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zoom RSS (西本願寺)飛雲閣、ちょっとだけ〜「数寄屋造」の建物(2)、及、金閣・銀閣について検討、少々、など

<<   作成日時 : 2012/08/24 23:48   >>

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〔第113回〕
   京都の西本願寺 に、飛雲閣(ひうんかく)という建物があります。 
   『週刊仏教新発見21 西本願寺・東本願寺 2007年11月11日号』(朝日新聞社)によると、一般に、西本願寺と言われているお寺は、正式には、浄土真宗本願寺派本山の「本願寺」で、一般に、東本願寺と言われているお寺は、真宗大谷派本山の「真宗本廟(ほんびょう)」と言うそうです。
   ヤヤコシイのは、俗に「東本願寺」と呼んでいるお寺が「大谷派」であるならば、京都の東山にある 大谷本廟(おおたにほんびょう) とか 大谷祖廟(おおたにそびょう) と言うお寺は、両方とも大谷派かというと、そうではなく、大谷本廟は本願寺派(西本願寺の方)で、大谷祖廟が大谷派(東本願寺の方)らしいのです。 「本願寺派」とか「大谷派」と言われても、大谷派にも東本願寺があって、本願寺派にも大谷本廟があるので、ひととおり、頭の中でよく整理して考えないと混乱してしまいます。 そのあたりを下に表示してみますと、

〔浄土真宗本願寺派〕 〔京都〕本願寺(いわゆる、西本願寺)―大谷本廟(西大谷)―〔大阪〕北御堂(津村御堂、津村別院)―〔東京〕築地別院(築地本願寺)

〔真宗大谷派〕 〔京都〕真宗本廟(いわゆる 《京都の》 東本願寺)―大谷祖廟(東大谷)―〔大阪〕南御堂(難波御堂、難波別院)

で、東京の浅草に、浄土真宗東本願寺派本山 東本願寺 を名乗るお寺がありますが、これは、もともとは、真宗本廟(京都の東本願寺)の別院であったお寺が、1981年に真宗大谷派を離脱して、2001年に、浄土真宗東本願寺派東本願寺 を名乗るようになったようです。〔「浄土真宗東本願寺派東本願寺―東本願寺について 関東における歴史」http://www.honganji.or.jp/docs/about/honzan.shtml 〕
  浄土真宗本願寺派の大谷本廟を「西大谷」と呼ぶことがあるようですが、西大谷といっても、京都の西の方にあるわけではなく、西本願寺の大谷という意味で「西大谷」と呼んでいるのであって、東本願寺の大谷である大谷祖廟(東大谷)とともに、大谷本廟(西大谷)も大谷にあるわけであり、いずれも、京都市の鴨川より東の方にあります。

※西本願寺(浄土真宗本願寺派本山 本願寺)については、
「浄土真宗本願寺派本山本願寺(西本願寺)」ホームページ http://www.hongwanji.or.jp/
 大谷本廟(西大谷)については、
「大谷本廟(西大谷)」ホームページ http://otani-hombyo.hongwanji.or.jp/
 東本願寺(真宗大谷派本山 真宗本廟(東本願寺)については、
「真宗大谷派 東本願寺」ホームページ http://higashihonganji.or.jp/ 
 大谷祖廟については、
「真宗大谷派 東本願寺」ホームページ「参拝のご案内 大谷祖廟」http://higashihonganji.or.jp/worship/otani/  他、参照。 

