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zoom RSS 東京都美術館とブリューゲル『バベルの塔』展【2】上野公園における東京都美術館、ヘボ設計を増長させる男

<<   作成日時 : 2017/06/26 23:29   >>

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[第303回] 東京圏の美術館・博物館(9)−2
   「上野公園」というのは、もともとは、東叡山寛永寺の寺地であったわけです。 それが、何故に今は上野公園になっているかというと、幕末、佐幕と討幕の争いの時に佐幕側についたために、寛永寺は塔頭の1つを寛永寺http://kaneiji.jp/ として、いわば、厳封されて存続し、大部分の「領地」はとりあげられたわけです。 どうも、宗教施設も政治の争いの時に、勝者についた方は優遇され、敗者についた方は冷遇されるという傾向があるみたい。
   これに気づいたのは、静岡県の今は平成の大合併で浜松市になった場所にある深奥山方広寺http://www.houkouji.or.jp/ という臨済宗の寺に、在来木造の戸建住宅建築業の(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ で、「座禅研修」なるものに強制的に行かされた時に気づきました。 なんで、この深奥山方広寺という「寺」はこんなに敷地が広いんだ? と。 なぜか、それは幕末に討幕側についたからのようです。 逆に佐幕側について敷地が狭めにされた「寺」としては、大阪府箕面市の箕面山滝安寺http://www.nanokaichi.com/ryuanji/ がそれではないかと思います。 滝安寺は「日本四大弁天の1つ」と言っているのですが、他の3つというと、神奈川県の江の島、滋賀県の竹生島、広島県の厳島神社の3つで、全国的知名度としては滝安寺は他の3つに劣ります。しかし、役行者(役小角)が箕面の大滝で修行をして、弁財天の助けを得て悟りを開いた地、ということから考えると、むしろ、箕面山滝安寺こそ、最も本来的な弁財天の地と言えるはずです。 その滝安寺は、もともと、箕面大滝のそばにあって、役行者がそこで修行した場所だったというのですが、後に、地震があったりした際に、今の場所、阪急箕面線「箕面」駅と箕面大滝の中間より箕面駅に近い場所に移ったらしい。 で、明治維新の後、今の箕面駅付近から箕面大滝に至る「滝道」とその周囲は「箕面公園」となり、滝安寺は今のお堂が建っているあたりのみが寺の敷地になったみたい・・・なのですが、静岡県浜松市の深奥山方広寺というのは、(株)一条工務店なんかと組んで、従業員に寺の「研修」などと称するものを強制するという「信教の自由の侵害」に該当する不法行為をおこなうなど、又、「国家安康」「君臣豊楽」の鐘で有名な京都の方広寺のパクリみたいな名前だし、ろくな寺じゃないなと思っていたら、なんと、臨済宗の14派の1つの「方広寺派」の本山らしい。本山がそんなことしちゃいかんだろうが、と思うのだが、頭の髪の毛が薄いのではなく頭の中身が薄いボーズがいて勝手なことやっているようだが、箕面山滝安寺と違って相当広い範囲を寺の敷地としています。〔箕面山滝安寺の場合、箕面の山の寺としては、大聖歓喜天を祀る聖天宮西江寺と弁財天を祀る箕面山滝安寺の2つがあるという点も原因としてあるかもしれませんが。〕(株)一条工務店では「座禅研修」などと言っていたので、健康法としての座禅かと思い、つきあえば気がすむのならと思って参加したところ、ボーズが「法話」などはじめ、さらには、「人には9つの性格があって、これは変えることはできないもので」とか奇妙な新興宗教みたいなことまでやりだしました。私はそんないかさまの「心理テスト」なんて受けさせられる筋合いはないし、当然のことながら、これは「信教の自由の侵害」に該当し、深奥山方広寺のボーズのやっていることは宗教者としては自殺行為です。 深奥山方広寺のボーズがとったカネというのは、本来なら従業員に賃金として支払われていいはずのものを削り取ったカネですから、「ボーズ丸儲け」というより、「どろボーズ」と言って悪くないものでしょう。「座禅研修」などと言って、深奥山方広寺のボーズはひとに教えたいらしいのですが、根本的に教育されないといけないのは深奥山方広寺のボーズどもの方でしょう。
