「民間人校長」は府民・国民に履歴書・職務経歴書の提出が要、及、リコール・国民審査or府民審査制度が要

〔第101回〕
   橋下 徹の友人だということから、縁故入社か裏口入学みたいに府立和泉高校の「民間人校長」になってしまった中原 徹という男が述べていることを見て、この男、早稲田大学を卒業して弁護士をやっていたと言っているけれども、早稲田でも、内部進学か帰国子女枠かではないか、一般入試で入った人間ではなさそうな感じがすると思い、又、法律を十分に学んで「法の精神」「リーガルマインド」を身につけてきたという印象を受けないことと、弁護士で英語がけっこうできるらしく、アメリカ合衆国のカリフォルニア州、ニューヨーク州の弁護士の資格も持っているらしいということから、もしかして、日本で司法試験に合格するレベルまでの法律の勉強はしていない人間で、アメリカ合衆国かどこか英語圏の国で育ってもともと英語ができる人がカリフォルニア州とニューヨーク州で弁護士資格を取った上で、外国の弁護士資格のみ持っている人が≪法務大臣の承認を受けた場合に外国法事務弁護士として原資格国法に関する法律事務を行うことができる≫という制度により、日本でも弁護士の業務について、「国際弁護士」を名のっていたというものではないのか、といったことを考えたのです。(もっとも、中原に限ったことではなく、正規に司法試験合格を経て弁護士になっている人でも、「法の精神」「リーガルマインド」をきっちりと身につけている人ばかりかというと、そうでもないと思いますけれども。)  そう思って、ブログにも思ったことを述べたところ、 〔第94回〕《 「君が代」作法をなぜ中原徹・橋下徹らが変更して国民に押しつけるのか、なぜ、彼らにその権利があるのか? 》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201203/article_8.html に、ニックネーム「大阪府立高校卒業生」様から、中原徹自身が、 文部科学省《中原徹氏(大阪府立和泉高等学校長)意見発表》http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kaikaku/arikata/detail/1310848.htm で、≪私は早稲田大学の法学部を出まして、その後、日本の司法試験に受かり、東京永和法律事務所という法律事務所に約2年間おりました。・・・・約2年で事務所をやめて、無職になり、ミシガン大学というアメリカのロースクールに入り直しました。その後、ニューヨークとカリフォルニアの弁護士資格を取りつつ、800人ぐらいの弁護士を抱える米国法律事務所のロサンゼルス・オフィスでアメリカの弁護士として勤務しまして、結局10年ぐらい働いて、晩年はパートナー、共同経営者にもならせていただきました。≫といったことを述べているのをコメント欄にて教えていただきました。 又、〔第92回〕《なぜ、こんな卑しい男を校長にならせないといけないのか?-府立和泉高校・中原徹~「民間人校長」て何だ? 》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201203/article_6.html に、ニックネーム「オサム」様から、中原徹は、私立早稲田中学校早稲田高校から内部進学で早稲田大学の法学部に進学した人だということなどを教えていただきました。
   これらの情報を基に整理すると、
私立早稲田中学校→私立早稲田高校→早稲田大学法学部→司法試験合格・日本国弁護士資格取得→永和法律事務所所属弁護士 となったものの、 その後、
→アメリカ合衆国ミシガン大学(ロースクール)→ニューヨーク州・カリフォルニア州弁護士資格取得→アメリカ合衆国の法律事務所のロサンゼルスでの事務所で弁護士として勤務。 という経歴で、日本の弁護士資格とアメリカ合衆国ニューヨーク州とカリフォルニア州の弁護士の資格を取得した人だということはわかりましたが、それで、なぜ、「民間人校長」とはいえ、高校の「校長」になりたがるのかよくわからん男だなあという印象を受けます。 弁護士も日本の弁護士をやりたいのかアメリカ合衆国の弁護士をやりたいのかもはっきりしないし、腰の落ち着かない男だなあ、要するに、司法試験に合格するだけの事務屋的能力を習得する力はあって、マルマル無能ではないけれども、これをやりたいというものはなく、ひとつのことに打ち込んで努力するということは出来ない人だということか、という印象を受ける経歴です。
   父親がパイロットだったということで、中学校も高校も大学も私立に行っていたあたり、特に、公立中学校・公立高校から私立の大学に行ったという者の場合は、大学も国立に行きたかったんだけれども行けなかったので私立に行きましたという人がいるし、灘とか開成とかから早稲田大学に行ったような人は、中学校高校は私立でも大学は国立に行こうとして失敗した人であるのに対して、早稲田の内部の私立中学校から早稲田大学まで行った人というのは最初から、中学校高校大学と私立に行くことを考えていた人でしょうから、一般的には、比較的、お金のある家庭の人だったのだろうなあという印象を受けます。
    又、もしも、私が日本国で弁護士の資格を持って法律事務所に勤めたとして、それで、外国に留学したいとか外国で弁護士をやりたいとか言い出したとしたら、私の親は、絶対に許さなかったと思うし、「そんなもん、せんでもええんじゃ。」と言って実力行使したと思えるのですが、そういう点について、理解のある家庭であったのだろうとも思え、うらやましい人だなあとも、けっこうな御身分の人なんだなあとも思えます。
   人によっては、日本国で弁護士の資格をとるだけでも大変なことなのに、アメリカ合衆国での弁護士の資格まで取って、すご~いとか思う人もあるのかもしれませんが、それで、結局、あんた、何をやりたかったわけ? 高校の先生をやりたかったのなら、早稲田でも教育学部か文学部・理工学部に行って、教員免許を取って、高校に教員として勤めればよかったんじゃないのお? なんか、へ~んなの・・・・という印象を受けるのですが、・・受けませんか?
