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zoom RSS 「会社員型」か「非会社員型」か。親には息子に「所有権」があるのか?―受験生へのエール【7】

<<   作成日時 : 2017/03/29 22:00   >>

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[第279回]
【E】「会社員型」か「反会社員型」か。 及び、ない夢を追わせる父親とそれに加担する高校教諭
   1970年代後半、北野高校の教諭であった旧姓S野(女。当時、20代前半。北野高校→神戸大文学部卒)は、「理科の成績と社会科の成績を比較すると社会科の方が比較的いいから、あなたは文系〔=経済学部=会社員養成学部=右翼反動の学部〕よ」と決めつけたわけで、それで私の父は喜び、「あの人は、女でもさすがに北野高校出ているだけのことはある」「あの人は、女でも、さすがに神戸大でているだけのことはあるわあ」とか言っていたのですが、そのおかげで私は人生を捻じ曲げられ、小学校の1年から同級生が遊んでいる時も勉強してきたのに、キリギリスが遊んでいる時もアリのごとく努力してきたものを、すべてまとめてドブの中に捨てさせられたわけでした。〔日本には、学校でよくできた者はその後も高く評価されるというのはおかしいと、キリギリスを擁護するために、小学校の1年からアリのごとく努力してきた者は極悪人であると言わないと気がすまない人間がいっぱいいますが、それはどうかと思います。〕
   まず、どこの大学のどの学部に行こうとするかは、高校の時のそれぞれの科目の成績だけで決めるものではなく、高校の時のそれぞれの科目の成績がどうかということも考える要素の1つではありますが、それ以外にも、その大学のその学部に行った時、本人がやっていこうという気持ちになれるかどうか、それも考える必要があります。 私の父は、「神さまは大変おえらい方であって、世の中の人間は、自分ではやらずにひとに命令する人間ばっかしでもあかんし、自分では決めずにひとに決められてせっせせっせとやる人間ばっかしでも世の中はうまくいかんわけで、そやからやなあ、賢明なる神さまは、世の中の人間を、わしとかT子さん(父の同盟者である上の方の姉)とかのように、自分ではやらずにひとのことを、ああせえこうせえと決めて命令する階級・民族とやなあ、あんたあのように、自分では決めずにひとに決められたことを、なんでもなんでも、せっせせえっせとやる階級・民族とに分けてお造りになっておるわけや。そやからやなあ、あんたあは、なんでもなんでも、わしいのようなえっらいえっらいえっらい階級・民族に決めてもろうて、それをなんでもなんでも、せっせせっせとやるのがあんたにとって一番の幸せやねん。そやから、わしとかT子さんとかに決めてもろうて、せっせせっせとあんたあは決めてもらうのがあんたのためやねん」といつも言っていたのですが、そのいわゆる「ひとに何でも決められてせっせせえっせとやる階級・民族」の方ではそうは考えておらず、「決めていらんのですけれども」とはっきりと何度も何度も言ったのですが、「のぼせあがるなよ、チャンコロ。つ〜けあがるなよ、チャンコロ! チャンコロの分際でつ〜けあがるなよ。 おまえは常にひとに支配される階級。おまえは常に人に命令されることに喜びを感じる民族である。即ち、おまえはチャンコロでR(アール)!」と、毎日毎日、私の鼻の頭を指さして叫んでいたのでした。
   ですから、「常にひとに命令されるために神さまから作られた階級」「いつでもいつでもひとに服従することに喜びを感じる民族」という私は、「会社のために。とってちってたあ〜あ!」の学部に行かされて、常に「会社のために、会社のために。 撃ちてしやまん、一億火の玉。欲しがりません、勝つまでは!」と号令をかけられるのが、それが私にとっては何よりの喜びであり何よりの楽しみであり、これがこの人間にとっては何よりの幸せでR(アール)と父は思っていたわけであり、そのための学部・経済学部に行って、「とってちってたあ〜あ!」と命令されることが何よりもこの人間にとって快感を覚えることなのでR(アール)! と父は心の底から信じていたのであり、それが何よりも「本人のためや」と思っており、「わしいは、あんたあのためを只管思うて、それで、決めてやあってやあってやあってやあってやってやってやってやっとんねんで。感謝しろよ、チャンコロ。心の底から感謝しろよ、チャンコロ!」と毎日毎日言っていました。
   「ドイツ人」の側では、「チャンコロ」は「常にひとに命令されることに喜びを感じる民族」「いつもいつもひとに服従することに快感を覚える民族」と思っていたようですが、「チャンコロ」の側はそうは考えていなかったのです。 「ドイツ人」は「ゆめゆめ階級の違いを忘れるな」「民族の違いを忘れてはならぬぞ、チャンコロ」と毎日毎日言うのでしたが、その「チャンコロ」の側ではそうは考えず、むしろ、「不忘階級苦(階級の苦しみを忘れるな)」「不忘民族恨(民族の恨みを忘れるな)」と思い、そして、「造反有理(反逆には理由がある。反逆は正しく、抑圧は間違っている)」と考えていたのでした。 そして、北野高校の教諭であった旧姓S野(女。当時、20代前半。北野高校→神戸大文学部卒)は、親に加担するのが高校教諭の処世術と考えていたようで、その点が、高校の教諭というものは、特にその高校の卒業生である者は、その高校の生徒の兄弟のようなものであり、兄弟として、おかしな親に対しては、兄や姉として「それは考え方が違いますよ」とひとことくらい言ってくれてもよいのではないかと「弟」の方では(私の方では)期待したのでしたが、それは期待しても無理な相手に無理な期待をしていたようでした。
   まず、高校の時に、どの大学のどの学部学科をめざそうと考えるかは、高校の時の科目の成績も関係ないことはありませんが、
