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zoom RSS パナソニック汐留ミュージアム「ミケランジェロ展建築の至宝」【上】彫刻家ミケランジェロ、ピエタ像思い出

<<   作成日時 : 2016/08/20 20:50   >>

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[第260回] 東京圏の美術館・博物館(6)-1
【1】 新橋・汐留と 「パナソニック汐留ミュージアム」「パナソニック東京汐留ビル」
  「パナソニック 汐留ミュージアム」で開催されている「ミケランジェロ展 ルネサンス建築の至宝」を見に行ってきました。
  まず、「パナソニック 汐留ミュージアム」とはどこにあるか。 そりぁ、汐留だろ・・・・と言われても、汐留とはどこから行くのか。そもそも、汐留と新橋は違うのか。 で、汐留のどこにあるのか。
とりあえず、↓ の「パナソニック東京汐留ビル」という高層ビルの4階にあります。
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   そもそも、「汐留」と「新橋」が同じなのか違うのか、なぜ、悩むのかというと、小学校の社会科、中学校の歴史で、日本で最初に走った鉄道は「新橋(現 汐留)−横浜(現 桜木町)間」でした、と教科書に載っていたもので、それで、その時代に言う「横浜駅」は今の「桜木町駅」の場所にあったんだな、と思ったのはいいけれども、「新橋(現 汐留)」と書かれているということは、その当時の「新橋駅」も今の「新橋」ではなく別の場所だったのか? と考えるわけです。 私が子供の頃のみならず20代くらいの頃も、旅客の駅で「新橋」という駅はあっても「汐留」という駅はなかった。 かつ、新橋駅の西側に蒸気機関車が停まっていて、日本鉄道開通最初の記念物みたいに鎮座していた。↓
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そして、たしか、別に「汐留貨物駅」というのがあったような気がするのだ。 大阪でも、「昔から、大阪では、国鉄では大阪駅というものを、大阪の私鉄や地下鉄は梅田駅・東梅田駅・西梅田駅と国鉄とは異なる駅名を名のってきました」とかしたり顔で「学者」か「鉄道研究家」がテレビで言ったりするけれども、実際には国鉄にも大阪駅の北に「梅田貨物駅」なんてあったのだが、大阪駅と梅田貨物駅は隣接するようにあったにもかかわらず駅名を変えていたように、新橋と汐留も近いのか? ・・・・と思っていると、そのうち、「都営 大江戸線」に「汐留」駅ができ、「ゆりかもめ」には「新橋駅」と「汐留駅」ができた・・・てことは1駅分あるのか?
   で、とりあえず、JR「新橋」駅から歩いてみた・・・が、わざわざ、「ゆりかもめ」とか「大江戸線」で1駅乗るほどのものではなかったし、パナソニック東京汐留ビルまでなら「ゆりかもめ」の駅でも「新橋」からと「汐留」からは同じくらいの距離ではないか。 JRの方が便利な人は「新橋」で降りて歩けば十分。 だから、「日本で最初の鉄道」は、「新橋―横浜間」の「横浜」は今の横浜駅ではなく桜木町駅を横浜駅と言っていたと断るのはわかるが、「新橋(現 汐留)」といちいち断るほどのものでもなかったような気がする。 


   歩いて行った時にはそうも思わなかったが、今、写真で見ると、新橋駅の西側(内陸部側)と東側(海側)では、どちらが良いとか悪いということではないが、ずいぶんと感じが異なるようになったものだ。

   で、パナソニック汐留ミュージアム が4階にある パナソニック東京汐留ビル と 汐留シティセンター、それに、復原旧新橋駅を使った旧新橋停車場歴史展示室 の建物がある一角が旧新橋駅だったようで、今、日テレタワーがあるあたりも線路が通っていた場所ではないか。 現「新橋」駅は、旧「新橋」駅からちょいと内陸側に線路を振って作り、そのまま延長して「東京駅」を設け、もとからの汐留駅は貨物駅にした・・・てそんな感じ。 実際、大阪駅と梅田貨物駅くらいの距離かそれよりはちょっと離れてるかというくらい。 で、上の高層ビル パナソニック東京汐留ビルの入口は↓
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↑ んな感じで、このビルは美術館専用の建物ではなく、1階はパナソニックのリフォームセンターが入っていて、その他もパナソニック(株)http://www.panasonic.com/jp/corporate/profile/overview.html の関係部署が入っているオフィスビルで、美術館への入口もパナソニック(株)への入口も同じ入口で中のエスカレーターで4階まで上がることになる。 4階もすべてが美術館というわけではなく、その他の用途に使用されているスペースもあるようだ。