    
   それで、浄土真宗と本願寺のお話は、今回はここまでにとどめまして、飛雲閣についてです。
   飛雲閣 は、京都商工会議所編『改訂版 京都観光文化検定 公式テキストブック』(2005年初版。 2007.10.8. 8版)によると、
≪ 飛雲閣は境内東南隅を占める滴翆園(てきすいえん)内にあり、滄浪池(そうろうち)に臨む三層の楼閣。 桃山様式の建築で国宝に指定されている。 金閣・銀閣とともに京都の「三閣」と称される。 ・・・・ ≫という建物だそうです。
本願寺出版社編集発行『本願寺グラフ』(2001.6.28.発行)には、
≪  飛雲閣(ひうんかく)は、境内の東南隅にある滴翆園の池に建つ三層柿葺き(こけらぶき)の楼閣建築です。 初層は入母屋造りに唐破風(からはふ)と千鳥破風を左右に、二層は寄棟造りに三方に小さな唐破風を配し、三層は寄棟造りと実に変化に富んだ屋根を持ち、左右非対称ながら巧みな調和を持つ名建築として知られています。 豊臣秀吉の聚楽第(じゅらくだい)の遺構とも、本願寺の御亭の発達したものともいわれています。
一階は宗室の招賢殿(しょうけんでん)と八景の間、舟入の間、さらに後に増築された茶室・憶昔(いくじゃく)からなります。 二階は歌仙の間、三階は摘星楼(てきせいろう)と呼ばれる展望室で、全体に外に向かって開かれ、庭園と一体となった構造になっています。 ≫ と書かれています。 

   ≪金閣・銀閣とともに京都の「三閣」と称される≫と書かれていますが、金閣とも、銀閣とも、相当に違いがあるので、あえて、この呼び方をするのが良いかどうかはわかりません。
   私は、金閣は小学生の時と20代の後半、 銀閣は小学生の時と30代の後半と、それぞれ2回ずつ見学に行きましたが、小学生の時に行った時は、金閣は、すご〜い! と思ったのに対して、銀閣は、なんだ、銀箔貼ってないじゃん、つまんないの・・・みたいな印象だったのですが、30代になって慈照寺に行った時は、銀閣よりも書院造の代表とされる東求堂を主として見たいと思って行ったのでしたが、「なんか、汚らしい掘立小屋みたいのがあるなあ。なんじゃ、こりや。」と思って見たのが銀閣だったのですが、しばし、落ち着いて見ると、その「汚らしい掘立小屋みたいの」が、なんとも風情があっていいと感じだし、逆に、金閣というのは、もしも、金箔を貼っていなければどうなのだろうか、金箔の美しさなら、それは建築の美しさとは別ではないのか、又、銀閣は、その場所に、東求堂もその他の建物や庭園もあっても、他のものとも調和しているのに対して、金閣は自己主張が強すぎないか、いわば、丹下健三の建物みたいに、「アイアム いちば〜ん!」とハルク=ホーガンやらなきゃ気がすまないタイプの建物ではないのか・・・などと思ったりもしたのでした。 その後、三島由紀夫の『金閣寺』を読みなおし、金閣は、金箔が貼られているというのが相当に重要事項ではあるけれども、だから、建築の程度が低いというのではなく、金箔を貼られた建物としての特徴のあるもので、その庭園は、金箔を貼られた金閣があっての庭園と考えて悪くないのではないかとも思い、さてさて、昔、内容のある書物というものは、最低でも3回は読み直さないと読んだことにならない、と誰かが述べていたように思うのですが、建築も、腰を落ち着けて検討するには、やはり、3回はそこに行かなければならないというものかと考え、金閣・銀閣への3度目の訪問の必要性を感じたのです・・・が、それは実現できていないので、実現できた時には、報告させていただきたいと思います。
   なお、銀閣は、足利義満が作った金閣にならって、足利義政が銀箔を貼って作ろうとしたが、室町時代も足利義政の時代になると財政的に余裕がなくなり、銀箔を貼ることはできなかった・・というお話があったと思うのですが、2度目の訪問時に、銀閣を見て、これは、銀箔など貼る必要はない建物で、むしろ、銀箔など貼らない方が良い建物だと思い、「銀閣」と言う名称は、あくまで、金箔を貼ったことから金閣と呼ばれた建物の金閣に対して、銀閣と呼ばれたのであって、銀箔を貼ろうとしたけれども・・うんぬんという話は事実と違うのではないかと思いました。
  さらに、その後、東京・銀座の百貨店・松屋で「小堀遠州展」が開催された際、「仏壇のはせがわ」が、秀吉の金の茶室にならって、白金(プラチナ)の茶室を作ってみたというものが展示されていたのですが、なぜ、銀の茶室ではなく、白金(プラチナ)の茶室にしたかというと、金は金箔というように薄く延ばせる金属らしいのですが、銀は、金ほど薄く延ばすことができないらしいのです。 白金(プラチナ)は金箔のように薄く延ばせたそうで、それで、「仏壇のはせがわ」は、銀の茶室をあきらめて、白金(プラチナ)の茶室を作ってみたということでした。 だから、銀閣も、たとえ、足利義政の時に、予算としては、銀箔を貼るだけのものを用意できたとしても、技術的に、銀箔を貼るということはできなかったのではないでしょうか。  


