東金市立北中学校(と 磐城女子高・千葉刑務所)~建築探訪・建築巡礼 第3回 〔引越掲載〕

〔(建築家+建築屋)÷2 のブログ 第24回〕 
  今回、建築探訪・建築巡礼の第3回は、建築巡礼よりも建築探訪、というより建築探偵の方に属する話題です。
  この「建築探訪・建築巡礼」として始めたシリーズでは、【1】何かの本で読んだり人に聞いたりして知ったもので、ここに行ってみたい、あの建築を見てみたい、という気持ちで行くものと、そうではなく、【2】何かの用事である道を歩いていて、クルマで走っていて、電車の窓から見て、あれは何だろう、なんかすごい建物がある、なかなかやるじゃないか、とか思って見に行ったというものとが考えられます。前者には、【1】-1.国宝・重要文化財・世界遺産とか「有名建築家」の作品・「建築史」のテキストに名前が載っている人の作品とかいうものの場合と、【1】-2.そうではないけれども自分が何かの思い入れがあるか、特にそこまでではないけれども行ってみたい見てみたいという場合があり、かつ、その3つは、はっきりと別れるわけでもなく、たとえば、なんだろう、あれは・・・と思って行ったら有名建築物だったということもあります。 前2回は、原田神社の本殿は重要文化財で、瀧安寺は弁天堂の拝殿は江戸時代末期、奥殿は江戸時代初期の作品で、鳳凰閣は登録文化財であり、原田神社も瀧安寺も、由緒ある神社や寺ではあったのですが、全国的知名度とか建築史のテキストに名前が出ているかどうかといった点から見ると、法隆寺とか薬師寺とか桂離宮とか、あるいは、フランク=ロイド=ライトの旧・帝国ホテルとかいったものに比べれば、知名度は低いのは事実で、一方で、私の個人的思い入れのみがあって建築的価値・歴史的価値が評価されないものかというとそうでもないので、【1】-1と【1】-2の中間的性格のものと思います。
  さてさて、今回はそうではなく、はっきりと【2】に属するものです。 かつ、今回は、建築探偵の性格、好奇心から、な~んだろ・・・という性質の強いものです。

  私が感化された本としては、丸善から出版されている「建築巡礼」シリーズと「建築探訪」シリーズ、中村好文氏の『住宅巡礼』(新潮社)があり、それにもうひとつ、東京建築探偵団(宍戸 実・河東 義之・藤森 照信・堀 勇良・清水 慶一)+(写真)増田 彰久『スーパーガイド 建築探偵術入門-東京・横浜の西洋館230を追跡する』(1986. 文春文庫ビジュアル版)がありました。 「巡礼」の場合、感動とか感銘、畏敬の念といったものが中心になるのですが、「探偵」の場合は、「好奇心」のようなものの方が中心になります。実際には、どちらか片方ではなく、両方である場合が多いのですが、今回は、東京建築探偵団的「好奇心」の方が中心です。

  道を歩いていて、クルマで走っていて、あれは何だろう・・・という気持ちになることができるというのは、そういう気持ちを持つことができないよりはずっと良いと思うのですが、それが、拝観料とか入場料・入館料を払えば誰でも入らせてもらえる有名建築物・歴史的建築物である場合は良いのですが、そうでない場合は、ちょっと困る場合があります。

