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zoom RSS 受ける大学学部を「理科と社会科はどちらの成績がいいか」などで決めてはならない−受験生へのエール【1】

<<   作成日時 : 2017/03/29 20:57   >>

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[第273回]
   大学の合格発表が終わり、高校を卒業する年に落ちて浪人することにした者は、「浪人生活」にそろそろ入りかけることかと思う。 駅とかで高校の同級生で通ったやつと会うと、なんか、「違いがわかる男のネスカフェゴールドブレンド♪」て感じで、「違い」を感じてしまったり・・・・。〔⇒《YouTube-ネスカフェ ゴールドブレンド 》https://www.youtube.com/watch?v=fYd2qsugZx4 〕
    3月のうちは、「まあ、落ちたのならしかたないか」とか思っているのが、4月に入ると、合格して大学に行ってるやつと電車の中で会ったりすると、ますます「違いがわかる男のネスカフェゴールドブレント」になってしまったり。 昔、『あしたのジョー』という漫画があって、少年院のボクシング大会で、元プロボクサーの力石徹は矢吹丈との対戦で、1分以内に倒してみせると宣言したものの倒すことができず、「こうなったら、それをつぐなうために、矢吹の野郎をこてんぱんにしてやります」とか言い出すわけだが〔《YouTube―力石徹のテーマ 》https://www.youtube.com/watch?v=CnatmSZC-Dg 〕、そんな感じで、4月に入って、「浪人」というのを実感し、なんだか、経歴に傷がついてしまったかのような気がしてしまい、「こうなったら、それをつぐなうために、次の入試では、(東大なり京大なりに)1番で通ってやる」とか、なんか、そういうことを考えそうになったりします・・・・・が、それは、私の経験から言うと、「よくない傾向」「落ちる要素」だと思う。 なぜなら、入学試験というのは、「1番であるかどうか」が問われる試験ではなく、「合格最低点より上回ることができるかどうか」が問われる試験であるので、「1番で通ってやる」とか本気で思ったなら、むしろ、それは「勝負弱さ」となる。 そもそも、氏名と受験番号さえ書けば合格できるようなところを受けるのならともかく、頭狂大学とか狂徒大学とかに行こうとする者にとって、頭狂大学とか狂徒大学とかの入試で「1番の成績」なんて、簡単に取れると思うか? 別にとらなくたっていいんだよ。1番なら学費免除にしてくれるとかあるなら話は別かもしれないが、国立大学はそうじゃないのだ。もしかすると、1番で合格すると入学式で「宣誓」か「誓いの言葉」か何か「新入生代表」として読ませてもらえるとかあるかもしれないが、別にそんなの、読ませていらんし。
    実際問題として、だ。 資格試験においても、私は、1992年に宅地建物取引主任者の試験において、これは4つから1つだったか3つから1つを選ぶかの択一式試験だったので試験後に自己採点ができたのだが、自己採点すると、問題は50問出題され、過去何年かの合格最低点は問題が易しかった年で50点満点の35点、問題が難しかった年で30点だったのだが、その年の問題はどう考えても過去数年間の問題と比較して易しいとは思えなかったのだが、私は35点だったか36点だったか取れていたので、合格できた可能性が高いと思ったのだが、この時などは、もしも、その試験が本番の試験ではなく模擬試験であったとしたならば、「A」の判定、「合格可能性80%以上」「合格にまっしぐら」とかいう評価を受ける成績だったと思う・・・・・が、それは受けた結果としてのものだ。 受ける前はそんなこと思っていない。受ける前の時点では、「いかにして、合格最低点を上回るか」とそれだけ考えた。 入学試験にしても資格試験にしても、TOEICとかTOEIFL とかのように「合格か不合格か」ではなく「この人はこの試験で何点とりましたと証明する」という試験なら、「できるだけ高い点数で」と考えればよいが、入学試験とか大部分の資格試験においては「合格最低点を上回ることができるかどうか」が何より大事であって、1番で通ろうが最下位で通ろうが合格は合格、問題は合格最低点を少しでも上回るか少しでも下回るか。それだけである・・・・のだが、小学校から上の方の成績をとってきて高校のその地域で一番の高校に行ったとかいうような人間は、「浪人」なんかしてしまうと、この屈辱を補うために、次は「一番で通ってやる」とか、つい、考えがちだが、そんなこと考えない方がいいよ。東大であれ京大であれ、各学部ごと(東大は「類」ごと)に1番で通った人間というのが1人ずついるはずだが、そういう人だって、あくまで、「結果として1番になった」のであって、受ける時は「合格最低点をいかにしてより高い確率で合格するか」を考えていたのではないかと思う。もしも、1番で合格すると思って1番で合格した人間がいたとしても、そんな人間のことなんてどうでもよいではないか。自分に関係があるのは自分自身が合格最低点を越えるか超えないか、それだけのはずだ。 私自身の経験で言うと、浪人1年目(2年目があるというのが情けないが)の8月に京都の駿台予備校で受けた東大模試で、文科三類で合否ぎりぎりくらいの成績だったのだ。 文科の3つの中で最も易しいとされる三類で。これはショックだった。最も難しいとされる一類でも「トップで通ってやる」とかいう基準からして三類で合否ぎりぎりくらいの成績というのは、なんとも情けない。 それだけではない。信じられないことだが、他の模擬試験では自分より1学年下の人間、高校3年の人間で自分より上の成績をとる人間がいたのだ。 落ち着いて考えてみると当たり前と言えば当たり前のことで、自分が高校3年の時、1年上の浪人の人間より上の成績をとったりしていたのだから、逆の立場になることだってあるわけだが、それまで、そういう経験をしたことがない者にとってはショックだった。 しかし、さらに落ち着いて考えることができれば、東大模試という模擬試験において、文科で最も易しい三類でも「合否ぎりぎりくらい」というのはそんなに悪い成績ではないのだ。 ところが、「浪人した以上はゆうゆうと合格できるようでないといけない」とかそういう意識があったものだから、ものすごい悪い成績のような気がしてしまった。
