やっぱり桂離宮はすばらしい!~私の好きな建築家〔1〕ブルーノ=タウト 〔引越掲載〕

〔(建築家+建築屋)÷2 のブログ 第11回〕
   新築であれ、リフォームであれ、住宅建築の会社のカタログやチラシによく登場する建築物・よく引用される建築物としては、木造では、法隆寺と桂離宮が双璧で、他にツーバイフォー工法では札幌時計台、構法を無視してデザインに特徴のあるものとしては、アントニオ=ガウディ(1952-1926)設計のバルセロナのサグラダ=ファミリア教会、ヨルン=ウッソン(1918-2008)のシドニー・オペラハウスといったところでしょうか。

   サグラダ=ファミリア教会については、私は、最初に書物の写真を見た時、すごい、と感激したのですが、よく考えてみて、そう高く評価すべきものだろうか、と疑問を感じるようになってきました。このブログでも、今回は桂離宮について論じるとして、次回以降において、その理由を説明させていただきたいと思うのですが、一番の問題として、そもそも、何百年もかけて造る教会堂というものが、教会堂としてふさわしいものか??? 教会堂というものは、キリスト教の信徒が集会をおこなう場であり、集会をおこなう場は特別の建物でなければならないという理由はなく、かつ、ものすごいものを何百年もかけて造ることに意義があるのか? キリスト教の集会をおこなう場=教会堂 は信徒にとって必要な時に用意することに意義があるはずで、どんなにものすごいものであっても何百年もかけて造る教会堂に意義があるのか??? ということです。
   又、シドニー=オペラハウスについては、根源的な問題として、これはオペラハウスなのだろうか??? そもそも、あの羽根を重ねたような外観というのか、あの外観の建物というのは、オペラハウスである必要があるのだろうか???  オペラハウスでなくても、演劇場でも映画館でも、国会議事堂でも、あるいは、ストリップ小屋でもパチンコ屋でも別に良かったのではないのか??? デンマーク人のヨルン=ウッソンという人は、オペラハウスを設計したと言われているが、実際には、いわば、シドニー港に面した目立つ場所にオーストラリアとシドニーを世界に宣伝する羽根を広げたようなあの外観デザインの巨大な看板のようなものを設計したのであり、それがオペラハウスであるかどうかはどうでもよかったのではないのか???? という根源的な疑問を感じているのです。
   但し、私は、サグラダ=ファミリア教会にしても、「シドニー・オペラハウス」にしても、外観デザインについて、決して嫌いであるわけではなく、その独創的なデザイン・発想についてはプラスの評価をしたいとは思うのですが、しかし、上記の疑問もまた感じざるを得ないのです。
 
   札幌時計台が引用されるのは、日本と気候風土が異なる北米由来のツーバイフォー工法が、北米よりも湿潤な気候の日本で、対応できるのか、という不安に対して、明治に建てられた札幌時計台は、今も健在であるということから、ツーバイフォー工法(枠組壁工法)の建物は、日本においても十分対応できるという結論に至るように引用されることが多いようです。
   法隆寺(ほうりゅうじ)は、木造の耐久性、木のすばらしさ、として、すでに1300年を経て建っている法隆寺を引用することにより、木造は決して弱くない、木造の耐用年数は鉄骨造・コンクリート造に劣らない、むしろ、すぐれているという結論に導かれるようです。実際、木造は、鉄骨造・鉄筋コンクリート造に比べて弱いということはないし、耐久性も劣りませんが、しかし、法隆寺が1300年を経て存続しているといっても、存続していない木造の建築もまた少なからずあるのであり、すべての木造建築が法隆寺と同等の耐久性を持つかのように述べるなら言い過ぎではないかとも思います。
   桂離宮(かつらりきゅう)は、法隆寺や札幌時計台の引用のされ方とは異なり、「桂離宮のようなすばらしいデザイン」「桂離宮のような洗練された設計」「桂離宮の精神を我が家に」とかいうように、あかぬけたデザインの建物の代表のように引用されるか、もしくは「数寄屋(すきや)の家」といった商品について数寄屋建築(すきやけんちく)の代表として出されるか、いずれにしても、法隆寺や札幌時計台と違って、構造・耐久性について引用されるのではなく、すばらしいデザイン・洗練されたデザインの代表としてか、「数寄屋(すきや)」の建物の代表として引用されることが多いようです。
   それでは、「数寄屋建築」とはどういうものを言うのか、というと、住宅建築会社のカタログやチラシを見ると、あるいは、営業さんに尋ねてみると、「桂離宮のような」という答になり、それなら、桂離宮とはどういう建物か? というと、今度は、「数寄屋建築の代表」という答になり、それなら、数寄屋建築とはどういうものか? というと、またもや「桂離宮のような」という答になってしまい、これでは、自分の尾を追いかけてぐるぐる回っている犬みたいなもので、論理学では、こういうものをトートロジーTautology (同語反復)と言いますが、これでは説明したことになりません。
   実際のところ、「数寄屋」「数寄屋建築」「数寄屋風」という言葉を、自分でもよくわからずに使っている人が建築屋の人間でも少なくないようであり、桂離宮についても、実際に訪問したこともなく、桂離宮について十分に学びもしないで「桂離宮のような」という表現を使用している人も少なくないように思われます。まがりなりにも建築屋であるなら、自分が一度も訪問したことのない建物を「○○のような・・・」とか引用するのが良いと言えるかとも思いますが、そんなこと言われても勤めている会社が言っているのだからサラリーマンとしてしかたがないではないか・・という人もいるかもしれません。

