なぜ原発・安保・自衛隊はワンセットなのか? 及、福島県東部中部への観光誘致は殺人罪に該当しませんか?

〔第118回〕
  武田邦彦教授のブログを見ていると、原発に対しての批判、放射能汚染の指摘をおこなうと、「バカヤロー」と怒るおじさんが出現するようなことが書かれていた。 これは、どういうことだろうか、過去の亡霊がよみがえったのだろうか、という気持ちになった。

  今は亡き私の父がそんな感じの人間であったのだ。 今となっては30年くらい前、私が20代前半位の頃、どうも、原子力発電所というのは、相当に危険なもので、国民にとって決して良いものではないらしいと、たとえば、広瀬隆氏の『東京に原発を』(集英社文庫)などを読んで、家中で口にすると、「そんなバッカなことがあるか!」と父は怒ったものでした。
  又、日本国憲法の第九条から考えるならば、少なくとも法律論理からいけば、自衛隊は違憲であることや、日本の自衛隊というものは、アメリカ合衆国軍の配下にあって、決して日本国のための独立した存在のものとはいえないらしいとか、日米安保条約というものは、結局のところ、「日本はアメリカ(合衆国)のメカケのようなもの」としての条約であり、独立国として、少なくとも無条件に肯定はできないのではないか、といったことを口にすると、「甘ったれるな」とか怒ったものです。
  父は「戦中世代」、別の表現をすると、「まったく関係のないことを話す場合でも、『戦争で苦労した』、『軍隊で鍛えられた』、『満州で苦労した』ということを、とにかく、ひとくさりは言わないことには、何も話せない世代」であったわけであり、「とにかく、その部分について逆らうとうるさいから、逆らわない方がいい世代」であったのです。

