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zoom RSS サントリー美術館 「エミール=ガレ展」【下】鉄骨の骨組みを見せる。ガレリアとは。旧乃木希典邸 他。

<<   作成日時 : 2016/08/26 23:45   >>

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[第263回]東京圏の美術館・博物館(7)-2
   サントリー美術館を出てエスカレーターで2階まで降りて東京ミッドタウンの中庭部分を見ると、↓
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   東京ミッドタウンの建物の内部は写真撮影お断りの掲示が出てきたので、建築探偵団は紳士なので、そういった掲示を無視してこそっと撮るということはしない。 これは、2階から外を見て撮影したもの。
   外に出ると、中庭部分の上は鉄骨の架工が見える。 単に鉄骨の骨組みだけがあるわけではなく、素材はわからないが、透明の雨除けになっていて、光は入れて雨は防ぎ、かつ、通風はとれるというように工夫されているようだ。 ↓
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↑ 高山市の 日下部民芸館・吉島家住宅・宮地家住宅・松本家住宅・飛騨民俗博物館(旧上田玄泰邸)・平田記念館といった町屋の建物は、入口を入ってすぐの土間の部分が吹き抜けになっていて、木造建物の架工が見える、というより魅せる施工になっている。 やっぱり、軸組構法の木造であってこそ、こういった「架工を魅せる」ということができる、鉄骨造で鉄の骨組みを見せてもどうしようもないものなあ・・・・と思うとそうでもなく、今はなくなった千葉県習志野市の総合住宅展示場に出展していた積水ハウス(株)の展示場では、鉄骨の梁を白色でペンキ塗装して見せる施工をしていたのだが、これがけっこうかっこよかった。 そして、↑。 [第261回]《パナソニック汐留ミュージアム「ミケランジェロ展建築の至宝」【下】旧新橋停車場界隈、美大建築学科印象 》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201608/article_5.html で写真を掲載した汐留の日テレタワーもそうだが、鉄骨の骨組みを見せるというのは、決して無粋ではないわけだ。 もっとも、ある程度以上の大きさの建物で逞しさを感じるような骨組みを見せてこそ見栄えがするのであって、軽量鉄骨の戸建住宅で、いわゆる「シーちゃん」というC鋼の肉厚のうっすい柱を見せても、「ええ〜え、こんな薄い金属でできてるのお〜お、大丈夫なのお?」と思われてしまうかもしれないし、だから、積水ハウス(株)の展示場でも、見えるようにしていたのは、あくまでも梁であって柱は見せていなかったのだが。