    「桂離宮のような」にしても、「数寄屋建築」「数寄屋風」にしても、いわゆる「侘び(わび)」「寂び(さび)」といったふぜいの建物、枯れた感じ、とでもいうのでしょうか、そういうものを言うというのであれば、一応、意味はでてきます。 しかし、今度は「侘び」とはなんぞや? 「寂び」とはなんぞや???  「数寄屋」とは「侘び」「寂び」の建物のことを言うということで良いのか? という問題がでてきます。
   ちなみに、怒られるかもしれませんが、私は、住宅屋の仕事に就く前、それも、まだ中学生くらいの頃まで、「侘び」「寂び」と「わさび(山葵)」はどう違うのか? と真剣に考えていた頃があり、もしかして、日本料理の中でも、わさびのきいた寿司のことを「侘び」「寂び」と言うのだろうか??? と真剣に考えていた時期がありました。 笑う人、怒る人もあるかもしれませんが、それなら、「侘び」「寂び」とは何か、十分に説明できますか???

   山田信亮・井上国博・齊藤裕子・秋山季猷『初めて受けるインテリアコーディネーター試験 インテリア基礎編』(1989.オーム社)を見ると、「数寄屋造り」とは≪茶室趣味の建築様式で、丸太の肌や、土壁の持ち味などを生かして、風流・上品に洗練された表現をもつ造りをいいます。 桂離宮(かつらりきゅう)や修学院離宮(しゅうがくいんりきゅう)、また妙喜庵待庵(みょうきあん たいあん)などの茶室に見ることができます。≫と書かれており、なるほど、杉の磨き丸太とか土壁風の外壁とかを取り入れた建物が「数寄屋」かあ・・・と、一応、わかったような気持ちになることができます。
   今度は、藤井正一・小原次郎編集『インテリアコーディネーターハンドブック技術編』(1994. 社団法人インテリア産業協会)を見てみましょう。≪寝殿造(しんでんづくり)、書院造(しょいんづくり)と古代から中世にわたって大きく様式を変化させてきた日本住宅は、近世に入るとさらに様相を変えた。・・・・そこ(江戸・京・大阪といった都市)では、長崎を通じて南蛮・紅毛や中国明の舶来文化を導入、そして新たに流行意匠を育て、奇想性に富んだ数寄(好み)の変化を多様に求め、やがて数寄屋造(すきやづくり)の新様式を形成するに至った。≫と書かれ、されに≪このように(城郭建築の)天守、(書院形式の)広間、数寄屋(草庵風の茶室)の諸建築の意匠を多様に求めながらこれらをつくった感性を総合して新たに形成されたのが、桂離宮に代表される数寄屋造である。≫という説明が載っています。城郭建築と書院造と草庵風茶室にルーツを持ち、要するに、寝殿造・書院造の次に登場する様式・・と覚えておけばインテリアコーディネーターの資格試験の学科試験についてはなんとか通りそうなのですが、資格試験に通っても、これで、十分に「数寄屋」「数寄屋造」について理解したことになるでしょうか。

