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zoom RSS サントリー美術館 「エミール=ガレ展」【上】芸術は正しい知識を前提に描くべし。詩とともに生まれる陶芸

<<   作成日時 : 2016/08/26 23:43   >>

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[第262回]東京圏の美術館・博物館(7)-1
   東京都港区赤坂 にある「サントリー美術館」に行き、「エミール=ガレ展」を見学してきました。
   サントリー美術館 は、「東京ミッドタウン」の「ガレリア」という棟の3階と4階にあり、入口は3階で、美術館の内部で4階に上がり、3階に戻って3階から出るようになtっています。
   住所は港区赤坂ですが、最寄駅は「赤坂」ではなく、都営大江戸線「六本木」が最も近く、次いで、東京メトロ日比谷線「六本木」駅と東京メトロ千代田線「乃木坂」駅が同じくらいかと思います。 今回、私は、秋葉原で東京メトロ日比谷線に乗り換えて「六本木」駅から行き、帰りは東京メトロ千代田線「乃木坂」駅から乗って新御茶ノ水で乗り換えて帰りました。
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↑ 「東京ミッドタウン」。 手前の高層ビルが「ミッドタウン イースト」。 その下の出入口が、都営大江戸線「六本木」駅の出入口。
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↑ 「東京ミッドタウン」。 右の高層ビルが「ミッドタウン イースト」。 左が「ミッドタウン ウエスト」。
「ミッドタウン イースト」「ミッドタウン ウエスト」と名づけられているが、実際の方角としては、「ミッドタウン イースト」は南東。 「ミッドタウン ウエスト」は北西。 ミッドタウンイースト と ミッドタウンウエスト の間を奥に入って行き、左(北西側)に曲がると、「ガレリア」の入口。↓
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↑ 「東京ミッドタウン」 「ガレリア」。 この3階と4階に「サントリー美術館」は入っており、出入口は3階にある。



   サントリー美術館は、東京ミッドタウンの「ガレリア」と名づけられた棟の3階と4階にあり、出入口は3階にあります。 地図など見ると、「サントリー美術館」と建物に書かれていることがある為、それを見ると建物全体がサントリー美術館なのかと思いがちですが、そうではありません。 「ガレリア」には飲食店など店舗がいくつも入っています。 飲食店は、場所柄なのかどうかわかりませんが、「少々高め」ですが、入っている客を見ると、「普通のおばさん」なので、それほど、気がねする必要はありません。
   「エミール=ガレ展」は、2015年の6月29日から始まり、8月28日(日)まで開催で火曜は休館、10時から18時まで開館。金土は20時まで開館だそうです。 「オルセー美術館共同企画」と書かれていますが、パリのオルセー美術館が所蔵しているガレの構想画などが出展されているのですが、オルセー美術館のものだけが展示されているわけではなく、サントリー美術館の所蔵品と他の人からの出展品もあります。 野球のダルビッシュのお父さんが所蔵しているものも出展されていたのですが、ダルビッシュのお父さんて、いったい、何者?

   エミール=ガレ展ですが、
1.  エミール=ガレ は、ガラス商の息子として生まれ、最初は、ガラス器陶器 を作っていたが、後に、木製家具も製作するようになったらしい。 フランスのロレーヌ地方で生まれ、ロレーヌ地方は普仏戦争でプロイセンに敗れたフランスが一部を割譲することになった地域だけに、祖国愛、もしくは、抵抗精神 のようなものが感じられる作品がある。但し、ここで、「祖国」とはフランスではなくロレーヌ地方のようだ。

2.  同時に、外国に対する関心もあり、エジプト・イスラム・中国、そして、日本の芸術作品に関心があり、その影響を受けたと思われるものがある。 ガレの作品だという陶器には、日本のどこそこで製作されたものだと言われればそう見えなくはないものがある。

3.
  「アール=ヌーボー」の作者のひとりと言われるが、その作品を見ると、エクトル=ギマールとは違うし、アントニオ=ガウディとも違う。 ミュシャとも違う。 但し、絵画については、ミュシャと似ていると思えるものもあった。ガラス器についても、ティファニーと共通するところがあるかと思えるものもあると思った。

