哲建ルンバ

アクセスカウンタ

zoom RSS 1つの模擬試験はどこにも通じるか、「弱者の戦術」たる「戦力の集中」か?―YMCA予備校の間違い≪4≫

<<   作成日時 : 2015/11/22 21:14   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

[第226回]私のドラゴン桜(4)
【5】  「YMCA予備校の模擬試験で良い成績をとれば、どこの大学でも行けるし、YMCA予備校の模擬試験の成績が悪ければ、どこの大学でもだめだ」などということがあるか? ⇔ 1973年、パリーグ、「後期は、阪急には3勝すれば、他は全敗してもいい!」という考え方が大学受験でも正しいか?
   YMCA予備校高槻校の「主事」藤井は、「YMCA予備校の試験で良い成績をとったものはどの大学でも通るし、YMCA予備校の試験で良い成績をとれなかったらどこの大学でも通らない。」と言うので、私は「そうではないでしょう」と言いましたところ、藤井は「いや。YMCA予備校の試験で良い成績をとる者はどこの大学の試験でも良い成績をとるし、YMCA予備校の試験で良い成績をとれなかったらどこの大学の試験でも良い成績はとれない。きみみたいに、そうやって逆らう人間は会社員は無理だから、経済学部には行ったらいかん」と言ったのです。
    後半については、我が家の父親は大学というものは経済学部(及び、商学部・経営学部)に行くものだと確信を持っている人間で、私は小学生の時に夏目漱石の『坊ちゃん』『三四郎』、井上靖『しろばんば』『夏草冬濤』などを読みましたが、『三四郎』の登場人物・三四郎は文学部生であり、『坊ちゃん』の坊ちゃんは文学部を卒業して学校の教師として勤務した人で、『しろばんば』『夏草冬濤』は井上靖の自伝的小説ですが、井上靖は京大の文学部に行った人で、中学生の時に亀井勝一郎の『青春論』を読みましたが、亀井勝一郎は東大の文学部に行った人で、又、小学生の時に「ぼくわたしの世界偉人伝シリーズ」とかいうのを読まされましたが、そこに登場した「偉人」というのは、キュリー夫人・パスツールといった自然科学者だったり、エジソンという発明家だったり、ベートーベンという音楽家だったり、トルストイという文学者だったり、リビングストンという医者だったりしたのです。 小学生の頃からそういう人が「偉人」ですよおと言われて育ったわけで、そういう人になろうと思って小学校の1年から他の生徒が遊んでいる時も勉強してきたのです。 北野高校の1年の時、「地学」を担当の某教諭が「北野高校というのは、エリートコースだ。 そんなもの、小学生の時から違いますよ。 うちの近所のやつを見ていても、北野に行くやつは小学校の時から勉強してますで。 豊中行くやつなんて、自転車乗って遊んどる。 その時点から違いますよ」と言われたことがあったが、実際、そうだった。 小学校の1年の時から、パスツールかエジソンかトルストイかベートーベンのようになるために、他の同級生が「遊んどる」時も雨ニモ負ケス風ニモ負ケス勉強してきたのだ。 だから、大学は理学部か文学部に行くものと思っていたし、大学とは理学部か文学部のもの、というような感覚があった。経済学部は薄汚れたブタの行くところと思っていた。
≪ ・・灰いろのフラノ服を着た、褐色の髪の大男にぶつかって、商店のショーウィンドーの方に押しやられた。 ジョゼフ・メルシェは眼を上げて、『タンスみたいな奴だ!』と思った。 こいつはタンスであり、壁である。無感無情な乱暴者で、クラスの真中で彼を嘲った、初等数学の、大男シャメルリエそっくりだ。 こういう手合は、なにも、自分のことも疑わず、決して病気にならず、顔面神経痛もなく、女と生活を腕一杯に抱え、他人をショーウィンドーに押しのけて、目的に向かって、まっしぐらに進む奴らだ。・・・≫(ジャン=ポール=サルトル『自由への道 第二部 猶予』佐藤朔・白井浩司訳。 1983改訂重版 人文書院) 経済学部なんぞに行きたがるブタは、いわば、『自由への道』でジョゼフ・メルシェが語っている↑のような人間、下劣で精神性がなく、両腕いっぱいに女と生活をだかまえて生きるような人間、女と寝る事よりほかに人生の楽しみなど何も持たない人間と思っていた。