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zoom RSS 東京国立近代美術館「楽家一子相伝の芸術」展他見学【2】+竹橋。茶道と相性が合わない理由

<<   作成日時 : 2017/04/30 22:52   >>

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[第288回]
   「国立近代美術館」は京都と東京にあり、その東京の方、東京国立近代美術館へは東京メトロ東西線「竹橋」駅が最寄駅。 「竹橋」駅というのは、竹橋のすぐ東に駅があるから「竹橋」駅。 その「竹橋」とは↓
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   ↑堀の向こう側が「北の丸」で、左の橋が「竹橋」。 橋の右手の堀が清水堀。 そのすぐ右に首都高速道路「竹橋ジャンクション」があります。
   《千代田区観光協会 竹橋》http://www.kanko-chiyoda.jp/tabid/769/Default.aspx  には、≪橋名の由来は、初めは竹で編んだ橋が架かっていたからと伝えられています。≫と書かれているけれども、小さな堀ではなく、竹でこの堀を渡る橋が作れたのでしょうか。 本来の由来は別にあって、その話は、後から作られたものということはないのだろうか。
   で、よく見ると、欄干は↓
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↑ 縦の棒は、竹のような緑色というのか竹色で、ところどころに「節」を示すと思われる横の線が入っており、又、東西の両端では、上の方の写真のように上の隅に竹の絵が描かれています。

    今回、北の丸公園の東京国立近代博物館で「茶碗の中の宇宙−楽家一子相伝の芸術」展が開催され、上野の東京国立博物館では「特別展 茶の湯」が平成館で開催されているというのを、『最新版 美術展&美術館 2017』(2017.4.30. ぴあ株式会社 ぴあMOOK)で見て、どちらを見に行こうかと悩んだ末、東京国立博物館には行ったことがあるが、東京国立近代美術館にはまだ行ったことがなかったので、今回は東京国立博物館の「楽家一子相伝の芸術」展の方を見学させてもらうことにしました。
    行ってみると、東京国立近代美術館の「茶碗の中の宇宙−楽家一子相伝の芸術」展と東京国立博物館平成館の「特別展 茶の湯」の共通券も販売されており、東京国立近代美術館と東京国立博物館との間を、この展示のチケットを購入すれば無料で乗れるシャトルバスが1時間に1本、運行されていました。
   「茶碗の中の宇宙−楽家一子相伝の芸術」展のチケットを購入すると、同館で開催されている「MOMATコレクション+ブロイヤーの家具」展と少し西にある東京国立博物館工芸館で開催されている「動物集合」展(動物の展示ではなく、動物を題材として工芸品の展示)も見学できるチケットがもらえます。 1日にあんまり何か所も行くと疲れるし、終わってみると、見たのか見なかったのかわからなくなってしまうので、あまり、欲張らずにと思い、私の場合、展示を見るとともに、美術館の建築を見るという趣旨もあるので、今回は、東京国立博物館の「特別展 茶の湯」の方には行かないことにしました。