4.  パリに行って、エクトル=ギマール作という「パリ地下鉄入口」や、ギマールが設計した集合住宅・戸建住宅を見学して(住宅は今も住まれているので道路から外観を見ただけですが)、そして、10年程前、東京都美術館で「アール=ヌーボー展」が開催された時に見に行き、又、下村純一『アール・ヌーヴォーの邸宅』(1998.3.10.小学館 ショトルミュージアム)や柴田英輔編集『アール・ヌーヴォーの世界5 ティファニーとニューヨーク/ガウディ』(1987.10.23.学習研究社)などで見たものからの印象では、「独創的」「ギョッとする」デザインであるとともに、「すばらしい」「魅惑的」、そして、「品がある」と感じた。特に、「ギョッとする」とともに「品がある」というのは、言葉だけ聞くと相反するように思える概念であるが、ギマールにしてもガウディにしても、「ギョッとする」デザインと「品がある」という点の2つの性質が両立しており、そこが、アール=ヌーヴォーのすばらしいところではないかと思った。 日本でも、未熟な設計者には「風変りな」ものを作ればよいと考える者がいるようだが、そういうものではない。 又、「ギョッとする」デザインであっても、だから、すばらしいとは限らない。新宿にある メキシコ製タイルの輸入と外構工事などをおこなっているらしい (株)フアッツ・ハプニングhttp://www.happening.co.jp/ という会社のビルに行った時だが、「気持ち悪い」「病的」「入って大丈夫か?」「逃げる用意をして入らないといけないということはないか」という印象を受けた。この感じ方は、正しいか間違っているかと言っても、あくまで、印象であり、正しいも間違っているもないのだが、私はそういう印象を受けた。 「独創的」と言えば独創的であり、「ギョッとするデザイン」であるのだが、ギマールやガウディの作品に見られる「上品さ」は感じられなかった。あくまで、「私は」「感じた」であるから、他の人が同じように思うか別の感じ方をするかはわからない。
ガレ展に展示されているものを見ても、「ギョッとする」デザインであるとともに「品がある」というものがある。 ガレは生物学者でもあったらしいが、その動物・植物をデザインに使用したとして好感をもたれる可能性が高いと思われる動物・植物に限らず、一般には、必ずしもそうではないようなものも素材として使用しており、それでいて「品がある」デザインを実現している。そのあたりが「アール・ヌーボー」の作者と言われる人たちに共通するすばらしさではないだろうか。