   まず、「ミケランジェロ展 建築の至宝」の方だが、ミケランジェロというのは、彫刻家にして画家、そして、建築家であったわけだが、ここでは副題として「建築の至宝」と書かれているのは、絵画・彫刻・建築の中で、幾分、建築に比重を置いた展示だということらしい。

1. 最近でも、日本ハムの大谷とかいうにーちゃんが投手と野手との「二刀流」をする是非が言われたりするように、人間の能力は無限ではないので、2つ以上のものを目指すと、1つに絞ってやったなら成果を出すことができるところを、2つ3つに力を分散した為に、たいしたことない成果しか出せなかったということになりかねない。むしろ、「弱者の戦術」として「戦力の集中」をはかった方が成果が出るということはないのか。 音楽家の場合、2つか3つの楽器をやってそのうちの1つを専門とした方が自分の適性にあったものを選べるということはあるかもしれないし、又、何か楽器をやるとしても、それとともにピアノと声楽は最低限のレベルまではやった方が良いのではないかという気もするのだが、美術の場合、それも、ミケランジェロの場合は、彫刻も絵画も両方とも超一流のレベルの評価を得ており、そして、建築も、サンピエトロ寺院とかいったものの設計者として名前があがっているわけだ。 特に、絵画と彫刻はほぼ百パーセント芸術であろうけれども、建築の場合は半分は芸術でも半分は理工学・自然科学であり、芸術家がそれだけでできるものなのかという問題もある。 さて、ミケランジェロは、最初から自分で彫刻も絵画も建築もやろうと考えてやったのだろうか。 その点について、この展示会において、説明がされていた。
   ミケランジェロは、本人は自分を「彫刻家」と考えていた。 そこへ、システィーナ礼拝堂の天井画の依頼が来たり、建築の依頼が来たりしたことで依頼をこなしていくうちに、「彫刻家 兼 画家 兼 建築家」となった、というものらしく、ミケランジェロ自身は、絵画や建築も扱ってはいるけれども、自分自身を基本的には彫刻家と認識していたらしい。

2.  天井画でも、京都の建仁寺http://www.kenninji.jp/ の法堂(はっとう)の龍の天井画 は、地べたで描いた上で天井に貼ったと、建仁寺に行った時に、ビデオ映像で見せてもらった記憶がある。 地べたで描くのでも、それでも大変なものだし、地べたで描いたものを天井に貼る場合には、地べたにおいた状態で見るのと天井に貼った状態で見るのとで見え方が違って来る可能性もあり、その点で大変なところがある。 しかし、もし、すでに完成した天井に、櫓を組んで下から絵筆で描くとすると、上を見上げながらの姿勢というのは人間としては相当にきつい姿勢であり、ごく狭い天井ならともかく、そういう姿勢で広い部屋の天井の絵を描くことが可能なのか、人間として不自然な姿勢で美しい絵を描くということが可能なのだろうか、という問題がある。又、床に描くならともかく、天井に描く場合、どのような塗料で描くのかという問題があり、たれやすいようなものなら、塗った後から落下する、もしくは天井が斜めになっていたなら、にじんでしまうということはないのか。 イタリアに行って有名建築物を見ると、天井に絵が描かれている建物は珍しくないが、それらは、どうやってできたものなのだろうと前々から思ってきた。
    ミケランジェロが描いたという システィーナ礼拝堂 の 天井画は、あれは、地べたで描いた何枚かの絵を天井に貼ったのではなく、できあがった天井に、ミケランジェロが4年間かかって上を向いて描いて行ったものらしい。

