初は、東海道のルートではなく中山道のルートで結ぶつもりであったらしい。 関西方面では、京都から、現在の奈良線の京都よりの部分を通り、東山の南側を迂回して滋賀県大津市の膳所から浜大津に行き、そこから琵琶湖を船で長浜まで行き、長浜から関ヶ原あたりまで行って、そこから大垣を経て岐阜まで伸びて行った。 東京方面では、現在の東北本線で大宮まで、大宮から高崎線で高崎までのルートが当初の東京と関西を結ぶ鉄道の東より部分だったらしい。 ところが、高崎から西に信越本線のルートで伸ばしたのはいいが、当時の技術では碓井峠をどうしても越えることができなかったらしい。 そこで、やむなくルートを変更して、東京から西には中山道のルートではなく東海道のルートで進むことになったらしい。
   西の方は、岐阜から高山本線で美濃太田まで、美濃太田から太多線で多治見まで行き、そこから中央西線で東に進むと、ほぼ、かつての中山道のルートになる。 東海道本線は、東よりは後から旧・東海道のルートによって建設されたので、東京から名古屋付近まではほぼ旧・東海道のルートであるが、西より、京都から岐阜まではかつての中山道のルートなのである。 

   それで、そういう経緯もあって、岐阜県内では東海道本線は県庁所在地の岐阜を経由するようになっているが、しかし、岐阜に用事がある人、岐阜県内で移動する人にとってはこのルートでおかしくないのでしょうけれども、岐阜県内は素通りする人にとっては、岐阜をまわるのは遠回りなのです。
   東海道新幹線が最初に作られた時、「ひかり」の停車駅は東京・名古屋・京都・新大阪だった。 それに、「こだま」の停車駅として、神奈川県に新横浜・小田原、静岡県に熱海・静岡・浜松、愛知県に豊橋、滋賀県に米原が設置された。  東海道新幹線は、基本的には当初の「ひかり」の停車駅を最短で結ぶという計画で作られたもののはずで、それに、その間の県を素通りするわけにもいかないだろうからということもあって、各県に「こだま」の停車駅を1駅、ないし、かつての「国」ごとに1駅くらいの割で設置することにしたというものだろう。
   どの場所かはともかく、横浜市内に1駅は妥当だろう。 旧・相模国に1駅なら小田原が妥当。伊豆地方への入口付近に1駅なら熱海か沼津か三島かというところで、熱海。 駿河地区から県庁所在地の静岡、遠江地区なら静岡県で県庁所在地の静岡より人口の多い浜松が妥当。 三河地区から1駅なら豊橋が妥当。 滋賀県では、県庁所在地の大津では京都に近すぎる。 東よりでは彦根か、北陸本線との分岐点の米原かということで米原・・と決まったとして、岐阜県で、県庁所在地の岐阜をまわることにすると、岐阜の人はいいとしても、東京・名古屋と京都・新大阪を最短で結ぶという「ひかり」の目的からするとずいぶんと遠回りになる。 東海道新幹線が開通当初の「ひかり」の停車駅を基本として作られたもので、米原が北陸本線との分岐点として「こだま」の停車駅として決まったとすると、名古屋と米原をほぼ最短距離で結ぼうとすれば現在のルートになる。 
   もし、ほぼ現在のルートで「岐阜羽島」以外に「こだま」の駅を設けるとするとどこか? 東海道本線で名古屋と米原の間で岐阜以外で特急・急行が停車していた駅は「尾張一宮(おわりいちのみや)」と「大垣」である。 尾張一宮では名古屋―米原の間でかなり名古屋に近いし愛知県であり、岐阜県としては岐阜県内に1駅ほしいはずである。 となると、大垣か?  岐阜県では、県庁所在地の岐阜でなければ、大垣は人口の多い大きな市であるが、岐阜県内の新幹線の駅を、もしも、羽島でなく大垣にしていたとすると、それならそれで「なぜ、大垣なんだ」という意見・批判はでたと思われる。 名古屋―米原の間で、ほぼ中間地点でとなると、羽島付近になる。

   そして、開通当初、「田んぼの中の何もないところの駅だ」という批判がされたが、たしかに、開通当初は、名鉄羽島線の駅とも少し離れていた。 せめて、名鉄の線と交差する場所にすることはできなかったのだろうかとは思った。 現在では、名鉄の「新羽島」駅と接続されているらしいし、最初、「田んぼの中の何もないところ」に作られた・・としても、むしろ、新しくその地域を開発するならば、何もない場所に作った方が、既成市街地に作るよりも、計画的に街づくりができてよい面もある。