   ここでさらに問題があったのは、YMCA予備校という良心的でないものだから今はなくなった予備校の高槻校の「主事」という意味がよくわからない役職の男Fが「現役でなら、模擬試験で通った人間5人・落ちた人間5人というくらいの成績で受けてもいいが、浪人したら最低でも通った人間8人・落ちた人間2人と言うくらいの成績でなかったら受けてはいかん」などと言いおったことがあって、「そうかな」と思いながらも、その言葉が頭に残ってしまったということがあった。今から考えてみると、なんともバカげている。落ち着いて考えてみよう。〔[第225回]《「通った人8人、落ちた人2人の成績」を取らないと受けてはならないか?―YMCA予備校の間違い≪3≫ 》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201511/article_9.html の【5】 でも述べたことだが、〕頭狂大学とか狂徒大学とかそういう大学に行こうという際に、模擬試験で「通った人間8人・落ちた人間2人」なんて、そんな成績、簡単にとれると思うか? 先に述べた宅地建物取引主任者の試験を私が受けた際、本番の試験で私はその本番の試験が本番の試験ではなく模擬試験だったとすると「通った人間8人・落ちた人間2人」というくらいの成績をとれたと思う。又、1995年、インテリアコーディネーター(インテリア産業協会実施。 その頃は「通産省認定国家資格」だったが、後に「民間資格」に“格下げ”された。)の1次(学科)試験に合格した際も、自己採点の成績から考えると、もしも、その試験が本番の試験ではなく模擬試験であったなら「通った人8人・落ちた人2人」というくらいの成績で通ったと思う。しかし、それは、あくまでも受けた後での話、結果としての話である。受ける前はそうではなく、あくまで、「いかにして合格最低点を1点でも上回るか」だけを考えて受けた。 1989年度の巨人の監督を引き受けた藤田元司が読売新聞のスポーツ欄で「ボロ勝ち・競り負けは弱いチームのやること」と述べていた。野球も入学試験も資格試験も「ともかく、勝てばええんや」。 「いかにして、より高い確率で、合格最低点を1点でも上回ることができるか」と考えるのと、「1番で通ってみせる」とか「通った人8人・落ちた人間2人というくらいの成績でなかったら受けてはいかん」とかそういうアホなこと言っているのと、どちらが合格しやすいか? そこを考えるべきである。
   「ボロ勝ち競り負けは弱いチームのやること」であり、「1番で通ってみせる」とか「通った人8人・落ちた人間2人というくらいの成績でなかったら受けてはいかん」とか本気で考えるならば、それは「勝負弱さ」であり「落ちる要素」の1つであると私は思う。 予備校の人間は、もし、考え違いをしている生徒がいたならば、その点を教えてあげるべきだと私は思うが、その予備校にもよるが、自分自身がわかっていない人間が少なくない。 そもそも、YMCA予備校高槻校の「主事」のF井という男は「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と、1日に3回は言わないとおれない男で、そのわりに早稲田大に行っていた時にどういう経験をしたとか、受ける際にどういうことを考え、どこがうまくいってどこはうまくいかなかったかという話はまったくないという男で、「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と1日に3回は言わないとおれないというF井を見て、早稲田大学というのはくだらない大学なんだなあと思ったものだったが、実際の早稲田大卒の人と会った経験ももった今から考えてみると、早稲田大学というのは国立大学と違って内部進学もあればスポーツ入学もあり私学であるからには裏口入学だっていくらかはあるだろうし、他の大学と比べても「玉石混交」の度合が大きい大学だと思うが、それにしても、「あんな早稲田ないわな」と思う。あれは、いわゆるひとつの「学歴詐称」だろう。建築業界に勤めると、「いっきゅうけんちくしい〜い」と言えばひとは「言うことをきく」と思っているヤカラがいるが愚かである。建築業界では「私、早稲田の建築でてますから」というのが「学歴詐称の定番」で、1989年、小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→ヤマダエスバイエルホーム(株) 〕の千葉支店で営業やっていたS川も「私、早稲田の建築でてますから」と実際はニチゲー(日大芸術学部)卒のくせしやがってからに、お客様に言っていたらしいが、建築業界限定では「早稲田の建築」というのが「学歴詐称の定番」だが、建築業界限定でなければ 「早稲田の政経」というのが「学歴詐称の定番」なのだ。 だから、会社というところに勤務する経験を積んだ今なら、「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と言われると、「ああ、そうですか」という気持ちになる。「ああ、そうですか」というのは、「学歴詐称」したい人なのかなという意味だ。浪人した年、私は今から考えると「世間知らず」だったなと思う。 