  具体的な例をあげますと、私が在来木造の I 社に勤務して、福島県いわき市の営業所に勤務していた時のこと、いわき市のある場所をクルマで走っていますと、左側の窓の向こうに、いわゆる「擬洋風建築(ぎようふう けんちく)」の建物が見えたのです。
  「擬洋風建築(ぎようふう けんちく)」とはなんぞや、と言いますと、≪明治時代の初め(1870年代、80年代)、人々は西欧模倣が近代化の道と心得ていた。進歩的で腕の立つ都会の大工が、外人技師が設計した住宅や外人の住む住宅を真似して、洋風(本物の洋式ではない)の木造建築を建てようと試みたり、地方の大工が東京や横浜などの開港場の風景を描いた絵図を参考にし、あるいは実地に建物を見学したりして洋式の手法を取り入れようと努めたのは、こうした心情に根ざすものであった。・・・・いわゆる「擬洋風」の木造建築と呼ばれるもので、主として公共建築として建てられた。・・・・想像を働かせ見様見真似で建てられた擬洋風の木造とその流れを引いた建物は、年を経ても実を結んで広まることはなかった。束の間の仇花であったと言ってよい。それらが出現した時期は、地域により早い遅いがあるが、地方では遅い場合には明治二十年(1887年)頃まで続き、それ以後は姿を消していった。西欧の模倣をした本格的な洋式木造が東京を中心にして出現するようになり、その影響が地方にも及んでいったからである。・・・・・洋風めかすために建物の前面にベランダが設けられたり、ドーマー(屋根窓)、上げ下げや両開きのガラス窓、洋風の戸扉、ペンキ塗などが小道具として用いられたりもした。 ・・・・洋風の道具立てを持ちながら、一方でなまこ壁(平たい瓦を張り付け、その継目には小高く蒲鉾型に漆喰を塗った壁。)、玄関の唐破風(からはふ)や入母屋破風(いりもやはふ)、寺院を思わせる華頭窓などの純日本風の小道具が同居混在したものが多かった。それらは、腕の立つ大工達にとっては腕をふるう見せ場だったのである。着物を着て靴を履いたようなスタイルで、現代人が見ると珍奇の印象を受けるが、大工達は真剣に洋風作りに挑戦したのである。しかし擬洋風の木造建築が目指したものは外観の洋風化であって、構造的には洋風の取り入れは一顧だにもされず江戸時代の和風木造の域を一歩もでなかった。・・・・≫(杉山英男『地震と木造住宅』1996. 丸善  第六章 )というものです。
  私が見学に行った建物としては、福島県郡山市の開成館(1874)があります。洋風でもなく和風でもなく、奇妙といえば奇妙、珍奇といえば珍奇なデザインではありますが、それはそれで、ある時代のひとつの様式として悪くないように思いました。
(参考) 福島県郡山市の「開成館」については、
「郡山市」ホームページ 「郡山市開成館」 http://www.city.koriyama.fukushima.jp/pcp_portal/PortalServlet;jsessionid=00731EB4C7425600B16BE429685D0F14?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=11222 
「ウィキペディア――郡山市開成館」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%A1%E5%B1%B1%E5%B8%82%E9%96%8B%E6%88%90%E9%A4%A8 他参照

  その擬洋風建築の建物があったのですが、それがどこの建物かということを考えると、場所から考えて、磐城女子高の建物らしいと気づき、女子高の建物の周囲をジロジロ見ながらウロウロして、痛くもない腹をさぐられてはかなわないと思い、これは、「君子危うきに近寄らず」だと思って、早々に立ち去ったのでした。だから、写真はありません。
  かわりに、その時に在籍した在来木造の I 社のいわき市の営業所の工事課に磐城女子高出身の人がいたので、その擬洋風建築の建物について質問してみたのですが、もうひとつよくわかっていないようでした。
  福島県立磐城女子高等学校というのが、どういう高校であったかというと、福島県の浜通りと言われる太平洋側の地域で一番の進学校はその頃まで男子校であった県立磐城高校で、女性の一番の進学校が磐城女子高ということになっていたらしいのですが、I 社の私がいた営業所の前あたりに座っていたオッサンが言うには、「う~ちの近くに磐城女子高行ってるやついるけんど、な~んか、パンツの見えそうなスカートはいてからに、あんなパンツの見えそうなスカートはいてるやつの行ってる学校が進学校だなんて、あんまりそんなふうに見えねえなあ。」ということでした。(笑)
  ・・・で、その「パンツの見えそうなスカートはいてるやつの行ってる学校」(・・・と言うと、この学校の卒業生・在校生には失礼かもしれないけれども)(実は、正直なところ、この表現、けっこう気に入ってたりして・・・・〔笑〕)が、2001年に共学になって、「磐城桜が丘高等学校」という、いかにも元女子校という感じの名前になったそうです。

(参考)
「ウィキペディア――福島県立磐城桜が丘高等学校」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E7%A3%90%E5%9F%8E%E6%A1%9C%E3%81%8C%E4%B8%98%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1
「YAHOO地図 福島県いわき市平字桜・・・」
 http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=37.05999167&lon=140.89057222&ac=07204&az=98.124.5&v=2&sc=3 
 