   又、高校・大学の時から高校の先生になろうと思って、早稲田高校から早稲田大学の教育学部、あるいは、文学部・理工学部に行って高校の教員になった人、もしくは、公立高校から東大の理学部・文学部、京大の理学部・文学部に行って高校の教員になった人というのは、中原徹の年齢においては、校長になりたいと思っても、たいてい、まだ、なっていないはずなのですが、法学部に行って弁護士になれば、先回りしたみたいに「校長」になれるのなら、それでは、まともに教職課程を履修して教員として努力してきた人間はバカみたいだと思うのですが、そう思いませんか?


    ところが、その後、ニックネーム「オサム」様から、このコメントを削除してほしいというコメントが、〔第92回〕《なぜ、こんな卑しい男を校長にならせないといけないのか?-府立和泉高校・中原徹~「民間人校長」て何だ? 》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201203/article_6.html に入り、その直後に、ニックネーム「ゆかり」様から≪批判する側にあって、批判される側に無い物な~んだ。 答え:プライバシー≫というコメント、さらに、ニックネーム「qwerty」様から、≪どう考えても中原校長支持一択 どう考えても、卑しい白痴はお前≫という罵倒のコメントが入りました。 
    「オサム」様からは、丁重なお願いをされたのですが、そのお願いに対して、「お断りする」ということではなく、「削除する意味がない」ということで、そのまま掲載させていただきたいと思います。  
    インターネット上に掲載したものは、本として出版したものよりは固定的ではないと思いますが、一度、掲載して、何人かの方に読んでいただいたものは、作成者だけのものではないように思うので、私自身、一度、公開したブログについては、打ち込みミス・変換ミスの訂正、冗長な表現で読みにくいもののまとめ直し、などは、公開後、お断りなくおこなっていますが、内容を削除することは、基本的にはしないで、後から、これは違ったと思った時には、前のものを削除するのではなく、訂正の文章を入れるというようにしています。
    しかし、コメント欄に入れられたものについて、たとえば、入れられた方のプライバシーにかかわる内容が述べられていたというような場合に削除してほしいという希望であるとか、内容に間違いがあったので訂正したいという場合などは、訂正・修正、時に削除させていただいても良いとは思います。
    又、コメントを入れていただいた方が、本名をフルネームで入れていたというような場合に、ニックネームに変更したいということであれば、訂正させていただいてよいと思います。
    しかし、「オサム」様の場合は、もともと、フルネームで本名を入れられているわけでもなく、誰かから、「あのコメントはお前が入れたのだろう。」と言われても、「知らんよ。俺じゃないよ。」と言っておけばよいことですし、
もしも、本名の名の方の読みが「オサム」様である場合でも、「オサム」様という名前の方は他にもおられますから、個人が特定されることはないはずです。
    それでも、削除するとどうなるかといいますと、「オサム」様のコメントを削除するかわりに、私自身が、≪ある信用できそうな方からコメントをいただき、「・・・・」ということを教えていただきました。≫と、「オサム」様がコメント欄に入れていただいたことと同じ内容をブログに掲載することになりますから、削除してもしなくても、結果は同じです。
だから、「削除をお断りする」のではなく、「削除する意味がない」と考えて、そのまま掲載させていただきます。

    「オサム」様の削除の依頼の直後に、ニックネーム「ゆかり」様から≪批判する側にあって、批判される側に無い物な~んだ。 答え:プライバシー≫というコメントが入ったのですが、「民間人校長」というものになって、大阪府民・日本国民全体にかかわる問題にはたらきかけている者が、その経歴を府民・国民から明らかにするように求められるのは当然のことであり、これは、そうでない一般の人間のプライバシーとは、まったく意味は違います。むしろ、あらかじめ、十分に明らかにされていないことの方が問題があります。
    それで、中原徹がブログhttp://ameblo.jp/nakahara-toru/ に「プロフィール」としていれているものがあり、
≪  性別:男
   誕生日:1970年4月26日
   血液型:O型
   出身地:神奈川県横浜市
   前職:カリフォルニア州、ニューヨーク州および日本国弁護士 ≫
と書かれていますが、これではだめです。
  どうだめかといいますと、単なる安月給のサラリーマンが物好きでブログを作って公開するのなら、自分の経歴は述べたい部分だけ述べて述べたくない部分は述べないというのでもかまいません。 しかし、「民間人校長」なるものになろうとする人、なった人は、述べたい部分だけ述べるというのはだめです。
