「維新の会」は、なぜ、「維新」なのか―福沢諭吉に笑われそう。

〔第91回〕
   橋下 徹 とそのとりまきの連中が「維新の会」を名のっていて、国政に出ようとしているという報道が出たりするが、なぜ、「維新の会」という名称なのか? なぜ、「維新」を名のるのか? という点について誤解している人がいるように思うのだ。

   福沢 諭吉 は、生まれたのが1835年(天保6年)で、1901年(明治34年)に、68歳で他界している。 1894年の日清戦争の後、日英同盟が結ばれた1902年の前年、1904年の日露戦争の前である。 明治維新が1868年(明治1年)なので、江戸時代に34年、明治に34年、江戸時代に半分、明治に半分生きたことになる。 〔たとえば、『日本の名著・福沢諭吉』(1984.7.20. 中公バックス)所収の「年譜」、『福翁自伝』(2008.12.4.第58版改版 岩波文庫) 所収の「福沢諭吉年譜」など参照。〕
   福沢 諭吉 に対して、「福沢ぼれ」とでもいうような高い評価をする人がある  一方で、批判もあり、ひとつには、資本主義社会・資本制経済に対する批判がない、といったことが言われることがあるらしいが、今現在に生きている人であるならば、その批判はもっともかもしれないけれども、マルクス・エンゲルスの『共産党宣言』が出たのが1848年で福沢諭吉が13歳の時、ロシア革命が1917年で福沢諭吉が他界した16年後であり、日本は、資本制経済の社会ではなく、封建制経済の時代であった時に生まれた人としては、資本制経済に対しての批判が十分にできていなかったとしても、その時代の人として考えると、やむをえなかったのではないかとも言えるでしょう。

   それで、「明治維新」というのは、それまでの、江戸時代という封建制の社会からの移行としては、問題点もあるとしても、基本的には、その時代においては、「進歩」であり「前進」であったと思われるのです。 その時代においては。
   しかし、現在においては、明治維新の時点の社会に戻すということでは、あるいは、「明治維新体制」と言われる社会体制に復帰させるということでは、明らかに、「後退」であり「反動」なのです。
   
   明治維新の後、明治政府は、≪維新期から今次敗戦に至るまでの間に、国家神道の教義を代表し、神権国家の権威を象徴する社格の高い神社を新たに次々と創建した・・≫≪その一つは、靖国神社およびその地方分社たる護国神社である。 二つは、すでに述べた湊川神社・菊池神社等南朝の忠臣を祭り別格官幣社の社格を与えられた神社である。 第三は、天皇・皇族を祀る神社で、明治神宮(明治天皇を祭る)、橿原神宮(神武天皇を祭る)、平安神宮(桓武・孝明両天皇を祭る)、吉野神宮(後醍醐天皇を祭る)などがこれに属し・・・・第四は、日本が占領・支配した占領地・植民地に創建された神社である。台湾には台湾神宮(・・・)ほか・・・樺太には、樺太神社・・・・以下の120社、朝鮮にはアマテラスオオミカミと明治天皇を祭神とする朝鮮神宮・・ほかの60余社が創建された。租借地関東州には、関東神宮・・外の百数十社が創建された。・・・・≫(東京弁護士会 編『靖国神社法案の問題点』1976.3.31. 新教出版社)
  君が代・日の丸への礼拝の強制を強行している橋下 徹らの動きは、皇族を祭る神社・「南朝の遺臣」を祭る神社を作って、国民に国家神道の思想を注入してきた明治維新政府の動きと通じるものであり、この21世紀において、明治維新政府が、国民教化におこなったことを、またもやおこなおう、としているものと思われる。

