関西学院 時計台・文学部・経済学部・神学部・ランバス記念礼拝堂・他~ヴォーリズさんの建築(3)

〔第108回〕
   兵庫県西宮市上が原一番町 の 関西学院 の 時計台他の外見を見学させていただきました。 関西学院大学の学生さんからすれば、「何をたいそうに」とか、「毎日、見てるよ」とか思われるかもしれませんが、案外、そういうものかもしれません。 建築物については、そこに行っている人は、それがどうしたの? みたいに思い、そこに通っていない者の方が関心を持ったりするところがあるかもしれません。

   「建築家」で、キリスト教の伝道者で、メンソレータムの近江兄弟社の経営者であった ウィリアム=メレル=ヴォーリズ さん(1880‐1964) が設計した建物は、教会堂(大阪教会・慶應日吉YMCAチャペル など) と、住宅や商業施設(大阪市中央区の大丸心斎橋店・東京都千代田区の 山の上ホテル など)とともに、学校建築が多く、西宮市上が原の 関西学院 時計台・経済学部・文学部・中央講堂・神学部 などもヴォーリズさんの設計によるもののようです。

   ところで、よく、「浪人の功と罰」とか、「二浪の功と罰」とかいう話題が、受験雑誌だったり、新聞だったりに掲載されたりすることがあります。 ローニンして大学に入って1年目とか2年目とかのニーチャンで、「ローニンも人生経験としていいもんだよ」とか「1年の浪人はいいぞお」とか、自己宣伝か自己弁護みたいに言う人がありますが、そういう話を見聞きすると、はっきり言って、笑止千万という気が私などはいたします。
  どこが笑止千万かというと、主な理由は2点です。 遠藤周作氏が、『わが青春に悔いあり 狐狸庵閑話』(1974.10.30. 角川文庫)に、
≪  今でもそうであろうが、浪人一年目ぐらいはまだ家族や先輩も「捲土重来」とか「尺取虫は伸びんがために縮む」などと、その場かぎりの慰め言葉を言うてくれるものだ。 ところが浪人二年となるともう、慰めどころではなく苦虫つぶしたような顔をむけられ、三年目ともなれば、誰もかも絶望の表情と白眼とをもってこちらをじっと見るものだ。
   で、浪人の本当の味がわかるのは二年目以後であって、一年ぐらいの浪人生活をやった手合が後年「浪人生活もいいものさ」などと偉そうなことを後輩に言うとるのを聞くと笑止千万であるワ。 ≫
と書いているが、私もそう思う。 1年浪人して大学に入ったなどということで、「浪人の経験があるから苦労を知っている」とか勝手なことを言うヤツを見ると、なんだかなあ~・・・という気がする。 もっとも、だから、二ロー以上した方が良いとかいうことでないのはもちろんであるけれども。
   そして、もう1点は、それが良かったか悪かったかなどということは、入学して1年目とか2年目でわかることではなく、卒業して20年くらい経ってから言うこと、考えることであって、20代のニーチャンが言うことじゃないと思うのだ。

   それで、「浪人の功」の方のお話。 狂徒大学とか頭狂大学とかに現役でピターッと合格してのけて、「アイ アム ナンバーワ―ン」みたいに、なんか、ハルク=ホーガンみたいな気持ちで大学に入ったような人というのは、たぶん、受けた大学というのは、狂徒大学とか頭狂大学とかしか知らんだろう。 早慶だの関関同立だのなんか受けてられるかあ、とか、死ぬまで思ってるんじゃないかと思うのだ。 その点、ローニンとかいうことをやると、そこに入学するかしないかはさておき、けっこう、いろいろな大学に試験で行ってみたりするのである。
   関西学院の上が原地区にも、実は、今は昔、試験を受けに行ったことがある。 但し、関学の学生さんや受験生さんには大変申し訳ないが、その時は、「こんな学校、誰が行くかあ」とか思いながらであったけれども。 そして、その時、試験を受けた建物も、その周囲にあった建物も、どんな建物であったかなどは、まったく、眼に入らなかったし、印象にも残らなかった。 