   藤井正一・小原二郎編集『インテリアコーディネーター ハンドブック 技術編』(1994.1.10. インテリア産業協会)には、
≪ 数寄屋といえば、草庵風茶室の意匠のみを取り入れたものと理解されがちだが、そうした自然素材を用いることは数寄屋造意匠の一面の表現に過ぎず、ましてや「ワビ」「サビ」を重視した地味で静寂な空間が数寄屋造であると考えるのは誤りである。 逆に、派手でにぎにぎしく、ときには目がさめるように華美な「キレイサビ」の空間もあるという一面を忘れてはならない。 前者の代表が桂離宮であるとするならば、後者の代表は西本願寺飛雲閣や金沢城成巽閣である。 こうしたデザインの多様さがあるだけに、数寄屋造は意匠性に様式上の特徴が認められるわけで、平面の構成や機能は原則的に書院造のそれを踏襲している。 ≫ と書かれている。
 
 数寄屋造・・・(1)「ワビ」「サビ」を重視した地味で静寂な空間
            ・・・・ 桂離宮
       ・・・(2)派出でにぎにぎしく、ときには目がさめるように華美な「キレイサビ」の空間
            ・・・・ (西本願寺)飛雲閣、 (金沢城)成巽閣
 ということらしい。
※ 成巽閣(せいそんかく)については、
「成巽閣」ホームページ http://www.seisonkaku.com/  他参照。

   ところで、ところで。 「数寄屋造」の代表のように世間では言われる・・というか、住宅の建築屋は、「数寄屋とは?」→「桂離宮のような」、 「桂離宮とは?」→「数寄屋建築の代表」 と、十分な検討もなしに言いまくって書きまくってしている桂離宮というのは、自分でも設計した建物があるにもかかわらず、日本では「桂離宮をほめて日光東照宮をけなした人」としての方がはるかに有名な建築家・ブルーノ=タウトさんが賞賛した建物であるのですが、数寄屋でも、タイプ(2)の飛雲閣はどうかというと、
≪ ・・・ 禅の影響は、武将たちの豪奢華麗をもとめる建築観を拘束する重要な調節者となった。 当時禅宗は、諸階級の上に位していたので、遁世者の多くは、ただに一弁の武士ばかりでなく、大名も将軍も、あるいは、天皇すらも禅門に入ったのである。 それだから粗野な専制者も、ある種の哲学的、芸術的教養の外衣をすっかりかなぐり捨てるわけにいかなかった。 しかしこれが所詮外衣にすぎなかったことは、すでに秀吉の造営した聚楽第の遺構(飛雲閣)がこれをあからさまに示している。 専制者の命令によって造られた建築物は、実際にもきわめて薄弱なものである。 
   かかる専制者芸術の極致は日光廟である。 ここには伊勢神宮に見られる純粋な構造もなければ、最高度の明澄さもない、材料の清浄さもなければ、釣合の美しさもない。――およそ建築を意味するものはひとつもないのである。 そしてこの建築の欠如に代るところのものは、過度の装飾と浮華の美だけである。 ≫
 (ブルーノ=タウト『日本建築の基礎』 〔『日本美の再発見 〔増補改訂版〕』篠田英雄訳。 1962.2.20.改訳版 岩波新書 所収 〕 )

