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zoom RSS 畠山記念館見学3−「茶道」「茶の湯」とは何か?「不毛な嫁入り道具」か「志の高い隠者の接待」なのか?

<<   作成日時 : 2016/05/07 22:10   >>

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[第250回]東京圏の美術館・博物館(4)-3
   今回、明月軒にてお抹茶を出していただけるということなのでお願いしようと思って行ったのですが、美術館本館に行く前に、明月軒を見てみたところ、なんだか、正座した女性がかしこまって並んでおられたので、そういう人たちの会なのかなと思い、美術館の受付で、「これは、茶道の経験のある人が対象というものなのでしょうか」と尋ねてみたところ、「いいえ、そんなことありません」ということでしたのでお願いして参加させていただきました・・・が、次の一言、「初心者の方でも参加いただけます」・・・・ということは、やっぱり、「けっこうなお点前ですこと、オホホホホ」と言わなきゃいかんのかな・・・・・と思うと、やっぱり、やめておいた方がよかったかな・・・とか思ったりもいたしました。
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(↑ 明月軒)
   そもそも、「茶道」「お茶」というのは、「お花」「華道」と「フランス文学科」、「着付け」とともに、もともと、私は軽蔑していたのだ。そんなもの、嫁入り道具でしかないではないか、と。 東大京大以外の大学の文学部でフランス文学科に行く女、行きたがる女にろくなのいない!!!・・・・もうひとつ、「!」をつけてこましたろ。
   そういう女は何ゆえ、フランス文学を学びたいのか? ジャン=ポール=サルトルに共鳴したからか? ロマン=ロランの小説に感動したからか? アンドレ=ジッドの真摯な態度に感動したからか? 違うだろうが。 嫁入り道具だろうが、あほくさい嫁入り道具だろうが。 そんな「文学」に何の価値があるか!?!
   福沢諭吉は、「実学」「虚学」ということを言い、「実学」を勧めたというのだが、福沢が言う「実学」とは何か。 経済学や法学を実学と言って文学・哲学・宗教学・倫理学などを「虚学」と言ったのか?  簿記や語学を「実学」と言って文学や哲学を「虚学」と言ったのか? そうではあるまい。  フリードリヒ=ニーチェは『ツァラトゥストラはこう語った』のことを「人類の歴史を真っ二つに割る最高質のダイナマイト」と言ったというが、人間の思想・精神を変革し、目覚めさせ進歩させる文学・哲学は「実学」であり、逆に、眠り込ませ、進歩を妨げるような「文学」「哲学」は「虚学」と言うべきではないか。  魯迅は医学を学ぶために日本に留学していたが、その時代の中国の民衆の状態を考えた時、より必要なのは体を救うことよりも心を救うこと、精神面を改善することだと考えて、文学の道に進んだ。  毛沢東は「我々の使命は、 『刺繍に花をつけたすこと』ではなく、『雪に閉じ込められた地方へ石炭を送ること』である」と語ったわけであるが、文学においても、「刺繍に花をつけたす」文学と「(精神的に)雪に閉じ込められた地方へ石炭を送る」文学があるのではないか。 「精神的に雪に閉じ込められた人たちに精神的石炭を送る文学」が「実学」で、「刺繍に花をつけたす」文学は「実学」ではないと考えるべきではないか。
   そういったことを考えた時、「嫁入り道具としてのフランス文学科」へ行きたがる女のフランス文学とは、「刺繍に花をつけたすこと」ではないのか。 「茶道」「お茶」も「華道」「お花」とともに「刺繍に花をつけたすこと」か?
   高校の同級生であった女性と高校卒業後2年か3年後に会った時、「私も、女の子として、大学に行ったら、『お茶』とか『お花』とかやろうと思ってたんだけど・・」とか言うヤツがいたのだが、ふ〜ん・・・・そんなもの、やりたいのか??? と思ったことがあった。 共学の進学校に通って、こちらとしては「同志」のようなつもりでいた者から、「私、転向しました」と言われたような、そんなショックを受けた。 「お茶」(「茶道」)・「お花」(「華道」)、それに、「着付け」というのは、なんだか、退廃した、向上心を失った女がはまる3大傾向ではないかという気がしていた。 それに、「フランス文学」というやつだ。 この場合、「フランス文学」には「お」をつけてあげてもいいかもしれない。 「おフランス」とかいうの。 この場合の「おフランス文学」の対象はサルトルではないはずだ。アルベル=カミュでもないはずだ。