学歴詐称する人間なんて世の中にはゴマンといるのだが、予備校であれともかく「学校」というところにおいてそんな人間はいないだろうなどと勝手に推測していたが、そうではない。あれは「学歴詐称」だと思う・・・・が、あんなしょーもない男が「学歴詐称」であってもなくても、そんなことは重要ではない。万一、学歴詐称でなかったとしても、しょーもない男であることに違いはないのだから。 ともかく、頭狂大学とか狂徒大学とかいうような「手ごわい」ところに行こうとする以上、「1番で通ってやる」とかそういうアホなことは考えない方がよろしい。実際問題として、河合塾の東大オープンとか駿台の東大模試とか受けると、なんか、バケモンみたいな成績をとるヤツというのがいたわけだが、2浪の時に私は思ったのだ。  「バケモンが何点とろうが、俺には何の関係もない」と。「勝負する相手は合格最低点のみ」である、と。 でもなあ、3月はそれほど感じなくても、4月になり5月になりすると、なんか、合格して大学に行ってるやつを見る機会があったりすると、経歴に傷がついたような気がして、それを補うためには「一番で通ったやる」とかそんな気持ちになる人間の気持ち、受験生の親くらいの年齢になって過去をふりかえると、その気持ちもわからんではないのだけれどもね。 YMCA予備校の高槻校は今はないが、近くに大阪医大があって、大阪医大の大学祭の時に大学生のおねーちゃんが案内のチラシみたいのをYMCA予備校の前で配っていたのだが、「ローニン」がそんなもん、受け取れるかあて気持ちになって、受け取りを拒否したことがあったのだが、今から考えると、せっかく、来てくださいと言ってくれてるのだから、チラシくらい受け取ればよかったと思うのだが、「浪人行(ろうにんぎょう)」という「行(ぎょう)」をしている者としては、そんな感じだったのだ・・・・が、「行(ぎょう)」をすると成績が伸びるというものでもないわけだ。 ともかく、「1番で通ってやる」とかそういうアホなことは考えん方がええよ。 入学試験にしても資格試験にしても、「合格最低点を1点でも上回れば合格」と考えた方が、その方が「勝負強さ」であり、「勝つ要素」「通る要素」であると私は思う。 「合格最低点を1点でも上回れば合格であり、それ以上いくら高い点とっても、それがいったいナンボのもんや」と。
   今年、大学を受けて落ちてしまって浪人することにした人で、このブログを読んでくださっている人があったら、4月になり5月になり、なんか、経歴に傷がついてしまったかのように思えてきて、あるいは、現役で合格した人間と比べて浪人して大学に入ったなら、女性からもダメな男に見られてしまうのではないだろうか・・・とか、10年以上経って見るとアホなことをふと思うことがあったなら、ここで私が述べたことを思い出してみるといいと思う。 「勝負する相手は合格最低点のみ」「ボロ勝ち競り負けは弱いチームのやること」と。 「一番で通ってやる」とか思いたい気持ちもわからないことはないが、そういうことは考えない方がいいと思うよ、浪人を終えるまでは。

   さて、前置きが長くなってしまったが、今回は、高校生が進学しようとする大学の学部を決める際、どういうことを考えて決めるべきか、ということについて、思ったことを述べようと思う。 なぜ、こういうことを書こうと思ったかというと、私は失敗したからだ。 特に、今から考えると40年ほど前になるが、北野高校の2年の時、「文系か理系か」というクラス分けの際、2年の時の担任の旧姓S野(女。当時、20代前半。 神戸大文学部卒)が、「あなたは文系よ」と言って譲らず、そうかなと思って「文系」のクラスを選択してしまったのが何より失敗だった。 私と同じような失敗をする人が1人でも少なくなればと思ってここで述べる。
    旧姓S野が「あなたは文系よ」と言った時の「文系」とは、東大なら文科1類・2類・3類、京大なら法学部・経済学部・文学部・教育学部、阪大(大阪大学)なら法学部・経済学部・文学部・人間科学部のことを指し、「理系」とは東大なら理科1類・2類・3類、京大なら理学部・工学部・農学部・医学部・薬学部、阪大なら理学部・工学部・基礎工学部・医学部・薬学部を指す・・・・という意味だろうと最初は思ったのだが、違った。 私は、何があっても、たとえ、首をもがれても、経済学部(及び、商学部、経営学部)にだけは行かされてなるものかと思っていたのだが、旧姓S野礼子が「あなたは文系よ」と言った「文系」とは、私が何があっても首をもがれても絶対に行かされてなるものかと思っていた「経済学部・商学部・経営学部」のことを指していたらしいと後になってわかった。 そもそも、あの女は、なぜ、本人が首をもがれても行かされたくないと思っている所に行かせたがるのかというと、それは、本人と親とが主張が異なる時、「本人のためを思っているふりをしながら実際には完全に親の方に加担する」という態度をとるのが、高校の教諭としての処世術として適切であると認識していたからのようだ。 最近になってやっとわかった。 最近になってやっとわかるというのは、なんとも愚かなことだった。あの女のおかげで私の人生はねじまげられた。