(岐阜羽島駅付近の地図は、「ライブドア地図情報-岐阜県羽島市舟橋町8丁目」http://map.livedoor.com/map/?lat=35.31113889&lng=136.69203889&name=%E5%B2%90%E9%98%9C%E7%9C%8C%E7%BE%BD%E5%B3%B6%E5%B8%82%E8%88%9F%E6%A9%8B%E7%94%BA8%E4%B8%81%E7%9B%AE&zoom= 他参照。) 「何もないところにできた駅」としては、「新横浜」駅も、かつてはそうだった。 30年くらい前、1980年に、私は横浜市港北区に住んでいたが、新横浜駅に行ってみると、周囲にあるのは、当時の用語で「連れ込みホテル」、現在の用語で「ラブホテル」ばかりで、他は何もないところで、連絡する線も横浜線という横浜と八王子を結ぶ、幹線でない線だけだった・・・が、今は新横浜駅の周囲はその頃とはまったく違う。 地下鉄も乗り入れているし、そのうち、東急も乗り入れるという計画があるらしい。

   政治家が手を尽くしてその場所に駅を持ってきたと言われる駅としては、岐阜羽島より、むしろ、渡辺美智雄の地元だと言われる「那須塩原」駅の方が顕著な気がする。(≪かつては東那須野駅(ひがしなすのえき)と称し、塩原温泉郷の玄関駅である西那須野駅と、那須高原の玄関駅である黒磯駅という2つの特急停車駅に挟まれた、急行も停まらない小駅であった。しかし、東北新幹線の開業にあたって、旧西那須野町、大田原市と黒磯市の綱引きの結果、3市町の中間にある当駅に白羽の矢が立ち、一挙に新幹線停車駅に出世した。≫〔「ウィキペディア-那須塩原駅」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%A3%E9%A0%88%E5%A1%A9%E5%8E%9F%E9%A7%85 〕) 最近、那須塩原に行っていないが、20年ほど前、1989年に行った時には、岐阜羽島以上に何にもなかった。駅前に立ち食いそば屋が1軒あっただけだった。一般的には、栃木県北部で、宇都宮と新白河の間に1駅なら、那須塩原駅の北の「黒磯」駅が妥当だと思うし、JRになってから「ぶつぎり」になった東北本線の普通電車は黒磯でそれより南とそれより北で分かれていた。
   上越新幹線が新潟までと東北新幹線の盛岡までが同時に開通した時、これは、要するに、福田赳夫・中曽根康弘の群馬県と田中角栄の新潟県、鈴木善幸の岩手県と、首相経験者の地元に新幹線を引いたというものか? と思ったら、東北新幹線の途中の駅の「那須塩原」は渡辺美智雄の地元だった・・らしい。(なんだかなあ・・)
   もっと、おそろしい仮説がある。 東北新幹線は、八戸から新青森へ行くのに、東北本線が通っている三沢・野辺地を通らずに内陸部の七戸十和田を通るのはなぜか? さらに、もしも、東京・仙台・盛岡から北海道の函館・札幌を最短で結ぶならば、青函トンネルは津軽半島と北海道の渡島半島の西よりの間で建設するのではなく、下北半島と函館の東のあたりを結んだ方が最短で、かつ、北海道南部で最大の都市・函館に近い場所に駅を設けることができるのに、なぜ、津軽半島経由なのか? 東海道新幹線が岐阜を経由せずに名古屋と米原を最短で結ぶルートを取ってその中間付近の羽島に駅を設けたことを考えると、又、北海道新幹線が北海道南部で(渡島半島で)最大の都市である函館を経由しない計画になっていることから考えるなら、県庁所在地の青森を通るというのは絶対というものでもなかったであろう。  あくまで、仮説であるが、青森県は弘前を城下町とする西よりの旧・津軽藩と、岩手県からつながっていた南部藩の東部、それに、会津から移されてきた下北半島のむつ市田名部の斗南藩からなり、県庁所在地の青森はもともと、津軽藩の城下町・弘前の外港であり、青森県は東半分と西半分では西半分の方が政治的に強いからではないか・・・という仮説が考えられる。 仮説ではあるが十分ありそうに思える仮説である。
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(↑「慶長3年(1867年)における大名の配置」 5万石以上の主な大名。数字は石高。
[児玉幸多編『標準 日本史地図 新修版』1956.3.30.吉川弘文館 所収。]↑クリックすると大きくなります。↑)
