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zoom RSS 「文学的素養がない人間」「人間性に問題がある人間」は入試に落ちるか?(上)文学的素養・人間性て何だ?

<<   作成日時 : 2015/11/22 21:24   >>

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[第227回]YMCA予備校の間違い≪5≫  私のドラゴン桜(5)
【6】-1  「京大の文学部は『文学的素養』がない人間はどんなに模擬試験の成績がよくても合格できないか?  「人間性の悪い者は模擬試験の成績が良くても入学試験には通らない」か? 
   「前にいた女生徒で、京大の文学部に行きたいといって何度も受けたのだけれども、YMCAの模擬試験の成績ではいつも良い成績をとっていたのだけれども、二浪しても本番の試験では合格できなくて、結局、二期校で新設の宮崎医大に行った。 YMCAの模擬試験で京大文学部に合格確実の判定が出れば間違いなく通るはずなんだけれども落ちたというのは、それは、文学的素養がないから落ちたんだ。 文学的素養がない人間は模擬試験でどんなに良い成績をとっても京大の文学部には通らないんだ」と、YMCA予備校高槻の「主事」という藤井が何人もを前にして話したことがあった。 何人もを前にして話したのは1回だけではなく複数回話したことがあったと思う。 それだけではなく、私に個人的にも、同じことを何度も何度も言うので、私は、それはおかしいと思い、彼に言ったのだ。
   「その人は、京大の文学部にはYMCAの模擬試験では合格確実という判定が出ていたのに、現役の時、一浪、二浪の時と、3回、落ちたというのなら、それなら、京大の文学部にはYMCAの模擬試験はそれほど相関関係はないということと違うのですか」と。そうすると、YMCAの「主事」という藤井は、
「そんなことはない。 YMCAの模擬試験は京大の文学部の試験と相関関係がある模擬試験で、YMCAの模擬試験で合格確実の判定が出れば必ず通る。 YMCAの模擬試験でだめだという判定が出れば絶対落ちる。 YMCAの模擬試験はそれだけ信頼できる模擬試験なんだ」と。 で、私は言ったのです。
   「しかし、落ちたのでしょ、その方は。 だから、YMCAの模擬試験の成績が悪い方がいいということはないとしても、YMCAの模擬試験が良ければ京大に絶対通るとまでの相関関係はないということと違うのですか」と私は言いました。 すると、YMCAの「主事」の藤井は、
   「そんなことはない。YMCAの模擬試験は絶対に信頼できる模擬試験なんだ。YMCAの模擬試験で合格確実の判定が出た人間は絶対に通るし、YMCAの模擬試験でだめだと判定が出た人間は必ず落ちるんだ。 それを合格確実の判定が出る成績をとっておきながら、三度も落ちたということは、文学的素養がなくて人間性に問題があったからだ」と言ったのです。 それで、私は、
   「国語の試験で、文学的素養がない人間は良い成績をとりにくいという試験問題はあるかもしれませんが、その方の場合、YMCAの模擬試験では良い成績をとることができていたのですよね。 京大の国語の試験問題は文学的素養がない人間は良い成績をとることができない試験で、YMCAの模擬試験は文学的素養がない人間でも良い成績をとることができる試験だったということなら、YMCAの模擬試験が京大の試験とそれほど相関性がないということと違うのですか。  YMCAの模擬試験と京大の試験に相関性があるのなら、文学的素養があってもなくても関係ないのと違いますか。 YMCAの模擬試験と京大の試験に相関性があって、京大の試験は文学的素養がない人間は解けないのなら、YMCAの模擬試験も解けなかったのと違うのですか。それを、YMCAの模擬試験では相当良い成績をとることができていたということですから、その方が京大の文学部に合格できなかったというのは、文学的素養がどうこうの問題と違うのではありませんか」と言いました。 そうでしょ。 ところが、それでも、YMCA予備校の「主事」の藤井は、
   「そんなことはない。 YMCA予備校の試験はYMCA予備校の試験で良い成績をとれば京大の文学部の試験に必ず通る試験で、YMCA予備校の試験でだめだった人間は京大の文学部の試験にも通らないという試験なんだ。 それを、YMCA予備校の試験では相当に良い成績をとっていたにもかかわらず、京大の文学部の試験には何度受けても落ちたというのは、文学的素養がなくて、人間性が悪いから落ちたんだ」と言うのです。私は、
   「京大の試験は、人間性を判断する試験ではなく、数学・英語・国語・理科・社会の5科目の試験ですよね。大学によって、面接とか論文・小論文とかが試験科目にあって人間性を見るという大学もあるでしょうけれども、京大の試験にはそういうものはありませんよね。」と言いましたところ、YMCA・藤井は、
   「面接や論文・小論文がなくても、京大の文学部の試験は人間性の悪い者は落ちるんだ。 人間性が悪い人間は模擬試験でどんなに良い成績を取っても落ちるんだ」と言うのです。 それで、私は、
   「それなら、人間性が良い人間は、模擬試験でどんなにだめな成績でも京大の試験には合格するのですか?  人間性は関係ないのと違いますか」と言いました。 すると、YMCA予備校高槻の「主事」の藤井は、
   「そんなことない。 文学的素養がなくて人間性が悪い者は、模擬試験でどんなに良い成績をとったって落ちるんだ。 YMCA予備校の模擬試験はどんな大学にも相関性があってYMCA予備校の模擬試験で良い成績をとれば大学の入試にも絶対に通る試験だ。 それで良い成績をとっていたのに実際の京大の試験で落ちたということは、文学的素養がなくて人間性が悪いということなんだ。 きみも、そういう逆らう人間は会社員としてはやっていけないから、経済学部には絶対に行ってはだめだ。 きみも、人間性に問題がある。きみも人間性に問題があって文学的素養がないから、入学試験には落ちるはずだ」とか罵ったのです。
   ↑の会話を見ていただきたいと思うのですが、私、何か逆らいましたかね?  私は、それは違うと思ったから思ったことを口にしただけであって、藤井が予備校の「主事」という職種の職員なので、こちらが違うと思うことを言えば、きっちりと説明してくれるものと思って、説明してもらえるものと思って期待して話したのに、彼はきっちりと筋の通る説明をしてくれなかった、筋の通る説明をすることができなかったのです。 自分が筋の通る説明をすることができなかったら、相手に向かって「きみのように逆らう人間は会社員は絶対に無理だから経済学部には行ってはだめだ」だの、「きみも文学的素養がなくて人間性に問題があるから入学試験に落ちる」だのと悪態つくというのはどういうことでしょうか。 むしろ、自分が筋の通らないことを言いまくって、それを指摘されると、指摘した人間に「文学的素養がないから文学部の試験には落ちる」だの「人間性に問題があるから試験に落ちる」だの「逆らう人間は会社員は無理だから経済学部には行ってはならない」だのと悪態つく人間の方こそ、「人間性に問題がある」のと違いますか。