  「維新」という言葉で誤解してしまう人が出るのは、テレビにおけるNHKの大河ドラマなどで明治維新が取り上げられる時、「維新の志士」とかいうように出て来る人達というのは、少なくともテレビドラマにおいては、社会を進歩させよう、世の中を前進させようという志に燃える人達であり、そのイメージからで、「維新」とか「維新の会」とか言われると、何か、社会を前進させようとしているのか、進歩させようとしているのかと誤解してしまいそうになるようだ。
  しかし、江戸時代の人が「維新」と言うのであれば、部分部分で問題点もあっても、全体としては、「進歩」であり「前進」であろうが、21世紀の今現在の人間が「維新」と言って、本気で「明治維新体制」に復帰させようとするのであれば、それは、間違いなく「反動」であり「後退」である。
  江戸時代に生まれた福沢諭吉でも、明治維新については、何から何まで賛成していたわけでもなく、福沢諭吉は、下級武士とはいえ、幕臣であったこともあり、そして、長州藩の高杉晋作は、中国の上海に行って、上海が欧米に支配されたようになっている状況を見て、開国して欧米の国を受け入れてそれと同様になっては大変だと考えて攘夷論に向かったのに対して、福沢は長崎や大阪の適塾などで蘭学を学び、欧米の文化を学び取り入れるべきであると考え、そして、咸臨丸で軍艦奉行木村摂津守の従僕という立場でアメリカ合衆国へ行き、ヨーロッパへ使節派遣の際に幕府から「反訳方(ほんやくがた)」として命じられて行って、西洋の文明を見て開国論をさらに強めたという人で、「(尊王)攘夷派」が主導する倒幕・維新については、あまり肯定的でなかったようですが〔≪ 日本の不文不明の奴らが殻威張り(からいばり)して攘夷論が盛んになればなるほど、日本の国力は段々弱くなるだけの話で、しまいには如何(どう)いうようになり果てるのだろうかと思って、実に情けなくなしました。≫(福沢諭吉『福翁自伝』「ヨーロッパ各国に行く」 岩波文庫) ≪第一、私は幕府の門閥圧制鎖国主義が極々嫌いで、これに力を尽くす気はない。 第二、さればとて、かの勤王家という類を見れば、幕府よりなお一層甚だしい攘夷論で、こんな乱暴者を助ける気は固より(もとより)ない。 ・・・≫(『福翁自伝』「王政維新」)〕、明治維新を「封建制→資本制」の移行過程ととらえるのであれば、江戸時代から明治への社会の移行については、反対するような立場ではなかったはずです。 〔≪父の生涯、四十五年のその間、封建制度に束縛せられて何事も出来ず、空しく不平を呑んで(のんで)世を去りたるこそ遺憾なれ。 ・・・封建の門閥制度を憤ると共に、亡父の心事を察して独り泣くことがあります。私のために門閥制度は親の敵(かたき)で御座る。≫(『福翁自伝』「幼少の時」)、≪ ・・・私はひどく政府を嫌うようであるけれども、その真実の大本(たいほん)を言えば、前に申した通り、ドウしても今度の明治政府は古風一点張りの攘夷政府と思い込んでしまったからである。攘夷は私の何より嫌いなことで、コンナ始末では仮令い(たとい)政府は変わっても迚も(とても)国は持てない、大切な日本国を滅茶苦茶にしてしまうだろうと本当にそう思ったところが、後に至ってその政府がだんだん文明開化の道に進んで今日に及んだというのは、実に有難い目出たい次第であるが、・・・≫(『福翁自伝』「王政維新」) 〕  しかし、「江戸時代→明治」への移行としての明治維新ならともかく、もし、福沢が今現在に生きていたならば、21世紀において、「(明治)維新」の体制に社会を持っていこうとする人達を見ると、評価するかというと、評価しないと思う。・・というよりも、バカじゃなかろかと思うのではないかと思う。 ≪こんな乱暴者を助ける気は固より(もとより)ない。≫と思うだろう。

  橋下 徹らが、日の丸・君が代の礼拝を国民に強制しようと進めているが、これは、天皇・皇族を祭る神社を作って、天皇を神格化して、国民を天皇制のもとに服従させてきた「明治維新体制」に戻そうとする、明らかに「反動」の政策である。 テレビドラマなどでの「維新の志士」が持つ改革者のイメージをそれにだぶらせてごまかそうとしているように思えるが、実態は「進歩」でも「前進」でもなく、「反動」である。
   