1. その大学のその学部に行って、その大学のその学部でやっていることを学びたいという気持ちに本人がなれるかどうか。
2. その大学のその学部を卒業した人が、卒業後、どういう進路に進むのか。 どういう職業につくのか、その職業についてやっていくことについて、本人がいいと思えるのか。
この2点は考える必要があります。
   その点、私の父の場合は、「なにかとひとが嫌がることをするのが好きな人間」で「なにかと無理矢理やるのが好きな人間」でしたし、「そういう大事なことは、わしいとかT子さんとかいったドイツ人が決めることやねんでえ。あんたあのようなチャンコロが決めることとは違うねんでえ、わかっとんのんか、チャンコロ。心得違いを起こしたらあかんで、チャンコロ。わかっとんのんか、チャンコロ」と言う人間で、かつ、自分自身にそこまで適切な選択をする能力がある人間かというとそうではないので、その結果、「本人が嫌がることをする」「本人が希望していることと正反対のことをする」と、「父親として命令した」「父親の命令に対して、言うことをきかせた」ということになるので、本人が嫌がれば嫌がるほど、嫌がる方向に行かそうとする男でした。
   もうひとつ、「大学はどこでも一緒や」とか言う人がいるのですが、これは正しくない。 旧型司法試験を受けて弁護士になろうというような人の場合、ともかく、その試験に通れば合格ですから、北野高校のような京大志向の高校からは東大なら通りにくいが京大なら合格できる見通しがあるとか、京大なら合否微妙だが阪大なら通りそうとかいう場合に、そこで1年浪人するよりもさっさと合格できる所に行って、浪人する1年を司法試験受験のための勉強にあてるというのはわかります。 又、北野高校の数学の先生だった某先生は大阪大学理学部数学科卒でしたが、「どうして阪大の数学科に行こうと考えられたのですか」と尋ねてみると、「ぼくは中学校の時から数学科に行きたいと思っていたのだけれども、その時は京都大学数学科に行きたいと思っていたけれども、高校の3年の時の成績を見て、阪大の数学科にしたんだ」と言われたのでした。 その際、「『京都大学数学科』の『京都大学』は接頭語で『数学科』が本体だったんだ」と言われたのですが、その時は「はあん。そんなもんかいなあ」と思ったものの、それから何十年か経ち、「『京都大学数学科』の『京都大学』は接頭語で『数学科』が本体だったんだ」て、それはちょっとカッコつけすぎやろうでえ、「京都大学」なんてそんなかさばったたいそうな「接頭語」あるかいな。 いくらなんでも、カッコつけすぎ! と思うようになったが、「数学科」の方が本体であり、もし、1年浪人したなら「京都大学数学科」に行けたかもしれないとしても、そこで1年使うよりもさっさと行きたいと思う学部学科に行って1年浪人する労力をその学部学科の勉強に注いだ方がよいというのはひとつの考え方だと思います。
   しかし、片方で、北野高校のような京大志向の高校に行っておいてあえて東大に行く必要はないのではないかという考え方はあると思いますし、弁護士のような仕事の場合はともかく司法試験に合格すればなれるわけで、「東大法学部卒の弁護士にろくなのいない」などと言う人もあるくらいで(東大法学部卒の人というのは検事や裁判官に向いているのであって、弁護士には必ずしも向いているわけではないのかもしれない)、あえて、東大に行く必要はないという考え方もあるでしょうけれども、慶應の会計学の教授が講義の中で言われたことですが、慶應の商学部は慶應の経済学部とともに企業を運営する立場になる人を養成している学部であり、その為、商学部だからといって簿記などばっかりやって経済学はやらないというわけにはいかないし、「会計学総論」「会計学」「会計制度論」といった科目は、簿記も扱うけれども、簿記をする人を育成する学部ではなく、企業を運営する人を育成する学部として簿記も扱っているというもので、簿記学校とは違うのに対して、「商学部」という名称の学部でも「簿記学校みたいな大学」もあれば「資格試験予備校みたいな大学」もあるというのです。〔「資格試験予備校みたいな大学」というのは、中央大学のことを言っているのではないかと思います。〕 特に、社会科学系学部の場合、同じ学部名がついていても、そこでやっている内容は違うことが多いようですから、「大学はどこでも一緒や」などと言うのが好きでたまらないという人が世の中にはいますし高校の教諭でもいますが無責任なことを言わない方がいいと思います。
    やっていることにそれほど違いがなかったとしても、京都大学に行こうとしていた人が、それを変更して大阪大学なり神戸大学なりにするというのは、これは本人にとっては相当大きな問題なのです。 私は、2浪しても東大の試験に通らず、慶應大学にいやいやともかく入学しましたが、そうすると、「そんなもの、慶應なんて行っておいて、慶應が嫌だなんて贅沢だ。あつかましい」などと言う人がいたのです。「俺ら、法政でも嫌がらずに行ってるのに」とか言うのです。 私はそういうことを言う人がいた時に思ったのです。法政なんか行くようなヤツ、大学行くな!と。私は、高校卒業した年に東大を落ちた後、父からは「高校は義務教育でもないのに、おまえが高校なんか行ったのは余計じゃ。チャンコロ。甘ったれるな。おまえは本来なら中学校卒業してすぐに働けばよかったんじゃ。チャンコロ、のぼせあがるなよ、チャンコロ。つけあがるなよ、チャンコロ」と毎日言われたものです。法政みたいなものに行って大威張りの人が勤めた職場にもいましたが、この男、頭おかしいのじゃないかと思いましたが、その人にとっては「法政大卒」というのが「ものすごい功績」のような意識だったようです。 東大なり京大なりに行きたいと思って受けた人間というのは、1点差で落ちた人間でなくても10点差で落ちた人間でも20点差で落ちた人間でも30点差で落ちた人間でも、それまで、相当努力してきたはずであり、相当勉強してきたはずであり、ひと回り合格しやすいところを受けておけば合格できたかもしれないけれども、そこまできて簡単に譲れるものではないわけです。