   旧姓S野は、入学式の日、有給休暇をとって海外旅行に行っていたのだが、なんで、そんなことするかなあと思う。 たしかに、有給休暇というものは労働基準法で労働者に認められたものであるが、しかし、高校の先生というのは、夏休みがあり、冬休みがあり、春休みがあり、そして、北野高校の場合、1学期の終わり、7月のはじめに期末テストをするとその後、7月の20日頃までの間、「試験休み」というものがあり、「試験休み」と夏休みを合わせると合計2カ月ほども休みがある。 春休みも2カ月近くあるわけで、夏休み・春休み・冬休みと試験休みを合わせると4カ月半ほども休みがある。又、私のように土日が出勤で水曜など平日に休みがあるという会社に勤めると、「国民の祝日」は出勤があたりまえとなるわけで、「国民の祝日に関する法律」なんてあってないようなものであるのに対し、高校の先生というのは、きっちり祝日は休んでいるわけだ。 さらに、旧制S野の場合、1時間目に授業を持っていないと2時間目から出勤したりしていたわけで、なんか、自分が会社員として勤める経験を経て考えてみると、高校の先生って、休んでばっかりやんけ! て感じがする。 そういう勤務の人が、それでも、まだその上に有給休暇というものを取得する「権利」が労働基準法で認められているからといって、労働基準法の上では違法ではないとしても、何もわざわざ入学式の日に有給休暇とって海外旅行に行かなくても、ほかに行ける時があるのではないのか・・・て感じがする。(実際のところ、自分自身が、ろくでもない三流以下企業に勤めて労基法違反の長時間労働でまともに休みも取らせてもらえずに働いてきた経験を経た上で考えると、「あの女、いったい、どんだけ休んだら気がすむのか!」という気がする。)

    まあ、その入学式の海外旅行のことは横に置いておくとして、旧姓S野がなぜ私に「あなたは文系よ」と言ったかというと、「理科(生物1、地学1、物理1、科学1)の成績と社会科(地理A、世界史、倫理社会)の成績を見比べると社会科の方がいい」というのが理由、というよりも大義名分だった。 そう言われて、その時は、高校の先生が言うからにはそうなのかなあと思ってしまった。 しかし、そんないいかげんなことで決めるべきものではないはずなのだ。 又、理科の成績と社会科の成績を見比べると、あくまで「どちらかというと」社会科の方がよかったかもしれないが、数学の成績と英語の成績を比較すれば数学の成績の方がよかったし、理科でも物理は2学期の中間考査では学年で1番の成績をとっている。 「理科の成績」について、こちらとして強く出れなかったのは、「物理」で2年の1学期の中間考査で、なんと、0点とってしまったという点があった。 なぜ、そうなったかというと、「物理」というのは、わからないとなるとまったくわからなくなってしまうのだ。 で、2年に入って物理が始まって、あ、あ、あ・・・・と思って、わからんとなった時、『親切な物理』という参考書があって、これが「物理」については最高の本と評価されていたので購入して持っていたのだが、『親切な物理』という本はわからない時に読むとよけいにわからなくなる。 「参考書」と言われている本には、わからない時に読むとわかるようになる「参考書」もあるが、『親切な物理』というのはそうではなく、ある程度わかった人が、さらに上の力をつけようという時に役立つ本だったと思う。(今もあるのかどうかは知らんで) そんな本をわからんわからんという時に読むとよけいにわからんようになる。 で、あ、あ、あ・・・・と思っているうちに試験日が来てしまった・・というものだった。 しかし、1回、悪い点数をとったならどうすればいいかというと、次回は悪い点数をとらないようにすればいいわけだ。 そうだろ。 で、2学期の中間考査の時になると、今度は「わかった」わけだ。 たとえば、「現代国語」なんてのは乱暴な表現をすると「しょせんは日本語」だから0点というのはあんまりない。 それに対して「物理」は0点とることだってありうるのだが、「ある程度」わかれば満点に近い点数もとれる科目なのだ。 それで、2学期の中間考査ではけっこういい点数をとれた。「社会科」については、特に1年の時の「地理A」と2年の「倫理社会」は、人によっては大学の入学試験の科目にないものはとことんやらないという人もいたが、私は高校の勉強としてカリキュラムにある以上、入学試験にあろうがなかろうがある程度はやるものではないかと思っていたので、「とことん手を抜く」ようなことはしなかった。だから、「地理A」とか「倫理社会」とかは「とことん手を抜く」人よりいい成績だったのは当然のことだ。 だから、「理科の成績」と「社会科の成績」を比較して文系だの理系だのと言うのは適切ではないと思う。 今から考えると、あの女、ひどいことをしやがると思う。 あいつのおかげで人生の道を間違えた。
    「適性心理テスト」というものを、2年の時に希望者は受けることができたのだが、私は受けなかった。 なぜ、受けなかったかというと、そういう「心理テスト」だか「適性テスト」だかで、あなたはこういうものに向いていますと言われても自分が嫌な方向なら進みたくないし、あなたはこういう方向には向いていませんと言われても自分がその方向に進みたいと思ったならばその方向に行きたいと思ったので、心理学者か何さまか知らんが、どういう方向が向いていますだの向いていませんだの言われたくないと思ったのだ。 しかし、後から考えてみると、それは受けておくべきだったと思う。 なぜなら、旧姓S野が「あなたは文系よ」と決めつけて私が首をもがれても行かされたくないと思っている所に、な〜んとか行かせてやろうと画策するのだから、その際、「心理テスト」だか「適性テスト」だかで、「・・・・に適性あり」と判定が出ておれば、「心理テストでは、そういう結果にはなっていません」とこちらの側の武器として使うことができたと思うからだ。 自分から「適性テスト」を受けなくても、勝手に「適性テスト」をして「あなたは文系よ」とか決めつける女がいたのだ。だから、そういう勝手な女の「適性テスト」に対抗するためには、「適性テスト」としておこなわれる「適性テスト」の方は受けておいた方がよかった。 「適性テスト」としてされるものは、そこで「向いていない」とされたものでも自分がその方面に行きたいと思ったなら、追いかけてきて「いけません」とは言わないのに対して、旧姓S野の「適性テスト」は、ずえったいにそこは嫌だという所に行かせようとして必死になって追いかけてくるので、そちらに対抗するものとして「適性テスト」は使えたのではないかと思う。

