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zoom RSS 「母の日」に思う。「両親が離婚した」人間というのはエライのか? 大学入試は家族との闘いでもある。

<<   作成日時 : 2017/05/14 04:50   >>

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[第293回]
   1970年代後半、北野高校の3年在学時、その後半のことだ。母が離婚すると言い出した。理由はよくわからない。もっとも、見合いで結婚した父母は今から考えてみると、もともと「家庭内離婚」のような状態だった気もする。父は「わしほどエライ人間はおらんねんぞお」と常に言っている人間だった。「会社っちゅうところでは、わしは特別にエライ人間やねん」と言っていたが、姉に言わすと「あの人が『会社っちゅうところでは特別にエライ人間』なら、世の中、特別にエライ人間だらけやないの」と言っていたが、実際そうだとは思うが「会社のために、会社のために」と毎日毎日言い続けてきたおっさん、そして、自分は「特別にエライ人間」と思いたい、思うことで精神的平衡を保てるという、そういう「ちっぽけ」といえばちっぽけ、「みじめ」と言えばみじめな精神構造のサラリーマンは今もいるのではないかと思う。父は特に戦中世代だったので「撃ちてしやまん」「一億火の玉」「欲しがりません、勝つまでは」「とってちってたあ〜あ」という“ 思想 ”が染みついていた。その世代の人に共通する精神の病ではないかとも言えるが、その世代の人でも、そういった“ 思想 ”を克服している人、感化されずに生きてきた人というのはいる。福沢諭吉は「精神の独立」といったことを言ったわけだが、その時代の「風潮」「流れ」にまったく影響されずに生きるのは簡単ではないかもしれないが、そうであっても、完全にその時代の「風潮」「流れ」に流されてしまう、染められてしまうというのでは、それでは人間として価値が高い人間とは言い難い。特に、ある程度以上の大学に行った人間は、曲がりなりにも、「一流大学」卒の人間、「インテリ」ならば、学問として学んだものと現実の社会との間に「緊張関係」とでもいったものが生じ、そこから、その時代の「流れ」「風潮」に染まり切らない自分自身の思想・考えというものができていくものであり、それが「インテリ」の良いところであるはずだ。 『山猫』『郵便配達は二度ベルを鳴らす』などの映画監督ルキノ=ヴィスコンティは、イタリアの貴族の家系であるが、大学でマルクス経済学などを学び、学んだ内容と自分の存在との間の矛盾を感じ、そこから、映画にも社会に問題提起するような映画が多いとも言われる。革命理論のようなもののことではなく、保守的な学問であっても、ある程度、精進して学んでいくならば、その時代の社会との間に「緊張関係」とでもいったものが生まれて来ることの方が普通であり、そういった中から、その時代の「風潮」「流れ」から「精神の独立」をした人間が確立されるということがある、と思う・・・が、「わしは同志社大学という立派な立派な大学を卒業してます」と自称する父はそんな感じの人間ではなかった。
    で、母がその時に離婚すると言い出したのは、なにゆえなのか、それは今もよくわからない。しかし、いずれにせよ、「離婚したいならしてくれ」と言うのが私の認識だったし、今もそう思っている。 問題は、離婚するかしないかではない。 高校を卒業する時、東大を受けて落ちて浪人した。浪人すると、母は「あんたが浪人したおかげで、離婚できなくなった」と言い出したのだ。なんで、そんなことを言いだすのか? 離婚するにしろしないにしろ、私と関係なく、自分自身の考えでやってくれ、と思ったが、結論を言えば、母は最初から離婚する勇気はなかったのだ、と思う。 父に不満はあったのだろう。それが何だったのかはよくわからない。問題のあるおっさんだというなら、問題のあるおっさんだと思うが、その時、急にそうなったのではない。昔からそういうおっさんだったのだ。 私は、高校3年の時、最も魅力を感じていた大学は京都大学だった。 それを東大に行きたいと考えたのは、家を出たかったからだ。 もう、あの父親と母親とつきあうのは嫌だと思ったのだ。 家を出るためには、とりあえず、「下宿して行く大学」に行く必要がある。そのためには、阪大(大阪大学)では自宅から通える、というより、我が家の近くに下宿して阪大に行く人があるくらいで、高校より近いから、阪大ではだめだ。 京大なら、我が家の近所から京大に行った人はたいていの人が下宿して京大に行っているので、もし、京大に行けば、私も下宿させてもらえるものと最初は思っていたのだが、父は「京大なら自宅から通うものだ。甘ったれとってはいかん、甘ったれとっては」と言い出した。阪急宝塚線の支線の箕面線の駅から阪急で、石橋・十三と乗り替えて、京都線の終着駅の四条河原町まで行ってそこからバスで「百万遍」だかまで行くというのを、毎日往復するのは相当大変で、そんなことをする時間があるなら、その時間になんなと勉強した方が良いのではないかと思うのだが、父は「甘ったれとってはいかん、甘ったれとっては。わしかて同志社に大阪から通った」と言うのだ。 もっとも、結婚する前から父の家庭の近所に住んでいたという母が後に言うには「あの人、同志社行ってた時、ちっとも勉強してなかったじゃないの」というのだが、父は「大学は勉強する所と違うんじゃ、甘ったれるな。大学は勉強みたいなもんする所と違うじゃ」という説で、もともと、大学というものは、東大であれ京大であれ「勉強みたいなもん、するもんと違うんじゃ」という所らしいので、往復するだけで良いので、通学にどれほど時間と労力がかかろうがかまわん、という考え方だったようだ。