それを、「俺ら、法政でも嫌がらずに行ってるのに慶應で嫌だなんて贅沢すぎるわ」とか「俺ら専修でも嫌がらずに行ってるのに慶應で嫌だなんてあつかましいわ」とか言うヤツがゴマンといたのです。一緒にするな! と思いました。義務教育であろうがなかろうが、法政だの専修だの行くようなヤツなんて小学校行くな! と思いました。 いいかげんにせんと、おまえら、殴られるぞお!と思いましたが、彼らは何か悪いことを言ったという意識はないようでした。  実は、知り合いで神奈川大学の工学部に千葉県から行ったやつがおりまして、「神奈川大の工学部に行くなら、千葉工大の方が近くていいのじゃないの」とうかつに言ってしまったところ、「いくらなんでも、千葉工大ではプライドが許さないのじゃない」と母親が言ったわけです。はあ〜あ? と思いました。「神奈川大なんて行くようなヤツにプライドなんてあんのんかい」というのが正直な感想でした。「『プライド』なんてそんなもんがあるのなら、東大でなくても、東京工大でも工学部なら千葉大の工学部でも早稲田大の理工学部でも、せめてそのくらいのところに行けばいいのじゃないか。せめて、そのくらいの所に行く人間が『プライド』とか言うのならわからんこともないが、神奈川大の工学部に行って『千葉工大ではプライドが許さんでしょ』て、何それ・・・・? と思いました・・・が、そういう人がいるのです。そして、そういう人は、東大に行きたいと思って行くことができず、慶應や早稲田では我慢できんという者の気持ちなんて絶対に理解しないのです。
    2011年3月の福島第一原発事故の後、インターネットに動画がでていたものの中で、京都大学原子力実験所の「助教」(かつては「助手」といったものが今は「助教」と言い、「助教授」と言っていたものを「准教授」と言うようです)の小出裕章さんが、京都大学において、定年まで「助教」にされた点について「助教というのは教員の中で最も下の役職であり、誰にも命令する必要がない。こんないいものはない」というようなことを言われ、原子力発電に賛成の立場さえとれば「准教授」にも「教授」にもなれたかもしれないのに定年まで「助教」にされた点について「まったく何の問題もない」といったことを言われていたと思います。 そこで、日本の大学で原子力を本格的に研究している大学は東大と京大と東京工大の3つだけで、そのうち、東大と東京工大は賛成派ばかりで、京大だけが賛成派と反対派がおり、京大でも賛成派の方が出世できる、反対派は定年まで「助教」という扱いになることがあるらしいが、それでも、京大は追い出されることなくそこにいることができる、東大や東京工大では反対派は追い出されるそうで、その点で「破廉恥罪に該当するような犯罪でも犯さない限り追い出されるということはない。京都大学は日本一だと思います」と言われていたことがあります。 原子力の分野に限ったことではなく、他の分野においても、そういったことはあると思います。 私は慶應という学校は「右翼の学校」「反動の学校」であると思って嫌だったのです。 但し、慶應のある教授が言われるには「早稲田の人は、『野人』とか『反骨精神』とか言っていますが、あれは嘘です。 早稲田大学ほど権力志向が強い学校はありません。 独立自尊の精神に欠ける大学で、東大の後ばっかり追いかけている。〔言われてみると、慶應には東大の後を追いかけようという姿勢はない。〕 早稲田の人が『野人』とか『反骨精神』とか言っているのは、あれは相当権力志向が強い大学であるものの、自分の所よりも強い権力志向の大学として東大があって東大にはかなわないものだから、だから、権力志向が強い者が権力にたどりつくことができないその結果として『反権力』だの『反骨精神』だの言っているだけで、もともとは権力志向が大変強い大学です」と言われたことがありましたが、そうかもしれません。 さらに、「きみたち、もっと、大学院に行って大学の教員になればいいんだよ。 数学とか哲学・倫理学とかはなりたいという人間が多いからけっこう難関だけれども、経済学とか商業学とかは経済学部・商学部を卒業しても大学に残らずに会社に勤める人が多いから、経済学部とか商学部の専門科目の教員は比較的なりやすいんですよ」と言われた教授(経済学とか商業学とかが担当ではない)がおられ、「教員養成所みたいな大学でも、経済学とか商業学とかの教員は不足しているくらいなんですよ」と言われたことがあったのですが、その「教員養成所みたいな大学」というのはどこかというと、おそらく、京都大学のことではないかと思います。 昔から、東大のことを「役人養成所」と言い、慶應のことを「サラリーマン養成所」と言うように大学についての悪口というものがあって、中央大学は「資格試験予備校」と言い、そして、京都大学のことを「教員養成所みたいな大学」と言うことがあるように、京大は「アカデミックな学風」とか「反骨の伝統」とか言ってそのあたり魅力的ではありまったく嘘ではないとしても、片方で、結局のところ、学校の先生みたいな人間ばっかり育成している大学じゃないのか(マック赤坂みたいな人間ばっかり育成している大学と違うのか?)みたいな面もあるわけです。