    一般の会社員でも、仕事に応募する時、履歴書と職務経歴書を提出して応募します。  「民間人校長」なるものになろうとする人なら、当然、履歴書・職務経歴書に該当するものを大阪府民・日本国民に提出するべきであり、大阪府民・日本国民の前に明らかにするのが当然です。  それを明らかにせよと言われて、あるいは、部分的に知っている人から明らかにされたとしても、≪批判する側にあって、批判される側に無い物な~んだ。 答え:プライバシー≫などと言う性質のものではありません。 一般の民間企業に応募した人の履歴書・職務経歴書は、その会社で、採用するかどうかを考える上での利用以外に使用するべきではなく、関係のないところに内容を知らせるようなことはするべきではありませんが、府立高校の「民間人校長」は誰に応募しているのかというと、橋下徹に応募しているのでもなく、橋下の盟友の教育長・中西正人に応募しているのでもなく、大阪府民に対して応募しているのであり、大阪府の高校のあり方が日本国全体にも影響を与えることを考えると、日本国民に対して応募しているのでもあるのです。 だから、当然、履歴書・職務経歴書に該当するくらいのものは、大阪府民・日本国民に明らかにする義務があり、大阪府民・日本国民は知る権利があります。 部分的に知っている人から明らかにされても、プライバシーの侵害でも何でもありません。
   会社に応募する場合、かつては、履歴書の提出でしたが、今日では、中途採用の場合は、履歴書と職務経歴書を提出するのが普通になっています。 新卒の場合は、卒業見込証明書と成績証明書を提出します。 会社によっては、持っている資格の証明書のコピーを提出してほしいというところもあります。 建築関係などでは、どのような図面を作成したか提出することもあります。 履歴書は、今では、パソコンで作成する方が普通になってきましたが、20年くらい前は手書きで書いていました。 私は、かつて、少しだけ、ある会社の人事総務部にいて、採用の仕事に携わっていたことがありましたが、手書きの場合、どのような字を書いているか、万年筆で書いているかボールペンか鉛筆か、など書き方からも、その人がどういう人か伝わってくるところがあり、実際の経歴とともに、履歴書の書き方というものが判断材料にもなりました。 ですから、10年くらい前、パソコン打ちの履歴書の方が手書きよりも主になりかけてきた時、パソコン打ちより手書きの方がその人の人柄などがわかって良いのではないかと思ったりしたのですが、実際にパソコン打ちの履歴書を作ってみると、パソコン打ちであっても、その人の人柄などは出てくるように思いました。 
   それで、かつての、手書きの履歴書の用紙は、新卒の場合、大学指定のものを使い、それ以外の場合は、文房具屋で履歴書用紙が売られていたものを使用しましたが、そこには、あらかじめ、記載する内容が決められていて、氏名・住所・電話番号などの欄があり、その下に、「学歴」「職歴」「資格」の欄があり、他に、「趣味」「スポーツ」と「家族構成」という欄があって、「その他」とか「応募の理由」とかいう欄があったと思います。
   私は、履歴書に、なぜ、「スポーツ」という欄があるのだろうかと、前々から疑問に思っていたのです。スポーツをやって悪いことはないと思うし、私もスポーツは嫌いではないけれども、それが、仕事と関係あるのかなあ・・・・と思ったのです。 よく、体育会の関係の人は、「体育会の人間は、学力はないかもしれないけれども、根性がある。」とかおっしゃるのですが、その根性って、どうやって判断するのかというと、グランド何周走るのだって平気で走るとか、なんか、そういう話になるのですが、それって、根性があるのではなく、体力があるのと違うのか? と言いたくもなるのですが、言うと怒られるので、まあ、黙ってよかな・・ということになるのですが、それだけ、日本の会社というのは、「スポーツマン」が好きだということなのでしょうか。 それで、「スポーツマン」が悪いということでもありませんが、だから何なの? と言いたくなるのですが、自分が応募する時には、そこに何か書けるように、まるまる嘘ではないような何かをあらかじめ少しはやっておいた方がいいみたいです。
   「趣味」というものを、会社に応募するために、わざわざやったのでは、それは仕事のための対策であって、もはや、「趣味」ではないのではないか、ということも考えたのですが、採用する側からすれば、その人がどういう人なのかを考える上において、判断材料になるようなことを自分で述べてくださいということで、「趣味」は何と述べて欲しいということなら、おかしなことではないように思います。実際には、勤めると仕事に追われてしまって「趣味」やってるどころじゃないんですけれどもね。
   それで、「学歴」は、通常、中学校卒業から書きます。 高校・大学と、世間でいうところの「一流高校」「一流大学」をさらさらと卒業したのなら良いのですが、ローニンとかリュウネンとかした場合は、あんまり書きたくないのですが、書かないわけにもいかないので、仕方なしに書きます。