   それでは、たまらんと思うと、なんとか、自宅を出る方法となると、選択肢としては、なんとしても、東大に通るしかないことになった・・・・が、今、考えると、ある程度以上の進学校には「仮想受験校」のようなものがあって、その「仮想受験校」に沿ってカリキュラムも授業の内容も中間考査・期末考査や高校の模擬試験の問題もできているように思うのだ。進学校でもなんでもない高校から東大に行くのと京大に行くのとはそれほど難易度は変わらないと思うが、その当時、1970年代後半、京大合格者数は全国1位だったが東大には十数人しか通らない北野高校から東大に行くのは、「仮想受験校 京大」もしくは「仮想受験校 京大・阪大」の高校から東大に行こうというのは、その点で「仮想受験校 京大・阪大」の高校から京大か阪大に行くよりも、「仮想受験校 東大」の高校から東大に行くよりも難易度は高かった、と思う。 せっかく「仮想受験校 京大」の高校に行っているなら、わざわざ、東大に行こうとしなくても、京都大学か大阪大学で良いはずだ、と今は思うが、ともかく、家を出たかったのだ。家を出るためには、東大に行くしか方法がなかったのだ。
   で、高校3年の後半、母が離婚すると言い出した。 なじかは知らねど。 はっきりと理由は言わないから、よくわからない。おっさんに良くないところがあるというなら、あるだろうけれども、その時、突然、出てきたわけでもないだろうし、良くないところのある夫は世の中いっぱいいると思う。 で、ともかく、離婚すると言い出したのだが、それだけではない。 私に「こいつ、東大通ったら、女泣かせよるから合格させてはいかん。勉強すんな、こいつう〜う!」と言って、夜、家で勉強をしていると、箒を持って後ろから叩きにきたり、洗面所にあった電気のブレーカーで私の部屋の所のブレーカーを落として照明がつかないようにしたりした。 なんで、私が関係あるのか、というと、「男だから」と言うのだ。 「こいつ、男やから、女を泣かしよる」と言うのだ。 どうも、父が気にいらないというだけでなく、「パーマ屋の週刊誌」に載っていた、どこやらの誰それが浮気をして嫁はんを泣かせているといった話を読んで、それで、「男」という悪いヤツをやっつけなければならない、と「クリスチャン」としての使命に燃えるようになったらしいのだ。 使命に燃えたのはいいけれども、一般に「悪いことするやつ」というのは、悪者退治をしてやろうと思っても、たいてい、けっこう力を持っていてなかなかやっつけるのは大変だ。 そういう時、「クリスチャン」には「ロバの子の努力」という考え方がある。 イエスさまがエルサレムに入場される時、イエスさまを背中に乗せて運んだロバの子のように、あくまで自分ができることをやればいい、という考え方である。 だから、母は「自分ができること」をやろうと考えたようだ。 「男」という悪いヤツの中でも、自分がやっつけることができる相手をやっつければよい、と。 即ち、母に「やっつける」ことができる「男」というのは私しかいなかった。他の「男」は、うかつにやっつけようとすると反撃くらうおそれがある。母はまず勝てない。それに対して、私は、いくらやっつけても、反撃される危険はまったくない。だから、やっつけても反撃されるおそれのない「男」をやっつけようと考えたようだ。 それで、私がやっつけられることになった。
   もうひとつ、母が行っていた教会に来ていた奥さんで、ダンナが一橋大に現役で入って卒業したという人がいて、その人が「男の人は、大学には浪人して行った人の方がいいですよ。うちの人なんて、現役で一橋に入ったものだから、自分のことをよっぽどえらいみたいに思ってからに」とか言われたことがあったらしい。 だから、母もそれを聞いて、高校3年の時の私に「現役で大学に入ると自分のことをえらいと思いあがった人間になってしまうから、こいつ、浪人させんといかん」とか言い出したのだ・・・・が、今、考えると、その奥さんは、単に、ダンナのことで、少々、愚痴を言いたかっただけかもしれないし、そういう言い回しによって「うちの人は一橋でてるんですよ。それも現役で入ってるんですよお」と自慢したかったのかもしれない。北野高校の漢文の教諭のF尾というおっさん(1970年代後半当時、40代)は、授業中、「お母さんなんかと懇談で話をしますとね。 『東大でたって出世するとは限りませんからね』なんてこちらの顔を見て言われちゃいましてね。 『そうですね』なんて言っちゃったりするんですけどね」などと言っていたのだが、これは、実際にそう言ったお母さんがあったのかどうかわからないが、北野高校のOBに聞くと、結局のところ、彼はそういうことを言うことで、自分は東大出だあ!と言いたいのだ、いちいち、それを言わないとおれない人間なのだ! というのが「通説」だった。そうかもしれない。(ちなみに、F尾せんせえは、遅刻してきた女子生徒がいると、「もう、遅刻しませんということで、指切りしよ」と言って、嫌がる女子生徒に無理矢理、「指切り」させていたが、あれは、当人はセーフだと思ってやっていたと思うが、セーフではない。アウトだ! 「東大でたってセクハラですからね」なんて言っちゃいましてね・・・・。) そのF尾せんせいみたいに、なんか、自虐的なことを言っているような言い回しで、実際は逆に、「うちのダンナは一橋大卒でそれも現役合格なんですよお」と言いたかったのかもしれない・・・・が、そのあたりを読み取れない母は、本気にして、高校3年の時の私に、「こいつ、現役で合格させたら、自分のことをえらいと思いあがる人間になりよるから、浪人させたらんといかん」とか言い、そして、箒でボンボン叩いたり、ブレーカーを落としたり、高校から帰るとインタホンのコードを抜いて鳴らないようにして家に入れてくれなかったりということを必死でやったのだ。
