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zoom RSS 「燃える人間」か「燃えない人間」か、「科学論理型」か「現状妥協型」か−受験生へのエール【4】

<<   作成日時 : 2017/03/29 21:14   >>

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[第276回]
【B】「燃える人間」と「燃えない人間」
   ゴミの収集において、「燃えるゴミ」と「燃えないゴミ」に分けてだすように、人間にも「燃える人間」「燃えない人間」というのがあるように思う。
   昔、『あしたのジョー』という漫画があり、『あしたのジョー』『あしたのジョー2』とテレビにもなり、『あしたのジョー』『あしたのジョー2』と映画にもなった。 矢吹丈が「おれは、何かに向かって燃えるタイプだろ。 だから、燃えるものがないと、どうも、やる気がでねえんだ」とか発言することがあったが、それについては、ちょっと、それは勝手じゃないのかと思った。 「燃えるものがないと、どうも、やる気がしねえんだ」とか言ってぷらぷらしていることができればいいけれども、「燃えるものがないと、どうも、やる気がしねえんだ」なんて言っても、学校でたなら、何かやって食っていかなきゃしようがないのだ。 「やる気がしねえんだ」と言えば、ヒモやらせてくれて食べさせてくれるねーちゃんでもいるならいいが、『本当にあった笑える話』とか読むと、そうやって、「ヒモ」なのか「ペット」なのかを養ってるねーちゃんの話が時々でているが、私なんかは、なかなか、そういうねーちゃんとは巡り合えないから、何かやらざるをえない。 そこから考えると、「燃えるものがないと、どうも、やる気がしねえんだ」なんて、勝手なこと言ってんじゃねえよ、てところだが、たとえ、「燃えるタイプ」であって、どうも、燃えるものがないという場合でも、人生をやめるのでなければ、自分自身で燃やすしかないし、「燃えないタイプ」であっても最低限は燃えないと生きていけないのであるが、そうは言っても、「燃えるタイプ」と「燃えないタイプ」というのはあるように思うのだ。
   「燃えない人間」というのは、語学の学習に向いていると思う。朝晩、歯を磨くような調子で、ちびっとずつ学んでいくと、いつしか身についているというそういうものに向いていると思うのだ。 高校の時、何の本で読んだのか忘れたが、数学や英語は毎日、いくらかずつ学習しないと忘れてしまうのに対して、社会科などは、特定の曜日にある程度まとめて学習した方が効果が出ると書いてあった本があったが、そういうこともあると思うが、人間の性分として、これをマスターするぞと「燃える」ことで1段階・2段階とステップアップしていくというタイプと、そうではなく、ちびりちびりと毎日毎日ためこんでいくという方が得意というタイプがあるように思う。 実際には、どちらの学習法をとった方がよいという科目があるわけで、国立大学のように入試の科目数が多い大学学部を受ける場合は、自分がどちらのタイプであったとしても、「タイプでない方」をやらないというわけにもいかないのだが、それでも、この「タイプ」はあると思うのだ。 そのあたりも、進路を考える上において、自分はどちらのタイプだろうか、と考えてみるべきではないかと思う。 少なくとも、「理科の成績と社会科の成績を比較したら、どちらかというと社会科の成績の方がいいから、あなたは文系よ」なんて乱暴な決めつけをするより、こういった様々なタイプについて、自分はどちらの方だろうか、どちらのタイプはどういう学部学科、学問分野に向いているか、どういう仕事に向いているかといったことを考えてみるのは有益だと私は思う。


【C】 「徹底科学論理型」「現状妥協型」か。 もしくは、「数学型」「経済学型」か。
   昔、梶原一騎 原作の『愛と誠』という漫画があって、そこに「秀才」の石清水くんというのが登場したのだが、大賀 誠という不良の後を追いかけまわす早乙女 愛という女を追いかけまわす男で、花園高校という不良高校に転校した大賀誠の後を追いかけて転校した早乙女愛の後を追いかけて転校して、そこでも、秀才ぶりを発揮するという男なのだが、そんなもん、ある程度以上の高校でよい成績をとっていた者がクロマティ高校に行ったら、そりぁ、その高校ではできる方だろうけれども、そんな無茶苦茶やっとったんでは、成績も落ちるだろう・・と思うのだが、そこは漫画だけあって、落ちないらしい、という男だった。 その石清水くんが「ぼくは、すべて、まともな論理で構成される学問が好きだ」とかそんなことを言うとったように思う。 それは何かというと「医学か数学だ」と言うのだが、数学はともかく、医学なんてそんなに「まともな論理ですべて構成されている」かいなあ? とも思う。  下山総裁が国鉄常磐線の列車にひかれたあと、医学鑑定の権威という東大医学部のなんとか先生は、これは死後轢断であると診断したが、この時点では、共産党や左派労組がやったということにしてやろうという動きがあったらしいかったが、下山総裁という人は「真面目な人」で労働組合左派の間でも評判は悪くなかったらしく、共産党や労働組合左派はやっていないはずだとなり、むしろ、GHQの関係者がかかわっているみたいだと言われるようになると、今度は何かとふにゃふにゃして骨がない権力迎合が伝統? それが「福沢精神」、それが「独立自尊」という伝統がある? 慶應大の医学部のなんとか医師が「生体轢断である」と診断した。自分で線路に横たわって自殺したのであろうというストーリーを組立てようとしたらしい。 そのあたりを見ると、「医学」なんて、そんなに論理的・化学的かあ? て感じもする。
   しかし、数学に関しては、これは、たしかに論理的で科学的だと思う。 ヴィルヘルム=ライヒ『階級意識とは何か』(久野収訳。1974.11.30. 三一新書)より引用する。