   「百聞は一見に如かず」とは良く言ったもので、『インテリアコーディネーターハンドブック技術編』には外国の建築様式も登場し、インテリアコーディネーターの学科試験にも出題されるのですが、その中で、「ゴシック」とはどういう様式の建築を言うのか・・・という問題について、私は、ミラノに行ってミラノ大聖堂(ミラノのドゥオモ)を訪ね、外から見て、中に入らせてもらい、屋上に登らせてもらい、さらに、隣にあるリナシェンテという百貨店の食堂で食事をしながら窓からミラノ大聖堂を眺め、なるほど、これが「ゴシック」か、なるほど、なるほど、「百聞は一見に如かず」とは、まったくその通りで、「ゴシック」とはなんぞや? と思ったら、難しい文章を読んで考え込むよりも、何はともあれ、ミラノに足を運び、ミラノ大聖堂を見れば、それが一番だ、と思ったのでした。 これは、間違っていないと思うのですが、但し、その後、パリに行ってパリのノートルダム寺院に行くと、これもまた、「ゴシック」の代表例とされているらしいのですが、ミラノ大聖堂とパリのノートルダム寺院とでは、結構違いがあるので、さて、どっちが「ゴシック」なんだと、ミラノ大聖堂だけ眺めておけば悩まなくて良い悩みをかかえてしまうことになってしまったのです。さらに、パリ・ノートルダム寺院の場合、書物などには後ろから見た写真が掲載されている場合が多いのですが、前から見た姿と後ろから見た姿とどちらが「ゴシック」なのだろう? とか、見れば見るほど悩みが増えるようなところもでてきてしまうのです。・・・が、そうはいっても、「ゴシック」については、「百聞は一見に如かず」というのは間違っておらず、例えば、ミラノ大聖堂、パリ・ノートルダム寺院のようなものが「ゴシック」の建築と言われている・・と考えれば、なるほど、なるほど、・・・・と、とにかく、なんか、わかったような気になることができます。
   日本国内のものにしても、京都の慈照寺(じしょうじ)を訪ね、入ってすぐ右にある 銀閣(ぎんかく) に、こんにちわ、と挨拶した上で、さらに進んで、左側に位置する 東求堂(とうぐどう) を見て、な~るほど、これが「書院造(しょいんづくり)」かあ、な~るほど、なるほど、ふむふむふむ・・・・と、これもまた、とにかく、なんか、わかったような気になることができるのです。(冗談みたいな書き方と思われる方もあるかもしれませんが、嘘ではありません。)
   ところが、です。「数寄屋造」の場合は、そうもいかないのです。

   まず、第一に、数寄屋造の代表建築として、第一にあげられる桂離宮なのですが、たとえば、法隆寺とか薬師寺、住吉大社とか出雲大社みたいに、あるいは、鎌倉の建長寺のようには、訪問して見学させていただくことが簡単にはできないのです。 どうできないかというと、桂離宮は宮内庁の管理にあり、突然、訪問して、見学させてくださ~い、と言っても入らせてもらうことはできないのです。それでは、どうすれば見学できるかというと、往復はがきかインターネットで、宮内庁に申込んで、OKをいただいて、許可された日時にのみ入場できるのです。 え~え、宮内庁に許可申請するの~お? ということは、思想的に真ん中より右の人しか入れてもらえないの~お? というと、別にそういうことはないようです。 さらに、許可されたとして、日の丸の旗持っていって「ばんざ~い、ばんざ~い」とか叫ばないといけないの~お? とか心配する人もあるかもしれませんが、別にそういうこともありません。皇居の一般参賀とは違います。
   しかし、法隆寺とか薬師寺とかであれば、拝観時間内であれば、予約しなくても、時間のとれる時に突然行って、拝観させていただくことができるのですが、あらかじめ、往復はがきかインターネットで申し込んで・・・ということになると、「お客様は神様です」「滅私奉公」「夜討ち朝駆け」「24時間戦えますか?」「サラリーマンは鹿取たるべし」とか本気で思っている人は、お客様や上司から何日の何時と言われれば、すべてを犠牲にしてかけつけなければならないということですから、予約の必要な桂離宮や修学院離宮・京都御所の見学は不可能ということになります。 
  それで、桂離宮の見学に必要なのは、まず、「お客様は人間です」と、マア、わかっている人間にとってはあたりまえのことを認識することでしょう。だいたい、「お客様は神様です」と、さかんに言っていたのは三波春夫であって、営業として実績を残したトップセールスマンではないのです。営業初心者には、この点を誤解している人がいますが、三波春夫が住宅建築の営業として、1件でも契約取ってきたかどうか考えてみるべきでしょう。「サラリーマンの鏡」などと誰が言ったか知らないが、“滅私奉公鹿取”よりも、「ベンチがアホやから野球ができん!」と言ってベンチにグローブ投げつけたオッサンの方が最近ではテレビ・ラジオに良く出て出世していることも時には思い出して、そして、「24時間戦えますか?」はリゲインのコマーシャルであって、そんなものできるわけないじゃないか!と認識すれば、別にベンチにグローブ投げつけなくてもいいけれども、ほら、桂離宮に見学に行かせてもらえるくらいはできるでしょう。良かった、良かった。 
  と、まず、桂離宮に見学に行くためには、行くまでにこれだけの行数が必要になるのです。たいへんね~え。