   それだけなら、まだよいのだが、東通原発のある東通村・関根浜のあるむつ市・大間原発が建設中の大間町などの下北半島と六ヶ所村などの小川原地区を核のゴミ捨て場にしようとして、それで、青函トンネルは津軽半島まわりにして、かつ、東北新幹線も八戸と新青森の間を下北半島から遠ざかるように内陸部を通っているのではないのか? という仮説が考えられる。 もしかすると、函館付近の新幹線の駅も函館市の市街地からずいぶんと離れて函館市ではない北斗市に設けられる予定というのは、下北半島を核のゴミ捨て場にするとともに、「もしも・・」の時には函館市は捨てることを考えて、北海道新幹線の駅も函館市から離して計画されているのではないのか? これは仮説であるが、十分、ありそうな仮説である。(青森県の七戸十和田駅付近の地図は、「ヤフー地図-青森県上北郡七戸町」http://maps.loco.yahoo.co.jp/maps?lat=40.74475491&lon=141.15801248&ac=02402&az=&z=13&id=&fa=pa&ei=utf8&p=青森県七戸町(上北郡)他参照。)

   昔、自民党の国会議員・荒船清十郎が国会で社会党の議員から、国鉄の急行を荒船清十郎の地元の駅に2台か3台停車させたとして追及された時、「急行の2台や3台停めたくらい、なんだ。」と言ったことがあったと思うが、もしかすると、たしかに、「急行の2台や3台、停めたくらい」たいしたことないのかもしれない。
   国鉄だから、与党の国会議員が地元に急行を停車させた、というのが問題になるのであって、私鉄の場合、それほどたいした駅でもないのに、なぜか特急が停車する駅・・・というのは、実は、その駅の近くにその私鉄の会社の社長か副社長か専務か常務かが住んでいる・・とかいうことがよくあるらしい・・・・と、かつて、私鉄の重役だった方の親戚の方から聞いたことがある。 まわりに何もないのになぜかJRの快速が停まる駅・・というのも、もしかするともしかするのかもしれない。

   そういったことを考えると、「岐阜羽島」駅というのは、東海道新幹線が開通した頃、「大野伴睦が地元に勝手に作った駅だ」とかずいぶんと言われたけれども、実際にどうか知らないけれども、東海道新幹線の岐阜県内の駅としてはそれほど無茶苦茶おかしな場所というわけではないし、「なんだかあやしい」駅・路線というのはもっと他にあるような気がする。
   大野伴睦に関しては、福島県で、新産業都市の指定を浜通りのいわき市と中通りの郡山市とが指定を受けたいと主張して、新産業都市の指定は基本的には1県には1地域であることから両方の指定は難しいがいずれも譲ることはできないという時に、大野伴睦がいわき市と郡山市に足を運び、その間の国道49号もクルマで通った上で、「こんなもの(いわき市と郡山市の間の山)は山ではなく丘だ」と言って、いわき市から郡山市にかけてはひと続きの地域だということにして、「磐城・郡山地域」としての指定を受けることができるようにした、という話を聞いたことがある。 1県1地域といっても、福島県の場合、面積としては大阪府・香川県などの何倍もある県であり、面積からすれば2県分は十分あるのだから、いわき市と郡山市の両方が指定を受けたとしてもそれほどおかしな話ではなく、そこを「現実的対応」として「山ではなく丘だ」と言って実現したとして、「勝手に決めた」とマイナスの評価をするのではなく、プラスに評価してもそうおかしくないかもしれない。
   岐阜県内の新幹線の駅も県庁所在地の岐阜に新幹線の駅を欲しいという人たちがいたのだろうけれども、東海道新幹線の目的から考えて岐阜を迂回するわけにはいかないということから、誰かが決めないと進まないという時、羽島にしようと決断したということだったのかもしれない。 それは、それほど、無茶苦茶な決断ではないが、しかし、県庁所在地の岐阜に駅が欲しかった人たちなどからすれば、政治家が勝手な場所に駅を作ったという気持ちがあったかもしれない。
   「ウィキペディア‐大野伴睦」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%87%8E%E4%BC%B4%E7%9D%A6 には≪ 産経新聞の『戦後史開封』によると、岐阜県は岐阜市または大垣市への新幹線駅設置を要望するが、その場合、新幹線路線を大幅に迂回しなくてはならないため、建設予算や名古屋駅以西の所要時間が延びる関係上、国鉄は難色を示した。これに地元は激しく反発し、一時国鉄は岐阜県内での測量ができない状態になった。そこで国鉄が大野に斡旋を依頼し、結局新幹線路線を迂回させることの無い岐阜羽島駅の設置とした為、大野自身が地元の利権に絡んで圧力をかけたわけではなく、むしろ地元の利益よりも新幹線の速達性を優先した結果であった。岐阜羽島駅が今日、政治利権の権化とされるのは、地元の利益の代弁を装い、地元の利益誘導をでっちあげたことに由来する。≫と書かれている。 大垣なら特に迂回することにはならないようにも思うが。 