   考えてみると、今まで、美術館・美術展にはけっこう足を運んだように思うのですが、振り返ってみると、
1. 「企画展」を追いかけるのはくせもの。
(ア)  企画展は混んでいる。 美術館・美術展は、落ち着いて美術作品を見ることができてこそ。 企画展を追いかけると、結果として、人込みに行くことになる。 美術館・美術展というのは、その場の雰囲気を味わうという面もあるように思うのだ。 遠藤周作の『聖書の中の女性たち』の「ヴェロニカ」では、ある美術展で、ヴェロニカを描いた絵を見続ける若い女性がいたのを遠藤周作が見た時のことが書かれている。キリストが十字架につけられる時、ゴルゴタの丘まで十字架をかついで歩かされたイエスが、膝を落として地面に倒れそうになった時、イエスを非難し罵倒する群衆の目を気にすることもなく駆け寄ってイエスの顔を持っていた布でぬぐったという、その女性の名前が「ヴェロニカ」。 キリストの顔に感謝の気持ちが表れ、そして、ヴェロニカが持ち帰った布にはキリストの顔が写っていたという。この話は福音書にはないが、カトリックの方で語り継がれる話のようで、カトリックの教会堂に行くと、「ヴェロニカ」を描いた彫刻を見かけることがある。ロンドンのカトリックのウェストミンスター大聖堂(イギリス国教会のウェストミンスター寺院とは別)にあったように思ったのだが記憶が薄らいでしまった。 そういう「ヴェロニカ」の場面のように、自分がそこで心をとらわれた絵があったならば、いつまでもそこで見続け、味わう・・・というためには、企画展の混雑さは障害になる。 そういう場合、常設展であってこそ味わえるものがあると思うのだ。
(イ)  そして、美術館見学に年に何度も時間をさくことができるならともかく、年に数回行ければいい方というのなら、企画展を追いかけることによって、常設展で相当の作品を展示している美術館があるのに、結果として、すばらしいものがある常設展を見逃すことになる危険がある。
    実際問題として、過去に、上野の国立西洋美術館で開催された企画展を見に行き、企画展のチケットで常設展も見ることができるので、企画展の見学で疲れきったところで、「ちょっとだけのぞいてみようか」と立ち寄ったところ、なんか、ものすごい絵画があって、これはなかなかのものではないかと思って、その作者と絵画の名前を見ると、それは「モネの睡蓮」だったということがあった。 え? ここのそんなものすごいものがあったの? と、その時、気づいたのだが、企画展の方が人がいっぱい来て混雑していたのに対し、「モネの睡蓮」のあたりはガラガラ。 そんなものすごいものがあるのに・・・・と、その時、思った。 ちなみに、 「モネの睡蓮」は、有名だから「ものすごい」のではない、「美術史」の教科書に出ているからすごいのではない。実際、目の前に行って見ると、相当「すごい」のだ。 松方正義の三男という松方幸次郎という人が、西洋美術を志す日本人の若者がいるが、西洋美術を志すならば、本物の西洋美術の優秀な作品を見る機会がないといけないと思って、ヨーロッパで買い求めて日本に持ち帰ったというが、たしかに、「モネの睡蓮」は「美術史」の教科書で見るよりも実物を見ると、たしかに「すごい」という印象を受ける。 松方幸次郎さんが考えたように、たしかに、実物を見る必要があると思った・・・・のだが、それがそこにあるのに、多くの人は企画展にはいっぱい行くのに、常設展には、まばらというのは、なんとも惜しい! と思ったが、ひとのことを偉そうには言えない、自分自身も「モネの睡蓮」を見ずに企画展の方にいってへとへとになってそこに来たのだったのだから。 それ以来、「ゆめゆめ、常設展を軽んずべからず」と認識するようになったのだ。
(ウ)  そして、東京で企画展ばっかり追いかけると、結果として、上野の東京都美術館ばっかり行くことになる可能性がある。 実際、私は企画展ばっかり追いかけるつもりはなかったのだが、結果として、上野の東京都美術館にずいぶんと行ったもので、他にも足を運びたい美術館があったにもかかわらず、なんだか、上野の東京都美術館ばっかり行った、みたいになってしまった。
   前川國男設計の東京都美術館は建物もいい建物だと思うし、企画展でいいものを開催することが多いのだが、それにしても、東京都美術館ばっかり行くというのは、ほかにもいい美術館があるのにもったいない。 また、東京都美術館の企画展はなかなかいいものが多いけれども、実際問題として「混んでいる」のだ。 疲れる。 人込みで苦労して一通り巡り終わったとして、はたして、それが美術館・美術展の正しい鑑賞のしかただろうか? と疑問にも思ってしまうのだ。 それだけ、混んでいる企画展に何度も行って、国立西洋美術館の「モネの睡蓮」を十分に落ち着いて見ていないというのは、どう考えてももったいないのではないようにも思うのだ。
   私の場合、企画展では東京都美術館に行くことが多かったが、これはひとによっても違いはあるかもしれない。 私の志向が東京都美術館が開催する企画展に向いていた、ということもあったかもしれない。
2. そして、もうひとつ。 開催される展示の内容によって、見学者層に違いがある。 「茶道」「茶の湯」関連の展示は私は苦手・・・・というのがある。 今回もそうだった。