   私の場合、北野高校の1年の時の担任の先生から親が面談で聞いた話では、北野高校の入学試験の時の学年順位では、「もしも、その学年順位のまま3年まで行き、学年順位のまま合否が決まるとすれば京大に行ける」という成績だったけれども、1年の1学期の中間考査は少し悪かったが、「それでも、もし、その学年順位のまま3年まで行って、学年順位のまま合否が決まるとすれば、阪大に行ける」という成績だったらしい。 実際、そんなものだったのではないかと思う。 そういう人間にとっては、京大か東大に行ければいいのだけれども、必ず行けるというものではない。 もし、行けない場合、どうするか。 京大か東大に行きたいと思っていたのを阪大に変更するというのでも、これは本人にとっては相当大きな問題ですが、あえて、そこでこだわって浪人するよりも、浪人したなら通るというものでもないし、さっさと行けそうな所に行った方がよいではないかというのもひとつの考え方ではある。 しかし、早慶でも嫌だが、関関同立ならどうなんだ。地方国立大学ならどうなんだ。 「いいじゃないの。関学なんて簡単に行ける大学じゃないでしょ」とか言い出すおばさんがいます。 おっさんもいます。 でも、そういう人の息子とは立場が違うんですよ。 そういう人の進学する大学を、なんとか「理由」をつけて引きずりおろしてやろうというおっさん・おばはんが世の中にはいっぱいいるわけです。おのれのドバカ息子は浪人させて高校卒業時にはとても行けないような大学に行かそうとしておきながら。
   行こうと思った所に合格できればいいのですが、そうならない時、どうすればよいか。自分でよく考えて決めるしか、結論なんてないのです。 ここで、北野高校のよくない所は「小学校型の男女共学」です。 大学の男女共学は、男でも女でも関係なく、成績の良い人間から合格というもので、「男女比」なんてどうでもいいわけです。私が行った頃、1980年代、慶應は法学部・経済学部・商学部は圧倒的に男が多く、1年・2年のクラスでは女性が3人ほどいるクラスと男ばかりのクラスがありましたが、文学部は男女比は「ほぼ半々」だったようですが、それはあくまで結果として「男女半々くらい」になったのであって、男女比は半々くらいになるように合否を決めたわけではないのです。 それに対して、北野高校など大阪府立高校は、「共学」の高校は男女比がそれほど差がないようにするべきだという考えのもとに、入試の際、男の合格最低点と女の合格最低点は違うのです。 特に、北野高校のような各学区の一番手校は、男はその学区で最難関でも女は受けさえすれば合格の学校だったのです。 その結果、女性の場合、男だったら3番手校くらいでも通ったかどうかわからないという人が入学していたのです。 灘高校卒の人に聞いた話ですが、灘高校は私立なので、毎年、明らかに裏口て感じの人が何人かいるらしいのですが、そういう人が東大に行ったり難関国立大学の医学部に通ったりするかというと通らないそうです。 当たり前ですね。 しかし、北野高校に男だったらまず入れなかっただろうと思えるのに入った女生徒の中には、北野高校の授業・体質と合う人と合わない人があるようですが、なぜか、うまく合ってしまう人がいて、そういう人の中には、京大・東大には行けないとしても神戸大くらいに行く人がいるようなのです。そういう人にとっては、「俺ら法政でも嫌がらずに行ってるのに慶應で嫌だなんて贅沢だわ」とか「俺ら専修でも嫌がらずに行ってるのに慶應で我慢できんなんてあつかましいわ」とかずうずうしく言う男みたいなもので、「私なんか、神戸大ですけれども、大学はどこに行くかではなく、そこで何をどれだけ勉強するかが大事ですから」とか勝手なことを言いおるわけです。 旧姓S野はそれだったと思います。あの女、よくも勝手なことをずけずけとあつかましくも言いまくってくれたと思います。 結論として、旧姓S野は北野高校の卒業生であったといっても、男子学生にとっては卒業生とは見ない方がよい「実質、いかさまの卒業生」だったと考えるべきでした。そこにきっちりと気づいていなかった点は、高校生の時の私にとって落ち度でした。
    慶應の入学金を、いやいや、三田の三菱銀行に収めに行った時、窓口のおねえさんが「おめでとうございます」と言ったのが、なんとも、嫌でした。 ちっとも、めでたくなんかないのに、なんで、そういうことを言われなきゃならんのだと思いました。 嫌味か、こいつ! と。落ちたのはその人が悪いのではないとしても、なんで、この人にそんなこと言われなきゃならないのか、と思いました。 久米正雄の『学生時代』の中に『受験生の手記』という小説があります。 浪人しても東大に落ちてしまった兄が、合格発表を見た後、1つ違いの弟は合格したというのを見た後、どうしたものかと思ったその気持ち。 三菱銀行のねーちゃんは、わからんのはしかたがないとしても、嫌なことを言いやがると思いました。父は「さ〜すがは三菱銀行。ええ社員教育やってる」とか言ってはしゃいでいましたが、そうかな。 それから、何十年か経った今、私は自分が銀行の経営者であったなら、あるいは、支店長であったならどう考えるかという視点で見て、大学の入学金を払うために銀行に来た人間に、銀行の窓口にいる人間は「おめでとうございます」とは言うべきではないと思います。その人間がどんな気持ちでそこに来ているかなんてわからないじゃないですか。うれしい人もいるかもしれないけれども、ちっともうれしくない人もいるでしょうし、「複雑な気持ち」の人間だっているはずなのですから。 「ええ社員教育やってる」などと思うおっさんもいるかもしれませんが、その文句を言われて相手がどれだけ嫌な思いをしているか、ちょっとは考えてみた方がいいと思います。そのあたりを、男だったら3番手校くらいに合格できたかどうかわからない成績で一番手校の北野高校に入学して、なんか、その学校に合ってしまって神戸大くらいに行って卒業して、そして、男だったら北野高校には入学できていないのに、北野高校のOB・OGみたいな顔してえらそうに教諭やってる女には、あの三菱銀行三田支店だったか田町支店だったかの窓口のねーちゃんの文句がどれだけ嫌だったかなんてわからないでしょう。 そういう女でも、男と同じく「卒業生」として扱われてしまう点が、北野高校のよくない所だと思います。

   私は、「撃ちてしやまん。一億火の玉。欲しがりません、勝つまでは」「木口小平は死んでもラッパを離しませんでしたあ〜あ」と毎日毎日言われてきて、そういう大学、そういう学部は絶対に嫌だと思ったし、そういう大学学部でない大学・学部に行きたいと思い、そういう所に行かされないようにと思って、小学校の1年から高校まで努力してきたのです。 ところが、高校の教諭が「撃ちてしやまん。一億火の玉」の側に加担したのでした。