   私は、この男はおかしいと思い、親にも説明したのですが、父は「専門家の言うこと。専門家、せんもんか、センモンカ、せんもんかあ〜あ!」とか言っていました。 母は「あの人はクリスチャンだから、決して悪い人じゃない。 クリスチャンでもYMCAの主事をやっているくらいだから、クリスチャンの中でも並みのクリスチャンではなくて相当にえらいクリスチャンのはずだ」とかアホなことを言っていました。 「並みのクリスチャンでなくて相当にえらいクリスチャン」とかいうのが、「聖書なんて、あんなもん、いいことなんて、何ひとつ書いてないんだから、あんなもの、読むものと違うんだ。あんなもの、読んではいかん。 ましてやそこに書いてあることを実行しようなんて、まかり間違っても絶対に考えてはいかん。たとえ、読むにしても、歳いってから読んで、『はあん、そんなもんか』と思えばいいことで、若いうちに聖書を読むなどということは絶対にしてはいかん。 聖書なんて読まなくたって、日曜ごとに教会に行って礼拝にでて献金はらっておけば、それでいいことなんだ」とか、そういうことを言うのですかね・・・????? そういうことを言う人が「クリスチャンはクリスチャンでも並みのクリスチャンではなく、相当にえらいクリスチャン」なのでしょうか。 日本のキリスト教会は献金さえ払えば、そういう人に「洗礼」という儀式をおこなって「相当にえらいクリスチャン」と認定するということでしょうか。 もし、そうなら、「クリスチャン」てくだらんね・・・・。
    それから、何十年か経ちました。 昨日のことのようですが、もう、35年以上経っています。 90歳を過ぎた母に、その時のことを話すと、かつては、「あの人はクリスチャンだから悪い人であるわけがない」とか言っていた母が、今はその「クリスチャンだから」という呪縛がとけたのか、過去とは違ったことを言います。 まがりなりにも、一生懸命勉強して、模擬試験である程度以上の成績をとることができたけれども、本番の試験では京大の文学部の試験に落ちてしまった、という女生徒に向かって、「文学的素養がないから落ちたんだ」だの、「人間性が悪いから本番の試験には落ちるんだ」だのとYMCA予備校の「主事」の藤井が言った、それも、自分の家で自分の家族に気に入らない生徒の悪口を言うくらいならともかく、予備校の教室で何十人を前にして何度も言い、かつ、1対1でも何度も何度も、「人間性の悪いやつは大学の入試には落ちるんだ。 その女生徒は人間性が悪いから落ちたんだ。」だの「文学的素養がない人間だったから落ちたんだ」だのと、繰り返し繰り返し言いまくる、ということを、YMCA予備校の藤井がしたということについて、「どうして、そんなことを言わないといけないの。 かわいそうに」と言います。 そうだと思います。 私はその女性と会ったことはないし、実際に文学的素養がある人かない人かなど知らないし、人間性がいいのか悪いのかも知りませんが、ともかく、合格しようと努力してしている人間に向かって、ずっと歳上の大の男がそういう悪態をつく、それも、その人がすでにそこにいないのに、何度も何度も繰り返して言いまくるというのは、なぜ、そんなことをしなければならないのかと思います。
   また、「前にYMCA予備校にいた生徒」で「女生徒」で「京大の文学部に行きたいといって受けて二浪しても落ちた」人で「最終的に二期校の宮崎医大に行った」とそれだけの条件を言うと、その人と同じ高校や中学校の後輩とか、その人の近所の人間とかが来ていた場合、人間が特定される可能性も十分あります。 予備校は同じ高校の卒業生がその翌年も入ってきます。 YMCA予備校の「主事」で自称「敬虔なクリスチャン」の藤井という男は、去年の生徒の悪口を今年言い、今年の生徒の悪口を来年言い、来年の生徒の悪口を再来年に言い、といったことをやらないと気がすまない性分のようでしたが、そういうことをするとどうなると思いますか?