    かつて、東京 銀座の百貨店「松屋」(牛丼屋ではない)で、「小堀遠州展」が開催された時、見に行って、なんか、自分とは違うおばさんたちが多いなと感じたのだが、今回も同様のことを思った。 まず、「茶道」「茶の湯」関連の展示は、おばさん・おばあさんが多いのだ。 特に企画展は、平日に行った方が、休日よりはすいているので、その点で、休日は出勤で平日に休みがある会社に勤めた者は平日に行くに限るのだが、平日に行くと、年配の人が多いということは多くの展示であることだが、それだけではなく、「茶道」「茶の湯」関連の展示は、おばさん・おばあさんが多いのだ。
    年齢がおばさん・おばあさんが多いというくらいなら、しかたがないかもしれないが、それだけではなく、私は苦手なのだ、そういう層が。 なんというのか、「けっこうなお点前ですこと、オホホ・・・」みたいな感じ。 それ、ジンマシンがでるのだ。 大学に行くと、高校までは、文化とは何ぞや? 建設的な文化とはどういうものか? 人間が人間としてあるべき姿で生きるためには、文化はどうあるべきか? ・・・・といったことを認識して学んできたはずの人間が、特に、私のように男女共学の進学校を卒業したような者は、それまで、女性とも同じ教室で同じように学んできたのに、人間が人間として疎外されることなく人生を歩むことができるための文化とは・・・・という意識を持って考えてきたはずの女性が、大学に入学すると同時に、「私も、女の子らしく、『お茶』とか『お花』とかやろうと思ったんだけどお〜お」とか言い出したりするわけだ。 なんとも、堕落したというのか、そういう「お茶」とか「お花」とかといった(ついでに、あとひとつ、「着付け」てのも加えて)退廃的な、文化と言えないような文化ではないか? 人民の本来的な生きざまに逆行するようなエセ文化をもって進歩的な文化の創造に置き換えるような行為をしようとする女というのが出てくるわけだ。 もちろん、「茶道」というのはそういうものなのか? と意識して自己をふりかえりながらおこなうのであれば、まだしも、理解できないことはない。 しかし、「俗物との結婚のために。 その1・・・・フランス文学科」「その2・・・・茶道」「その3・・・・お花」「その4・・・・着付け」というのは、女子学生の定番のはずだ(=_=)
    だから、嫌なのだ。 なにより、私自身、そういう女子学生から望まれる俗物男とは違うし、そういう、なんというのか、“最高質の俗物” というのか、なんかそういうのと結婚したがる女というのは、なんか、気持ち悪いし、そういうのとかかわると心が穢れるような気がして嫌だったし。私自身は、どんなに無理をしても、その類の俗物には、やっぱりなれないと思うし。 それは、私が歩きながら、常に耳元で聴こえるようになったロシア民謡「ドビヌーシカ」とは正反対の性質を持つものなのだ。〔⇒《YouTube-SHALYAPIN(シャリアピン) Folk Song 1910 & 1924 Дубинушка(ドビヌーシカ)  ШАЛЯПИН(シャリアピン) 》https://www.youtube.com/watch?v=xeLxsBpzYDg&list=PL6BD5C1249C6F676B&index=3 〕
    進学校の高校で、女性でも京大なりに行きたいと思って励む人というのは、私は共学の進学校に行く者として嫌いではなかったし気持ちの上では応援したい気持ちだったのだが、ところが、「女なんだから、東大なんか行かなくったって」と言われると、「そんなこと言われるならぜったいに行ってやる」というようなそういう女性も嫌いではなかったし、私自身、姉から「あんた、哲学科なんて行ったらお嫁さんになる女の子いなくなるよ」と言われて、「そんなこと言われるなら、絶対、行ったろ」と思ったりもした人間だったから、だから、「女なんだから、東大なんか行かなくったって」と言われて、「そんなこと言われるならずえったいに行ってやる」と思うような女性は「嫌いではない」ではなく、好きだった。 ところが、そういう人が、大学に入ると、簡単に転向してしまって、たとえ、何を言われようが、首をもがれようが、自分が学問として文化としてあるべきものと思うものを追求する・・・という姿勢をドブに捨てて、そのかわりに「お茶」とか「お花」とか「着付け」とかに力を注いでしまう。 なんだったのか、高校までに努力していたあれは? と思うが、そういう、なんというのか、「神への信仰をマモンへの信仰に切り替えた人間」とまでいかないのかもしれないが、「お茶」「お花」「着付け」というのは女性版・俗物・退廃化の三種の神器ではないかと思うのだ。 「フランス文学」の場合、ジャン=ポール=サルトルとかロマン=ロランとかアンドレ=ジッドとかは俗物でなければ退廃化でもないのだが、ところが、現実に「嫁入り道具のために。 その1・・・・フランス文学科」というのがあるわけだ。 サルトルの精神とは正反対の。
   ロシア民謡の「トロイカ」とは、トロイカに乗る男性の客がふさいだ顔をしている、御者の語りかけに応えて言う、きょう、私が愛した娘が嫁に行く、貧乏な私を見捨てて地主の嫁に行くのだ・・・・と。 トロイカは走る、白樺の並木、雪の道をはてしなく・・・・という歌であるが〔⇒。〔⇒《YouTube-トロイカ Людмила Зыкина: Вот мчится ТРОЙКА почтовая 》https://www.youtube.com/watch?v=ODrd6jSYwHQ 〕、「お茶」とか「お花」とか、そして、「着付け」とか、ついでに「(嫁入り道具のための)フランス文学科」とかやる女というのは、それは、「トロイカ」の歌で地主の嫁に行く娘のようなものであって、それを塞いだ気持ちで見送る男の側ではないと思うのだ。 そして、「わしぁ、び〜んぼうやからな」、「わしぁ、日陰の月見草」ということで、私の方は、その「嫁入り道具のために。 その1」「その2」「その3」とかに励む女が嫁になる「地主」の側ではないわけだ。 だから、相当無理をしても、どうしても、肌が合わないわけだ・・・。 「トロイカ」とか「ドビヌーシカ」とかに共感する者には、「お茶」「お花」「着付け」という「嫁入り道具のために。 その1、その2、その3」てのは。慶應の教授なら、「お茶」「お花」「着付け」「フランス文学科」というのが「ガークモン」で、「トロイカ」や「ドビヌーシカ」は「受験勉強の悪影響だ」「そんなものは害があるんだ」とおっしゃるだろうけれども、な。 だから、私は慶應が好きになれないのだ。 「ドビヌーシカ」や「トロイカ」よりも、「嫁入り道具のために。その1、その2、その3 の秘法」の方を好む「えらい人間」というのが。 肌が合わんのだ。 どんなに無理しても。