3.  かつ、最初は、ミケランジェロをリーダーとした6人の絵描きのチームによって描く予定であったのを、ミケランジェロは他の画家が描いたものを納得せず、他の5人の絵描きを次々に辞めさせていって、結局、ミケランジェロが1人で描くに至った、というものらしい。

4.  ミケランジェロは、女性の絵を描く際に、男性のモデルで素描を書いて、それを完成までに女性化させていくということをしばしばしていたらしい。 中性的な体格の女性の絵があるが、ひとつにはそれも原因かもしれないという。

5.  長尾重武『ミケランジェロのローマ(建築巡礼5)』(1988.8.30.丸善)には、ミケランジェロがサン=ピエトロ寺院の設計に携わるに至る経緯について、
≪  サン・ピエトロ大聖堂の復興の計画は、15世紀半ばの法王ニコラウス5世(1447−55)の試みにさかのぼり、この時、レオン・バッティスタ・アルベルティが助言している。 コンスタンチヌス帝時代の古いバジリカを修復・整備する計画は、かならずしも思うようには進展せず、結局、16世紀初頭の法王ユリウス二世の時代に、まったく新たに建て替える計画がもちあがったのである。ブラマンテによるとされる求心型平面の計画案にもとづいて、礎石が置かれたのは1506年4月18日のことであった。・・・ ≫
≪1514年にブラマンテが歿すると、ラファエロが後継者になった。ブラマンテの最初の案はこの巨大な構造を支えるには壁厚や支柱など華奢すぎたために、ただちに太く補強された。また塔が幾分独立した形になり、交差する腕の端部に周歩廊を設けている。
  1520年にラファエロが歿した後に、アントニオ・ダ・サンガッロがその任についた。アントニオの案は、前二者を継承しつつ、さらに長堂を付け加えたものであって、これまで以上に大規模になっていた。当時この仕事はかなり困難な局面をむかえていた。ブラマンテが着手して以来、変更が加えられながらこの大規模な建築工事はほとんど人間技では不可能な企てのようにさえ思われていたからである。 サンガッロの模型にしたがった場合の費用はどれほど膨大なものになるかは知るよしもなかった。≫
≪1546年、アントニオ・ダ・サンガッロが歿して、ラファエロのかつての弟子であるマントヴァのジュリオ・ロマーノが呼ばれたが、ジュリオは11月1日に歿してしまった。その結果ミケランジェロがサン・ピエトロの主任建築家となった。≫と書かれている。
   そして、ミケランジェロは、このサンガッロの案が気にいらなかったようで、
≪このままサンガッロの案にしたがって工事を進めるとしたら、パオリーナ礼拝堂、法王庁控訴院、その他多くの建物を取り壊さなければならない。そればかりかこの案では内部への採光が十分ではなく、さらに、込み入った隠れた部分があって、犯罪の温床になったり、尼僧を孕ませる原因になる、とミケランジェロはバルトロメオにあてた手紙で断じている。こうしたことは、ミケランジェロにとっては致命的欠陥と映じた。
   ミケランジェロは、ブラマンテを敵視していた、とまことしやかに語られ、二人の対立の構図のもとに、ミケランジェロ像を描きあげることがしばしばなsれているが、事情はそれほど単純なものではなかったようである。手紙によれば、ミケランジェロは明らかにブラマンテを高くしていたからである。 ブラマンテのサン・ピエトロ案はいっさい混乱したところがなく、明快で純粋、かつ光に溢れ、どの部分も非難されるところがないと論じ、サンガッロがしたように、ブラマンテの案から遠ざかることは、真実から離れることであるのは明白であるというのである。・・・(略)・・・・
  彼はサンガッロの案を全く認めていなかった。ブラマンテの考え方をその単純明快さゆえに称揚しつつ、その後の変更に異議をとなえ、ふたたびブラマンテにもとづいて、前進させようと意図したのである。・・・・≫と。
    丹下健三設計という東京カテドラル聖マリア大聖堂に行ってみて、威圧するような外観、来るものをはじき返すような素材を使用したはね返す外観に疑問を感じ、そして、内部に入らせてもらって、まず、「暗い!」というのが第一の印象を受けた。 そして、せっかく、これだけの敷地があるのに、なぜ、こんな無駄な造りをしないといけないのかとも思ったし、隣地と接して側窓を取れない場所なら天窓から光を入れるというのもわかるが、十分に側窓をとって採光できる敷地なのに、なぜ、こんなことをするのか、と大きく疑問を感じた。 自称「建築家!」とか「いっきゅうけんちくしい〜い!」