  それで、2009年1月、念願かなって、晴れて桂離宮に行きました。桂離宮は京都市西京区桂御園町にあり、電車の駅では、阪急 京都線の「桂」駅が最寄り駅です。JRの「京都」駅などからもバスがでていますが、桂駅から、たしか歩いて10分程度なので、私は、すぐ前までバスで行くよりも周囲の街を少々歩いた方が良いと思って、桂駅から歩いて行き、帰りはすぐ前からバスに乗ってみました。もし、これから行かれる方に意見をきかれるならば、特に足腰に支障がおありでなければ、行きか帰りのどちらかは、桂駅から桂離宮まで歩いた方が良いと私は思います。
 まず、お写真ですが、下は、松琴亭から見た御殿群と月波楼です。↓
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             桂離宮 月波楼を通して見た松琴亭↑
 
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             桂離宮 賞花亭の付近から見た御殿群↑

   桂離宮に訪問してひと通り回らせていただきました。残念ながら、御殿群については、中に立ち入ることができないだけでなく外から覗き見ることもできず、あくまで、外観を見学できるだけですが、それでも、桂離宮はすばらしいと思ったし、来て良かったとも思ったのでした。

   まず、先に述べた問題点の方を述べましょう。確かに、これは、寝殿造とは違うし、書院造とも違う。平等院鳳凰堂(びょうどういん ほうおうどう)とは違うし、慈照寺東求堂とも違う。鹿苑寺(ろくおんじ)の金閣(きんかく)とも違う。 こういうものを「数寄屋造」というのでしょうか。ところがです。『インテリアコーディネーターハンドブック技術編』を再度見てみましょう。 ≪数寄屋といえば、草庵風茶室の意匠のみを取り入れたものと理解されがちだが、そうした自然素材を用いることは数寄屋造意匠の一面の表現に過ぎず、ましてや、「ワビ」「サビ」を重視した地味で静寂な空間が数寄屋造であると考えるのは誤りである。逆に、派手でにぎにぎしく、ときには目がさめるよううな華美な「キレイサビ」の空間もあるという一面を忘れてはならない。前者の代表が桂離宮であるとするならば、後者の代表は西本願寺飛雲閣(ひうんかく)や金沢城成巽閣(せいそんかく)である。・・・≫と書かれているのです。「ゴシック」はミラノ大聖堂、「書院造」は慈照寺東求堂を見学すれば、とりあえず、なんか、わかったような気持ちになることができるのですが、数寄屋造は、桂離宮を見学しても、「一面の表現に過ぎない」と言われてしまって、今度は、西本願寺か金沢城に行かなきゃならないことになってきました。
   さらに、です。斎藤英俊『日本人はどのように建造物をつくってきたか 桂離宮』(1993.8.31.草思社)を見ると、桂離宮を数寄屋造りと呼ぶのは適切ではないと述べられているのです。〔「桂離宮の御殿の意匠と技法」に≪桂離宮の御殿のような建物は、一般には「数寄屋風書院」とか「数寄屋造り」などとよばれています。しかし、私はこの名称を使わないことにしています。その理由の一つは、この名称が使う人によって意味が異なり、言葉としての定義が曖昧で混乱しているからです。もう一つの理由は「数寄屋」は草庵風茶室のことですので、名称は「草庵茶室の意匠を取り入れた書院」や「草庵茶室の影響を受けてつくられた書院」を意味していますが、・・・この種の建物は中世の草庵の要素を取り入れてつくられたと考えられるので、あたかも茶室と関係があるかのような名称は誤解を与えかねないからです。 私は桂離宮のような建物は「草庵風書院」とよんでいます。このような建物は、様式としては書院造りの範疇に入ることと、・・・。ここでいう草庵とは、中世の隠遁者が山里、あるいは人里離れた山中や海辺にかまえて住んだ簡素な家屋をさしています。≫と書かれています。〕
  ≪「数寄屋とは?」→「桂離宮のような・・・」≫の桂離宮を「数寄屋」と呼ぶのは不適切となると、「数寄屋」「数寄屋造」て、いったい、なんなんだ? 牛丼屋か????
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                  すき家 ↑