    私が、経済学部(及び、商学部・経営学部)には首をもがれても行きたくない行かされたくないと思ったのは、小学校の時に遡る。 小学生の時、父が「結婚相手みたいなもん、東大での行って一流企業に勤めてみい。うちの娘をもろうてくれい、もろうてくれいと行ってきおるもんや。 一流大学に行きさえすれば、結婚相手みたいのもん、どうにでもなる」と、そう言っていたのだ。 それを聞かされて、それで、な〜にがなんでも、そんな女とだけは結婚させられてたまるもんか! な〜にがなんでもそういう女との結婚だけは認めるわけにはいかん、と思うようになったのだ。
    もうひとつは、中学生の時のことだ。 姉が「お見合い」をして、この人と結婚するということにした後に、やっぱり、あの人は嫌だと言い出したことがあったのだが、その時、父が「おまえとあの相手と学校はどっちが上かよう考えてみい。 上かあ、下かあ〜あ!」「おまえよりも、向こうの方が学校は上やろうが、それがわからんかあ」と言っていたのを聞いて、それで、そういう大学は嫌だと思ったのだ。 「上から下かあ」というようなそんな大学なんか行きたくないし行かされたくないと思ったのだ。 学問をする人が好きだとかいうのはいいと思う。 しかし、「上かあ下かあ」というそういう思考で物事を考えるものではない  と思ったのだ。 何より、結婚というものは、「上」であろうが「下」であろうが、本人が嫌だというならだめだと思う。ところが、父はそういうことを言う人間というのは「甘ったれとる」とか思っていたようだ。 「飛雄馬、あれを見ろ。夜空に光る星の中でもあれが巨人軍という星座だ。 あの巨人軍という星座の中でもひときわでっかく光る星になれ」とか『巨人の星』の星一徹のおっさんは言っていたが、その調子で、「東京海上火災のために。その1、その2、その3」とかいう、なんか、「東京海上火災養成ギプス」でもはめられそうで、嫌だった。 その「滅私奉公のために、その1、その2、その3」としての経済学部(及び、商学部、経営学部)にだけは首をもがれてもいかされたくないと思った。 また、父親の主張に負けてそういう学部に行かされてしまうのは、その時の姉を裏切る行為のようにも思って嫌だったのだ・・・・が旧姓S野はなんとしても「あなたは文系よ」と言って私を「東京海上火災のために。その1」としての経済学部に行かせようとしたのである。 そのための大義名分が「理科と社会科の成績を比べると社会科の方がいい」というものだった。 あいつのおかげで人生を間違えてしまった。 20代の前半でしかなく会社づとめの経験もない女がよくも思いあがった口をきいてくれたものだと思う。
    慶應大の商学部に入ってしまい、横浜市港北区の日吉にある慶應の日吉キャンパスの南のあたりにあった日吉台学生ハイツというのに入居したところ、食堂で、桃山学院高校卒http://www.momoyamagakuin-h.ed.jp/ で慶應の商学部に入った I とそのつれ2人の3人が少し離れたテーブルにいたことがあった。 そいつらが話をしているのが聞こえてきた。 「慶應の学校の名前さえ出せば、女なんてどうにでもなる」と、そう言ったのだ。「今度、電車に乗って、女子大生がいたら、慶應の学生証を出して、水戸黄門の印籠みたいに、『これが目に入らぬかあ』とやってやろうか」と別の男が言った。 なんて、程度の低いやつらなんだ、と思った。 おまえら、学校の名前以外にとりえないのか!?! 「学校の名前を自慢したがる人は学校の名前以外にとりえがない人だ」だったか遠山啓が『競争原理を越えて』(太郎次郎社)で書いていたが、まさにそういう連中だった。慶應大の経済学部や商学部の人間にはそういうヤカラが大変多い。 そういうヤカラが多い大学は、なんといっても、一に早稲田、二に慶應という印象を私は受けている。 「KEIO UNIVERSITY」と書かれたトレーナーとかTシャツとかが慶應の生協で売られていたのだが、そういうのを喜んで着て外を歩きたがる男がいっぱいいたのだが、よくそういう恥ずかしいことをすると思った。スポーツのチームに入っていて、それで、試合の時に学校の名前の入ったユニフォームを着るとかはいいと思う。そうでもない時によくそういうものを着て外を歩くと思う。 ジャン=ポール=サルトルがノーベル平和賞を拒否した時、なぜ、拒否するのかというと、1つには、「ノーベル賞というものは、東側の国において『赤い国の抑圧と闘った人』か、西側の国でアメリカ的自由主義に貢献した人かが受賞するアメリカ合衆国の意向を受けた極めて政治的色彩の強い賞である」からというものがあり、特に、サルトルは、一時期、ソビエト連邦に対して好意的な態度をとっていた時があり、フランス共産党とも「共産党の同伴者」のように見られていた時があったが、「ソ連官僚制共産主義」に対して違和感を覚えるようになり、ソ連ともフランス共産党とも距離を置くようになったが、だからといって西側に問題がないと思っているわけではなく、「一時期、ソ連や共産党に好意的な態度をとっていたが距離を置くようになった」という人間であるとして受賞させようということに対して、そういう賞は受けられないと拒否したということもあるようだが、それとともに、「私は『ノーベル賞作家』などというものによって規定されない。私は私だ」という考えもあったらしい。 それに対して、「今度、電車に乗って、女子大生がいたら、慶應の学生証を出して、水戸黄門の印籠みたいに、『これが目に入らぬかあ』とやってやろうか」とは、いったい、何だ、それは、と思ったのだが、そいつらにとっては、それが「独立自尊」らしいのだ。 で、私みたいに、なんて、情けないやつらだと彼らを見て思う人間というのは「独立自尊の精神を身に着けていない」と評価されるらしい、慶應という学校では。逆じゃないのかと思ったのだが、「慶應ボーイ」の判断としては逆ではないらしいのだ。 