  それで、しつこいようだが、「パンツの見えそうなスカートはいてるやつの行ってる学校」の建物が、建築屋として建築探偵として好奇心を魅かれる建物であったとしても、建築探偵としては、そして、建築屋としては、やはり、「安全第一」であることから考えて、根本的に「見学不可」の建物であり、ないのと同じと考えるしかいたしかたないのでした。

建築探偵団心得
安全第一
君子危うきに近寄らず


  さらには、これは、最近のこと。 千葉市中央区の都町と若葉区貝塚町の間を東西に走る佐倉街道を歩いていると、北側(若葉区貝塚町の側)に何か由緒のありそうな建物があり、建築探偵としては「おっ、これはなんだろう?????」と興味を魅かれて見たのですが、表札を見ると、そこには「千葉刑務所」と書かれていたのでした。 
「いかん!」 こんな場所に長居すべきではない! 
こういう所で、ジロジロ見て、長くたたずんでいたりしては・・・・、ふと、気づくと、背後に、公安がしのびよっていた・・・などということになりかねない・・・・と思って、これもまた、「パンツの見えそうなスカートはいてるやつの行ってる学校」と同じく、早々に立ち去ったのでした。 だから、これもまた、写真はありません。

  もっとも、その際に言うべき文句は、用意できてはいるのですが。 即ち、

   「 俺の背後に、
       立つんじゃない!」
 

(参考) 上の文句の意味がまだよくわからない方は、
「さいとうプロ」ホームページ http://www.saito-pro.co.jp/golgo/
「YAHOO!知恵袋 俺の後ろに立つな!!!」
 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1112943756 を御覧下さい。
(参考)
「ウィキペディア――千葉刑務所」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E8%91%89%E5%88%91%E5%8B%99%E6%89%80
  足利事件の菅家さんも、千葉刑務所に入れられていたそうですが、警察・検察・裁判所、及び、多くの弁護士のひどさには憤りを感じます。
  足利事件について、検察官や裁判官が頭を下げましたが、検察は組織として動くものなので、かつて担当した検察官でない検察官でも、その後、責任ある立場の役職になった人が謝るというのはわかりますが、裁判官は、「司法権の独立」として、個々の裁判官がひとりひとりの良心と法の精神に基づいて裁判をおこなうべきものですから、不当判決をだした裁判官が謝るのでなければ意味はなく、不当判決をだした裁判官でない裁判官が謝るというのは、むしろ、「司法権の独立」という根本的な問題を理解できていないことを意味しており、逆に問題があるように思います。
「ウィキペディア――足利事件」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E4%BA%8B%E4%BB%B6
「YAHOO 地図――千葉市若葉区貝塚・・・・・」 
  http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=35.62765000&lon=140.15552080&ac=12104&az=54&v=2&sc=3

  さらに、栃木県足利市の道をクルマで走っていたか歩いていたかで、ふと見ると、1階の上というのか2階にあたる部分に、ドゥカ~ァ~ンと巨大な「三つ葉葵(みつばあおい)」の紋がかかっている建物がありました。 「ズが高~い。下におろ~お。」といった感じでドゥォ~ンと三つ葉葵の紋がかかっていたのです。 その建物が何かというと、「パチンコ徳川」でした。 なんじゃ、こりゃ~あ・・・・・・・。  良いか悪いかわからないが、なんかすごい建物というのかすごい看板というのかでした。

(参考)「ウィキペディア――三つ葉葵(みつばあおい)」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E3%81%A4%E8%91%89%E8%91%B5
(参考)「パチンコ徳川」を知らない方は、
「街検索 パチンコ徳川」http://9199.jp/phone_page/00936961/  もしくは、
「e-shops ローカル パチンコ徳川」http://www.e-shops.jp/local/lsh/an/9/1235268.html  もしくは、
「パチンコ徳川」ホームページ http://www.p-world.co.jp/tochigi/tokugawa1.htm などを参照ください。