  1970年代には、プラモデル屋というのか、おもちゃ屋というのかに行くと、「戦艦長門」「戦艦大和」「巡洋艦愛宕」「航空母艦信濃」「零戦」といったもののプラモデルが幾種類も売られていて、わが父も、そういうものをいくつも買って組み立てて並べ、「今、こういうものが一隻でもあれば、千島なんぞ、すぐにでも取り返してやるのになあ~あ。」「ロスケどもをやっつけてや~る!」とか叫んでいました。 あのう、たしか、日本の自衛隊は、すでに、戦艦長門以上のものを持っているはずですけどお~お・・・とか言いたくなったりしたことがあるのですが、・・・・まあ、待て、逆らうとうるさいぞ・・・・・、黙ってよかな~あ・・・・と思って、言わないでおいたことがありました。 最近では、「自分で作る法隆寺五重塔」とか「自分で作る金閣寺」とかは販売されていても、「戦艦長門」とかのプラモデルが売られているのはあまり見ない、というのは、そういう戦艦・巡洋艦・駆逐艦を作って戦中の時代をなつかしむ世代の人たちの多くはすでに他界されたか、生きていても、もう、プラモデルを作る元気はなくなったかということなのかもしれません。
  ときどき、思いだしたように、「ロスケどもをやっつけてや~る!」とか叫ばないとおれないというのは、やっぱり、「戦中世代」と言われる人たちが共通して持っているビョーキなのではないか、ときどき、その世代でも、そのビョーキを持っていない、いわば、「精神の独立」を達成したような人もおられるようでしたが、しかし、「精神の独立」を達成できていない人の方が多い世代であったと思われ、そして、私のような、「戦後世代」「戦後民主主義の世代」の者としては、かわいそうになあ~あ・・と、半分は気の毒に思い、又、半分は軽蔑したものです。
  父は、晩年になって、「お父さんは、軍国主義の時代に育った軍国主義の犠牲者です」などと言ってきたことがありましたが、勝手なことを言うな! あんた、私に「とってちってたあーあ!」とか言ってきたじゃないか、「ど~んが~んどんがらがったちゃちゃちゃちゃちゃ~あん♪」とか言ってたじゃないか、「会社のために、死んでもはたらく」「すべてを会社のために、ささげつく~す」「寝ずにはたら~く」「死んでも会社のためにささげつく~す」とか「根性でや~る」とか、「なんじゃらのなんとかは、死んでもラッパを離しませんでしたあ~あ!」とか、毎日のように言ってきたじゃないか、あんた、加害者だろうが、被害者じゃないだろうが、勝手なこと言うな!と思ったものですが、加害者の面もあったとしても、たしかに、被害者の面もあったでしょう。
※「・・・・は死んでもラッパを離しませんでした」については、
「ウィキペディア‐木口小平」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E5%8F%A3%E5%B0%8F%E5%B9%B3 他参照。
  「わしはドイツ人でアメリカ人やぞお。 おまえはチャンコロ人じゃあ。おまえは、ロスケでイタコでチャンコロじゃあ。 わしは人を支配する民族であ~る。 即ち、アメリカ人でドイツ人であ~る。 おまえはチャンコロ人であ~る。 人に支配されるために神さまから造られた民族であ~る。」などと、父は、しばしば、私に言っていました。
「ドイツ人」「アメリカ人」というのは、「人を支配するために神さまから造られた民族」のことだそうです。
「ロスケ」というのは、ロシア人のことで、「裏切り者」「卑怯者」を意味し、
「イタコ」というのは、イタリア人のことで、「根性無し」のことを意味し、
「チャンコロ人」というのは、中国人のことで、「いついかなる時もひとに支配されなければならない民族、ひとに支配されるために神さまから作られた民族」 を意味するそうです。  そうすると、ですねえ、アメリカ合衆国という国には、日系アメリカ合衆国人がいるように、中国系アメリカ合衆国人という人たちもいるのですが、そういう人たちというのは、「支配するための民族」なのか「支配されるための民族」なのか、どっちなんだろう? と考えてしまうのですが、質問すると怒られるので、逆らうとうるさいから、まあ、黙ってよかな・・ということになりました。、
  それで、その「ロスケでイタコでチャンコロ」というのが、私だそうです。 そう言われると、「はい、はい、はい、はい。 あんた、えらい、あんた、えらい、あんた、えらい、えら~い。 あんたは天皇陛下、あんたは天皇陛下、あんた、えらい、あんた、えらい、えらい、えらい、えらい、えら~い。」とでも、かつて、西川きよし と横山やすし の漫才で、西川きよし が横山やすしに言って、笑いをとっていたギャグみたいに言ってやりたくなったものですが、その「ロスケでイタコでチャンコロ」人といたしましては、1945年8月15日までは「ドイツ人」で、1945年8月15日を境目として「アメリカ人」になった人、というのか、ならないではおれない脆弱な精神構造の人というのは、かわいそうな人だなあ・・・と思いました。 かつて、J=P=サルトルが、ノーベル文学賞の受賞を辞退した時、なぜ、辞退するのかというと、ひとつには、ノーベル賞というものは、アメリカ合衆国の政治的意図を強く受けた賞であり、西側において、「アメリカ的自由主義」の促進に貢献した人(たとえば、金大中)か、東側において、「赤い国の抑圧と闘った」という人(たとえば、ソルジェニーツィン)に贈られる、極めて政治的色彩の強い賞であるからということとともに、「私は『ノーベル賞作家』などというものによって規定されない。 私はわたしだ。」というのが理由であったと何でであったか忘れたが読んだことがありますが、「1945年8月15日まではドイツ人で1945年8月15日以降はアメリカ人」なるものにならないとおれない人というのは、要するに、サルトルのように、「私はわたしだ」と考えることのできない人、まあ、「ちっぽけな野郎だなあ」という人だったと思います。  
  私は、その「ちっぽけな野郎」であった父の給料で生活させてもらって育ったのであり、「ちっぽけな野郎」の父はともかく私が成人するまで「ちっぽけな野郎」なりに努力して働いてきてくれたのです。 そして、「ちっぽけな野郎」ではあっても、その世代においては、そういう人が多かったのは事実であり、そういう思考の人間になりやすい社会環境の時代であったのも事実であったのではないかとも思います。  私の同世代の人たちにこの話をしますと、すべてが同じではないとしても、「うちの父親もそんな感じだったわあ」とか、「お父さんて、うちの父親とそっくりだねえ」とか言われることがよくありました。 そういう思考にならされてしまう教育を受けてきた世代、そういう思考になってしまう社会環境があった悲しい・哀しい、ある面、気の毒な世代だったのではないかと思います。