実際、経済学部・商学部・経営学部に行こうとする人間にはそういうタイプの人間が少なからずいた。 私に「ぼくわたしの偉人伝シリーズ」とかいうやつを読ませたのは父だったはずだ。 ところが、そのおっさんが、私が高校の3年の時になると、「てってこっこてっててって、らったらったらったらあ〜あ♪ 会社のために、犠牲にな〜る! とってちってたあ〜あ!」とか言い出したのだ。 その文句は昔から言っていたが、そういう学部、そういう職業につかされるのが嫌だから、小学校の時も中学校の時も高校の時も勉強してきたのだ。 ところが、父親が言うには、「大学の学費はわしがカネ出すんじゃ、わしがあ。 何でもカネ出す者に決める権利があるんじゃ。わしの権利じゃ、わしの権利じゃ」とか、「あんたは、どこにでも行けるだけの成績をとりなさい。 そうしたら、わしが、ここにせええ! と決めたる」とか言い出したのだ。 「てってこっこてっててって、らったらったらったらあ〜あ! とってちってたあ〜あ! ロスケどもをやっつけてや〜る! 撃ちてしやまん、一億火のたまあ!」とか言って。 それで、YMCA予備校の「主事」の藤井が「きみのような、逆らう人間は会社員はだめだから経済学部には行ってはいかん。 きみは人間性に問題があるから、経済学部はだめだ」と言った時、普通の人間なら、「何をぬかすか」と腹が立つところかもしれないが、私は「もっと言え、もっと言え」と思ったのだ。 なにしろ、私が「藤井なんて、あんなヤツ、専門家じゃないよ。 あんなヤツ、何もわかってないよ」と言っても、父は「専門家の言うこと。せんもんか、専門家、センモンカ、せ〜んも〜んかあ〜あ!」と言って私の言うことは聞かなかったのだから、だから、その「せ〜んも〜んかあ〜あ!」とかいうヤツが「経済学部(及び、商学部・経営学部)には行ってはいかん」と言ってくれるのだから、よおし、もっと言え、もっと言え、と思い、「せえ〜んもお〜んかあ〜あ!」が言うのだから、父もその「意見」をきいてくれるだろうと思ったら、その点については「専門家の言うこと」を無視して、「そんなことない。 会社員としてやっていける」と言って譲らなかったのだ。 なんなのだろう、この中途半端な「専門家」信仰のおっさんは・・・・と思ったが、うちの父親はそういうおっさんだった。

   それで、「てってこっこてっててえい♪、てってこっこてっててえ〜い♪、 てってこっこてっててってらったらったらったらあ〜あ♪」の学部・経済学部でも、「京大はアカだからいかん」そうで、父が好きなのは神戸大の経済学部と慶應の経済学部でしたが、私が日本で最も嫌いな大学学部は神戸の経済と慶應の経済でした。 たとえ、首をもがれてもそこだけは行かされてなるものか! と思ったのですが、父の方は、私が嫌だと言うと、嫌だと言うところには余計に行かせたがる傾向がありました。 父は、もともと、なにかと「無理矢理やるのが好きなタイプ」の男で、私が中学生の時に、姉がお見合いした相手と結婚すると一度は言ったものの、やっぱり嫌だと言い出した時、父は「無理矢理やるといいと思うねん。無理矢理、むりやり、ムリヤリ、無理矢理」と私に言うので、「だめだ。本人が嫌だと言うものを、無理矢理、結婚させるなどということをしてはだめだ」と言うと、「そうか? 無理矢理やるといいと思うんだけど、そう思わないか?」というので、「思わない。絶対だめだ」と言ったのですが、父は「無理矢理やるといい」と思っていたようです。 そういうおっさんでした。 だから、私が大学に進学するのも・・・・・、
  「そこだけはイヤ!」
  「お願い、そこだけはやめて!」
とか言うと、よけいに「無理矢理」やりたがるようでした・・・・・。(変な趣味だな・・・・)

   それはさておき、ひとつの模擬試験で良い点数をとればどこの大学学部の入試でも良い成績をとれるか、ひとつの模擬試験の成績が良くなければどこの大学学部の入試でも良い成績はとれない、というものか? という問題についてですが、 結論を先に言うと、それは間違いです。 大学学部によって出題傾向は違いますし、科目も配点も違いますから。