   まず、「茶道」「お茶」とは何か。 北野高校3年の時の「日本史」の授業の時のこと。日本史の教諭Oの話だが、「ぼくが若い頃、京都のあるお寺にいた時のことですが、『お〜い、今、向こうでみんなで、お茶飲んでるから、一緒にどうや。おまえもこっち来いよ』と誘ってもらって、そうか、向こうでみんなで、お茶をがぶがぶ飲みながら世間話でもしてるのか、それなら参加させてもらおう・・・・と思って行って、その引戸を開けようとしてふとためらった。 ためらって正解だった。 『向こうでみんなで、お茶飲んでるから、一緒にどうや。』と言われると、みんなで、お茶をがぶがぶ飲みながら世間話でもしてるのじゃないか、と思いませんか。 ところが、どうも、そうじゃなかったわけです。 いわゆる、『茶道』というもので、畏まって作法にのっとって飲まなきゃいけないでしょ。 そして、『けっこうなお点前ですこと、オホホホ』とか言ってほめにゃならんでしょ。 行かなくてよかった」と話されたわけです。 そんな「お茶」なんて真っ平ごめん! と思ったわけです。
   「大学生」であった時、港区の青山で、交通誘導のガードマンをやったことがあります。 小原流会館のそばです。小原流というのは、「お茶」か「お花」か「着付け」かどれかの流派で、「フランス文学」の流派じゃないわな・・とか思ってたのですが、「お花」の流派ですね。 その時、その工事現場に来た生コン車のおっさんが、「このへん、歩いているヤツ見ると、なんだか、青山て感じの顔してるよなあ。 俺たちぁ、葛西か江戸川の顔だもんなあ〜あ」と言って、「葛西か江戸川の顔」の仲間に入れてくれたんです。 そうです。 「青山って顔」したヤツ、嫌いなんです。 「葛西か江戸川の顔」て、どんな顔やねん? て気もしますが、「青山って顔」と「葛西か江戸川の顔」なら「葛西か江戸川の顔」の方が好きです。
   父はいつも言っていました。 「世の中は、人に命令する人間だけいてもいけないし、人に命令されて服従する人間だけがいてもあかんのや。 神さまという方は大変賢明な方で、人間を『人に命令する人間』と『人に命令されて服従する人間』との2つに分けてお造りになったわけや。 真ん中はないねん。 民族でもそうや。『ドイツ人』とか『アメリカ人』は『人に命令するための民族』でやなあ、『チャンコロ』とか『ロスケ』とか『イタコ』とかは『人から命令されるための民族』なわけや。 わしいは典型的な『ドイツ人』で『アメリカ人』で、ヒットラー総統のような英雄やねん、エーユー、au。〔⇒《YouTube−ベートーヴェン: 交響曲 第3番 変ホ長調 作品55 「英雄」 カラヤン / フィルハーモニア》https://www.youtube.com/watch?v=rL1UsI8WqVQ 〕あんたは『ロスケ』で『イタコ』で『チャンコロ』やぞ。 これは、生まれる時点で神さまがお決めになったことであってやなあ。 生まれてからどんなにあがいても絶対に変えることはできないものなんや。決して神さまに逆らってはならぬぞ、チャンコロ。おまえはチャンコロやぞ。おまえは服従するための民族やぞ。 そんでやなあ。神さまは大変憐れみ深い方であってやなあ、『チャンコロ』にもまた『チャンコロ』として服従する人生というものを用意してくださっているわけや。 神さまに感謝しろお!」と私に毎日毎日言っていました。 ですから、私は「ロスケでイタコでチャンコロ」ですからね。 「ドイツ人」〔⇒《YouTube−楽劇「ワルキューレ」第3幕より「ワルキューレの騎行」 ゲルギエフ》https://www.youtube.com/watch?v=ONfSjfTWJJU 〕だの「アメリカ人」だのとは違うわけです。 なにしろ、わたしぁ、「チャンコロ」で「イタコ」で、そして、「ロスケ」ですからね。〔⇒《YouTube−「ロシア人」〔⇒《YouTube―ЭЙ, УХНЕМ! 》(ヴォルガの舟唄)https://www.youtube.com/watch?v=AfqO1HmLTT8&list=PL63B3242CBA26DF68  〕(歌からしてからに、「日陰の月見草」みたいな歌。 「ええなあ、長嶋は。わしぁ、日陰の月見草やあ。うらやましいなあ。ほんまにええなあ。長嶋はあ」みたいな歌。) ですから、「けっこうなお点前ですこと、オホホ」みたいの、なんか、ジンマシンがでそう・・・・・・・。
   今は昔、「大学生」であった時、銀座のヤマハホール(http://www.yamahaginza.com/hall/ )に映画『フィガロの結婚』を視聴に行った時、後ろの席に「ブルジョワ」か「有閑おばさん」みたいな女性3人づれがいて、「まあ、おかしい。 なんておもしろいのかしら」とか言ってるのが聞こえたのだが、気色悪い! なんか、オペラってそんなものだったのだろうか? 『フィガロの結婚』てそんなものか? そうではないはずだ。『フィガロの結婚』は、伯爵の権力を利用して部下の恋人を横取りしてやろうとする伯爵を民衆が力を合わせて懲らしめるという「抗議抵抗の文学」ではなかったか?〔⇒《YouTube―モーツァルト: 歌劇「フィガロの結婚」 全曲 Disc 1 ベーム / ベルリン・ドイツ・オペラ》https://www.youtube.com/watch?v=irDwHd03aVY 〕  で、「けっこうなお点前ですこと、オホホ」とかいう「茶道」てのは、やっぱり、オペラ映画を見に行って、「あら、おかしい。おもしろいわねえ」とか言って「上流階級」ぶりたいオバサンのやることではないのか。「ブルジョワ」か「プロレタリア」かというと、やっぱり、経済学上の正確な定義の上でどうという話ではなく感覚的なものだが、わたしぁ、「プロレタリア」の方ですから、「けっこうなお点前ですこと、オホホ・・」とかいうの、合わないのだわ、感覚的に。 そういうのは「ドイツ人」の「英雄」で「青山って顔したヤツ」がやることじゃないのか? 「ロスケでイタコでチャンコロ」で「葛西か江戸川の顔」(実際に、葛西にも江戸川にも住んだことないけど)した人間がやることではないのじゃないか・・・そんな感じがするのだ。