  しかし、不思議なことに、それから30年ほど経って、今でも、「戦中世代」のような思考の人というのが、50代くらいの年代の人を中心にいるらしいのです。 50代くらいというと、30年くらい前においては20代であった世代です。 その頃、「戦中世代」を見て、変な教育を受けてきた、かわいそうな世代だなあ、気の毒な人たちだなあ~あ・・・と、半分は気の毒に思い、半分は軽蔑してきた「戦後民主主義の世代」の人間のはずなのです。 ところが、なんだか知らないけれども、その「戦後民主主義の世代」の人間の何人かの中に、「戦中世代」がよみがえったかのようです。

  30年ほど前、不思議に思ったことと不愉快に思ったことがあります。
  不思議に思ったのは、父もそうでしたが、
1. 原発推進 と
2. 日米安保賛成 と
3. 自衛隊肯定・憲法「改正」(第9条「改正」) の3つを、 
なぜか、ワンセットで考える人たちが、けっこういた
のです。
  良いか悪いかは別にして、原発と日米安保、自衛隊は別の問題であり、原発には反対であるが日米安保には賛成、原発には反対だが憲法第9条「改正」には賛成とか、原発には賛成だが日米安保には反対とか、日米安保に賛成で憲法第9条「改正」には反対とかの選択肢もありうるように思うのですが、なぜか、その3つがワンセットみたいになっていたのです。
  自衛隊と日米安保についていえば、自衛隊を肯定し、憲法第9条を「改正」して軍隊を持つことにすれば、日米安保は必要なくなる、という考え方もありうるはずですし、日米安保を維持し、アメリカ合衆国の配下となるのはやむをえないが、そのもとで、自衛隊という名称のものも含めて軍隊は持たない、在日米軍が信頼できると仮定した上で、そのもとで軍備は持たない国として歩むという主張も選択肢としてありうるように思えたのですが、日米安保賛成と自衛隊肯定・憲法第9条「改正」の主張は、不思議なことにワンセットになっていたのです。
  さらに。 原子力発電所と日米安保、自衛隊・憲法第9条「改正」とは、まったく、別の問題のはずだったのですが、これも、なぜか、ワンセットになっていたようなのです。 
  なんでだろ~う。 不思議だなあ~あ・・・・
と思いました。

  1983年に、日本社会党の委員長に石橋正嗣氏が就任して、社会党が「現実路線」を打ち出した時、私の父は、「原発に賛成しましょう、とか、現実的や」などと言っていました。 石橋正嗣氏は『非武装中立論』という著書を出したりしていた人ではあるのですが、その時、社会党は、自衛隊についても、日米安保についても、現状肯定の方向に歩むような姿勢を幾分とったはずですが、それを「原発に賛成しましょう、日米安保を認めましょう、自衛隊を認めましょう、これは現実的だ」などと父は言っていました。 父がなぜそう言ったかというと、要するに、それが、その当時の自民党の態度・政策であったからです。 自民党の主張に追随するのを「現実的」と言っていたのです。
  それで。 危険極まりない原子力発電所というものを肯定・推進するのが、どうして、「現実的」なのですか?
  どうしてなのでしょうね?
  それで、こういうことを言うと、その時、行っていた慶應義塾大学の学生から、「おまえは、共産党みたいだなあ」などと言われたことがあったのです。 「そんなこと言ってると就職先なくなるぞ。」と。 就職先なくなっては困るのですが、しかし、どうして、原子力発電所に疑問を感じると、「共産党」になるのでしょう?
  それから、中学校の「公民」、高校の「政治経済」、そして、大学の「法学」で、憲法などを学ぶと、どう考えても、少なくとも、法律論理としては、自衛隊は違憲なのです・・・というと、また、「共産党みたい」とか言われてしまうのです。 なんで、そんな話になるのか、と言うと怒られるのです。 でも、やはり、ある程度以上、真面目に学問をしてきた者としては、理屈に合わないものは認めたくないし、特に「革命的な思想の持ち主」とかでなくても、学問というものをある程度以上精進しておこなえば、その時の社会の実態と学んできたものとの間で「緊張関係」というものが出てくるのは当然のことであり、そもそも、自民党には「緊張関係」をまったく持たない人間が集まっているという方こそおかしいはずなのですが、なぜか、そういうことを言う人がいました。
※石橋正嗣氏については、
「ウィキペディア-石橋正嗣」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%A9%8B%E6%94%BF%E5%97%A3 他参照。