とかいう おっさん なら、それでも、「世界の丹下」を せっせと称賛して、「丹下健三のエピゴウネン」である自分を評価してもらおうと励むところだろうけれども、私は「建築家」ではなく「建築屋」なもので、へんてこなおっさんのエピゴウネンになる必要はないので、思ったことを思った通りに言うと、「これ、どこがええのん?」というのが感想だったし、「竣工時から雨漏れした」というあたりも、「建築家」は「さすが、世界の丹下!」と称賛するみたいだが、建築屋なら「ぶっ壊して建て替えろ」と言われかねないところを、「建築家」というのはなんともけっこうな商売してはりまんなあ〜あ・・・・て感じがした・・・のだが、その「暗い」という点について、今まで利用させてもらったことがある教会堂、見学させていただいた建物を見た限りでは、プロテスタントの教会とカトリックの教会では、どちらかというと、カトリックの教会の方が「暗い」建物が多い、プロテスタントの教会の方が明るい建物が多いような気がしたのです。
   しかし、カトリックでも、たとえば、2001年にフランスのルールドゥに行った際に入らせてもらった ルールドゥの聖ピオ10世地下寺院は、横から光をとっていたものの昼間でも薄暗かったが、これは、ルールドゥの「聖域」の中で、入口と突き当りのシュペリウール寺院との間の芝生広場の下に半地下で作ったもので、シュペリウール寺院の景観を損ねない為、また、毎夜、シュペリウール寺院の前で人が集まっておこなう「蝋燭行列」の際、片方にシュペリウール寺院、他方に城塞があって双方がライトアップされるという場所で、その中間で双方の景観を阻害しないようにと半地下にしたために、あまり大きく採光の窓をとることができなかったことによるのであって、シュペリウール寺院の方はそんなに暗くはなかった。だから、カトリックの教会堂は暗いというわけでもないはずだと思ったのです。
   教会堂については、ウィリアム=メレル=ヴォーリズは「教会堂は、特別の建物でないといけないということはない」と語ったというように、信徒が集まって集会を開ける場所であれば、大事なものは神への信仰であって教会堂ではないわけであり、信徒が集会を開く場所として考えるならば、十分な採光が採れた場所である方が良いと考えられる。まず、聖書を読もうとしたなら、暗いと読みにくい。 しかし、他方において、教会堂は「神と出会うための特別の場」であるべきだという考え方もあるらしい。 しかし、「神と出会う特別の場」の方を求めたものであったとしても、それにしても、東京カテドラル聖マリア大聖堂というのは、あれは、せっかく、十分に広い敷地があるのに、なんで、わざわざ、暗くしないといけないのか、暗いことから「特別の気持ち」になったことが「回心の体験」だと思ったのなら、そんなものは幻覚であって信仰とは別ではないのか、といったことを思ったのだが、なにしろ、「世界の丹下」のなさることですから、やっぱり、尊重しなきゃいかんのかな、ほめにゃいかんのかな・・・? とも思ったのですが、設計者の名前をみてほめるかどうか判断する「建築家」「デザイナー」て、なんか、やっぱり変! だと思うし、そういうのの仲間になんかなりたくない! と思ったのだ。
   そう思っていたところで、長尾重武『ミケランジェロのローマ(建築巡礼5)』(1988.8.30.丸善)を読み返すと、ミケランジェロ=ブオナロッティ という「世界の丹下健三」に十分対抗できるだけのビッグネームが、教会堂はそんなに暗いとダメ! とおっしゃっていたということを知り、意を強くしたわけです。
   で、そのミケランジェロさんですが、この「ミケランジェロ展 建築の至宝」における説明書きによると、サンガッロさんとは、あんまり、仲が良くなかったらしい。 ミケランジェロが仲が悪かったのはブラマンテではなくサンガッロの方らしい。 しかし、「ミケランジェロ展 建築の至宝」の説明書きには別のことも書かれていて、サンガッロは何かとミケランジェロと比較されたけれども、なにしろ、「神のごときミケランジェロ」との比較対象とされてきたというのは、どう考えても損な役回りであった・・・・と。 そうかもしれない。
※《ウィキペディア―アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョヴァネ》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%83%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%8D