   ジャン=ポール=サルトルは、鼎談『反逆は正しい』で、≪ 現在の社会というのは、作家がどうしても権力の座にある階級のために書くことになってしまう。そんな社会だ。労働者に読まれるということはときとしてありうる・・・・けれどもその場合は、読まれるのはブルジョワ的価値を引き継いでいる作家だ。労働者読書委員会というのがかつてあって、彼らは本を買い、経営者もいくらか出していた。たとえば、アネシイでだが、連中はかなり巧妙で本の選択にも口を出さず、金を出しただけだった・・・最初はフランソワーズ・サガンということになる・・・・ブルジョワ的価値がまねられていたのだ。この場合には、読書ということにはならない。 ・・・・≫(サルトル・ガヴィ・ヴィクトール『反逆は正しい 1−自由についての討論』鈴木道彦・海老坂武訳 1975.11.15.人文書院)と述べている。自分自身のあり方を見つめ直し、社会のあり方も考えるような読書は「実学」の方であり、逆に、「刺繍に花をつけたすこと」に専念して、自分自身のあり方を見つめ直すこと、社会のあり方を考えるようなことはもってのほかという「読書」は「虚学」と考えるべきではないか。 そもそも、「嫁入り道具としてのフランス文学科」に行きたがる女、及び、その裏返しのような男というのは、フランス人の文学・哲学でも、J=P=サルトルらの『反逆は正しい』なんて読まないわなあ・・・。 フランソワーズ=サガンでも読んだら御の字だろう。
   ミルトン=マイヤー『彼らは自由だと思っていた―元ナチ党員十人の思想と行動』(1983.6.15.未来社)の「第5章 入党者」に、≪概して、私たちには、ソクラテスを羨むより、たたえることのほうがやさしく、とくに曇り空の日曜日などには、十字架を背負うよりあがめる方がやさしいのである。 ・・・≫(ミルトン=マイヤー『彼らは自由だと思っていた』1983.6.15. 田中浩・金井和子訳 未来社)という文章がある。 自らの「十字架を背負う」ための学問か、「十字架あがめる」ことでお茶をにごす学問か。 自らの「十字架を背負う」学問は「実学」であり、「十字架をあがめる」ことでお茶をにごす学問は「虚学」ということになるのではないか。
   家永三郎『日本文化史 第二版』(1982.3.23. 岩波新書)には、女性の「和服」について、≪ 「和服」の不合理が、長い袂(たもと)、大きな帯をともなう女性の場合にもっとも極端な形をとるのは、前記の事情に加えて、前の時代にのべたような女性の社会的地位の低さとも関係があった。 生産的役割がなく、自主的活動の自由を失って、いわば男性の性欲の対象にすぎない地位に堕した、武士や上級町人層の女性たちは、能率を犠牲にしても、人形的な「女らしさ」を示すにふさわしい不自然な服装を甘受せざるをえなかった。 このような特殊な社会的条件のもとで成立した「和服」の特色を、日本古来の服装の伝統であるかのように思ったら、たいへんな考えちがいとされねばならないであろう。 ≫と述べられている。 さて、こういったことを考え、 「和服」、特に女性の「和服」は高く評価すべきものか、そうではなく、否定すべきものか、といったことを考えるのが知的な態度、知識人の態度か。 それとも、そういったことを考えず、「着付け」を「女性のたしなみ」として習得するのが「知的」なのか? 私が「慶應ボーイ」「慶應ギャル」が嫌いなのは、彼らは疑いの余地なくためらうことなく、後者が「知的」で「スマート」で「思考が柔軟」で「独立自尊」で「福沢精神」と決めつけるところだ。 そんな思考の堅い人間が「思考が柔軟」だろうか? それが「独立自尊」の考え方か? そんな思考態度が「福沢精神」か???
    おそらく、「慶應的でない」と評価されるだろうけれども、私は、自らこういったことを考える態度、「和服」を「日本古来の服装」と決めつけるのは間違いで、男性の性欲の対象にすぎない地位に堕した女性の服装であり否定すべきものではないのか? そういったことを、最終的にどういう判断をするかはさておき、自ら考える思考態度こそ「独立自尊」であり「福沢精神」であり「思考が柔軟な人間の態度」であると考える。
    そう思って考えた時、「着付け」とともに、「お茶」(「茶道」)と「お花」(「華道」)というものも、女性を縛りつける反動的・抑圧的な存在と評価すべきなのか?
    かつて、中国では、孔子批判がおこなわれた。 フランソワ=マルモール『毛沢東』(杉辺利英〔すぎのべ としひで〕訳 1976.12.5.白水社)には、≪ この孔子批判は、常に圧政者の権力に奉仕し、中国民衆の《思想的手錠》となってきたこの哲学に対する本格的な対決である。 中国共産党員の目から見れば、孔子はまさに、楊栄国の言う《反動階級の聖人》なのである。 民衆にとっては、正史が長年にわたって広めてきた、賢明にして有徳の聖人という虚像を粉砕しなければならなかった。 孔子批判の方法の一つに、高徳の聖人というにはほど遠い彼の実生活をその理論(ドクトリン)と対照させるというやり方がある。 孔子に対する非難のなかで、最もたびたび言及されるのは次の諸点である。 ―彼は奴隷制の擁護者であった。 ―彼は農業に従う労働者を《賤民》として軽蔑した。 ―彼は女性を奴隷のように考えた。 ―彼の哲学は、天の意志、寛恕、孝などの概念を軸として人民に対する圧迫を正当化した。 彼の思想はすべて、従順と服従を説くものであった。 中国史上このことを見落とした反動勢力は決してなかった。 彼らは常に政策の中に孔子崇拝を盛りこんできた。 袁世凱と蒋介石は孔子こそは「万世不易の徳と義の師」「人類の永遠の師表」と賛え、儒教の価値を誇った。 ・・・・≫と出ている。 福沢諭吉が「実学」と「虚学」と言ったのは、「民衆の思想的手錠」となるような「学問」を「虚学」と呼び、自ら考えて自ら「思想的手錠」を解き放つような学問を「実学」と呼んだのではないだろうか。 それで、「着付け」とともに、「茶道」「華道」も、孔子と同様の民衆の《思想的手錠》なのか?
   だが、ちょっと待て。 本当にそう解釈するのが適切なのか?