  結論を言いますと、自衛隊肯定、日米安保肯定、そして、原発肯定を「現実的」と言い張った人たち、主として、自民党の人たちは、「現状肯定」「現状追認」と「現実的」とは意味は異なるのですが、「現状肯定」「現状追認」のことを「現実的」と言い変えていたのです。

  
  そして、その頃、不愉快に思ったのが、自民党のあるポスターです。 「おとなの政党。 自民党。」と書かれていたのです。 この文句。 極めて不愉快です。 
  自民党のやっていることが「大人」だ、自民党に反対する者、自民党と異なる主張をする者は「子供みたいだ」と言いたいらしいのです。
  そういう主張のしかたはやめてもらいたいのです。 どういう態度、どういう主張が「大人の主張」であるのか、もしも、自分たちの主張が「大人の判断」だと言いたいのであれば、どういう理由でそれが「大人の判断」なのかということを説明してもらいたいのです。
  自分たちの主張に反対する者、自分たちと異なる主張をする者に対して、「子供みたい」だと罵ったり、「モラトリアム人間」だとビョーキ扱いにしたり、「新人類」だとかレッテルを貼ったり、・・と、そういう態度って、あまり、ご立派な態度ではないと思いますよ。
「大人の政党」なら、そういうことはやめてもらいたいですね。

  原子力発電所を推進してきて、どうなりました? 「大人の判断」でしたか?

  なぜ、原子力発電所に反対するのは「甘ったれている」のですか?
  危険極まりない原子力発電所をおかまいなしに建設・操業しまくる方こそ「甘ったれている」のではなかったのですか?
 

  それで。 30年くらい前、その時点での50代から60代の人たち、いわゆる「戦中世代」の人たちにおいては、そういう教育を受けてきてしまった、ある意味、「かわいそうな人たち」が、日米安保・自衛隊・原発をワンセットで考えて、それらを肯定するのが、なぜなのかという理由もなく「現実的」で、「大人」だと信じてしまい、そして、それに異議を唱える者は誰であれ、「子供みたい」とか、「モラトリアム人間(病)」「新人類」とか、あるいは、「共産党」と決めつける、という、そういう思考の病気にかかってしまった人たちがいたというのは、悲しい現実であったのです。
  しかし、今、不思議なことではあるのですが、武田邦彦教授のブログhttp://takedanet.com/ などで見ると、原発を批判したり放射能汚染を指摘したりすると、「バカヤロー」と怒鳴って怒る「バカヤローおじさん」なるものが、年齢としては、「戦中世代」ではなく「戦後民主主義の世代」において存在するらしいのです。 なぜ、「戦後民主主義の世代」の人間に「戦中世代」の「精神的な病気」をかかえた人がいるのですか?  変なの。
  「戦中世代」の人たちにおいては、それは、ある意味、気の毒な面もあったとは思います。 しかし、戦後世代、「戦後民主主義の世代」においては、基本的には、その人が悪いのだと思いますよ。