   今回の展示は、「建築の至宝」という副題がついているのは、ミケランジェロでも建築の部門に比重のある展覧会だということで、絵画でもシスティーナ礼拝堂の天井画や最後の審判の絵など、建築とかかわりがある絵について論じられているということらしい。
   「素描を中心としての展覧会」で、それはそれで参考になり含蓄のあるものではあるのですが、「もっとすごい展示があるのかと思って来たら、『がっかりする』」 ようなところもあるもので、それは展示者もわかった上で実施されていたようです。


   ミケランジェロの彫刻での代表作の1つとして、サンピエトロ寺院の「ピエタ像」があります。 「ピエタ」というのは、どういう意味かと思っていたら、「哀しみ」といった意味らしく、十字架から降ろされたイエス=キリストを抱くマリアの像らしい。 この像について、私は、不愉快な思い出があります。
   1997年のイタリアに行き、ローマのフィウミチーノ空港から入国して1泊した翌朝、最初に行くべきところは、やはり、サンピエトロ寺院であろうと思って行ったのです。 周囲には派手な衣装の「スイス人の衛兵」というのが立っていました。
   内部に入ると、まず、ペテロ像があります。前に出た片足のつま先がてかてか光っているのですが、これは「信徒が跪いて接吻を繰り返した結果、光るようになった」というお話があるものですが、実際には、そういうことではなく、おそらく、こういったブロンズなどの像は、出っ張った箇所はてかてかと光りやすく、引っ込んだ所はほこりもたまりやすいしくすんだようになりやすいのだと思います。 「コロッセオが滅ぶ時、ローマも滅び、その時、世界も滅ぶ」とか「『真実の口』に、嘘つきが手をつっこむと食いちぎられる」とか、「ナポリのカステルデツローヴォ(卵城)の基礎の下には卵が埋まっていて、その卵が割れた時にはカステルデツローヴォは破壊されナポリの街も破壊される」とか、「トレビの泉で、泉に背をむけて硬貨を泉に投げ込むと、ローマにもう一度来ることができる」とかいった、なかなかセンスのいい「お話」の1つだと思います・・・・が、たとえ、「お話」であったとしても、そういうお話ができるだけ、その地の人たち、カトリックの人たちはそのペテロ像を大事にしてきたのだと思います・・・・が、そこに3人づれのジャパニーズオバサンズがやってきた。 で、何やったか?
   サンピエトロ寺院に限らず、こういった教会堂は、外観の写真を撮るのは自由ですし、日本の家相ではお寺や神社は見上げるのは良いが見下ろすのは良くないといったことを言うようですが、ヨーロッパの教会堂の場合、教会堂の屋上にあがることができる教会堂が多く、サンピエトロ寺院も屋上にあがることができ、聖なる教会堂の上に登って踏みつけにするとはけしからんといった考え方はないようですし、屋上の写真や屋上から見たローマ市街の写真を撮影するのも自由ですが、教会堂の内部は写真撮影禁止です。 しかし、それは一般人の場合です。 おばさん には通じません。 なにしろ、「そこのけ、そこのけ、おばさん通る」という諺がありますし、「おばさん通れば道理ひっこむ」という諺もあり、「泣く子もおばさんには勝てない」という諺もあります。世の中、何が強いといって、おばさん ほど強いものありませんからね。 男なんて、勝てるわけない。
   そのジャパニーズオバサン3人づれが、ペテロの像の所に来て何をやったか・・・・・。 まず、その1人がペテロの「信徒が跪いて接吻を繰り返したことから光るようになった」というお話があるつま先を片手でつかみ、別のおばさんがその写真を撮影。 堂内写真撮影禁止の掲示が絵入りであっても、おばさんにとっては「そんなの、関係ねえ!」。  なに、すんねん!  と驚いて見ていたら、次に、別のひとりが、光っているつま先とは別の方の足のつま先を片手でつかんでカメラの方を向き、やっぱり、堂内写真撮影禁止の掲示なんか「そんなの、関係ねえ!」とフラッシュ光らせて写真撮影!   ・・・・・・野蛮人! これでは、日本人は嫌われるわ、と思った。 サンピエトロ寺院から外に出る時、来場した白人の夫婦が入口から内部に向かって両手を合わせ頭を下げて帰るのを見ました。 そういう所で、ジャパニーズオバサンはいったい何をするのか! これは、日本人は嫌われてももっともだと思いました。 ジャパニーズオバサンにとっては、ペテロの像も裸のねーちゃんの像も違いはないのでしょうかね。ペテロという人がキリスト教徒にとってどういう存在なのか、考えたこともないのでしょうか。そこは、そのペテロが殉教した所だと知っててやっているのか知らずにやっているのか・・・・・。

