アンナ=モッフォはすばらしい。及、「君が代」伴奏は音楽教諭の業務ではない。

〔第102回〕  アンナ=モッフォ はソプラノの歌手であったが、特に、「美人ソプラノ」と言われていたというところに特徴がある。 「美人○○」と言っても、週刊誌とかスポーツ新聞とかお昼のワイドショーとかでは、とにかく、登場する女性は、田村亮子(谷亮子)以外は、とにかく女性である限り接頭語として「美人」とつく、もしくは、「女性」である限り「美人」という枕詞(まくらことば)がつくので、ソプラノ歌手に「美人」とついても、それがどうした・・・・という感じがするかもしれないけれども、アンナ=モッフォの場合は、本人が相当に意識して「美人」を作っていたという点で特色がある。
    橋下徹について、「政治家の中で最もイケメン」と言われた時に、橋下が「『政治家の中で最もイケメン』と言われても、『ウンコの中では最も形のいいウンコ』と言われているようなものでうれしくない。」と、そのようなことを言われて大喜びしたりはしゃいだりせずに、 あっさりかわしたところだけは、さすがに北野出身だけあると、唯一そこだけは評価した。 「美しすぎる市議」とか言って売り出した青森県の女性市会議員・藤川優里 は、まあ、そういう売り方をするのもひとつの方法かとも思ったが、その2番煎じ・3番煎じというのか、柳の下のドジョウみたいのが続出してきたのにはうんざりした。 又、政治家も百回に1回くらいならそういうことを言ってみるのもおもしろいかもしれないが、それを第一に売りにするヤツというのも、どんなものか、というのか、なんか、つく仕事を間違えてるんじゃないかという気もする。(ちなみに、「美しすぎる市議」というからには、藤川ゆり のホームページhttp://www.fujikawayuri.net/index.html を見ると、水着写真くらい載っているかと思ったが、載っていなかった。 あほくさ。)(ついでに、インターネットで、「藤川ゆり 画像」http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E8%97%A4%E5%B7%9D%E3%82%86%E3%82%8A  というのがあるが、それを見ると、な~んか、仕事を間違えているようなというのか、自分の仕事を勘違いしているような・・という気がするが、・・・そう思いませんか?)


   それで、 「アンナ=モッフォはすばらしい」というのは、「オードリー=ヘプバーンはすばらしい」と共通するところがある。 どこが共通しているのかというと、もともと、美人であるかどうかではなく、オペラを演じるにおいて「美人」を意図的に作っている点、映画の役を演じるにおいて「美人」を意図的に作っている点においてである。
※アンナ=モッフォ については、
「ウィキペディア――アンナ・モッフォ」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%83%E3%83%95%E3%82%A9 他参照。
※オードリー=ヘップバーンについては、
「ウィキペディア――オードリー・ヘプバーン」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%97%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3 他参照。


   プッチーニのオペラ『トゥーランドット』の登場人物であるトゥーランドット姫は、「千人の男をとりこにした」と言われる美人であるが、氷のように冷たい心の持ち主で、トゥーランドット姫が出す3つのナゾを解くことができれば、その男性の妻になるが、もし、ナゾを解くことができなければ、命を奪うと言い、そして、毎年、何人もの男の首をはねてきた・・・という話であるので、オペラ『トゥーランドット』を見に行くと、いったい、どんなにすばらしい美人が出てくるのかしらん・・・・・と楽しみにしていると、・・なあ~んだ、冷蔵庫みたいなおばさんじゃないの、とか、航空母艦みたいなおばさんじゃないの・・・と、がっかりさせられる、という話がある。
   「冷蔵庫みたいなおばさん」「航空母艦みたいなおばさん」というのは、声楽家というのは、大きく良い声が出るように、体を楽器に作りあげていくもので、芸術といっても、スポーツ選手のような面があって、かつて、水泳の平泳ぎの女性選手が肩の周囲に筋肉がついて「金太郎さん」と言われたという記事を新聞で見たことがあったが、声楽家の場合にも、良い声を出すための体型というのが、男性の場合は外見上のマイナスにはならなくても、女性の場合、「美人」の体型とは異なるようになってしまうということがあると思う。
   それとともに、歌謡曲の歌手というのは、歌のうまさは二の次で、外見が優先されるし、「かわいい」という年代で出ても、年齢をいくと消えていくか、もしくは、年齢をいっても残る人は、「かわいい」とは別の味を出して生き残るのであるが、オペラ歌手というのは、ある程度以上の年齢になっても、トゥーランドット姫のような「美人」の役を演じたりするという点がある。
   そして、何より、オペラというのは、「総合芸術」であるとされ、オペラを演じる役者は、一方で「声楽家」であるとともに、一方で「役者」でもあり、その両方の条件を満たさないといけないという点に難しさがあり、そのどちらを取るかというと、「声楽家」である方を取り、「役者」としては、並みより下でも我慢するしかない・・みたいになっているケースがあるようだ。
   それとともに、劇とか映画・テレビドラマなどにおいては、娘の役は娘の年代の人間が演じ、母の役は母の年代の人間が演じ、おばあさんの役はその年代の人が演じるのに対して、オペラの場合には、ソプラノの声域・メゾソプラノの声域・アルトの声域と、声域によって配役が決まり、どうも、母はアルトの声域の人が演じて、娘はソプラノの声域の人が演じることが多いようであるが、若くてもアルトの声域の人もおれば、ある程度以上の年齢になっている人でもソプラノの人もいるわけで、その結果、若い人が母親の役を演じて、高齢の人が娘の役を演じるという、映画やテレビドラマでは、あまりない現象が起こってしまうという事情もあると思う。
   しかし、そういう事情があるとしても、声だけであるならば、オペラではなく、歌曲を歌っておけば良いではないか、オペラを演じるのであれば、やはり、声だけではいかんのではないのか、と思うのです。 
   そして、やはり、その歌が歌えるならばその役をやってよいと考えるのではなく、外見がその役にふさわしいかどうかという点も、やはり、実際問題として考えざるをえないのではないのかと思うのです。

