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zoom RSS ショファイユの幼きイエズス修道会(宝塚市)と遠藤周作『黄色い人』。及、慶應タイプのブタ人間。

<<   作成日時 : 2017/06/02 19:49   >>

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[第297回] 日本の教会建築(19)
   兵庫県宝塚市と西宮市の境目付近の宝塚市、阪急 今津線の「仁川(にかわ)」駅から西(山側)に坂を登って行くと、「ショファイユの幼きイエズス修道会」があります。 仁川駅のすぐ南に西から東へ「仁川(にかわ)」という川が流れています(といっても、今回、訪問時、橋から見ると、水はなかったのですが)が、その仁川の南側の山手(西側)に関西学院があり、仁川の北側の山側(西側)に、この「ショファイユの幼きイエズス修道会」がある。
   今回、ここに行ってみたいと思ったのは、何が理由かといいますと、遠藤周作の小説『黄色い人』に登場する教会のモデルがここではないかと思えたからです。 遠藤周作の小説は、本人も意識してそういう書き方をしているのだと思いますが、大変、読みやすい文章です。 又、「短編」か「長編」かというと「長編」の方に属するものでも、それほど長くないものが多い。 文庫本では、『黄色い人』は『白い人』と同じ本に収録されていることが多いようで、題名も先に発表された『白い人』を意識してつけられたのではないかと思われますが、『白い人』とは別の小説です。
≪  おなじ阪神の住宅地でも芦屋や御影とちがい、ここは空気も乾き土地の色も白く、ふしぎに異国の小さな田舎村のような風景をもっていました。 それは武庫川の支流である仁川がそこから流れる、まるい死火山の甲山(かぶとやま)とそれをとりまく花崗岩質の丘のたたずまいのせいでした。 そのためか、昭和七年ごろ故国を離れたカナダ人たちがここに関西学院を創り、赤松の林の中に、秋になると、さまざまの色彩のコスモスが咲く、クリーム色の洋館をたてて住みつきました。
   貴方の天主公教会はこのプロテスタントの学院と川を隔てた対岸にありました。 これら二つの基督教の建物の間に、ずっと後になって、芦屋や御影に住む余裕のない階級が、阪急と当時流行の住宅会社の宣伝とで、いかにも成り上がり者の好みそうな、外観だけは派手な和洋折衷の家を競ってつくったものでした。
   阪急の駅に二年ぶりでおりた時、ぼくはこれら仁川の風景のなかに、子供のころの自分をむなしく探そうとしました。赤松林や白い花崗岩の丘に結びついた幼年時代ではありません。 日本の土地にありながら、にせの異国風景をいかにも小賢しく作り上げた仁川は、黄色人のくせに母や叔母の手によって、貴方の教会の洗礼をうけさせられた自分にそっくりでした。
   だが戦争のためカナダ人が引き上げたこの村は、うつろな老人の顔に似ていました。 川はすっかり耕作地に埋められ、関西学院の異人たちの住んだクリーム色の家は工員の寮と変わっています。 赤松の林は飛行機の燃料に伐採され、黄昏には疲れた声で軍歌を叫びながら足をひきずる男たちが川岸にきまってみられました。・・・・ ≫
( 遠藤周作『黄色い人』 〔 遠藤周作『白い人・黄色い人 ほか二編』1971.12.15. 講談社文庫 所収〕 )
   遠藤周作『白い人・黄色い人 ほか二編』(1971.12.15. 講談社文庫)所収の「年譜」によると、『黄色い人』は、1955年(昭和30年)、遠藤周作が32歳の時、『白い人』を「近代文学」に連載して7月に『白い人』により、第33回 芥川賞を受賞した後、8月に『地の塩』(後に『砂の上の太陽』に改題)を「別冊文芸春秋」に発表、10月に『コウリッジ館』を「新潮」に発表したのに続き、11月に、『黄色い人』を「群像」に発表した、というもののようです。

   西から東に流れて武庫川に合流する仁川の南側にプロテスタントの関西学院があって、北側にカトリックの「天主公教会」があったと『黄色い人』には書かれているのですが、関西学院がどこにあるかは特別に苦労しなくてもわかるのですが、さて、この仁川の北側の「天主公教会」とはどの教会のことか。 地図を見るとすると、西宮市と宝塚市の境目付近ですので、市販の市街地図なら西宮市のものと宝塚市のものの両方を見る必要がありますが、書店で地図を広げて見ても、どちらのものにも掲載はありません。 ヤフー地図ですと、「仁川本部修道院」と書かれた建物群が、関西学院とほとんど同経度で、仁川をはさんで南北に対称くらいの位置にあるのが見えます。 goo地図でも「仁川本部修道院」と書かれています。 もう少し、仁川駅に近い場所に、日本キリスト改革派宝塚教会 があるのも見えますが、日本キリスト改革派 はプロテスタントですから、『黄色い人』に登場するカトリックの「天主公教会」は、関西学院とほぼ同経度で仁川をはさんで南北に対称くらいの位置にある「仁川本部修道院」のことではないか、という感じがします。
※ 《ウィキペディア−日本キリスト改革派教会》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%94%B9%E9%9D%A9%E6%B4%BE%E6%95%99%E4%BC%9A
日本キリスト改革派教会HP http://www.rcj-net.org/