5.  比較的若い女性2人づれの見学者が、「男の人だったんだ」と話しているのが聞こえた。言われて見ると、ガラス器などは、ガレが男性か女性かをあらかじめ知らずに、女性の作品だと言われれば、そう思えないことはないように思う。 住宅・建築であれ、家具や食器・容器であれ、男性でも女性の気持ちを理解し、女性でも男性の気持ちを理解でき、男性でも「女性的」なもの、女性でも「男性的」なものをできてこそ、プロであり、男性だから女性の気持ちはわからない、女性だから女性の気持ちしかわからない、男性だから「男性的」なものしかできない、女性だから「女性的」なものしかできないというのではプロではないと私は思うのであるが、そうはいっても、ある程度以上はそういったものを実現したとして、それでも、やっぱり、さすがに、女性だけあって男性とは異なる感性を発揮しているのではないかと感じるようなものを見ることがある。 ガレの展示作品を考えた時、物にもよるのだが、ガラス器などで、「女性的な感性」を感じるようなものがあるようにも思えた。 男性でもそういった「女性的な感性」を発揮できるというのはすばらしいと思う。
〔  ちょっと話がそれるが、「ランセル」というブランドだが、ランセルは女性だとどこかで見たように思っていたのだが、今、インターネットで見ると、男性らしい。 しかし、ランセルは「どちらかというと、女性向きのものが多いブランド」らしく、私も、「ランセル」のブランドのネクタイを持っているが、女性向きのものを作ってきただけに、男性がつけるネクタイでも女性的な発想のようなものがあるように感じる。
   で、さらに話がそれてしまうが、1990年代前半、在来木造の戸建住宅建築業の(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ では、住宅展示場での来客用に、「LANCEL(ランセル)」と書かれたスリッパを使用していたのだが、展示場によっては、なが〜く使用しても変えずにそのまま使っていた為、きちゃないきちゃない、履くの気持ち悪いような状態になっているものもあった。 本社に発注すると新しいものを送ってくれたので、きちゃないきちゃないスリッパをそのまま来客用に使っていた展示場は、その展示場に勤務していた者の姿勢が良いとは言えない。 ところが、そのスリッパを、1990年代の半ばだったと思うが、ある時から、本社に発注すると、そのランセルブランドの文字のところだけ、「SAISON(セゾン)」と変えただけで他はまったく同じデザインのものを送ってくるようになった。 「SAISON(セゾン)」というのはフランス語で、日本語にすると「四季」、英語の「season」であるが、1990年代前半においては、(株)一条工務店が、「地方」の農家の建物をいくらか現代的にした、「地方」の感覚では相当あか抜けたようにしたデザインである「百年」と、浜松などの「地方」においては「洋風」に見えるかもしれない、都市部の人間の感覚で見ると「イナカのヨーフー」である「セゾン」という2つの名称で建てていて、一条のデザインは、「地方」では人気のある和風の「百年」と、「イナカのヨーフー」である「タイルを貼らないセゾン」と、「ちょっと豪華」な「1階外壁にタイルを貼ったセゾン」の3タイプしかない、と言われていた。 「言われていた」というのは、どういう人たちの間で言われていたのかというと、従業員の間で「言われていた」。 その「セゾン」だが、東京圏においては、「セゾン」というと、西武セゾングループの「セゾン」を多くの人間は思い浮かべる。 「浜松では」超有名企業でも、東京圏では知っている人間なんてほとんどない会社であった(株)一条工務店が住宅展示場の入口に「セゾン」と書いているものだから、西武のやっている住宅建築会社だと思って入りかける人がいた。 亀戸にあった総合住宅展示場内の一条工務店の展示場で、「ここは西武か・・・」と言って入りかけたおっさんが、「一条工務店」と書かれているのに気づいて、「おい、待て、待て。ここは西武じゃねえぞ。こんな所、入っちゃだめだ。 出ろ、出ろ。 急いで出ろ。こんな所、入っちゃだめだ」と言って出て行った、という話を亀戸の展示場に勤務していた人から聞いたことがある。 それは、私はその場で目撃したわけではないが、私自身も似た経験をしたことがあるから、その人の話がそのまま本当であるかないかにかかわらず、実質的にそういう状況であったというのは間違いはない。 1990年代の初め、私が(株)一条工務店に入社した頃、東京圏ではそういう感覚の人が多かった。 そういったことを理解しない理解できない理解してたまるかという信念もってる「浜松アタマ」の遠州人の無神経な口のきき方にはずいぶんと気分を害したものである。 その「セゾン」という名称にしても、「浜松では」どうかはさておき、東京圏の住人から見ると、「西武のパチモン」という印象である・・・・と思っていたら、「西武のパチモン」の名前を入れた「ランセルのパチモン」を作りだしやがった・・・・・・・。 そういうこと、するかなあ〜あ・・・と思ったが、けっこうそういうことをするのが好きな会社だった。