   「職歴」も、すばらしいと誰もが言うような職歴なら良いのですが、そうでなくても書かないわけにはいかないのですよ。 転職回数が多いと良くないとか言う会社もあるようですが、してしまったものはしかたがないじゃないですか。 アルバイトとして勤めたものは書いても書かなくてもいいようですし、正社員として勤めても、最初の1カ月か2カ月ほど、年金も入らない状態で勤務して、それで、やめたかやめさせられたかという場合も、書かなくても大丈夫のようですが、嘘を書くわけにはいきません。
   「資格」も持ってるものでアピールできるものは書いた方が良いのですが、たいしたものを持っていないからといって、「資格」という欄を消してしまうわけにもいきません。
   ある程度以上の年齢になると、独身はマイナスの評価になってしまうようですが、結婚していないのに結婚しているように書くわけにもいきません。
    私は、住宅建築請負業の会社に長く勤め、特に「営業」の職種についていた期間が長いのですが、もう10年近く前のこと、雇用能力開発機構の就職コンサルタントであったか、早期就職支援センターの職員であったか忘れましたが、どちらかのオッサンが言ったことです。 「住宅建築業の会社で営業をやってきたのなら、『営業として全国1位の成績を残しました』とかそういうのを書かなきゃいかん。そういうのはないのか。」と私に言ったのですよ。 でもね。私は、けっこう長く勤めて、ある程度以上の成績を間違いなく残しましたが、「全国1位」の成績は取ってないのです。残念ながら。 「そういうのを書かなきゃいかん。」と言われても、「全国1位」の成績は残してないのだから、しかたがないじゃないですか。 それで、早期就職支援センターだったか雇用能力開発機構だったかのオッサンは、「そういうのがないといかん。」と言うのですが、1000人以上も営業の社員がいる会社で、全国1位の成績を残した人というのは、全国で毎年ひとりであるわけです。 残り999人は、いったい、どうすればいいの? どうしろって言うの? そう思いませんか? 「ないといかん。」と言われても、ないものはしかたがないじゃないですか。 それで、要するに、早期就職支援センターとか雇用能力開発機構の就職コンサルタントとかいうのは、親方日の丸で勝手なことばっかり言ってるオッサンであって、早期に就職を決めたいと思ったら、こんな人間は相手にしちゃだめだ、ということがわかったのでした。
   それから、「応募の理由」という欄ですが、厚生労働省委託で東京リーガルマインドが実施していた「就職支援セミナー」の講師の人は、「貴社の進取の気質に魅かれて、・・・・」とかそういうことを書かないといけないとかなんとかおっしゃったように思うのですが、もっと、本音を語って、「本当は、もっと、一流企業で、社会的にも評価されている会社に勤めたいのですが、まあ、とりあえず、勤め先がないと生活もできないので、この程度の会社でも、しょうがないかなあ、と思って応募することにしました。」とでも本音を書きたくなる時があるのですが、「正直でよろしい」と二重丸でもつけてもらえればよいのですが、そうもいかないと思うので、何と書いたものかなあ~あ・・・と思案して、文章を作成することになります。、「貴社の進取の気質に魅かれて、・・・・」とかって、な~んか、よく、そういう歯の浮くようなセリフを言うよなあ~あ・・・と思うし、そういう文句を書かれて採用する側はうれしいかなあ~あ・・と疑問に思うのです。 私は、それは違うと思う。一流企業でないならないで、他にも社会的位置づけ・社会的評価は同じくらいの会社で求人募集を出している会社はあると思うのですが、その中で、他の会社ではなくその会社のその職種に応募しようと思った理由は何かということを述べてもらうと、採用しようかどうしようかという会社の担当者としては判断材料となるし、そういう「応募の理由」をきっちりと述べることのできる人とできない人ならできる人の方が評価できると、私が採用担当者ならば考えます。
    
   それで、です。「履歴書」にあらかじめ項目としてあげられているものくらいは、「民間人校長」になろうとする人、なった人は、府民・国民に明らかにするべきなのです。 述べたい部分だけ述べるのではだめです。 あまり積極的に言いたくない部分でも、最低限のことは述べないではすみません。 
   そして、それは、教育長・中西正人がわかっていればいいというものではない。 「民間人校長」としてふさわしいかふさわしくないかを判断するのは大阪府民なのです。 そして、「君が代」を卒業式で、教員が歌っていたかどうか、口元のチェックまでするというのは、日本国民全体に影響することですから、大阪府民だけでなく、日本国民全体に、中原徹は自分の経歴を最低でも履歴書であらかじめあげられている項目くらいは提示するべきです。(個人の住所・電話番号等は、省いてもよいでしょう。)