   まず、模擬試験というものですが、「資格試験の模擬試験」の場合、その資格試験の過去の問題を分析して、それに沿った傾向の問題が出題されます。 それに対し、「大学受験の模擬試験」には2通りあって、河合塾の東大オープン・京大オープン、駿台の東大模試・京大模試、代ゼミの東大模試など、特定の大学の入学試験問題に即した模擬試験と、「全国総合模試」などの名称で実施される特定の大学の問題に即さない「実力試験」的な「模擬試験」があります。 「実力試験型模擬試験」でも、主としてどういう大学学部を対象としているか、前提としているかはそれぞれ違いますから、国立大学全般に相関関係が強い模擬試験とか私立大学に相関関係が比較的強い模擬試験、私立でも比較的難関校に相関性が強い、比較的優しい私学に相関性が強い模擬試験とかあります。 北野高校の高校が実施する模擬試験は京大・阪大・神戸大には相関性が強い模擬試験でしたが、東大と早稲田大には相関性はあまり強くない模擬試験でした。 私が高校を卒業した頃、大阪の難波だかにあった大阪予備校が阪急「十三(じゅうそう)」駅の北野高校とは逆側、東側に大阪北予備校を作り、一時はけっこう勢いが良かったのですが、1970年代後半、大阪予備校・大阪北予備校が実施していた「三大学模試」というのは、京大・阪大・神戸大を対象とした模擬試験でした。
    大学入試から少し離れて、資格試験のことを述べます。 私は2014年に、全国建築CAD連盟が実施する建築CAD検定という能力認定の資格試験の3級と2級を受験し、合格することができました。
〔その経緯は、
1.CADとは。CADに関しどういう資格があるか。私がCADの資格を取得しようと思った経緯。http://tetsukenrumba.at.webry.info/201511/article_1.html
2.建築CAD検定とCAD利用技術者試験。CADにはどういうソフトがあるか。通信教育での挫折。http://tetsukenrumba.at.webry.info/201511/article_2.html
3.授業形式での学習での問題。「いきなり独学」でなく「一通り、授業形式で学んだ後での独習」。通信課程の大学に建築学科がある。http://tetsukenrumba.at.webry.info/201511/article_3.html
4.アビバとWinスクール。「学校なんか行かなくても勉強できる」か?http://tetsukenrumba.at.webry.info/201511/article_4.html
5.建築CAD検定の3級・2級・准1級のいずれを受けるか。2つ or 3つ受けるプラス、マイナス。「うちは一部上場ですから」と「いっきゅうけんちくしい」と言えばひとは「言うことをきく」と思っている「権威主義」のバカ会社http://tetsukenrumba.at.webry.info/201511/article_5.html
6.3級受験に際し私が考えたこと。2014年の2級の試験。「学校はどこでも一緒」ではない。 東大の入試は「スーパー京大」ではない。わかってないヤツが運営する予備校は害がある。 建築CAD検定とCAD利用技術者試験の両方を取得すること、AutoCADで2級、Jwで准1級(もしくは逆)を取得することに意義はあるか。http://tetsukenrumba.at.webry.info/201511/article_6.html 
に述べましたので、建築CAD検定に関心のある方はご覧ください。〕
CADの資格試験はいくつかありますが、私は全国建築CAD連盟が実施する建築CAD検定http://www.aacl.gr.jp/ とコンピュータソフトウェア協会が実施するCAD利用技術者試験http://www.acsp.jp/cad/  のどちらかに合格してどちらかの資格を取得したいと考えました。 