   「茶道」とは何か? 「茶室」とは何か?  中村 昌生(なかむら まさお)(京都工繊大名誉教授、裏千家学園講師)の『茶室を読む―茶匠の工夫と創造』(2002.10.26. 淡交社)を見ると、≪ 茶の湯の場合、あくまでその亭主は隠者(いんじゃ)であります。 町中の喧騒を避け、いろいろ世の中の煩わしいことを避けて山中に侘び住まいして清らかな生活をおくり、花鳥風月を友として世俗を超えた清らかな環境に身をおいている人、暮らしとしては不如意であっても、志の高い生活をするのが隠者の営みです。 隠者の身になって客をもてなすのが茶の湯の営みと言ってよいと思うのです。 ≫ と書かれている。 ≪ ですから室町時代に、茶の湯を行う人のことを「市中の隠(しちゅうのいん)」と言っています。 つまり隠者というと山中に隠れ住んで庵を結ぶ人を指すのですが、「市中の隠」は山中に逃避しないで、町の中で隠者の境遇になって客をもてなすのです。  不如意な生活ですから、いわゆる山海の珍味でごちそうをするというようなことはできません。 しかし心を込めて、一服のお茶とささやかながら食事を進めるもので、物質的には必ずしも豊かな内容ではないのですが、心を込めたもてなし方を創意工夫するのです。 これを茶の湯の遊びと定義しますと、茶室こうした隠者たちの住まい、庵でなければなりません。 ≫と。
   この中村昌生『茶室を読む』に書かれている文章によるならば、「茶の湯」「茶道」というのは、決して、「金持ちの道楽」でもなければ、「反動の小道具」でもなく「民衆の精神的手錠」でもなければ、「女性を従属させるためのもの」でもなく、もとより、「女性のたしなみ」などではなく男性がやって悪いことは何もないわけであり、いったい、いつから「嫁入り道具」になったのか? という感じがしてきます。 「いつから」と言うならば、豊臣秀吉の「金の茶室」などというものが「市中の隠」であるわけないのであり、けっこう古い時代から変質したものは存在したのではないかという気もしないではありません。