   オードリー=ヘプバーンが主演した映画というのは、たいてい、相手役の男性は、「ひと回り以上年上」、もしくは、「ずっと年上」で、『ローマの休日』以来、なんと言うのか、「『ちょっと困った小娘』みたいのにわずらわされてみたい」というような男性がいるのか、そのアレンジ版みたいな作品がいくつも出ましたが、1953年の『ローマの休日』の時はオードリー=ヘプバーンは24歳で、確かに美しいと思ったけれども、1961年の『ティファニーで朝食を』の時には32歳で、「かわいい女性」というにはちょっと苦しい年齢になり、1963年の『シャレード』の時には34歳で、静止画像では美しくても、映画の場合は動くので、どうしても、首筋にしわが出るのが映ったりしていましたが、オードリー=ヘップバーンがすばらしいと思えるのは、『ローマの休日』の時には、「地」でも、アン王女の役、「かわいい女」の役を出来たものが、『シャレード』では、「地」ではなく、それを「演じている」というところだと思います。
   そして、さすがと思えるのは、オードリー=ヘップバーンだけではない。女性だけではありません。『シャレード』で、オードリー=ヘップバーンの相手役を演じたケーリー=グラントは、1963年の『シャレード』の時、59歳で、「格好の良い男」とされていたものの、ある程度以上の年齢の男性として格好の良い男であり、年齢的にオードリー=ヘップバーンの相手役は自分では無理だと、ケーリー=グラントが言い、その為、この映画では、オードリー=ヘップバーンが演じるレジーナ=ランバートの方からケーリー=グラント演じるピーター=ジョシュアを追いかけるような話にした、という話を何かで読んだ。(残念ながら何で読んだか忘れてしまった。確認できれば、補足します。)
   映画『シャレード』のすばらしさのひとつは、ヘンリー=マンシーニの音楽であり、落ち着いて話の筋書きだけ聞くとたいした話でもないかもしれないけれども、それが、ヘンリー=マンシーニの音楽とともにテンポよく進んでいくことにより、ひとつの芸術作品としての映画になっているように思います。 その点で、この映画は、「ミュージカル映画」ではないけれども、音楽とともに作られた映画であり、オペラと共通する部分のある映画であると思います。
※ケーリー=グラントについては、
「ウィキペディア――ケーリー・グラント」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88 他参照。
※映画『シャレード』については、
「YouTube―シャレード」http://www.youtube.com/watch?v=d42svD0g6fE
「YouTube―Henry Mancini 映画「シャレード」 Charade ( instrumental )」http://www.youtube.com/watch?v=DxMqVKOtKLc&feature=related 他参照。
※ヘンリー=マンシーニ については、
「ウィキペディア――ヘンリー・マンシーニ」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%8B 他参照。