   そういう「信教の自由の侵害」をやっている(株)一条工務店から防潮堤の費用だとして従業員の給与を削り取ったカネや安全対策費用を削って貯め込んだカネから300億円だか寄付してもらって大喜びして「一条堤とでも命名して長く記録に残したい」とか言いおったのが浜松市長で慶應大a呆学部卒の鈴木康友で(昔から、「慶應の法学部には不定冠詞のaがつく」と言いましたが、鈴木康友なんか見ますと、そうかなという気持ちになりますね。)(その同調者で福島第一原発事故の直後に静岡茶の放射性物質含有調査を拒否して、わざとらしく静岡茶を人前で飲んで見せた静岡県知事の川勝平太が静岡県知事選に3選しましたが、嘆かわしいことです)、(株)一条工務店から弥生講堂・一条ホールの建設費を出してもらってホームページにその不良企業にリンクさせているのが「東京大学」というアホ大学です。その弥生講堂・一条ホールなるものの設計者が香山壽夫(「こうやま ひさお」と読むみたいです。「すしお」ではないようです。)というおっさんですが、まがりなりにも東京大学という旧帝大系国立大学を卒業して旧帝大系国立大学の教授になっている人なら、そういう不良企業から寄付してもらったカネで建てるような建物の設計を自分がしていいものだろうか・・・・? と少しは考えるべきであり、考える頭がないようなら、大学教授であろうが東大出であろうが白痴と評価されるしかないと思いますが、そういう意識はないみたいです。
   浜松市の深奥山方広寺に行ってみるとわかりますが、なんで、この寺はこんなに広い範囲を寺の敷地として認められてるんだあ? と疑問を感じます。 特に、大阪府箕面市の箕面山滝安寺に行ったことが何度もある者としては疑問を感じます。 川があってその脇に道があって、両側に樹木が茂って・・・というあたり、箕面の滝道と今は浜松市の深奥山方広寺は似ているのです。 自然は似ているのですが、滝安寺は広い範囲を「箕面公園」とされて、滝安寺としての敷地は広くない。それに対して、深奥山方広寺は、相当広い範囲を寺の敷地としてしまっているのです。 本来、ひとつの寺の所有物ではなく国民全体のものではないのかと思われるような森林を。滝安寺と方広寺のこの違いはどこから来ているのか、というと、どうも、幕末に佐幕側(「賊軍」側)についた寺と討幕側(「官軍」側)についた寺との違いみたいです。
   上野の寛永寺も、佐幕側についた、というよりも、もともと、徳川の寺だったわけですから、討幕側につくわけにはいかなかったでしょうけれども、佐幕側について、そして、寺地の多くは上野公園となって、かつての塔頭の1つを寛永寺として存続しているわけです。 かつては、今の中央噴水のあたりに本堂(根本中堂)があって、今の東京国立博物館のあたりに本坊があったと言い、今の上野駅も不忍池も上野動物園も東京芸大も寛永寺の敷地だったということですから、相当の広さです。

   さて、今回、東京都美術館を考えるにおいて、上野公園の中における位置づけ、旧寛永寺の伽藍配置との関係で見た東京都美術館の位置づけを検討するために、あえて、京成電鉄で上野駅まで行って、上野公園の南側より入って進みました。
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↑ の下あたりに京成電鉄の上野駅があります。↓ 私が今住んでいる千葉県のJR総武線の沿線から上野に行くには、船橋駅でJRから京成に乗りかえて京成の特急で上野まで行く方法と、JRの各駅停車(黄色い電車)に乗って秋葉原で山手線か京浜東北線に乗りかえて上野まで行く方法がありますが、京成の特急は停車駅の数はJR総武線の快速と同じくらいで、さすがに特急だけあって乗ると速いのですが、上野駅から乗ろうとすると本数が多くないようで、けっこう待ちます。JRならその間に電車が来て、秋葉原でもすぐに総武線の電車が来ますから、どちらが早く着くかはなんとも言えません。
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   上野公園に入って北に進むと、↓の人工の滝があります。
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↑ かつて、この付近に、寛永寺の「黒門」があったと説明書きがあります。
「黒門」と言うと、東京国立博物館の南側に、「因州池田屋敷黒門」というのが今もあって、今は「東大の赤門」になっている「加賀前田家の赤門」に対して、池田家の黒門と言われたとか現地に書かれていたのを見た記憶があるのですが、ここにあったというのはその「因州池田屋敷黒門」とは別で、寛永寺の黒門としてここにあったが、後に荒川区の円通寺に移築されたと説明書きが出ています。 今も旧寛永寺黒門は荒川区の円通寺に存在するようで、「荒川区 円通寺」と入れて検索しますと、写真入りで「旧寛永寺 黒門」を掲載してくださっている方があるので見ることができますが、《ウィキペディア―円通寺(荒川区)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E9%80%9A%E5%AF%BA_(%E8%8D%92%E5%B7%9D%E5%8C%BA) を見ると、円通寺は≪1963年3月に発生し、1965年7月に解決した吉展ちゃん誘拐殺人事件の被害者の遺体発見現場となったことでも知られる≫とも出ています。