   さて、この「仁川本部修道院」とは、なんぞや? と、「仁川本部修道会」と入れて「検索」をクリックしますと、出てくるのが、「ショファイユの幼きイエズスの修道会」です。 「ショファイユの幼きイエズスの修道会」とは何ぞや? と言いますと、《ウィキペディア−ショファイユの幼きイエズスの修道会》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%A6%E3%81%AE%E5%B9%BC%E3%81%8D%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%BA%E3%82%B9%E4%BF%AE%E9%81%93%E4%BC%9A を見ると、≪ ショファイユの幼きイエズス修道会(略語、EJ)は、カトリック教会の女子修道会。 1859年、レーヌ・アンティエによってフランスのショファイユで創立されて、フランスを中心にカナダ、チャド、ドミニカ共和国等世界各国で福祉、教育で活動している。≫と出ており、大阪信愛女学院はこのショファイユの幼きイエズスの修道会の系列校らしく、他にも系列の学校があるけれども、いずれも女子校のようです。
   「教会」ならば、その教会によっては排他的な教会もあるかもしれないけれども、基本的には「どなたでもお越しください」という場合が多いように思うのですが、しかし、「修道会」となると、俗世間との間に「結界」が設けられるとうかつに出入りはできないのではないのか・・・・。 さらに、もしも、その「修道会」が女子修道会ならば、男子禁制なんてことないか。 もしも、男性がうかつに近づこうものなら、蛇か蠍か何かのように追い払われるなんてことないか・・・・・なんてこと考えましたが、周囲は住宅地であり、普通の人が普通に住んでいる所であって、前の道は公道ですから、道から見えるものを見せてもらったって、蛇よばわり、蠍よばわりされる筋合いはないのではないかいなあ〜あ・・・・なんてことを思い、とりあえず、行って見ました。 ↓
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↑ 「ショファイユの幼きイエズスの修道会」本部修道院。 
(左) 「アンティエの家」  (右奥) 「修練院」
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↑ 「ショファイユの幼きイエズスの修道会」 「修練院」
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↑ 「ショファイユの幼きイエズスの修道会」 「アンティエの家」
左手前の塀に「ショファイユの幼きイエズス修道会」と書かれています。

※ ショファイユの幼きイエズスの修道会 HP http://www.osanaki-iezusu.or.jp/
   兵庫県宝塚市と西宮市の境目付近ですが、ここは宝塚市に所属し、宝塚市仁川高台 という場所にあります。