   このペテロ像のもうちょっと北の方角だったと思うのですが、一室があって一般の堂内との間はガラス張りになった部屋がありまして、ミケランジェロの「ピエタ像」はそこにあったのです。 最初、間にガラスがあって、部屋の中には入れないようだったのでガラス越しに見ていたのですが、その後、他の所に行って戻ってくると、部屋の内部に何人かの人が入っているのです。 それで、入れるのか?と思って、入口の方に歩みかけたところ・・・・、どうなったと思いますか。 「制服の上から外套を着ているスイス人の衛兵」に無言で突き飛ばされたのです。
   私は、これより前、警備員の仕事をやったことが複数社であります。 交通誘導警備を2社、施設警備を1社でやりました。 そこでは、研修できっちりと教えられたのです。
(1)  警備員・ガードマンにとって、「制服を着ている」ということは他の仕事と違って重要性は高い。 警備員が制服を着てそこにいることによって、周囲の人に、そこから内部に入ってよいのかどうかといったことを考えさせる効果がある。 警備員・ガードマンが制服を着ていなかったなら、制服を忘れたなら、それは、半分、仕事をしていないのと一緒である、と。
(2)  (交通誘導において)クルマに合図をする時には笛を吹いて合図をしてよい。しかし、人に合図をする時には笛を吹いてはいけない。人には口で話す。 (施設警備において)人を制止するのは、口で制止するものであって、手で制止するものではない、と。
そして、「警備員の研修は7時間/日×4日=28時間ですが、警察官の場合は警察学校で1年間かけてみっちりと教育を受けて、こういったことを叩き込まれますから、警察官はこういったことはびしいっと理解しています」と言われたのですが、そのわりには警察官は「人を制止する時は口で制止するものである。手で制止するものではない」という原則を理解できていませんが・・・。
   サン=ピエトロ寺院にいた「スイス人の衛兵」というのは、堂内にいたにもかかわらず、トレードマークの派手な衣装の外側に地味な紺の外套を着ていた。 だから、本来のカラフルで派手な衣装なら目立つので「スイス人の傭兵」がそこに立っているということがわかるのですが、せっかくの目立つカラフルな衣装の上に地味な紺の外套をはおっていたために彼がそこにいるのがわからなかった。 これは、警備の仕事をする者として失格です。 これでは、あの特色のある衣装は何の為にあるのかわからないことになる。
   私は「高校までエリート」でしたから、最低限の英語はわかります。 イタリアに行くために、イタリア語の学習もにわか仕込みでせっせとやりましたから、ほんの少しならイタリア語でもわからないことはありません。それより、この後、ナポリに行った時、ナポリの路上の屋台で、これ、どうやって注文するのだろうと思って見ていたら、そこにいた労務者風のイタリア人のおっさんが、イタリア語で、何、遠慮してんだ、こっちこいよ・・みたいな感じで説明してくれて、その労務者風の風体のおっさんはイタリア語しか話せないし、私はそのおっさんのイタリア語を理解できるだけのイタリア語の語学力はなかったけれども、それでも、なんとなく言っている意味がわかった。人に物を伝えることができるかどうかは語学力がどれだけあるかよりも伝えようという気持ちがあるかどうかの方が重要なのだと『地球の歩き方 イタリア』だったか『地球の歩き方 ヨーロッパ』だったかどちらかに書いてあったが、その通りだ。ましてや、「スイス人の衛兵」はそういう仕事をしているのだから、英語なりイタリア語なりで最低限の言葉は話して悪くないはずだ。箱根に行ってバスに乗った時、白人のおっさんが降りる時に運転手に英語で何か尋ねるので、運転手さんには英語では無理じゃないかと思ってみていたら、箱根のバスの運転手は英語を話すのだ! すごい! と思ったが、すべての会話ができるということではなく、観光客がバスで尋ねることというのは似た内容が多いので、それで、そういったものには答えることができるようにしているということではないかと思う。 岐阜県の高山は最近、外国人の観光客が多いが、高山駅の向かいのファミリーマートでは、レジのにーちゃんが外人に「プリーズ、カム ヒア」と言うので、すげえな、ここはと思ったことがあったが、レジのにーちゃんにしても、言える英語は「プリーズ カム ヒア」だけだったかもしれない。 「スイス人の衛兵」というのは、そういう仕事をしているのだから、外国人にもわかりやすいように、英語ででもイタリア語ででも口で言えばよいはずだった。 にもかかわらず、「スイス人の衛兵」は英語でも何も言わず、イタリア語でも何も言わず、人を突き飛ばしたのです。その上で、「そーりー(sorry)」も言わないのです。