CADを学び、その上で建築の分野で生かすか機械の分野で生かすかという人もいるでしょうけれども、私の場合は建築の業界で勤めてきてCADを習得した方がよさそうだと考えた人間ですから「建築CAD検定」の方がよいかとも思ったのですが、CADは独学では厳しいと思い、ポリテクセンター千葉の建築CAD科に6カ月通わせてもらって学んだものの、資格試験に合格するにはまだ厳しいと思っていた時、CADの資格を取得する前提でのスクールがあり、たまたま、勤めていた会社を辞めた後、次に勤めるまでの間、1ヶ月間、就職が遅れても、1ヶ月のことでどうなるものでもないので、その期間に集中して学習してCADの資格がとれるものなら取得すれば就職するにも、勤めてからもプラスになると思い、CADの資格試験の指導をするスクールを調べたところ、場所が遠いと通いきれないので我が家から比較的近いところで探したところ、建築CAD検定の受験指導をしていたWinスクールとCAD利用技術者試験の指導をしていたアビバが見つかったのですが、Winスクールは常にそこにCADの指導をしてくれる講師の方がおられるのに対し、アビバはCADについては講師は本部にいて質問はEメールでおこない、各スクールには講師はいないということだったので、まだまだ、独り立ちできていないと思われる者にとっては、そこに講師がいるかいないかは大きいと判断してWinスクールの方を選び受講し、建築CAD検定の3級と2級に合格することができたというものです。 さて、建築CAD検定とCAD利用技術者試験はどちらもCADの試験で、どちらがより評価が高いというものでもないようです。 建築CAD検定は図面を作成する試験であるのに対し、CAD利用技術者試験は1級は図面を作成する試験がありますが、基礎と2級は学科試験であって図面を作成する試験はないようで、それは、いわば、声楽家に学科試験だけして歌を歌わせることもしない試験、運動選手に学科だけ試験をやってその運動競技をさせもしない試験のような印象を受けますが、学科が無意味ということもないでしょうし、1級の試験では図面の作成もあるようです。 建築CAD検定とCAD利用技術者試験はどちらもCADの試験ですが、どちらがより難しいより易しいというものでもなく、出題される傾向が違います。 私は絶対にどちらを取りたいということはなかったので、そのスクールに講師の方が常にいるWinスクールの方を選らび、Winスクールが指導している建築CAD検定を受けて合格することができましたが、建築CAD検定に合格できた者はCAD利用技術者試験にも合格するかというと、そうではありません。 また、逆もありません。
   他の例を言いますと、司法試験は今は法科大学院大学に行って試験を受けるという方が主になりましたが、かつて、旧型の司法試験は4年生大学の2年を修了すれば1次は免除されて2次を受けることができ、私が高校を卒業した1970年代後半から80年代にかけては、試験科目は短答式が憲法・民法・刑法の3科目、論述式が憲法・民法・刑法・商法の4科目が必須で、訴訟法として民事訴訟法と刑事訴訟法から1科目選択、法律選択科目として行政法・労働法・刑事政策とあとなんたらかんたらと民事訴訟法・刑事訴訟法の訴訟法科目として選択しなかった方から1科目を選択、一般教養科目として経済学・経済政策・心理学とあとなんたらかんたらの中から1科目を選択(私は、司法試験を受験して裁判官か弁護士になろうかと考えた時もあったのですが、その際、法律科目は労働法、教養科目は心理学か経済学を考えていたので、それ以外は「いろいろあった」くらいしか印象がありません)で、その後、制度が変わって、一般教養科目と法律選択科目はなくなり、訴訟法は民事訴訟法と刑事訴訟法の両方が必須で6科目の試験となりました。司法書士の試験は試験科目としては旧型司法試験とかなり共通していて、民法・刑法・商法・民事訴訟法があったはずで、公認会計士の2次試験は会計科目4科目(簿記論・財務諸表論・原価計算論・監査論)と経営学・経済学と商法が試験科目だったはずです。(1970年代後半から80年代にかけてのことです。 最近は変わっているかもしれません。) 商法は(旧型)司法試験と司法書士試験、公認会計士試験の3つにあり、民法・刑法・商法は司法試験と司法書士試験にあったわけですが、司法試験と司法書士試験なら一般には司法試験の方が難しいと見られており、弁護士と司法書士なら弁護士の方が“でかいツラしてる”ようなところがあり、公認会計士は会計の専門家ですから、法律科目については法律の専門家の試験である(旧型)司法試験よりやさしくてよさそうな感じがします・・・・・が、(旧型)司法試験の民法・刑法・商法に合格する人なら司法書士試験の民法・刑法・商法に必ず合格するか? 