※ 《幕末維新の史跡めぐり 円通寺》http://www.sakanouenokumo.com/ueno_war.htm

   右の階段の方を上がると清水観音堂の東側、左の道を進むと清水観音堂の下に行きますが、ここでは右の階段を登ることにします。
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↑ 左の建物が清水観音堂です。 上野公園にある説明書きによると、寛永寺を作った天海は、
比叡山延暦寺・・・・・→東叡山寛永寺
琵琶湖 ・・・・・・・・・→弁天池
清水寺 ・・・・・・・・・→清水観音堂
奈良 東大寺大仏・・→上野大仏
と、関西にある「名所」をここに再現したというのですが・・・・、そもそも、天海ていったい何者や? 大坂の陣のあたりで、突然、登場してきて「活躍」というのか「暗躍」というのかするのですが、前半生は不明で、大坂の陣では、実は徳川家康は、「こんなもん、楽勝、楽勝」と余裕こいていたら、夏の陣の最後、決死の真田隊の突撃のさなか、飛んできた矢だか鉄砲だかに打たれて絶命した・・・なんて説もあって、大阪府堺市には家康の墓なんてのまであるそうで、その際、素早く、影武者を建て、影武者がボロを出さないように天海が常にそばで控え、翌年、必要なくなった影武者は駿府にて天婦羅食って食中毒で死んだとかいうことにして殺した・・・とかいう話もあるようだが、家康が飛んできた矢だか鉄砲だかで死んでもうたあ〜あという時に、影武者のそばに控えてボロを出さないように見張るとか、誰でもできることでもなさそうだし、家康が他界した後は、久能山から家康が生前には行ったこともない日光に家康の遺骸を移して墓所とし、江戸城の北東側の押さえとして寛永寺を城砦のように造営し、もともと、浄土宗だった徳川家の将軍の墓所を半分は天台宗の寛永寺にするなど、その政治力というのは、いったい、どこから出てきたものなのか・・・・。
   「天海=明智光秀」説なんてのがあって、前半生を明智光秀として生きた男が、本能寺の変の後、実は山科で野武士に敗残兵狩りに竹槍で刺されて死んだというのはウソで、生き延びた上で、徳川家康にかくまわれて家康のブレーンとなり、後半生を天海として生きた・・・というのは、話としては面白いのだが、しかし、徳川家康より年上の前田利家より年上の豊臣秀吉よりも年上の織田信長よりも年上であったという明智光秀が天海だとすると、天海というのは100歳以上も生きたことになり、年齢が合わないのではないかとも思えるが、その頃の「年齢」なんて正確に伝わっているという保証はないわけで、実は明智光秀というのは老け顔だったけれども実際は家康よりも若かった・・・・とすると、「天海=明智光秀」説なんてのもあり得ない話でもなさそう・・・・て感じもするが・・・・、しかし、天海て、前半生はどうしていたのか、いったい、何者だったのだろう・・・・。

    さらに進むと、右手に前川國男設計だという東京文化会館が見えてきます。↓
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↑  磯崎新設計で「ポストモダンの集大成」「世界の磯崎の代表作」と言われる「つくばセンタービル」の「ノバホール」を見て思ったのですが、どう思ったかというと、「納骨堂みたい!」と思ったのです。 で、まあ、音楽ホールというのは、内部を先に作ってそれに合わせて外を作ると、どうしても「納骨堂みたい」になりがちで、シドニーオペラハウスなんてのは外観デザインはなかなか素敵で決して「納骨堂みたい」ではないけれども、あれは逆にシドニー湾の岬に作ったモニュメントみたいな建物であって、外を先に作って中をそれに合わせたみたいなものであって、怒られるかもしれないけれども、言ってしまえば、あれは内部はオペラハウスでなくても室内競技場でも議事堂でも映画館でもパチンコ屋でもソープランドでも何でもよかったわけであって、内部優先で考えて、それに合わせて外を作ると、どうしても、つくばセンタービルのノバホールみたいに「納骨堂みたい」な外観になってしまう傾向がある、これはやむをえないところもあるのんかいなあ〜あ・・・・とか、つくばセンタービルを見学した後では思ったのですが、しかし、そうは言っても、まがりなりにも「建築家」とか名のる以上は、「『納骨堂みたい』でもしゃーないやんか」とそれを「ポストモダンの集大成」とかなんとかかんとか言いまくるのがいいのんかいなあとか思って、そして、東京文化会館に再訪して見て見ると、東京文化会館は、必ずしも「納骨堂みたい」ではないのです。ですから、東京文化会館を見た上で言うと、やっぱり、つくばセンタービルのノバホールが「納骨堂みたい」なのは、あれは、やっぱり、「センスの問題」とちゃうかあ〜あ? て感じが・・・。