   ひとつには、高校卒業した頃は、建築関係の仕事につくことは考えておらず、「建築」「建物」に関心は特になかったということもあり、試験の時には建物がどうかなど考えている余裕はないということもあるが、今、見ると、関学の上が原地区の建物は、いい建物である。

   ローニン生の人に、その親くらいの年齢になってしまった者として言うならば、ローニンなどというものは、「功と罰」の両面があっても、できることなら、しないで、現役で合格・入学した方がよいものではあるけれども、してしまった場合には、結果として、最終的に行く大学以外にも、試験に足を運ぶことになる大学があり、卒業してみると、かつて、受けたことのある大学というのは、そうでない学校に比べて、何か親しみを感じるようなところがあり、その点で、現役ですんなり合格したハルク=ホーガンと違った感情を持ち得るという「功」もあるので、してしまったからには、悪いことばかりでもないとも、言ってさしあげることができるかとも思う。 もっとも、そういう気持ちになれるまでは、少なくとも、二桁の年数はかかるとは思うけれども。
 

※ハルク=ホーガン と「アイ アム いちば~ん」を知らない人は、
「YouTube――TV放送版ノーカット!スタン・ハンセンvsハルク・ホーガン №1 レスリングサミットin東京ドーム 1990年4月」http://www.youtube.com/watch?v=9qYKodXkOyE&feature=related
「YouTube―― 一番 ハルク・ホーガン(Itch Ban / Hulk Hogan) 」http://www.youtube.com/watch?v=BJigJNkwqEo 
「ウィキペディア――ハルク・ホーガン」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%B3  など参照ください。

  関学というのは、阪急 今津線の「仁川(にかわ)」駅の南西、「甲東園(こうとうえん)」駅の西の方の西宮市上が原地区に昔も今もあるものと思っていたら、関学のホームページ (http://www.kwansei.ac.jp/pr/pr_m_000026.html )を見ると、そうでもなく、今は、兵庫県三田市などにもあり、又、最初は、大学ではなく、キリスト教プロテスタントのアメリカ合衆国南メソジスト監督教会が、キリスト教の日本へ伝道を考え、ウォルター=ラッセル=ランバスが、≪伝道者の育成とキリスト教主義に基づく青少年教育をめざし≫て神戸市灘区に「関西学院」を設けたのが始まりらしく、大学になる際に、西宮市上が原の場所に移ったらしい。(関西学院大学―沿革」http://www.kwansei.ac.jp/pr/pr_001777.html )
  その時に、設計をおこなったのが、ウィリアム=メレル=ヴォーリズであったというのだ。

  ≪ ・・・上が原校地に全面移転し、学校としての新たな時代を迎えようとする学園キャンパスの基本様式として採用されたのが、スパニッシュ・ミッション・スタイルと呼ばれるものであった。 この様式は「新世紀に入って始めて出現した一建築様式で・・・・・ことに清新な自由の世界カリホルニアで新建築の天地に開いた」(新名種夫)と紹介されるように、当時の関西学院にもっとも適切なデザインであった。≫〔 田淵 結 たぶち むすび 「ヴォーリズと関西学院」 (山形政昭 監修『ヴォーリズ建築の100年』2008年2月10日 創元社 所収)〕 
≪・・・・昭和4年(1929年)3月に現在ある上が原キャンパスを竣工させた。 その特色の第一は、中央に長円形の芝の広場(中央芝生)が設けられ、正門から望むと正面に図書館がシンボリックに配置され、広場に沿って馬蹄形に校舎が囲む配置計画にある。このキャンパス計画の源は、トマス・ジェファーソンによって1817年に造られたヴァージニア大学のそれに違いなく、米国の伝統とするスケールの大きなキャンパスデザインを導入したものといえる。 そしてスパニッシュ・ミッション・スタイルといわれた建築様式で統一されていることも大きな特色である。 この様式の源は合衆国の中西部で20世紀初頭に復興したスパニッシュ・コロニアル・スタイルミッション・スタイルにある。
  スパニッシュ・スタイルは1850年まで長くスペイン支配下にあったカリフォルニアに根づいたもので、赤瓦と白いスタッコ壁、そして玄関回りに際立ったレリーフ装飾を付し、装飾タイルやロートアイアンの手すり飾りなどを備えるものである。 一方、ミッション・スタイルは19世紀初期フランシスコ派の宣教師によるカリフォルニア伝道によって生まれた教会建築が基になっていて、半円アーチ、曲線状の妻飾りが特色であるが装飾要素は少なく、正面はおおむね対称形の穏やかな表現を有している。ヴォーリズのいうスパニッシュ・ミッション・スタイルは、このミッション・スタイルを基にしてスパニッシュの装飾を種々活用したものである。 ≫〔山形政昭「理想を形に―ミッションスクールの建築」 (山形政昭 監修『ヴォーリズ建築の100年』2008年2月10日 創元社 所収)〕 というものだそうです。