   東京ミッドタウンのミッドタウンウエスト と ミッドタウンイースト の間に、↓のような水の流れがあり、夏場はそれがここちよい。
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↑ ミラノ大聖堂(ミラノ の ドゥーモ)の前のドゥーモ広場に噴水があり、8月に行った時、その噴水が大変ここちよい印象を受けた記憶がある。 ローマにはテヴェレ川というサンタンジェロ城の脇を流れる川があり、パリにはシテ島・サンルイ島を中州に持つセーヌ川があり〔⇒《YouTube―♪パリの空の下 ダニエル・ビダル》https://www.youtube.com/watch?v=Ph8BwhEjD_I 〕、ロンドンにはテムズ川がある。 ナポリは海に沿った町で川よりも海の印象がある。 ミラノには海から離れた街で、ロンバルディア平原にはポー川が流れていたはずだが、ミラノに行くと、印象に残るような川がない。ポー川はロンバルディア平原を流れていてもミラノから少し離れた場所を流れている。 かわりにドゥーモ広場の噴水がある。 この東京ミッドタウンの水の流れも、人工的なものでも、夏場、暑い時にはここちよさを感じる。
   鶴野晴山『よい家相・よい部屋相』(1989.6.10.KKロングセラーズ ムックの本)には、≪ 池は個人の家にある場合は、ほとんど凶相になる。 もともと水は神聖なもので、いたずらに観賞用として池など使ってはいけないものだ。また、池は水分の蒸発も多く、人工的に流れを止めたものは腐敗現象もおきやすい。 このような池が敷地内の、しかも住居のすぐそばにあって、家族の健康によい影響を与えるはずがない。・・・≫と出ており、一般の住居においては池は凶相だというが、一方で、≪ 一般にホテルや料亭などにある池は、住居とは逆に吉相といえる。 これは、不特定多数の人が集まるので、その人間のエネルギーで池の凶現象を防ぐことができるからだ。 そして個人の家とは逆に、水のエネルギーが商売繁盛につながるのである。≫とも出ている。 一般の住宅で庭に池を作るのが凶相だというのは、ひとつには、たいして広いわけでもない庭に無理に池を作って、その世話を十分にできるかという問題があると思う。 もっとも、それなら、水槽に金魚を飼ってもだめなのか、水槽なら良くて池ならだめなのかというと、これは難しいようにも思うが、相当広い庭がある家で、かつ、庭の世話をする係の人を雇えるようなお金持ちなら悪くもないとしても、一般家庭でそこまでできる家は多くないので庶民の家では池はプラスにならないということはありそうだ。 又、昔から、「家を建てるには高燥の地を選ぶべし」と言ったもので、田んぼには水がたまりやすい場所が良いが、住宅はそうではなく、少々高くて、乾燥した場所が好ましいとされ、家のすぐ近くに湿気を持つ池や水たまりがあると腐り・白蟻の被害が発生しやすくなるし、家のすぐ近くに池を作って水をめて、それが地中に浸透すれば、家の周囲の地盤はそれだけ柔らかくもなり、地震などに弱い家になるということであろう。
   大阪の梅田に「水の流れる地下街」とうたった阪急三番街ができたのは、1970年の大阪万博の前か後かその頃だったと思うのだが、もともと、地下街というのは、明るく演出してこそ栄えるのであり、そうでなければ、本来、「地下」というのは「光も入らない暗い場所」で、そこを栄えさせるには何らかの特色、「ケ」ではなく「ハレ」のものを設けた方がよいということで、「水の流れる地下街」にしたのだろう。 今、三番街で水が流れていることを特に気にせずにいるが、最初、できた時は、すごいと感じたものだ。
   鶴野晴山氏が言っているように、≪ホテルや料亭などにある池≫は、≪水のエネルギーが商売繁盛につながる≫のかどうかわからないが、ある程度以上の規模の商業施設には一般に悪くないのではないかと思う。もっとも、自然の川などと違って、人工的に水の流れを設ける場合、その費用はどれだけかかるのか、又、電力消費の多い夏の昼に、その為に電力を使うのがよいのかといった問題もあるかもしれないけれども。


    東京ミッドタウン は、敷地内にいくつかの建物がたっている。 南東側に ミッドタウンイースト があるが、一番、北西側にミッドタウンウエスト があるのかというとそうではなく、ミッドタウンウエスト の北西側に「ガレリア」があり、その中にサントリー美術館は入っている。 まぎらわしいのは、「ガレリア」と「ミッドタウンウエストは別棟のようでいて、道路側から見るとつながっていて、それがガレリアへの入口になっている。↓
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   「ガレリア」というと、ミラノのミラノ大聖堂やスカラ座などの近くにある「ヴィットーリオ=エマニュエーレ2世のガッレリーア」、ナポリのサン=カルロ劇場などの近くにある「ウンベルト1世のガッレリーア」を思い浮かべる。 いずれも、周囲のビルの間の道の上にガラスの天蓋をかけたものだ。
   galleria とは、
1. ガレリア
屋根のある商店街や歩行者用道路。[補説]大聖堂(ドゥオモ)とスカラ座を結ぶミラノのガレリアが有名。
(デジタル大辞泉)
3. ガレリア
高い位置にガラスなどの屋根をもつ歩行者空間。アーケード。
(大辞林 第三版)
英辞典の検索結果
1. galleria
lrí[名]ガレリア:商店街などの屋根つきモール.[イタリア語]
( 《galleria 辞書検索結果》http://dic.search.yahoo.co.jp/search?p=galleria&search.x=1&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&oq=galleria&fr=top_ga1_sa )
  この東京ミッドタウンで「ガレリア」棟はミッドタウンウエストとガレリア棟との間の部分をも含んでおり、又、サントリー美術館のあるガレリア棟には、ガラス張りの吹き抜け部分もあることから命名された、ということだろうか。 最初、なぜ、「ガレリア」という名前なのだろうかと思ったが、↑の写真の部分など見ると、ミラノやナポリのガッレリーア を思わせるところもあるような気もする。