   たしか、1974年に、アンナ=モッフォは、来日しており、私は、『音楽の友』で、アンナ=モッフォの記事を読みました。 しかし、そこでは、あまり称賛はされていなかった。 「声はいまひとつであった」「『美貌』の方も、そろそろ衰える年齢であり、今後も、『美貌』を売りにしてやっていけるとは思えない。」というようなことが書かれていたような気がします。(今、記事を確認して書いていないので、細部の文章は異なるかもしれません。)
   「美貌」についても、「音楽の友」に載っていた写真で見る限り、私は、そんなに「美人」とは思わなかった。ひとつには、どういう外見を「美人」と考えるかは、その国によっても、その時代によっても異なるし、又、アンナ=モッフォは、「ウィキペディア――アンナ・モッフォ」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%83%E3%83%95%E3%82%A9 によれば、「1932年?生まれ」で、その時、42歳、その時、私は中学生であり、中学生にとっては42歳の女性というのは「美人」と考えるかどうかの対象年齢を超えていたということもあります。

   下に、アンナ=モッフォのCD の写真が載っているアマゾンショップのアフィリエイトを貼り付けておきましたが、そのCDの写真などを見ると、けっこう美人ではないかとも思えるが、アンナ=モッフォのすばらしいところは、実際に美人であるかどうかではなく、「美人」の役を演じる時には、「美人」を作ろうと努力しているところだと思う。
   オードリー=ヘップバーンが、友人に「私は、化粧と衣装で『美人』に作っているだけで、もともとは、『スクエア(square)』(四角形)とあだ名をつけられたくらいで、四角形の顔で、本来、美人じゃないのよ。」と語ったと、かつて、レンタルビデオ屋で借りた、オードリー=ヘップバーンについてのビデオで語られていた。(そのビデオは、下にアマゾンショップのDVDをアフィリエイトとして貼り付けた『想い出のオードリー・ヘプバーン』だったような気がするが、違うかもしれない。 )
   オードリー=ヘップバーンにしても、アンナ=モッフォにしても、「美人」と思うかどうかは人それぞれで、思わない人は思わないだろうけれども、すばらしいのは、映画なりオペラなりにおいて、「美人」の役をする上において、「美人」に作ろうとしているところであり、アンナ=モッフォは、少なくないオペラ歌手のように、オペラは声が大事であるのだから、外見は評価されるものでなくてもしかたがないと居直ったりはしていないところである。
   
   そして、「音楽の友」に、アンナ=モッフォが来日した時におこなったインタビューが掲載されていたが、アンナ=モッフォに、今後は、どういう作品に出たいですか、と質問し、プッチーニの『蝶々夫人』などはどうですか、ときいたところ、アンナ=モッフォがどう答えたかというと、(『蝶々夫人』は、日本人の没落藩士の娘で芸者の「蝶々さん」とアメリカ合衆国の海軍士官ピンカートンの話であるが、)「私は、外見上、日本人のようには見えないので、『蝶々さん』にはあまり向いていないと思う。」と語ったというのです。(これも、原記事を確認して打ち込んでいないので、文章の細部は違う可能性はあります。)
   オペラは、やっぱり、片方で声楽であるとともに、もう片方で演劇であり、演劇の部分については、演技力とともに、「化粧と衣装」によってでも、その役の姿を作ることができるかどうかは重要要素のひとつであり、「オペラ歌手」にはその部分をほとんど考えていないような人がいるのに対して、アンナ=モッフォは、自分の外見から演じるのがふさわしい役かどうかということをきっちりと考えていて、そして、インタビューにおいても即座に答えたようでした。
   もっとも、実際には、アンナ=モッフォは、『蝶々夫人』のタイトルロール〔オペラに詳しくない方のために、解説しますと、オペラの題名になっている人物の役を「タイトルロール」と言います。〕を演じたことはあり、下のCDにも、『蝶々夫人』の中の、「蝶々さん」のアリア「ある晴れた日に」が収録されていますが。
※オペラ「蝶々夫人」については、
「ウィキペディア―蝶々夫人」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9D%B6%E3%80%85%E5%A4%AB%E4%BA%BA 他参照。


