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zoom RSS 文系か理系かどちらと言い難い学問分野があり、複数学部にある学科がある−受験生へのエール【2】

<<   作成日時 : 2017/03/29 21:05   >>

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[第274回]
   「とってちってたあ〜あ」の学部という意味での「ブンケー」と、東大なら文科1類・2類・3類、京大なら文学部・法学部・経済学部・教育学部という意味での「文系」とは意味が違うのだが、後者の方の意味にしても、その人間が後者の方、「とってちってたあ〜あ」「撃ちてしやまん」「死んでもラッパを放ちまちぇんでいたあ」の意味でない方の「文系」か「理系」かという適性の考え方にしても、簡単に「文系」(「とってちってたあ」でない方の「文系」)か「理系」かどちらなのか判別が難しい学科、学問分野が存在する。

    東大の農学部には農業経済学科というのがある。 農学部に行くのは東大では理科2類から行くことが多いのではないかと思う。 東京農工大学という府中だったかにある大学でも農業経済学科があったはずだ。前に勤めていた会社にこの2つの大学の農学部農業経済学科を卒業したという人がいたので、この2つの大学には農学部に農業経済学部があるのを知ったが、他の大学にもあるのではないかと思う。農業経済学科というのは、農学部に行ったけれども、経済学みたいな方をやりたいという人が選ぶことが多い学科らしいが、なんで、農業経済学科て農学部にあるのだろうか? と思いませんか?  経済学部にあっても悪くないような気がしませんか?
    建築学科は工学部か理工学部にあるものと高校時代は思っていたのですが、東京芸術大学の美術学部にも建築学科があるのです。 国立大学では建築学科は工学部にあることが多く、芸術学部・美術学部にある建築学科は国立大学では東京芸大くらいですが、私立大学では工学部・理工学部にある場合と芸術学部・造形学部にある場合があるようです。又、日本では国立大学では建築学科は工学部にあることの方が多いのですが、ヨーロッパではそうではなく、建築学科は芸術学部にあることの方が多いらしい。建築学科を卒業して建築以外のデザインの仕事につくような人もあると聞いた。 建築を工学の一分野と考えるのか、芸術の一分野と考えるのか。 実際には両方の意味合いがあるわけで、だから、工学部・理工学部にある大学と美術学部・芸術学部にある大学があるようです。工学部・理工学部にある建築学科と美術学部・造形学部にある建築学科では、工学部・理工学部にある建築学科の方が理工学系の部分、たとえば、コンクリートの強度はどうすれば計測できるかとか、そういう部分に重心があるのに対し、美術学部・造形学部にある建築学科では「建築構造学」「構造力学」といったものもやるものの意匠・デザインの方に重心がある場合が多いようです。(慶應の経済学部と商学部では、経済学部でも商業学・経営学・会計学などもやるけれども経済学の比重が大きく、商学部でも経済学はやるけれども商業学・経営学・会計学などの比重が大きいというのと、工学部・理工学部の建築学科と美術学部・造形学部の建築学科との関係は似ているかもしれません。)建築学科学科名は「建築学科」ではないが、卒業すると2級建築士の受験資格を得ることができて卒業後2年の実務経験で1級建築士の受験資格を得ることができる学科で「デザイン学科」などの名称のものもあり、建築学科のうちに入れることもできるかと思いますが、そういう学科ではデッサン・スケッチなどを相当やるようで、美術としての傾向が強いようです。 商業施設はお客さんが来てくれてナンボのものであり、「世界の◇◇」とか言って芸術家ぶって「建築は爆発だあ!」みたいなもん作られても客が来ない閑古鳥が鳴く建物作られても困るんですけどお〜お・・・、住宅は売れてこそのもので、多くの日本人に建てられないようなものだの住めないような家だの作られても困るんですけどお〜お・・・という点から考えると、商学部とか経済学部に建築学科があっても悪くないような気もするが、商学部や経済学部にある建築学科はないようだ。 美術・芸術は「文系」か「理系」かというと、東京芸大なんか見ると、どちらとも分類不可能みたいな感じ、「体育」が「文系」か「理系」かと言われても困ったもんだみたいな感じがするが、「芸術」も文系か理系かと言われても困る。慶應大学の文学部には音楽学科があり、美術学科もあった気がするのだが、慶應の文学部音楽学科というのは音楽史とかやっているようで、私も日吉の教養課程の時に「音楽」の講義に出席させてもらったが、慶應では声楽やバイオリンやチェロとかを演奏するのではなく「音楽史」をやる音楽学科は文学部の所属しており、「文学部は文系」と分類するならば「音楽」は「文系」になることになる。 美術史とかやってる美術学部も文学部だから「文系」とするならば、困ったことに、東京芸大には美術学部に建築学科があるので、「美術学部は文系である」とすれば、建築学科も「文系」になる。 そもそも、建築は「文系」なのか「理系」なのか、といっても、両方の境界域にあるものだと私は思う。 だから、いちがいに「文系」か「理系」かなんて決めようがないはずなのだ。 東大の文科1類・2類・3類、理科1類・2類・3類という分け方は、あくまでも、東大がそういうことをやっているということで、東大の分け方に思考を完全に支配されない方がいいと思う。
    「経済史」は経済学部や商学部に配置されているが、文学部歴史学科においても、そもそも、歴史というものは、社会のあり方の移り変わりであり、経済・社会のうつりかわりを無視した戦前の国史のような「人物中心の歴史」などというものは歴史ではないわけで、文学部史学科における「歴史」にしても「経済史」「産業史」が存在しないというのはおかしい。 「建築史」は建築学科に配置されていることが多いが、しかし、建築は文化の1つで、建築史は文化史の一分野と考えると文学部史学科にあっても悪くなさそうにも思えてくる。 経済学部・商学部も一般に「文系」にされ、文学部史学科も「文系」にされるが、「建築史」の場合は、工学部建築学科にあると「理系」で文学部史学科にあったら「文系」というのも、これも変な話 である。もとより、「文系」なのか「理系」なのか、境界域にあるものだと思う。