    東京ミッドタウン の設計者が誰かはわからないが、サントリー美術館の部分の設計者は隈研吾らしい。 床板はウイスキーの樽の古材を使用したものだそうで、和紙調のものが貼られた壁から弱い光が出るようにした壁など工夫がされている。 壁面に縦長の木材が貼られたものは、新国立美術館の屋内で見たと思ったが〔[第247回]《新国立美術館(黒川紀章)(東京都港区六本木)訪問3−内部。及、早見優とパバロッティはどちらが歌か。他 》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_3.html で写真を掲載〕、隈研吾が設計の根津美術館の道路側の通路の壁面〔[第237回]《根津美術館(東京都港区南青山) 訪問−東京圏の美術館・博物館(2)》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201603/article_1.html 〕とは使用している素材は異なるが雰囲気は似ている。
    《ウィキペディア―隈研吾》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%88%E7%A0%94%E5%90%BE を見ると、隈研吾は1954年生まれ、東大工学部建築学科を卒業だそうだ。私は高校を卒業した頃、「うちは、工学部なんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と毎日のように言われたものだ。「国立大学ならどの学部でも学費は同じはずや」と私は言ったが、母は「国立を落ちる可能性だってないわけじゃないでしょうよお。落ちたら私学に行かないといけないでしょう。甘ったれなさんな、あんたはあ」と言い、そして、日本で一番嫌な大学の首をもがれても行かされたくない学部に強制と脅迫で行かされてしまった。 だから、特に同年代で工学部に行った人間にはその点で好感が持てない。 隅研吾は私より年上だがそれほど年齢は変わらない。だから、気分悪いので、ちょっとけなしてやろうかとも思うのだが、残念ながら、今まで見てきた隅研吾の建築については、私はけっこう気に入っている。
 
    「サントリー美術館」と聞くと、
1. けっこう、前からあったような気がしたが・・・・・ という点と、
2. 「サントリーホール」と同じ場所にあるかと思ったら・・・・ という点が、
あれ? と思った。
   《ウィキペディア―サントリー美術館》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8 を見ると、
1961年(昭和36年) 千代田区丸の内のパレスビル内にサントリー美術館を開館。
1975年(昭和50年) 赤坂のサントリービルに移転。
2007年(平成19年) 東京ミッドタウン内に移転。
ということだそうだ。
   東京ミッドタウンは、《ウィキペディア―東京ミッドタウン》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3 を見ると、
1641年から1871年まで  萩藩毛利家屋敷
1873年より  陸軍の駐屯地、大日本帝国陸軍の歩兵第一および第三連隊が使用
1946年より  アメリカ合衆国に接収され、米軍将校の宿舎として使用
1960年    日本に返還
1962年より  陸上自衛隊の檜町駐屯地となる。防衛庁の本庁舎も設置。
2000年    防衛庁が市ヶ谷地区に移転。
2004年より 東京ミッドタウンの工事が始まり、
2007年    東京ミッドタウン 竣工。 最も大きな建造物であるミッドタウンタワーは高さ248メートルで都庁舎第一庁舎にかわり、東京で最高層の建物となった。
・・・・ということで、東京ミッドタウンは2007年にできたが、サントリー美術館はその時にできたのではなく、それより前にも、他の場所においてあったわけだ。
   「サントリーミュージアム」というのも、どこかで聞いたような気がしていたが、《ウィキペディア―サントリーミュージアム》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%A0 によると、それは、1994年に大阪市港区の天保山に安藤忠雄の設計で作られたが、サントリーは東京と大阪の2カ所で美術館を運営するのは困難として、2010年に閉館したらしい。
   「サントリーホール」http://www.suntory.co.jp/suntoryhall/ は、サントリー美術館と同じく港区赤坂にあるが別の場所で、アーク森ビルとホテルオークラの間、ANAインターコンチネンタルホテル東京やアメリカ合衆国大使館の南の位置にある。 《ウィキペディア―サントリーホール》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB を見ると、≪ アークヒルズの一画に1986年10月12日に開館した。森ビルが所有し、公益財団法人サントリー芸術財団が運営する。≫というものらしい。 
サントリーホール・・・ アークヒルズ
サントリー美術館・・・ 東京ミッドタウン
ということらしい。

   サントリー美術館がある東京ミッドタウンの南西側の道は 外苑東通り と言うらしく、この道を北西に進むと、東京メトロ千代田線の「乃木坂」駅に行く。 乃木坂駅の上の付近に、乃木公園と乃木神社と乃木希典の旧宅がある。
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   現地での説明書きによると、江戸時代、この付近は青山常陸介忠成という人が≪馬を乘り廻して賜った土地≫だそうで、江戸時代は美濃の郡上藩の青山大膳亮の領地だったが、明治12年に陸軍大将の乃木希典(のぎ まれすけ)が購入し、明治35年に新築した。大正1年に乃木希典が静子夫人とともに「殉死」した後、東京市に寄付され、公園となったというものらしい。