  何党の支持者の人であれ、戦後世代、「戦後民主主義の世代」の人間で、今でも、日米安保・自衛隊と原発をワンセットで考えるのが当たり前のように思っている人、 今でも、「現状肯定」「現状追随」と「現実的」との違いがわからない人は、自分自身をよく分析して考えてみるべきだと思いますよ。 はっきり言わせていただいて、戦後世代の人間で、この3つを理由もなくワンセットで考える人、「現状追随」と「現実的」の違いが理解できない人は、恥を知れ! と言われても文句は言えないと思いますよ。

   そして・・・・↓ 
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↑「日本経済新聞」2012.11.26.<朝刊>13版42頁「社会」面。(クリックすると大きくなります。) 
   福島市などは、「放射線管理区域」に該当して、「住むべきではない所」になってしまっているわけですよね。それでも、そこに住みたい、もしくは、他に移住できない事情があるという方が住んだ上で、できる限り、被曝による被害を少なくするための方法を政府として考えてほしいということであれば、考えるべきだと思います。 自力で移住できない人に、政府として移住できるように協力すべきだということであれば、協力すべきだと思います。というよりも、「放射線管理区域」に該当しているような場所に住んでいる人は、留まるべきでない場所であっても自分自身の意志でどうしても動かないという人以外は、基本的には全員を移住してもらうようにすべきはずですよ。
   しかし、放射能汚染により住むべきでない所になってしまった場所に住んでいる人が、幸いなことに自分が住んでいる所はそれほどは放射能汚染を受けなかったという人間を、わざわざ、「観光」に放射能汚染の激しい地域に来させようと働きかけるということであれば、そういう行動をおこなう人というのは、「被害者」か「加害者」か?
   ≪ 原子力発電所事故の風評被害などで同県の観光目的の宿泊者数は震災前の約7割と低調。・・・≫などと書かれているが、原発事故が現実に発生し放射能汚染が現実に拡がっているのであり、「原発事故と放射能汚染による被害」であって、決して「風評被害」などというものではないし。
   ≪「なみえ焼きそば」などに着目した企画も検討。≫て、「なみえ」て、福島第一原発のある双葉郡双葉町のすぐ北で、事故後、連日、新聞に、北西部の津島地区などで無茶苦茶高い放射線量が測定されたのが掲載されていた浪江町(「YAHOO!地図-福島県双葉郡浪江町」http://maps.loco.yahoo.co.jp/maps?lat=37.49458524&lon=141.00065375&ac=07547&az=&z=13&id=&fa=pa&ei=utf8&p=福島県浪江町(双葉郡) )のことですよね。 そういうところを「観光」に売り出そうというのですか? はっきり言って、頭おかしいのと違いますか? 
   自分たちの住んでいる所が原発事故によって放射能汚染を受けてしまった、ということについては、「被害者」でしょうけれども、そこに、放射能汚染をそれほどは受けていない地域の人に、わざわざ「観光」に来させようと、はたらきかける、ということになれば、もはや、その行動を取っている人は「加害者」になったと言わざるをえないですね。
   私は、福島県の生まれではないけれども、転勤で福島県の浜通り地域に行き、約5年間住みました。 住んだのは浜通りですが、浜通り地域だけでなく、中通りにも会津地方にも仕事で行きました。 福島県はいいところだなあと思いましたし、福島県の人たちは、いい人たちだなあと思いました。 だから、原発事故が起こって放射能汚染の被害にあってしまったというのを大変悲しく思いました。 でも、自分たちのところが放射能汚染の被害にあったからということで、放射能汚染の被害の程度が比較的小さい地域の人たちにも、放射能汚染の程度の強い地域に来させてやろうということをするのであれば、そういう行為は肯定できないし、そういうことをする人たちは好きになれないですね。
  「嫁が姑になる」という言葉があるようですが、「被害者が加害者になる」という事態が現実に起こってきたようです。 戦後生まれの私などに「とってちってたあ~あ!」とか毎日言っていた父は、自分では「軍国主義の被害者です」などと言っていましたが、戦中世代の人間として、被害者という面もあったかもしれないけれども、それを自分も戦後生まれの者におこなってきたという点で加害者でもあったのです。 オウム真理教の事件があった時、新聞であったか雑誌であったかで読みましたが、オウム真理教に息子が入ってしまったオウム真理教の被害者の会の会長であったか役員をやっていた男性が、オウム真理教の本部に交渉に乗りこんだ時、まさに、その息子がオウム真理教を支持するために奇抜な格好で出てきて、それを見て、「息子が被害者から加害者になった」ことを知ったと話されていたのを見ました。 最初は「被害者」であっても、対応によっては「加害者」になってしまうことがありえます。
   「観光庁」て、「放射線管理区域」に該当してしまっている場所に、比較的放射能汚染の程度が低い地域に住んでいる人を、わざわざ行かせて、その結果として、ガンなどになる可能性を高めさせるということは、それによって死亡するに至った場合、「未必の故意」があったと考えるべきであり、殺人罪に該当する行為をおこなったということになりませんか? 死亡の可能性は、確率的には間違いなく高くなるはずですから、「なりませんか」ではなく、なると思いますよ。 因果関係の立証をできるかどうかという問題はあるとしても。 違いますか?