   アメリカ合衆国ニューヨーク州立シラキュース大学の精神科教授トマス=サズは『「精神医学」という神話』(日本では岩崎学術出版社から訳が出ていて『精神医学の神話』と訳されているが、英語の題名から考えても本の内容から考えても、ここでの“ of ”は「〜の」ではなく「〜という」と「同格のof」として訳すべきであり、『「精神医学」という神話』が書名として正しいはずである。)の中で、「精神医学」について、「彼らが言うことを聞くのではなく、やっていることを見るべきだ」というアインシュタインの言葉を引用して、その視点で見て、「精神医学」と称してやっていること、「精神科医」という連中がやっていることというのは、彼らが「言っていることを聞く」と、彼らは「医学」だと言っているけれども、「やっていることを見る」と、どう考えても、「医学」ではなく、「文学」「哲学」「社会学」といった分野の内容をやっている。 それを「医学」だとか言って「診断」したり「治療」しようとするところから話はおかしくなっていると指摘している。 日本の「精神科医」でも比較的良心的な人は、「精神医学」「精神科医」「精神病院」がうまくいかない原因として、「精神医学」が対象としているものは、人間のあり方・人間の生きざまとかそういったものであり、これは文学・哲学・社会学といったそういう思考を必要とする問題であるのに対して、実際には自然科学者の思考しか持たない多くの「精神科医」がそれをやろうとするところに問題があると指摘する。
    「精神医学」の場合、「患者」とされてしまった人を「無効化」するという「目的」でその「学問」自体が存在することから、「患者」が何を言っても「きちがいのたわごと」とされてしまうところがあり、かつて、「ロボトミー」とか「エクトノミー」などの「精神外科」と称して「患者」の頭蓋骨を鋸で切って大脳をスプーンのようなものでえぐりとるとかいったことをした者どもがいたが、それらの「精神外科」が批判を受けると、批判を避けるために、「化学的ロボトミー」として、「精神安定剤」と称する化学物質の大量投与によって、実質、「ロボトミー」などの「精神外科」と同様に「患者」の脳にダメージを与えるようになったが、「精神科医」と称する連中は「患者」は人並みの権利はない人間であると見做しているからそれらができるわけで、その点において、「患者」は人並みの人間であるという前提の「心身医学」や「心理学」は「それに比べるとまとも」である面もあるが、「心理学」もまた、人を操って野郎とする性質を持つものであり「精神医学」と変わらない面がある。 それら、「精神医学」や「心理学」は大変問題が多い学問分野であるが、それはさておき、「心理学」とは「文系」なのか「理系」なのかという問題がある。 京大とか東大とかでは、文学部とか教育学部とかに心理学科・教育心理学科があるのではないかと思う。 慶應大の場合、心理学科は文学部にあるのだが、「一般教養課程」では、「自然科学」「人文科学」「社会科学」の3分野から2科目ずつ以上履修しないといけないとされていたのだが、そこでは「心理学」は「自然科学」に分類されていたのだ。 慶應大の心理学科は「実験心理学」といって自然科学に近い心理学をやっているということもあったかもしれないが、私の感覚では心理学は人文科学だと思っていたのだが、「一般教養科目」としては「心理学」は「自然科学」に分類されていた。 結論として、「心理学」は自然科学なのか人文科学なのか、どちらなのかと言っても、いつまで議論しても、こっちや! という結論はでないと思う。 境界域のものなのだからしかたがない。 「あなたは文系よ」と決められて、さて、「心理学」はその「文系」なのか「一般教養科目」としては「自然科学」に分類されている以上は「理系」なのか。 そもそも、「文系」とか「理系」とかいう分け方が間違っているのではないのか。
    経済学部というのは「文系」なのか「理系」なのか。 東大とか京大とかの入試の試験科目においては、東大の文科2類、京大の経済学部は「文系」の方の試験科目となっているが、あまりにも東大や京大のあり方を絶対のものと考えない方がよいと思う。 慶應義塾大の場合、私が高校を卒業した1970年代後半からしばらくは、経済学部の試験科目は英語と数学の2科目のみ、商学部の試験科目は英語と数学と社会科が日本史か世界史のいずれか1科目を選択の3科目だった。「慶應の商学部は何もないところにいきなり作った学部ではなく、戦後、学部の定員を増やそうかという話があった時に、それなら、いっそ、学部を2つに分けようということで、かつては理財科と言い、それを国立大学の学部名にあわせないと大学と認められないという時期があって、その時期に経済学部と理財科を名称変更した経済学部を2つに分けて、経済学を中心に学ぶ人たちを経済学部、経済学も学ぶが商業学・会計学・経営学など経済学以外の方を中心に学ぶ人たちを商学部としたというものらしいが、内部進学の人で会社の社長の息子とかいう人は「名前」をとる人が多いようで、昔からあるものを2つに分けて片方にそれまでと同じ名前をつけて他方に別の名前をつけると前からの名前をつけているものの方がいいように思えることから「経済学部」に行きたがる人が多いようだが、東大では経済学部に経済学科と経営学科があるので、社長の息子とかで東大の経済学部に行った人は経営学科の方に行くという人が少なくないようだ。 慶應では、経済学部は数学と英語だけで受けることができたので、国立大学の医学部に落ちたという人が受けたりもしていたようで、法学部と商学部は入試の科目が多いことから国立大との併願で国立の大学を落ちて慶應に来たという人間が比較的多い学部だったのに対し、経済学部はそうではなく「一橋大の経済学部を受けた」と称する人間が多い学部だったがそれはいわゆるひとつの「オリンピック」、「参加することに意義がある」、「人生経験で受けただけ」という人が多い学部だった。かつ、経済学部は3人に1人が内部進学という学部で、慶應の経済学部・商学部・法学部の中で最も内部進学が多いのが経済学部で最も内部進学が少ないのが商学部であり、「慶應ボーイ」とかいう、いわゆる「慶應タイプの女たらし」になりたいなりたいとあこがれるようなヤツが行きたがるのが経済学部で、そういうのはあんまりなあ・・・と思う人間の割合が経済学部に比べれば多くないかもしれないのが商学部だった。
    1980年代の半ばくらいに、「慶應は入試科目に数学がある」ということから、模擬試験などで「偏差値」とか出すと、数学なしで受けられる早稲田大などと比べて「下の方」に記載されることから、受験生の評価が下がってしまうようで、これではいかんと私が在学中に入試の科目を変更したようだった。 しかし、最近、インターネットで検索すると、また、元に戻したの? みたいな感じもするので、今はどうなっているのかよくわからない。 私が高校卒業した年、及び、その後、しばらくは、慶應は経済学部と文学部は数学と英語のみ、法学部は数学・英語・国語と社会科が日本史か世界史のどちらか1科目の4科目、商学部は数学と英語と社会科が日本史か世界史のどちらか1科目を選択の3科目で、法学部と商学部は私立大学の中では試験科目が多いことから国立大学と併願する人が多い学部だった。 今でも、慶應の内部進学の高校では経済学部に行きたいという人が一番多いらしいので、経済学部と商学部が別れてからけっこう年数も経ち「商学部」の卒業生もけっこう出てきたことから、これからは、もしかすると、「内部進学の人が多いのが経済学部」、「“外部の連中”が多いのが商学部」となっていくかもしれない。