   何の因果か、住宅建築業に勤め、「お茶」「茶道」「茶室」というものに関知せずにはおれないようになり、茶室・茶道についても学ぶようになり、その関係で、「茶道」「茶の湯」関連の展示も見に行くようになり、また、茶道家の小堀遠州は建築家でもあり、和風の住いを考えるにおいて小堀遠州は無視できない存在でもあり、ブルーノ=タウトさんも高く評価されているわけで、ブルーノ=タウトさんの考えるような小堀遠州などの存在には親しみを覚えるのだが、ところが、「けっこうなお点前ですこと、オホホ・・・・」の方から来る小堀遠州には肌が合わんのだわ・・・・・。 で、「茶の湯」「茶道」関連の展示を見に行くと、私なんかとは肌が合わん方の人が多いように思うのだ。要するに、「トロイカ」に共感を覚えるか、「トロイカ」では「地主」として歌われるような俗物との結婚のために、その1、その2、その3に励むのが正しい生き方だと考えるか、どうしたって、前者の方の私と後者のおばさんたちとは、水と油のような印象を受けるわけだ。
   だから、東京国立近代博物館「茶碗の中の宇宙−楽家一子相伝の芸術」展と東京国立博物館「特別展 茶の湯」の間の無料シャトルバス なんてのに乗ろうとすると、↓
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(↑ 東京国立近代美術館 2階テラスから見たシャトルバス。)
↑ な感じで、あのメンバーの中でバスに乗って行くというのは、どうも、場違いの集団の中にいるような状態になってしまいそうだった・・・・ので、それはやめた。
   1998年、イタリアにアリタリア航空で行った時、アリタリア航空のコピーは「乗った時から気分はイタリア」というものだった。 日本航空とか全日空とかでイタリアに行くと、イタリアに着いた時からイタリアであるが、アリタリア航空でイタリアに行くと、日本の成田とか関空とかでアリタリア航空の飛行機に乗ったその時から「気分はイタリア」だというのだ。 で、常磐交通の高速バスで東京駅から福島県いわき市の「いわき駅」まで行くバスがあったのだが(今もあるかもしれない)、2011年の福島第一原発事故で福島県は浜通りも中通りも大変な状態になってしまったけれども、それより前においては、浜通りも中通りも福島県はいい所で、そして、常磐交通のハイウェイバスは東京駅の八重洲口で「乗った時から、気分は いわき♪」て感じで大好きだった。 それに対して、なんか、↑のシャトルバスというのは、「けっこうなお点前ですこと、オホホ・・・・」の方のおばさんばっかりじゃないのか・・・・て感じで、私とは肌が合わない。 だから、たとえ、東京国立近代博物館のあと、東京国立博物館に行くにしても、「乗った時から、気分は『けっこうなお点前ですこと、オホホ・・・』」よりは、「乗った時から気分は嫁入り道具」よりも、電車で行った方がいい、と感じたのだ。 こんなことを言うのは、そこに来ていたおばさんたちには申し訳ないけれども。 なにしろ、「トロイカ」の歌で歌われる、「地主の嫁に行く娘」が「嫁入り道具のために。 その1、その2、その3」と励むその嫁入りの相手のようなタイプの男か、「地主の嫁に行く娘」に見捨てられて、「わしぁ、日陰の月見草」みたいに「トロイカ」の歌を歌う方のタイプの男かというと、なんといっても、「わしぁ、日陰の月見草」なのだから、しかたがない。