  パチンコ徳川の建物がすごいのは三つ葉葵の看板であって、建築探偵としては、「すんご~い」と思えば、それ以上、ジロジロ見る必要はないのですが、これも、私は生れてから今まで子供の頃に近所の神社のお祭りの夜店でやったもの以外はパチンコというものを一度もやったことがないのですが、それでも、パチンコ屋の近くに長くいると、たとえ、勤務時間外であっても、「仕事しないでパチンコやってただろ~お・・・・」とかいったことを、管理者としての能力もないくせに営業所長になっているようなオッサンが言いだす可能性があると思って、これも早々に立ち去りました。(毎日、「夜討ち朝駆け」でへとへとになるまで動き回っている人間に変なせんさくばかりして、まったく、つくづく、ちっぽけな野郎だなあ、と思います。 又、在来木造の I 社で営業所長になっていた人には、その時、栃木県で営業所長になっていた I さんに限らず、従業員から「まったく、ちっぽけな野郎だなあ」と言われていた人が多く、実際、「ちっぽけな野郎」が多かったと思います。) だから、これも写真はありません。


  これらと違って、特に気を使わなくても、少なくとも、外見は見物させてもらっても問題なさそうな建物が、千葉県東金市立北中学校です。千葉県東金市(とうがねし)日吉台(ひよしだい)1丁目にあります。 バスの「北中学校」という停留所が近くにあり、千葉フラワーバスというバスがJR・京成の「千葉」駅よりでているようです。
(参考)
「千葉フラワーバス 路線図」 http://www.flower-bus.co.jp/rosen/pdf/rosen070401.pdf
「YAHOO 地図―千葉県東金市日吉台1丁目・・・」 
http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=35.56468889&lon=140.34365833&ac=12213&az=69.1&v=2&sc=3
  下が(千葉県)東金市立 北中学校 の写真です。 ↓
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  ↑ 普通の公立の中学校にしては、こった形状であるだけでなく、晴れた日には、大きなガラス窓の向こうに、屋内の階段が赤い色で構成されているのが見えます。

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  ↑ もっとも、この階段は、どこかの有名建築物を真似たのかもしれませんが、あまり実用的ではありません。スロープにするなり、なんなり、やりようはあると思います。

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  ↑ 自転車置き場の支柱の黄色と向こうの建物の扉の黄色がアクセントになっており、特に高い費用がかかるわけでないものでデザインの工夫をしており、なかなかしゃれています。

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 ↑ この建物は右よりの扉3枚が黄色で左よりの扉が青色の扉となってアクセントになっており、コンクリートの外壁の白と透明のガラスに、黄(自転車置き場の支柱、自転車置き場の屋根の側面、扉)・赤(ガラス窓越しに見える屋内階段の側面)・青(扉)の3色がアクセントとして入っており、特別に高価なものを使用するわけでもなく、それでいて、けっこうおしゃれで個性的な建物となっており、かつ、デザインが学校としての学習環境を阻害するようなものではなく、設計者は、なかなかやるじゃないか、と私は思ったのでした。 
  ( デザインが学校の学習環境を阻害しているのではないかと私が思う建物としては、私が卒業した大阪府立北野高等学校の、私が卒業後に建て替えられた、同校卒業生で「建築家」の竹山 聖とかいうオッサンが設計したという建物がありますが、これについては、別の稿で、じっくりねちねちと説明させていただきたいと思いますので、ここではこれにとどめます。同校の進学成績低下には竹山なんとかいうオッサンにも原因があるのではないかとも思うのですが、「建築屋」と違って、「建築家」というのは、そういうことは考えないのでしょうね・・・・。 )
(参考)
「東金市立北中学校」ホームページ http://academic3.plala.or.jp/kita/
「ウィキペディア―北野高等学校」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C%E7%AB%8B%E5%8C%97%E9%87%8E%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1
「ウィキペディア――竹山 聖」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%B1%B1%E8%81%96