なんとも、あほくさい情けない嘆かわしい学校だと思ったし、小学校の1年から真面目に努力してきたのに、なんで、こんな奴らと同じ学校に行かされなきゃならんのかと泣くに泣けない気持ちだった。 そいつらは、そういう学校の名前だけで男を評価するような女に好かれたいらしかったが、私はそういう女だけはずえったいに嫌だった。私はそういう女には好かれたくなかった。「敵によって反対されるのは良いことであって悪いことではない。もしも、敵によって称賛されるなら、それは敵と同様に腐敗していることを意味し、敵によって反対されるなら、我々の行動が敵とは一線を画していることを意味しているからだ」と毛沢東さんがおっしゃっていたが、実際、そういう女に好かれるくらいなら嫌われた方がうれしいと思った。そういう女に嫌われたとしても、まさに、「敵によって反対されるなら、それは良いことであって悪いことではない」と思った・・・・が、同じ中学校から北野高校に行って慶應大に先に行った某にそれを言うと、「何いうてんねん。 そういう人間の方が社会で役に立つねんぞ」と言ったので、慶應というのはそういう思想の人が行く大学なんだなと思い、そんな大学に行かされてしまったことが何とも情けなかった。そいつらは、そういう女が好きなタイプの男で、私はそういう女に嫌悪感を覚える男だったのだ。 そういう女が好きな男は慶應大の経済学部とか商学部に向いていると思うが、私のようにそういう女が嫌いだという男は慶應大の経済学部や商学部には適性がないと思う・・・が、適性がないところに行かされてしまい、卒業してしまった。 数年前、どこかの書店の棚に『女に嫌われる女 100人』だったかいう題名の新書本があって、ちょっとだけ中を見てみたところ、ベスト5というのかワースト5というのかに「小倉優子」という名前があり、そこに、「もっとも、小倉優子としてはもともと男に好かれることは考えていても、女に好かれようとは最初から考えていないはずであり、『女に嫌われる女』に選ばれたとしても、小倉優子としてはほめられたようなものであって・・」と書いてあったのだが、私からすると、そういう水戸黄門の印籠男、要するに「慶應ボーイ」が好きだとかいうような気持ちの悪い女に嫌われたとしても、もともと、そういう女に好かれたいとは思っていないので、嫌われたとしても、私としては、むしろ、ほめられたようなものだ、と思っていたが、その時の桃山学院高校卒で慶應の商学部に行った I のようにそういう女に好かれたい男というのもいたようだ。
     私が小学校の6年の時だったか、連合赤軍の浅間山荘事件というのがあり、中学生の時にロッキード事件というのがあった。 経済学部に行って、マルクス経済学を学び、人民の盾となって浅間山荘にたてこもるのか、それとも、近代経済学を学び、トルストイの『イワンのバカとその兄弟』にでてくる商人でほていばらのタラースのようになり、「ピーナツ、ピーシズ」とかやってブタ商人になるのか、どちらか選べ、と言われると、どうも、どちらも気が進まないような・・・・というのが正直なところだった、ということもある。
     又、自分は小学校の1年から真面目に努力して勉強してきたのに、なんで、経済学部なんて行って、「大学でたから言うて、それでえらいなんて思うたらいかんのやぞ。学校みたいなもん、出てんでも会社では仕事ができたらえらいんやからなあ」とかいう学部に行かされなきゃならんのだ、という気持ちもあった。 医学部に行って医師国家試験に通れば医師として病院に勤められるし、文学部や理学部に行って高校や中学校の教諭の免許をとれば高校や中学校に教諭として勤められるのに対して、経済学部なんて行かされたあかつきには、「もう、これで、あんたは中卒の人間と一緒やぞお。甘ったれるなよ」という話になってしまう。実際、私が慶應の商学部の4年の時、父は「もう、これであんたは亜細亜大とか拓殖とか帝京大とかのやつと何の違いもないんやからなあ。わかっとるやろなあ」とかいかにもうれしいという調子で言ったものだ。 せっかく、小学校の1年からアリのように努力してきたのに、なんで、キリギリスと同じにされる学部に行かされなきゃならんのだ、とも思った。それなら、小学校の1年からアリのように勉強してきた意味がないではないか、と。


   「理科の成績と社会科の成績のどちらがいいか」などというそういうしょーもないことで進路を決めるべきではない。 そんなことよりも、ほかに考えることがあると思う。 それをここで述べようと思う。
(1) その学部・学科に行けたとして大学でやっていきたいと思えるか、という点。
(2) その学部・学科を卒業した人間が、大学を卒業後、どういう進路に進むか。 その進路に進むことで良いと思うかどうか。 そして、
(3) その学部・学科に行けるか。 
この3つを考える必要がある。
 特に3番目。 その地域で一番の高校に行ったような人間は、少々、悪い成績をとることがあっても、なにくそと思って次回は良い成績をとろうと考えることが多いかと思うし、できなくてもできるようになってみせると考えるのではないかと思う。できるようになってみせるというその気持ちは大いにけっこうなことだとは思うが、しかし、その地域の一番手校に行ったような人間は、高校まで「負けた経験」というのがあんまりないのではないかと思うが、しかし、「負ける時」というのもあるわけだ。 そこに行きたいと思っても行けない可能性だってあるわけであり、つらいことだが、「負ける時」もあるということもまた学ばないといけないし、それもまた考える必要はあるということは頭に入れるべきである。