   「慶應ボーイ」(慶應タイプのブタ人間)なら、「けっこうなお点前ですこと、オホホ・・・・」タイプの女と合うのではないかと思う。 私とは合わない。 ロシアの女性歌手 アーラ=プガチョーワが歌った「百万本のバラ」という歌がある。〔⇒《YouTube-百万本のバラ  アラ・ブガチョワ(ヒットの頃) 》https://www.youtube.com/watch?v=zDjotWBFi4Y 〕 貧しい絵描きが女優に恋をした、大好きなあの人にバラの花をあげたい、ある日、絵描きは全てを売って町中のバラの花を買い、女優の泊まるホテルの窓の下にバラの花を敷きました、女優はそれを見て、どこかのお金持ちがふざけたのかと思った、あくる日、女優は別の街へ・・・・・。 そういう歌に共感を感じる人間と、「くっだらない」と思う人間がいるわけだ。 「くっだらない」と思う側、KOボーイの側の人間は、「嫁入り道具のために、その1、その2、その3」の女と合うだろう。 私は合わない。 無理しまくっても合わない。 だから、無理しまくっても合わないのだから、無理してもしかたがないと認識するようになった。 KOボーイには「百万本のバラ」の歌など聴かせるべきではない。「彼らはそれらを足で踏みつけにし、向き直ってかみついてくるであろうから」。
   今となっては、何十年も前になってしまったが、慶應大の「就職ガイダンス」の時、就職部長の教授が檀上で、「この私が」「この私に向かって」と何度も口にされた。 おえらいんですね。 私とは違って。 「お茶」とか「お花」とか「着付け」とかをやる娘というのは、そういう「この私に向かって」「この私が」とか檀上で何千人を前にしてマイクに向かって叫ばれるようなおえらい方の嫁になる娘じゃないのか。 私は「百万本のバラ」とか「トロイカ」とか「ドビヌーシカ」の方を好む人間だから、「この私が」とかおっしゃるような方に嫁入りしたいしたいと思って「嫁入り道具のために、その1、その2、その3」が「ガークモン」だと思って、そんなくっだらないものを本来の学問とすりかえて励む女性は、昔も今も、私とは関係ない・・・・。

   次回、  抹茶・緑茶と茶碗の調和。パブロフの犬みたいな「デザイナー」 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201704/article_9.html

  (2017.4.30.)

☆ 東京国立近代美術館「茶碗の中の宇宙‐楽家一子相伝の芸術」展他見学
1. 国立美術館・国立博物館とは。私の毎日新聞社への思い出 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201704/article_7.html
2. 竹橋。企画展を追いかける弊害。「茶道」と相性が合わない理由。〔今回〕
3. 抹茶・緑茶と茶碗の調和。パブロフの犬みたいな「デザイナー」 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201704/article_9.html
4. 東京国立近代美術館内部、皇居への見晴らし http://tetsukenrumba.at.webry.info/201704/article_10.html
5. 東京国立近代美術館 工芸館(近衛師団司令部庁舎)、乾門 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201704/article_11.html
6・ 毎日新聞社ビルのでっかい土管の中は何? http://tetsukenrumba.at.webry.info/201704/article_12.html

☆ 東京圏の美術館・博物館
東京都
根津美術館(港区)(隈 研吾) http://tetsukenrumba.at.webry.info/201603/article_1.html
新国立美術館(港区)(黒川紀章+日本設計共同体)
1.http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_1.html
2. http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_2.html
3.http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_3.html
サントリー美術館(港区)(「東京ミッドタウン ガレリア」内。 サントリー美術館の設計は隈研吾)
上 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201608/article_6.html
下 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201608/article_7.html
畠山記念館(港区)
1. http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_4.html
2. http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_5.html
3. http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_6.html
パナソニック汐留ミュージアム(港区)
http://tetsukenrumba.at.webry.info/201608/article_4.html
http://tetsukenrumba.at.webry.info/201608/article_5.html

千葉県
千葉市立美術館(千葉市中央区) http://tetsukenrumba.at.webry.info/201307/article_2.html

神奈川県
三渓園内 三渓記念館(横浜市中区) http://tetsukenrumba.at.webry.info/201606/article_4.html


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