   私が、人間的に謙虚ですばらしい人間だったか思いあがったなっていない人間だったかと言っても、もともと、高校生だから、発展途上の存在であり、まだまだ、どうなるかわからない存在だった。 親なら、自分のためにも人のためにもなる人間に発展・成長するべく協力するべきだと思うが、だ。 いずれにせよ、高校3年の後半になって、自宅で勉強している最中に、「こいつ、男やからやっつけてやらんといか〜ん」「こいつ、勉強すんなあ〜あ」と叫んで背後から箒もって殴りかかるとか、電気のブレーカーを落とすとかそういったことをされるというのは、そのこと自体も応えたが、それ以上に精神的に応えた。
   1浪して大学に入った人間には、「1浪はいいぞお。現役で入った人間は甘ったれてて腹が立つ。2浪した人間は人間がいがんでいる。1浪は人生経験を積み、苦労を経験して人間ができて大人になる。1浪した人間が一番いいんだ」とか勝手なことを言うヤカラが少なからずいる。北野高校3年の時、クラブのOBで私たち3年生の顔を見るとそれを言いまくっていた大阪大学工学部生Sがいて、嫌なヤツだなと思ったことがあった。こいつこそ人間いがんでるのじゃないかと思った。おのれが浪人して阪大に行ったものだから、本音では自分も京大に行きたかったくせに行けなかったものだから、だから「京大なんか行かんでも、阪大の方が勉強できていいぞお。企業は名前を欲しがるから京大の評価が高いけれども、阪大の人間の方が勉強してるぞお」だの、「現役で大学入った人間みると、甘ったれてて腹が立つんや。その点、俺みたいに1浪した人間は受験で苦労して人生経験つんできてるから人間ができてるんや」とかなんとか言いまくって、京大に行けそうな人間を阪大に行かそう、現役で合格できる可能性がある人間を浪人させようとしていたのだが、嫌な奴だな!と思い、1浪で阪大(大阪大学)に行くとあんな人間になるのか?と思ったが、そういう問題でもないように思う。
   慶應大なんかに行くと、もともと、進学校でもなんでもない底辺の高校から、高校卒業時の成績ではたいした大学に行けない人間で、1年浪人してその間に行った予備校とうまく合って慶應大に入った・・・という人間がけっこういた。そういう人間にとっては1浪が基本であり、そういう人間は「1浪で慶應大」というのが世界で一番えらいみたいに思っていた。慶應に行くために浪人したわけではなく慶應なら高校卒業した年に通ったのではないかという私が慶應大に2浪で行くと、そういう男というのは、自分より年上で高校は自分よりずっと上だった高校の人間が同じ大学に来て自分よりも下の学年にいるのがうれしくって楽しくってしかたがない♪らしい。慶應大のあるサークルに在籍した時、千葉市の千葉南高校だか千葉東高校だか千葉北高校だか千葉西高校だかそのどれかだったと思うが、クロマティ高校卒の男から「おまえ、なんで、2浪なんかしたんだあ?」と言われたことがあった。こいつ、自分より年上の人間に「おまえ」などと言うのかとびっくりしたが、さらに「俺なんかは、1浪できっちり入ったんだが、おまえなんかとは違うだ。なんで、2浪なんかするんだあ」と執拗に入ってきて困ったことがあった。不良高校卒の男で高校時代から喫煙の習慣があった、そんな人間、大学に行く必要ないと思われるような男からそういう口をきかれて相当気分を害したものだったが、慶應大学というのはそういうヤカラの行く大学である。私は、そういう不良の行く大学には行かされたくないと思い、だからこそ、小学校の1年から同級生が遊んでいる時も勉強してきたのだが、結果として、そういう不良の行く大学の行かされてしまった。まず、「現役できっちり入った」ならともかく「1浪できっちり入った」という言葉は日本語としておかしいと思ったのだが、Tは、もともと現役では大学に行くような高校の出身でなく、1年浪人で慶應大に行ければ御の字の高校の出身で、そういう男は「1浪で慶應に行った」というのは世界で一番エライ人間であると確信しており、その頃の北野高校では現役で大学に行く人間と1浪で大学に行く人間は半々くらいで2浪以上もいくらかいたという状態だったが、Tの卒業したクロマティ高校は現役で大学に行く人間なんかほとんどなく1浪が普通だったらしい。だから、北野高校を卒業した私などの感覚では、現役と浪人の間では、浪人した人間には「浪人してしまった」という意識があり、「経歴に傷がついた」ような感覚もあったが、大きな違いは現役と浪人の間にあって、1浪と2浪との間は、どのみち浪人しているのであり、1浪した人間が2浪した人間に向かって、「俺なんかは1浪できっちりと大学に入ったんだけれども、おまえ、なんで、2浪なんかしたんだあ。おまえ、おかしいんじゃないのかあ」とか、そういう口をきいたりはしないものだったが、千葉クロマティ高校から1浪して慶應大に行ったような男の場合は、「1浪が普通。2浪はおかしい」という感覚だったらしい。
    又、実際問題として、私は2年浪人してしまったのだが、2浪して業者が実施する模擬試験(高校が実施するものでない模擬試験)なんか受けに行くと、会場に、な〜んか見たことがある顔の人間がいて、お互いに、「あ!」とか互いに言って驚き、「いたよな。たしか、▽▽予備校にいたよなあ」とか言い、自虐ネタに盛り上がったりしたものだが、その際、言われたことがあったのだ。「2浪やろお・・・・。 実は・・・俺。 知ってる? 実は、俺、3浪やね〜ん」て。そう言われると、「先輩!」なんて言うとかえって失礼かもしれないが、なんか、親しみを感じたりもしたものだ。その人が3浪して行きたいと思っていたところに行けたのかどうかは知らない。 しかし、2浪なんかしてしまうと、3浪した人に対して3浪してえらいとは別に思わないが親しみは感じても「おまえ、なんで、そんなに浪人したんだあ。おかしいんだろ」などという口をきくということはありえない話だった。 そもそも、自分だって浪人しているのだから、2浪した人間が3浪した人間を笑うのは理屈が通らないのだが、それは、北野高校あたりから京大か東大あたりに行こうとした人間の話であって、千葉クロマティ高校から1浪で慶應大なんか行くような男にとってはそうではなく、「1浪で慶應」というのは世界で一番エライのであり、そういうクロマティ高校卒の男にとっては現役は異常であり、現役と1浪との間の境目など存在せず、1浪と2浪以上との間に境目があるのだった。