   しかし、まだ、問題はあるのです。
   遠藤周作は『眠れぬ夜に読む本』(1996.9.20. 光文社文庫)の「茶席によばれたことがありますか」で、次のように書いている。
≪ 皆さんのなかには茶道など老人か女のやるものだ、クソくらえと言われる方もおられるだろう。 しかしそんな皆さんが、お茶について少し「通ぶり」を発揮して、お茶をやっている女の子に次の質問をされたら、どうだろう。
「茶道はわびだの、さびだの言っているが、そのくせ眼がとび出るような値段の茶器を使ってみたり、高価な花瓶や釜に執着している茶人が多い。 これは矛盾していないだろうか」 
   この質問に―私は保証しておくが―茶を習っている女の子の九十パーセントは答えられないだろう。 彼女たちはそれについて考えたことはほとんどないからである。
   そしてまた、茶を趣味とする人たちに同じ質問をすると、おおかたは答えにもならぬ答えをするのが普通である。
   その答えとは、だいたい茶道とは総合芸術であって、一方ではわびやさびの境地を追及する求道的な面があるが、他方では茶器や花器を愛する数寄者(すきしゃ)の美的鑑賞の面もある。 だから茶はそのどちらも享受できるのだというような弁解だ。
   それではこの美的鑑賞と冷え枯れたるさびとは矛盾しませんかと追及されると、もうこの人たちは困ってしまう。 ・・・・・ ≫
≪  実はこうした理屈っぽい話をしたのは、ある日、ある外人に食事によばれて、同席の日本人女性が「茶道とはわび、さびという日本独特の世界を求める宗教的な道です」と大袈裟なことを言ったため、外人から次々と矛盾をつかれて困っていたのを見たからである。
   外人の質問はなかなか当をえていて、
「それならば、なぜ茶席に日本の女の人は大変ゴージャスなキモノで出席するのですか。 あれは質素第一のわび、さびとは違うものでしょう」
とか、
「宗教的なものなら、茶室から外に出ても日常生活にそれが出るものですよ。 しかし日本人の日常生活には茶の礼儀や美しさは一向に出ていませんね。 だからあれは宗教や道ではありませんよ」
と痛いところをつき、日本女性はほとほと困っていたからである。 ・・・≫
実際、そうだと思う。  「わび」「さび」とか「質素第一」とか言いながら、他方でゴージャスなキモノで出席する女性というのは、何なんだろう、て気がする。