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↑  東京文化会館。 西側、南より。
  エアコンの室外機などの周囲をこのような蔽いというのか柵というのかで囲っています。 ハウスメーカーの建物と「建築家」の建物の違いとして、エアコンの室外機であるとかガスボイラー・灯油ボイラー・プロパンガスのボンベ、最近ですとエコチュートとかそういったものを「建築家」の建物は蔽いを設けて隠すかそれをデザインのひとつになるように計画するか、何か考えるのに対して、ハウスメーカーの建物では、露出させ、特に外観デザインをなんとかしようとはしない場合が多い。 私が小学生の時、1960年代後半、私の親が小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→ヤマダエスバイエルホーム(株)http://www.sxl.co.jp/ 〕で建てた家は、横樋は内樋(屋根の軒の内側に樋を作る方法)にしていましたが、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ では「内樋にしたのでは、必ず雨漏れしますから」と言って内樋は拒否して軒の外側に樋をつけていましたが、1960年代後半に建てた家の内樋は、別に雨漏れも起こさず、生活してきました・・・・・が、さすがに、築40年近くなった頃、隣の家の木の葉が飛んできて樋につまったことがひとつの原因だったようですが、そこから雨漏れを起こしてしまったようで、「内樋が雨漏れを起こしたのでは修理は大変ですから」と(株)一条工務店が言っていたのは、たしかに外樋に比べれば修理は大変でしたが、修理できないわけではなく、修理しましたが、外樋に比べれば内樋は修理するのは大変であるのは確かでした。 今から考えると、1960年代後半に小堀住研(株)が設計して建てた家は、屋外に木を露出させている部分が多く、そういうことをすると塗装をしても、雨に濡れて傷みやすいのは目に見えているのであり、なんで、あんな傷みやすいメンテナンスに手がかかる家にするのかと思ったりもしますが、片方で、「間違いのない家づくり」と言いまくっていた(株)一条工務店の姿勢というのは、「間違いのない家づくり」であったとしても「面白味のない家づくり」「凡庸なデザイン、ありきたりのデザイン、ブサイクでもかまわんという姿勢の家づくり」「ブスでもええ! 耐久性させあれば、という家づくり」という面もあるのではないのか、というよりも、(株)一条工務店の場合は、家というものは、建築というものは、構造と機能とデザインと経済性のいずれもが優れていてこそ家であり建築であるはずであるが、(株)一条工務店は、「構造が大事ですから」という言い訳を悪用して、設計力の拙劣さ、特に、デザイン力のなさ、センスの悪さをごまかしてきた面があると思えます。内樋にすることによって樋が外から見えないようにする(といっても横樋についてであって、縦樋は露出して見えていますが)、外観デザインを考えようという姿勢は、片方で外樋に比べれば40年ほど経った時点においては雨漏れの問題が出てきたりしますが、ともかくも、外樋にしてよりメンテナンスの良さの方をとるのか、内樋であっても即座に雨漏れを起こすわけでもない以上、外観デザインから考えて採用すべきだと考えるべきか、そのあたりを、ともかくも考えるのが建築屋であるはずだと私は思います。どちらかしか考えられないのは「アホのひとつ覚え」というものであって、プロの仕事ではないと思います。 「建築家」の設計した建物を見ると(《「建築家」と勝手に自称しているしろうと未満》のフリーダムアーキテクツデザイン(株)https://www.freedom.co.jp/ の自称「設計士(さま)」とか、「建築家」と名刺に刷りこめば「建築家」とか思っている髭はやしたり大久保清みたいな格好してる「そのへんの設計事務所のおっさん」とか、羽根つきの真っ赤なスポーツカーに乗れば「建築家」とか思ってるヤンキーのことではないですよ)、「意匠」面について賛否はあってもそれなりに考えているとしても、「意匠」面しか考えていないのではないのかと感じるような建物も見る時がありますが、しかし、「意匠」面は考えているものが多いわけです。 