    母は「現役で大学に行くと、自分をえらいと思って思いあがった人間になるから浪人した方がいい」などと言って、後ろから箒でポンポコ叩いたり、襟元を掴んで椅子から後ろに引きずり倒そうとしたりといったことを繰り返したが、千葉クロマティ高校卒のTなんかを見ると、彼は1浪して慶應大に行ったのだが、「1浪で慶應」というのが世界で一番エライと認識していた、その頃の北野高校卒で浪人した人間が、たいてい、「浪人してしまった」という意識でいたのとは対照的に、千葉クロマティ高校卒のTには現役と浪人との間の違いなんかまったく認識していなかったのであり、そんな人間が「浪人したから苦労している」だの「浪人して人生経験を積んだ」だの、「浪人したことで人間が練れて謙虚になった」だのなんてことは絶対にない。慶應大のサークルでは、女子学生を誘って、居酒屋の個室に連れ込み、そこで、そんなことをされるとは夢にも思っていなかった女性に強制わいせつ行為をおこない、それをもって「慶大生らしい思考の柔軟さ」とか「福沢精神」とか「独立自尊」とか、「そういう人間が社会で役に立つ」とか「そういう人間が会社では喜ばれる」とか言う男がけっこういたのだが(「社会で役に立つ」とかいった文句は実際に社会になんらかの貢献をしてから言ってもらいたいものだ。社会に迷惑をかけるようなことをしておいて、勝手なことぬかすんじゃない。このアホ慶大生が!)、そういう集団というのは「慶應の内部進学+クロマティ高校から1浪で慶應大」という者であるケースが多い。 私だって、特に品行方正でもなければ特別に聖人でもないが、いくらなんでも、そんなことをするために小学校の1年から他の同級生が遊んでいる時も勉強してきたんじゃない!・・と私などは思うのだが、彼らはそうではない。クロマティ高校を卒業した後、試験科目が少なく、東大・京大などよりははるかに易しい慶應大の入学試験の問題だけ解けるようにして、なんとかそれに合格して、それでおのれが世界で一番エライみたいに思っている人間なのだ。 私なんかは、特別に品行方正とか特別に聖人とかではないとしても、「そんなことをするために今まで勉強してきたんじゃない!」という矜持があるが、彼らクロマティ高校卒・1浪で慶應大に入った人間は違う。彼らはそういうことをするために1浪して受験勉強して慶應大に入った人間なのである。 だから、母は「現役で大学に行くと自分はえらいと思った思いあがった人間になる。浪人した人の方がいいという」と、その教会に来ていた一橋大現役合格のダンナの奥さんから聞いた話を教条的に信仰して、そして、「こ〜いつう〜う! ぜったいに現役で合格させてたまるかあ〜あ!」と言って、箒でボンボコ叩いたり、服の襟をつかんで椅子から後ろに引きずり倒そうとしたり、といったことを何度も何度も繰り返したが、実際問題として、「現役で大学に行った人間」と「1浪で大学に行った人間」とで「1浪で大学に行った人間」の方が謙虚かというと、そんなことは絶対にない!
    『セブンビューティーズ』という映画があった。『カメレオンマン』という自己主張をできず常にカメレオンのごとく周囲に同化してしまう男が自己主張をするようになるという映画で、日経新聞のコラムに、最近、(小此木啓吾らによる)人間の精神についての本が多く出版されるが、そういった本が出版されるごとに、かえって、人間の精神はぐらつき、本来的な生き方ができなくなっているのではないか、という指摘があり、そこで、映画『カメレオンマン』についてふれられていたことがあり、見てみたいと思い、上映していた映画館を探したところ、『セブンビューティーズ』という映画と『カメレオンマン』をセットで上映していた映画館が東京都内にあって見に行ったことがあった。 その『セブンビューティーズ』という映画の終わり頃、ナチスの時代、スリだかかっぱらいだか詐欺だったかで警察に捕まって留置所に入れられた主人公の男が、同じように入れられていた男に、あんたは何でここに入れられたんだと尋ねたところ、その男が「コミュニスト」と答えたのを聞いて、「バカじゃないか」と罵る場面があった。スリだかかっぱらいだか詐欺だったか忘れてしまったが、そういったことはやり、女たらしは得意としてやるが、この社会のあり方を考えて「コミュニスト」の活動に入ったような人間を見ると、「バカじゃないか」と見る人間というのは、「慶應の内部進学+クロマティ高校卒1浪で慶應大」の人間で構成される慶應タイプの強制わいせつサークル の男ども(及び、その裏返しのような女たち)に共通するものである。 私は、「コミュニスト」にはならなかったが、それを馬鹿にする人間にもならなかった。旧ソ連の詩人で音楽家 ブラト=オクジャワの歌に「紙の兵隊」というものがある。この世を正しくしたいと思って、「紙の兵隊」は自分が紙だということをすっかり忘れて炎に向かって突き進み、そして、焼かれて、後には灰さえも残らない。 「紙の兵隊」とは、第二次世界大戦中、独ソ戦の最中、グルジアのソ連からの独立運動をおこない、「人民の敵」として銃殺されたオクジャワの父親を想って歌われたものらしい。この世を正しくしたいと思って、そして、自分が紙だということをすっかり忘れて炎に向かって突き進んでしまった、そして、焼かれて灰さえ残らないようになってしまった、そういう人間の気持ちなどというものは、「内部進学+クロマティ高校卒1浪で慶應大」の強制わいせつサークルの自称「思考が柔軟な慶大生」「ギャルにもてもての慶應ボーイ」「独立自尊の精神を身に着けている慶大生」「そういう人間が社会で役に立つ」「会社はそういう人間を求めている」と言うタイプの慶應タイプのブタ人間どもには理解できないであろう。〔⇒《YouTube−Булат Окуджава(ブラト=オクジャワ) - Бумажный солдат》https://www.youtube.com/watch?v=NqiYknlH5nI 〕