≪ ・・数学はやはり、ブルジョア的思考の影響のもっとも少ない科学である。 ところが肺結核の研究では、人民の栄養とみじめな住宅事情が人間の肺におよぼす具体的影響の徹底的調査は、ただの一度も実行されていない。 まったく混乱した思いこみの戦場となっている精神医学については、精神衛生の根本原則をつくりあげるという課題を負った精神病学が、まさにこの課題を不可能にするための特別につくり出された道具であるかのように機能しているとしかいえない現状である。 ≫
(ウィルヘルム=ライヒ『階級意識とは何か』久野収訳 1974.11.30.三一新書 )
    私が小学生の頃、「よい子の偉人伝」みたいなシリーズの本が小学校の図書館にあり、書店の小学生向け書籍のコーナーにもあり、何冊か読んだというのか読まされたというのかで、読んだ。「読まされたというのかで」というのは、本人は特別嫌がっていたわけでもないのだが、親がそれを読むように誘導したところは間違いなくあったと思うし、又、学校でも、「全国の小学校の校長先生による推薦図書」とかそんな感じで推薦されていた以上は、読まそうとしていた本だったと思う。 私が読んだというのか読まされたというのかの「偉人」は、リビングストン・エジソン・ベートーベン・ナポレオン・トルストイ・キュリー夫人・キリスト・パスツール・フォード・ベーブ=ルース・福沢諭吉・新井白石・菅原道真といった人たちだった。 そのうち、疑問も感じるようになったのは、ナポレオンが「偉人」でヒットラーは「極悪人」だというのは、どこが違うのだろうか、いずれも、周囲の国に攻めて行って、特に、ロシアでは首都モスクワを陥落させる手前まで行って陥落させることができずに撤退した人間であるという点で共通しているのに、なぜ、そこまで評価に差があるのだろうと思った。もちろん、共通するところがあっても異なるところもあるわけであり、生身の人間である以上は、いいところも悪いところもあっておかしくないのだが。 エジソンは「発明王」と言われているわけだが、広瀬隆『東京が壊滅する日』(ダイヤモンド社)によると、実は、エジソンというのは、画期的な発明をする者がいると、いち早く駆けつけて、「エジソンの発明」とした方が世間は喜ぶから、いくらカネをやるからその発明をエジソンが発明したということにさせろと交渉してひとの「発明」を奪い取ってきたということがあったらしい。 キュリー夫人(マリー=キュリー)は夫のピエール=キュリーとともにラジウムの発見などおこなったが、夫は晩年になって研究に打ち込むことが無くなり、キュリー夫人だけが研究をおこなうようになった、ということで、それだけ、キュリー夫人の方が夫のピエールより高く評価されるような書き方がされていたが、実際は、放射性物質というものがあることを発見したものの、その危険性についてわかっていなかったため、夫婦ともに放射能による被害を受けて健康を害したが、夫のピエールの方が先に健康を害していたということだったらしく、夫人のマリーの方がより優秀であったということでもなく、中学校の時の某先生が言った「女はしぶといから」とかそういうことでもなかったようだ。 福沢諭吉は、「偉人伝」として紹介される時はいい面ばっかり出されるわけだが、『脱亜論』の著者でもあり、韓国などでは福沢諭吉は高い評価は受けていないらしい。もっとも、『脱亜論』には2つの意味があり、幕末、高杉晋作は中国の上海に行くと、上海がまるで欧米の土地のような状態になってしまっていたのを見て、欧米の人間が来るのを受け入れては日本も上海のようにされてしまうと「攘夷」の考えに進んだのに対し、福澤諭吉はもともと洋学者で、遣欧使節の一行のはしくれにまぎれこんでヨーロッパに行くなどして、欧米の文化を見て、「鎖国」だの「攘夷」だのと言って欧米の文化を拒否していたのでは日本は大変なことになる、開国して大急ぎで欧米の文化を取り入れるべきだと考えるとともに、アジアの国がなにゆえに欧米に侵略されるのかというと、それは文化も政治形態も欧米に遅れているからであり、日本は、この際、アジアの兄弟とともに進んで行こうと考えるのではなく、アジアの悪友を捨てて欧米の良友とつきあい、欧米の文化と政治形態を大急ぎで取り入れるべきであるという主張をするようになったわけです。 欧米の文化や政治思想・政治形態を取り入れるべきで、アジアの遅れた政治思想・政治形態を守っている国と合わせるべきではないという主張はいいとしても、その考えをつきすすめていくと、欧米の仲間入りを果たした日本は欧米と同様にアジアの国を侵略してもよいという主張に行きつく危険もまたあったわけです。 リビングストンというのは、人道主義の医者のように言われてきたけれども、実際は、ヨーロッパの帝国主義国がアフリカを侵略する際の一員だったとか言われるらしいし、菅原道真の話に至っては、実際の菅原道真の話と後の時代になって創作された話がごっちゃになっているところがある。 新井白石なんて、結局、何をやったかよくわからん。むしろ、江戸時代の人間としては、かつては「賄賂をとって私腹をこやした悪人」とされた田沼意次こそ、本格的に改革を試みた良心的な政治家であったのではないかと最近になって言われてきているらしいし、「聖徳太子はいなかった」と最近になって言われるようになってきたわけだが、今さら、そんなこと言われても・・・て感じがしないでもない。トルストイというのを「文豪」なんて言う人がいるわけだが、実際にトルストイの作品を読んでみると、こいつ、よくもまあ、これだけ、クズみたいなクソみたいな内容を次から次へと書き連ねるものだとあきれる。ベートーベンの曲は悪くはないけれども、日本では西洋の作曲家の中でベートーベンは特別扱いというのか、一番人気みたいな扱いを受けてきたが、それは、戦中、シューベルトなどは歌曲が多く、恋の歌もあれば人生を迷う歌もあり、軍国主義の時代のおいては歓迎されなかったと思われ、バッハやヘンデルは宗教曲が大部分であり、「天皇へーかの国においてキリスト教を信じるとは何事だあ!」とか横浜市港北区の日吉台学生ハイツのおっさんが言ったようなことを言っていた時代においては歓迎されず、その点、ベートーベンは交響曲が主で第九以外は歌はなく歌詞はないし、第九の歌の文句なんて「晴れたる青空ただよう雲に 小鳥は歌える林に森に」なんて、人畜無害というのか、意味のないもので、又、ベートーベンの交響曲というのは、第6番『田園』を別にすれば行進曲調・軍歌調ものものが多いということから、それで、他の作曲家より大きな位置づけを日本においては獲得していたようなところがあると思う。