公認会計士試験の商法に必ず合格するか? というと、そうとも限らないはずです。 柴田孝之が旧型司法試験について述べたなんとかいう本で述べていたのですが、(旧型)司法試験と司法書士試験なら、司法書士試験の方が細かいことが出るというのです。 だから、一般には(旧型)司法試験と司法書士試験なら司法試験の方が難しいように見られていたものの、同じ科目名だから司法試験に通る人間なら司法書士試験にも通るかというと、そうでもありません。
   さらに。 1級建築士と2級建築士はどちらが難しいと思いますか?  建築業界は困った人間がしばしばいる業界で、「いっきゅうけんちくしい〜い」と言えば「人は言うことをきく」と確信もってるアホがけっこう多い業界なのですが、在来木造の一条工務店の東京営業所にいた時、同じ営業所にいたMさんは1級建築士と2級建築士の試験を同じ年に受けて、1級建築士の試験には合格し、2級建築士の試験には落ちたそうです。 「2級は難しいよお。1級なんて簡単だよ、かんた〜ん♪」とMさんは口にしていたので、建築士の試験のことをよく知らない人は、建築士の「級」は柔道とか剣道の「段」みたいなもので、数字が大きい方が上なのか? と思いそうですが、法律制度としては2級建築士が法律上、やってよろしいということになっているものは、1級建築士はすべてやることができ、2級建築士はやってはだめとなっているもので1級建築士はやってよろしいとなっているものはいくつもあるという制度であり、基本的には1級建築士の方が評価は高い資格です・・・・が、試験に関しては難しいか易しいかと別に、出題される内容が違うので、建築士に関しては1級に通って2級に落ちるという人が時々あるようです。
   柴田孝之は、(旧型)司法試験について述べた本に付録のDVDで、(旧型)司法試験に自分が向いているかどうか考えがまとまらない人は練習で宅建主任の試験を受けてみるとよい、宅建主任は本当に簡単な試験だから練習にちょうどいい、とか述べていましたが、それはあまり正しくないと思います。 東大とか京大とかに合格できた人なら、そういった試験に対する適性はもう悪くないと判断してよいと思います。 宅建主任(宅地建物取引主任者)(今年から宅地建物取引士)の試験なんて、余計です。 不動産屋をやりたいのでなければ受けなくてよろしい。 そして、簡単簡単というほど簡単ではありません。 宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)の試験は7つの分野から出題されますが、多く出題されるのは「権利の変動」「法令上の制限」「宅地建物取引業法」の3分野で、「権利の変動」は法律としては主として民法、「法令上の制限」は法律としては都市計画法・建築基準法などです。 さて、宅地建物取引主任者(→宅地建物取引士)の「権利の変動」の分野は法律としては主として民法が対象ですが、それなら、(旧型)司法試験の民法に合格できる人なら、柴田孝之が「もんのすごい簡単」と言いまくる宅地建物取引主任者(宅地建物取引士)の試験の「権利の変動」の分野は間違いなく満点とれるか・・??? というと、とれないと思いますよ。 民法は民法でも、出題される内容が違いますから。 「かんたん、かんたん、もんのすごくかんたん」などとなめたこと言ってると、落ちると思いますよ。
   建築CAD検定も、今、3級・2級・准1級と3つの「級」があり、数字が小さい方が難易度が高いとされていますが、建築士のような国家資格ではなく、民間の機関が実施するもので、能力認定資格でしかないので、これに合格すれば何ができると法律上、決まったようなものは何もありませんが、建築CAD検定は准1級が一番難しく、2級がそれに次ぎ、3級はこの3つの中では一番易しい、ということになってはいるものの、同じ傾向で難易度だけ違う問題が出題されるとか、同じ問題で合格最低点が違うとかではなく、准1級は鉄筋コンクリート造か鉄骨造の高層マンション・高層雑居ビルで2級は在来木造かツーバイフォー構法の2階建て戸建住宅、3級は「窓と壁」「階段」など各部分について出題され、出題される問題の内容が違うので、2級に合格して3級に落ちるとかいったことは十分あることで、私も、試験直前には、2級の方が自信があって3級に不安があったくらいでした。(実際に受けたところ、3級は自分に合った問題だったようで、試験後は3級の方が自信がありましたが。)