   ついでに、一条工務店の展示場のキッチン(事務所内の炊事用のキッチンではなく、展示場の来場客に見てもらうための展示スペースのキッチン)には、「日東紅茶」のティーパックが置いてあった。日東紅茶に恨みはないし日東紅茶が悪いとは言わんが、しかし、住宅展示場というのは、「夢を与える」という性質も持つものなので、どちらかというと「ちょっとおしゃれ」「ちょっとハイカラ」「いくらか非日常的」で、「ケ」ではなく「ハレ」の物を置くのが普通ではないかと思ったのだが、言うと怒られる会社だったので黙っていたのだが、その後、三井ホームの住宅展示場をのぞいてみると、「フォートナム アンド メイソン」の紅茶缶が置いてあった。・・そうだよなあ、それが住宅展示場だよなあ〜あ・・・と思ったし、「やっぱり、『アタマが浜松』の人間の発想はじじむさいな・・・・」とも思ったが、言うと怒られる会社だからどうしようもなかった。 私が入社した時、営業本部長のA野T夫は「うちの会社に慶應大学の出身の人が来てくれるのかと思ってびっくりした」と言ったのだが、慶應クラスの大学の人間を採用できない会社がせっかく採用したのだから、そういう人間を生かすべきだと思うのだが、生かしてたまるか、実力を発揮させてたまるか! という根性の経営者の会社だった。
   「『西武のパチモン』とは何だ」と言い出す人間も「一条工務店の土台を築いてきたと自称している人たち」の中にいるかもしれないが、「浜松では」一条工務店は有名企業であり、西武セゾングループは東京圏におけるほど浸透していなかったのではないかと思うが、そういう場所においては「セゾン」という商品名をつけても特に問題はないかもしれないが、 「セゾン」と言うと「西武」とたいていの人間が発想する東京圏において、東京圏においてはほとんど誰も知らない浜松のえたいの知れない工務店であった(株)一条工務店が「セゾン」と商品名につけておれば、「パチモンではないか」、「西武とあたかも関係があるかのように思わせて人をだます会社ではないか」「そういう会社は相手にしない方が無難だろう」といったことを思われてしまうことになる名称であった。これは事実である。 横浜市の日吉に慶友病院という整形外科だったと思うがの病院があり、これは慶應義塾が経営している病院ではないが、たぶん、院長が慶應の医学部を出てますと言いたかったのだと思うのだが、学校の名前をはっきりと表に出すというのを好む人と好まない人というのはあるかもしれないが、別に「パチモン」とは思わないと思う。それに対して、「日立○○」とかいうのは怪しい。父が在命中、「日立○○」という名称の会社から金融商品を買いませんかというお誘いの電話があったのだ。 「これ、まず、日立製作所と関係ないぞ。 あたかも日立製作所と関係あるかのように思わせて人を信用させようという、こういう会社は相手にしない方が無難」と父は言って、その電話を切った後、聞いた電話番号に匿名で電話を入れて、「お宅の会社は日立製作所と関係があるのですか」と尋ねると、「いえ、別にありません」ということだったが、「ほら、な。 こういうのは要注意や。こういう会社は」と言ったものだ。 西武の系列でもないのに、東京圏では誰も知らない浜松の工務店が「セゾン」などという名称を商品名につけると、「この会社、怪しいのと違うか」「西武と関係があるかのように思わせて、人をたぶらかす会社じゃないか」と思われてしまう危険がある。 だから、何もわざわざそういう名称をつけなくても、他にいくらでも考えられる名前はあるはずだ、と私は思ったが、「アタマが浜松」の遠州人はそうは考えないらしい。 (株)一条工務店が「セゾン」という名称を登録しようとした時、「タッチの差」だかで他にも登録しようとしていた会社があったとかいう話があった。「お客様相談室」の「責任者」になっていたT中Y昭が「やっぱり、いい名前はどこでもつけたがるんだ」とか言っていたが、その認識、おかしいと思うぞ。 1990年前後、小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→ヤマダエスバイエルホーム(株)http://www.sxl.co.jp/ 〕の千葉支店にいた営業のS川は、実際にはニチゲー(日大芸術学部)しか出てないくせに、「わたし、早稲田の建築でてますから」とか客に言ったりすることがあったようだが、おまえのどこが「早稲田の建築」なんだ?  おまえの顔みて早稲田に見えるか? て感じの男だったが、「世の中いろいろ 会社もいろいろ」なので、そういうのが好きな人も中にはいるのかもしれないが、人によっては、こいつは、学歴詐称すれば人は言うことをきくみたいに思っているようなヤカラか!とマイナスの評価をする人もあると私は思う。 ニチゲーのくせしやがってからに「早稲田の建築でてますから」とか言うヤツというのは、そういうヤツと評価を下げる可能性があるのと同様、西武セゾングループと関係もないのに関係あるかのように思わせる名前を商品につけると、「西武とあたかも関係あるかのように思わせて、客をだまそうという怪しい会社」「こういう会社は相手にしない方がいい」と思われてしまう可能性がある。 要するに、「西武のパチモン」と思われてしまう危険性が小さくない名前だったのだ。実際、そう受け取る人が東京圏ではいたのだ。 こう言うと(株)一条工務店の経営者は怒るかもしれないが、怒るなら黙ってもいいけれども、私が黙ったとしても、今は(株)一条工務店も東京圏においても認知されるようになったのでいいけれども、そうでない「浜松のえたいの知れない工務店」としか思われていなかった時代においてはマイナスにしかならない商品名であるという事実が変わるものではない。 何も、わざわざ、「西武のパチモン」と思われるような名称をつけなくても、他にいくらでも名前のつけ方はあると思うのだが・・・と言うと怒るので、怒られてまで言うことないわ、とだんだんと言わなくなった。 〕