    あえて言うならば、大学を卒業するまでに3年以上遅れたという人というのは、ごく少数かというと実はそうでもなく、自分がそういう立場になってみると、実はけっこういて、普段はそういったことを言わずに黙っていても、こちらが3年以上遅れで大学を出た者だと知ると教えてくれたりする人がいるのだが、そういう人というのは、ひとにもよるかもしれないが、人間味のある人が多いという印象を私は受けている・・・・が、だから、大学卒業までに(「浪人+留年・休学」で)3年以上遅れた方がいいかというと、そんなことはない。さっさと現役で通った方がいいし、現役で通ったなら、留年するなら大学院の修士課程に進むなり、学士入学で別の学部にもう1つ行くなりした方がいいと思う。
    こういったことを考えていたところ、遠藤周作『わが青春に悔いあり』(1974.10.30.角川文庫 )を読んだところ、まさに、その通りと思うことを遠藤さんは書いていたのだ。
   ≪ ・・・安岡(章太郎)は高知をうけて落ち、わしは広島を二度受けて落第しておるのだワ。
   その安岡と一緒に旅行すると、必ず彼は自分の落ちた旧制高校の校舎をたずねていき、やるせなさそうな面持をするな。この人には自分の体にシラミをはわせ而してそのいた痒さを楽しむというようなところがあるから、あの三月から四月にかけての埃っぽい白々とした季節に、孤独でうすぎたなくて、みじめだった二十数年前のわが姿を、そこ、ここに見つけようとしておるらしく、今は地方大学になっている。それらの旧制高校の校舎の中をトボトボ歩いては立ちどまり、トボトボさまよっては校舎をなでさすり、ウーンと溜息ついたり、吐息を漏らしたりするのであるが、その感じはわしにもわかる。≫
「その感じはわしにもわかる」というが、私にもわかるが、「浪人した人間」といっても、千葉クロマティ高校卒で1浪で慶應大に入ってそれが世界で一番エライみたいに思っていたTなんかには、まず、わかるまい。 そういう「浪人した人」の方が謙虚でいいのか? それは違うように私は思う・・・・が、そんな男がいいと思う女も世の中にはいるようなので、他人のことをどうこう口出してもしかたがないので、似た者同士、仲ようやっとれ!とでも思っておくしかない。
   遠藤さんは、なかなか鋭い指摘をしている。
   ≪ 今でもそうであろうが、浪人一年目ぐらいはまだ家族や先輩も「捲土重来」とか「尺取虫は伸びんがために縮む」などと、その場かぎりの慰め言葉を言うてくれるものだ。ところが浪人二年となるともう、慰めどころではなく苦虫つぶしたような顔をむけられ、三年目ともなれば、誰もかも絶望の表情と白眼とをもってこちらをじっと見るものだ。
     で、浪人の本当の味がわかるのは二年目以後であって、一年ぐらいの浪人生活をやった手合が後年「浪人生活もいいものさ」などと偉そうなことを後輩に言うとるのを聞くと笑止千万である。 ・・・・≫
(遠藤周作『わが青春に悔いあり』1974.10.30.角川文庫)

   『草太いのラフ』というゴルファーの話の漫画が「ビッグコミック」に掲載されていて、一度、終了したが、今、再度、続編が始まっている。 始めの方の話で、ゴルフの大会の予選で、マイト竿崎という元相撲取りで第一人者ゴルファー(もしかして、モデルは元野球選手のジャンボ尾崎?)に機嫌をとるためにマイト竿崎のライバル選手に嫌がらせを続ける「マイト軍団の番頭」田岡というベテランのゴルファーが、草太に嫌がらせばかりやってきたのだが、草太が予選を突破できるかどうか、最後のホール、ここで入れるかどうかで予選通過できるかどうか決まるという場面で、草太と同じくらいの若手のゴルファーで草太に次ぐ得点のゴルファーが、草太が打とうとする瞬間に、ゴルフバックを倒して音を立てて妨害しようとしたのを、それまでさんざ妨害・嫌がらせをしてきた田岡のオヤジが止めるという場面があった。 「気持ちはわかるけどよ。 いくらなんでも、このタイミングでそれをやるのは可哀そう過ぎるんじゃないか」と言って。
   自分が高校生の時には、我が家より条件の良い家庭はいくらでもあるし、特に親が京大や東大に行ったような親の息子・娘というのは親に理解があるので勉強しやすい、受験には有利でうらやましいと思ったが、そうでない親だってあるのだからしかたがないと思ってきたが、何も私が高校3年の時に離婚すると言い出さなくても他の時に言ってくれたっていいような気もしたし、また、離婚するならしてもらっていいし、しないならしないでもいいが、息子を巻き添えにして、「こいつ、勉強すんなあ〜あ」と言って箒でぽんぽこぽんぽこ殴りかかったり、電気のブレーカーを落としたり、帰宅しても家に入れてもらえなかったりと、そういうことをすることないのじゃないかと思ったが、2年の時の担任だった旧姓S野(女。当時、20代半ば。北野高校→神戸大文学部卒)が言うには、「私なんかは、両親が離婚したから。それに対してあなたなんかは恵まれてるから」と言うので、「両親が離婚した」人に比べると、箒でぽんぽこぽんぽこ叩かれるのも、電気のブレーカーを落とされて照明を消されるのも、帰宅してもインタホンのコンセントを抜いて音が鳴らないようにして家に入れてもらえないのも、「両親が離婚した人」なんかに比べれば、そのくらいたいしたことない、「大変めぐまれている」条件だということになるのか、とも思ったのだが、今、考えてみると、それは違うと思う。