    いったい、何なんだと思っていたら、ピエタ像の部屋の中から出てきた黒人のおっさんが、またもや、私を突き飛ばしたのです。これは暴力です。 なんだ、こいつは、と思ったし、衛兵なら教会堂内でそういう無礼で教会堂内にふさわしくない態度をとる人に注意してもよさそうですが、黙って立っていました。
    推測すると、その黒人のおっさんは、どこかの国の「エライ人」か何からしいのだ。 それで、「フツーの人間」はガラス越しにしか見せてもらえないピエタ像を、部屋の中まで入らせてもらって見てきたらしいのだ。 そして、なにしろ、「エライ人」なものだから、その部屋から出てきた付近に私がいたので、「エクスキューズミー」も「ペルメッソ」も「スクーズィ」言わず、突き飛ばしておのれの進行方向に突き進んだらしい。その態度を見る限り、「エライ人」でも、あまりまっとうな方の「エライ人」ではなさそうという印象を受けました。 それでも、やっぱり、なにしろ、「エライ人」らしいので、「スイス人の衛兵」も教会堂内で人を突き飛ばす人間から突き飛ばされる人間を守るのが衛兵の仕事ではなく、人を突き飛ばす「エライ人」の方を守るのが衛兵の仕事と認識して見ていたようだった。 ケーサツ漢とか衛兵とかいうのは、どこの国でも、そのあたりの態度は共通しているのかもしれない。
   なんとも、胸くその悪い所だったし、「スイス人の衛兵」というのは、こいつら、いったい何なんだ、と思った。
   私が法務省で警備員の仕事をしていた時、外来者は受付で入館手続きをして入ってもらうことになっていたが、こちらの顔を見るので、何か尋ねたいのかと思って聞こうという姿勢をとると、「弁護士!」と言って「舞の海の立ち合い」みたいなことをしてひょいと腰をかがめて忍び込む男がいた。 「元 田中角栄の秘書」だという怖そうな感じの大柄なおっさんは、「すいません。受付で入館手続きをしていただけませんか」と言うと、「おお〜お」と言って無視して入ろうとした。 丸の内署の制服の警察官3人連れがしばしば来て、入館手続きもせずに入ろうとする(法務省に用事があるのではなく売店で買い物をするためか何かに)ので、「法務省に用事があるようでしたら、受付で入館手続きをしていただけませんか」と言い、職員専用通路を通ろうとするので「こちらは通行できません」と言うと、「なにい〜い」とすごむような態度をとって3人で迫ってきたので怖かったが(不法侵入している犯人が、何が「なにい〜い」じゃ)、私はそういったアホな連中のようなことはまったくしていない。 ピエタ像の部屋の内部に入って見ている人がいるので、入ることができるのかと思って入口の方にゆっくりと近づいただけである。 もし、その時に入っていた人が「特別の人」で「普通の人間」は入ることができないのなら、「スイス人の衛兵」はそう言うべきである。 神さまはおまえに何のために口をお与えになったのか? おまえはそれを知らないのか? そう言ってやりたかった・・・・が、それだけ言うだけの語学力がなかった・・・・が、後に、日本で、栃木県でのことだが、(株)一条工務店に在籍した時、見込客で東南アジア方面との貿易で外国に行くことがよくあるという方と話をした際、出入国の際に、持っている商品の見本を「これは何だ」と執拗に尋ね、説明しても理解できないヤツがいるので、あまりにも態度が悪い時は怒ってやるんだと言う人があったので、「怒るというのは、何語で怒るんですか」と尋ねてみたところ、「日本語でだよ。日本語で言ってやるんだ。当然じゃないか。日本語しかしゃべれないんだから。日本語だよ、相手が悪いのに、一生懸命、英語だの何語だので話してられるか。 日本語で言ってやるんだよ。相手が日本語を理解できようができまいが、そんなこと知るか!」と言われたので、あの黒人のおっさんと「スイス人の衛兵」には、日本語で怒ってやればよかったのかもしれない、とも思ったが、すでに遅かった・・・・ということがあった。