    旧姓S野が「あなたは文系よ」と言って私に私が首をもがれても行かされたくないと思っていた経済学部に行かそうとしたケースでは、(1)(2)とも正反対だった。 (3)については、経済学部でも文学部でも法学部でも入試の科目はかわらないし、京大などは「理系」でも国語も社会科も試験にある「文系」でも数学も理科も試験科目にあったので、それほど変わりはない。 しかし、そこがくせものだ。 私が中学生の頃、母は「親というものは、子供が大学に行く時に、行きたいと思うところに行くことができてやりたいと思うことができるようにと思うものだ。だから、無理にでも勉強させようとするんだ」と言っていたのだ。 だから、私も親はそう考えていると思い込んでいて、スポーツ選手になりたいとか絵描きになりたいとか言うなら反対されるかもしれないが、そうでもない以上、何であれ自分が選んだ道を進ませてくれるものだと思い込んでいた。 しかし、違った。
    父の思想では、「世の中はやなあ、『人を支配する人間』『人に命令する人間』ばっかしでもあかんし、『人に支配される人間』『人に命令される人間』ばっかしでもいかんわけや。 神さまは大変賢明なお方であって、その点をきっちりと理解して、すべての人間を生まれる時点で『人を支配する人間』『人に命令する人間』と『人に支配される人間』『人に命令される人間』とに2つに分けてお造りになっておるわけや。 『ひとのやることを決める人種』と『自分では決めずにひとに決められたことをせっせせっせとやる人種』と人間は2つの階級、2つの人種・民俗に神さまはわけてお造りになっておるわけや。 わしとかT子さん(上の姉)とかM先生(親友の医者屋)とかM尾さん(父の会社の部下で父のおかげで出世させてもらった人らしい)とかそれから聖徳太子とかヒットラー総統とかは『人を支配する人種』『人に命令する民族』『ひとのやることを決める階級』として神さまから作られた人間やねん。 それに対して、あんたあは『人に支配される人種』『人に命令される民族』『自分では自分のことを決めずにひとに決められて決められたことをせっせせっせとやる階級』として神さまから作られているわけや。 世の中の民族でもやなあ、『ドイツ人』とか『アメリカ人』とかは『ひとに命令する民族』『ひとを支配する民族』でやなあ、『チャンコロ』とか『ニグロ』とか『プエルトリコ』とか『イタコ』とか『ロスケ』とかは『常に人に服従しなければならない民族』として神さまに作られておるわけや。 あんたはロスケでイタコでチャンコロや。 あんたはチャンコロとして常にひとに服従するために神さまから作られた民族やねん。 それでやなあ、神さまは大変哀れみ深いお方であって、チャンコロにもまたチャンコロとしての人生というものを用意してくださっているわけや。即ち、服従のための人生というものを神さまはチャンコロには用意してくださっているわけや。 神さまに感謝しろお!」と毎日毎日、私に何度も何度も言うようになった。 「階級の違いを忘れるな」「民族の違いを忘れるな」と言うのだが、そういうことを言われると、言われた側としては、「不忘階級苦(階級の苦しみを忘れるな)」「不忘民族恨(民族の恨みを忘れるな)」「造反有理(反逆には理由がある。反逆は正しく抑圧は間違っている)」「革命無罪(革命は無罪だ)」とでも言いたくなってくるわけだが。
    私は「ロスケでイタコでチャンコロ」で「ニグロでプエルトリコ」だそうで、父と上の姉のT子さんと医者屋のM川と父の会社の部下のM尾と聖徳太子と英雄ヒットラー総統の6人が「キリスト教の6大聖人」だそうで、この6人の言うことは誰もが何でも何でも従わないといけないそうだ。 特に「ロスケでイタコでチャンコロ」で「ニグロでプエルトリコ」の私は何でも何でも服従するため、「ドイツ人」「アメリカ人」がお決めになったこをは何でも何でも、せっせせえっせとやらないといけないそうで、それが一番みんなのためになることだそうだ。
    で、「ドイツ人でアメリカ人」は言ったのだ。 「何でもわしが決めたろ」と。 「決めていらんけど」と言ったのだが、「のぼせあがるなよ、チャンコロ」「ずに乗るなよ、チャンコロ」「つ〜けあがるなよ、チャンコロ」と「ドイツ人」は言うわけだ。 「わしは決める民族で、あんたあはわしいのようなエライえらいエライえらい人間に何でも何でも決めてもらって、決められたことをなんでもなんでもせえっせせえっせとやる民族やねん。これは神さまがお決めになったことであって、人間はどんなにあがいても、この神さまが決められたことは変えることはできないし、決して変えてはならないものなんや。 わかっとんのんか、チャンコロ。わかっとんのんか、チャンコロ」と、毎日、毎日、何度も何度も私の鼻の頭を指さして叫んでいた。「ちゃんちゃんころころちゃんころころ、ちゃんちゃんころころちゃんころころ。チャンコロ、ちゃんころ、ちゃ〜んころお〜お!」と。
    私は、結果として浪人して留年してした結果、「一流企業」に就職することはできなかったので、そのおかげで、「うちの娘をもろうてくださ〜い」と頼んでこられるということはなくなったので、その点については、ざま〜みろお! と思ったのだが、父はそのくらいのことでへこたれる人間ではない。 「決して決して、民族の違いを忘れてはならぬぞ、チャンコロ」と言うのだ。「あんたの結婚相手はわしが決めたる」と言うのだ。 これを下の姉(「ドイツ人」でない方、「日本人」の方の姉)に言ったところ、姉は「あの人(父)にそんなもの決めれるわけないでしょ。 あの人、結婚相手の女の子をどこかから探してくるようなかいしょなんてないし、自分で、あんたどうやとか女の子に話しかける能力のあるような人でもないでしょ」と言うので、なんか、この女も自分の父親のことを理解できてないようだなと思ったものだ。 父は、結婚相手の候補者となる女性を自分が捜して用意するなどとは一言も言っていないのである。 父は「結婚相手にしても、わしいのようなエライエライえらいえらいエライエライ神のごとく特別にえらい人間、ヒットラー総統のごとき英雄に決めてもらうもんや」と言うのである。 