   それで。 大阪府の北部に北大阪急行電鉄という「私鉄」があるのですが、これが、北端の「千里中央」駅から北に2駅延伸する計画があるらしい。(箕面市の配布資料が↑冒頭の図です。)(箕面市役所のホームページhttp://www.city.minoh.lg.jp/index.html にも、「北大阪急行延伸計画 イメージ画像」がでています。)
   大阪府から離れた地域の方はよくわからないかもしれないので説明すると、大阪市では、最も中心部を通っている電車は、地下鉄御堂筋線であり、大阪市のターミナルである梅田(大阪駅)‐難波‐天王寺を結び、梅田から北に行って新幹線と接続する新大阪を経て、大阪のいわば「副都心」的な町になってきている江坂まで行き、江坂‐緑地公園‐桃山台‐千里中央 の3駅の北大阪急行とつながります。 かつて、1970年(昭和45年)に大阪万国博覧会が開催された時は、千里中央から東に曲がって万博中央口まで1駅走っていたが、今はその部分はなく、そのルートは大阪モノレールが走っている。
   北大阪急行電鉄は、3駅だけの路線であるが、私鉄として「大手」か「中小」かというと、「ウィキペディア―北大阪急行電鉄」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%A4%A7%E9%98%AA%E6%80%A5%E8%A1%8C%E9%9B%BB%E9%89%84 によると、「準大手私鉄」に分類されるらしい。 阪急電鉄が54%と過半数の株を持ち、他に大阪府が20%など持つ会社らしい。

   その北大阪急行電鉄の千里中央駅から北に2駅延伸して、大阪府箕面市内に、「箕面船場」「新箕面」という2駅(仮称)を設置しようという計画が立てられている模様である。 これについて、北大阪急行電鉄の「ほぼ親会社」の阪急は必ずしも積極的ではなく、積極的だったのは誰かというと、大阪府と箕面市、特に、大阪府知事時代の橋下徹だった・・という説が巷間では言われている。 
   この計画はそれほどおかしな計画ではない。 だから、橋下徹が積極的に進めたとしても特別におかしなことを進めたとは思わない。 しかし、・・・である。 知っている人は知っている・・というより、昔から住んでいる箕面市民はたいてい知っていることがあるのである。

   「新箕面」駅(仮称)が設置される予定の場所は、阪急バスでは「萱野中央(かやのちゅうおう)」(南方向行き)と「萱野小学校前」というバス停の付近で、すでに、箕面マーケットパークヴィソラ(http://www.visola.net/map/bus.html )ができており、北大阪急行・大阪モノレールの「千里中央」駅との間に箕面マーケットパークヴィソラとの間に直行シャトルバスも走っているようである。又、現在、箕面市西少路4丁目にある箕面市役所も「新箕面」駅(仮称)の近くに移転する計画があると聞きます。(「阪急バス」「路線系統図」http://bus.hankyu.co.jp/rosen1/isibasi.html 参照。)
   北大阪急行電鉄は、大阪万国博覧会があった1970年(昭和45年)〔現在の箕面市長だという倉田哲郎《「ウィキペディア-倉田哲郎」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%89%E7%94%B0%E5%93%B2%E9%83%8E 他参照。》が生まれた1974年(昭和49年)より4年前。 [素朴な疑問。倉田哲郎なる男、東大法学部卒で衆議院議員の息子で郵政省→総務省のキャリアだった男が、都道府県知事でもなく、政令市でも中核市でもない箕面市の市長などに、自分の出身地でもないのに、なぜ立候補したのだろう? 箕面市長を足がかりとして大阪府知事あたりに出るつもりなのだろうか。知事選に出るなら出身地の静岡県よりも大阪府の方が知事でも格上とかかつての大阪府知事・太田房江みたく思ったのだろうか。]〕に開通した電車で、それまでは、大阪府豊中市には阪急宝塚線、吹田市には阪急千里線と南部に国鉄東海道線が走っていて、箕面市には阪急「石橋」駅から分岐する阪急箕面線があるのみでした。 その頃の箕面市は、箕面線の周囲のみが大阪市内へ通勤する住宅地で、中部・東部は、良いか悪いかは別として「いなか」でした。 大阪万博が開催された時、箕面線の「箕面」「牧落(まきおち)」「桜井」から千里方面に行くアクセスはなく、阪急で十三(じゅうそう)駅まで行き、千里線に乗り換えるか、梅田駅(JRでは「大阪」駅の場所)まで行き、地下鉄御堂筋線-北大阪急行で行くかするしかありませんでした。