    大人になってよく考えてみると、「よい子の偉人伝」シリーズに名前があがっていた人というのが、はたして、偉人なのかどうか、どうも、よくわからないところもあるわけだが、そういう本を小学生の時から私の親は私に読ませてきたのだから、キリストは、これはなろうとしても簡単になれないとして、もし、その「偉人伝」に書かれていたことが特別間違いではなかったと仮定して、ベーブ=ルースなんて野球選手になりたいなんて言うと喜ばないとしても、エジソンのような発明家とか、トルストイのような作家とか、ベートーベンのような音楽家とか、キュリー夫人・パスツールのような自然科学者とかになりたいと言えば、親は喜んでくれるものだと私は思いこんでいたのだ。 ベートーベンみたいな音楽家になると言うと大歓迎はしないかもしれないが、キュリー夫人とかパスツールとかいった純粋に自然を研究する自然科学者になるとか文学者になるとかそういった方向に進みたいと思えば協力してくれるものと思って、小学生の頃から勉学に励んだわけだ。 しかし、実際に大学に進学する時になると、そうではなかった。父は言いだしたのだ。「わしの権利じゃ、わしの権利じゃ」と。
   又、小学校の高学年くらいから、「小学生向き」として作られた本ではなく、小説家とか文学者とか言われる人が書いた小説を読み始めた。 もっとも、「若いうちに読んでぜひともおきたい本」とか指定されていた本というのは、今、考えてみると、「≪小学校の高学年や中学生くらいの時期に読んでも、なんやらようわからん本≫でない本」を「文学者」とか「教育学者」とかいう肩書をもっている人が選んでいたように思う。 三島由紀夫の『潮騒』なんてのがあったが、30過ぎて考えてみると、あの小説の登場人物というのは、実際のところ、「ええもん」と「わるもん」にはっきりと分かれ過ぎているように思うのだ。 生身の人間というのは、そんなに「ええもん」と「わるもん」に簡単に分かれるものでもなく、「わるもん」もまた人生を生きて行かなきゃならんのに、「ええもん」が最後はハッピーエンドで終わるという小説というのは、なあ。 むしろ、三島由紀夫の小説では『潮騒』よりは『金閣寺』の方が、どこからどこまでが実際にあった話でどこからどこまでが三島由紀夫の推測・創作なのかわからない点はあるものの、大人が読むと読みごたえがある。 庄司薫の『赤ずきんちゃん気をつけて』だったか『白鳥の歌なんか聞こえない』だったかどちらかで、登場人物が「菊池寛なんて通俗小説だ」と語る場面があったが、たしかに、30過ぎてから考えると、『父帰る』だの『恩讐の彼方に』なんてたしかに通俗小説だわなと思うが、太宰治の『走れ メロス』とか芥川龍之介の『杜子春』もまた、通俗小説で、太宰治としては『人間失格』こそ、自分を人間としては失格だと思いながら、「小説家としてはいい小説家だったと思うんですけどねえ」と述懐しながら述べる魂の叫びである・・・と思うが、小学生に『人間失格』読ませてもわからんと思うから、だから、しょーことなしに、くっだらねえ『走れ メロス』なんて太宰としては気が進まずに書いたものではないかと思われる通俗小説を読ませていたということだろう。 私が小学校の5年の時だったか、三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊の駐屯地に押し込み割腹自殺をはかるという人騒がせをやらかしたのだが、それがあって、三島由紀夫という小説家を知り、そのおっさんの本を何か読んでみようと思って書店に行き、新潮文庫で出ている三島由紀夫の本の中で、一番薄い本だった『盗賊』と、三島由紀夫の著作で最初に出ていた『仮面の告白』を読んだのだが、小学生が読んでも何を言いたいのかなんかよくわからん本だった。 ゲーテの『若きウェルテルの悩み』なんてのも「若い頃に読んでおくべき本」に指定されていたのだが、今、読むと、最初から、ひとの嫁はんやとわかっている女を勝手に好きになって勝手に自殺する大人げない勝手な男の話でしかないのではないかという気がするのだが、そこまで言うことないのかもしれないが、大ゲーテの作品だとしても私はそれほどいい小説とは思えない。 「若い頃に読んでおくべき本」に文学者だか教育学者だかが指定した基準というのは、「小学校高学年から中学生にかけてくらいの年齢の人間が読んでもわかるくらいの本」というくらいの意味だったかとも思うのだ。
    それらの本の中には、夏目漱石『三四郎』なんてのもあって、その登場人物の三四郎のモデルは文学者の小宮豊隆で、野々宮さんのモデルは寺田寅彦、広田先生のモデルは夏目漱石自身ではないかと言われていたらしいが、私は『三四郎』とかそういった小説を読んで、大学というものはこういう所かと思っていたのだ。 そして、文学部の三四郎や理学部なのか工学部なのかの野々宮さんのような生活をして研究するのが大学生であり、大学の研究者ではないかと思っていた。
    ・・・・それで、そういった感覚から考えると、経済学部・商学部・経営学部といったところ、特に、経済学部でも京大の経済学部は経済学部の中ではアカデミックなところがあるかと思うが、慶應大の経済学部や商学部になると、これは、「サラリーマン養成所」であり、こんなの大学なのかて感じが私はしたし、そう思う人はいくらでもいたようだった。
