スポーツと暴力について~最近のスポーツ記事に関して 〔引っ越し掲載〕

〔(建築家+建築屋)÷2 のブログ 第4回〕
  西武ライオンズの大久保コーチが選手に暴力をふるったとして解雇されたという新聞記事を見ました。 もっとも、大久保(元)コーチは不服で、記事にも事実と違うところがあると主張しているらしいので、実際の事実関係がどうであるのかは、よくわからないところもあります。
 大久保氏個人がどうであったのかはわかりませんが、私が、憂慮するのは、スポーツ界全般に広がる暴力肯定の思想です。少し前には、大相撲の時津風部屋で入門間もない力士がリンチにより殺されました。前時津風親方の罪状は傷害致死とされていたと思いますが、実質的にはリンチ殺人と見るのが妥当のように受け取れます。前・時津風親方も不服な部分もあったようですが、その背景として、相撲界、及び、相撲界を含めたスポーツ界の暴力肯定の思想があり、暴力振るったのは自分だけではないのにという気持ちがあるのではないでしょうか。
  今となっては20年以上前になってしまいましたが、私が大学に行っていた時、大学の必修科目で、「体育理論」というものがありました。単位は1単位だけですが、必修科目なので、この講義に出席して試験に合格しなければ卒業はできません。その「体育理論」の講義の話がどういうものであったかというと、
「高校野球で、選手がベンチに戻ってきた時に、監督がツラをはったというので暴力だと騒がれて出場停止になった学校があった。ツラはっただけじゃないか。それを暴力だなんて言いやがって、頭おかしいんじゃないか。 だいたい、われわれの間では、『小突く』と『殴る』と『ぶっとばす』の違いがあるんだ。それを、単に『小突いた』だけなのに、『殴った』なんて書きやがって、『小突く』と『殴る』の違いもわからんのか!まったく、どうかしてるんじゃないか! 最近、頭のおかしい奴が増えてきて困ったことだ。強いところは、どこでも、殴っているんだよ。殴るから強くなるんだよ。 そもそも、スポーツである以上、殴るというのは、あたりまえのことなんだよ。殴らないスポーツなんて、あるわけないじゃないか! バレーボールでも、特に、女子バレーがすごいんだけれども、コーチが女性の選手の髪つかんで、コートの中を引きずり回したりするんだよ。それが当然なんだよ。そうするから強くなるんだよ。それがスポーツというものなんだよ。こんなこともわからないバカが新聞記者なんかにいるんだよ。まったく、頭おかしいんじゃないのか!殴った、殴った、なんて言いやがって、殴らないスポーツなんてあるわけないじゃないか。・・・・」とえんえんと、そういう暴力肯定の話を正規の講義の中で、まくしたてられ、それを、私たちは、必修科目である為、無理やり聞かされたのでした。
  まず、その教授だか助教授だかの肩書きを持った体育会の人たち「われわれの間」では「小突く」と「殴る」と「ぶっとばす」の違いがあるのかもしれませんが、世間一般においては、あるいは、通常の日本語においては、「小突く」と「殴る」と「ぶっとばす」の3つを合わせて「殴る」というのであって、「小突いた」だけで「殴った」のではないというのは、詭弁でしかありません。
  もっとも、大げがをするくらいに殴ったのと、単に、ポコンと軽くたたいただけというのは同じではないだろうということであれば、確かに同じではないでしょう。 しかし、死亡するか大怪我をするくらいに殴るのはいけないと認めるとしても、そうでなければ良いじゃないか、という認識は間違っていると思うのです。死亡するか大怪我をするくらいに「殴る」のでなくても、たとえ、「小突く」であっても、決して積極的に肯定すべきものではないのです。
  女子バレーにおいては、男性のコーチが女性の選手の髪をつかんでコートの中を引きずりまわすというのは、もはや、野蛮人というしかありません。私が小学校の1年生の時、担任の先生(男性)から言われた話に「男の子と女の子では、女の子の方が力は弱いのだから、力の強い者が力の弱い者に暴力を振るうというのは卑怯だ。男の子同士でも暴力が良いわけではないけれども、特に、男の子が女の子に暴力を振るうのは卑怯だ。そう思わないか?」というものがありました。私は、その小学校の1年の時から、その先生が話されたように思ってきたので、大学の「体育理論」の教授だか助教授だかの話を聞いて、その教授だか助教授だかを心の底から軽蔑しました。もっとも、その「体育理論」の教授だか助教授だかにすれば、「男性のコーチが女性の選手の髪つかんで引きずりまわすのが卑怯だとは、いったい、何をわけのわからないことを言うんだ。一回、病院に入院しろ!」 とでも言いたいかもしれませんが。
  「殴らないスポーツなんて、あるわけないじゃないか」という説については、この人は、かわいそうな教育を受けてきた人だなあ、と思います。私も、スポーツは特に得意ではありませんが、決して嫌いではありません。しかし、「殴るスポーツ」などというものは嫌いですし、私にとっては、「殴らないスポーツ」こそスポーツであるのです。私のスポーツと「体育理論」の教授だか助教授だかのスポーツとはスポーツはスポーツでもスポーツが違うのではないかと思います。
  「殴るから強くなる」というのは、実際には、そういう環境になじんできてしまった人たちは、殴られれば努力するが、自主的には努力しないような人間に“教育”(調教)されてきてしまっているのだと思います。「殴るから強くなる」という思想を克服することこそ必要です。「殴られれば努力する」という人間の社会、殴る人間と殴られる人間によって構成される社会ではなく、「殴られないならば努力する」人間の社会、殴る人間も殴られる人間も存在しない社会を実現するべきだと思います。
  そして、「体育会の人間は学力はないかもしれないけれども、根性がある」と、その教授だか助教授だかはお話になり、その例として、「入学して、最初は、グランドを走るのも、腕立て伏せをするのも、ぜいぜいいっていた者が、体育会に入って半年もすると、平気でやるようになった。これは、根性がついたということだ」とおっしゃったのです。「それは、根性がついたのではなく、体力がついたのではないのでしょうか。」と私は言いたかったのですが、逆らうとうるさそうだったので言いませんでした。
  「強いところはどこでも殴っているんだ」という話は、現実を見ていないと思います。(私の親戚でもスポーツ入学で学校に入った人がいますが、) スポーツ入学で高校なり大学なりに入った人たちというのは、一般入試で入った人間と違って、スポーツをやめると学校そのものもやめなければならないのです。ですから、殴られようが何されようが、学校をやめたくなければ我慢するのです。進学校でスポーツも強いところともっぱらスポーツの学校との違いはそこです。人の弱みにつけこんで暴力を振るっておきながら、勝手なことを言うのはやめるべきだと私は思うのですが、教授だか助教授だかだから自分はエライと思っているような人には言っても無駄かもしれません。
  なんで、こんな与太話を「体育理論」だなどといって、無理やり聞かされなければならないのか、なぜ、こんなバカ話が「体育理論」なのか、とうんざりしながらも、なんとか単位を取得して卒業しましたが、本来の「体育理論」は、「殴らない」「怒鳴らない」ということを基本としながら、その前提で進めるべきもので、「殴る」というものを肯定した時から、それはスポーツとは認められないものであると私は考えます。
  (建築家+建築屋)÷2 の雑感としてのブログ に建築と関係のないことを長々と述べてしまいました。 私の現在の仕事は建築屋であり、「殴る」のも「殴られる」のも嫌いな人にご契約いただき仕事をさせていただきたいとともに、「殴る」のも「殴られる」のも好きという方にも、「殴られる」のが好きではないが「殴る」のが好きという方にもご契約いただき仕事をさせていただきたいという立場にありますが、そうであっても、やはり、「殴るスポーツ」は肯定できかねます。「殴る」ことも「殴られる」こともなく、強くなることを考えてこそ「体育理論」であり、「殴る」のが好きな方も、ぜひ、この機会に考えてみていただきたいと私は思います。
  少々、えらそうなことを言ってしまったでしょうか。 でも、間違っていないと思いますよ・・・