  ≪茶だけではない。 花についても同じことが言える。
   最近、私はテレビや本で有名なある女流花道家と話をしたが、彼女のいう花の美学が一向にピンとこなかった。 「散るうつくしさを生かすのです」と説明されても、散る切迫感が我々の今の生活にないのだから実感がないのである。
「それぞれの花の命を生かしたいのです」
と彼女がいうので、私は思わず笑って、
「命を生かしたいのなら、なぜわざわざ切るのですか。 常識的にいうと花を切るということは殺すことにつながるじゃありませんか。 そこを教えてください」
とたずねた。 彼女は黙りこんでしまった。
   私の今の気持ちでは花道も茶道もなにかムリヤリに思想的なものを吹聴しようとする傾向があるように思われる。 ・・・・・ ≫
(遠藤周作『眠られぬ夜に読む本』1996.9.20. 光文社文庫 「茶席によばれたことがありますか」 ) 

   『畠山記念館ハンドブック』には、まず、表紙に、
≪ 「茶の湯の世界は堅苦しくて難しい」と思っていませんか。 茶の湯の本質は、「お茶をいただきながら心地よい時間を過ごす」こと。 決まり事や作法にとらわれすぎることなく、一服の抹茶を楽しむ・・・。 そんな、茶の湯の味を体感できる美術館が畠山記念館です。 ・・・・・ ≫とも≪「知識がないから楽しめない」と敬遠することはありません。≫とも書かれています。 畠山記念館としても、「堅苦しく難しい」ものとはしたくないようです。 そして、明月軒にて、抹茶と干菓子をいただきましたが、「けっこうなお点前ですこと、オホホ」とは、別に言わなくてもよかったようです。 (本当に良かった。ホッ。)

    美術館本館では、掛け軸の展示の場所は、手前が畳敷きになっていて、スリッパを脱いで上がるようになっています。 めんどうだな・・・というところもあるのですが、『畠山記念館ハンドブック』によると、≪記念館の畳敷きのコーナーでは、本来に近い鑑賞方法で掛軸を堪能できます。≫と書かれています。 たしかに、掛軸は、基本的には和室にかけるもので、畳の上に座った状態で見るものですから、多くの美術館・博物館では立って見学しますがそれは本来的ではなく、畳の上に座った状態で見るという方が本来の見方でしょう。但し、≪両手をついて拝見します≫といったことが書かれているのですが、それが本来の作法なのかもしれませんが、そうなってくると、やはり、「堅苦しくて難しい」という方向に行ってしまうところがあるようにも思います。
   私は住宅建築業の仕事に長くついてきましたが、引戸についている指をかけて引くための溝ですが、洋間の引戸と和室の引戸では和室の引戸の方が下の方についているというのを知っていますか。 それは、和室というのは、作法として、その部屋の手前で膝をついて、その状態で引戸を開けてにじり入るということから膝をついた状態で指をかけて引けるように、立った状態で指をかけて引く洋間の引戸よりも低い位置についているのです。 最初にこの話を知った時、なるほどなあ〜あ・・・と思ったのですが、(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所にいた時、契約客にこの話をした際、「うち、それする人、ひとりもいませんから」と言われたことがありました。 茶道家とかはそれをやるのかもしれませんが、農家はいちいちそんなことしてないわけです、普通は。「作法」をいちいち茶道家の「作法」に合わさなければならないというのも変な話で、農家の慣習に茶道家の「作法」が優先するのか、というと、建具の作り方において優先する場合はあっても、実際にどういう生活をするかはそこに住む人の自由ですから、無理に合わせる必要もないでしょう。

   橋下徹が「クラシック音楽が好きな人間というのは、インテリぶりたい人間だ」とか言ったそうですが、それは正しいか間違っているかというと、正しくないと思いますが、「クラシック音楽が好きだという人間の中に、インテリぶりたいから、『高級な人間』ぶりたいから、クラシック音楽が好きなふりをしている人間がいる」というのなら間違っていない、そういう人はいると思います。また、演奏者の側にもそんな人間はいると思います。 「茶道」も、本来の「茶道」からずれているような箇所もできているようにも思うのですが、「本来の茶道」とは何かというと、これもなかなか難しい。
   ≪ 猿楽能にもせよ、狩野派の絵にもせよ、江戸時代にはいり、前代の溌溂とした生命を失って因習的に固定化していったように、茶道も江戸時代には家元の独占下に形式化されて、今日では有閑階級のひまつぶしみたいに思われるものとなってしまったが、少なくとも桃山時代までの茶の湯はそんな性質のものではなかったようだ。 ただ、茶の湯の内容を伝える文献には、後世の家元ででっち上げられた怪しげな伝書が多いので、初期の茶の湯の内容をはっきりと復原することがむつかしいが、比較的固定している茶室建築や茶庭には、古いおもかげをよくとどめているものがある。 ≫(家永三郎『日本文化史 第二版』1982.3.23.岩波新書)

   『畠山記念館ハンドブック』は、「茶の湯」の道具などについて初心者にもわかりやすく書かれており、畠山記念館のハンドブックというよりも、「茶の湯」を理解するハンドブックとしてなかなかのものです。
   「茶事」と「茶会」はどう違うのかと思っていたら、「茶事」とは「いわば茶の湯のフルコース」で、「薄茶あるいは濃茶のみで催されるのが「茶会」だそうです。 「濃茶(こいちゃ)」には「主菓子(おもがし)」(生菓子のこと)、「薄茶(うすちゃ)」には「干菓子(ひがし)」、と出ています。そういうことがあるのですね。