   母は「親には息子に対しては所有権という権利がある」と言ったのですが、「所有権」なんてそんな権利があるでしょうか。 「所有権がある」なんて、そんなこと思って子供を産むのなら、産まなきゃいいのではないか、と思いました。
   1980年前後、慶應は学部によって試験科目が違ったのです。 法学部は数学・英語・国語と社会科が日本史か世界史から1科目選択、商学部は数学・英語と社会科が日本史と世界史から1科目選択。 文学部と江川が「数学と英語は比較的自信があります」と言っておきながら受けなかった経済学部は数学と英語の2科目。医学部と理工学部は数学と英語と理科が物理と化学。 橋下徹が大阪府知事になった頃、インターネットで見ると、右翼橋下のファンらしき人が「橋下徹って、早稲田大学は全学部通ったらしい」とか書いて称賛していましたが、「京大に現役で合格するのが普通」の北野高校を卒業して1浪で早稲田の政治経済学部経済学科に行ったということは、高校卒業時は国立大学を落ちて1浪しても国立大学は落ちて早稲田に行ったということだろうと言う感じで、あんまり、胸張れるものではないのですが、彼がどこに通ろうが落ちようがそれで私が得したり損したりするわけでもないのでかまわないのですが、インターネットで彼を称賛していた右翼の人は、早稲田大学に全勝ちというのはたいしたものだ・・・という感じの書き方をしていたのですが、その頃、早稲田大学は理工学部だけが試験科目は異なり、政治経済学部・法学部・商学部・第一文学部は、いずれも、英語・国語と社会科が日本史・世界史と政治経済だったか地理だったかのいずれか1科目もしくは数学1というもので、早稲田大は理工学部以外のどの学部も試験科目も配点も出題傾向も同じで、難易度もそれほど大きく変わらなかったわけですから、複数学部を受けた場合、全勝ちか全負けの可能性は十分あったわけで、全勝ちしたとしても、それがどうした・・・て感じであったはずです。 (全負けするとショックですが、これも十分ありうることでした。) その点、慶應は試験科目が学部によって異なったので、2つ以上の学部を受けた場合、こちらには通ってあちらは落ちたということがありえました。その方がいいと私は思います。 東大は文科1類・2類・3類が同じ科目と配点・問題で、理科1類・2類・3類が同じ科目と配点・問題。京大も、法学部・経済学部・文学部・教育学部が同じ科目と配点・問題、工学部・理学部・農学部・医学部・薬学部は学部学科によってわずかに違うところもあったかと思いますが大きな違いはなかったと思います。 試験科目が大きく違う場合と、たいして変わらない場合でどういう差がでてくるかというと、試験科目に差がないと、私の親のように、試験の直前になって、「やっぱり、◇◇学部にしなさい」とか言い出す親が出てくるのです。 「どこにするかというような大事な問題は、わしのようなドイツ人が決めるもんやねんで。あんたみたいなチャンコロが決めるもんとは違うねんで」と。 「あんたは、どこにでも行けるだけの点数をとんなさい。そうしたら、わしが決めてやってやってや〜る!」と。 その「ドイツ人」の理屈によって、すべてを奪い取られるのです。同じような試験科目の学部があれば、その中からどこにするのか、「ドイツ人」に決められてしまうことになり、また、「ドイツ人」にはその点数より下の所でどこにするのかを決める権利があり、「チャンコロ」(本人)にはいくらなんでもそんな所では納得するわけにはいかないと主張する権利はないと、「ドイツ人」は思っとるわけです。

    私の場合、父親を見ていて、一番嫌な職業というのは「会社員」でした。 「とってちってたあ〜あ。」「欲しがりません。勝つまでは」「会社のために、すべてをささげつく〜す!」「会社のために、犠牲になりたい犠牲になりたいなりたいなりたいという気持ちい〜い!」と毎日毎日、言われてきて、小学校の1年からキリギリスが遊んでいる時もアリは勉強してきたのに、なんで、「会社のために」それを捨てなければならないのか、なぜ、「会社のために」それを犠牲にしなければならないのか。 とても、我慢できるものではありませんでした。
    そのあたりを、実際に会社に勤め、(株)一条工務店にて、「自分の父親を見ていて、会社員だけは嫌だと思いましたね。 だから、大学院に進んで大学の研究者となって大学に勤めるか、教員の資格を取って先生として高校か中学校に勤めるか。 司法試験に通って裁判官となって裁判所に勤めるか。 弁護士になって法律事務所に勤めるか。国家公務員1種試験に通って◇◇省という役所に勤めるか。労働基準監督官の資格を取って労働基準監督署に勤めるか。地方公務員の試験に通って都道府県庁とか市役所とかに勤めるか。公認会計士の試験に通って会計事務所に勤めるか。 ともかく、『会社』でない所に勤めたいと思いましたね」と言うと、同じ営業所にいた親が学校の先生だったらしい人が「俺とは逆だなあ」と言ったことがありました。 その人は、逆に、親が学校の先生だったので、学校の先生よりも会社員の方がいいと思ったらしい。
    公務員の場合、「行政職」であれば、大学の学部で一番関係が深いのは法学部ではないか。 「技術職」というのか、たとえば、建築指導課とかそういう部署の場合、法学部ではなく建築学科とか土木学科とかを卒業して「技術職」の試験を受けてなる人が多いと思う。 「理科の成績と社会科の成績を見比べると社会科の方が比較的よいようだから、あなたは文系(=経済学部l、右翼反動の学部、ブタ商人の学部。「会社のために犠牲にな〜る」という学部)よ」と決めつけるのはおかしい。 逆に、大学を卒業後、勤める職種・業種、業務形態から「逆算」して考えるという思考も必要だと思う。