特に、エアコンの室外機であるとかボイラーであるとか、樋だとか排気菅だとか、そういったものを、いかにしてデザインにとけこませるか、それもデザインのひとつとして魅せるか、そうでなくても、工夫した「意匠」を阻害しない工夫をするか、そういったものが考えられているのです。 「間違いのない家づくり」は実際にそうなっているかどうかはさておき、その姿勢は悪くありませんが、「ブスでもええ! 耐久性さえあれば」という、「ブスは耐久性がある」というブス建築大好き会社というのがいいかというと、それもどうかと私は思います。(というよりも、なんで、美人は不健康・薄命でブスは「耐久性がある」ということになるのか。「美人薄命」の美人よりも「耐久性がある」ブスの方がいい! という発想は、なんか、考え方が違うような気がするのです。遠州人〔(株)一条工務店の遠州人のことです〕にこれを言うと怒られるのですが、美人は健康で長生きしてはいけないのでしょうか、ねえ。)
   (株)一条工務店の場合は、もうひとつ致命的な問題がありました。この会社は設計のレベルが高くないというのはどうしようもないと認識して、「わしぁ、日陰の月見草」て感じで、たとえ、二流以下の設計でも新人でも、捕手(営業)のリードで競合メーカーの「一線級」の設計に劣らない図面を書かせてみせる!と思って仕事をしてきたはずであり、小堀住研(株)の場合は、入社1年目の営業の入社第1棟目を入社1年目の設計が担当しないように、新人の設計の入社1棟目は経験がある営業の担当の者に成るようにしていたのに対して、(株)一条工務店は「成績のいい営業が実力のある設計を使うんでえ〜え」という主張から、営業所長は自分の担当客には経験のある設計を担当させて、新人の営業に新人の設計をあてるということをやってきた会社であり、私は入社以来、新人の設計ばっかりまわされてきて、そういうのを苦労してリードしてきたのであり、この会社の経営者からは「ありがとう」「申しわけなかった」くらい言ってもらっていいはずでしたが、入社6年目の時だったと思いますが、営業本部長から「余計なことすんなあ」と暴言を吐かれたことがありました。営業(捕手)がヘボ設計(投手)をなんとかかんとか苦労してリードして競合会社の「一線級」設計に劣らない図面を書かせようというしてきたことに対して、なんと! 営業本部長になっていたオーナーの義理の弟が、「余計なことすんなあ」と暴言を吐いたのです。これでは、仕事になりません。もし、「それでは仕事になりませんよ」と言おうものなら、「なら、辞めろよ」と言うでしょう。なんで、そういう身勝手な中卒のアホが営業本部長になっているのか、というと、オーナーの義理の弟だからということでしょうけれども、それにしても、人間、言っていいことと悪いことがある!と思うのですが、「言っていいことではないこと」を平気でいくらでも口にするのが(株)一条工務店の営業本部長になっていた天野隆夫という男でした。 そもそも、(株)一条工務店に、捕手(営業)のリードなしに、投手(設計)の力だけで、打者を押さえる(顧客が満足できる図面を作成できる)ことができる投手(設計)が、いったい何人いるか?!? というと、たいしていなかったはずです。2001年、栃木県南部の「副所長」(という役職名で、仕事の内容は「南部の所長」〕として赴任したK下にこの話をしたところ、K下もまた、「いてない、いてない。一条工務店の設計に『営業の協力なしに設計の力だけでお客さんの満足する図面を作れる設計なんて、ほとんどいてない。そんなもん』と私とこの点において同感だということを言いましたが、ある程度以上、この会社に在籍して営業の仕事をした人間なら、特に嘘つきのヨイショしいでなければ、そう言ったはずです。又、元阪急ブレーブス投手の山田久志が『プロ野球 勝負強さの育て方』(PHP文庫)で、「俺は一流投手だから、捕手の言うことなんて聞く必要はないんだ」とか「俺は一流投手だから、他の選手は俺に合わせるのが当然だ」とか思っているような投手が、もしも、いたならば、そんな投手は一流投手じゃない。捕手の気持ちも他の選手の気持ちも考えて行動できる投手こそ一流投手のはずだ、ということを書いていたが、私立五流大学の建築学科(もしくは、住居学科とかそういう類の学科)を卒業しただけで右も左もわからない人間が、自分は「設計」様だと思いあがって勝手放題やってやろうという(株)一条工務店の第一設計部の人間みたいなものは、そんな連中は「一流投手」ではないのです。