    数学科は理学部にあり、哲学科は文学部にある。 しかし、この2つは思考形式においては似ているのだ。 哲学と文学では哲学の方が論理的で数学に近そうではあるが、哲学と文学とにはっきりとした境界なんてないはずであり、その点で、数学と文学は遠くない位置にあると思う。 考古学科なんてのも、会社員となるコースではないという点で数学科と似ていて、ともかく、その研究に没頭して生きていく性質の学科であるという点では、片方は理学部で片方は文学部に配置されていても共通するところがあると思う。
    経済学は、マルクス経済学と近代経済学の2つの立場がある・・・ということになっているのだけれども、はたして、これを対立的に見るのが適切なのか? という気も私はしているのだ。 慶應大学の「会計学総論」という講義の時に、黒川という助教授(その時は30歳と聞いた。今は教授になって60過ぎたか)が、「利益は何が生み出すのか。 資本が生み出すと考えるのが近経(きんけい。 近代経済学)。 労働が生み出すと考えるのがマル経(まるけい。 マルクス経済学)ですね」などと発言したのだが、それは、エアコンのきいた部屋で椅子に座って近代経済学の本を読んでいるおっさんの発想であって、私みたいに三流以下企業に勤めてみなさい。 どちらが正しいか? なんて、本を読んで考えなくても明らかだ。 労働が生み出したに決まってるじゃないか。 アホか? そもそも、「資本」というもの自体、従業員に払っておくべきカネを払わずにためこんだものが「資本」になっているのではないか。 「労働」が生み出したに決まっとるだろうが! バカ言ってんじゃないわ〜あ♪〔⇒《YouTube―三年目の浮気 》https://www.youtube.com/watch?v=DgBvi-cZbJM 〕
    「利益」は「労働」が生み出したものだというのは明らかで、それは、「一流企業」に勤めるとその原理がわかりにくいかもしれないが、私みたいに三流以下企業にばっかり勤めると、よくわかることわかること。 マルクスは「搾取説」という名前をつけたらしいが、これもよくわかる。 まさに、「搾取」である。 (株)一条工務店が防潮堤の費用として3億円を浜松市に寄付して、浜松市長の鈴木康友とかいうのが「『一条堤』とでも名付けて、長く記録に残したい」とか言ってはしゃいでいたようだが、そのカネだって、従業員・元従業員から「搾取」したものなんだよ! まさしく、「搾取」なんだよ、「搾取」!!! この点で、カール=マルクスはいかにも正しい。
    しかし、それはそれとして。 私は別に、社会主義・共産主義を目指す政党の党員ではないし、「赤旗の定期購読者」でもない。 だいたいやねえ、共産党のおっさんはそれで商売してメシ食ってるかもしれんが、私なんかは違うもん。 三流以下企業であれ何であれ、雇ってもらって働かないと食べていけないわけです。 自民党の議員のおっさんて、真剣に社会主義の経済と資本制の経済を比較分析して資本制の経済の方が国民誰もにとって好ましいと考えたから自民党の議員になっているのかというと、違うでしょ。 自民党になっておいた方が得だからか、そうでなくても、親が自民党だったからか、その程度でしょ。 そもそも、どこかに勤めて働くというのは、別に、資本制経済を維持したいと思うから働いているのでもなく、社会主義の経済に移行させたいと思うから働いているわけでもないわけです。 食べていくために働いているのであって、別に、資本制経済を維持したいからでもなければ、社会主義の経済に移行させたいと思うからでもないのです。 慶應義塾大の学生を見て、こいつら、正直じゃないなあと思いました。 「自由というものを尊重したい方の人間だから、社会主義なんて支持できないと考える人間なんだ」とか言うアホがようけおった。 それなら、その自由な社会を実現するためには、どういう社会が自由を実現できる社会なのか? と尋ねられたら、彼らは答えることができないはずだ。まず、「資本制社会にある『自由』とは、これは資本の自由、企業の自由のことであって、個人の自由ではない」わけだが、そのへんを彼らは意図的にはぐらかしているのである。 資本制の経済をとる国では個人の自由は実現されないと思い、社会主義の経済とした方が個人の自由が実現されるのではないかと考えた人たちがいたのですが、ジャン=ポール=サルトルは「ソ連官僚制共産主義」について支持できないと考えて距離を置くようになり、ヴィルヘルム=ライヒはロシア革命後のソ連を見て、「これでは国営資本主義だ」と絶望した。 アンドレ=ジッドは、一時、社会主義に好意的な態度をとっていたが、≪ 現在の情勢に満足の意を表しないものは、みなトロツキストと見なされるのである。 われわれはこんなことを想像してみる。たとえレーニンでも、今日ソビエト(連邦)に生きかえってきたら、どんなに扱われるだろうか・・・・と。 スターリンはいつも正しいということは、とりも直さず、スターリンがすべての権力を握っていることと同じである。≫(アンドレ=ジッド『ソビエト紀行』 新潮文庫)と考えるに至った。 資本制経済は問題が大きく社会主義の社会の方が国民にとって好ましいかと考えて社会主義に移行した国があったが、必ずしも、理想の状態にはならなかった。しかし、それなら、資本制経済をとる国において問題点はないのかというとそうではない。 1991年にソビエト連邦が崩壊した際、いかにも喜ばしいみたいな書き方をする者があふれた時、近代経済学者でも比較的良心的なガルブレイズは「資本主義が勝利したわけではない」という文章を発表した。 社会主義経済をとる国において、社会主義が崩壊したとしても、だからといって、資本制経済がこの上もなくすばらしいとか問題がないとかいうことではないのである。そのあたりを吟味した上で論じるならわかるのですが、「慶應タイプ」の学生というのはそうではなく、ともかく、社会主義・共産主義に悪口を言えば、自分は評価してもらえるだろうというあさましいブタ人間ばかりだったのです。