   自分自身が大学に進学する子供があっても悪くない年齢になって考えてみると、何があったのか、何が気にいらなかったのかにかかわらず、「いくらなんでも、それをそのタイミングでやるのは、可哀そうすぎる」と思う。何も、その時にやらなくてもいいじゃないか、と思う。
   私は言ったのだ。「東大が気にいらないなら、どこならいいの?」と、母は「そんなこと言ってない」と言って、またもや、箒でぽんぽこ叩きだすのだ。 しかし、「クリスチャン」の世界ではそういうのを「ロバの子の努力」と言って大変価値がある、高く評価される行為とされるのかもしれないが、私はそういうのは卑怯だと思うのだ。「悪いヤツ」をやっつけるのが「クリスチャン」の勤めなのかもしれないが、「男」という「悪いヤツ」をやっつけないといけないと使命感に燃えたとしても、「悪いヤツ」というのはたいてい何らかの力を持っているから悪いことをやって生きていけているのであって、自分がやっつけてもやっつけ返される心配のない相手をぽんぽこぽんぽこやっつけるというのは、それは卑怯だと思うのだ。 私ならいくらやっつけても、やっつけかえされるという心配は絶対にないと思っているようだが、そんなものを勧めるキリスト教会というものが私は嫌いだ。
   そして、浪人したところ、母は言い出した。「あんたが、現役で通らないから、その為に私は離婚することができなくなったんやあ」「あんたのおかげでやあ」とわめき通したのだ。 そして、父も大同団結して、せっかく離婚しようとしたのに、浪人してそれをできなくした「悪いヤツ」をやっつけるべく、母と共同・共闘して、「おまえが悪いねんぞお。おまえが悪いねんぞお。すべて、おまえが悪いねんぞお」と言い続けた。 なんで、そうなるの? その時、私は信じられなかった。なんで、この2人が大同団結できるの? と。 離婚すると言ってたのじゃなかったの? と。 しかし、できるのだった。我が家では。 そういう家庭だった。
   父はそういうおっさんだった。「このわしはな。 絶対に、『悪い』ということはありえない人間やねん」「わしは英雄やねん、わしはあ」〔⇒《YouTube―交響曲 第3番 変ホ長調「英雄」作品55 ベートーヴェン(ロリン=マゼール指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団)》https://www.youtube.com/watch?v=jRxx_PYJaDY 〕と常に言っている男だった。即ち、おっさんが「誰よりもエライえらいエライ人間」「エーユー」(au https://www.au.com/) になるためには、その為には、誰かが「悪いヤツ」「あんたが悪いんや、あんたがあ」とされる人間が必要だったわけだ。そういうおっさんだった。「わしは英雄やぞお。わしはスーパーマンやぞお。わしはキリストやぞお。わしはヒットラー総統やぞお」と毎日毎日言い続けていたおっさんだった。だから、おっさんが「英雄」になるためには、誰かが「悪いヤツ」にならないといけなかったのだ。その後、父はよく口にしたものだ。「わしはな。沈着冷静で、風が吹こうが嵐が来ようが、地震が来ようが、怪獣が来ようが恐竜が来ようがび〜くともしない! ってそういう人間やねん、このわしは、わしはあ、わしはあ。あ〜あ、いらいらしてきた、いらいらいらいらしてきた。 沈着冷静で風が吹こうが嵐が来ようがびくともしない沈着冷静なこのわしがいらいらしてきた。これはあんたが悪いんや。あんたが。人のせいにするなよ、チャンコロ!おまえが悪いねんぞ、チャンコロ! おまえが悪いからいらいらするんじゃ、沈着冷静で常に気持ちの落ち着いた精神の安定したこのわしい〜いがいらいらいらいらしてきたのは、すべてあんたが悪いんや。人のせいにしてはならんぞ、チャンコロ、ひとのせいにしてはならぬぞ、あんたが悪いからわしがいらいらしとるのにからにやなあ。いらいらすることなんて、人間誰でもあることや、誰でも自分で落ち着けるように工夫するもんや、それをできずにいらいらする者がいかんのや、とか言うて人のせいにしようとする、そういう者のことを、心理学では『外罰的性格』と言うねんぞ。わかっとんのんか、わしがいらいらしたら悪いのんはあんたやぞお、ひとのせいにしてはならぬぞ、チャンコロ。チャンコロが悪いねんぞ、チャンコロ!」と毎日毎日、私の鼻の頭を指さして叫んでいた。そういうおっさんだった。毎日、毎日、そういうことを言われ続けてきて・・・、そして、高校時代、最も魅力を感じていた学問だった「心理学」というものが嫌いになった。
   父はともかく、母の方は、もしも、本当に離婚したいのなら、息子が浪人しようがしまいが関係なく離婚すれば良さそうなものだった。私は、離婚してはいかんなんて一言も言ったことはなかった。 もしも、離婚する前に息子に大学に入学してもらいたいと思うのなら、申し訳ないが現役で合格できる可能性が高い所を受けて間違いなく現役で合格するようにしてもらえないかと話すべきだったと思うが、そうは言わなかったのだ。 なぜか。 結論として、最初から、母には離婚する勇気はなかったのだ。 離婚する勇気はないが、しかし、「離婚する」と言いたかったのだと思う。 そして、「離婚する」と言い出すということは、いわば、それは「刀を抜く」ような行為である。 刀というものは、いったん、抜いたなら、抜いた刀で切りかかる(この場合、実際に離婚する)か、それとも、いったん抜いた刀をもとの鞘に納める(この場合、離婚するという話を引っ込める)か、どちらかしなければならない。 母は、刀を抜いても、切りかかる勇気は最初からない人間だったから、ともかく、抜いた刀を鞘に収めるければならなかったのだ。 鞘に収めるには、収める理由が必要だ。そこで、「あんたが浪人したために、離婚できなくなったんやあ。あんたのせいやで、あんたのせいやあ」ということになった。 そういうことだろう。