6.  エミール=ガレ は、生物学者でもあったというだけに、ガラス器・陶器・絵画などに動物・植物を描く際にも、実際の動物・植物を踏まえた上で、描いていたというのだ。 そして、はっきりと、動物・植物を描くなら動物・植物をきっちりと理解した上で描くべきだと述べていたというのである。
   そうだよなあ、と思った。 2005年のことだが、居酒屋の「はなの舞」「花の舞」「炎」「チムニー」「知夢仁(ちむにー)」などをチェーン展開するチムニー(株)http://www.chimney.co.jp/ の建設部にいた時、同社が新しく造った店舗で、どう見ても、梁材に使用していたと思われ、梁材としての仕口加工が残っている松丸太の古材を店舗の内装に縦に立てて設置している店があったので、同社の「デザイナー」の「一千万円超プレーヤー」に、「あれは、ちょっと、おかしいですね。 松丸太をあのように縦にして柱としては使わないですね。柱に曲がった木は使いませんでしょ」と言ったところ、私としては、「そうですね。あれは、違いますね」とか「ちょっと、どうかと思いますね」といった返答が来るものと思い込んでいたら、「いや、曲がっているのがいいんですよお〜お」と言うので、「一千万円超プレーヤー」だか「デザイナー」か何か知らんが、この人、ちょっと変じゃないかあと思ったことがあった。 「はなの舞」「花の舞」「炎」「チムニー」「知夢仁」などの居酒屋の内装の柱は実際に建物を支えている構造上のものではなく、古民家風の内装として、あくまでも、内装材であるけれども、たとえ、実際にそこで建物を支えている構造材ではないとしても、地べたに建てた場合に、建築構造上、ありえないようなものを内装として作るというのは、「それがいいんですよお〜お」というのは、おかしいと思う。 そんなもの、良くないと私は思う。 「古民家風」なら、実際の古民家では構造上ありえないようなものを内装に作るのではなく、実際に「古民家」として建てられるものを踏まえて内装を作るべきだと思う。 「古民家風」の飲食店はどこもそんなものかというと、そうでもないようだ。船橋市に、丸なんとか食堂というラーメン屋があって鉄骨造の建物の内装を古民家風にしているが、内部に、飾りとしての丸太梁を入れているが、丸太梁は飾りとしてのものでも梁としては入れても、それを縦にして「柱もどき」として入れて、「この曲がってるのがいいんですよお〜お」とかはやっていない。
   チムニー(株)の「はなの舞」「花の舞」「炎」などの「古民家風」居酒屋というのは、「高山風」らしいのだが、高山市の伝統的建造物群保存地区などの町屋を見てきた上で言うならば、チムニー(株)の「高山風」も、実際の高山の町屋とは違うところがけっこうある。 「花の舞」の八重洲店を見て、わかってない店だなあと思ったのだ。 まず、入口がわかりにくい。 オフィス街で昼時など需要が多く、リピーター客の割合が多いからそれほど問題は出ていないのかもしれないが、飲食店としては「入口がわかりにくい」というのは本来は致命傷になりかねない問題のはずだ。 他にもいくつも問題はあったが、客席に座ってみると、機能上、必要がない、装飾のためだけに細かい横桟が設置されていてそこにホコリがたまっている。飲食店として不衛生で感じが悪い。飲食店の店員としては、それほど多くの店員が配置されているわけでもなく、食事を用意して運ぶだけでせいいっぱいなのだと思う。 そういう店においては、桟を意匠として設置するにしても、縦残にしておいた方が掃除は楽である。なにゆえ、横桟を設置したのか理解に苦しむ・・・・のだが、「デザイナー」とか「建築家」とか「いっきゅうけんちくしい〜い」とかいう連中というのは、実際にそこで仕事をする人間の事情なんかおかまいなしに設計するのが「デザイナー」で「建築家」で「いっきゅうけんちくしい〜い」とか思っているヤカラが多い。 その認識は違うと私は思うが、「デザイナー」とか「建築家」とか「いっきゅうけんちくしい〜い」とかいう連中というのは、それをなかなか理解しない。 その横桟なのだが、実際に、高山の「古民家」を何軒か見せてもらうと、高山の「古民家」に横桟の格子なんか、ない!  実際にないのに機能上使いにくいものをわざわざ設置しているのである。
    それから、これは、「はなの舞」「花の舞」「炎」などチムニー(株)の店舗だけでなく、「高山らーめん」の店でも見たが、縦の格子を店舗に入れている店がある。 それが「高山風」だと思っているらしいのだが、高山市の宮地家住宅で、係員の人に話をきいてみたところ、高山の民家では、特に、今、伝統的建造物群保存地区に指定されている地区の民家というのは、そのあたりは、もともと、商工業者が住む地域であり、道路に面した部屋というのは、昼間は開放して道路を通行する人を相手に商売していたのであり、格子なんか入れないというのです。 夜はどうするのかというと、遣戸があって、それを閉めるそうで、実際に、宮地家住宅で、その遣戸を見せてもらいました。 しかし、現在、道路側の部屋に縦の格子が入っている家が何軒かあるのですが、それはどういうことかというと、過去にはそこで商売をしていても、今は、サラリーマンとして勤めに行って生活し、そこでは商売していないという家があり、そういう家では道路側の部屋に縦の格子を設けているのであって、もとから縦の格子を設けていたのではないはずだというのです。 チムニー(株)の「一千万円超プレーヤー」の「デザイナーの先生」というのは、そういうのを知らずに、でまかせで設計して「はなの舞」「花の舞」「炎」などの店を設計しているらしいのだ。 「高山風」の店を作るなら、やっぱり、実際の高山の町屋を見て、それを踏まえた上で設計するべきではないだろうか。
   今となっては何十年か前のことになってしまったが、慶應大学に在学した時、司法試験を目指そうかと思って、司法研究室の講義に出たことがあり、その際、刑法の授業で、ある先生が言われたことだが、刑法の勉強のつもりで推理小説を読む人というのがいるが、推理小説の作家というのは、刑法や警察・検察・裁判所についてわかって書いている人よりもわからずに書いている人の方が多いので、話としてはおもしろくても、そういったものを読むと、司法試験の刑法や刑事訴訟法の勉強としては、むしろ、マイナスになるものの方が多いというのだ。 例外として、佐賀潜という推理作家がいたのだが、佐賀潜だけは、元検事なので、そのあたりについて理解した上で小説を書いているので、佐賀潜の推理小説なら読んでもマイナスにはならないと思う、という話でした。 『司法試験機械的合格法』『東京大学機械的合格法』の著者 柴田孝之は、司法試験に役立つ一般の本として、青木雄二『なにわ金融道』をあげていたが、たしかに、『なにわ金融道』は読むと、なるほど、こういうことがあるのかと感心する漫画であるが、それは脚色もあるとしても実際に街金に勤めた経験を踏まえて書かれたものだからだろう。
※ 《ウィキペディア―佐賀潜》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%B3%80%E6%BD%9C
    チムニー(株)の「一千万円超プレーヤー」「デザイナー」の「先生」というのは、それだけ、カネもらってるなら、「高山風」のデザインの店の設計をするなら、せめて、実際に高山の「民家」「町家」を見学に足を運んだ上で設計するべきで、「古民家風」の設計をするなら、せめて、日本の「古民家」がどうできているのか、伝統構法についての基本的な構造の本くらい読んで設計するべきで、古民家の建物が実際にどうできているか、「古民家」に住んできた人ならわざわざ見に行かなくてもまだいいとしても、そうでない人は、実際の古民家で公開されている建物もあるのだから、そういう所を見に行って、その上で、実際のものを踏まえて作るべきだと私は思う。 その「デザイナーの先生」「一千万円プレーヤーのすごい人」とかいう人の半分も給料もらっていなかった私がわかっていることをわかっていない、それを得意にしている、というのはおかしいと思う。
    ガレは、実際の生物をそのまま描くのでは、それは写実であってもデザインではないとしながらも、実際の生物ではありえないようなものは描かず、実際の生物がどうなのか理解して、それを踏まえた上でデザインしていたというのです。 「古民家風」の内装の設計をしたければ、実際の古民家がどうなっているのか見て学んでした上で設計するべきで、「高山風」の内装にしたければ、高山の町屋が実際にどうなっているか見た上で設計するべきだと思う。 それをせずに、梁として使用されていた痕跡が残っている松丸太を縦に「柱もどき」にして、「これがいいんですよお〜お」て、アホちゃうか!!! て感じがするのだが、「人の値打ちは年収の順番で決まる」という考え方でいくと、そういうことをする「デザイナー」の方が私よりエライことになるし、エライ人の言われることなされることには「ハアハア〜あ」と言って従わないといけない、という考え方によるならば、チムニー(株)の「デザイナー」の言われることは「御無理ごもっとも」と従って称賛しなければならないことになるが、そうすると、チムニー(株)の各居酒屋で実際に働いている人たちから、「これ、使いにくいんですよ」「これ、料理を出しにくいんですよお」と苦情が出て、横桟にはホコリはたまるわ、入口はわかりにくいわということになるが、まあ、それでも、「デザイナー」「一千万円超プレーヤー」の「エライ人」のされることなのだから、称賛しなきゃならんらしい・・・と、そういう発想していたら、そのうち、つぶれるぞ・・・とか思っても、「それがいいんですよお〜お」とか社長も思っとるのかもしれん。 「勝ちに不思議の勝ちあり」ということで、同業他社のレベルが低いと他社がエラーしてくれるおかげで「勝ち組」に入れる可能性もあるかもしれんが・・・・、それでもやっぱり、動物や植物をデザインとして描くならは実際の動物や植物がどういうものか理解して実際のものを踏まえた上でデザインするべきだとガレと同様に私も思うし、「古民家風」の内装にしたければ実際の古民家を踏まえて設計した方がよいと思うし、「高山風」のデザインにしたければ、実際の高山の町屋がどうなっているか踏まえた上で設計した方がよいと私は思う。 高山の町屋に横桟なんてないのに、横桟つくってホコリをためた飲食店で、「これがいいんですよお〜お」て言われても、私はあんまり良いとは思わん。 世の中、せっかく言ってやってもわからん社長が多いことだが、言ってあげても聞かないヤツ、私が言うことは聞かないが、メカケの言うことなら何でもきく男のやることはそんなものなのか・・・・・。