   「修練院」「アンティェの家」て、何なんだ? というと、
「修練院」とは、「ショファイユの幼きイエズスの修道会」ホームページの「修練院」http://www.osanaki-iezusu.or.jp/shuurenin06/newpage1.html を見ると、シスターになろうという人は、「修練準備期」1年・「修練期」2年・「有期誓願期」6年を経て「終生誓願」をおこなってなるらしく、その場所が「修練院」らしい。
「アンティェの家」とは、≪ 主に黙想会、研修会、会議のために使用しております。創立者の精神が大切にされることを願い、創立者の名前をつけ「アンティエの家」と呼んでいます。 ≫ と出ています。
   仁川の駅から東側は平坦な土地ですが、西側は坂を相当登ります。 関西学院に行く場合は、仁川駅からと甲東園駅からと距離は同じくらいですが、甲東園駅からは坂が急で仁川駅からの方がなだらかな道で行けますが、このショファイユの幼きイエズスの修道会 に行くには相当急な坂をえっちらおっちら登らないと行けません。 せっかく、ここまで来たのですから、「聖堂」の中に入らせてもらうことはできなくても、聖堂の外観くらい見せてもらえないだろうかと思ったりもしたのですが、「修練院」の前に↓のような「案内図」が出ています。↓
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↑ 「通り抜けできませんので、関係者以外の方は立ち入らないでください」と書かれています。
やっぱり、女性の修道会だけあって、ヘビやサソリは入ってはいけないみたいです・・・・・が、でも、俺、ヘビでもサソリでもないんだけど・・・・とか思ったりもしまして、聖堂の見えるあたりまででも行ってはだめかなと思い、もし、誰か人がいたら尋ねてみればと思ったりもしたのですが、「管区本部」の建物に、黒い服を着たシスターらしき女性が見えたので、なんか、苦手だなと思って、帰りました。
   なんで、シスターが苦手なのかといいますと、子供の頃、大阪市東住吉区のカトリックの幼稚園に行っていまして、幼稚園の先生には黒い服を着たシスターの先生とそうでない先生がおられて、私の担任は年少組の時の先生も年長組の時の先生も黒い服を着た人ではなかったのですが、どうも、そのシスターの黒い服を着た人というのが、「こわそう」という印象があったのです。 実際、何かこわいことをされたことはないのですが、なんか、「こわそう」なイメージだったのです。
   もうひとつ、小学校の3年くらいの時、大阪市阿倍野区のプロテスタントの教会の日曜学校にしばらく通っていたのですが、その頃の私は「日曜学校の先生」も「幼稚園の先生」や「小学校の先生」と同じように給料もらって「先生」という職業をやっている人なのかと思って、遠慮もなく、なんだか、勝手なことやっていたような気がします。2年間、行ったように思うのですが、最初の年は、教会の附属の幼稚園の先生をされていたらしい女性2人が先生でしたが、次の年はその片方の方と男性の教会員の方とが先生をされていました。 教会学校なんていっても、実際には、遊び相手になってもらっていたのですが、でも、「教会の先生はやさしい」という印象があったのです。 日曜学校では、『新約聖書』を、日曜ごとに、読む場所を決めて少しずつ読んではいたのですが、幼稚園をカトリックの幼稚園に行っていたこともあって、『新約聖書』というものについて抵抗がなかったものの、たいして、よくわからなかったけれども、印象として、「プロテスタントの教会はやさしい」という印象があったのです。 ところが、「プロテスタントの教会はやさしい」のに対して、「カトリックの教会はこわい」という印象がどうもあったのです。 別に、誰かに「こわい」ことを何かされたわけでもないのですけれども。
   ちなみに、函館のトラピスト修道院では売店でクッキーとか売っているらしいのですが〔当別トラピスト修道院 厳律シトー会・灯台の聖母修道院HP 「トラピストバター&クッキー」http://www.trappist.or.jp/home/Butter.html〕、宝塚市のショファイユの幼きイエズスの修道会ではそれは売ってないみたいです。


   遠藤周作の小説には、遠藤周作自身、もしくは遠藤さんの分身のような人物のお話があり、そういう小説に出てくる話には、実際に遠藤さんが経験したことなのかと思われるものがありますが、一方、『火山』(角川文庫)などは目の前に火山があるある程度大きな街ということで鹿児島がその場所に選ばれたらしく、実際にあった話ではないようです。『黄色い人』にはその教会の固有名詞は出てきません。 仁川を隔てて、プロテスタントの関西学院と南北にちょうど対象になるような場所にあるカトリックの施設となると、このショファイユの幼きイエズス修道会 かなということになるのですが、『黄色い人』に出てくる「天主公教会」には男性がそこに行っており、女性専用の修道会という話ではありません。『黄色い人』は、場所を仁川と設定して作られたものの、教会については具体的にどこという設定はなく、場所から考えると「ショファイユの幼きイエズスの修道会」の場所のようにも思えるのですが、そこに出て来る話は、ショファイユの幼きイエズスの修道会ではなく遠藤さんが子供の頃に通った夙川のカトリック教会などの話などをもとに作られた小説なのでしょうか。
≪ 糸子は、貴方が拘引されたのだと言いました。 私服の憲兵が二人、教会を訪れ、ちょうどXマスの告解をきいていたあなたを外につれだしたのでした。
「あたしは佐伯のこと、知らせに教会に行ったのよ。 門にはいった時、神父さまが憲兵にはさまれて階段をおりてくるところだったわ。 びっくりしている信者たちをみて微笑されているのよ。 まるで・・・・・」さすがに糸子も声をふるわせていました。「まるで御自分の運命を御存知だったみたい」・・・・≫
≪ ミサのあと、私は教会の扉のかげに身をひそめて、信者たちが、私に気づかずに立去るのを待っていた。 平日の朝のミサは冬になってからはめっきり、祈りに来る者も少なくなったが、それでも常連の石田さん、伝道婦兼聖母幼稚園の保姆(ほぼ)のアヤ子さん、島村夫人、石井夫人、むかし私が洗礼を与えたこれらの信者たちは小声で話しあいながら、しばらくの間、教会の前にたっていた。 あの人たちは勿論、私がここにいたことを気づいていたらしい。 なぜなら、彼等はあきらかに私を見ないふりをしていたからだ。 「西宮の刑事が昨日の午後も教会に来たんですよ」 モンペの上に黒いスウェーターをきたアヤ子さんは、縁のない眼鏡ごしに私の方をチラッと眺め、それから、しらけた顔で眼をそらし、石田さんに言った。
「あたしの所にまいりましてね。 お前たち、クリスチャンは陛下を信ずるのか、西洋人の神に仕えるのかと、それはイヤミを言うんでございます。 とにかく、この教会には二人の西洋人がいる。お前たちもクリスチャンと言いながら、何をしているか、わかったもんじゃないって」・・・・≫
   戦中、「お前たち、クリスチャンは陛下を信ずるのか、西洋人の神に仕えるのかと、それはイヤミを言うんでございます。」と、警察はそういう態度をとっていたようだが、そのわりに、最近では、皇族の娘で基督教系の学校に行ったりする人がいるのだが、そういう人って、「陛下を信ずるのか、西洋人の神に仕えるのか」・・・・そこまで考えてないのか・・・・?