   「民間人校長」になろうとする人、なった人の経歴が問われても、部分的に知っている人が明らかにしても、それは、「プライバシー」の侵害でも何でもありません。 むしろ、 「君が代」礼拝式において、それを歌っているかどうかチェックしてまわるという行為の方こそ、個人の心の内面に押し入った調査であり、「プライバシー」の権利を侵害することです。
 
   
   それから、もうひとつ。 知事とか市長とかには、「リコール」という制度があります。 又、最高裁判所の判事には「国民審査」という制度があります。 一度、知事とか市長に選挙で選ばれても、都道府県民・市町村民が、この人は知事・市長にふさわしい人ではないと判断した時に、任期の途中でも辞めさせることができるという制度、最高裁判所の判事については、この人は最高裁判所の判事を続けさせるべきではないと国民が認めた場合は辞めさせられるという制度があります。 最高裁判所判事の国民審査については、実際には、それで罷免させられた判事は今までになく、実効力を発揮していないのではないかという批判もあるようですが、それでも、一応、そういう制度があります。
   「民間人校長」にも、「リコール」の制度か「府民審査」の制度、もしくは、その両方の制度を適用するべきです。知事と「教育長」が、 いったん、ならせたが最後、やりたい放題では、府民・国民はたまったものではない。 
   「民間人校長」にも、「リコール」の制度、「府民審査」の制度を実施しましょう。 そして、大阪府民は、中原徹に、「民間人校長」としての再選を「認めない」と意思表示しましょう。    

   
   そして、 ニックネーム「qwerty」様から、≪どう考えても中原校長支持一択 どう考えても、卑しい白痴はお前≫という罵倒のコメントが入った件ですが、私は、単なる安月給の会社員でしかなく、このブログは安月給の会社員が物好きで公開しているだけのブログであるのです。 そういうものでも、読んでくださる方の参考になるなら大いに役立てていただければと思いますが、コメントについては、今現在、すべて受け入れるという設定にしてはいますが、政治家でも職業評論家でもない者のブログに批判のコメントを入れられる場合は、言葉づかいなど、それなりのマナーがあるのではないかと思います。
   昔、小学生の頃、兵庫県西宮市の阪急「西宮北口」駅のすぐ南側にあった西宮球場に、プロ野球の試合、阪急―ロッテ戦だったか阪急―西鉄戦だったかだ思うのですが、父親に連れられて見に行ったことがあり、観客席からヤジをとばすオッサンがいて、けっこう面白いと思ったことがありました。 阪急は、3番・森本、4番・長池の時代です。 阪急ブレーブスの大熊(おおくま)という選手がバッターボックスに入った時、3塁側の内野席から、「おおくま~、ほっかいどうへかえれえ~え」と言ったオッサンがいて、なぜ、大熊が北海道へなのかというと、大熊→熊→北海道 ということらしいのですが、プロの選手としては、主力選手であるからこそ、ヤジも受けるのであり、当人、気にしている様子もありませんでした。   もう20年以上前、阪神タイガースの掛布が引退した時に、掛布が「甲子園球場で、体調がよくないときもあり、打席で凡退した時とか、阪神側の観客席から『ボケえ』『アホ』『カス』『死ね』と、相当、辛辣なヤジを受け、「この野郎」と思ったけれども、そう考えるのは間違っていたと掛布が述べているのを雑誌で見ました。「がんばれ」という声援が応援であって、「ボケ」「死んでまえ」というヤジは応援ではないと思い、「この野郎」と思ったが、引退直前になって、それは違う、「がんばれ」という声援も「ボケ」「カス」「死んでまえ」というヤジも両方が応援なんだ、応援してくれているからこそ、成果を出せなかった時に、「ボケ」「カス」「死んでまえ」という言葉が出るんだと気づき、「ボケ」「死んでまえ」と言っている人も、自分を応援してくれている感謝するべき人なんだということを引退直前に気づいたと述べていました。 その文章を読んで、なるほどなあ・・・と、その時は思ったのですが、・・・・・しかし、それから、何年かして考えたことですが、たしかに、応援しているからこそ、成果を出せないときに、「ボケ」「死んでまえ」という言葉が出る場合もあるとは思いますが、そうではなく、別に応援しているとかいうことではなく、単に、大声で、「ボケえ」「カスう」「死んでまえ!」と叫ぶのが面白いから言っているだけ、というケースもあるのではないか・・・とも思ったのです。  