   話が少々横道にそれてしまったが、「慶應タイプの女たらし」の話はまたの機会にするといたしまして、もとの話に戻して、東大の入試の科目、京大の入試の科目をもとに考えると、「理科の成績と社会科の成績を比べると社会科の成績の方がいいみたいだから文系」というのはありえそうな話と思えないこともないのですが、慶應大の試験科目から考えるとちっともそんなことない。
   慶應の経済学部の試験科目は数学と英語のみだった。 「数学と英語は比較的自信があります」とか勝手なこと言ったらしい江川は、なぜか「数学と英語」のみで受けることができる経済学部は受けずに、法学部・商学部と文学部を受けたらしいが(しかし、まあ、よく言うよな)、江川のことはそれも横に置いておくといたしまして、もしかして、「経済学部は慶應の看板学部だから裏口は無理としても、法学部か商学部なら裏口で入らせてもらえるのではないか」とか考えた??? て感じがしないでもないし、船田中(お船のついてる田中さんではなく、船田が苗字で「中」が名前らしい)なんてのが関係していたにしては、裏口で入れなかったのかあ? て感じがしないでもないが、それもここでは横に置いておくといたしまして、慶應の経済学部の入試科目を見ると、 「近代経済学は数学を使用する」という点、森川英正『日本経営史』(日経文庫)に載っていた話だが、かつて、福澤諭吉が存命中、大学になっていない「塾」であった慶應義塾から商社に応募したなんとかさんが、面接で「英語と簿記は得意ではありません」と言って、福澤諭吉から「実業家を志す者が、英語と簿記が苦手とは言語同断だ」と怒られたというお話があるように、簿記と語学(特に英語)は「実業家を志す者」にとっては必要なものであるということから英語は試験科目とし、国語についてはそれほど重視していない、日本語が人並みに話せればいいくらいの感覚、商学部でも経済学部と同じく英語と数学を試験科目として3科目目は国語ではなく日本史か世界史のいずれかとして、国語よりも歴史の方が必要だという認識なのでしょう。 そうなると、北野高校の2年の時の担任だった20代の前半でしかない神戸大の文学部しか行ってないくせしやがってからにえらそうな口ばっかりきいていた旧姓S野の「理科と社会科と比べると社会科の方が成績がいいから」という「理由」で「あなたは文系よ」という理屈は、社会科は入試の試験科目にない、社会科は経済学部においては数学・英語に比べて必要性は低いと考える慶應の経済学部、また、旧姓S野は私を「文系よ」と指定した論拠として、文学作品なんか読まないような人間は「理系」でそうでない私のような人間は「文系」と決めつけたようだが、慶應の経済学部も商学部も国語は必要性は高くないと考え、商学部でも数学・英語の次に必要性が高いのは歴史であるとして日本史か世界史のどちらか1科目選択としていたわけであり、旧姓S野の認識は、東大・京大などの試験科目から考えると、「そうかいなあ」と思ってしまいそうであるが、その頃の慶應大の試験科目から考えると、「理科と社会の成績を比べると社会の方がいいから」と、なんで、社会科が試験科目にない経済学部に適性があると言われなきゃならんのだ? ということになるし、「文学に関心がある人間であるから文系だ」と言うのなら、数学・英語の次に必要性が高いのは日本史・世界史といった歴史であると考える商学部の試験科目から考えても、国語は重視されていない経済学部・商学部に、なんで、「あなたは文系よ」と言われなきゃならんのだ、ということになる。