   観光庁というのは、ホームページhttp://www.mlit.go.jp/kankocho/ を見ると、2008年10月1日に国土交通省の外局としてできたもののようです。 一方で、「行政改革」といって、建設省と運輸省を合併するなどして、官庁を「スリム」にしてきて、一方で、新しく、「観光庁」といったものを作ったりしていたようですが、こんなことするために、比較的放射線量の低い地域に住んでいる人間を「放射線管理区域」に該当するような場所に「観光」と称して被曝させに行かすために作られたのでしょうか?

   私は、結局、はっきりと支持できると思える政党はどこもなくなってしまったという者ですが、元・社会党委員長の石橋正嗣氏について、ひとつ、評価している点があります。 それは、軍需産業の佐世保重工の労働組合の出身でありながら、かつ、非武装を主張して、それで当選を続けたという点です。
   東電の労働組合の人たちには、東電の人間だから原発に賛成せざるをえないみたいに思っている人がいませんか? それはおかしい。 そもそも、原発に賛成しない人間といえども、別に、電気を使わないなどと言っているわけではないわけであり、原子力以外にも発電方法はあるのですから、だから、電力会社の従業員だとか、電力会社の労働組合だからという理由で原発に賛成しなければならない理由はないはずなのです。
   最近、我が家に、太陽光発電のソーラーシステムを設置しませんかという勧誘の電話がしばしばかかってきます。 どこの会社からかというと、東芝の関連会社だと言っていました。 東芝って、原子力発電所を作っきた会社ですよね。 東芝さんは、早くも、ソーラー発電の方に商売を向けているということでしょうか。 電力会社は、原子力以外でも発電できるわけですし、原発に反対している人は電気を買わないと言っているのではないのに、原子力発電の維持が電力会社の生命線であるかのような対応をするというのは、どうしてなのか、不思議に思います。 軍需産業の会社の労働組合の出身の人が、非武装を主張するより、難易度は低いように思うのですが・・・・。

   もうすぐ、選挙があるようですが、どの政党にせよ、自分を理由もなく「大人の政党」などと言ったり、反対の者に「子供みたい」とか罵るのではなく、自分の方を「大人の政党」と主張したいなら、どの点がどのように「大人の政党」なのか説明するようにしていただきたいと思います。
     (2012.11.26.) 






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この記事へのコメント

H・O
2012年12月19日 06:15
上の言うこと、権力者の言うことに素朴な疑問を発するというのは、民主主義国家なら当然認められることだと思いますね。少なくとも自分の頭で考えている証拠の一つですからね。この国ではそれをするな、お上の言う通りにしろ、という教育をしていて、メディアもグルになってそれを後押ししている向きがありますが、これはどう考えても大人の発想ではなく、また民主主義国家の発想でもありませんよね。
今回の総選挙では、そうした「幼稚な発想」の政党が大多数を占めてしまいましたね。憲法も文字通りの「改正」ならともかく、「改悪」されそうな勢いですからね。将来が恐ろしくて仕方ありません。

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