その程度のこともわかっていない、20代の頃に創業の地である浜松でちょろっとだけ営業だけでしかない天野隆夫はその程度のことも理解できていない人間なのです。程度が低い。こういう話を同社にある程度以上の期間、在籍した営業に話すと、「だ〜から、天野部長の言うことなんて聞いちゃだめでしょ。なにしろ、あれはアタマが薄いんですから。アホの言うことなんて聞いちゃだめだって、まだ、わからないんですか。この会社にいったい何年いるんですか」と言われてしまうのでしたが。しかし、たとえ、アホであっても、それでも、やっぱり、人間、言っていいことと悪いことがあるはずだ。
   もうひとつ、ハウスメーカーの建物というのは、南面と玄関がある面の外観デザインは考えても、北道路でない場合の北面、西道路でない場合の西面のデザインはまったく考えないというものが多いのに対して、「建築家」の建物では(しつこいようですが、あくまでも、前川國男とかそういう「建築家」のことであって、フリーダムアーキテクツデザイン(株) の自称「設計士(さま)」とかいうしろうと未満のことを言ってませんよ)、東西南北、いずれの面の外観デザインも考えられているのが基本であるという点にハウスメーカーの建物と「建築家」の建物の違いがあります。 もっとも、東京文化会館などは、東側に道路があってJR上野駅があり、北面にはル=コルビュジェ設計の国立西洋美術館があり、↑の西側には通路があって、その西に正岡子規球戯場があるというように、東西南北の面が見えるということもありますが、ハウスメーカーの設計担当者に設計させると、「黙って座れば」、北道路でない場合の北面、西道路でない場合の西面は、基本的には外観デザインなんて考えていない場合が多い。

    東京文化会館は、北の国立西洋美術館の側と東のJR上野駅の側に出入口があるとともに、西側にも、大ホールからの出口があって、大ホールでのコンサートが終わった後に、一時に観客が出ようとした場合には西側からも屋外に出ることができるようになっています。 又、東京文化会館を建築として見に行って感動したのは、屋外のコンクリートの柱ですが、「面をとる」という施工をしているのです。 コンサートの後、観客が屋外に一時にでてきてごったがえした時、柱にぶつかっても、角張った所に体をぶつけることがないように、たとえ、柱とぶつかっても、柱には「面をとる」ことがなされていて、怪我しないようにという配慮がなされているのです。 東京文化会館の大ホールには、値段の安い上の方の階で視聴しようとすると、エレベーターもエスカレーターもなかったりして、今の時代においては、物足らない部分もありますが、建てられた時代においては、意匠面だけでなく、そこをコンサート会場として使用する場合の機能の面をよく考えて作られていると思います。
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↑南西側から見た 国立西洋美術館(ル=コルビュジェ設計)。
    東京文化会館を、音楽会に行くのではなく、建築として見に行って、気づいたものがあるのですが、大ホールと小ホールがあるのですが、大ホールは、演台は南側にあり、演奏者は南から北に向かって位置して演奏し、観客は北から南に向かって座って視聴するようにできているのです。 一般に、建物は「もしも、黙って座れば」南玄関とされることが多いのですが、ここでは、東京文化会館は、北側と東側に主たる出入口が設けられ、西側に大ホールからの補助的な出口が設けられているのです。 なぜ、北よりに出入口があるかというと、ひとつには、北側に、東京文化会館よりも先に、ル=コルビュジェ設計の国立西洋美術館ができていたので、それに合わせて出入口は北寄りに持ってきた、ということもあると思います・・・・が、それだけではないのではないか。
    ここは、もともと、寛永寺というお寺の敷地であり、今も、東京国立博物館の北側に、徳川家の廟があり、その北側には、幸田露伴の『五重塔』のモデルである五重塔がかつてあった天王寺などの寺や墓地がある地域であり、そういったことを考えると、この位置の音楽ホールにおいては、演奏者は南から北に向かって演奏し、観客は北から南を向いて視聴するという方が本来であり、そのためには、出入口は北よりに設けるべきであった、ということではないのか。
   東京文化会館にしても、、東京都美術館にしても、それらの音楽ホールや美術館の建物は、かつての寛永寺の伽藍と同様に、お堂が配置されているかのように、上野公園内に配置されているようなところがあります。前川國男という人は、そのあたりもよく考えて設計したということでしょうか。 どう考えても、たまたまそうなった、というものではないと思えます。