   それで、「侘び」「寂び」の方ですが、『インテリアコーディネーターハンドブック技術編』を見ると、≪中国から伝来した喫茶の風習が、桃山時代になると、いわゆる草庵風の茶として発展した。草庵風の茶を創始したのは村田珠光といわれ、それが武野紹鷗〔環境依存文字〕を経て千利休によって完成された。その際茶の湯は和敬静寂を重んじる侘び茶となり、建築はもとより茶道具、花入、書画等を総合化して日本独自の芸術に昇華した。≫と書かれており、「和敬静寂を重んじる侘び茶」というあたりが「侘び」「寂び」につながりそうです。どうやら、寿司よりもお茶の方で、それも「お~い、お茶」の方のお茶ではなく、「けっこうな御手前ですこと、おほほほ・・・」の方のお茶みたいです。

  「数寄屋」「数寄屋造」と「侘び」「寂び」については、なんか、わかったようなわからないようなですが、ある程度考えてお勉強して、ますますわからなくなるというのは、まったくわかっていないのとは相当に違うので、とりあえずはこれで良いことにさせてもらって、次に桂離宮はすばらしいのかどうか、という問題です。日本の建築の中では桂離宮が最大級にすばらしいというのは、誰が言ったかというと、どうも、ドイツ人の建築家・ブルーノ=タウト(1880-1938)さんらしいのです。ここまできて、やっと、「私の好きな建築家」としてのブルーノ=タウトにたどりつきました。
  「建築家」とはどういう人を言うかというと、「建築士」と違って資格試験があるわけでもなんでもないので、とにかく、自分で「建築家 ○野×造」と書いた名刺を作って人に配れば、それで建築家だという説もありますが、そういう意味ではなく、仮に、たとえば、『インテリアコーディネーターハンドブック技術編』の「第2章 インテリアの歴史」のところに名前が出ているような人を「建築家」とすると、ブルーノ=タウトは、「4.近代 (2)近代デザインの成立 ③ドイツ工作連盟(DWB)」のところに≪1914年の工作連盟展に建てられた「ガラスの家」を設計したブルーノ・タウトは、色彩建築宣言など表現主義的な活動で知られるが、日本との関係も深く、桂離宮や伊勢神宮の造形美を称え、「日本美の再発見」などを著したほか、工芸品の指導をおこなうなど、わが国の近代デザイン史の中でも重要な存在である。≫と登場しますが、日本では、実際のところ、ブルーノ=タウトが設計した建築物によってよりも、桂離宮(かつらりきゅう)や伊勢神宮(いせじんぐう)を賞賛し、それに対して、日光東照宮(にっこう とうしょうぐう)を「いかもの」「いんちき」とこきおろした人としての方が良く知られているのではないかと思います。