    話がそれついでに言うと、慶應義塾大学というのはオーナー社長の息子とかがけっこう多い大学で、内部進学の人になるとさらに多い。 内部進学の人は経済学部に行きたがる人が多い。 経済学部と商学部はもともとは「理財科」といっていたものが、国立大学と同じ学部名をつけないと大学として認められないという時期があって、その時に「経済学部」と名称変更した学部を、戦後、学部の定員を増やそうという話が合った時に、それならいっそのこと、学部を2つに分けてはどうかということになって、他のこともやるけれども主として経済学を学ぶ人たちを「経済学部」、経済学もやるけれども商業学・会計学・経営学などの方が中心の学部を「商学部」と名づけたそうで、「慶應の商学部は何もないところに新たに作った学部ではなく、経済学部が理財科の後身ということではなく、経済学部と商学部が理財科の後身なのです」と商学部の教授先生は言われていたのだけれども、そうはいっても、もとからあるものを2つに分けて片方にもとからの名前をつけて、他方に新しい名前をつけると、なんだか、もとからある名前をつけている方が正統で値打ちがあるみたいな感じがしてしまうところがあり、それゆえ、「名前」を欲しがる内部進学の人たちは経済学部を好むらしい・・・・・が、不思議なことに、オーナー社長の息子が誰もが慶應大に行くわけでもなく、灘から東大なんて人もいるわけで、そういう人が東大の文科2類に行き、教養課程から専門課程に行く際(2年から3年に進級する際)には、経済学部経済学科と経済学部経営学科では経営学科の方を選ぶ、慶應大なら経済学部ではなく商学部に該当する方を選ぶ場合が少なくないようだが、経済学部経済学科と経済学部経営学科となら経済学部経営学科の方を選ぶような人が、経済学部と商学部なら名前をとって経済学部の方を選ぶというのも、なんか変な話・・・・だが、「名前が欲しい」から大学に行くような人にとっては、慶應の場合、「経済学部」がブランドだから、ブランドの学部の法がいいということなのだろう。 高校時代の私からすると、「慶應の経済」というのは、「女たらしの大学」「なんや、鼻の下の長いにやけた・・・」というイメージが強かったのだけれども。実際に慶應に行ってみると、慶應の経済学部は他の大学の経済学部と比べても、ブタ商人学部という性質が強いという印象を受けるし。