  ブルーノ=タウトさんとしては、飛雲閣 は、桂離宮よりも日光廟(日光東照宮)の方に近いものと感じられたようです。
   
   こうなると、やはり、「百聞は一見にしかず」で、見学に行くしかない・・・・のですが、桂離宮の場合は、〔第13回〕《やっぱり桂離宮はすばらしい!〜私の好きな建築家〔1〕ブルーノ=タウト 〔引越掲載〕 》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201101/article_13.html  でも述べましたように、桂離宮 とか 修学院離宮 というのは、京都の仁和寺・広隆寺・北野天満宮とか大阪の四天王寺・住吉大社、鎌倉の建長寺・円覚寺のように、突然、行って、参拝させてください、見学させてくださいと言って参拝・見学させてもらえるものではなく、あらかじめ、宮内庁に申し込んでおかないと見学できない施設なのですが、飛雲閣の場合、西本願寺は、ほぼ、いつでも入場させてもらえるし、阿弥陀堂、御影堂には、拝観料を払わなくても入場させていただくことができ、賽銭箱にいくばくか入れるかどうかも任意ですが、飛雲閣、及び、飛雲閣がある滴翆園(てきすいえん)という庭園は、一般公開されておらず、あらかじめ申し込んでおくというルートもないのです。 特に、時期を限定して公開されることがあれば、その時を逃さないようにしたいものですが、どうも、逃してしまうのです。 ・・ということは、結局、「京都の三閣」と言いながら、金閣・銀閣と違って、実物を目にすることはできないということなのだろうか? と思ったのですが、西本願寺には、飛雲閣以外にも、見学して価値のある建築物はあるし、浄土真宗本願寺派の本山であるし、とりあえず、一度、西本願寺に行ってみよう、と思って行ってみたところ、飛雲閣 も、「ちょっぴり」見えたのです。 
   そのお写真が↓
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 ↑ 御影堂の縁側〔の南東寄り〕から見た 飛雲閣 (望遠レンズ使用)
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 ↑ 滴翆園の塀の北側より見た 飛雲閣 
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 ↑ 北小路通り の東入口付近から見た 飛雲閣 
 ・・・・・と、まったく見えないわけではないのです。 
  ですから、もしも、西本願寺に行くことがあり、飛雲閣の実物を見たいけれども、公開されていないが、なんとか見れないかと思ったら、簡単にあきらめないで、周囲で、いくらかなりとも見える位置を捜してみることをお勧めしたいと思います・・・・・が、やはり、建築物は、その建物だけで考えるべきものではなく、飛雲閣であれば、滴翆園の庭園と合わせて考えるべき建物だと思うし、ある部分だけ見て、これが飛雲閣だと思うのではなく、部分とともに、全体もまた見て考えるべきものだと思うので、これだけ見て、「数寄屋造」タイプ(2)の飛雲閣は・・・と論じるわけにもいかない・・と思います。 残念。