   「ショファイユの幼きイエズス修道会」の「ショファイユ」とはどういう意味か。  ショファイユの幼きイエズスの修道会 HP の「修道会について」http://www.osanaki-iezusu.or.jp/shoukai06/shudokainitsuie06/newpage2.htm には、≪ショファイユの幼きイエズス修道会は、1859年(江戸時代)フランスのショファイユで創立されました。≫ と出ています。 フランスの地名らしい。 

   ショファイユの幼きイエズス修道会」仁川本部修道院 の前の道を降りて行くと正面に阪神競馬場が見えます。↓
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さらに進むと、あ! と感動したのは、昔ながらの郵便ポスト♪ ↓
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↑ 1994年のこと、福島県会津若松市に行った時(仕事で行ったんだよ)、おっ! 昔ながらの郵便ポストがある♪ と驚き、うれしかったのだが、東京圏・京阪神圏にはさすがにないだろうと思っていたら、ここにあった♪

   ショファイユの幼きイエズスの修道会 から仁川駅の方に進むと、途中に日本キリスト改革派宝塚教会がある。↓
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↑ 「日本キリスト改革派」とは何ぞや? というと、《1946年 戦前の日本基督教会(日本基督教団の第一部。現在の日本キリスト教会とは別)の中で、南長老教会および中央神学校の信仰を受け継ぐ人たちが中心となって、日本基督教団を離脱した。 創立時のメンバーは、岡田稔、常葉隆興、松尾武、春名寿章らである。創立宣言には「思想と生活に於ける、迷信と無神論を打破して真理の柱なる教会を樹立せんとす。」とある。戦前の教会はその多くが宗教団体法によって国家に従属し、戦争協力と国家神道儀礼を拒絶することができなかった。日本キリスト改革派教会は、『創立宣言』において、そうした罪を「神の御前に深く恥ぢ」、その反省を踏まえて出発した。 》〔《ウィキペディア−日本キリスト改革派教会》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%94%B9%E9%9D%A9%E6%B4%BE%E6%95%99%E4%BC%9A 〕というものらしい。

   なんでも、阪急神戸線の沿線住民のおばさんには、「阪急沿線でも神戸線の方が宝塚線や京都線より上よ」とか思っている人がいるらしいのだ。 自分で勝手に思う分には、「何でも好きに思っておけばいい」のだが。 どこが上かというと、「『いかり』(https://www.ikarisuper.com/ )がある」というのがひとつの理由としてあったのだが、「いかり」も最近では宝塚線沿線の箕面にも京都線沿線の高槻にもできたようだ。 そして、だ。 宝塚線沿線は十三から池田まで大阪府で、京都線も十三から水無瀬まで大阪府なのだが、神戸線は園田から西は兵庫県なのだ。
   橋下徹が、もともと、大阪から神戸にかけては摂津の国としてひとつの地域であったということをいつだったか言っていたがあった。阪神間の神戸までは兵庫県ではなく大阪府の一部分として構成された方が地域の計画を立てるにおいてもふさわしいはずだ、と。今から府県境を変更するというのは簡単ではないかもしれないが、これは実際そういう面はあると私は思っている。大阪平野は北西の六甲山地、北の老坂山地・東の生駒山地・金剛山地・南の和泉山脈と南西側の大阪湾に囲まれた地域であり、それが摂津・河内・和泉の3国で、大和・山城とともに畿内を構成していた地域だったのだが、明治の廃藩置県の際に、猪名川から西が城崎温泉や家島と同じ兵庫県になったのだ。
   兵庫県はいいとしても、そもそも、だ。神戸線沿線でも塚口とか武庫之荘とかはいいと思うのだが、西宮北口から西の神戸線の山側、それに今津線の駅から西側(山側)なんてのは、駅からすぐ坂で、えっちらおっちら登っていかなきゃならない。物好きによくそんな所に住んでるなあ〜あ・・・・て感じすらする。その点、十三なんて、便利ええでえ、ほんま。何年か前に十三のビジネスホテルに泊まってそう思った。子供でもいるなら「郊外」の方が自然環境はいいかもしれんが、大人だけが住んで大阪市内に通勤するなら、十三の駅から徒歩10分未満のマンションなんて最高だなと思った。おミズかお風の店があるじゃないかとか言う人もいるかもしれんが、嫌なら行かなきゃいいでしょ。それを「神戸線が一番よ」とか言って「高級住宅地」とか思い込みたいがために、毎日毎日えっちらおっちら坂を登り降りするというのは、ご苦労なことで・・・て感じがするのだが。また、今津線沿線の住人には「今津線は神戸線の一部」ということにして「神戸線沿線」だと言いたい人がいるらしいが、仁川より北側は宝塚市であって西宮市ではないのであり、小林・逆瀬川となると、宝塚線の清荒神・売布神社なら梅田から宝塚線の急行で一本で行けるところが、西宮北口で乗り換えないといけない(朝は直通の準急があるようだが)。そんなにええ条件ちゃうがなて気もするのだが・・・、しかし、この仁川駅の西側なんか歩いてみると、どっちがいいとか悪いとかいうことではないが、雰囲気が「宝塚線沿線」の雰囲気ではなく「神戸線沿線」の雰囲気ではある。たしかに、「阪急神戸線沿線」の住人の移動範囲と思われる雰囲気はある。