  但し、コンクリートの打ちっぱなしの外壁、及び、内壁というのは、今までにも見たことがあり、どこで見たかと言いますと、
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  ↑  1985年(昭和60年)に建てられた、横浜市港北区日吉4丁目の慶應義塾大学 日吉新図書館です。最寄駅は、東急東横線の「日吉(ひよし)」駅、及び、横浜市営地下鉄グリーンラインの「日吉」駅です。
  設計者は、東大の建築学科を卒業して、この時、慶應で教えておられたという 槇文彦(まき ふみひこ) 先生 だそうですが、どうでもいいようなデザインにばかりこって、図書館としての使い勝手をまったく考えない身勝手な建物で、使用する学生としては迷惑千万と、その時、大学生としてそこにいた人間(―誰かというと私ですが―)は思った建物でした。 より正確に言うと、この建物はどうせ財界からカネを集めて建てた建物だろうから、この設計者は、慶應の学生や教員が図書館を利用することよりも、カネを出した人間の機嫌を取る為に、使い勝手など無視して、<図書館>ではなく<「槇文彦先生がお作りになった」というもの>を設計したのではないのか、顔が利用する学生などの方ではなく財界の方を向いた人間が設計した建物、利用する学生ではなく財界の方を向いて設計した建物だから、・・・だから、図書館の利用者としては使いにくい建物になったのではないのか、私のように、公立の小学校・公立の中学校・公立の高校から一般入試で大学に行って、大学の規定通りの学費しか払っていない、大学だけしか慶應に行ってない、いわば、軒先の先にお情けでいれてやってやってやってあげてやっているような人間が使いやすかろうが使いにくかろうが(小学校は慶應の幼稚舎に行っていたという竹中工務店の会長の孫という槇文彦先生にとっては)知ったことではないということであろう・・・・・と思ったのです・・・が、卒業して何十年か経ってみて、私は財界のエライ人でもなんでもないけれども、多かろうが少なかろうが、もし寄付をするとした時に、そんなしみったれたことをはたして思うかなあ・・・と考えたのです。 もしも、多額か少額かはともかく、どんな経緯のカネであれ、寄付をするならば、実際に利用する人間が利用しやすいように作ってほしいと考えるのではないのか、その上でデザインもよければ良いにこしたことはない、とカネを出した人が誰であれ思うのではないのか・・・と思ったのです。 だから、図書館としては使いにくい建物だというのは、カネの出所がどうという問題ではなく、やっぱり、槇文彦先生の方の問題でしょう。
  慶應の日吉新図書館が完成した時、図書館員のおねえさんが案内・説明してくれる「新図書館見学ツアー」というのが開催されて、私も、その時、説明をきかせてもらったのですが、その図書館員のおねえさんの説明によると、「槇文彦先生」は、外壁にしろ内壁にしろ、コンクリートの打ちっぱなしをそのまま表に出す、槇文彦先生が言われるところの「コンクリートの白木造り(しらきづくり)」というのを得意とされている、ということでしたが、自然な木を表に出す木の白木造りであれば、木を屋内に使えば、木は、湿度が上がれば湿気を吸収し、湿度が下がれば湿気を放出してくれて、自然な加湿器除湿機の役割を果たしてくれるため、健康に良い素材といえるのですが、コンクリートの場合は、逆に、完成後すぐのコンクリートは湿気を大量に放出し、その為に、生活する人間の健康にはマイナスになると言われており、「白木造り(しらきづくり)」であるから、木でもコンクリートでも同じ効果があるかというと、決してそうではないのです。
  吉川翠(みどり)・芦澤達(あしざわ とおる)・山田 雅士(まさし)『住まい Q&A ダニ・カビ・結露』(1989. 井上書院)の山田 雅士「3.結露」の「119. 新築のマンションは特に結露の害に悩まされると聴きます。理由を教えてください。」のところには、≪コンクリートを打設した後で、中に含まれる湿気(水と水蒸気の混在したもの)が安定した状態になるまでには約10年かかるといわれています。 特に最初の2~3年目位は急激に水蒸気を放出します。 外装材料は雨水を防ぐためもあり、強固な耐久性のよい材料が使用され、一般に透湿率の小さいものが選ばれます。そのため、水蒸気は外気に向かって放出されにくく、室内側へ出ようとします。 ・・・・コンクリート躯体から発生する水蒸気は、結露を生じる壁や床、天井といったところから直接室内に拡散されるのですから、蒸発すると即座に結露するということもあります。  マンションや集合住宅など、コンクリートの住宅に冬に入居した場合は、暖房すると同時に窓をあけ、住居内の水蒸気をどんどん外に排出しなければなりません。押入れの襖もあけておく必要があります。省エネルギーにならないとか、寒風が吹き込むという問題が生じますが、結露防止のためには止むを得ないでしょう。≫と述べられ、吉川翠「1.