「そやから、あんたあが、女を何人か用意しなさい。あんたが女を何人か用意して、それをわしの所に連れてきなさい。そうすれば、わしが、その中から、『こいつがええ〜え!』と決めたるわ。 もし、その中にええのんが1人もおらんかったら『みんな、あか〜ん』て言うたるから、あんたがまた何人か女を用意しなさい。その中にええのんがおったら『こいつにせえ』言うて決めたる。その中にもええのんがなかったら、また、『みんな、あか〜ん』言うたるから、また、あんたが何人か女を用意してつれていらっしゃい。そうやって決めたらええ」と言うので、「決めていりませんけれども」と言ったのだが、「何を言うとんねん、何を〜お」「のぼせあがるなよ、チャンコロ。増長するなよ、チャンコロ。甘ったれるなよ、チャンコロ」「それは大事なことやねんぞ。そういう大事なことは、わしいのようなドイツ人に決めてもらうもんやろ。わかっとんのんか、チャンコロ。増長してはならぬぞ、チャンコロ。 わしはドイツ人やねんぞ。あんたとは民族が違うねんぞ。わしはあんたとは人種が違うねんぞ。わかっとんのんか、チャンコロ。わしはドイツ人であんたはチャンコロの民族やねんぞ、チャンコロ。 増長してはならぬぞ、チャンコロ。甘ったれるなよ、チャンコロ。謙虚になれよ、チャンコロ。わしはドイツ人として謙虚にひとを服従させてやろう、謙虚にひとを支配してやろう、謙虚にひとに命令してやろうとしとるんや。あんたあはチャンコロとして謙虚に服従しろよ、チャンコロ。わかっとんのんか、チャンコロ。チャンコロはチャンコロらしくしろよ、チャンコロ」と、毎日毎日、言い続けたのだ。
   それで、「あんたあはやなあ。 わしいのようなエライえらいエライえらいドイツ人の民族の人間に命令してもらってやなあ、なんでもなんでも、せえっせせえっせと働くのが、それがあんたにとっては一番の幸せやねん。わかっとんねんな、チャンコロ。 ほんまにほんまにわかっとんねんな、チャンコロ。 どんがんどんがらがった、ちゃちゃちゃちゃちゃ〜ん♪」(⇒《YouTube-《軍歌》軍艦マーチ("Gunkan māchi "〜March "Man-of-War"〜) RemakeVer. with Eng/Sub 》https://www.youtube.com/watch?v=iDcvlV0Lb8s )とか言うておったわけだ。 で、私の方は、そういう大学・学部にだけは首をもがれても行かされてたまるものかと思って必死の抵抗をしたのだが、結局、世界で一番嫌いな大学の首をもがれてもいかされたくない学部に、結局、行かされてしまった。 「ロスケでイタコでチャンコロ」で「ニグロでプエルトリコ」は小学校の1年から同級生が遊んでいる時もひたすら勉強してきたものを、結局、全部まとめてドブに捨てさせられることになった。 〔⇒《YouTube―Эй, ухнем! (エイ、ウーニェム) Шаляпин Фёдор Иванович(フョードル=イヴァノヴィッチ=シャリアピン).wmv》https://www.youtube.com/watch?v=lBLlJb9tOJY&spfreload=10 〕 

    「文系」という言葉には2通りの意味がある。 東大は文科1類・2類・3類、理科1類・2類・3類と入学する際には6つに分かれている。京大の場合は、「文科」とか「理科」とかいう表現はしないが、法学部・経済学部・文学部・教育学部というのが東大で言うところの「文科」でこの4つの学部は試験科目と配点は同じだった。理学部・工学部・農学部・医学部・薬学部というのが東大で言うところの「理科」でこれらの学部は試験科目と配点はすべて同じではないが似ていた。 東大では文科2類が経済学部に進学するコースで経済学部の中に経済学科と経営学科があったように思う。 東大だと文科1類・2類・3類のことではなく文科2類、京大なら法学部・経済学部・文学部・教育学部のことではなく経済学部、阪大なら法学部・経済学部・文学部・人間科学部のことではなく経済学部、神戸大なら法学部・経済学部・経営学部・文学部のことではなく経済学部・経営学部を「文系」と言う場合がある。 旧姓S野礼子がずるいのは、そちらを選択させようという場合には「文系」という言葉を京大なら文学部・法学部・経済学部・教育学部、東大なら文科1類・2類・3類という意味で使って、実質は「撃ちてしやまん、一億火の玉。欲しがりません、勝つまでは。とってちってたあ〜あ!」「会社のために、死んでもはたらく。木口小平はちんでもラッパをはなちまちぇんでちたあ〜あ」の学部の意味にしてしまうというところである。 卑劣な女だと思う。自分は神戸大の文学部なんてそんなもの行っておいて、な。

   「とってちってたあ〜あ」の学部という意味での「ブンケー」と、東大なら文科1類・2類・3類、京大なら文学部・法学部・経済学部・教育学部という意味での「文系」とは意味が違うのだが、後者の方の意味にしても、その人間が後者の方、「とってちってたあ〜あ」「撃ちてしやまん」「死んでもラッパを放ちまちぇんでいたあ」の意味でない方の「文系」か「理系」かという適性の考え方にしても、簡単に「文系」(「とってちってたあ」でない方の「文系」)か「理系」かどちらなのか判別が難しい学科、学問分野が存在する。 次回http://tetsukenrumba.at.webry.info/201703/article_2.html それを述べる。
  (2017.3.29.) 

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受ける大学学部を「理科と社会科はどちらの成績がいいか」などで決めてはならない−受験生へのエール【1】 哲建ルンバ/BIGLOBEウェブリブログ
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