    最初の、≪ 「徹底科学論理型」か「現状妥協型」か。 もしくは、「数学型」か「経済学型」か。 ≫というタイトルから少し離れてしまったような感じがするかもしれませんが、今、思い出してみると、私が「慶應タイプのブタ人間」に嫌悪感を覚えたというのは、それは、ひとつには、私が「徹底科学論理型」か「現状妥協型」といえば「徹底科学論理型」、「数学型」か「経済学型」かというと「数学型」の人間だったからということがあると思います。
もっとも、「慶應タイプのブタ人間」というのが、それが「経済学型」と考えるべきなのかどうか。 近代経済学者で慶應義塾の塾長であった小泉信三は『共産主義批判の常識』(講談社学術文庫)の序文で、そうではないはずである旨を述べているのですが、私が行った頃の慶應義塾は、どう考えても、小泉信三が主張するようなものではなかった。 むしろ、アンドレ=ジッドが≪ たとえレーニンンでも、今日ソビエト(連邦)に生きかえってきたら、どんなに扱われるだろうか・・・≫と述べたごとく、「たとえ福澤諭吉でも、たとえ小泉信三でも、今日慶應義塾に生き返ってきたら、どんなに扱われるだろうか・・・・」と、慶應義塾の状況を見て私は思った。
    「近代経済学は数学を多用する」と言われる。 だから、慶應の経済学部の入試の科目は、今は知らんが私が高校を卒業した頃は「数学と英語」だった。国語や社会科より数学が大事という見解だったということだろう。商学部の試験科目は「数学と英語と社会科が日本史・世界史からどちらか1科目選択」だった。数学は大事で、その次となると歴史であるということだろう。 経済学部や商学部で学ぶには数学が必要という考え方をとっていたのだと思う。 しかし、数学は論理的で、そして、その時代の政治・経済の影響を最も受けにくい学問である。 それに対して、経済学は正反対で、その時代の政治・経済の影響を最も受けやすい学問である。「慶應タイプのブタ人間」の男ども、いわゆる「慶應ボーイ」どもは、理屈にならない理屈で社会主義をけなし、自分は資本主義経済を擁護する人間だとアピールしようとするのだったが、そういう連中というのは、スターリ二ズムのソ連に生まれていたならば、おそらく、間違いなく、スターリン万歳とか言っていたのではないかと思う。その程度の人間なのだ。そいつらは。私は疑問に思うのだ。そいつらは、そういう態度を取れば就職に有利だろうとか思っていたらしいのだが、日本の会社の経営者というのはそんな人間が好きなのか? 戦後の「日本はアメリカ(合衆国)のメカケだから、メカケが旦那の機嫌をとるのはあたりまえ」という日本において、理屈もへちまもない、ともかく、「社会主義」と「社会主義国」に悪口雑言を浴びせればいいと心得ているようなヤカラ、もし、戦後の「日本はアメリカ(合衆国)のメカケだから、メカケが旦那の機嫌をとるのはあたりまえ」という日本に生まれるのではなく、スターリズムのソ連に生まれていたならせっせとスターリンを称賛したであろう者ども、それが「慶大生らしい思考の柔軟さ」とか思っているやつら、そういう節操のない人間を日本の企業の経営者は有能な人間だと考えるのだろうか? 私はそのあたりについて大きく疑問に思っている。
    さて、「慶應タイプのブタ人間」をどう評価すべきか、それは別の機会にまわすとして、「数学型」と「経済学型」は相当の違いがあるように思う。 「数学型」の人間にとって、「肌合い」というのか「相性」というのかで考えると、経済学部と法学部となら、まだ、法学部の方が肌が合うのではないかという気が私はしていた。 又、経済学部でも、私の父などは「慶應の経済」と「神戸大の経済」が好きで、私は逆にこの「慶應の経済」と「神戸大の経済」の2つは日本の大学学部で最も嫌悪感を覚える大学学部だったのだが、「数学型」の人間にとっては、経済学部でも、アカデミックな京大の経済学部とよく言えば「実用的」、普通に言えば「サラリーマン養成所」、少々けなし言葉で言えば「ブタ人間の行くところ」である「慶應の経済」となら、京大の経済学部の方が肌合いが近いのではないか。
    私の父は、何かと「無理矢理やる」のが好きな男だった。 中学校の2年の時、姉がいったん結婚すると言った相手を、やっぱり、あの人と結婚するのは嫌だと言い出した時も、「無理矢理やるとええと思うねん。無理矢理、無理矢理。 そう思えへんか」と私に言ったので、「そんなもん、本人が嫌だと言うものを無理矢理させるなんて、絶対にだめだ」と私は言ったのだが、「そうか? 無理矢理やるのがええと思うねんけど、そう思えへんか?」と言うので、「思えへん。 絶対にそんなことしてはだめだ」と言ったことがあった。 父は、そういう何かと「無理矢理やるのが好きなタイプ」のおっさんだった。 だから、私にも、本人がそこは嫌だと言えば言うほど、本人が嫌がれば嫌がるほど、嫌がる所に、無理矢理、行かせてやろうとする男だった。 そういう人間に完全に加担したのが、北野高校の2年の時の担任だった旧姓S野(女。1970年代後半当時、20代。北野高校→神戸大文学部卒)だった。