   下のアンナ=モッフォのアリア集のCDに付いている 「1980年発売のLP:OC-7309より転載」という高崎保男「解説」には、
≪ 彼女が1950年代の終わりごろ、2枚のオペラアリア集と《ファルスタッフ》全曲のナンネッタによって私たちの前に現れたとき、モッフォは実に知的で才気にみちた歌い手という印象を与えた。 いいかえれば、声の美しさや超人的な技巧ではなく、歌の作り方の巧みさによって傑出していたのである。 当時のイギリスの批評に「何というすがすがしい歌!」という言葉がみられるのもふしぎではない。 その知性と才気が、本来リリコ・レッジェロの声質をもつ彼女を単なるコロラトゥーラ・ソプラノから脱皮させて、もっと幅広いユニークな性格表現を必要とする諸役(たとえば、上記のカルメンやメリザンド)に向かわせ、また明らかにその声質から若々しい美しさが失われた現在(1980年)でさえ、また別の新しいアンナ=モッフォの活躍を可能にした原因でもあるだろう。≫と書かれている。
   そして、≪ このディスクの(4)(6)(8)(9)に歌われている4曲〔ヴェルディ『十字軍のロンバルディア人』より「何という奇跡!~夢ではなかった」、 ヴェルディ『ラ・トラヴィアータ(椿姫)』より「ああ、そはかの人か~花から花へ」、 グノー『ロメオとジュリエット』より「わたしは夢に生きたい」、 ドニゼッティ『シャモニーのリンダ』より「ああ、遅すぎる~恋の炎」 〕は、モッフォの本来のレパートリーであるリリコ・レッジェロ系統の歌で、<ラ・トラヴィアータ>のアリアなどは最初のアリア集(イギリス・コロムビア)、RCAビクターの全曲盤を通算して3度目に当たる。当然、声はかつての自然さと自由さを失っている。・・・・≫と書かれている。  しかし、私は、アンナ=モッフォは、「美人ソプラノ」と言われていたことから、何か、「美人」を売り物にすることによって、声楽の劣っているのをごまかしている歌手であるかの印象を受けていたのであるが、 このCDを聞いて、声もすばらしいではないかと思ったのです。 アンナ=モッフォは、オペラを演じるにおいて、外見をも重視するオペラ歌手であっても、決して、外見・風貌で声の拙劣さをごまかそうとする歌手ではなかったし、それどころか、声楽の部分もまた、すばらしい歌手だと思いました。

   そして、声楽の部分についてもすばらしい歌手が、オペラを演じるにおいては、「化粧と衣装」の力を借りた上においてであれ、その役を演じるのがふさわしい姿となることができるかどうか、という点を相当大きく認識しているという点で、 間違いなく アンナ=モッフォはすばらしい、と私は思います。
   高崎保男の「解説」には、≪ その名はイタリア風だが、ペンシルヴァニア生まれのアメリカ人(ただし、二代前にイタリアから移住した)。≫と書かれており、そう言われれば、イタリア人的な顔立ちのように思えます。


   ところで・・・・・。 音楽とは何でしょうか。
中学校や高校の「音楽」の授業とは、こういったことを考えることではないでしょうか。 こういったことを考え、そして、そういった認識のもとに、自分でも歌を歌えるように、楽器を演奏できるようにして、今後の人生を、音楽と共に歩むことができるようにするものではないでしょうか。
   こういった問題意識のない「音楽」というのは、「音楽」としては2流以下だと思います。
   「君が代」の歌詞は、どう考えても日本国憲法の前文にも述べられている「国民主権」に反するものであり、「君が代」礼拝式というものは、天皇の神格化を目指す動きであり、その理由において日本国憲法においても確認されている「信教の自由」と抵触するものと考えるべきですが、それと別の問題として、「音楽」とは何か、「音楽」の授業とは何かということを考えた時、「君が代」というものは、「音楽」の教諭が扱う対象として考えるべきものではないと思われるのです。 「君が代」を「音楽」として教えるのであれば、質の高い「音楽」とは何かを教える・学ぶという「音楽」の教育に逆行する行為だと思います。

   ソ連映画『シベリア物語』では、第二次世界大戦中にドイツ軍との戦争で左手を負傷してピアノが弾けなくなってしまったピアニストのアンドレイの恋人の女性歌手・ナターシャが、アンドレイのライバルのピアニストの男のピアノ演奏を、「指が鍵盤の上を移動しているだけ」と酷評する場面がありました。 「君が代」のピアノ伴奏を音楽教諭にさせようとする人というのは、「音楽」とは、「ピアノ演奏」とは、「指が鍵盤の上を移動するだけ」と考えているのではないでしょうか。見事に「指が鍵盤の上を移動」できるようにするには、それはそれで、修練が必要ではあるのですが、「指が鍵盤の上を移動する」のが「音楽」ではありません。 単に、「君が代」礼拝式において、ピアノの鍵盤をたたくだけの「ピアノ伴奏」が必要であるならば、そういうCDがあるのではないでしょうか。もしくは、最近の電子ピアノで、無人で演奏できる設定にできませんか。 何かと、「嫌がる人間に無理にやらせたい」という人たち、「無理矢理やらせるのが好き」という人たちというのは、困った人たちだと思うし、その人たちの精神構造は、決して十分に成熟したものではないように思います。
※映画『シベリア物語』については、
「シベリア物語」http://byeryoza.com/topic/log2005/sibirist.htm
「シベリア物語」http://www.asahi-net.or.jp/~uu3s-situ/00/Siberia.Monogatari.html
「ウィキペディア―シベリア物語」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A2%E7%89%A9%E8%AA%9E  他参照。