    仁川駅の東側に「仁川学院」という学校があるが、↓
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↑ この仁川学院https://www.nigawa.ac.jp/ も、小学校・中学校・高校とともに「マリアの園 幼稚園」という幼稚園があるらしく、キリスト教系の学校らしい。同校HPの「仁川学院の紹介」では≪ 仁川学院はカトリック・コンベンツァル聖フランシスコ修道会を経営母体としています。 この修道会の創立者であるアッシジの聖フランシスコは重い皮膚病人を抱擁した時に深い喜びを感じ、神から与えられた自分の道を見出しました。・・・・≫と出ている。カトリックの方の学校らしい。

   早稲田大学に行っていた時に信愛学舎https://www63.atwiki.jp/shinai/ に入っていたという伯父が、最後、仁川のこの付近に住んでいた。なぜ、仁川にしたのだろうと思ったこともあったのだが、今津線沿線には小林聖心・仁川学院・関学・神戸女学院とキリスト教系の学校がけっこうあり、そのあたりが気風が合ったということだったか・・・・。

   仁川学院の東に、「水天宮」がある。↓
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「水天宮」というと、東京都中央区にある水天宮を私などは思い浮かべる。関西ではあまり聞いたことがなかったが、水天宮といえば寺か神社かというと神社であるが、ここでは、高野山真言宗の西廣寺という寺とともにあるようだ。
※ 《ウィキペディア−西廣寺》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%BB%A3%E5%AF%BA