   それで、いくらかなりとも、見学料を支払ってもいいと思うので、滴翆園の中に入れなくても、門の位置から見るだけでもできるように、していただけないものかなあ〜あ・・と思ったのでした。 
   又、西隣に、西本願寺の系列の大学である龍谷大学の図書館があるのです。↓
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   お寺の系列の大学の建物だからという理由で和風にしなければならないことはない・・し、 大学の図書館だからということで洋風にしなければならないということもない・・が、この龍谷大学図書館の場合は、西本願寺と隣接したひと続きの敷地に建っていることから、やはり、西本願寺と調和する建物であるべきだ・・・というところから、こういう外観の建物となったものかと思います。 ギャラリー間(ま) 企画編集『建築MAP 京都』(1998.1.10. TOTO出版)を見ても、龍谷大学の本館は重要文化財に指定されているらしく掲載されているものの、図書館は掲載されていませんが、なかなか、工夫をこらした外観ではないかと思いました。
   この図書館の上の方の階の東側の窓から、滴翆園 と 飛雲閣 の全体が見えるのではないかと思うのです。 たぶん。  そこで、“ 袖の下 ” を渡して・・・ではなく、「お布施」でも「賽銭」でも「志」でも名目は何でもいいから、いくばくかお支払いすることにより、この図書館の東側の窓から滴翆園と飛雲閣、及び、西本願寺の全景を見学させていただく、というわけにはいかないものか。 私だけ特別に、そうさせてほしいとかいうことではなく、見学したい人は少なくないと思うので、そういう便宜を考えていただくことはできないものだろうか、と思いました。西本願寺 と 龍谷大学 の関係者の方で、もし、このブログをご覧くださる方があったなら、ぜひ、一度、考えてみていただけないでしょうか。
   日本では、お寺とか神社というものは、見上げるものであって、見おろすべきものではないという考え方もあるようですが、ヨーロッパの教会では、ミラノ大聖堂にしても、ローマのサン=ピエトロ寺院にしても、ロンドンのセント=ポール大聖堂にしても、教会の屋上に登ることができ、それが不謹慎などとはまったく考えられていないようです。 西本願寺の場合は、どうせ、京都タワーからは見おろすように見えるはず(かつて、私が子供の頃、京都タワーに行った時には、東本願寺と西本願寺が上から見えたと思う。)ですし、図書館の方が西本願寺より高いとしても、「見おろす」という考え方ではなく、すぐれた建築を全体として見学する、ということで、又、そこの本殿に神さまがおられると考える神社とは異なり、お寺でも、特に浄土真宗の考え方は、弥陀の本願により救われるというものであって、別に誰かを神さまとしてあがめるというものではないと思うので、図書館の窓の方が高さとして高くても、窓から見て、悪いことはないように私は思うのですが、どうでしょうか。