    もっとも、今から考えると、私の場合、公務員は無理だったかとも思う。 なぜなら、高校までは「高校は勉強するために行くところであって、体育するために行くところではないはずや」と言って、1限目が体育だった場合、「1限目は行かなくてよろしい」と言って行かせてくれない親で、いわば、息子を「フォアグラ」のようにすれば成績が上がると考えていたようだが、逆に、ともかく、いったん、「大学」に入学すると、「肉体労働、肉体労働」「甘ったれとってはいかんぞ。チャンコロ。甘ったれるなよ」と言って「肉体労働」のアルバイトを「決めてきた」と決めてくる親で、「大学は勉強するところであって、そんなにアルバイトばっかりやっていては勉強できない」などと言うと、「甘ったれるな、チャンコロ。大学は勉強する所と違うんじゃ。チャンコロ。大学は勉強みたいなもん、する所とは違うんじゃ。 アルバイトを嫌がるというのは、それは、モラトリアム人間(病)という病気であ〜る。 慶應大学の小此木啓吾先生もおっしゃってる。病気は治さんといかん。アルバイト、あるばいとお、アルバイトお、あるばいとお。とってちってたあ〜あ。とってちってたあ〜あ。とってちってとってちってとってちってたあ〜あ。肉体労働、肉体労働、肉体労働、肉体労働! とってちってたあ〜あ」と言われ続けることになった。 そうなると、試験に合格した上で面接となる国家公務員・地方公務員は無理だということになる。 「会社のために」「とってちってたあ〜あ」の学部に行って「会社のために犠牲にな〜る」という人生を送らず、慶應大の医学部なんか行った小此木啓吾こそ「モラトリアム人間(病)」であろう。 あの男、殺しても殺したりない・・・と思うが、小此木の野郎、もう、死んでしまった。
    父は「大学は勉強する所と違うんじゃ。甘ったれるな。チャンコロ。甘ったれるな」と言うのだが、何をする所かというと「あるばいとぉ、アルバイトぉ。あるばいとぉ、アルバイトぉ」と言うのだ。 夏休み、箱根の保養所で2カ月間泊まり込みで「雑務」のアルバイトをした後、後期が始まってすぐ、少人数の科目で、助教授が「夏休みは何をやってたか」ときかれ、ずっと箱根の保養所で泊まりこみで「雑務」をやっていましたと言うと、「きみ、そんな、保養所の下男みたいなもの、やっていたのでは、勉強できんだろ」と言われたということがありました。 その保養所に来ていた玉川大の学生からは「こんな仕事、慶應の学生がやるなんて、普通は思わないじゃないの。なんで、こんな所に来るの?」と言われたし、他の職場でも、行った先、行った先で、「なんで、慶應の学生がこんなアルバイトなんてやるのお? 」と言われ続けたが、父は「甘ったれておってはならぬぞ、チャンコロ。つけあがってはならぬぞ、チャンコロ。 肉体労働、肉体労働、肉体労働。 とってちってたあ〜あ。とってちってとってちってとってちってたあ〜あ」と言い続けた。
   どうも、父は大学の学費と生活費を出すのが嫌だったようなのだが、それならそれで、先に言ってほしかった。 たとえば、防衛大学とか防衛医大とかは、「大学」ではなく「大学校」で、「大学校」の学生である時から公務員の扱いで給料がもらえる。 自治医大は「大学校」ではなく「大学」だが、全寮制で学費はタダ、寮費もタダ。卒業すると僻地の病院に何年か勤務することが条件だが、逆に考えると、卒業後、仕事がなくて求職活動に苦労することもないわけだ。 そういう大学・大学校を目指すという方法もあったわけだ。 防衛大・防衛医大は入試の難易度は易しくないので必ず通るものでもないし、自治医大もけっこう難しい上、全国の自治体が運営母体で、実質、公立とはいえ、「私立」という分類で試験科目も私立型、数学と英語と理科が物理と化学だったと思うので、全科目均等主義の京大型を志向の北野高校の生徒には必ずしも有利とは言えない大学だったが、そういう大学を目指すという選択肢もあった。 もっとも、そうなると、私が浪人中、「歯医者はもうかる」という話をどこやらで聞いてきた父は「歯医者、もうかるらしいで。あんた、歯学部に行きなさい」と、突然、言いだしたことがあり、「はあ〜あ????」と思ったことがあったが、そう言うからには6年行く大学でもいいと思っているということだろうと思っていると、そのうち、「医学部なんて6年行く必要ががる大学はやめなさい。4年で卒業できる所にしなさい」と言い出したので、またもや、「はあ〜あ???」と思ったことがあったが、そういう親だったので、たとえ、学費・寮費がタダでも自治医大は我が家は無理だったでしょう。
   父は「わしいは、あんたにやなあ。 何学部でないといかんとか、どういう仕事につかんといかんとか、そんなこと、ひとことも言うたことないやろ。 わしはそういう人間やねん。ひたすら、息子の自由を尊重している、聖人やね〜ん」と言っていた。 たしかに、「何にならんといかん」とは言わなかった。 しかし、「うちは大学院に行かすような金持ちとは違います」「うちは学校の先生にならすような金持ちとは違います」「うちは工学部なんか行かすような金持ちとは違います」「医学部なんて6年間かかる大学はやめなさい。4年で卒業できる大学にしなさい」「文学部なんて女の子の行く学部に行くことありません。甘ったれてはならぬぞ、チャンコロ」「マスコミに勤めるなら産経新聞にしなさい。朝日はアカやから勤めてはいかん。毎日もアカやから勤めてはいかん。産経がええ、産経が」「司法試験を受けて裁判官や弁護士になるなんて、うちは司法試験浪人させるような金持とは違います。甘ったれなさんな。現役で通ればいいなんて言っても通る保証がない以上は認められません」「公認会計士もおんなじや」「国家公務員は転勤が多いからなってはいかん。わしはあんたにやしのうてもらわんといかんのやからな。やしのうてもろうて、あんたに世話してもらわんといかんのやから、国家公務員みたいな転勤の多い仕事はついてはいかん」と言いまくったわけで、結局、「会社のために。撃ちてしやまん。欲しがりません。勝つまでは。とってちってたあ〜あ。すべてを、会社のために犠牲にす〜る。会社のために犠牲になりたい犠牲になりたいなりたいなりたいという気持ちい〜い」という職業しか残らないことになるわけで、学部としては経済学部(及び、商学部、経営学部)しか残らないことになり、「会社のために犠牲にな〜る」というカスの人生を送るしか選択肢はないことになるのです。