   遠藤周作『黄色い人』は、北野高校に入学した高校1年の時に読んだ。 亀井勝一郎『青春論』(角川文庫)に、これから高校に入るとかいう人には、その学校に行っている間にある文学者の作品をすべて読むという計画を実行することを勧めたいといったことが書かれていた。ちなみに、亀井勝一郎『青春論』(角川文庫)は中学校の3年の時に読んだのだが、なぜ、読んだかというと、その頃、1970年代なかば、「高校入試の国語で最もよく出題される文学者」というのが亀井勝一郎だったからだ。 だから、亀井勝一郎の本を何か読まないといけないのではないかと考えて、『青春論』(角川文庫)を読んだのだ。ちなみに、私が高校を卒業した1970年代後半において大学入試の「現代国語」でよく出題される文学者としては、「文学」の分野においては森鴎外、「評論」の分野においては小林秀雄と言われていて、特に小林秀雄『考えるヒント3』(文春文庫)は読んでおくべきと言われ、作家別ではなく作品として読んでおくべきと言われていたのが大野晋『日本語の文法を考える』(岩波新書)で、そして、教学社から発行されていた大学別シリーズの『東大 文科』で国語の学習法として、埴谷雄高と田中美知太郎の本を読んでおくべきとかかれていた・・・・ので、読まないといけないのかと思って、それらの人の著作をかなり読んだが、今から考えてみると、読んで悪いとは言わないが、大学入試に合格するためという点においては、必ずしも読む必要はなかったのではないか、マイナスになるということはないとしても、「コストと利益を比較衡量して」「それに要する時間・労力とどれだけ点数アップが見込めるかという利益とを比較考量して」考えると、あんまり、効率よくないのではないかという気が今はしている。
   亀井勝一郎『青春論』に、これから高校に入ろうという人は、その学校に在学している期間にある文学者の作品をすべて読むという計画を実行することを勧めたいと書かれていたのとともに、高校1年の時、北野高校の現代国語の教諭であった旧姓S野(女。当時、20代前半。北野高校→神戸大文学部卒)が、「現代国語の勉強は、問題集なんかやっても意味はないですから。それよりも、実際に文学者の小説を読む必要があります。 誰か自分がいいと思う文学者の小説をすべて読むという方法、私はこの方法をとっているのですが、これを勧めます。3年になったら本を読む時間はそれほどとれないでしょうから、1年・2年の間にこれをやらないと、3年になってからでは遅いということになります」といったことを1年の最初に授業で言ったのだ。 だから、私は、誰か日本の文学者の小説を「基本的にはすべて」「すべてではないとしても、岩波文庫・新潮文庫・角川文庫・講談社文庫・旺文社文庫あたりで出版されているものはすべて」読むということをやらないといけないと思って、それで、遠藤周作をその作家として選んで読んだのだ。その一冊が『黄色い人』だった。 なぜ、遠藤周作を選んだかというと、遠藤周作というと、『狐狸庵閑話』とか『ユーモア小説集』とかそういうおふざけの文章ばかり書いている作家かと思っていたら、高校の「現代国語」の教科書の最初のあたりに、遠藤周作の『聖書の中の女性たち』から「ヴェロニカ」が掲載されていて、それを読んで、遠藤周作というのはこんな文章も書くんだと感激し、また、なんやらもったいつけまくって内容があるからではなく文章が悪いから読みにくいという作家があるが(開高健なんかはそれだと思う)、遠藤周作の文章は大変読みやすいやさしい文章であり、内容はあっても読みやすいわかりやすいという遠藤周作の文章の書き方を習得しようと考えたからである。
   但し、大学入試というものに対しては、北野高校の国語の教諭であった旧姓S野は「現代国語は問題集なんかやっても意味はないですから」と言ったがそんなことはない。 私は、結局、2年も浪人してしまったが、2浪目には、学燈社から発行されていた『現代国語 難問を解けるようになる本』だったかいう問題集を1年間かけて解くとともに、間違ったものについてはどこを間違えたか・なぜ間違えたか・どうしたら間違えなかったかということを吟味・検討し、その結果、模擬試験における国語の点数は飛躍的に上昇したし、共通一次試験でも国語は悪くなかったし、東大の入試においても、他の科目はさておき、国語に関しては東大の受験生の中でもいい方の成績を取れていたと思う。 むしろ、旧姓S野が言った、ひとりの文学者の作品をことごとく読むというのは、それは、時間があればやって悪いことはないが、いわば、大学の国文学科の学生が卒業論文としてやることであって、大学受験対策としては、まったく効果がないということはないとしても、それほど大きく効果があることではなかったと思う。むしろ、言ってしまうと、旧姓S野の授業は「古文」は一通り学ぶには悪くないとして、「現代国語」の方は、結論を言うと「勝手なことやってるだけ」。
   しかし、ともかく、私は公立の進学校に行って、「高校の勉強は、大学に通るかどうかと別のもの」であり、「高校の勉強は高校の勉強だ」という前提で学んできたので、それで、大学をどこに行くかにかかわらず、数学も物理も国語も世界史も倫理社会も学んできた。 大学入試対策として考えると、もうちょっと入試にある科目に比重を置き、力を抜くものは抜くというようにした方が良かっただろうけれども、しかし、だからといって「高校の勉強は高校の勉強だ」という認識が間違っているとは今も思っていない。