   西本願寺 の中の ブックセンター で見ていたところ、荒木 経惟(あらき のぶよし)撮影の飛雲閣の写真集が販売されていました。 飛雲閣だけについての写真集は初めて見たのですが、しかし、日頃、女性の“緊縛”写真を撮影することを仕事としている人の撮影した飛雲閣の写真集 というものに、どうも、納得いかなかったので、購入しませんでした。
   私は写真家でもなし、もともと、大学卒業する頃まで、写真に関心などなかった人間ですが、建築物の写真に関しては、「写真についてはしろうと」としては、ちょっぴり自信があります。 あくまで、「写真についてはしろうと」としてはですが。それは、建築屋の仕事をし、建築物を見てきて、そして、丸善から「建築巡礼」というシリーズで出版されている本があり、中村好文氏の著書に『住宅巡礼』(新潮社)という本がありますが、すぐれた建築は、建築自体に対して畏敬の念を覚えるものであり、建築の見学は、やはり、丸善から「建築探訪」というシリーズで出版されているものがありますが、「探訪」よりも、「巡礼」という気持ちになるものだと思うようになり、そして、そういう意識のもとで建築を見るようになってきた者として、少なくとも、その段階まで及んでいない人よりは、あくまで、「写真についてはしろうと」としてはであるけれども、良いものが撮れるようになってきたと思っているのです。
   私は、小学校の6年までピアノの学習をやっていました。 高校の時、誰の演奏であったか、ベートーベンのピアノソナタ第23番「熱情」の第1楽章を聴き、これを自分でも弾いてみたいなあ、と思ったのです。 かなり、演奏の難易度の高い曲だとは思いますが、この曲の第1楽章だけに絞って少しずつ練習すれば、他の曲は弾けなくても、これだけは弾けるというようにならないかと思ったのです。 大学の入試に合格して、多少、余裕ができれば、ピアノの練習をしたい・・と思ったものの、ローニンしてしまい、大学も下宿・アパート住まいをして行くようになって、ピアノが手元になく、練習はおろか、触ることもできなくなってしまって、この夢は実現しなかったのですが、その時、私が自分自身でひきたい〜い・・と思ったのは、あくまで、ベートーベンのピアノソナタ第23番「熱情」であって、ピアノの鍵盤の上で指を移動させたいと思ったのではないのです。 もしも、ピアノの鍵盤の上で指を移動させることが「ピアノ演奏」であるのならば、ベートーベンのピアノソナタ第23番「熱情」と「君が代」の伴奏なら、「君が代」の伴奏の方がやさしく、簡単に弾けるでしょうけれども、「ピアノ演奏」というのは、「ピアノの鍵盤の上で指を移動させること」ではないのです。 だから、ベートーベンの「熱情」は弾けても「君が代」は弾けないということがあって当然なのです。 内容考えずにピアノを弾く・弾けるような奴がいたら、その者はピアニストではない、音楽家ではないと思います。 
   写真もそれと同じではないでしょうか。 荒木 経惟(あらき のぶよし)さんが、女性を縄で縛った写真を撮られるのをライフワークとされているなら、それはそれで考えあってのことでしょう。 しかし、それと、飛雲閣とどうつながるのですか? 写真であれば対象が何でもいいというのなら、鍵盤の上で指を動かすなら何でもいいという“ピアニスト”と同じではないのか? 私は、その曲に対する思い入れもなしに弾くピアニストなどというものは、いくら見事に指が鍵盤の上を移動していても、二束三文のピアニストだと思います。 建築に対する思い入れがないならば、いくら、写真の技術がある人であっても、そういう人の撮った写真など、特に見る価値はないように思ったのです。 荒木 経惟(あらき のぶよし)がどうであるのかは、よくわかりません。 しかし、私は、女性を縄で縛った写真を日常的に撮っている人の撮る建築の写真というものについて、理解できなかったのです。 苦労してピアノの練習をしてきた者で、「君が代」の伴奏をすることに何の抵抗も感じないヤツに好感が持てないのと同じく、もし、写真であれば対象が何でもかまわないと思っているような“写真家”であるならば、私は、そういう“写真家”の撮る写真を理解できない。 だから、その写真集は購入しようという気持ちにならなかった。 どうでしょう。 このブログを読んでくだささったあなたはどう思われますか?

   今回、副題として、《「数寄屋造」の建物(2)》と付けましたが、(1)はどこにあったのかというと、 
〔第13回〕《やっぱり桂離宮はすばらしい!〜私の好きな建築家〔1〕ブルーノ=タウト 〔引越掲載〕 》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201101/article_13.html  で、桂離宮について述べたので、それが「数寄屋造」の建物(1) だということにさせてもらって、飛雲閣についての今回は(2) ということにさせていただきました。
   「数寄屋」「数寄屋造」とは何ぞや? というのは、真面目に考えるとけっこう難しい問題のようなので、実物の見学に少しずつ足を運びながら、このブログでも少しずつ触れていきたいと思います。 今後ともどうぞよろしく。