   そして、私が浪人したのはなんとも好都合だった。「浪人したんやから、もう、行きたい大学の行きたい学部に行こうなどと考えることないやろ。 就職のこと考えて、就職にいい学部に行くのが当然やろ」という主張になった。 「人はパンのためにのみ生きるにあらず」という考え方は父の表現では「甘ったれたヤツ」の考えで、「とってちってたあ〜あ」「会社のために犠牲にな〜る!」「会社のために、会社のために、死んでも働く、死んでも会社のためにささげつく〜す! とってちってたあ〜あ」「木口小平はちんでもラッパをはなちまちぇんでちたあ〜あ!!!」という、そのためだけに生きるべきである、そのための大学学部にとってちってたあ〜あ!!!♪♪♪ ということになった。 私は小学校の1年から、毎日、努力して勉強すれば、行きたい大学の行きたい学部に行ってやりたい勉強をして暮らしていけると思って来たが、浪人したために、「とってちってたあ〜あ!」「どんがん、どんがらがった、ちゃちゃちゃちゃちゃ〜ん♪」(⇒《YouTube- <軍歌>軍艦行進曲(軍艦マーチ)》https://www.youtube.com/watch?v=mTwUiUCO7l0 )の大学に行かされることになってしまったのだ。 これまでの小学校の1年からの努力精進はいったい何だったのかと思うが、ここでだまし取られるためのものだった・・・。
 
   今、母は90を過ぎて、今さら、過去のことを言っても、もうわからない。今さら責めてもしかたがない。しかし、それでも、思わざるをえない。「いくらなんでも、それをそのタイミングでやるのは、かわいそう過ぎるぞ」と。 そして、高校の2年の時の担任の教諭だった旧姓S野礼子(女。当時、20代前半)だが、「わたしは両親離婚したから」と、両親が離婚したということを自慢にしていたのだが、今、それは違うと思う。そもそも、両親が離婚した人間というのは、何かエライのか? 両親が離婚したらその娘はエライのか? 違うと思うのだ。いったん、結婚したなら、離婚することなく「いく久しう」ともに暮らして行く方が好ましいとは思うが、何らかの事情で離婚せざるをえないことになったのなら、その人にはその人の事情というものがあったのだろうからしかたがない。その人が、あるいはその人の両親が離婚したからとしても、その離婚によって何か被害を受けたというのでない限り、特に文句を言う必要はない。しかし、だからといって、「私は両親が離婚したから」とことあるごとに口にして自慢するというのは、それはおかしいと思う。旧姓S野は「私は両親が離婚したから」と何かにつけて口にして自慢するのだが、それを聞いて、「S野先生は、両親が離婚したからしっかりしている」とか言って称賛する他の先生があったのだけれども、高校生の時、そういう話を聞いて、そうかいなあ〜あ・・・・と一瞬、思った時もあったのだけれども、それはおかしいと今は思う。両親が離婚した人というのは、そのこと自体、何かエライのか? そうではあるまい。しょーもないこと、自慢するんじゃねえ!!!
   そして、「いくらなんでも、そのタイミングでそれをやるというのは、ちょっとかわいそう過ぎるんじゃないか」と思うとともに、「両親が離婚した」人というのは、すでに離婚しているのだから、高校3年の後半になって、「こいつ、勉強すんなあ〜あ」と言って、箒でぽんぽこぽんぽこやられるということもなかったであろうし、電気のブレーカーを落とされることもなかったであろう。そういった点では、むしろ、両親があらかじめ離婚していた人の方が、少なくとも、大学受験にはよっぽど条件は良かったはずだ。また、私は、父から「うちは文学部なんか行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」「うちは大学院なんか行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」「うちは工学部なんか行かすような金持とは違います」「医学部のような6年間かかる学部はやめなさい。4年で卒業できる学部にしなさい」「うちは司法試験なんか受けさせるような金持とは違います」「国家公務員は転勤が多いからなってはいかん」「マスコミに勤めるなら、朝日はアカやから勤めてはいかん。毎日もアカやから勤めてはいかん。マスコミに勤めるなら産経新聞にしなさい」「うちは学校の先生になんかならせるような金持とは違います。甘ったれなさんな」「たとえ、学校の先生になるにしても、数学か英語でないと家庭教師のアルバイトができんから数学か英語以外の先生はなってはいかん」と、毎日毎日言われてきたものだ。父は「わしいはやなあ、あんたあに、この仕事につかないか〜んなんて、一言も言うたことはないやろ。わしは、あんたの自由をいつもいつも尊重する人間やね〜ん」と言っていたのだが、たしかに「何にならんといか〜ん」とは言わなかったが、↑のように、国家公務員はいかん・司法試験はいかん・マスコミは産経新聞でなければいかん・文学部はいかん・工学部はいかん・医学部歯学部はいかん・大学院はいかん(ということは大学の先生はいかん、ということになる)・学校の先生(高校・中学校の先生)はいかん、特に数学・英語以外の先生は絶対にいかん! と言っているわけであり、いかんいかんだらけであって、結果として、「てってこっこてっててってらったらったらったらあ〜あ♪」「撃ちてしやまん。一億火の玉。欲しがりません、勝つまでは。木口小平は死んでもラッパを離しませんでしたあ〜あ! 会社のために死ぬほど働く、会社のために死んでもはたら〜く! とってちってたあ〜あ!」しか残らないことになるのだ。