   1970年代なかば、高校の合格発表の後、「Z会旬報」というのを取り寄せたところ、そこに各科目の学習法というのが掲載されていたのだが、「数学」の学習法の中に、読んでおくといい本として、遠山啓『数学対話』(岩波新書)なんてのが掲載されていた。私は、「高校の数学」や「大学入試の数学」とは別に、そういう「数学そのもの」の本というものを、読まないといけないのかと思い、遠山啓『数学の学び方・教え方』・吉田洋一『零の発見』(岩波新書)・矢野健太郎『数学物語』(角川文庫)などを読んだのだが、特に1年の冬休み、『Z会旬報』がそう言うからには、そういう本を読まないといけないのかと思って読んでいくうちに、あ、あ、あと思っているうちに日が経って冬休みが終わりに近づき、これはいかんと思って、冬休みの課題の問題集に手をつけたものの手遅れとなり、冬休みあけの「宿題テスト」のできは散々だったということがあった。実際のところ、「高校の数学」や「大学入試の数学」ではなく「数学そのもの」の本をせっせと読んだら、高校の数学の成績がアップするかというと、アップしない。しかし、だからといって、そういった「数学そのもの」の本なんか読まない方がいいのか、「数学そのもの」の本を読む人間と読まない人間なら読まない人間の方が数学の成績は良くなるのかというと、そうではないのではないか。 そうではなく、「高校の数学」の成績を上げようとしたならば、「高校の数学」をやらないといけないし、大学入試で成功しようとしたならば、「大学入試の数学」をやらないといけないが、だからといって、「数学そのもの」に関心もないという人間と「数学そのもの」に関心があるという人間なら、「数学そのもの」に関心もないという人間の方が数学の成績は良いかというと違うはずだ、というのが「Z会旬報」の「各科目学習法」の「数学」の筆者の認識だったのではないかと思う。
   「現代国語」もまた、実際の大学入試の「現代国語」で出題されるのは、「文学」の分野にしても「評論」の分野にしても、小説や評論の一部分であり、小説全体が出ることはないのだが、それなら、小説全体を読む必要はないのか、というとそうではなく、やはり、小説全体を普段から読んでいるような人間の方が、「現代国語」はできるのではないか、ということは言えると私は考えている。 それにしても、「ひとりの文学者の作品をすべて読む」というそこまでやったら、他の科目の学習時間を圧迫してしまうので、ほどほどにしておいた方がよいと思うし、そのあたりを考えずに無責任なことを言う教諭というのはどうかとも思うけれども。実際のところ、私が高校に入学した1970年代なかば頃は、北野高校や天王寺高校など大阪府の各学区の一番手校は、「小学校型の男女共学」の制度のため、女性はほぼ無試験で入れたのであり、男なら三番手校あたりでも落ちたかもしれないくらいの人が入学していたのであり、そういう人が一番手校に入ってうまくいかない場合もあるが、人によってなんか合ってしまって、その結果、神戸大くらいに行くという人がいたようなのだ。しかし、「男なら高校に入る時点では三番手校くらいに通るか通らないかの人が神戸大に入る勉強法」と、「高校に入学する時点で一番手校に合格できる成績で入った人間が京都大学か東京大学に合格する勉強法」は勉強法が違うと思うのだ。そのあたりを考えると、女性だから北野高校に入れたという人が神戸大に合格する勉強法は、高校に入学した時点の成績のまま3年の終わりまで行って、学年順位のまま合否が決まるならば京大に行けて悪くないという人間が京大か東大に行こうという場合には合わないことが少なくないのだと思う。
   京大や東大の大学入試に音楽や美術はないのだが、それなら、音楽や美術はからきしだめで関心もないという人間の方が京大や東大に通りやすいかというと、そうではないと思うのだ。 大学入試に音楽や美術はないので、音楽や美術の勉強をあまりにも一生懸命やったのでは、入試にある科目の学習時間を奪うことになってしまうが、だからといって、音楽や美術ができない人間の方が京大や東大に通りやすいというものでもないと思う。 この点において、公立進学校と私立6年制新興受験校では、公立進学校は音楽でも美術でもできる人間というのが京大や東大に行くものだという認識が強く、私立6年制受験校の人間には、音楽や美術なんてまったく何も知らないという人間がしばしばいる。慶應大にいやいや入学させられて、あるサークルに在籍した時のことだが、大阪教育大付属高校卒の男と、オペラ『トスカ』について話していたところ、そいつに話をしていたわけではないのだが、たまたま、横にいた東京の開成高校卒で慶應の商学部に入った男Mが、「そんなもの、何の役に立つんだ」と口をつっこんできた、ということがあった。人によっても違いはあるかとは思うけれども、開成高校など私立6年制受験校出身の人間には、大学入試にある科目で大学入試に出題されるものは価値がある、出題されない科目・出題されないものは価値がない、という価値観を12歳から18歳の10代の6年間において観念的に植えつけられているという人がいるのだ。そういうのを見ると、私立6年制受験校というのは、東大あたりにさっさと通った場合にしろ、慶應あたりに行く落ちこぼれにしろ、あんまりいいことないのではないのか、という感じがした。その男は、おそらく、一生、「(オペラ『トスカ』などは)そんなもの、何の価値があるんだ」という認識で人生を送ることになるだろう。