    それで、野球選手というのは、掛布くらいの選手は、それなりの報酬をもらっているわけです。仮に、「ボケえ」「カスう」「死んでまえ」と叫ぶのが楽しいからというだけでのヤジを受けても、そのヤジを我慢すること以上の報酬をもらっているのです。 それに対して、このブログは、あくまで安月給の会社員が物好きで公開しているブログであり、私は、このブログを公開しても、誰からも1円ももらっていないのです。 そういうブログにコメントをされる場合には、賛成意見・同感・称賛のコメントだけでなく、反対意見・批判のコメントを入れていただいてもかまいませんし、たとえ、正しいといえない意見でも入れていただいて悪いことはありませんが、しかし、特に、政治家でも職業評論家でも芸能人でもプロ運動選手でもない者のブログにコメントを入れられる場合には、言葉遣いなど、それなりのマナーというものがあるのではないかと思います。  そこで、≪卑しい白痴はお前≫というようなコメントに対しては、ひとつ報復をさせていただきたいと思います。 即ち、そのようなコメントは、削除せずに、その後も残すことで、一般人のブログへ荒々しい言葉で攻撃がなされたという事が長く世間に公開されるようにするという報復をさせていただきます。 その点、ご承知置きください。

   なお、中原徹氏が、高校生時代に、≪女好きでよく女子校の文化祭にナンパしに行ってい≫たという話は、公立高校から慶應義塾大学に行った私のような者から見れば、「マア、慶應や早稲田の内部進学の人なら、そんなもんだろ。」という気がします。もちろん、内部進学の人も、ひとりひとり違うと思いますし、私自身、慶應義塾大学を卒業してから、内部進学の慶應OBの方からお世話になったりしたこともあり、あまり悪口を言うようでは恩知らずになるかもしれませんが、私が、北野高校に行っていたとき、ある英語の先生が、「女性のことが気になりだしたら、もうだめね。 “ T ”という字を見ると立っているところを思い浮かべ、“ L ”という字を見ると座っているところを思い出す、というそういう状態になったのでは、もう、だめ。伸びないね。」と言われたことがあり、私なども自分でもそう思って、大学に合格・入学するまでは女性のことは一切考えてはいけないと思った時期がありました。 慶應や早稲田の内部進学の人には、高校時代にそういう意識を持った人は、あまりないでしょう。 
   しかし、卒業して何年か後、早稲田経営セミナーだったか司法セミナーだったかそういう所が出していた司法試験受験案内書に(整理が悪くて、どこかへやってしまったので、その本の正式名は、今、わかりません。)、「今年、司法試験に合格した人、100人にききました。『司法試験に合格しない人のタイプ』というと、どういう人だ? 答えは7つ。」というような話が掲載されていて、「あまりにもアカデミックな人」というのがあり、そして、「あまりにもストイックな人」という答がありました。 あくまで、「あまりにも」です。 今、思うには、公立高校から京大なり東大なりに行こうとする場合においても、「あまりにもストイックな人」になってしまうと大学受験においてもかえってよくないのではないかと思い、又、自分自身についても、そんなこと思ったりしているから、長く独身でいるようなことになってしまったりしたのかと思ったりもしており、女子校の文化祭めぐりが良いというわけでもないけれども、「あまりにもストイックな人」がいいというわけでもないとも思うようになりました。  又、結婚していて悪くない年齢で結婚できていない人間や結婚はできても子供に恵まれない人間から取り上げた税金から後先考えずに性交して子供を作った者にカネを給付しようという最近の「子供手当」の制度、「とにかく性交して子供作らにゃ損」みたいな制度などを考えると、節制・精進して身を慎み、少なくとも大学合格までは女性のことは考えずに学習に集中して、という私などが北野高校に在籍中に高校の先生から言われて本気にした考え方は、最近の日本の政府の政策を考えると、結局、あほくさいだけと違うのかと思ってみたりもします。
   ≪大学時代は新車のトヨタレビンを乗りまわしてい≫たという話も、金持ちの息子で慶應や早稲田の内部進学の人なら、「マア、そんなものかな」という気がします。  毛沢東は、父親が進学を認めず、その為に、図書館に勤めて、図書館の本を片っ端から読みまくったとかとか、山本有三の『路傍の石』(岩波文庫 他)には、主人公・吾一が、進学させてもらえないことから、鉄橋にぶらさがってみせて、学校の先生から、そんなことでやけをおこして鉄橋にぶら下がるようなことをするなと諭される場面があり、福沢諭吉は、下級士族の息子で、家は金持ちでないことから、長崎に学びに行きたいと思ってもできず、自分より成績の悪い者でも、家老の息子は行かせてもらえるのをみてくやしい思いをしたとかいった話を、私などは、そういった話を我が身のことのように思ったりしましたが、慶應や早稲田の内部進学の人には、ばかみたいとしか思わない人が多かったようです。中原徹もおそらくそうでしょう。