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 ↑ 時計台(旧・図書館) [1929年(昭和4年)〔世界大恐慌の年〕 ] ・・・・「旧・図書館」というのは、現在、この背後に、「新・図書館」ができているかららしく、「旧・図書館」は、「時計台(学院史編纂室・博物館開設準備室)」となっているらしい。(「関西学院大学 西宮上が原キャンパスマップ」http://www.kwansei.ac.jp/pr/pr_001086.html )

  この「時計台(旧・図書館)」の前に芝生の広場が広がり、時計台の横、時計台に向かって、右手に文学部、左手に経済学部の建物がある。 
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 ↑ 文学部 [1929年(昭和4年)〔世界大恐慌の年〕 ]

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 ↑ 経済学部 [1929年(昭和4年)〔世界大恐慌の年〕 ]

  「時計台(旧・図書館)」をはさんで、一見、文学部の建物と経済学部の建物が対称に建っているかのように見えて、良く見ると、実は違うのです。 頭の部分に注目してください。↓
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 ↑ 文学部の建物の「頭」の部分

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 ↑ 経済学部の建物の「頭」の部分。 さらによく見ると、違うのは「頭」の部分だけではありません。 こういうのを発見すると、「建築探偵団」としては、うれしくなりますね。
「け~んち~く、けんち~く 探偵だ~ん♪」 と歌でも歌いたくなってきたりして・・・・。
※「(建築)探偵団」の歌については、
「TouTube―少年探偵団の歌 」http://www.youtube.com/watch?v=LmBouLSmUlw 

  そして、文学部の建物の手前に神学部、経済学部の建物の手前に「中央講堂」があります。

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 ↑ 神学部の建物。 [1929年(昭和4年)〔世界大恐慌の年〕 ]

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 ↑ 「中央講堂」の建物。 [1929年(昭和4年)〔世界大恐慌の年〕 ]

  さらに、言いますと、「時計台(旧・図書館)」の「頭」の部分と、神学部の建物の「頭」の部分も違うのですよ。↓
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 ↑ 「時計台(旧・図書館)」の「頭」の部分。

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 ↑ 神学部の建物の「頭」の部分。
 なんだか、またもや、建築探偵団の歌を歌いたくなってきましたね♪
※「YouTube―怪人二十面相と少年探偵団 OP 」http://www.youtube.com/watch?v=BnRBGG5Lyzs&feature=related

  ≪ 1957年頃からヴォーリズは体調を崩して療養生活に入ることとなり、設計監督などに直接に従事することはかなわなくなった。≫そうで、≪関西学院は1959年に創立70周年を迎えるにあたって、大学に社会学部と理学部という二つの学部を設置することになり、その設計もヴォーリズ設計事務所に委ねられた。 しかし、当時の同社の方針などから この二つの学部棟はスパニッシュ・ミッションを脱して直線的な近代的デザインとなり、その意味ではもはやヴォーリズ自身の独自性を強く感じさせるものとはならなかった。≫ 〔 田淵 結 たぶち むすび 「ヴォーリズと関西学院」 (山形政昭 監修『ヴォーリズ建築の100年』2008年2月10日 創元社 所収)〕 というのだけれども・・・・
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 ↑ 社会学部棟。  そこまで、違うだろうか・・・・・。 もう一度、行って、確かめる必要がありそうです。