7. 文学とともに、詩とともに
   陶器に詩を書き込んだものをガレは作成したようで、そういったものの展示もありました。 これについては賛否両論があったということですが、ガレは、作曲家がオペラを作曲するに際し、そのストーリーを見て音楽を触発されるのと同じく、陶芸家が詩から着想を得て触発されるというのは自然なことだと述べたというのです。
   なるほど、たしかに、絵画でも、もしも、この絵画が音楽とともにあるならどういう音楽だろう、この詩は音楽とともにあるならどういう詩だろうか、この詩は絵画にされるならどういう絵画だろうかと考え、そういった構想とともに作られる、想像とともに味わうことは自然なことかもしれません。 リヒャルト=シュトラウスはニーチェの『ツァラトゥストラはこう語った』を読んで、『交響詩 ツァラトゥストラはこう語った』を作曲したというし〔⇒《YouTube―「ツァラトゥストラはかく語りき」 'Also Sprach Zarathustra' Einleitung 》https://www.youtube.com/watch?v=lXKox3LfO-Q 〕し、ベートーベンさんはけっこう気難しくて、ドイツには「ベートーベンが住んでいた家」というのがいくつもあって、気にいらないとすぐに引っ越してしまうので、それで「ベートーベンが住んでいた家」というのがいくつもあるとかいう話だが、そのベートーベンが田園地帯に行った時の気持ちを音楽にしたのが交響曲第6番『田園』だというし〔⇒《YouTube―ベートヴェン 交響曲第6番 ベーム / ウィーンフィル 1975ザルツブルク》https://www.youtube.com/watch?v=W4TBpy8oQnw 〕、たとえ、歌詞の無い曲であっても何らかの思いはその根底にあるはずであり、ガラス器にしても陶器にしても、歌詞のないものとともに、歌詞がはっきりとそこに書かれたものがあっても悪くはないだろう。  マトス=ロドリゲス作曲のタンゴ『ラ=クンパルシータ』〔⇒《YouTube―La Cumparsita / Band-O-Neon Orquesta Típica de Tango》https://www.youtube.com/watch?v=40SWD7NSjAI 〕は、≪’24年、パスクアル・コントゥルシとエンリケ・マローニの二人が、第一部のオブリガート(副旋律)部分に詩を付け、それが大ヒットしましたが、作曲者に無断で歌詞を付けられたために、本人自身が憤慨し、’26年に主旋律に新しい詩を作りました。・・・≫(松山佑士編著『ピアノ伴奏・解説付 タンゴ・ベスト・アルバム』2001.9.30.ドレミ楽譜出版社 所収 高原 哲・森田 一浩「作品プロフィール・解説 ラ・クンパルシータ」 )と言うが、その曲には、本人の歌詞がふさわしいのか、それとも、たとえ、本人が納得しなかったとしても、その曲を聴いた人間がその曲にはこの歌詞がふさわしいと思ったのならそちらもまた無視しがたいと考えるべきか。 いずれにせよ、音楽から詩が生まれることもあれば、詩から音楽が生まれることもあり、詩からガラス器や陶器が生まれて悪いこともないだろうし、音楽からガラス器や陶器が生まれても、逆に陶器から詩や音楽が生まれても悪くはないだろう。 かつ、もとのものの作者が想定したものと他の人間が考えたものが一致する時もあれば一致しない場合だってあっておかしくはない。 タンゴというと、なんか、露出の多い服を着た女性と男性が躍る「ちょっとエッチ」な感じの踊りというイメージがあったのだが、踊りと別にタンゴの曲というものがある。 神田神保町の「ミロンガ」というタンゴの名曲喫茶がある。 「ミロンガ」で聴いたタンゴの曲は、私にとっては決して「ちょっとエッチな踊り」ではなかった。 むしろ、心にしみわたる、疲れた傷ついた心を癒す曲だった。 「ちょっとエッチな踊り」は私の心の中のタンゴ曲、ラ=クンパルシータなどには結びつかない。