  私は、関西人というのは、あるいは、大阪人というのは、日本の国民の中では、こういう「反動」の動きやファシズムの動きには、加担しにくい県民性(府民性)であったと思っていた。
  戦争中においても、「また、負けたか八連隊」という言葉があって、大阪の連隊であった「八連隊」は弱いというイメージがあったらしい。 実際には、八連隊は、それほど負けてばかりではなく、調べてみると、けっこう、勝っているらしいのだが、 「打ちてしやまん」「一億火の玉」とか「とってちってた~あ」とか耳元で言われたときに、即座に反応してすぐにその気になってしまうかというと、少なくとも即座には反応しない、そう簡単に乗せられないような文化的な風土が大阪であれ京都であれ奈良であれ関西にはあると思ってきた。 耳元で「打ちてしやまん」「一億火の玉」「とってちってた~あ」とか言われても、即座に反応しない文化的な体質が、「また、負けたか八連隊」という言葉につながっていたのではないか、と思っていた。 ところが、その大阪において、橋下 徹という東京生まれらしい男が大阪府知事から大阪市長になって、「維新」などと言いだして幅をきかせている。 大阪人は、いったい、どうなっちゃったの?

   戦後、「天皇の人間宣言」がなされ、天皇は神ではなく人間であると、あたり前と言えばあたり前の宣言がなされたが、橋下らが、「天皇が支配する世の中は、未来永遠に続きますように」という内容の文句の「君が代」に礼拝させる行事を学校で強制し、市役所では日の丸への礼拝を強制しようとしているが、これは、「天皇の人間宣言」より前に戻そうとする動きと見るしかない。
   「維新の会」の「(明治)維新」とは、今現在においては、「進歩」でも「前進」でもなく、テレビドラマの「維新の志士」のような「改革者」とは違う。  
   最初は、気づかなかった人もいると思うが、もう、気づいてよい頃だと思う。

   「維新の会」の「維新」というのは、テレビドラマなどの「維新の志士」に見られる「改革者」ではなく、「(明治)維新」の体制に戻そうとする「反動」であり、「反動の会」である。

  明治維新より以降、日本は、封建制の要素を残しながらも資本制の社会を築いてきた。 世界には、資本制社会の矛盾を解決する社会を築こうとして「社会主義」の国が出現したものの、その後、多くの「社会主義」の国は、「社会主義」の経済体制をあきらめて、資本制の経済体制を取るようになったが、「社会主義」の経済体制の国が出現した後の資本制の社会においては、資本制の社会の問題点をそのままで良いのだとするような資本制の社会ではなく、「社会主義」の社会よりも「進歩」であり「前進」であるような資本制の社会を築くようにしなければならない。
  「(明治)維新」の体制を志向するような動きには同調できないし、同調するべきではない。 「(明治)維新」の体制を志向するような会 に魅力を感じる人は、いったい、自分は何に魅力を感じているのか、よく落ち着いて、考えてみるべきではないか、と思う。
  封建制の社会である江戸時代に生まれた福沢諭吉が、封建制に対する批判はなされても、封建制の次の経済体制である資本制の経済についての批判が十分でないのはいたしかたないところがあるが、資本制経済の矛盾・問題点を克服する経済体制を目指した社会主義経済の国が世界にいくつか生まれ、そして、その多くがその社会主義の経済体制をあきらめて資本制の経済への移行を進めているという現在においては、資本制の経済を志向する場合においても、社会主義の経済体制を志向する場合においても、資本制経済に対する批判と社会主義経済に対する批判の両方がなされた上でのものでなければならない。 福沢諭吉のような江戸時代に生まれた世代の人たちならば、「(明治)維新」を志向しても悪くはないとしても、戦後、日本国憲法のもとで、基本的には資本制の経済体制のもとで、民主主義を目指してきた現代の人間が、立憲君主制もどきの「(明治)維新」体制を志向するというのは、「アナクロニズム」「時代錯誤」もはなはだしいものであり、21世紀の日本において、江戸時代の人間が志向したような体制を目指すというのは、アホでありマンガでしかないと思われる。 江戸時代に生まれた福沢諭吉なら、明治維新の体制を否定はしなかったとしても、もし、福沢が今の時代に生きていたら、そのようなものを志向する動きを評価するかというと、評価するとはとうてい思えない。

  「維新の会」とは、 「明治維新体制」と言われる 間違っているとすでに評価された戦前・戦中の状態 に戻そうとする反動の会 であるにもかかわらず、 明治維新を扱うテレビドラマに出て来る「維新の志士」の改革者のイメージをイメージとしてまとって、国民を誤解させようとしている連中である、ということを、大阪府民・大阪市民・日本国民は、手遅れにならないよう、早く気づくべきである。         (2012.3.16.)


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