そして、別のタイプの高校卒で、やはり、「そんなもの、何の価値があるんだ」と横から口出した者がいたのだ。それは慶應義塾高校卒の男で、要するに、慶應の内部進学の高校の出身者というのは、「この僕は中等部から慶應に行ってるんだぞお。わかってんのかあ。我々、内部進学の人間はおまえら外部の者とは違うんだあ」と講義の最中に叫ばれた黒川行治教授が「小学校から高校までの勉強は害があるんだ。わかってんのかあ」と言われたように、そういう「教育」を受けてきているのです。だから、開成高校卒の人間は「大学入試に出ない」からオペラ『トスカ』は価値がないと判断するのに対して、慶應義塾高校卒の人間は「そんなものは受験勉強だ」ということで「害があるんだ」と判断するわけで、どちらも、オペラ『トスカ』は「害がある」としてしまうのだが、「害がある」か? 私は違うと思うのだ。
   「国語」の学習においても、「ある文学者の作品をすべて読む」というのは、大学入試に対しては、「ほどほどにしておく」ようにしないと他の科目の学習時間を圧迫することになると思うけれども、しかし、中学校から高校にかけての6年間に、そういった文学作品を読んだきた人間と「入試に出ないから価値がない」という観念を叩き込まれてきた人間とでは、その後の人生が違うように思うのだ。
   1980年前後、慶應大の経済学部と商学部、それに文学部では入試に「国語」がなかった。だから、特に、経済学部あたりには、「国語」の勉強をまったくしてきていない人間が多かった。 早稲田大は、理工学部は別として、政治経済学部・法学部・商学部・第一文学部は試験科目も配点も出題傾向もほとんど同じで、合格難易度も大きく違わなかったから、複数学部を受けた人間は「全勝ち」か「全負け」になる可能性は小さくなかったが、慶應大は各学部の試験科目が違ったので、片方に通って他方に落ちるということは十分にあった。その点では、慶應大の入試制度の方が良かったと私は思っているが、しかし、経済学部では優先的に必要とされるのは「数学」と「語学(英語)」の能力で、商学部ではそれに次いで必要と考えられるのは「世界史」か「日本史」であるということで、経済学部は数学と英語、商学部は数学と英語と社会科が世界史か日本史のどちらかを選択というものだったのだが、「国語が試験科目にない」というのは、重要性が低いという判断だったのだろうけれども、文学・哲学や詩などについての教養もなければ関心もないブタ人間を入学させる・・・という結果にもなっていた。昔、東大の総長が入学式で「太ったブタになるのではなく、痩せたソクラテスになれ」と語ったというが、慶應大の入学式では塾長が「ソクラテスにならなくてよい。太ったブタ人間になれ」と挨拶したかというと、それはさすがに言った人は歴代の塾長で誰もないはずだが、しかし、実際問題として、慶應という学校はブタ人間の多い学校である。その原因のひとつとして「法学部以外は入試に国語がない」というのがあったのではないかと私は思っている。(入試の制度は私が受けた頃と今は違っているかもしれない。あくまで、私が受けた頃のことを基に述べている。)
   慶應大に入った年、東京都の日本基督教団に所属しているD教会に何度か行ったことがあったのだが、日吉台学生ハイツに同じ中学校から北野高校に一緒に入り、慶應大の経済学部に現役で入ったSがいて、日曜日、Sが「どこ行って来たん?」ときくもので、その頃、まだまだ、「世間知」がなかった私は、正直に、どこそこにある教会に行って来た、などと言ってしまった、ということがあった。すると、Sが言ったのだ。「アーメンか」と。そして、Sは言ったのだ。「おまえ、創価学会に入ったらどうや」と。いったい、どこからそういう発想が出てくるのかと思ったのだが、Sの頭では、≪ 教会 → 「アーメン」 → 創価学会の類の怪しい団体 ≫という思考だったようだ。こいつ、北野高校卒という割に頭悪いなと思った。こいつ、北野高校卒と言うに値しない男だなと思った。 慶應に行くだけあって、「アタマが慶應」の男だな、と思った。
   私の場合、幼稚園はカトリックの幼稚園に行ったが、それは、その時に住んでいた場所には「生長の家」が経営する幼稚園とカトリック教会が運営する幼稚園の2つしか幼稚園がなかったので、「生長の家」とカトリックではどっちがいいか、ということで私の親はカトリックの方を選んだというだけだった。私はキリスト教の洗礼など受けていなかったし、むしろ、「洗礼」というものを受ければ救われるみたいな認識の人間は嫌いだったのだが、そのあたりはともかく、ある程度以上の高校に行って学んだ人間は、「クリスチャン」でなくても、明治以来の文学作品にはキリスト教の影響があるものが少なくないので、キリスト教の素養というものは身に着けているはずなのだ。Sは北野高校の試験でも現代国語はからきしダメだったと自分で言っていたが、そうだろなと思った。入試に出ようがでまいが、遠藤周作『黄色い人』などは高校までに読んでおくべきものだ、と私はSを見て思った。又、「国語」の勉強してないヤツはあかん、ともSを見て思った。
  (2017.6.2.) 

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ショファイユの幼きイエズス修道会(宝塚市)と遠藤周作『黄色い人』。及、慶應タイプのブタ人間。 哲建ルンバ/BIGLOBEウェブリブログ
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