その後、「千里中央」と「箕面」との間に阪急バスが通るようになり、又、中部・東部も北大阪急行の「千里中央」や阪急千里線の「北千里」からバスが通り、住宅地として開発され、考えようによっては、阪急宝塚線の支線の箕面線の沿線よりも、大阪では最大の幹線である地下鉄御堂筋線に直通する北大阪急行の「千里中央」駅にバスで行ける中部・東部の方が便利かもしれないような状況にもなってきました。 東部は、阪急千里線の「北千里」駅が、吹田市と箕面市の境目に近い吹田市にあり、「北千里」駅までバス便がある地域もありますが、千里線は、梅田(大阪)までの電車と天神橋六丁目(天六)で地下鉄堺筋線と直通して天下茶屋まで行く電車の2系統で、同じ地下鉄とはいっても、御堂筋線と堺筋線では、最大の幹線で大阪市地下鉄として元・1号線である御堂筋線とは現実問題として差があります。
    阪急箕面線は、朝夕は梅田まで直通の電車があるとはいえ宝塚線の支線で、「石橋」で乗り換えても梅田(大阪)まででそれより南に行きたいときは梅田で乗り換えないといけません。 それに対し、北大阪急行は梅田で乗り換えることなしに淀屋橋‐本町‐心斎橋‐難波‐大国町‐天王寺 といった大阪市の中心部に乗り換え無しで直接行ける線であり、難波で南海に乗り換えるか天王寺でJRに乗り換えれば関空にも行きやすく、大阪ではこれ以上重宝な線はありません。 東部・中部の住民にとっては、阪急宝塚線の支線である箕面線の駅までバスで行ってそこから石橋乗り換えで大阪市内に通勤するよりも、「千里中央」駅までバスで行って北大阪急行‐御堂筋線、もしくは、「北千里」駅までバスで行って阪急千里線で梅田、もしくは、堺筋線を使用して市内まで行く方が便利な状況でした。 
    大阪万博の1970年前後は阪急箕面線の周囲である西部のみが大阪市内へ通勤する住宅地であって、東部・中部は昔からの箕面市の住民の住む所、昔むかしからの住民の方には失礼な言い方かもしれないけれども、良いか悪いかは別として、「いなか」だったのが、現在では、箕面市の東部・中部も大阪市内へ通勤するサラリーマンの住宅地になってきており、かつ、東部・中部の住人が利用する鉄道は西部の阪急箕面線ではなく、阪急千里線と北大阪急行、及び、最東部では大阪モノレール彩都線になっています。 これだけ、市街化してきている以上、北大阪急行、及び、阪急千里線が、「千里中央」と「北千里」から北に延伸して悪くないはずではないかと思われます。 
    阪急が当初あまり乗り気でなかったというのは、もしも、北大阪急行が「新箕面」まで延伸した時、これまで阪急箕面線や阪急千里線を利用していた乗客で、北大阪急行利用に変える人が出てくることは十分に考えられることで、北大阪急行は阪急が過半数の株を持つ会社であるとはいえ阪急そのものではなく、かつ、阪急箕面線宝塚線の場合は、大阪市内の梅田まで阪急、千里線は梅田・天六(天神橋筋六丁目)まで阪急であるのに対して、北大阪急行は大阪市と吹田市の境目を吹田市側に入った江坂までで、それより南は大阪市交通局の鉄道であり、北大阪急行の「新箕面」延伸は、阪急としては運賃収入を減らす可能性が考えられる延伸計画であり、単に、収入減であるだけならまだしも、箕面線・千里線の経営が今まで通り成り立つかどうかの不安もあったのではないかと思われる。 又、もし、箕面市の中部・東部に鉄道を延伸させるのであれば、北大阪急行なのか、阪急千里線なのかという問題もある。阪急千里線の「北千里」駅は、櫛型ホームではなく、島型ホームで北千里駅の少し北まで線路が伸びている。 これは、北千里からさらに北方向に路線を延伸させることを考えたものと思われる。 阪急としては、北大阪急行を北に延伸させるより、千里線を北に延伸させた方が利益につながることが考えられる。
   
   箕面市の住民にとっても、東部の住民にとっては千里線の延伸の方がありがたい人たちもいると思われる。もしも、箕面市のすぐ南まできている北大阪急行と阪急千里線を箕面市内まで延伸させるのであれば、なぜ、阪急千里線ではなく北大阪急行なのか、という疑問は出る。 阪急千里線の北千里駅の北側にいつでも線路が敷けるように盛土がされていてずいぶんとなるが、あれは延伸しないのだろうか。 ≪阪急北千里駅は相対式ホーム二面の駅で、ホームの先に引上線がずっと伸びている。ところがその先も、明らかに線路を敷ける盛土が国立循環器病センターまである。…≫≪この盛土をつくった張本人がだれかを調べてみたところ、大阪府であることが判明した。・・・循環器病センターの先、どこに行くかを想定してみると、千里ニュータウン北部の住宅地の中心地・箕面市白島地区ということになる。ここは北大阪急行が延伸することになっている。・・・さらに白島から箕面線の終点箕面駅まで延ばすと、半環状線ができる。・・≫(川島令三『図解 新説 全国未完成鉄道路線』2007.10.25.講談社)