   でも、私は、実際のところ、金持ちの息子で大学生の時に高級車を乗り回してナンパしていたような人って、うらやましいとは思わないのです。 私は、東京から大阪に帰る時、新幹線のおカネがもったいないということで、夜行のバスで帰ったり、国鉄(現・JR)の今はなくなった東京発大垣行きの夜行電車に乗ったりしました。 夜行バスは、今は、インターネットで検索すれば、何社もが運行していて、3列シートとか相当乗り心地の良いバスもあるようですが、その頃は、東京駅の八重洲口からでる国鉄バスの「ドリーム号」しかありませんでした。ある時、夜行バスで帰ろうとした時、夕食を取りたかったので、東急東横線の「日吉(ひよし)」駅の慶應義塾大学と逆側にあった大衆食堂に入ってチキンライスを食べました。 本当は、オムライスを食べたかったのですが、財布に入っているお金を計算すると、オムライスを食べると、自宅まで帰る電車賃がなくなってしまうので、チキンライスにしましたが、今でも、その時のチキンライスがおいしかったのが忘れられません。 最近になって、日吉に行くことがあり、その食堂は今もあるかと思い、もし、あったら、もう一度、そのチキンライスを注文してみたいと思ったのですが、もう、その店はなくなっていました。 金持ちの息子で大学生の時から高級車を乗り回していたような人は、こんな話を聞いてもバカみたいとしか思わないでしょう。 でも、私は、高級車を乗り回す感覚よりも、大衆食堂のチキンライスの味の方が好きです。その気持ちがわからない人というのは、金持ちの息子でもかわいそうな人だと思います。
    日吉の食堂には、もうひとつ思い出があります。昼食であったか夕食であったかを私が食べていた時、同じ食堂に、制服を着た慶應義塾高校の生徒が数人来て食事をしていきました。彼らが帰った後、彼らが利用したテーブルの上に10円玉が1枚ありました。店の女性、おねえさんというには少し年齢をいっていたけれども、おばさんと言ってはかわいそうというくらいの方が、「10円、忘れてある。たとえ、10円でも、お金だから、持って言ってあげよう。」と言って、走って後を追いかけたのですが、しばらくすると、おねえさんはふうふう言いながら帰ってきて、「追いついたのだけれども、『10円なんか要りません』と言って受け取ろうとしない。」と納得いかないような顔をして言いました。 私は、「あいつら、いったい、何だ。」とむかつきました。 「どんなに金持ちの息子であったとしても、自分が稼いで生活しているわけでもない高校生が『10円なんか』とは何だ」、とも思い、又、「『10円でもお金だから持って行ってあげよう』と走って後を追いかけてくれた人に向かって、高校生がその態度はいったい何だ」と思いました。 もっとも、その思ったことを口にしたとすれば、彼らの方こそ私に向かって思ったと思います。「『外部の者』 のくせに、慶應義塾高校の生徒に向かって何だ。」と。(慶應の内部進学者、及び、内部の高校の人は、大学から慶應義塾大学に入学した者のことを『外部の者』『外部の連中』と言います。)(灘高から慶應大文学部に進んだ遠藤周作氏が、ある金持ちの家におじゃました時、そこの家の小学生くらいの女の子が行儀が悪かったので、そこのお手伝いさんが子供に注意したところ、その子供が「あんた、お手伝いさんのくせに、余計なこと言わなくたっていいのよ。」と言ったので、周作さんは、むかついて、その女の子の頭をポカンと一発殴ってやったとどこかで書いていましたが、「外部の者のくせに」というのは、「あんた、お手伝いさんのくせに・・・」というようなそんな感じです。もっとも、私、お手伝いさんの給料もらってませんけれども。) 慶應義塾高校の人もひとりひとり違うと思いますし、社会で経験を積んでいくうちに変わって行く方もあると思いますが、この時のような人は好きではありません。 中原 徹 も、その時の塾高生と似たような感じだったのかな・・・・というような印象を受けます。
    慶應の内部進学の人でも早稲田の内部進学の人でも、すべての人がなっていないというようには思っていませんが、しかし、公立高校から進学した者とは高校時代の生活が違うなあという印象は受けています。 久米正雄の『学生時代』(新潮文庫)という短編集の最初に「受験生の手記」という話があります。 今でいうところの東大理科三類(医学部医学科に進学するコース)を、ひとつ違いの兄弟が受験し、兄は浪人しても落ちてしまい、弟は合格します。 兄が好意を持っていた娘は、最初、兄に気があるようなそぶりを見せていたものの、兄が試験に落ちた後、弟が下宿していた親戚の家に弟の留守中に兄が挨拶にいった時、罪の意識にさいなまれながらも弟が使用している机の引き出しをあけると、そこにその娘から弟に宛てた、恋の思いを書いた手紙があります。もはや、正気を失った兄は、上野駅から東北線に乗ると、ある駅(郡山駅)で乗り換えますが、列車の窓から外を見ると、そこに猪苗代湖の水面が見えます。次の駅で下車すると、兄は、湖の方に進み身を沈めます。  この話は、私のような公立高校から大学に進学した者には身につまされる話なのですが、慶應の内部進学の教授先生は「受験勉強の悪影響だ。」とおっしゃるのです。 私は「悪影響」ではないと思うのです。 死ななくてもいいとは思いますが、大学受験において、 うまく合格できた場合にも、うまくいかなかった場合においても、そういう思いを経験するのが、大学受験における良い経験であると思っているのです。 慶應や早稲田の内部進学の人には、この気持ちは理解できない人が多いようです。たぶん、中原徹も理解できないでしょう。