☆ 西本願寺 と 東本願寺 では、東本願寺の方が、JR「京都」駅からは近い。 京都にも地下鉄が通り、烏丸線では、「五条」の駅が、阪急京都線の「烏丸」(地下鉄烏丸線の「四条」)と、JR「京都」駅の間にでき、東本願寺は地下鉄の「五条」の駅からも遠くないようです。 今回、私は、往きは、阪急「烏丸」から地下鉄で地下鉄「五条」の駅まで行き、そこから西本願寺まで歩きましたが、けっこうありました。 帰りは、雨が降っていたこともあり、西本願寺の前から、阪急京都線の「大宮」駅までバスに乗りました。 昔は、阪急は、大阪の「梅田」か「十三」から特急に乗ると、「四条大宮」「四条烏丸」「四条河原町」までノンストップだったのですが、最近では、「高槻市」「桂」他に停車するようになり、「大宮」は昼間は特急は停まらなくなったようですが、西本願寺から阪急の駅に行くバスは、「大宮」に行くバスがあるようです。JR「京都」駅からは、それほど遠くはないので、天気が良くて荷物が少なくて時間に余裕がある時は歩いても悪くないとも思うのですが、東本願寺までの距離を念頭に歩くと、西本願寺は思っていたよりも遠いと感じると思います。
※「ヤフー地図―京都市下京区門前町60」http://maps.loco.yahoo.co.jp/maps?lat=34.99213182&lon=135.75157834&ac=26106&az=491.60&z=16&id=&fa=pa&ei=utf8&p=京都府京都市下京区門前町-60 参照。
※ なお、上の方で表現した、ハルク=ホーガン「いちば〜ん」がわからない方は、たとえば、
「YouTube―TV放送版ノーカット!スタン・ハンセンvsハルク・ホーガン bP レスリングサミットin東京ドーム 1990年4月13日 」http://www.youtube.com/watch?v=9qYKodXkOyE でもご覧ください。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
   福島第一原発からの地下水への放射能汚染を防ぐために、地下ダムを建設するという話はどうなったのでしょうか。 早くやらないと手遅れになってしまうのではないかと危惧します。 
   地下ダムを造ると言って造らない。 放射性物質を含む瓦礫を日本全国で燃やすことで放射能汚染を全国に拡散する。 安全ではないとわかったはずの原発を、再稼働させる。  いったい、何やってるんでしょうね。
地中での水の流れはわかっていない部分が多いのではないでしょうか。福島県の中通りの人達の中には、浜通りの原発が事故を起こしても中通りは大丈夫だろうと思っていた人もいたのではないかと思いますが、中通りの福島市や郡山市での放射線量は浜通りでも いわき市の中南部よりも高い放射線量が計測されるようになりました。 地下ダムを造ると言って造らない人というのは、戻ってはいけないという所へ戻ろうとしている福島県の双葉郡地域の人間が、汚染された地下水でさらに健康を害しても知ったものかみたいに思っているのかもしれませんが、予想以上に広い範囲に影響がでる可能性もないとは言えないように思います。 早く、地下ダムを造る作業を開始してほしいと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 (2012.8.24.)

  
    桂離宮 や 飛雲閣 の写真を適切に撮りたいという気持ちから、あるいは、フランク=ロイド=ライトの 「落水荘」(カウフマン邸)や 旧・帝国ホテル のような建物の写真を見事に撮りたいという気持ちから、カメラ・写真撮影について一生懸命学んで写真の能力を身につけたとして、カメラ・写真の能力があるからという理由で、裸の女性を縄で縛った写真を撮るように誰かから命令されなければならない筋合いがあるかというと、ないと思います。  フランク=ロイド=ライトに、建築の能力があるからといって、極めて下品な建物の設計・工事管理をやれと誰かが命令したとすれば、ライトはやるかというとやらないと思います。怒って帰ってしまうでしょう。
   それと同じく、ベートーベンのピアノソナタ『熱情』を誰よりすばらしく弾きたい〜いと思い、芸大・音大のピアノ科に行ってピアノの練習に打ち込み、ピアノを演奏する能力を身につけたとして、だからといって、「君が代」を弾けと、橋下徹だの中原徹だの教育委員会の中西正人だのから命令される筋合いはないはずです。 ルチアーノ=パバロッティ や ジュゼッペ=ディ=ステファノ の歌を聴いて、自分も、オペラアリアやカンツォーネをあのように、できればそれ以上に歌いたい〜いと思い、芸大や音大の声楽科に行き、声楽の練習に励み、声楽の能力を身につけたとして、それで、橋下・中原・中西らの野蛮人から「君が代」を歌えと命令される筋合いはないはずです。 裸の女性を縄で縛った写真の撮影が建築写真家の業務でないのと同じく、当然のことながら、「君が代」のピアノ伴奏は音楽教諭の業務ではありません。 
   (2012.9.13.)    


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