   彼は、そういうことをすると、聞いている人間は、「そういうなってないヤツがいたのか」、「俺は文学的素養があるから大丈夫だ」とか「俺は人間性がいいから大丈夫だ」と聞いた人間は思うと考えたのでしょう。実際、そう思う人間だって何人かはいたかもしれません。 父の勤め先の会社の社長が、中間管理職が部下のことを「あのアホは、どうしようもありませんわ」とぼやいた時に、「アホはアホなりに使えばいいがな」と言ったというのです。「アホを使うのがきみの仕事だろう」と。 それを聞いて、父は「さすがに社長。 いいことを言いはる。 『アホはアホなりに使えばいいがな』と。 そうや。 世の中は、わしみたいにえらいえらい人間ばっかりと違うんや。アホもおるんや。 アホはアホなりに使えばええんや。ええこと言いはる」と思ったようで、私や母などに家で言っていました。 それを聞いて、私がどう思ったかといいますと・・・・・、アホがめでたいのお♪ と思ったのです。 「アホはアホなりに使ったらいいがな」というのは間違いではないと思います。 会社というところは優秀な人間ばかりいるのではありませんし、父が勤めていた会社などは「超一流企業」ではありませんから、「優秀でない人」もいたでしょう。 しかし、問題は・・・・。 「アホはアホなりに使えばいいがな」と社長が言った時、私なら、「え?」と思いますね。 さて、俺はこのおっさんにとって、「アホ」の方なのか、「アホ」でない方なのか・・・? どっちなんだろ? と私なら思います。 思いませんか? 少なくとも、「そうや。会社っちゅうところは、このわしみたいなえらいえらいえらいえらい人間ばっかしとは違うんや。ええ〜えこと言いはる。さすがは社長」なんて、そんなこと、思うか? で、私なら、「アホはアホなりに使えばいいがな」と言われると、「え?」・・・・俺って、このおっさんにとって、「アホ」の方か「アホ」でない方かどっちなんだろ・・・・・? と考えますが、「そうか。ええこと言いはる。 わしみたいなえらいえらいえらいえらい人間ばっかしと違うんや。 『アホはアホなりに』じゃ。 ええこと言いはる」と思うおっさんもいたように、「文学的素養がないヤツは、模擬試験でどんなに良い成績をとっても京大の文学部なんかは合格することはできないんだ」とか「人間性の悪いヤツは模擬試験で良い成績をとっても本番の大学の入試では通らないんだ」とか言われると、「なるほど。俺は文学的素養があるし、人間性も優れているから絶対大丈夫だ」とか思う人間も何人かいたかもしれません。 でも、そう思わない人間も何人かいたのではないかと思うのです。 私のように、言っていることがおかしいと認識する者もいたでしょうし、そして・・・・、「来年、俺もこんな感じで言われるのか」と思った人間も何人かはいたはずです。