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↑  明月軒・翠庵・沙羅庵の前の松。
   当然といえば当然なのですが、畠山記念館では、茶室と庭の樹木と鉄筋コンクリート造でできた美術館本館とが調和するように、全体が和風で作られています。
   今は昔、大阪万博があった1970年の少し前、小堀住研(株)で父が家を新築した後、父が「あんたは、庭をどうすればいいと思うか」と私に言ったことがあったのです。 要するに、父がこうしたいと思うことを推測して、父がしたいと思う内容を「・・・・とするといいと思う」と言えということですが、家を建てて住んでからそんなことを言っていたのです。 その当時、小堀住研(株)は「技術の小堀、設計の小堀、デザインの小堀」と「言った者勝ち」みたいに言っており、若い設計担当者のことを、営業担当は「新進気鋭の設計士」などと言っていたのですが、その「新進気鋭の設計士」も「技術の小堀、設計の小堀、デザインの小堀」も設計の段階で庭をどうするか考えずに設計していたようです。 今から考えてみると、「新進気鋭の設計士」だの「技術の小堀、設計の小堀、デザインの小堀」とか言いながら、なんだか、けっこういいかげんなことやってたなあという気がします・・・・。 住宅は建物を建ててから庭はどうしようかと考えるものではなく、建物の設計をする時、庭はどうするのかということも同時に考えて設計するものです。
   私自身が小堀住研(株)に入社して、最初の新卒社員研修の時、我が家の営業担当であった人が営業部長になっていて研修の講師として来たのですが、そこで言った一言が気になりました。 「折衝中のお客さんに、そのお客さんの土地に建つような、過去に建てた家の図面とか過去に作ったけれども契約にならなかった家の図面とかをあてはめて、『これ、◇◇さんのためにわざわざ作ってみたんですう』と言って持って行く、という方法もある」と・・・・。 あれ? あれ? あれ?・・・・ もしかして。 それ、我が家にやったのと違うのか? 我が家の土地に入らないことはないけれども、我が家の立地・道路づけなどから考えて、我が家の家族構成や暮らし方から考えて必ずしもふさわしくない図面を敷地図に落とし込んで、「これ、◇◇さんのためにわざわざ作ってみたんですう」と言って持ってきて、それを、父はありがたがって、我が家にふさわしくない図面なら、新たに作り直すべきであるのに、我が家にふさわしくない図面に修正を加えてそれで建ててしまったのと違うのか。そんな感じがする。 過去に建てた家の図面、過去に作成したが契約にならなかった家の図面を見込客の土地にはめこんだものを提示して契約してもらったとしても、それがその土地・その家庭にふさわしいと言えない場合は、合わない図面に無理に修正を加えて建ててしまうのではなく、新たに作り直すべきです。