    さらに、夜遅くにローマについて深夜にホテルに着いて宿泊した翌日、サンピエトロ寺院の堂内でこういった経験をした後、サンピエトロ寺院の前の広場にクルマを停めて清涼飲料水を販売していた者から飲み物を買ったところ、ぼったくられた。 イエスは宮の前で物を売るものの台を「私の父の家は祈りの場でないといけないと聖書には書かれているにもかかわらず、おまえたちは、そこを商人の巣にしている」と言って、ひっくり返された、と書かれていたはずだが、同じことをしてやりたいくらいの気持ちだったが、やるわけにもいかないので我慢したが、サンピエトロ寺院というのは、なんか、感じの悪い所だなあという印象だった。 そういうことがあった為、「ミケランジェロのピエタ像」は、どうも、印象が悪い・・・。


   「パナソニック東京汐留ビル」の4階にある「パナソニック汐留ミュージアム」では、この
「ミケランジェロ展 建築の至宝」を 8月28日まで(但し、8月18日までは夏季休館)展示し、その後、
モードとインテリアの20世紀展 9月17日〜11月23日
マティスとルオーの往復書簡展 2017年1月14日〜3月26日
を開催するらしい。

※ パナソニック汐留ミュージアムHP http://panasonic.co.jp/es/museum/

   パナソニック東京汐留ビル の周囲と、このビルの1階のパナソニックリフォームセンター内部で開催されていた「東京5名門美大生による彫刻展」について、【下】http://tetsukenrumba.at.webry.info/201608/article_5.html で述べる。


☆ 東京圏の美術館・博物館
東京都
根津美術館(港区)(隈 研吾) http://tetsukenrumba.at.webry.info/201603/article_1.html
新国立美術館(港区)(黒川紀章+日本設計共同体)
1.http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_1.html
2. http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_2.html
3.http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_3.html
畠山記念館(港区)
1. http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_4.html
2. http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_5.html
3. http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_6.html
パナソニック汐留ミュージアム(港区)
上 〔今回〕
http://tetsukenrumba.at.webry.info/201608/article_5.html

千葉県
千葉市立美術館(千葉市中央区) http://tetsukenrumba.at.webry.info/201307/article_2.html

神奈川県
三渓園内 三渓記念館(横浜市中区) http://tetsukenrumba.at.webry.info/201606/article_4.html





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