   北大阪急行を延伸させるとして、1番目の駅が、大阪市内の船場の繊維関係などの会社を移転させて作った箕面市の「船場団地」に「箕面船場」駅を設けるのは妥当として、2番目の駅が、なぜ、萱野地区なのか? という疑問は出る。 もう少し北まで伸ばして北側の山のすぐふもとの「白島(はくのしま)」付近の方が妥当ではないかとも思える。川島令三『図解 新説 全国未完成鉄道路線』(2007.10.25.講談社)に掲載されている「10号答申の大阪圏高速鉄道整備網図」を見ると、北大阪急行の千里中央から「箕面中部(白島)」までが「整備区間」として掲載されている。なぜ、白島(はくのしま)からその南の萱野地区に計画が変わったのだろう。 阪急千里線を「北千里」から「今宮」地区まで延伸させることを考えて、北大阪急行は「箕面船場」から北西に伸ばして、「如意谷(にょいだに)」地区、もしくは、阪急箕面線「箕面」駅に近い箕面市「箕面」に伸ばすべきではないかといった考えもあると思われる。 逆に、阪急千里線が北に延伸するという計画のもとに「北千里」駅のすぐ北側まで千里線の線路は伸びているとはいっても、その状態ですでに何十年も経っているのであり、東部に延伸しないでそのままの可能性は十分あるのだから、むしろ、「箕面船場」から箕面市の東部の「今宮」「石丸」地区に伸ばすべきではないか、という考え方もあるだろう。 〔箕面市の地図については、たとえば、「ライブドア地図情報‐箕面市」http://map.livedoor.com/map/?lng=135.473263888889&lat=34.8236769444445 参照。〕 白島地区の方が山のすぐふもとの場所で、「萱野中央」バス停付近では中途半端な位置という印象もあるが、「萱野中央」バス停付近の方が、ここにバスターミナルを設けて国道171号(西国街道)沿いの地域へバスを走らせるには便利という面はあるかもしれない。現在、計画されている北大阪急行「新箕面」駅の北側に阪急千里線を延伸して駅を設けて、大阪府北部の千里中央のひと回り北側のターミナルとすることも可能性のひとつとして考えた上でこの位置に計画したとすればおかしな話でもない。
   だから、「新箕面」駅の予定されている場所は、そこではなく、他の場所の方が適切ではないかという主張もあっておかしくないのであるが、しかし、特別におかしな場所を予定されているというわけでもなく、道路の新御堂筋に沿って「箕面船場」駅から北に延びたとすると、この場所かそれより少し南か少し北かというあたりに設けられたとして、特に異様な場所というわけではない。 候補として考えられる何か所のうちの1か所ではあると思われる。

   しかし、ここで、つい、思い浮かべてしまうのである。 北大阪急行電鉄の「新箕面」駅(仮称)延伸に熱心だったのが大阪府知事時代の橋下徹だったという話を聞くと、やはり、ふと思い浮かべてしまうのである。 昔からの箕面市民で思いつかない人はないと思う。 「ウィキペディア‐橋下徹」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E4%B8%8B%E5%BE%B9 には、≪母子は、橋下が小学校5年生の時に大阪府吹田市に転居。1年後に大阪市東淀川区にある府営住宅に入った。ノンフィクション作家の上原善広によると「府営住宅に申し込んだら、偶然、その地区(同和地区)に当たったようです。母親は息子に、父親がいわゆる被差別部落出身者だということは教えていなかったと思う。彼は自分のルーツを知らぬまま東京で育ち、その後、たまたま別の部落のある街に引っ越して生活するという、非常にねじれた境遇で育った」という。また、橋下の母親は府営住宅の家賃に関して同和減免措置を受けるよう誘われたが断り続けたという≫≪実父とその弟(叔父)は暴力団組員だった。実父は円吉とナツ夫妻の二男四女の長男として生まれた。実父は橋下の幼時期に家庭から離れ、八尾市の同和改良住宅に住み、橋下が小学校2年生の時に死去。自殺だったという。実父は現在、同和地区住民のために建設された八尾市の市営墓地に眠っている ≫≪部落問題について、かつて関西系の情報番組で飛鳥会事件が取り上げられた際、「私はこの○○地区で育ち、ど真ん中で差別も利権の構造も見てきた。親の世代はまだまだ差別に苦しんでいた」と体験談を語っていた。 ≫と書かれている。