    北野高校のよくないところとして「小学校型の男女共学」があると思う。男女共学には「大学型の男女共学」と「小学校型の男女共学」がある。 「大学型の男女共学」は、ともかく合格最低点を上回る点数をとれば、男であれ女であれ関係なく合格とされ入学することができるというもので、「小学校型の男女共学」というのは、「男女比」というものが一定以上に偏らないようにという条件があって、その結果、他の都道府県でも公立高校は似たようなものではないのかなと思うのだが、大阪府で各学区の一番手校では、男はその学区で最も入試の難易度は高い、最も難関の高校であるのに対し、女は無試験で入れる、試験会場に行って氏名と受験番号さえ書けばたいてい合格になるという高校になった。 北野高校はそういう高校だった。 灘高校卒の人に聞いた話だが、灘高校というのは私立なので、毎年、何人か、「裏口らしい」と思える人がいるらしい。 そういう人が灘高校に入ったからといって、一般入試で入った人間と同じように東大に行ったり国立大の医学部に行ったりするかというと、そうはならないらしい。 同様に、私が入学する直前くらいは京大合格者数全国1位であった北野高校に、男なら絶対入れない成績であるが女であるから入れるという成績で入った人が京大に行けるかというと、それは行けない。 しかし、人によって、男なら最難関の高校に相性が合う人というのがいるようで、それで、うまく合って、神戸大あたりに行ってしまう人というのが時々いるようなのだ。 そういう人が北野高校のOGだとして母校の教諭になったりもするようだ。 私立の学校の裏口入学と違って、これは裏口ではないのだけれども、しかし、その地域で最難関の高校の入試を経て入った男性からすると、男なら入れなかったと思われる人がその高校となんか相性が合ってその結果として神戸大くらいに行ったという人というのは、たとえ、卒業生であっても、同じような条件で入学して同じように高校生活を送って卒業して京大・阪大や東大に行った人とは、卒業生は卒業生でも卒業生として「ちょっと違う」ように思うのだ。 彼女が適切な指導をできなかった原因は、「まだ若かった」ということもあるかもしれないし、性格が・・・・とかいうこともあったかもしれないが、それとともに、実質的に、「男の入試基準を満たしていない人が女だからと入学して入学後に相性が合ってしまって神戸大くらいに行った人」というのは、男の学生とは、「経歴が実質的に異なる人」であり、実質的にOB・OGじゃないのに、OB・OGみたいな顔をして教諭やっていたという点があるのではないかと思う。
    「近代経済学では数学を多用する」と言われ、「数学」のほかに「統計学」なんてのも慶応の商学部の専門必修科目としてあったが、その点で、経済学部・商学部には数学の能力はあった方がよいと思われるが、しかし、学問とその時代の政治・経済とのかかわりという点においては、その時代の政治・経済の影響を最も受けにくい学問である数学と最も影響を受けやすい経済学とは正反対の性質を持っている。 この点は、数学科や経済学部に進学する人だけではく、他の学部・学科もまた、純粋にアカデミックな性質が強いものか、その時代の政治・経済の影響を受けやすいものか、考えてみた方がいいと思う。 私は、「慶應タイプのブタ人間」というのが今でも好きではないが、慶應の経済学部や商学部でやっていることが価値がないとは思っていない。価値があると思っているが、それでも、「ブタ人間」に気持ちを害されてふりまわされて不快指数が上昇する大学学部に行くよりは、自分と性が合う所に行った方がいいと思うのだ。
    基本的には、どの学問がより価値があるということはないと思う。 それぞれの分野の学問はいずれも価値がある。 しかし、数学のような学問は、純粋に真理を追い求めていくことが目的であり必要であるが、それに対して、経済学というのは、現状との妥協で存在するようなもので、又、数学を学んだ者の勤め先となると、大学の数学科の助手(今は助教というらしいが)・助教授(今は准教授というらしいが)・教授になるか、高校か中学校の数学の教諭になるかくらいであるのに対し、経済学を学んだ人の勤め先というのは大学の助教・准教授・教授になる人、高校の私が高校生の頃の科目名では「政治経済」、中学校の私が中学生の時の科目名では「公民」の教諭になるという人も中にはあるでしょうけれども、多数は「会社」に勤めるはずで、「近代経済学は数学を多用する」というお話があるから近いかというとそうではなく、数学科に行く人間の思考と経済学部(及び、商学部・経営学部)に行く人間の思考は思考が大きく異なるので もともと、考えていた所と逆の所へ行くと面食らうことになる。

   「『邪馬台国北九州説』をとるか『邪馬台国近畿説』をとるか」というのと、「マルクス経済学の立場をとるか、近代経済学の立場をとるか」というのは、意味が違うと思うのだ。 もっとも、私が慶應に行っていた頃、慶應の経済学部では、必修科目の「経済原論1」(4単位)「経済原論2」(4単位)は近代経済学のマクロ経済学とミクロ経済学、「経済原論3」(4単位)はマルクス経済学で、商学部では必修科目の「経済学」(4単位)で近代経済学を一通り学習し、商学部の選択科目としての「政治経済学」(2単位)でマルクス経済学を一通り学習するようになっていて、経済学部の方が経済学の単位数が多いのは経済学部の方が商学部より経済学の比重が大きい学部だからということだと思うが、これは、別に「近代経済学」を学ぶことによって資本制経済を擁護する立場に立てとか、「マルクス経済学」を学ぶことでマルクス主義者になれとかいう意味ではなく、ともかくも、慶應義塾の経済学部や商学部の人間なら、近代経済学とマルクス経済学について最低限のことは理解しておくべきで、たとえ、批判するにしても見当はずれな悪口雑言は慎むべきであるという前提でのものだと思うので、学ぶのは、両方について、一通りは学んだ方がいいと思う・・・・が、結局のところ、自分はどちらの立場をとるのか、ということになった時、「『邪馬台国北九州説』をとるか『邪馬台国近畿説』をとるか」というのと、「マルクス経済学の立場をとるか、近代経済学の立場をとるか」というのは、意味が違うわけだ。