   父はそういう人間でした。「この女と結婚しようと思うたら、その女とつきあう前にわしのところに連れて来い。 よもや、わしに無断でどこぞの女とつきあうような甘ったれた真似はしてはおらんやろうなあ」と言っていたのです。 「つきあう前に、わしの所に、『この女とつきあおうかと思うのですが、よろしいでしょうか』とお伺いを建てなさい。そしたら、『ええ』とか『あか〜ん』とか、わしが決めたるわ」と言うのでした。 「決めていりませんけれども」と言うと、「何を言うとるんじゃ。甘ったれるなよ、チャンコロ。 そういうのは大事な問題やぞ、大事な問題。そういう大事な問題は、おまえが決めるのとは違うねんぞ、わかっとんねんやろうなあ、チャンコロ。そういう大事な問題は、わしとかM川先生(父の親友の医者屋)とかT子さん(兄弟の中で父が一番気に入っている上の姉)とかいったドイツ人に決めてもらうもんやろうが。 チャンコロが決めることとは違うねんぞ、チャンコロ」と言っていました。「もしくはやなあ。 あんたが何人か、女を用意しなさい。 そんで、その何人かの女をわしの所に連れていらっしゃい。そしたらやなあ。その中から、わしが『こいつがええ』て決めたるわ。 もし、その中にええのがおらんかったら、『みんな、あか〜ん』て言うたるから、そしたら、また、あんたが何人か女を用意しなさい。そんで、その中にもまたええのがおらんかったら、『みんなあか〜ん』て言うたるわ。 そうやって決めたらええ」と言うので、「決めていりませんけれども」と言ったのだが、「のぼせあがってはならんぞ、チャンコロ。 そういう大事なことは、わしとかM川先生とかT子さんとかのドイツ人に決めてもらうもんやろうが。わしとかM川先生とかT子さんとかM尾さん(父の部下で父のおかげで昇進させてもらったらしい人)とかのドイツ人に決めてもらうもんであってやなあ、あんたあみたいなチャンコロが決めることと違うねんで、チャンコロ。わかっとんのんか、チャンコロ。わしとかM川先生とかT子さんとかM尾さんとか、そういうドイツ人でなんといっても謙虚な人間に決めてもらうもんやろうが、チャンコロ。のぼせあがるなよ、チャンコロ。ええかげんにせえよ、チャンコロ」と言い続けていました。
    慶應大学の1年の時、担任だったK先生(女性)は、女性でも「おとこぎ」のようなものがあるような人で、私に、「お母さんは味方になってくれるかもしれないよ」と言ってくれたことがあったのですが、その見通しは甘かったと思います。 母は「今まで、老後のために育ててきたのにからに、文学部だのなんだの行かせてたまりますかいな。 この子はあくまでも、老後の対策のための子どもなんやから」と言っていました。「老後の対策のため」なら子供なんか産まずに保険にでも入っておけばよかったのにと思いました。
    結局、努力して勉強すれば行きたい大学の行きたい学部に行ってやりたい勉強をしてつきたい仕事につける・・・・と言われてきたのは嘘で、幻覚でした。 結局、私は、小学校の時から、無い夢を追っていたのでした。
    いくらかなりとも、譲歩しあって・・・・といったことも考えましたし、ずいぶんと譲歩もしましたが、結局、 「譲歩しあって」と考えている者と「なんでもなんでも、わしのようなえらいえらいえらいえらい、何と言っても謙虚な謙虚なドイツ人に決めてもらうのが、それがあんたのためなんや」という信念もっている人間との間には「中間の立場は存在しない」ようでした。
    
   小学校の1年の夏休み、父の会社の社員旅行で小豆島に行くのに一緒に連れてもらったことがありました。 帰りの船の中で、私が持っていた幼稚園児か小学校低学年の子供が持つ小さい水筒から、父は「配給、配給」と言って、会社の人にお茶を注いでまわっていました。 そして、私がのどがかわいたと言ってお茶を飲みたいとなった時、その水筒には1滴もお茶は残っていなかった。 父は「売店でジュースこうたろ」と言って船の売店に行ったものの、売店はしまっていました。「弁天埠頭についたら、こうたろ」と父が言うので我慢すると、弁天埠頭に着くと、父は「バス、来てる、バス、来てる。弁天町の駅についたらこうたろ」と言い、弁天町の駅に着けば買ってもらえると思って我慢すると、弁天町の駅につくと、「プラットホームの売店でこうたろ」と言い、プラットホームまで耐えて行くと、「電車きた、電車きた。 天王寺の駅に着いたらこうたろ」と言いました。大阪環状線というのは旧「国電」で電車はしょっちゅう来るのです。「電車きた、電車きた」と言ったって、環状線の電車はどこでもすぐに来る。そして、天王寺の駅に着くと、「電車きてます。電車きてる。 南田辺の駅についたらこうたる」と言う。昔も今も各駅停車の電車は天王寺駅始発ですので、天王寺駅ではたいてい「電車きてる」のです。天王寺駅では電車はきていても長く停車していることは子供も知っているので「まだ、でない。ジュース買って」と言いましたが、「もうでる、もうでる」と父は言い、そして、なかなか出発しなかった阪和線の各停が南田辺の駅に着いた時、もう、電車にもバスにも乗ることはないので買ってもらえると思ったところ、父は「もうすぐ、家です、もうすぐ家」と言って、結局、家まで我慢させられた。 なんで、そんなことするかなあと、その時、思ったし、今も思いますが、そういうおっさんでした。 芥川龍之介の『トロッコ』では、トロッコを押させてもらい乗せてもらったのはいいが、帰りも一緒に帰ってもらえると思い込んでいた人夫たちは山の向こうの街で泊まる予定で、暗い道をひたすら一人で走って帰った思い出が、大人になった後、人生においてその暗い道のように思えてくるという話でしたが、私の場合、小豆島から弁天埠頭への船の中から、弁天埠頭、弁天町駅、駅のプラットホーム、天王寺駅、南田辺駅と引っ張られて、結局、家まで買ってもらえなかった。結局、私は自分が飲むことができない水筒を持ち運びさせられただけだった、というその経験が、努力して頑張って勉強すれば、行きたい大学の行きたい学部に行かせてもらってやりたい勉強をさせてもらってつきたい仕事につけると思っていたら、最後まで、「あんたが決めるのとは違うねんぞ、チャンコロ。わしのようなドイツ人で謙虚な人間がなんでもなんでも決めるねんぞ、チャンコロ」という結果にされてしまった。 ない夢を追わされてきたわけだった。 