ダニ」の「19 家を閉め切ったままにしておくと、ダニが増えるというのは本当ですか。」には、≪最近の家は、一戸建住宅でも高層住宅でも気密性が高く、家を閉め切った状態に保つと、台所や風呂場、洗面所等に残った水分が室内に放出されたまま戸外に出られず、吸湿性にすぐれた床材や布製品等に吸われ、そこのダニ数を増やす結果となります。  この現象は新しい高層住宅で著しく、理由はコンクリート壁の水分が室内に放出されるからです。築後10年以上たった家でも、やはり閉め切るとダニ数が増加しますが、増加する頻度は新築より低いといえます。 ≫と述べられています。結露はカビ・ダニの原因となり、カビ・ダニはアレルギー・アトピーの原因となっていくのです。 いつもすべてうまくいくとは限らないとしても、建築屋はそういったことを考えて建築しますが、「建築家の先生」は、そうではなく、「コンクリートの白木づくり」などというものを、わざわざなさるようなのです。 
  木質系の住宅メーカーが良く引用する話しとして、静岡大学農学部がおこなったマウスを使った居住性実験というものがあり、木の箱・鉄の箱・コンクリートの箱に木屑を入れて、マウスを飼育したところ、木の箱で育てたマウスの発育が最も良く、最悪はコンクリートの箱であり、子供を食い殺す母マウスまで出現したというものですが、この話からも、鉄やコンクリートを構造材とする建物は、居住性を良くするために、木を構造材とする建物以上に、内部に、木・紙・布といった自然な素材を多く使用するべきであるということがよく言われるわけです。 こういったことを卒業後に住宅建築の会社に勤めて学び、槇文彦先生というのは、それを、わざわざ「コンクリートの白木造り」などというものをやって、アホちゃうか?!? と思ったのです・・・・。 
   もっとも、最近、インターネットで、槇文彦の講演記録(≪ 東西アスファルト事業協同組合講演録より 1986.
槇文彦『私の建築手法―建築空間と物質性について』「メゾン・ド・ヴェル/豊田講堂・立正大学/槇自邸」 ≫  http://www.tozai-as.or.jp/mytech/86/86_maki08.html を見ると、≪私自身も、先ほど話しましたように『豊田講堂』『立正大学』と、1960年代はずいぶんコンクリートを使いました。 しかし打ち放しのコンクリートは、よほどいい施工をしないと、また環境に恵まれないと都市の汚染された空気や雨水にさらされることによってどうしても耐候性に欠けるところが出てきます。そういうことで、いまから七~八年前につくりました二つの建物では、少し表面を保護したコンクリートにしております。・・・・ひとつは私の自宅なんですが、実験的にエマルジョン系のものを吹き付けたところと、何も吹き付けないところと二つつくりまして、その後の経過でどのぐらい汚れが違うか調べてみましたら、やはり全然違うんですね。・・・・≫と述べ、≪ 同「岩崎美術館/沖縄海洋博記念水族館」≫ http://www.tozai-as.or.jp/mytech/86/86_maki09.html のところで≪・・・もうひとつは鹿児島の南端・指宿にある『岩崎美術館』です。ここは空気が汚れていないせいか、潮風が強いにもかかわらず、コンクリートはかなりいい状態で保たれております。・・・・・≫といったことを述べており、《 コンクリートを表に出す仕上げについて、深い関心をもって、何度かおこなってきた 》ということで、槇文彦自身が、コンクリートを表に出す仕上げでは、空気があまりきれいでないところでは汚れが早いことなどを指摘しており、「得意としている」というのは、厳密には必ずしも正しい表現ではないようでした。
  但し、そうはいっても、槇文彦は、そういう仕上げを、しばしばおこなってきたというのはたしかなのです。慶應義塾大学の日吉新図書館に、私は、最近、お願いして内部を見せてもらってきましたが、35年弱前に感じた問題点はいくつか改善されていたのですが、内部のコンクリートの打ちっぱなしをそのまま出した「コンクリートの白木造り」の部分は、図書館の内部であって、特に公害汚染地帯でもないはずであるにもかかわらず、表面が相当汚くなってきていた箇所がありました。「コンクリートの耐久性」として、構造上の耐久性として、かつては「半永久的」と言われたのが、最近では、決してそうではないと認識されてきましたが、構造としての耐久性と別に、仕上げ材としての表面の耐久性について、考えるにおいて、槇文彦の作品はテストケースとして、建築に携わる者としては興味深いものではありますが、その施設を使用する人間としては、人の建物で実験せずに、実験するなら、自分でカネを出して実験してくれ、と言いたいところではないかと思います。
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  ↑ 「コンクリートの白木造り」の外壁。(上の部分)  慶應義塾大学 日吉新図書館 西側