   「やっぱり桂離宮はすばらしい」というタイトルをつけたのには、桂離宮というのは、他の建築物と別格扱いをしてそこまで特別に評価するほどすばらしいのか? 特に、ドイツ人建築家・ブルーノ=タウトが賞賛したからというそれだけの理由で「すばらしい」と同調しているような、その程度の人が多いのではないのか? という点と、日光東照宮はそこまでなっていないのか? 桂離宮と日光東照宮にはそこまで差があるのか? という2点の疑問を感じ、それに対しての、「やっぱり桂離宮はすばらしい」という答なのです。
   それで、自分自身で考えずに、ドイツ人建築家のブルーノ=タウトが賞賛したから桂離宮はすばらしいという評価になってしまっているのではないのか、という点については、ブルーノ=タウト自身が、≪東洋古代建築の最高権威のひとりである伊東(忠太)博士は、近ごろ日本のある専門雑誌で、ほぼ次のようなことをいわれた、――「五十年前にヨーロッパ人が日本へ来て、日光廟(東照宮)こそ日本で最も価値のある建築物であるといえば、日本人もまたそうだというし、今またブルーノ・タウトがやってきて、伊勢神宮と桂離宮こそが最も貴重な建築だといえば、日本人もまたそうだと思うのである」と。 これはわれわれヨーロッパ人の体系的叙述を凌駕するまことに巧妙な東洋的アイロニーである。≫と「日本建築の基礎」<ブルーノ=タウト『日本美の再発見〔増補改訳版〕』(1939.初版 1962.改訳版 岩浪新書)所収>で述べています。 もしも、自分自身で判断するという思考態度を失い、「有名建築家」とか名乗る人の主張に追随するしかできないようになってしまった精神的態度の国民が増えるなら、それは、建築のみの問題ではなく、民主主義に反対する方向での動きであり、決して歓迎できる状態ではないと考えられるものです。
   建築家・ブルーノ=タウト以外にも、歴史学者の家永三郎も、『日本文化史』(1959.岩浪新書)において、≪茶室よりもむしろ書院造の様式を踏襲したものであるが、同じように装飾的要素を徹底的にふり落とし、生活の場所としての機能性と力学的な構造美とのみに最大の力をそそいで造られたものに桂離宮がある。その廻遊式庭園内に配置された建築のすぐれた意匠は、日本の文化財として世界にほこる独自の産物である。・・≫と桂離宮を賞賛し、一方で、≪桃山時代の豪奢な好みは、伏見城や聚楽第の遺構と伝えられる諸建築に見られるように、外部にも内部にも、装飾彫刻をふんだんに施し、華麗なふすま絵や屏画で人目を眩惑させる建築様式を流行させた。そのあげくのはては、徳川家光のときに完成した日光東照宮のような、建築の構成美を忘れて装飾過多におちいったものさえ作り出したのである。・・≫と日光東照宮を批判しています。 
   日光東照宮については、法隆寺宮大工棟梁であった故・西岡常一氏も、『木に学べ』(1988.小学館)において、≪建築物は構造が主体です。何百年、何千年の風雪に耐えなならん。それが構造をだんだんに忘れて、装飾的になってきた。一番悪いのは日光の東照宮です。装飾のかたまりで、あんなんは建築やあらしまへん。工芸品です。人間でいうたら(法隆寺などの)古代建築は相撲の横綱で、日光は芸者さんです。細い体にペラペラかんざしつけて、ぽっくりはいて、押したらこけるという、それが日光です。・・・≫と、法隆寺などと日光東照宮との比較において、日光東照宮に否定的な発言をされています。
   ブルーノ=タウトは、≪1589年から1643年までに、京都の近郊に桂離宮が造営された。この建築によって成就された特殊な業績は、これに類する他の建築物にも再現せられている。しかしそれにもかかわらず桂離宮は、伊勢の外宮と共に、日本建築が生んだ世界的標準の作品と称してさしつかえない。日本的思想に含まれている純正高雅な要素は、奈良時代から一千年を降ったこの時に、その間に分化した種々な技法と精神の哲学的洗練と結合して、いま一度桂離宮に集注したのである。・・・≫と桂離宮を賞賛し、≪禅の影響は、武将達の豪奢華麗をもとめる建築観を拘束する重要な調節者となった。当時禅宗は、諸階級の上に位していたので、遁世者の多くは、ただに一介の武士ばかりでなく、大名も将軍も、あるいは天皇すらも禅門に入ったのである。それだから粗野な専制者も、ある種の哲学的、芸術的教養の外衣をすっかりかなぐり捨てるわけにはいかなかった。しかしこれが所詮外衣にすぎなかったことは、すでに秀吉の造営した聚楽第の遺構(飛雲閣)がこれをあからさまに示している。専制者の命令によって造られた建築物は、実際にもきわめて薄弱なものである。  かかる専制者芸術の極致は日光廟である。ここには伊勢神宮に見られる純粋な構造もなければ、最高度の明澄さもない。材料の清浄もなければ、釣合の美しさもない、――およそ建築を意味するものはひとつもないのである。そしてこの建築の欠如に代るところのものは、過度の装飾と浮華の美だけである。≫(ブルーノ=タウト「日本建築の基礎」)と、日光東照宮と「数寄屋」でも桂離宮とは別の≪派手でにぎにぎしく、ときには目がさめるよううな華美な「キレイサビ」の空間≫を代表する西本願寺にある聚楽第の遺構と伝えられる飛雲閣を批判しています。
  