   この際、言ってしまおう。 箕面市の「萱野(かやの)」という地区は、赤穂藩士で討ち入り前に自刃した萱野三平(「ウィキペディア‐萱野重実」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%B1%E9%87%8E%E9%87%8D%E5%AE%9F 他参照。)の旧居(「ウィキペディア‐萱野三平旧邸」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%B1%E9%87%8E%E4%B8%89%E5%B9%B3%E6%97%A7%E9%82%B8 、「萱野三平旧邸長屋門」http://www.eonet.ne.jp/~yorisan/newpage74.htm 他参照。)がある所でもあるが、いわゆる元「部落」と言われる地区を含む地域らしい。 「部落」と言われた地域の出身の方がすべて悪い人だなどとはまったく思わない。「部落差別」といったものは解消されるべきものであって、決して存続させるべきものではないと思う。 私は個人的には「部落」と言われた地域の人たちから特別に悪いことをされたことは特にない。あえて言えば、30年以上前、高校生の時、阪急箕面線の「箕面」駅で降りた時、箕面駅前で、冤罪事件、特に、被差別部落出身者が犯人だとでっちあげられたのではないかと言われている狭山事件(「ウィキペディア‐狭山事件」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AD%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6他参照)についてのチラシを配っている人がいて、そのチラシを渡されたので読ませてもらおうと思ったのだが(現在の警察・検察・裁判所は冤罪を製造する道具であり、狭山事件は、被差別部落出身者だから犯人にでっちあげられたと言われてきたが、私は、むしろ、被差別部落出身者であるから、支援組織ができて支援運動がおこったのであり、そうでない者なら泣き寝入りさせられる可能性が高かったのではないかと今は思っている。)、配っていた人がそれだけではなく署名してもらいたいと言い、私は、決して「部落差別」といったものを存続させるべきだと言うつもりなどなく、むしろ、解消するべきものだと思っているが、しかし、狭山事件についてはそれほどよく知らなかったので、よくわからないものについて署名するべきではなく、自分がその問題について十分に理解して納得して、これはたしかにそうだと思った時に署名するべきであると思ったので断ったところ、「どうして署名しないのですか。どうしてですか。」「どうして書かないんですか。」としつこく言われ、まるで、署名しない者は「部落差別」を加えている加害者であるかのような言い方をされ、それで、根負けして署名してしまったということがあったが、そういう署名の求め方はやめてほしい。 青地晨は『冤罪の証明』(1975.1.30.社会思想社 現代教養文庫)において≪この本に取りあげた事件は、むろん無実の確信があってのことである。冤罪事件を選ぶにも、法律にしろうとの私が行き当たりばったりに選んだわけではない。専門の人びとに相談して十分に意見をきき、その意見を第一に尊重し、そのうえで私自身や、私の仕事を手伝ってくれた人たちが事件を調査して、これならという確信がうまれたときに、はじめて取りあげたのである。 死刑囚の冤罪運動に熱心な人びとから、ぜひこの事件を取りあげるようにといわれても、以上の条件をみたさないものは取りあげることを避けた。冤罪運動に熱心な人びとの努力には頭が下がるが、われわれ自身が無実の確信をもたぬかぎり、それは読者をあざむくことになるからである。≫と述べている。 署名するのであれば、世間でそれは冤罪ではないのかと言われているらしいという程度の知識しかない段階でするべきではなく、ある程度以上自分でその問題について学び理解して、ある程度以上自分で確信を持てた段階でするもので、又、その「ある程度」がどの程度かは署名する者が決めるもので署名を求める人が決めるものではないと思います。 