    実際問題として、「利益は何が生み出すか。 資本が生み出すと考えるのが近代経済学。 労働が生み出すと考えるのがマルクス経済学ですね」と言われてしまうと、「ナマ言ってんじゃないわ。 労働が生み出したに決まってるじゃないか」と考えるか、「無茶苦茶言うな」と思いながらも、「そんなもん、今、社会主義・共産主義の側についても、メシの種にありつけるわけでもないもんなあ」と慶應タイプのブタ人間の思考をして、さっさと踏絵を踏んで、「資本が生み出したと考えるべきです」と主張するのか・・・・。 三流以下企業に勤めてきた者として実態を見てきた経験してきた、おのれの骨と肉のきしみで感じてきた人間としては、誰が何を言おうが、ずえったいに、「利益は労働が生み出したもの」であると認識しているが、それなら、おまえは「マルクス主義者」なのか、「社会主義者」なのかと言われると、そういう問題ではないように思うのだ。 共産党の人たちなど見ると、私とは違うなと思うに至ったし、だいたい、自民党のおっさんなんて、資本制経済と社会主義経済の両方について学び思索を重ねた上で、資本制経済を維持する方が国民のためになると思って自民党やってるわけではないと思うのだ。そんなこと考えたこともないブタ人間どもだらけじゃないか。
    近代経済学者であった小泉信三は、たとえ、自分と考え方が違う人間でも、優秀な者は優秀だと認めるべきだ、と言い、野坂参三が慶應大学にいた時は小泉信三のゼミにいて、小泉信三は野坂参三を大変高く評価していたというのだが、小泉信三のような人から見ると、自民党のブタ人間なんて、資本制経済を維持しようという側の人間としては同じ立場であっても、それほど高くは評価できないのではないかとも思う。
    また、資本制経済を維持しようという立場、社会主義への移行について否定する立場の代表的な人間としてマックス=ウェーバーがいるが、マックス=ウェーバーとカール=マルクスは正反対の立場であったのかというと、すべての面において正反対であったわけではない。 カール=レビットは『マルクスとウェーバー』で、資本制経済の社会を大変な重病人であるとカール=マルクスは診断して、プロレタリア革命による社会主義経済の実現という処方箋を書いたが、その後、マックス=ウェーバーは、カール=マルクスと同様に資本制経済の社会は大変な重病人であると診断した上で、先にカール=マルクスが書いたプロレタリア革命による社会主義経済の実現という処方箋は役に立たないと判断したものの、それに変わる処方箋は書かなかった、ということを述べている。 マルクスとウェーバーは、正反対の立場なのかというと、そうでない面もまたあるようで、1991年にソビエト連邦が崩壊した時、近代経済学者のガルブレイズが「資本主義が勝利したわけではない」という文章を発表したように、「社会主義」の国で社会主義の経済体制が崩壊したとしても、資本制経済の側に問題がなくなったわけではないわけです。 そういった点から考えて、はたして、マルクス経済学というものと近代経済学というものを、対立的にとらえるのが正しいとらえ方なのか? と思うところもあるのですが・・・・・、そうは言いましても、やっぱり、「『邪馬台国北九州説』をとるか『邪馬台国近畿説』をとるか」というのと、「マルクス経済学の立場をとるか、近代経済学の立場をとるか」というのは、意味が違うと思うのです。 数学や考古学、天文学などで、どの学説の立場をとるかというのと、経済学でどちらの立場をとるかというのは、思考の形式が異なるように思います。前者、数学・考古学・天文学などでの思考を小学校の時から継続しておこなってきた者が、高校を卒業する時点において、いきなり、経済学型の思考に変更しようとしても、それは難しいのではないか。 私は、その難しいことを強要された。 私が親なら、そういうかわいそうなことは息子にしたくないが、私の父は「それがあんたのためや」と思っていたようで、そして、口にだしてそう言っていた。

    数学・哲学・考古学・天文学タイプと経済学タイプは思考がまったく違う。 「近代経済学では数学を多用する」とか経済学部や商学部には「数学」や「統計学」が必修科目としてあるが法学部では必修科目とされていないとかいう点から考えると、数学科から経済学部・商学部への移行と法学部への移行では、経済学部・商学部への移行の方が使えるものがありそうに思えるかもしれないが、学部学科の体質として、数学科と経済学部とは正反対であり、数学科志望から社会科学系学部へ移るなら、まだしも、法学部法律学科の方が体質的に近いはずである。 そのあたりを考えてどこを受けるかは決めるべきだと私は思う。
    私の父は自分に決める権利があると思っていたようだ。私が北野高校の3年の時の模擬試験で、3回ある模擬試験の1回目と2回目で、「あと少しで京大の合格圏」という成績をとった後の親が同席での担任との面談で、父が、突然、「京大にあともうちょっとということは、神戸大ならまず合格と考えてよろしいかなあ」と言い出したのでびっくりした。 担任のOもその発言の意味がわからなかったようで、それで、事実を事実として言った。「そんなことありませんよ」と。 「京大で通った人4人落ちた人6人というくらいの成績の場合、阪大なら通った人5人落ちた人5人、神戸大なら通った人6人落ちた人4人というくらいになるか、まあ、そんなもので、まず、絶対に通るなんてそんなことありませんよ」と。 そして、「こういう言い方をすると、たいていの生徒は、それなら京大にしようと考えるのですけれども」と。 実際、そうだろう。 但し、ここで認識しないといけないのは、「あと少しで京大の合格圏」というのは、「あと少し」だから文字通り「あと少し」ではないかと考えがちだが、実はその「あと少し」というのが、けっこう大変だったりするのだ。 100点満点で合格最低点が75点の試験、実は1995年にインテリアコーディネーターの1次(学科)試験に合格した時、そんなものではなかったかと思うのだが、最初にインテリアコーディネーターの試験を受けた1993年、住宅建築業の会社に勤めていたので、そこで学ぶものが相当あったことから、ほとんど、インテリアコーディネーター試験の勉強をせずに受けても70点くらいとれたのだ。