    それで、実際にどうかは、やはり、自分で足を運んで、見て考えるしかないわけです。私は、まず、日光東照宮へ行き、そして、法隆寺へ行き、そして、桂離宮へ行きました。 日光東照宮へ行った時に思ったのは、確かに、その時代の最高権力者が権力・財力を背景にして造ったものであり、権力を誇示するかのような建築であるのは間違いなく、それが悪趣味であるといえばそうかもしないが、しかし、その時代の最高権力者が造ったものというのは、たいてい、そういうものであり、大阪城にしても鹿苑寺の金閣にしても、あるいは、ベルサイユ宮殿にしても、そういう面はあり、日光東照宮にそういう面があるとしても、だからといって、そこまでボロクソに言わなくても良いのではないのか・・・というのが、私が日光へ行った時の感想でした。
    そして、その後に桂離宮へ行ったのでした。「百聞は一見に如かず」とは良く言ったものです。ブルーノ=タウトさんの言われるのは間違っていません。もしも、日光東照宮だけ見たならば、そんなに日光を悪く言わなくても・・・・と思うのですが、桂離宮を訪ねて、ひと通り見て回った後に考えるなら、相撲の番付に例えるならば、桂離宮が横綱か大関であるとすれば、日光東照宮は平幕か十両程度でしかない。根本的な違いは、桂離宮は、水のみ百姓の家ではなく皇族の離宮であり結果としてはそれなりに費用もかかったものではあるが、建築の姿勢としては特別に豪華なものを使うことによって良いものを造ろうとするものではなく、その時代のその場所において特に珍しいものでもないものを工夫をして風情のあるものに造り上げると言うものであり、それが造りあげられるにおいての作成者の精神性もまた磨かれたものが感じられるのに対して、日光は、とにかく費用をかけて、手に入りにくいものを用意させて、権力を誇示し、飾り立てるというものであり、豪華さは日光の方が豪華かもしれないけれども、建築のレベルとしては、桂離宮と日光では格が違う、と思いました。私は実際に両方に足を運んだ上でそう思ったのです。本当か~あ?と思われる方は、実際に日光東照宮と桂離宮の両方に足を運んで考えて・・というより、感じていただくと良いと思います。日光は、日光だけ見ていると、そこまでボロクソに言わなくても・・・と感じますが、桂離宮に足を運んで、両方を見た上では、建築としては格が違うと感じざるをえません。
    その結果が「やっぱり、桂離宮はすばらしい」であり、それは、「建築史」について述べた本に名前があがっているブルーノ=タウトさんが賞賛したから・・ではなく、ブルーノ=タウトさんがどう言ったかにかかわらずそうであり、そして、ブルーノ=タウトさんは、もっともなことを述べていたと思ったのでした。

    ブルーノ=タウトさんに関連する建物としては、群馬県高崎市に少林山達磨寺という寺の中に洗心亭という小さな建物があります。ブルーノ=タウトさんが、日本に滞在して高崎市にいた際に住んでいた建物だということです。桂離宮のような広い建物ではなく、部屋数も多くありませんが、ブルーノ=タウトさんの好みが感じられるものです。
    私は、ブルーノ=タウトさんの著作としては、岩浪新書の『日本美の再発見〔増補改訳版〕』に収められている「日本建築の基礎」「日本建築の世界的奇跡」「伊勢神宮」「飛騨から裏日本へ」「冬の秋田」「永遠なるものー桂離宮」と、鹿島出版会からSD選書として出版されている『建築とは何か』(1974)に収められている「建築に関する省察」「すぐれた建築はどうしてできるか」を読みましたが、その後、いくつかの建築を見学して、特に、丹下健三や丹下健三のエピゴウネンのような人達の建築を見てうんざりすることがあり、この感覚てなんだろう、と思い、それが、ブルーノ=タウトが感じたものに共通するように思えるようになったのです。ブルーノ=タウトがもし、今も生きていれば、丹下健三のたとえばクウェート大使館などは、日光東照宮を評したごとく「いかもの」「いんちき」と述べるのではないか・・・という気がします。丹下健三の建物については、私が子供の頃に訪ねた広島の平和祈念館などはそれほど変な建物とは思わなかったのですが、丹下の場合は、年齢が行くに従い、建物のセンスが病的になり、かつ、青臭くなっていったという印象を受けています。丹下ファンの人たちからは怒られるかもしれませんが、丹下の建物から受ける印象としては、丹下の建物は丹下の若いころに比べて年齢がいってからのものの方が精神的に未熟になっていっているような印象を受けます。桂離宮の作者のような精神性とはほど遠いように感じられます。
    「私の好きな建築家」として何人かの人をあげていこうと思ったのですが、ブルーノ=タウトについては、ブルーノ=タウトの作品が好きということではなく、ブルーノ=タウトが著作で述べていることに共感するところが多いということで、「私の好きな建築家」としてあげさせていただきました。
    丹下ファンの方には、ごめんなさい。しかし、実際に、丹下健三が設計したという建物をいくつか見学して、私は本当にうんざりしてしまったのです。そして、丹下の建築と逆に、桂離宮には、何か、ほっとするような安心感を覚えるのです。そして、それは、高崎市の達磨寺にある洗心亭という小さな建物にも共通するもので、タウトさんが、今も生きていたら、建築の世界で生きるものとして誰かに教えを受けるならば、こんな人にお願いしたいものだと思うようになったのでした。
    「やっぱり桂離宮はすばらしい」 そして、ブルーノ=タウトさんの著作については、今後も読み返して、その意味をかみしめていきたい、と思っています。