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(↑ 南東側から見たもの。)
   《ウィキペディア―畠山記念館》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%A0%E5%B1%B1%E8%A8%98%E5%BF%B5%E9%A4%A8 には、≪ 記念館の敷地は江戸時代には薩摩藩主島津家の別邸だった場所で、1669年(寛文9年)、江戸幕府が島津家に下付したものである。この土地は、薩摩出身で後に参議・外務卿となった寺島宗則(1832 - 1893)の屋敷となった。畠山一清がこの土地を買い取ったのは1937年(昭和12年)のことであった。 ≫と出ている。
   また、 《ウィキペディア―畠山記念館》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%A0%E5%B1%B1%E8%A8%98%E5%BF%B5%E9%A4%A8 には、≪かつて隣接して料亭般若苑があった。般若苑は奈良・般若寺の客殿を移築したもので、三島由紀夫の『宴のあと』のモデルとなったことで知られる。≫と出ているのだが、それが今現在のどこかというと、《ウィキペディア―般若苑》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AC%E8%8B%A5%E8%8B%91 には、≪1939年(昭和14年)、荏原製作所創業者・畠山一清が居所をかまえるため、江戸時代末に薩摩藩主・島津重豪の隠居所跡だった白金台の地に、奈良・般若寺の堂宇を移築、加賀藩の家老職であった元横山男爵旧邸の能舞台も同時に移し、それらを元に全体を構成して邸宅を作った。数寄屋大工として名をはせた木村清兵衛に学んだ大工の坂爪清松がこれらの仕事を担当した。≫≪ 第二次世界大戦後、一時石橋湛山大蔵大臣の公邸として用いられた後、売りに出て料亭・般若苑となる。外務省によってリチャード・ニクソンやジョン・フォスター・ダレス、ジョゼフ・ドッジといった外国要人の接待に用いられ、三島由紀夫の小説『宴のあと』の舞台にもなった。 跡地には地上4階・地下2階、延面積約1万uの豪邸・テラス白金が建設された。 ≫と出ており、北隣の「テラス白金」という前の道を警備員が行ったり来たりしている白い外壁の洋風の建物の場所らしい。↓ 
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↑ この「テラス白金」ていったい何なのか? 高級マンションかと思うとそうでもないようだが、個人名の表札は出ていない。あくまで、「テラス白金」と出ているだけ。 前を警備員のおっさんが行ったり来たりしているが、自分の所の敷地内を行ったり来たりするなら好きにすればいいが、たいして広くもない道を通行するわけでもないのに行ったり来たりしているのは、実際問題として、本当の通行人からすると通行の邪魔・・ではあるのですが、警備員といっても、特に、マーシャルアーツだかブラジリアン柔術だかできそうな、ゴルゴ13と対決してくれと言うと喜んで対決しそうな猛者とかではなく、普通のおっさんであって、言っちゃ悪いが、たいした警備員ではないのですが、それにしても、警察署の前に立ってる警察漢だって「立ってるだけ」か、もしくは、スキップしたりケンケンしたり、棒で地面をつっついたり、「つまんないなあ〜あ」て感じで首ふったりしてるだけですし、船橋市の野田邸の前の警察漢だって、前にいるだけか、たまに近くの西友に買い物に行ったりて具合ですが、ここのALSOKの警備員は行ったり来たりを頻繁に繰り返しています。 誰が住んでるのでしょうね・・・・と思うと、同じようなことを思う人はいるようで、《黄色い蛇足@日立粕酒場裏 畠山記念館 隣接「テラス白金」の検索結果、地図表示が2015年2月11〜15日の間に変更されました。 》http://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/63528425.html などで書かれていますが、誰のどういう目的の建物か不明確らしい。 実は、今は昔、私は警備員の仕事をしたことがあるのですが、警備員というのは警察官と違って警察官と似た服を着ていたとしても民間人であり、敷地外については管轄外であり、普通はその施設の中にいるか、もしくは、施設と外との境界の部分にいるものですが、この「テラス白金」のAOSOKの警備員は常に外の道路上を行ったり来たりして、本来の通行人としては、用事がないならどいてよ、て感じで道路上にいつづけています。 インターネット上で見ると、これは何なのかといぶかるものがけっこう見つかりますが、何なのでしょうね。 ・・・もしかすると、某国の諜報機関のアジト??? それとも、原発・放射能汚染問題などで御用学者に都合のよい理論(非理論)を発表させるため、安全でもないのに「安全で〜す」とか「ニコニコしてる人には放射能は来ません」とか言わすためにどこやらから集められてきた女どもを御用学者に提供する場か?・・・しかし、それにしては、道路づけが良くない、どちらの道もたいして広くないし、それなら他に手ごろな場所がありそうな気もしないでもない・・・・。 鹿地亘事件で鹿地亘がキヤノン機関によって拉致され本郷ハウス(旧 岩崎邸)に監禁されたように、気に食わないヤツを拉致してきて監禁するための場所???・・・それなら、隣に美術館があって不特定の人間が始終来場する場所は向かないのではないかという気もしますが、これ、何でしょうね・・・。
※ 《ウィキペディア―鹿地事件》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E5%9C%B0%E4%BA%8B%E4%BB%B6

   畠山記念館は都営浅草線「高輪台」駅からは遠くなく、又、思っていたより迷わずに行けましたが、都営南北線・東京メトロ三田線「白金台」駅へは、行き慣れると難しくないのかもしれませんが、この道でいいのかとけっこう悩みます。 「目黒」駅まで歩くとけっこうあるので、一般には「高輪台」駅から行くものでしょうね・・。
   (2016.5.7.)

☆ 畠山記念館(港区)
1. http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_4.html
2. http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_5.html
3. 〔今回〕

☆ 東京圏の美術館・博物館シリーズ
東京都
根津美術館(港区)(隈 研吾) http://tetsukenrumba.at.webry.info/201603/article_1.html
新国立美術館(港区)(黒川紀章+日本設計共同体)
1.http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_1.html
2. http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_2.html
3.http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_3.html

千葉県
千葉市立美術館(千葉市中央区) http://tetsukenrumba.at.webry.info/201307/article_2.html


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