   慶應で2年の時に、ゼミの説明会に出た時、ある会計学系のゼミの3年生が、「うちのゼミに入るのに、会計のゼミだから会計学総論とかの成績が良くないとだめかとか、会計学について相当勉強してわかってないとだめかとか心配する人がありますが、そんな心配はいりません。 会計学については、↓
画像

↑ の図を見て、左が何で右が何か、というくらいをわかっておればそれでいいです。 人間性が悪い人はだめです。 人間性が悪くなければ、↑の図で、左が何で右が何という程度をわかっておれば大丈夫ですから」と発言したことがありました。 ↑は簿記の簡略した書き方で、左は「借方」、右は「貸方」で、商学部・経済学部の学生なら誰でも知っていることで、会計学の知識はそれほど優秀でなくても受けて大丈夫と言いたかったようですが、「人間性がだめな人は入れませんよ」と言う部分については、はて? 俺って、このにいちゃんにとって、人間性がいいことになるのか、悪いことになるのか、どっちだろうか・・・・・と考えたのです。 考えませんか? 「人間性が悪くなければ大丈夫」などと言われると、そっちの方が難しかったりするのです。 自分が人間性は悪くないと思っていても、他の人もそう評価するとは限らないじゃないですか。 そうでしょ。 そうすると、合否を判断する立場の人間に、ヘコヘコアザラク、ヘコヘコザメラク・・・とする人間が「人間性がいい」のか? とか考えだすと良くわからなくなってくるし、「人間性」で合否を決めようというようなそんなゼミなんてやめた方がいいか・・・とか思ったりもしたのです。
   慶應の一般教養の「政治学」という講義で、教授が「うちのゼミの生徒なんかを見ていても、就職は成績じゃないですよ。 人間性ですよ。 就職は人間性のいい人は成績があまりよくなくても採用されていますし、人間性がどうかという人は成績が良くても不採用になることが多いようです」と話されたことがありました。 就職においては、それはあるかもしれません。 面接・論文などがない学科試験だけの大学入試では「人間性」なんか関係ありませんが、就職は面接で人を判断するわけですから、旧帝大系国立大学や慶應・早稲田くらいの卒業生なら、その大学のその学部の学生の中での成績がいい悪いよりも「人間性」で判断して採否を決めるということはあるかもしれません。その先生が言われたことは間違いではないのでしょう。私が採用担当者でも、ある程度以上の大学の出身者なら、「学力」はあると判断して採否は「学力」よりも人間性を重視して決める可能性は低くないと思います。 しかし、できるだけ良い成績をとっておくとか、英検1級を取得しておく(その頃は、TOEIC・TOEIFL もあることはありましたが、まだ、英検1級の方がメジャーでした)とかだと基準がはっきりしていますが、「人間性」と言われると、自分は悪くないと思っていても、人もそう評価してくれるかどうか、わからないじゃないですか。 あえて、言うならば、「俺は人間性がいいから採用してもらえて当然だ」とか思ってる人って、めでたい人間性だなあ・・という気が私はしますが、「人間性をアップさせる努力」なんて、どうやってするのですか?
   「体育会系」の人間は「上司に従順」で「上役に逆らわない」から「人間性」を評価されるとかいう説もありましたが、絶対にそうとも言えないような気がします。 慶應の卒業生という縁でお会いした方で、体育会出身の方もありましたが、そういう方とお話ししても、自分の考えを述べないで人の言うことをきいてばかりなどということはありません。 そもそも、日本の会社というのは、自分自身の考えを述べようという姿勢のない人間、自分の考えが何もないような人間というのが、そんなにありがたいでしょうか。
   会社訪問で行ったある会社でお会いした方が慶應出身ということで、その会社と直接関係のないことも話してもらったということがありましたが、その際に言われたのが、「自分がこれは違うと思ったことは言うべきだと思って発言してきた。 『おまえ、たいして高い給料もらってるわけでもないのに、そんな、嫌がられることを言って損することないじゃないか』と言う人もあったけれども、私はそうは考えなかった。 『たいして給料もらってないのだから』だから、黙ってればいいではなく、『たいして給料もらってない』のだから、会社のためを思って、これは違うぞと思ったことは言わせてもらおうではないか、と考えた」というのです。 「その結果、左遷もされましたよ。 でも、たとえ、左遷されたって、こちらは会社のためを思って言っているのだから、言わせてもらって何が悪い、と思って言いました」というのです。 それで、左遷のような扱いを受けることも一時的にあったらしいのですが、結果としては、相当に上の役職までつかれていたようです。私が訪問したのはある外資系の銀行で、その方は「顧問」として来られていて、その方が入社して、一時的に左遷されることもあったが、結果としては相当に上の役職までつかれた会社というのは、三井銀行でした。 但し、私自身が会社づとめをした経験からいえば、三井銀行では、その勤め方で、一時的に左遷のような扱いを受けることがあっても、結果として相当に上の役職まで昇進されることになったようですが、私が勤めてきたような三流企業の中卒の経営者からは嫌われるばっかり・・・になることもあるようでしたが。
   慶應で「民法1」という講義の担当の助教授が話されたことですが、ある雑誌に掲載されていたことだが、三井物産では東大出身者と慶應出身者を毎年、同数だけ採用してきたらしいが、課長・部長くらいまでは昇進状況は東大出身者と慶應出身者は同じようなものらしいのですが、それから上になると慶應出身者は少なくなるといい、その雑誌の筆者は、そのあたりから、慶應という学校は、上役にとって使いやすい使われやすい人間ばっかりで、自分自身が指導者になって会社を運営することができない人間をわざわざ育成している学校だ、と批判していたそうで、「それを読んで、悔しい気持ちもしましたが、実際にそういう面もあるかもしれないとも思いました」と言われたことがありました。 慶應出身の人間もひとりひとり違いますし、他の大学の出身者にも問題がないわけではないのですが、それはそれとして、「使いやすい、使われやすい人間」だけれども「自分自身が指導者になって運営することができない人間」というのが、会社にとっていいのかどうか、という問題もあるでしょう。
   上役の言うことを何でも、ヘコヘコアザラクヘコヘコザメラクときく人間の方がにらまれにくいかもしれませんが、そういう人間が「会社員に向いている」かどうかというと、常にそうとも決まっていないようにも思えます。YMCA予備校の「主事」だという藤井は「ぼくは、きみらと違って社会人の経験があるのだから」とか言うのでしたが、「社会人経験」は「社会人経験」でもいったいどんな「社会人の経験」があるのか、という問題もあります。 ろくな経験してないという可能性もあります。 自分自身に考えがないから何でもヘコヘコアザラクヘコヘコザメラクときく人間というのを評価するような経営者の会社に勤めてきたのでしょうか。 藤井は「ぼくは、会社員として勤めてだめだった経験があるから、だから、浪人の人間の気持ちがわかるんだ」とか言っていたようですが、もしかして、そんなだからだめだったのと違うのか! という感じがしないでもありません。
   マルクス経済学の学者は反骨精神が旺盛で「自分の意見を述べて、上役に従わない」人間で、近代経済学の学者は「上役の言うことを何でもきいて自分の意見を言わない人間」かというと、そういうことでもないのではないでしょうか。 ソビエト連邦が崩壊した時、社会主義は間違っていて資本主義の方が優れている・・かのような論調のものがでまわりましたが、その時、近代経済学者に分類されるガルブレイズは『資本主義が勝利したのではない』という論文を発表しました。 さすがはガルブレイズだと思いました。 結局、YMCA予備校の「主事」だという藤井は「ぼくは社会人経験があるから」とか言いながら、何もわかっていなかったのではないのでしょうか。

   それで、YMCA予備校の「主事」の藤井は、
1.YMCA予備校の模擬試験は京大の文学部の試験に相関関係が強く、YMCAの試験で良い成績を取った者は京大の試験に必ず合格し、YMCA予備校の試験の成績が悪ければ必ず落ちる。
2.京大の文学部の試験は、文学的素養がない人間は模擬試験の成績が良くても合格できない。
3.人間性が悪い者は、入学試験には落ちる。
ということを言いたいようでしたが、それが正しいか間違っているかというと、
[結論] 間違い。 

   ブログの字数制限にひっかかるようですので、比較的切りの良いこの箇所で区切りとし、その結論内容は次回 で述べることとします。
  (2015.11.22.)

☆ YMCA予備校の間違い
1.「特高右翼」YMCA高槻による思想調査 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201511/article_7.html
2.パチンコを勧める予備校。 聖書を奪い取る「敬虔なクリスチャン」 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201511/article_8.html
3.「通った人8人、落ちた人2人の成績」を取らないと受けてはならないか? http://tetsukenrumba.at.webry.info/201511/article_9.html
4.1つの模擬試験はどこにも通じるか、「弱者の戦術」たる「戦力の集中」か? http://tetsukenrumba.at.webry.info/201511/article_10.html
5.「文学的素養がない人間」・「人間性に問題がある人間」は落ちるか(上) 〔今回〕
6.「文学的素養がない人間」・「人間性に問題がある人間」は落ちるか(下) http://tetsukenrumba.at.webry.info/201511/article_12.html
7.「地方の受験生は根性がある」か? 受験生に嘘情報を吹き込む予備校 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201511/article_13.html
8.英文はいちいち日本語に訳して書くべきか? http://tetsukenrumba.at.webry.info/201512/article_1.html

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≪ ・・数学はやはり、ブルジョア的思考の影響のもっとも少ない科学である。 ところが肺結核の研究では、人民の栄養とみじめな住宅事情が人間の肺におよぼす具体的影響の徹底的調査は、ただの一度も実行されていない。 まったく混乱した思いこみの戦場となっている精神医学については、精神衛生の根本原則をつくりあげるという課題を負った精神病学が、まさにこの課題を不可能にするための特別につくり出された道具であるかのように機能しているとしかいえない現状である。 ≫
(ウィルヘルム=ライヒ『階級意識とは何か』久野収訳 1974.11.30.三一新書 ↑)

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