〔参考文献として〕
1) 斎藤次郎・森毅『元気がでる教育の話』(1982. 中公新書)
    斎藤次郎氏と森毅(つよし)氏、特に、数学者で今年7月24日に他界された森毅氏が、ここで私が述べた運動部における暴力肯定に対する批判と同様のことを述べておられます。決して、森毅氏の受け売りをしているつもりは ありませんが、この点について、私と森氏の考え方は共通しています。 
《 森毅氏については、たとえば、「ウィキペ ディア」森毅 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E6%AF%85 参照。》
2) 南 博『日本人の心理』(1953. 岩浪新書)
    暴力肯定社会における人間の心理構造について。
《南 博(みなみ ひろし)氏については、たとえば、「ウィキペディア」南 博 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%8D%9A を参照》

====================================================================

以上は、「私が勤務する建築会社のホームページとリンクした私のブログ」に掲載した、そのブログの第4回のもので、この第4回≪スポーツと暴力について~最近のスポーツ記事に関して≫は、2010年(平22年)8月8日に「公開」させていただいたものです。 事情により削除いたしましたが、私は、削除したものは内容のあるものと思っており、又、いったん、「公開」したものは、作成者のみのものではなく、賛否にかかわらず、読んでくださった方・読みたいと考えてくださる方と共有のものという性質をもっており、作成者といえども、「記憶違い」のものの訂正、補足、「入力ミス」の訂正などは良いと思いますが、完全な削除は、好ましくないと考え、ここに、「引っ越し掲載」させていただきます。(建築家+建築屋)÷2 〔より正確には (49×建築家 + 51×建築屋)÷100〕 のブログ 、もしくは、。(建築家+建築屋)÷2のブログ と記したものは、「引っ越し掲載」です。 よろしくお願いいたします。

==================================

 〔 この稿は、「哲建ルンバ」としては、第6回ということになります。 〕


元気が出る教育の話―学校・世の中・自分 (中公新書 655)
中央公論新社
斎藤 次郎

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 元気が出る教育の話―学校・世の中・自分 (中公新書 655) の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル



日本人の心理 (岩波新書 青版)
岩波書店
南 博

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 日本人の心理 (岩波新書 青版) の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 2

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック