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zoom RSS クラシック音楽が好きな人間はインテリぶりたい俗物か?オペラなんて退屈なだけで筋は滅茶苦茶か?【上】

<<   作成日時 : 2016/03/12 22:20   >>

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[第238回]
   いつであったか、大阪府知事の時か大阪市長だった時か、橋下徹が「クラシック音楽が好きだという人間はインテリぶりたい人間だ」と発言したことがあった。 これは正しいか間違っているかというと、結論としては正しくない。 しかし、「クラシック音楽が好きだという人間には、クラシック音楽が本当に好きだからではなく、インテリぶりたいからクラシック音楽が好きであるふりをしている人間がいる」というのなら、間違っていないように思う。 私自身、「クラシック音楽が好きだという人間というのは、自分はエライ人間だということにしたいために、クラシック音楽が好きだということにしているだけで、その為に、実際には好きでもないものを好きであるふりを一生懸命している馬鹿げたヤツ」と思っていたし、クラシック音楽というのは、そういう偽善的な音楽ではないのかと疑問を持っていた。 私の父が少々そういうところがあったのだ。 なにしろ、父は「戦中世代」だから、それにさらにプラスして、行進曲が好きで、「どんがん どんがらがった ちゃちゃちゃちゃちゃ〜ん♪」(《YouTube―軍艦行進曲 (Japanese Navy march)》https://www.youtube.com/watch?v=eExnLs7aunQ )というのが好きだった。
   私が中学校に入った時、英語の勉強をさせるのだと言って、カセットテープレコーダーをわたし用に購入した上で、「音楽も1曲くらは、なんか入れて聴くようにしたらどうや。 行進曲とか。 とってちってたあ〜あ♪」と父が言ったので、「要らん」と言ったのだが、この人の音楽というのは、「とってちってたあ〜あ♪」のことなんだ、とその時思った。 中学校3年になる頃だったように思うのだが、ディートリッヒ=フィッシャウ=ディスカウによるシューベルトの歌曲集『白鳥の歌』〔⇒《YouTube―シューべルト 白鳥の歌より「愛の使い」 》https://www.youtube.com/watch?v=Wqfh73DRJy0 〕のレコードを私が買って来て聴こうとしたところ、「白鳥の歌なんて、そんな難しいもん、おまえにわかるんか」と言われたのを覚えている。 姉は何であったかクラシックの音楽のレコードを聴こうと思って買って来たところ、「おまえにそんなもん、わかるわけないだろうが! おまえはパチンコ屋の音楽で十分じゃ」と父から言われたそうで、それ以来、クラシック音楽は聴くのをやめたという。たしかに、父は「クラシックっちゅうもんはなあ、わしい〜のようなコーキューゥな人間が聴くもんやねん。コウキューゥ!」とか言っていた。 私も、父のそういうところを見て、クラシック音楽というのは偽善者の音楽だと思い、好きになれなかった時期があった。
   ある時、気づいた。日本では、なにゆえ、ベートーベンという作曲家が、西洋の作曲家の中でも別格扱いを受けているのだろうか、と。 そして、中学校の『音楽』の授業で「音楽鑑賞」というものにおいて、1年から3年までで何曲かがあげられていた中で、ベートーベンの交響曲第6番『田園』が出ていたのだが、なぜ、第3番『英雄』とか第5番『運命』とか、第9番『合唱付き』でないのだろうか、と。 小学校の『音楽』で第9はあげられていたような気もするので、第9は重複を避けるためだったのかもしれないが、なぜ、『田園』なのか。
   これは、戦中の軍国主義の影響が戦後においても残っていたのだと思う。 バッハとかヘンデルの音楽は宗教音楽が多く、キリスト教は万人平等を主張し、天皇を神として崇めさせようという天皇制軍国主義にとって不都合だったのだろう。 シューベルトは歌曲が多い、ベルディやプッチーニはオペラが多い。 歌曲やオペラでは、「愛」「恋」が語られれる場合が多い。 「愛」だの「恋」だのはけしからん、お国のために、とってちってたあ〜あ♪ という考えを国民に吹き込もうという立場からすれば、そういう作曲家の音楽は国民に知らせたくなかったのではないか。 その点、ベートーベンは交響曲が主であり、第9 以外は歌詞がないし、第9の歌詞はどんな歌詞かというと、「晴れたる青空ただよう雲よ、小鳥は歌えり林に森に・・・」という人畜無害というのか、なんやねん、それ! て感じの歌詞しかない。 これがベートーベンが別格扱いされた1番目の理由だろう。 そして、最近になって気づいたのだ。 交響曲でもモーツァルトの交響曲とかシューベルトの交響曲と違って、ベートーベンの交響曲には、行進曲調・軍歌調のものが多いということに。 そして、行進曲調・軍歌調の交響曲が多いベートーベンのものの中で唯一、行進曲調・軍歌調でないのが第6番『田園』で〔⇒《YouTube―ベートヴェン 交響曲第6番 ベーム / ウィーンフィル 1975ザルツブルク》https://www.youtube.com/watch?v=W4TBpy8oQnw 〕、それゆえ、戦後は戦中の軍国主義教育を教育の場に持ち込みたくないというリベラルな人が、中学校の『音楽』の「音楽鑑賞」のところに選ぶ曲として、ベートーベンの交響曲の中では第6番『田園』を選んだのではないだろうか。
   ベートーベンの交響曲第5番『運命』〔⇒《YouTube―ベートーベン『運命』交響曲第五番第一楽章》https://www.youtube.com/watch?v=PTr1v1ksWkQ 〕、交響曲第3番『英雄』〔⇒《YouTube―ベートーヴェン交響曲第3番「英雄」第1楽章 》https://www.youtube.com/watch?v=07xo9ksOR5A 〕 を聴いてみて、その後、たとえば、モーツァルトの交響曲第40番〔⇒《YouTube―モーツァルト 交響曲 第40番 ト短調 K.550 シューリヒト/パリ・オペラ座管 Mozart Symphony No.40 》https://www.youtube.com/watch?v=VRONVu1vl7U 〕、あるいは、シューベルトの交響曲第9番『グレート』〔⇒《YouTube―交響曲第9番《ザ・グレート》(シューベルト)》https://www.youtube.com/watch?v=YVsGBHi2o-I 〕でも聴いてみていただきたい。 ベートーベンの交響曲というのは、悪いとは言わないし、悪いとは思わないが、モーツァルトの交響曲やシューベルトの交響曲と比べて、行進曲調、軍歌調に感じませんか?
   ロマン=ロランは『ジャン=クリストフ』の中ででも、ベートーベンを高く評価していたし、ベートーベンという人自身は、軍歌を作曲したつもりはないと思います。 しかし、結果としてできた曲は、他の作曲家の曲と比較して、行進曲調・軍歌調のところがあったのではないかと私は感じるのです。 それゆえ、戦中においては、西洋のクラシック音楽の作曲家の中では、ベートーベンが別格扱いを受け、その流れが戦後においても日本において続いてきたのではないでしょうか。
   行進曲が好きだった父の好きな曲にベルディのオペラ『アイーダ』の中の「凱旋行進曲」〔⇒《YouTube―ヴェルディのオペラ・アイーダより「凱旋行進曲」 》https://www.youtube.com/watch?v=tnjs2ZFrKwA 〕がありました。 父が他界後、そのあたりをふりかえってみて、かわいそうなおっさんだったなと思いました。 父も晩年になって少しは気づいたようで、「お父さんは軍国主義の被害者です」などと私に書いて送って来たことがあったのですが、何を言ってんだ、あんた、被害者じゃないでしょ、あんた、加害者でしょ。私に「とってちってたあ〜あ♪」と言いまくってきたでしょうよ。「どんがんどんがらがった ちゃちゃちゃちゃちゃ〜ん♪」と私に毎日毎日言い続けてきたでしょうが。 何が「被害者です」じゃ。 加害者でしょうよ、と思ったものです。 あんた、「わしはドイツ人で英雄やねん」とか言って、そして、私に「おまえはロスケでイタコでチャンコロや。わしは人に統制を加えるための民族であんたは人に服従するための民族やねんぞ。民族の違いを忘れるな!」と毎日毎日言い続けてきたじゃないか。 今さら、「ドイツ人」の「英雄」の「ヒットラー総統」
〔⇒《YouTube―ベートーヴェン交響曲第3番「英雄」第1楽章 》https://www.youtube.com/watch?v=07xo9ksOR5A 、もしくは、
⇒《YouTube―ワーグナー「ワルキューレの騎行」カラヤン指揮/バイロイト祝祭管(1951) 》https://www.youtube.com/watch?v=K9YWvOidt24  〕が、
「ロシア人」〔⇒《YouTube―ЭЙ, УХНЕМ! 》(ヴォルガの舟唄)https://www.youtube.com/watch?v=AfqO1HmLTT8&list=PL63B3242CBA26DF68 、
《YouTube-Когда над Сибирью займётся заря Russian Folk Song》(流刑人の歌)http://www.youtube.com/watch?v=RQzrBou5lZE&list=PLCE12705E14D07CB8 、
《YouTube―SHALYAPIN(シャリアピン) Earliest Record of Doubinushka ДУБИНУШКА(ドゥビヌーシカ) 1908 》https://www.youtube.com/watch?v=plkjap_Vgrk&list=PL6BD5C1249C6F676B&index=4  、
《YouTube―仕事のうた》https://www.youtube.com/watch?v=6GRUhyhiKjY 〕
に同情しろとでも言うのか!?! と思ったものでした。
   父を見ていて気づいたことが1つあります。 それは、「とってちってたあ〜あ♪」とか「どんがんどんがらがった♪」とか言うのが好きな人というのは、あくまで、自分がひとに言うのが好きなのであって、自分がひとから言われるのが好きなのではない、ということ。自分がひとから言われるとかんかんに怒るということに。行進曲が好きな人というのは、自分がひとを行進させるのが好きなのであって自分がひとに行進させられるのが好きなのではない、ということに。  「このわしはドイツ人やぞお。おまえとは民族が違うんやぞお。民族の違いを忘れるな、チャンコロ!」と。 それで、そのいわゆる「ロスケでイタコでチャンコロ」といたしましては、「民族の違いを忘れるな!」と言われますと、そのリアクションといたしまして、「民族の恨みを忘れるな! (不忘民族恨)」ということになる。 「わしは人を支配しなければならない。人に統制を加えなければならないという身分で生まれてきてやなあ、あんたは人に支配されなければならない、人から統制を受けなければならないという身分として生まれてきたんや。これは生まれる時点で神さまがお決めになったことなんや。わかっとるか。わしとおまえとは別の身分として生まれてきとるんやぞ、ちゃんころ。わかっとんのんか、チャンコロ!」とか毎日のように言われてきたが、そういうことを言われると、やはり、リアクションとして「階級の苦しみを忘れるな(不忘階級苦)」ということになる。
不忘民族恨(民族の恨みを忘れるな)
不忘階級苦(階級の苦しみを忘れるな)
造反有理(反逆には理由がある)  革命無罪(革命は無罪だ)
・・・・ということに・・・。 ですから、どうしたって、ベートーベンの『英雄』とかワグナーの「ワルキューレの騎行」とかがバックミュージックのおっさんと、ロシア民謡の「ドビヌーシカ」とか「流刑人の歌」「ヴォルガの舟唄」がバックミュージックの男とは、精神的に相いれないわけです。 しかたがない、父の表現によると「民族が違う」のですから。


   雁屋哲 作・花咲アキラ 画『美味しんぼ』に、山岡士郎が栗田さんと結婚することになり、栗田さんの家族に挨拶に行ったのはいいが、栗田さんの兄と、趣味の問題で言い争いになるという「食は人をあらわす」という題の話があります。〔 雁屋哲 作・花咲アキラ 画『美味しんぼ(おいしんぼ)』「食は人をあらわす」 <『My First BIG 美味しんぼ [芳醇な味わい! 厳選の牛肉料理編]』2003.6.13.小学館 所収> 〕
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   「モダンジャズか、クラシック、それと邦楽」「琴、三味線、尺八、笛。 それにぐっとくだけて、民謡もいいなあ」と言う山岡に対し、栗田さんの兄は「民謡なんて下品な」と言い、「知らないで下品なんて言うの。 じゃ、何が好きなんです?」という山岡の問いに、「オペラだな。」と栗田兄が答えたのに対し、山岡が「へ。」「オペラって退屈でね。 筋は安っぽいし、アリアはいいけど 他のところは うっとうしいだけ。」「アリアを聞くために、40分も50分も無駄にさせられるからたまらない。 俺はモーツァルトがクラシックの中じゃ一番好きだけど、そのモーツァルトも オペラは下らない。 あの「魔笛」ときたら、お話しは滅茶苦茶・・・・」と言い、さらに、三島由紀夫は好きだが太宰治は好きじゃないという栗田兄に対して山岡が「三島も太宰も同じじゃないですか。二人ともナルシシズムの塊ですよ。内容は何もない。」と言い切ると、栗田兄は「このお」と怒り出し、そのうち、「おまえみたいな奴に妹はやれない! とっとと帰れ!」「いちいち俺の言うことに逆らいやがって!」と言い、山岡は山岡で「オペラ、三島、ヨーロッパ車とくりぁ、俗物三種の神器じゃねえか!」「そんな安っぽい男を義兄に持つなんてお断りだい!」となって、「出てけ――!」「誰がいてやるもんか!」と出て行くという、なんだか、毎度、海原雄山とやりあっている山岡士郎だけあって、栗田兄とももめまくりが面白い♪
   オペラについての、この山岡の言うことは一理はあると思うのです。 実際、モーツァルトのオペラ『魔笛』というのは、あれは、黒柳徹子の浅田飴のコマーシャルで有名な「夜の女王のアリア」なんて、高いところを完璧にだせてうまく歌える人の歌をきくとすばらしいのですが、実際のところ、あれは、フリーメーソンの暗号なのか何かわかりませんが、話の筋は滅茶苦茶で何が言いたいのかさっぱりわからん話です・・・・わなあ。 そう思いません? 
〔⇒《YouTube―モーツァルト 《魔笛》 「夜の女王のアリア」 ルチア・ポップ》https://www.youtube.com/watch?v=lItCcJzwx7E 〕

   この山岡の指摘は、「クラシックはインテリぶりたい人の音楽だ」という橋下の決めつけすぎの指摘とともに、一理はある指摘ではあるのです・・・が、オペラにも様々なものがあります。 ひとつひとつ違うわけで、『魔笛』は実際のところ、何だかさっぱりわからん、何を言いたいのかよくわからない話ですが、ある程度以上、まともな話もありますから、「オペラって退屈でね。 筋は安っぽいし、アリアはいいけど 他のところは うっとうしいだけ。」「アリアを聞くために、40分も50分も無駄にさせられるからたまらない。」という指摘は、そういう面がまったくないわけではないけれども、決めつけすぎのところもあります。

   しかし、オペラで描かれる話と、元の戯曲、元の小説とを比較した時、オペラが元の小説の価値を貶めているのではないかと思えるものもあるように私は思うのです。 遠藤周作は、小説『沈黙』が映画化された時、映画『沈黙』を見て、「これは、あくまでも映画監督の篠田くんの『沈黙』であって、ぼくの『沈黙』とは別のものですから」とはっきりと言っていたようです。 1981年でしたか、慶應の生協が、遠藤周作の小説『沈黙』を映画化した映画の上映と遠藤周作の講演会を慶應大学でおこなったものの、その講演で、遠藤周作は「自分の小説が映画にされるというのは、せっかく大事に育てた娘が結婚してよその家の家風に染められてしまうようなもので、父親としては実に不愉快だ。 だが、しかたがない・・・。 いわば、自分の小説が映画にされるというのはそんなものだ」と述べたのを、私はその講演会を聞きに行くことができなかったのですが、生協が印刷したもので読みました。 最後、はるばるヨーロッパから日本まで来た宣教師で、自分自身は拷問に耐えても、自分が転ばないために、すでにキリスト教を捨てると宣言して踏絵を踏んだ信徒が吊るされて苦しめられているのを知り、ついに、踏絵を踏んだ男が、岩下志麻という女優に抱かれてそれで慰められるという話に映画はなっているが、小説の作者・遠藤周作は、自分が神として信じてきたものを踏むというのは、女に抱かれてそれでなぐさめられるなどというそんな軽々しいものと違うと言うのです。 だから、映画監督の篠田くんはそういう話を映画として作ったのかもしれないけれども、遠藤周作はそんな話は書いていないから、映画の『沈黙』の作者は篠田くんであって、小説『沈黙』は遠藤周作の作品であっても映画『沈黙』は遠藤周作の作品ではないので、勘違いしないでほしい、とはっきりと述べていた。
   トルーマン=カポティーの小説『ティファニーで朝食を』と映画『ティファニーで朝食を』は、最後の結末の部分がまったく違う。 オードリー=ヘップバーンという「かわいい女」を演じるのを得意とする女優を主演にしたために、話の結末までかわってしまったような感じですが、たしか、トルーマン=カポティーは、カポティー自身がこの映画の中に端役で出演していたように、映画の筋を小説と異なったものにすることに異議は唱えなかったらしい。 小説『ティファニーで朝食を』と映画『ティファニーで朝食を』では、どちらが良いかというと、結論としては小説の方が良いと思いますが、『ティファニーで朝食を』については、小説『ティファニーで朝食を』と映画『ティファニーで朝食を』は別のものだとは思いますが、映画『ティファニーで朝食を』もまた、それはそれで悪くはない、「クニヨシ」という「日本人」が「卑しい東洋人」のステレオタイプで描かれているとしてアメリカ合衆国では批判されながら、当の日本人にはそれに気づいていない人間が多いという点で問題はあるとしても。 「ムーンリバー」など、ヘンリー=マンシーニの音楽もいい曲だなと思いますし・・・。〔もうひとつ、『ローマの休日』では、とてもチャーミングだったオードリー=ヘップバーンですが、『ティファニーで朝食を』で見られる肌のたるみなど見ると、もしかして、10歳前後、年齢をサバよんでるということはないか? と疑問を感じたりしましたが。〕
※《YouTube―ムーンリバー 「ティファニーで朝食を」 / オードリー・ヘップバーン 》https://www.youtube.com/watch?v=6hTLrz7uzVs
《YouTube―ムーン・リバー by オードリー・ヘップバーン》https://www.youtube.com/watch?v=vnoPke8tlAs
オペラでのアリアでは、その登場人物にしては「うますぎる」歌唱が珍しくないのに対し、映画『ティファニーで朝食を』では、もともと、歌については専門でもないオードリー=ヘップバーンが、俳優として一生懸命歌った歌として、その場に最適な歌唱になっている、という点もすばらしいと思います。
〔蛇足ながら、「ブルジョワ」か「プロレタリア」かというと、経済学上の正確な意味合いでではなく、気分的なものでですが、まあ、「プロレタリア」である私は、30過ぎる頃まで、「ティファニー」なるものを、モーニングサービスやってる喫茶店か何かの名前だとばっかり思ってました・・・・。なにしろ、「ロスケでイタコでチャンコロ」ですから、宝石店なんか縁がありませんので。 〕
   プッチーニのオペラ『トスカ』では、スカルピオというローマの総督が、ナポレオンと結んでナポリ王国の支配から抜け出そうとする活動家アンジェロッティの友人マリオ=カヴァラドッシの恋人で歌手であるトスカに横恋慕して、不正な手段でトスカを従わせようとするという話になってしまっていますが、歴史上においては、スカルピアという男は、イタリア半島の南半分を支配していて「旧体制」のハプスブルク朝オーストリアと結んでいたナポリ王国の女王からローマに派遣されてきていた男であり、ナポレオンと結んでナポリ王国及びハプスブルク朝オーストリアの支配をくつがえそうとする勢力であるアンジェロッティを見逃すわけにはいかない立場であり、歌手であるトスカに横恋慕とかいうことがあってもなくても、本来は主要な問題ではなかったはずで、歴史上の話からストーリーはそれてしまっているとも言えますが、〔また、(こういう表現は顰蹙を買うのかもしれませんが、それを承知で言わせていただきますと、)たとえ、職権乱用のセクシュアルハラスメントやっても手に入れたい〜いと男なら思うようなおねーちゃんがトスカやるのではなく、航空母艦みたいなおばちゃんがトスカを演じるものですから、余計に違和感を感じたりもしますが、〕それを承知で視聴すれば、おもしろいオペラではないかと思います。
※《YouTube―プッチーニ 《トスカ》 「歌に生き恋に生き」 マリア・カラス 》https://www.youtube.com/watch?v=EKXMjvmTCH4
  ついでに・・・と言いますか、私、昔、この「歌に生き恋に生き」というトスカのアリアを、このアリアの題名見て、なんだか、歌を歌って恋をして楽しんで生きてますよお〜お・・・みたいな「ブルジョワ」の歌かと思って、くだらんなあと感じたのですが、そうではないのですね。 マリオ=カバラドッシを助けたければ自分の言いなりになれと要求するスカルピアの要求に、「自分は今まで、歌を歌うことを仕事とし、マリオ=カバラドッシに恋をして生きてきました。 決して、弱い者、困っている人たちをいじめるようなことはしてこなかったつもりです。 それなのに、ああ、神さま、どうして私はこのような目に合わないといけないのでしょうか。ああ、神さま・・・」という歌だったはずです。 だから、「歌に生き恋に生き」という、このアリアの歌の題名のつけ方がよくないと私は思うのです。 そう思いませんか
※《YouTube―Placido Domingo(プラシド=ドミンゴ) - Tosca - E lucevan le stelle 》https://www.youtube.com/watch?v=hxdiJ74AL5Y
《YouTube―パヴァロッティ: 星は光りぬ (プッチーニ:歌劇《トスカ》より)》https://www.youtube.com/watch?v=agBdKZe3WQs
《YouTube―プッチーニ《トスカ》「星は光りぬ」ジュゼッペ・ディ・ステーファノ 》https://www.youtube.com/watch?v=uw61F0Qp-bE
《YouTube―プッチーニ《トスカ》「星は光りぬ」マリオ・デル・モナコ》https://www.youtube.com/watch?v=rfO3cToIRIw
   さて、それに対して、元の小説と比較して考えた時、オペラの話はあまりにも低俗ではないか? と思ったものが、ビゼーのオペラ『カルメン』です。  この話を次回、[第239回]《小説『カルメン』のすばらしさに劣るオペラ『カルメン』。エスカミリオ「闘牛士の歌」はアホのお手本か? ―クラシック音楽が好きな人間はインテリぶりたい俗物か?オペラなんて退屈なだけで筋は滅茶苦茶か?【下】》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201603/article_2.html  で述べたいと思います。 この稿は今回と次回とでセットのものです。 ぜひ、ご覧くださいますようお願いいたします。 

   音楽とは。 「クラシック音楽が好きだという人間はインテリぶりたい人間だ」とか、「オペラって退屈でね。 筋は安っぽいし、アリアはいいけど 他のところは うっとうしいだけ。」 「アリアを聞くために、40分も50分も無駄にさせられるからたまらない。」とか、そういったことを考えてはならない、というものではなく、そういうものということはないのだろうか? といったことを考え、もしかすると、そういう一面もあるかもしれないけれども、そうでない面もまたあるのではないか? とそういう思考をへて精神的に充実していくものではないか、と私は思います。
   クラシック音楽が好きだという人間は誰もが「インテリぶりたいだけの人間」かというと、そうではないと思う。 しかし、「クラシック音楽」であれば高尚だとか決めつけたがるものは高度の思考の人間ではなく、インテリでもない。 正しくとも間違っていようとも、それぞれの音楽を、それぞれの曲を、歌を、自分自身で自ら考えて評価しようという姿勢を持つものこそ、インテリと言うべきであり、ハイレベルの思考能力がある者と言うべきであろうと思う。
  (2016.3.12.)




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