   ところで、エミール=ガレ展を見て帰宅した時、紅茶を入れて飲みたいと思ったならば、その時くらいは、日東紅茶のティーパックではなく、せめて、ポットに紅茶葉を入れて湯を注ぎたいという気持ちにならないか。 『美味しんぼ』の海原雄山かなんかそういう「美食家」が認めるような特別の紅茶葉でなくても、せめて、フォートナムアンドメイソンとか入れてみたいという気持ちにならないだろうか。 しつこいようだが、日東紅茶に恨みはまったくない。恨みなんかまったくないが、しかし、住宅展示場のキッチンに、普通、日東紅茶のティーパックを置くかあ〜あ?・・・と言うと、遠州人は怒るのだ、一条工務店の遠州人は。 しかし、「浜松では」日東紅茶のティーパックがハイカラなのかもしれないが、しかし、日本国中浜松ではないと思うのだが、「浜松でよければ、日本中どこに行ったっていいに決まってるんだ。こんなこともわからんのかあ!」とか言い出すのだ、“浜松愛”に燃えたおっさんたちは。「アタマが浜松」の連中は。 ・・・そういう人を相手にすると、なんか、疲れる・・・・。 「空の一部分の広さは浜松の広さと同じだと言うのならそれは正しい。 しかし、空の広さは浜松の広さと同じだというなら、それは間違っている」と教えてあげたいのだが、そう言うと怒るのだ、「浜松中心主義」「浜松独善主義」のおっさんどもは。「宇宙の天体は浜松を中心として回転している」と心から信じている人たちは。