    徳弘正也『シェイプアップ乱』という漫画があった。高校生の乱ちゃん(寿 乱子)という女の子の家に東大を受験して落ちて、再度、めざそうという浪人生(原 宗一郎)が下宿するというので、乱ちゃんは、どんなにすばらしいおにいちゃんが来るのかと期待したところ、とんでもない「もっこりのおにいちゃん」だった。 「もっこりのおにいちゃん」は、1年間、浪人生活をして東大を受験するが、合格発表を見に行くと自分の受験番号はなかった。さらにもう1年、浪人生活をした上で、東大文科三類(文学部などへ進学するコース)を受験し、合格発表を見に行くと、そこに自分の受験番号があるのを見つけます。「通った。やっと、通った。」と喜んでいると、向こうから同じ高校から東京大学理科一類(工学部などに進学するコース)に現役合格の「秀才」がやってきた。「もっこりのおにいちゃん」は、「お~い、、○○~。」と呼びかけますが、「現役合格の秀才」は「ふん。 たかだか、東大の入試に2年も浪人しないと合格できないようなアホと口きけるかあ。」と言います。 徳弘正也のこの漫画は、上品な漫画か下品な漫画かというと、あまり上品な漫画ではないのですが、一方で、人間の感情を理解して描き出す人情味のある話でもあったと思います。 この「もっこりのおにいちゃん」と「現役合格の秀才」の話なども、公立高校から大学に進学した者にとっては、自分が「もっこりのおにいちゃん」の立場になるか「現役合格の秀才」の立場になるか、実際にそういった言葉を口にするかされるかしなくても、そういう立場になることはあったありえたことで、この漫画はよく書けてるなあと思ったものですが、慶應の内部進学の人などからすれば、宇宙の果ての話、別世界の話でしかないようで、私は、内部進学の人を見て、この人たちは、公立の小学校から高校まで行ってきた者とは高校までの人生の基礎体験とでもいうものがまったく違うなあと思いました。 早稲田の内部進学の中原 徹 も、府立和泉高校の大部分の生徒とは、人生の基礎体験というものが異なると思います。
※『シェイプアップ乱』については、
「ウィキペディア―シェイプアップ乱」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%97%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%97%E4%B9%B1 他参照。

    少々、内部進学の人のことをけなしすぎたかもしれません。 大学を卒業してから以降、慶應義塾大学を卒業した縁で、内部進学のOBの方からお世話になることもありました。 大学に入学する時の入学試験の問題を解くような能力においては、大学から入った者の方が優秀である場合が多いと思いますが、それ以外の面において、内部進学の人に、人間性豊かで魅力のある方はおられると思います。 慶應や早稲田の内部進学の人というのは、全般的には、比較的裕福な家庭の方が多いと思いますが、それは、橋下 徹 や 中原 徹 のような右翼的・ファッショ的な姿勢を支持するという意味とは別であると思います。 
             (2012.5.19.)
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武田邦彦教授のブログhttp://takedanet.com/ の《(速報)北九州報告・・島田市と併せて》(2012.5.25.)http://takedanet.com/2012/05/post_cffd.html に、福岡県北九州市と静岡県島田市の瓦礫の焼却による放射線量の変化が掲載されていますが、影響は相当大きいようです。 福島県及び東北被災県に、早く放射性物質を捕捉できる焼却場を設けるべきで、全国どの自治体にせよ、放射能汚染の可能性のある瓦礫を受け入れて放射性物質を補足できる機能のない既存焼却場で焼却するのはやめるべきです。 (2012.5.27.)
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この記事へのコメント

ゆうじ
2012年05月22日 20:28
コンプレックスの塊だね
こんこん
2012年06月13日 16:29
バレーボールやサッカーの君が代斉唱の際にも
ツイッターで「口元チェック」がふざけながらあちこちで使われています。
こんなことで、今年の流行語大賞をもらったところで
どうなるんでしょうね。

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