   私が北野高校に生徒として通った時、校舎は今の校舎とは別の建物で配置も異なりました。 北側の門から入ってきた所に体育の教諭の教員室があり、生徒は、冗談で、「危ない人間が入ってきたら追い返すように、体育教員室があそこにあるんだ。」と言っていました。 あくまで、冗談でですが、体力という点では、他の科目の教諭よりも体育の教諭の方があったでしょう。 しかし、だからといって、 「危ない人間が入ってきたら追い返す」というのは、体育教諭の業務かというと違うと思います。  それと同じこと。 音楽の教諭にピアノ演奏の能力があったとしても、だからといって、「君が代」の伴奏は音楽教諭の業務ではありません。 
   「音楽」とは何か。 「音楽」はどうあるべきか。 すばらしい「音楽」とはどういうものか。 その問題意識を持ち、自分自身でそれを考えて、そして、歌う・演奏することができるように助力するのが音楽教諭の業務とすれば、 「君が代」などという「音楽」「歌」としては質の低いものを歌わせようとするのは、音楽教諭の業務に逆行するものと言わざるをえません。
   もしも、「君が代」というもののピアノ伴奏をする必要があるのなら、たいして難しいものでもないのですから、「君が代」が好きな人が伴奏すれば良いのです。 嫌な人にさせるべきではありません。

   「歌」というものは、嫌だという人に無理矢理歌わせるべきものではありません。

   中原徹・橋下徹といった「君が代」を嫌がる人に強制的に歌わせようとする人間のカスども。 今まで、ろくな音楽の授業を受けてこなかったのでしょうね。 橋下は、小学生にも必要なことを学べていない者には留年させるべきだと主張しているらしいが(〔第86回〕《小学校での留年は子供の学習意欲を削ぐ。 学力の「目標レベル」て何だ?―橋下徹の不認識にはあきれる。》 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201202/article_7.html 他参照。)、十分に、音楽を学び、最低限の学習を修了できていないと思える 橋下 徹・中原 徹 の徹2名、小学校の1年から「音楽」の授業を学び直したらどうか。 (「憲法」の学習もやり直した方がよいと思うぞ。 人権思想の歴史・社会の流れが理解できていないところから考えると、「世界史」「日本史」も学び直す必要がありそうだ。 内部進学の中原 徹は最初から「世界史」「日本史」なんか勉強してないか・・・? )             

   なお、今回のブログは、
〔第84回〕《ハンス=ホッター他のすばらしさ、「君が代」の伴奏は音楽教諭の業務ではない、音楽を学んでいない橋下徹 》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201202/article_5.html
〔第90回〕《ブラト=オクジャワのすばらしさ、「君が代」の伴奏は音楽教諭の業務ではない、音楽を学んでいない橋下徹  》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201203/article_4.html
 とともに、三部作として作成したものです。 〔第84回〕・〔第90回〕も、ぜひ、ご覧くださいませ。
     (2012.5.25.) 
========================================================
武田邦彦教授のブログhttp://takedanet.com/ の《(速報)北九州報告・・島田市と併せて》(2012.5.25.)http://takedanet.com/2012/05/post_cffd.html に、福岡県北九州市 と 静岡県島田市 での瓦礫の焼却による放射線量の変化が掲載されていますが、影響は相当に大きいようです。 福島県、及び、東北被災県に、早く、放射性物質を捕捉できる焼却場を設けるべきで、全国どの自治体にせよ、放射能汚染の可能性のある瓦礫を受け入れて放射性物質を補足できる機能のない既存の焼却場で焼却するのはやめるべきです。 (2012.5.27.)
======================================================== 


オペラ・アリア集
コロムビアミュージックエンタテインメント
2006-08-02
モッフォ(アンナ)

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by オペラ・アリア集 の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル



想い出のオードリー・ヘプバーン [DVD]
コロムビアミュージックエンタテインメント
2002-03-20

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 想い出のオードリー・ヘプバーン [DVD] の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル



シベリヤ物語 [DVD]
アイ・ヴィ・シー
2002-10-25

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by シベリヤ物語 [DVD] の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック

  • ルンバ 故障

    Excerpt: ルンバ 事故 最大の原因はこれだった!お掃除ロボットを故障させない方法 Weblog: ルンバ 故障 racked: 2012-06-28 12:44