    それはそうと。  自分はどういう方面に向いているか、という点について考える際だが、【A】 「覚える型」と「考える型」、【B】「燃える人間」と「燃えない人間」、【C】「現状妥協型」か「論理型」か、【D】「アカデミック型」か「実用型」か、【E】「会社員型」か「反会社員型」か、という5つの視点を考えてみるべきだと私は思うのだ。 それを、次回http://tetsukenrumba.at.webry.info/201703/article_3.html 説明したい。

☆ 受験生へのエール
1.受ける大学学部を「理科と社会科はどちらの成績がいいか」などで決めてはならない http://tetsukenrumba.at.webry.info/201703/article_1.html
2.文系か理系かどちらと言い難い学問分野があり、複数学部にある学科がある 〔今回〕
3.「受験は頭でやるもんや」、及、「覚える型人間」か「考える型人間」か http://tetsukenrumba.at.webry.info/201703/article_3.html
4.「燃える人間」か「燃えない人間」か、「科学論理型」か「現状妥協型」かhttp://tetsukenrumba.at.webry.info/201703/article_4.html
5.「アカデミック型」か「実用型」か、ブタ人間はお好き? http://tetsukenrumba.at.webry.info/201703/article_5.html
6.両親が離婚した人間より離婚しない人間は「家族の政治学」で苦労しないか? http://tetsukenrumba.at.webry.info/201703/article_6.html
7.「会社員型」か「非会社員型」か。親には息子に「所有権」があるのか? http://tetsukenrumba.at.webry.info/201703/article_7.html
8.文学的素養があるから経済学部に行けと言う女とないから行ってはだめだという男 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201703/article_8.html 


家族の政治学
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トマス=サズ『「精神医学」という神話』(岩崎学術出版社)↑

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