   高校の教諭というのは、息子にない夢を追わせて無駄な努力をひたすらさせ、本人が首をもがれても嫌だという大学学部に行かせることに加担・協力するのが仕事だろうか? 私は違うように思うのだが、旧姓S野はそれが高校教諭の処世術だと思っていたようだった。 ついでに、旧姓S野は国語の教諭だったのだが、旧姓S野の授業は古文はともかく、現代国語は、結論として「勝手なことばっかりやってるだけ」だったと思う。


【F】 大学の4年間、もしくは6年間の生活ができるか、という問題。
   それも、考える必要があると思う。 但し、我が家の場合は、「ものすごい金持ち」ではなかったが、日本育英会の奨学金を受ける基準の金額を親の年収が間違いなく上回っていたので、日本育英会の奨学金は受けることはできなかった。 私は、最初、もしも、本人が行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に親が行かせたくないと思った場合でも、もしも、親がいなかったならば日本育英会の奨学金を受けて行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行くことができたのだから、奨学金で出してもらえる分だけでも(要するに「学費分」)出してもらえないか、それ以外(生活費)はアルバイトをして生活するとか考えてもよいのではないかと考えたが、父や母はそうは考えなかったようで、母は「何を甘ったれたこと言うてますのん、何を。 今まで、あんたを育てるのにカネかかってるんやないか。それを返してもらわんといかんやろうが」と言うのでした。 「卒業してから働いて返す」と言いましたが、「何を甘ったれてますのん、何を。 今すぐ返しなさい、今すぐ。 あんたがはいてるパンツは親に勝ってもらってもんやろうが。今、はいてるパンツを今すぐぬいで返しなさい」と言ったのだ。 さらに、「あんたの体はあんたが産んだのとは違うやろうが。 あんたの体は産んだ者に所有権があるはずや。 所有権のある者になんでも決める権利があるんや」と母は言うのでした。 その点で父は言うことが少し違って、「所有権」は産んだ者、即ち母にあるのではないと父は言いました。 「茄子でもキュウリでも、畑が芽をだしたのとは違うんや。種が芽をだしたわけや。そんで、芽を出したなら育てるのは畑の義務じゃ。 そんで、その芽に実がなるようになったら、種を植えたものに権利があるんじゃ。畑に権利があるのとは違うんじゃ。ましてや、茄子やキュウリに権利があるわけがない。心得違いを起こすなよ、チャンコロ」と言っていました。 父に所有権があるか母に所有権があるか、いずれにしても、茄子やキュウリには「所有権」はないようでした。 自治医大なら学費も生活費もいらないのだから、ということも考えましたが、「何を甘ったれとるんじゃ、茄子! のぼせあがるなよ、チャンコロ」と父は言うのでした。「決めるのはわしのような謙虚なドイツ人の役割でやなあ。あんたのようなチャンコロはわしのようなえらいえらい謙虚な謙虚なドイツ人に何でも何でも決めてもろうて、決められたことを何でも何でもせっせせっせとやるのがあんたにとっての幸せというものなんや。せっせせっせとやらんか、チャンコロ。のぼせあがるなよ、増長するなよ、つ〜けあがるなよ、チャンコロ」と言い続けたのでした。
   我が家は、おかしかったのではないかと今になって思います・・・が、それにしても、北野高校の2年の時の担任であった旧姓S野(女。当時、20代前半。北野高校→神戸大文学部卒)は、なにゆえ、あそこまで親に加担して生徒に敵対しなければ気がすまなかったのか。 あの女の処世術のおかげで、私は人生を踏みつけられ、小学校の1年から努力してきたものを全部まとめてドブに捨てさせられたのだ。 あんな女が教師としていいと思っていた女もいたようだが、似た者同士でラポールを感じていたのか?という人間も中にはいたようだ・・・。

   北野高校は行きたいと思って行った学校で、合格した時はうれしかったが、卒業して何年か経ち、落ち着いて考えてみると、旧姓S野とかの身勝手で傲慢な態度をふり返ると、実際問題として、あんまりいい学校ではなかったかもしれない、という気がしている。 それなら、どこに行けばよかったのかというと、どこに行っても問題がないという所はないだろうけれども。 

 次回、文学的素養があるから経済学部に行けと言う女とないから行ってはだめだという男 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201703/article_8.html

   (2017.3.29.) 

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「会社員型」か「非会社員型」か。親には息子に「所有権」があるのか?―受験生へのエール【7】 哲建ルンバ/BIGLOBEウェブリブログ
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