  正門を入ってすぐ右手に、関西学院の創立者・ウォルター=ラッセル=ランバスの名を冠した ランバス記念礼拝堂があります。↓  
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 ↑ ランバス記念礼拝堂
≪ ・・・・学院正門を入ってすぐ右手の宗教センター横に、創立者ランバスの名を冠した「ランバス記念礼拝堂」がやはり創立70周年を記念して建設された。これは従来のスパニッシュ・ミッションの伝統にならうものであり、また正門真横というロケーションから関西学院に集う学生・生徒・教職員が毎日かならず目にするチャペルとして、キリスト教主義総合学園のシンボル的な意味を担うものとなっている。このチャペルの設計に対して、ヴォーリズ自身が具体的にどこまで関わりを持ちえたかは明らかでないが、彼の生涯の最後の段階で、この建物が上ヶ原キャンパスに残されたことの意味は非常に大きい。 ≫ 〔 田淵 結 たぶち むすび 「ヴォーリズと関西学院」 (山形政昭 監修『ヴォーリズ建築の100年』2008年2月10日 創元社 所収)〕 

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 ↑ ランバス記念礼拝堂 の前、 「聖書の植物」  聖書の登場する植物が植えられている。 右よりの中木は、オリーブ。

1. 上にも述べたように、一見、同じかなと見えて、よく見ると、違う・・・というところがあり、そのあたり見て、発見して楽しい建物であると思いました。

2. かつて、テレビで、焼き鳥屋の赤い提灯に「焼き鳥」と文字を書く職人が出ていて、そのコツは、「おいしく書く」と語っていたのを見ました。 「上手に書く」のではなく、見るからに「おいしそう」という感じの字を書くのだということでした。 この発想で考えると、ヴォーリズさんの設計の関学の中央芝生広場を囲む建物群は、「やさしい」建築だという印象を受けます。 「すばらしい」建築とか「天才的な」建築とかではなく、 「優しい」建築 と言うべきものではないでしょうか。

3. 当初、ヴォーリズさんが設計した中央芝生広場を囲む建物の周囲に、後に造られた建物も、先住建物との調和を考えて作られており、その点は、よいと思うのですが、≪スパニッシュ・ミッションを脱して直線的な近代的デザイン≫のものであっても、やはり、似たような感じの建物が続いているという印象を受けます。 決して悪いデザインではないのですが、はてしなく、似たデザインのものを続けるのではなく、今後は、「まったく違ったデザインでありながら、先住建物のデザインと調和する」というものを考えることもあって悪くないのではないか、という印象を受けました。

4. 関学の敷地外でも、一般の住宅でも、関学の「スパニッシュ・ミッション・スタイル」と、多少、似たようなデザインの住宅や、デザインは異なるけれども、色合いが似た住宅があるのを見ました。 ヴォーリズさんの建物を見て、それが良いと思って、周囲の住宅においても取り入れられたのであれば、それは良いと思いますが、しかし、「敷地外においても、はてしなく同じような建物が広がる」というのは、どんなものでしょうか。 ヴォーリズさんの建物は、「やさしい建物」ではあっても、「(周囲を)支配する建物」ではないと思うのです。 はてしなく周囲に広がっていく必要はないようにも思いますが、どうでしょうか。