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なお、 

サグラダ=ファミリア教会 については、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%82%A2

シドニー・オペラハウス については、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%89%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%82%AA%E3%83%9A%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9

札幌時計台 については、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AD%E5%B9%8C%E6%99%82%E8%A8%88%E5%8F%B0

法隆寺 については、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E9%9A%86%E5%AF%BA 
 もしくは、
http://www.horyuji.or.jp/

桂離宮 については、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%82%E9%9B%A2%E5%AE%AE

桂離宮の見学申し込みは、
http://sankan.kunaicho.go.jp/guide/katsura.html

日光東照宮 については、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%85%89%E6%9D%B1%E7%85%A7%E5%AE%AE
 もしくは、
http://www.toshogu.jp/

飛雲閣 については、
http://www.hongwanji.or.jp/about/kenzo/04.html
 もしくは、
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E9%A3%9B%E9%9B%B2%E9%96%A3/

インテリアコーディネーター、及び、インテリア産業協会は、
http://www.interior.or.jp/

千葉県インテリアコーディネーター協会(ICCHI)は、
http://www.icchi-jp.com/index.html

斎藤英俊氏については、
http://www.toyota.eco-inst.jp/support/toshihide_saito.htm

ブルーノ=タウトについては、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%88  

伊東忠太 については、
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E9%A3%9B%E9%9B%B2%E9%96%A3/


達磨寺(高崎市) については、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%94%E7%A3%A8%E5%AF%BA_(%E9%AB%98%E5%B4%8E%E5%B8%82)
 もしくは、
http://www.daruma.or.jp/

洗心亭 については、
http://www.daruma.or.jp/02g_01facility_8sensintei.html

丹下健三、及び、駐日クウェート大使館については、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B9%E4%B8%8B%E5%81%A5%E4%B8%89

 他を御参照ください。

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以上は、「私が勤務する建築会社のホームページとリンクした私のブログ」に掲載した、そのブログの第11回のもので、この第11回≪やっぱり桂離宮はすばらしい!~私の好きな建築家〔1〕ブルーノ=タウト≫は、2010年(平22年)9月2日に「公開」させていただいたものです。 事情により削除いたしましたが、私は、削除したものは内容のあるものと思っており、又、いったん、「公開」したものは、作成者のみのものではなく、賛否にかかわらず、読んでくださった方・読みたいと考えてくださる方と共有のものという性質をもっており、作成者といえども、「記憶違い」のものの訂正、補足、「入力ミス」の訂正などは良いと思いますが、完全な削除は、好ましくないと考え、ここに、「引っ越し掲載」させていただきます。(建築家+建築屋)÷2 〔より正確には (49×建築家 + 51×建築屋)÷100〕 のブログ 、もしくは、。(建築家+建築屋)÷2のブログ と記したものは、「引っ越し掲載」です。 よろしくお願いいたします。
=================================

 〔 この稿は、「哲建ルンバ」としては、第13回ということになります。 〕

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  • ceinture louis vuitton

    Excerpt: I differ with most people here; I found this blog post I couldn’t stop until I finished, even though.. Weblog: ceinture louis vuitton racked: 2013-04-18 23:39
  • フェラガモ 通販

    Excerpt: やっぱり桂離宮はすばらしい!~私の好きな建築家〔1〕ブルーノ=タウト 〔引越掲載〕 哲建ルンバ/ウェブリブログ Weblog: フェラガモ 通販 racked: 2013-07-04 17:41
  • ルイヴィトン 激安

    Excerpt: やっぱり桂離宮はすばらしい!~私の好きな建築家〔1〕ブルーノ=タウト 〔引越掲載〕 哲建ルンバ/ウェブリブログ Weblog: ルイヴィトン 激安 racked: 2013-07-04 22:53