   旧・乃木邸の建物は北西寄りにあり、建物の内部まで入ることはできないが、建物があるエリアには午後4時まで入ることができる。 ガレ展の後で、乃木坂駅から帰るつもりで立ち寄ったので、午後4時を過ぎていた為、旧宅のエリアに入ることはできなかったが、門の外からも多少は見える。
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   ↓ こちらの方は、なんだか、馬小屋みたいだな・・と思ったら、馬小屋だった・・・。
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↑ 旧乃木邸裏門。

    東寄りは「乃木神社」になっている。祭神はというと、乃木希典とその妻の静子さんが「祭神」らしい。↓
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    今となっては40年ほど前、北野高校に在学した時、国語のU教諭が「最近は、乃木希典(のぎ まれすけ)というのを読めない人がいるんですねえ。びっくりしました」と言って、黒板に「希典」と書いて、「これ、『まれすけ』と読むんですよ。このくらいを、読めないような人がいるとは」とか言われたのですが、しかし、「戦前世代」であるそのじいさんにとっては、「乃木希典大将」は超有名人で「読めて普通」であったとしても、戦後世代にとっては「そこまでの有名人じゃない人」になったわけです。 そのあたりをその先生も理解された方がよかったのではないかと今は思います。 大学入試にも、「乃木希典」の読みを書けとか、「のぎまれすけ」を漢字で書けという問題は、国語でも日本史でも出ませんし。
    乃木希典という人は陸軍大将だったというが、何で有名かというと、日露戦争の時の旅順攻防戦で何人もの人間を死なせたということと、明治天皇が他界した後、殉死したこと、夏目漱石の『こころ』にそれが書かれていることで有名であり、大将として優秀であったとして有名であったわけではないわけです。 但し、《ウィキペディア―乃木希典》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%83%E6%9C%A8%E5%B8%8C%E5%85%B8 によると、日露戦争の時に息子を2人死なせているらしく、悪く言わない人が少なくからずあるというのは、そのあたりもあるのかもしれません。

    ちなみに、私の父は「戦前世代」であったわけです。 「戦前世代」のおっさんが共通して持つビョーキとして、まったく関係のない話をするにしても、『軍隊で鍛えられた』『満州で苦労した』というのをいちいち言わないと何の話もできない、というのがあります。 それで、「満州で苦労した」と何度も何度も聞かされて、それで、満州に行って、映画『二百三校地』みたいなことをやってたのかと思ったのです。「教えて〜、ください〜♪ この世に生きとし生けるものは、すべての命に限りがあるのならばあ〜あ・・海は死にますか、山は死にますか、愛はどうですか〜あ・・・・教えてえ〜え、ください〜い♪」とか歌いながら戦ってたのか・・・と思ったのです。〔⇒《YouTube-H264_愛は死にますか.MP4》https://www.youtube.com/watch?v=gfEgbSbiHPE&list=RDgfEgbSbiHPE 〕 しかし、よく考えてみると、父が満州に行っていたのは、日露戦争(1904〜1905年)よりずっと後で、満州事変(1931年)よりもずっと後であり、満州に行っていたとしても、その時、どこかとそこで戦争していたわけではないのです。 「なんかちょっと違う」と感じ出したわけです。 又、1945年8月の敗戦の時に満州にいた人は、引き上げるのに大変だったでしょうけれども、父は、その時点ではすでに日本に戻って来ていたのです。 だから、「満州で苦労した」といっても、「満州の冬の寒さは日本の冬とはまったく違う。うかつに立小便でもしようものなら、今、出したものがすぐに凍るんや」というそういう寒さという大変さは味わったかもしれないが、二百三校地やってたのと違うはずやんけ! と気づいたのです。 まったく、あのおっさん、よくもいいかげんなこと言いやがってからにと思ったが、それにしても、普通、よその息子にいいかげんなこと吹き込んでも自分の息子には本当のことを言って、「あんな話に乗せられたらあかんぞ」と教える父親はいると思うのだが、あのおっさんは、自分の息子によくそういういいかげんなことを言うと気づいたが・・・・、そういうおっさんだった。しかたがない。 又、「軍隊で鍛えられた」とか何度も何度も言っていたが、その一方で、「軍隊でタバコを覚えてしまった」とも言っていた。満州に行った時に、1人何本とタバコを配られたそうだが、タバコを喫う人にとってはその本数は少なかったらしいが、父はタバコを喫わなかったので、それを喫う人にあげていたが、もらうと喜んで、いかにもおいしいというように喫うので、タバコてそんなにおいしいものか、そんなにおいしいものを人にただであげるというのはいかにももったいないと思って喫ってみたのが最初で、それ以来、タバコをやめようと思ってもやめられなくなってしまったというのだ。 だから、「軍隊で鍛えられた」と戦後世代の人間には言うものの、「軍隊で悪い習慣を身につけた」ものもあるようだ。