   最近、関学では、ミスコンというのは、女性差別に通じるものだとして、おこななってこなかったという記事を、インターネットで見ました。 私も、かつて、そう思っていましたし、大学祭でおこなうべきものではないと思っていましたが、慶應では、特に、内部進学の人には、そういうことを言っても、絶対に通じませんでした。 しかし、今、改めて思うに、やはり、ミスコンというものは、女性差別に通じるものではないのか、そうであるなら、大学というところにおいてはおこなうべきものではないのではないか、あるいは、女性差別どうこうでなくても、それは、大学というところでおこなうべきものではないのではないか・・・・といったことを考えるのが大学という所であり、そういうことを、まったく考えない思考態度を「思考の柔軟な慶大生」などと言うべきではないのではないかと思ったりします。
   ローニンしたおかげで、実際に行った大学以外にも受けた大学・受けに行った大学ができたことから、このように、大学を比較して考えることができるというメリットもあります。 だから、ローニンしてしまった人、そう悲観することもないと思うよ・・・。 
   でも、それでも、現役で目指したところに行けた方がよいに決まっているので、高校生の人は、現役で目指すところに合格できる方向で最善の努力をするべきだと思います。 
   但し、昔、東大の本郷キャンパスで、合格発表の時、胴上げをやっていた人がいたが、東大であれどこであれ、合格したからといって胴上げなどはやらない方がよいと、私は今は思います。 昔、新聞で、王貞治が、早稲田実業高校の野球部の時、試合で勝ってはしゃいでいた時に、兄から「負けた相手の気持ちを考えろ」と怒られ、それ以来、王は、勝っても、はしゃぎまくることはしなくなったという記事を見ました。(阪神タイガースが星野監督の時に18年ぶりに優勝したものの、日本シリーズでは、王が監督をしていたソフトバンクに負けた時、「勝利監督インタビュー」で、ソフトバンクの監督の王が最初に口にしたのは、「阪神には、大変、申し訳なかったけれども」という言葉で、ワールドベースボールクラシックで優勝した時に、最初に口にしたのは、「韓国チームは、大変、ピッチャーが良かった。また、守備も良かったので、なかなか点が取れなかった。」という文句で、それを聞いた時、王はすごいなあ、と感心した。) そういうこともあるかもしれないけれども、それよりも、大学入学というものは手段であって目的ではないはずであり、東大の合格発表で胴上げしている人を見ると、「あんたにとっては、たかだか東大の試験に合格したくらいのことが、胴上げするほどのことなのかい?」と言いたくなります。 そう思いませんか?

   「メソジスト」とは、「ウィキペディア―メソジスト」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%82%B8%E3%82%B9%E3%83%88 には、≪日課を区切った規則正しい生活方法(メソッド)を推奨した。メソジストという名称は「メソッド」を重んじることから「几帳面屋」(メソジスト)とあだ名されたことに始まった。≫と書かれています。

   今回、「・・・~ヴォーリズさんの建築(3)」と表題に入れた。 第104回 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201206/article_2.html と第105回 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201206/article_3.html を、日本の教会建築(1)・(2)として作成・公開したが、今回の関学の建物も、キリスト教系の学校の建物で、又、ヴォーリズさんの建物は教会でなくても教会のような要素があり、教会建築の範囲に入るとかとも思ったが、キリスト教系の学校とはいえ学校は学校だと考え、「ヴォーリズさんの建築」というシリーズを新たに作ることにした。 (1)と(2)は、 〔第18回〕の《 「屋上緑化」「屋上庭園」「屋上利用」の意義について、プラス、大丸心斎橋店の思い出 〔引っ越し掲載〕 》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201101/article_18.html で、大丸心斎橋店、 〔第105回〕《慶應義塾大学YMCAチャペル(ヴォーリズ)~日本の教会建築(2)、及、日吉箕輪町方面の現在 》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201206/article_3.html で、慶應日吉YMCAチャペル について取り上げたので、その2つを「ヴォーリズさんの建築」(1)と(2)と考え、今回は「ヴォーリズさんの建築(3)」としました。



   ここしばらく、橋下徹・中原徹らを批判する文章を何回か入れたところ、賛成・称賛・同感の気持ち玉もいただいた反面、攻撃的なコメントもいただいた。 今回は、ヴォーリズさんの建築についての論述だが、ひとことくらいは橋下・中原一派に関することも述べておこうか。
   いつであったか、橋下・中原らに対する批判をおこなったところ、純正日本人である私に対し、「日本から出てけよ」とかいうコメントを入れられた。 何であれ、自分が気に入らない相手に対しては「出てけよ」という言葉が出るというのは、なんとも心の狭いことだと思う。
   もし、ヴォーリズさんなら、あるいは、ランバスさんなら、どう言うだろうか。 おそらく次のように言うのではないだろうか。
「 どうして、出ていくのですか。 出ていかないで。 一緒にやりましょう。 出ていかないで。」 と。

※ ウィリアム=メレル=ヴォーリズ については、
「ウィキペディア―ウィリアム・メレル・ヴォーリズ」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%BA
「ヴォーリズ記念館」ホームページ http://vories.com/
「一粒社ヴォーリズ建築事務所」ホームページ http://www.vories.co.jp/ 
※ ウォルター=ラッセル=ランバス は、
「ウィキペディア―ウォルター・ラッセル・ランバス」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%90%E3%82%B9 他参照。
         (2012.7.14.)





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