※ 東京文化会館HP http://www.t-bunka.jp/
国立西洋美術館HP http://www.nmwa.go.jp/jp/index.html

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↑ 「中央噴水」付近。 台湾フェアというのかをやっていましたので、噴水が見えにくくなっていますが、この中央噴水の付近に、かつては、寛永寺の本堂(根本中堂)があったらしい。
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↑  その背後に、東京国立博物館があり、そのあたりに寛永寺の本坊があったらしい。
見えているのは、渡辺仁設計の本館で、戦中、国粋主義・軍国主義の風潮の時代に「戴冠様式」といって、入母屋の屋根を鉄筋コンクリート造の建物の上に載せたもの。
※ 東京国立博物館HP http://www.tnm.jp/
《ウィキペディア―東京国立博物館》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8

   中央噴水の南側で、西を見ると、上野動物園の入口があり、北西側を見ると、東京都美術館が見えてきます。
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↑ 中央噴水の南側から見た、東京都美術館
東京都美術館は、寛永寺の伽藍のひとつであるかのように、本堂があった場所に西側の位置で、南から入るようになっていて、なおかつ、寛永寺の南の入口から北に進んで本堂があった現在の中央噴水に至る経路の側からの進入路を尊重した造りになっています。
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↑ 中央噴水の南側から見た、上野動物園の入口とその向こうに見える高層の建物。
   今となっては40年近く前、私が高校を卒業する頃、東大の本郷キャンパスは、中に入ると静かで落ち着いた雰囲気であり、夏目漱石の『三四郎』の中で、寺田寅彦がモデルではないかと言われる「野々宮さん」が、「静かでしょう」と、都心にありながら、静かで落ち着いた雰囲気で、学問をするにはこういう所でないといけないと言う、まさにそういう雰囲気があったと思うのですが、最近、東大の本郷に行って見ると、人口密度は特に増えていないと思うのですが、建物密度は大きくなり、また、かつてに比べて高層の建物が多くなって、30年前・40年前や夏目漱石が『三四郎』で描いたような静かで落ち着いた、学問をするにはこういう所でないとという雰囲気はかなり低減してきているように思いました。 それとともに、かつては、東大の本郷キャンパスの中に入ると、その外側の建物は見えなかったのですが、最近では、本郷キャンパスの内部からその外のマンションが見えます。 もうちょっと、そのあたりの景観について規制できなかったのか、と思うのですが、行政機関の担当者は思わなかったのでしょうか。
   それと、同様、上野公園においても、東京都美術館は、上野公園の中にあることから背の高い建物を建てるわけにはいかないということで、地下1階・地上2階の建物として造られたというのですが、残念ながら、上野公園の中央噴水の付近から周囲を見回すと、上野公園の外の建物で背の高い建物が見えて↑、興ざめになってしまいます。

   次回http://tetsukenrumba.at.webry.info/201706/article_8.html 、東京都美術館 そのものを考えます。

☆ 東京都美術館とピーテル=ブリューゲル1世「バベルの塔」展
1.「ピーテル=ブリューゲル1世」とは。屋外燈の高さ http://tetsukenrumba.at.webry.info/201706/article_6.html
2.上野公園内における東京文化会館と東京都美術館 〔今回〕
3.美術館へのアプローチ、「囲う」手法による美術館領域 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201706/article_8.html
4.高さを競う愚か、美術展と音楽会、公立進学校のメリット http://tetsukenrumba.at.webry.info/201706/article_9.html


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