    乃木神社の南側から新国立美術館の北側への道が「乃木坂」らしい・・・・が、乃木坂なんとか いうおねーちゃんはあたりを見まわしてもいません。 サントリー美術館のある東京ミッドタウンは港区赤坂ですが、残念ながら、マック赤坂のおっさんもいません。



   都営大江戸線の「六本木」駅は、愛知産業大の守屋先生が設計されたもので、何度か見学に立ち寄らせてもらった所である。 ブログで触れたこともあるのだが、個人的にお世話になった方の作品についての論評はやめようと思うのだ。 なぜかというと、ほめると、ヨイショしているみたいだし、批判すると恩知らずみたいになってしまうからだ。 なんだかんだ言っても、人間が2人以上おれば、特にデザインについては感じ方は違う方が普通であり、ある人がいいと思っても別の人間はそうとも思わないことだってあるわけだしするわけで、たとえ、ここはあんまり・・・みたいに思ったところがあったとしても、そういうことはあることだと思うのだが、たとえそうでも、個人的にお世話になった方のものについて述べると、たとえ、人から何か言われなくても、ほめるとヨイショしたみたいで、批判すると恩知らずみたいになりするので、述べるのは控えようと考えるに至った。 多くの駅は昼を前提として作られているが、都営大江戸線「六本木」駅は、「夜の六本木」ということで、「夜を前提としたデザイン」のように思える。 だから、昼、明るい外を歩いてきて入ると、少々暗いという印象を受けるが、日没後に暗い外を歩いてきて中に入ると感じ方は違う。 黒を基調としているが、圧迫感を持たせない為ということもあるのか、(黄色+金色)÷2 くらいの色で作られたのアートとでもいったものが壁面に作られている。 かつては、六本木は「軍の町」であったが、最近は、新国立美術館、六本木ヒルズの森タワーの中の森美術館、そして、東京ミッドタウン内のサントリー美術館と美術館トライアングルができた「美術館の町」として売り出そうとしているようだ。 その六本木における駅として、建築家として、大江戸線「六本木」駅も「美術的な駅」ということを考えて作られたのかとも思える。・・・・このくらいにしておこう。角川書店の創業者の角川源義さんは東大の文学部を卒業した人で自身も文学者だったらしいが、他社が設けた賞に応募はしても角川書店が設けた賞には自分自身は応募しなかったとどこかで読んだことがある。いいところは他にもあるのだが、ほめるとヨイショしているみたいだし、これはどうなのかなと思った点を言ってしまうと恩知らずのように思えてくる。 たとえ、これはどうなのかなというものがあったとしても、人が2人以上おれば感じ方に異なるところがあっても不思議はないし、私はこう思うがというものはあって当然であって、あったからといって、その作品がなっていないということになるわけでもないのだが、それでも、「恩知らず」にもなりたくないし、「ヨイショする節操のない人間」にもなりたくないので、この程度でやめておきたい。
※ インターネットで検索すると、下記のものが見つかりました。
《日本建築家協会 登録建築家詳細 守屋弓男》http://www.jcarb.com/Portfolio00004077.html 
《MIA 六本木駅》http://www.m-i-a.co.jp/works_train2.html

   今回は、「サントリー美術館」「エミール=ガレ展」見学【上】http://tetsukenrumba.at.webry.info/201608/article_6.html と2部作で作成しました。【上】 とともにご覧いただきますようお勧めいたします。
   (2016.8.26.)

☆ 東京圏の美術館・博物館
東京都
根津美術館(港区)(隈 研吾) http://tetsukenrumba.at.webry.info/201603/article_1.html
新国立美術館(港区)(黒川紀章+日本設計共同体)
1.http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_1.html
2. http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_2.html
3.http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_3.html
サントリー美術館(港区)(「東京ミッドタウン ガレリア」内。 サントリー美術館の設計は隈研吾)
上 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201608/article_6.html
下 〔今回〕
畠山記念館(港区)
1. http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_4.html
2. http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_5.html
3. http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_6.html
パナソニック汐留ミュージアム(港区)
http://tetsukenrumba.at.webry.info/201608/article_4.html
http://tetsukenrumba.at.webry.info/201608/article_5.html

千葉県
千葉市立美術館(千葉市中央区) http://tetsukenrumba.at.webry.info/201307/article_2.html

神奈川県
三渓園内 三渓記念館(横浜市中区) http://tetsukenrumba.at.webry.info/201606/article_4.html


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