(参考) 槇文彦(まき 文彦)については、
「ウィキペディア――槇 文彦」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A7%87%E6%96%87%E5%BD%A6 他参照
槇文彦は卒業した大学は東大の建築学科でも小学校は慶應の幼稚舎の出身ということもあって、慶應の日吉新図書館や三田新図書館を担当したということもあるのかもしれませんが、千葉大学医学部記念講堂 他も担当しており、慶應に限らず少なからず学校の設計をおこなっているようです。

  東金市立北中学校の設計者と施工者が誰かどこか調べてから、この稿を「公開」しようと考えたのですが、インターネットでも掲載されているものを見つけられませんし、私が手元に持っている書籍にもありません。もっと綿密に調べた方が好ましいのかもしれませんが、このブログは「(建築家+建築屋)÷2の雑感としてのブログ」であって、「綿密に調べて」というより「思ったことを思ったままに」という姿勢で作らせていただいていますので、さっさと「公開」させていただきます。わかった時には、このブログの後の回で発表します。 もしも、どなたかご存じの方があれば、教えてください。よろしくお願いいたします。
  私の感想としては、東金市立北中学校は、外観のデザインは、私は好きです。少なくとも、慶應日吉新図書館よりも良いと思います。 しかし、外壁にしても「コンクリートの白木造り」は絶対に悪いと言おうとは思いませんが、あまり良いとも思いません。その理由は、上記の槇文彦様の作品と同じ理由です。
  内部については、入らせてもらっていないので良いも悪いも言えないのですが、外から見える限り、やはり、「コンクリートの白木造り」の部分があるように見えます。 なぜ、「コンクリートの白木造り」のような健康的でない仕上げを学校でやるのか理解に苦しみます。 どうも、「建築家」というのは、一般の人間が理解していないことをやろうやろうとするようですが、中学校といったものは、一般の人間に理解されるように作る物だと思います。
  ・・・ということで、問題点もありますが、特別に高いカネのかかるものを使うわけでもなく、デザインに工夫をした建物という点で、東金市立北中学校の建物を私はプラスに評価したいと思います。 もし、設計者様、このブログを御覧になったら、私ですと教えてください。そして、何をぬかすか、と腹が立つ箇所があったら、どうぞ、ご遠慮なくご批判ください。よろしくお願いいたします。

<本日のおまけ> かけことば を おひとつ。
「 『女子高の建築物』とかけまして、
  『パンツの見えそうなスカートはいてるヤツ』ととく 」
そのこころは、
「 別に、そこまで見たくもねえ! 」
     (少々、お下品でした・・・・・・・・・。すいません。)


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以上は、「私が勤務する建築会社のホームページとリンクした私のブログ」に掲載した、そのブログの第24回のもので、この第24回≪東金市立北中学校(と 磐城女子高・千葉刑務所)~建築探訪・建築巡礼 第3回≫は、2010年(平22年)11月10日に「公開」させていただいたものです。 事情により削除いたしましたが、私は、削除したものは内容のあるものと思っており、又、いったん、「公開」したものは、作成者のみのものではなく、賛否にかかわらず、読んでくださった方・読みたいと考えてくださる方と共有のものという性質をもっており、作成者といえども、「記憶違い」のものの訂正、補足、「入力ミス」の訂正などは良いと思いますが、完全な削除は、好ましくないと考え、ここに、「引っ越し掲載」させていただきます。(建築家+建築屋)÷2 〔より正確には (49×建築家 + 51×建築屋)÷100〕 のブログ 、もしくは、。(建築家+建築屋)÷2のブログ と記したものは、「引っ越し掲載」です。 よろしくお願いいたします。
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〔 この稿は、「哲建ルンバ」としては、第26回ということになります。 〕


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