ところが、そこから1年間、勉強して受けた翌年の1994年の試験でも点数は1年目の1993年とほとんど変わらなかった。 さて、ここからが「試験はアタマでやるもんや」ということで、あと5点プラスアルファを上げるにはどうすればいいかを頭を絞って対策をとり、3年目の1995年には80点以上とれたと思うが、結果としてはかなりの高得点で合格した。 資格試験であれ入学試験であれ、この合格最低点の少し下から少し上まで上げるというのは、けっこう大変なのだ。 そうはいっても、「あと少しで京大の合格圏」という成績を1回目の模擬試験と2回目の模擬試験でとれていた。 そして、担任のOは上記のように答え、父はそれを聞いて納得したはずだったのだが、しばらくして、父が「はい、これ」と言うので何かと思って見たら神戸大の経済学部の入試要項と願書だった。 「何ですの、それ?」と言うと、「あんたのために、取って来てやってやってやってやったった」と言うのだ。 「え?」とびっくりした。 その時点で、私と父母との間で、神戸大を受けるなどという話はまったく存在していなかった。 又、私は心理学か哲学を学びたいと思っていたのだが、もしも、そういう研究者になるのでないなら法学部に行って司法試験を受験して裁判官か弁護士になりたいと思っていた。文学部の心理学科や哲学科に行きたいと言うと父母は反対すると思ったので、法学部を目指すという話にしていたし、最も魅力を感じていた大学は京都大学だったが、それを、東大の文科1類を受けようということを考えたのは、京大なら自宅から近いが東大なら遠いから、父母にわからないように、文科1類に入った上で3年に上がる時に文学部に変わることだってできるのではないかと考えたからだった。、私と父母との間で経済学部という話が出たことはまったくなかった。「はあ?」と感嘆詞が口から出た。 「そやから、あんたのために、これ、取って来てやってやってやってやったってんがな。感謝しなさい」と父は言うのだが、法学部がなぜ経済学部に変わったのか、東大がなぜ神戸大に変わったのか。 最近になって気づいた。 父は、その時から、「どこの大学に行くかとかどの学部に行くかとかいうのは大事な問題やねんで。そやから、そういうことは、えらいえらいえらいこのわしいが決めたる」と、そう思っていたのだと思う。 そして、東大・京大・阪大・神戸大というのは文科であれば試験科目と配点はほとんど同じで問題も同じであるから、模擬試験でどういう点数を取れたかを見て、それより下の所なら、どこにするかは、それは「わしいが決めるもんじゃ、わしが、わしが、わ、し、んがあ〜あ」と思っていたようだ。 だから、私に一言も断りなく、神戸大の経済学部の願書を取って来たのだった。 私が親なら絶対にそんなことはしない。本人が納得できない所を受けさせてうまくいくわけがない。 もし、親が本人が受けたいという所ではない所に行かせたいのなら、その話をするべきだが、父はそういう考えをする人間ではなかった。
   さらに、高校卒業時は国立大学1校だけ受験すると話がまとまっていたはずなのに、1月になって、父は、突然、関関同立のどこかを練習で受けたらどうやと言い出した。「今、行くつもりもない所を受けて時間をとられたくないから」と私は言ったが、「練習のために」としつこく、根負けして立命館大の学部を1つ受けて通ったが、別段、練習にはならなかった。さらに「早稲田か慶應を受けてみたらどうや」と言うので、「これ以上、余計なものに時間をとられたくないから受けなくていい」と言ったが、これもしつこく根負けして、早稲田大の法学部に願書を出した。しかし、「練習のために」と父が言うから願書を出したのだが、いったん願書を出すと、父は「早稲田は通ったら絶対に行くべきやでえ」と突然言いだした。「はあ〜あ?」。こんなことする親あんまりないと思うがなあ〜あ。中央公論社の「世界の名著」シリーズで『世界の名著 聖書』の新約聖書の方の翻訳者である前田護郎さんは大学に進学する時、聖書の研究をやりたいと思い文学部を受けたかったが親は許してくれず、法学部だったかを受けさせられたが、聖書の研究を捨てる気持ちになることができず入学試験では白紙で答案を出してきた。そして落ちて浪人した。翌年は文学部を受けさせてもらい東大の文学部で聖書の研究者になった。実は私も、この時、同じことを思ったのだ。立命館大は「通ったら行くべきやで」とは父は言わなかった。父としても、立命館大では嫌だったようだ。しかし、父は立命館大では嫌でも早稲田大ならいいと思ったらしい。本人がなんで早稲田みたいなもん、行かされにゃならんのだと思っても、「わしが決めることじゃ」と思っていたようだ。母は「なんで、早稲田まで落ちるの」と言ったが、白紙で答案だしてきた以上、落ちるわいな。
   父は、そういう「だまし討ち」みたいなやり口が好きな男だった。私はそういうのはよくないと思う。そして、数学科や哲学科から「転向」させようとするなら、経済学部よりは法学部の方が近い。父はそれもわからない男だった。それに加担したのが2年の時の担任の旧姓S野だった。

   次回http://tetsukenrumba.at.webry.info/201703/article_5.html 「アカデミック型」か「実用型」か を述べる。
 (2017.3.29.) 

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「燃える人間」か「燃えない人間」か、「科学論理型」か「現状妥協型」か−受験生へのエール【4】 哲建ルンバ/BIGLOBEウェブリブログ
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