その時、署名しないとしても、決して、「差別」に加担しようとしているわけではないのであり、署名するなら自分で十分に理解して納得してからと思っている者に無理強いするようなやり方は感心しない。 橋下徹と同じ中島中学校の出身の人から、その付近では、「部落差別反対」の署名を求める際には、普通は署名を求める時というのは「○○についての署名をどうかお願いいたします。」とでも言って求めるものだが、そうではなく、「こらあ、署名せんかい。おらあ。」と脅迫的態度で求められると聞いたことがあるが、私が箕面駅前で求められた時は、そういうものではなかった。 しかし、その時、署名を求めていた人は無理強いしているつもりはなかったのかもしれないが、それでも、結果としては実際に無理強いしていたと思う。その点については好ましいとは思わない。 そのくらいである。 それで、阪急バスの「萱野中央」バス停付近に「新箕面」駅を設置する計画は絶対にその場所が適しているとは言い切れないが特に異常な場所ではないのであるが、その延伸計画に、大阪府知事時代の橋下徹が熱心だったという話を聞くと、府知事時代にどうも公私混同の疑いが感じられる行為のあった男が、この点においてもまた、北大阪急行電鉄を北に伸ばして、元「部落」と言われる地域に近い場所に「新箕面」駅を設置させようとしたのか?・・・という疑いを感じてしまうのである。

   私は、北大阪急行電鉄の箕面市内への延伸は特におかしな計画ではないと思う。東海道新幹線が岐阜県内の今のルートが特におかしなルートではないのと同様に。 むしろ、なぜ、今まで延伸されなかったのかと思うくらいである。 又、「新箕面」駅(仮称)の場所は特別におかしな場所ではないと思う。 岐阜羽島駅は、そこが絶対に適していたかどうかはともかく特別におかしな場所ではないのと同様に。 他にも、たとえば、「ウィキペディア‐鉄道と政治」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E9%81%93%E3%81%A8%E6%94%BF%E6%B2%BB を見ると、山陽新幹線「相生」駅は河本俊夫の地元だったとか、上越新幹線と東北新幹線は田中角栄と鈴木善幸が作ったとかその他いろいろと言われたらしい。鉄道に限ったことではなく、道路でも、高速道路がなぜか「くいっ」と曲がって変な方向に迂回しているところなど、あやしい箇所はけっこうある。 それらは、「あやしい」としても「絶対に異常」でなければ断定できかねるものが多いのであるが、しかし、「あやしい」ものはけっこうある。
   「ウィキペディア-橋下徹」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E4%B8%8B%E5%BE%B9 を見ると、≪黒田まさ子府議(日本共産党)が2000年ならびに2005年の府調査のデータを挙げて「結婚差別も克服、解消されていっている」「同和行政は逆差別になっている」と発言したところ、橋下は「いまの質問は残念でなりません。そのような数字や机上の論にしばられることなく、現場の実態を見極めて、政治をやっていきたい」「同和問題が解決されたということは、まったくの事実誤認、認識不足だ」と応じた。≫というが、黒田まさ子府議の発言のように、少なくともかつてと同じではなくなってきており、又、「同和」を理由に不適切な利権を得ている人たちがいるという批判もなされているのであるが、国鉄(現・JR)の新幹線「新大阪」駅にしても、特別におかしな場所ではないが他に候補地がまったくなかったわけではないと思われる。 橋下徹の出身校である中島中学校のすぐ西に新大阪駅はある。新大阪駅の場所の決定においても、もしかして・・・・ということはまったく考えられないことではないとも思えてくる。
   北大阪急行電鉄の「箕面船場」「新箕面」駅(仮称)への延伸は特別におかしな計画ではなく、「新箕面」駅の場所も特別に異常な場所というわけでもないが、しかし、やはり、橋下徹が熱心であったと聞くと、「やっぱり?」とふと思ってしまう人は少なくないと思う。 少なからぬ箕面市民は気づいている。 少なからぬ大阪府民も気づいているのではないかと思う。
     (2013.3.13.)


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    Excerpt: 岐阜羽島駅と北大阪急行「新箕面」駅(仮称)。知っている人は知っている。やはり、気になる橋下徹の関与。 哲建ルンバ/ウェブリブログ Weblog: VISVIM 通販 racked: 2013-07-10 07:39