それから考えてみると、「私は両親が離婚したから」とか、なんか、しょーもないことを何度も何度も自慢してくださるが、旧姓S野さんは、結局のところ、神戸大の文学部しか行けなかったくせしやがってからに、私なら「うちは文学部になんか行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」と言われる文学部に行かせてもらって、そして、私なら「うちは学校の先生になんか、ならせるような金持とは違います。甘ったれなせんな」という高校の先生で、しかも、「たとえ、学校の先生になるにしても、数学か英語の先生でないと家庭教師のアルバイトができないから、なってはいかん。社会科とか理科とか国語とかの先生は絶対になってはいかん!」と言われてきた、まさにその国語の先生というものに、「私なんかは両親が離婚したから」「うちは両親が離婚して貧乏だったから」とかウソばっかり言いまくりやがって、行かせてもらっていたわけだ。私が「うちは文学部なんか行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」と言われ続けてきた文学部に神戸大しか行けないくせに行かせてもらい、私が「うちは学校の先生になんかならせるような金持とは違います」と言われ続けてきた学校の先生に、それも、「たとえ、学校の先生になるにしても、数学か英語でないと家庭教師のアルバイトができないから数学・英語以外の科目の先生はなってはいかん。社会科とか理科とか国語とかの先生は絶対になってはいかん!」と言われ続けてきた、まさにその国語の先生というものにならせてもらっておいて、な〜にが「うちは両親が離婚したから」じゃ!!! な〜にが「うちなんか貧乏だったから」て、ウソつけ! 文学部に行かせてもらっておいて、それも神戸大しか行けないくせに文学部に行かせてもらっておいて、学校の先生にならせてもらっておいて、国語の先生にならせてもらっておいて、貧乏なわけないだろうが!!!  勝手なことぬかすな!・・・と思うのだが、父は私には「うちは文学部なんか行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」「うちは学校の先生になんかならせるような金持とは違います。甘ったれなさんな」「たとえ、学校の先生になるにしても、英語か数学の先生でなければなってはいかん!英語か数学でなければ家庭教師のアルバイトができません。社会科とか理科とか国語とかの先生には絶対になってはいかん!甘ったれなさんな」と言い続けてきたにもかかわらず、父は、その文学部に神戸大しか行けないくせに行って、学校の先生になって、しかも、数学でも英語でもなく国語の先生になっていた旧姓S野のことを、「あの人は、さすがに北野高校から神戸大に行っただけあってしっかりしてる」とか言って称賛していたのだ。なんで? なんで、そうなるの? おかしいと思えへんか?

   小学校の2年の夏休み、祖母(母の母)と曾祖母(母の祖母)が和歌山県の椿温泉に保養に行く際に、行きに一緒に行って1泊だけさせてもらったことがある。椿温泉から小船に乗って行った所に野生の猿がいる所があった。 そこに行った際、「お猿さん、よく見ておきよ」と言われて見ていたら、小猿に飛びかかられたことがあった。 係の人が「猿は目をじっと見てはいけません」と教えてくれたのだが、言うのが遅い。その時、小学校の2年生といえども、男なのに、女の母の後ろに隠れてしまったのだが、母はとっさに守ってくれたのだ。
   私は小学校の3年の時の学校の視力検査では両眼とも1.5だったのだが、小学校の5年の時から近視になって眼鏡をかけるようになってしまった。小学校の6年の時、度が進んでレンズを作り変えるために大丸百貨店の眼鏡売場に父と一緒に行った時、父はこう言ったのだ。「安〜いのんでええ。どうせ、すぐまた、悪なるねん。やふいのん、やふいのん、やふ〜いのん」と。この人、そんなこと思っているんだと思った。小学校の5年から高校の1年にかけて、毎年のように度が進んでしまったが、母と一緒に行った時は違った。母は「フレームは特に高いものでなくてもいいけれども、レンズは、できるだけ度が進まないように、いいものにしてください」と、母は売場の人にそう言ったのだ。そのあたりが、父と母は違った。そういうことはあったのだ・・・・・が。
   慶應大にいやいや入学して日吉台学生ハイツという所に住んだ時、食堂に桃山学院高校卒http://www.momoyamagakuin-h.ed.jp/ で慶應大商学部に入った I とその連れ2人がいて「慶應の学校の名前さえ出せば女なんかいくらでも手に入る。今度、電車に乗って女子学生がいたら、慶應の学生証を突きつけて『この紋所が目に入らぬかあ』とやってやろうか」と3人で話していたのが聞こえた。程度の低いやつらだとあきれたのだが、この話を私が高校3年の時、「現役で東大に行くと思いあがって女の子を泣かす男になる。こいつ、合格させてなるものかあ」と私に言った母にしたところ、母は「私、そういう人、好き!ものすごい好き! だ〜いすきい〜い!」と言ったのだ。私はそういう男が昔も今も嫌いだ。
   母親というものは、誰もがああいうことをやるのだろうか。 もし、このブログを読んでくださっている方で、高校3年生の息子がいる女性がおられたら、できたら、ああいうことはやらないでもらった方が息子としてはありがたいと思う。
   (2017.5.14.母の日) 

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「母の日」に思う。「両親が離婚した」人間というのはエライのか? 大学入試は家族との闘いでもある。 哲建ルンバ/BIGLOBEウェブリブログ
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