   次回、「サントリー美術館」「エミール=ガレ展」見学の【下】http://tetsukenrumba.at.webry.info/201608/article_7.html  では、サントリー美術館と東京ミッドタウンについて述べます。 今回は、上下でセットのつもりです。 御覧くださいませ。
   (2016.8.26.)

※ サントリー美術館HP http://www.suntory.co.jp/sma/ 
《ウィキペディア―サントリー美術館》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8
《ウィキペディア―エミール・ガレ》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%AC


☆ 東京圏の美術館・博物館
東京都
根津美術館(港区)(隈 研吾) http://tetsukenrumba.at.webry.info/201603/article_1.html
新国立美術館(港区)(黒川紀章+日本設計共同体)
1.http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_1.html
2. http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_2.html
3.http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_3.html
サントリー美術館(港区)(「東京ミッドタウン ガレリア」内。 サントリー美術館の設計は隈研吾)
上 〔今回〕
下 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201608/article_7.html
畠山記念館(港区)
1. http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_4.html
2. http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_5.html
3. http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_6.html
パナソニック汐留ミュージアム(港区)
http://tetsukenrumba.at.webry.info/201608/article_4.html
http://tetsukenrumba.at.webry.info/201608/article_5.html

千葉県
千葉市立美術館(千葉市中央区) http://tetsukenrumba.at.webry.info/201307/article_2.html

神奈川県
三渓園内 三渓記念館(横浜市中区) http://tetsukenrumba.at.webry.info/201606/article_4.html



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サントリー美術館 「エミール=ガレ展」【上】芸術は正しい知識を前提に描くべし。詩とともに生まれる陶芸 哲建ルンバ/BIGLOBEウェブリブログ
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