   建築CAD検定とCAD利用技術者試験、(旧型)司法試験(2次)と司法書士試験と公認会計士2次試験、1級建築士と2級建築士、(旧型)司法試験と宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)試験、建築CAD検定の2級と3級、といった例で説明しましたが、大学受験においても、同様のことはあるはずです。

   ウチワのみどりさん、国会議員の松嶋みどり さんだって、東大に通りながら早稲田に落ちたそうですし、ね♪・・・・・。 まさか、二十歳前の青い時期に書いた本を50代の半ばを過ぎてまで引っ張り出して来て公開されるとは思わなかったでしょうけれども、「フライデー」の記事によると、松嶋みどり さんも、同じ年に東大に通って早稲田大に落ちたそうです。 けっこう、早稲田は落ちるんです。旧帝大系国立大学を第一志望として目指している人間が。 だって、普通に考えてくださいよ。 旧帝大系国立大学は「文系」で、英語、国語(現代国語・古文・漢文)、社会(日本史・世界史など2科目)、数学1・2B、理科(物理1・化学1・生物1などから2科目)とそれだけいっぱい勉強しなければならない、「理系」だと、理科が物理1・2、化学1・2で、社会が共通一次試験前の京大は日本史か世界史か政治経済の中から1科目、東大は2次にはなくて1次に2科目(地理Aと地理Bが共通一次試験ではこの2つの選択はだめだったが東大の1次試験ではこの2つで「2科目」と計算されたので、同じ中学校の人間で灘から東大に行ったやつに聞いた話では、彼は地理A・地理Bの選択をしたらしい)と、それだけ、勉強しなければならなかったのに対し、早稲田大は法学部・政治経済学部・商学部・第一文学部(と、その後、なくなったらしい夜間の第二文学部、社会学部)では英語と国語ともう1科目として日本史・世界史と数学1から1科目を選択で、理工学部は数学1・2B・3と英語と理科が物理1・2、化学1・2と数学と英語と理科でよくて国語と社会は何にもなし!  法学部・政治経済学部・商学部・文学部に合格しようとすると、数学・理科なしで受けられるんですよ。早稲田は。 あれだけ、苦労して頭をかかえてやっとできるようになった数列の勉強て、あれはいったい何だったんだろうな・・・とか思いませんか?  早稲田に通って国立大学に落ちた・・とかいう場合、無神経に「早稲田に通ったんなら、そりぁ、行くべきだわ。 そんなもの、東大でないととか、京大でないとなんて、言わなくたって、早稲田ならいいじゃない。 東大でないといかん〜なんて、東大病みたいなこと言わんでも、俺なら早稲田なら喜んでいくわ」とか言うおっさんがいたりするのですが、あれだけ苦労して頭をかかえて勉強した数列は、なんだったんだろ・・・・・とか思いませんか? だいたい、「俺なら早稲田なら喜んで行くわ」て、法政あたり通ったら御の字だったおっさんが勝手なこと言うな! あれだけ苦労して努力してやっとできるようになったのに、数学なしで受けられる大学に行けだなんて・・・、わびしいのお〜お・・・・て、天地は広いというが私にとっては狭くなってしまったのか・・・とか思いませんか? で、試験科目だけ考えても、早稲田は試験科目が少なかったのですから、同じ生身の人間が試験を受ける以上は、早稲田大学を第一に考えて受ける人間と旧帝大系国立大学の方を第一に考えている人間では負担が違うのですから、旧帝大系国立大学を目指す人間が早稲田は落ちても不思議はないのです。また、慶應の問題は比較的素直な問題だったのに対し、早稲田の試験問題は少々くせがある(あった)ので、国立大学の方に合格したいという受験生は早稲田の問題に対する対策を早稲田が第一志望の学生ほどはできないので、落ちやすく、それはそう不思議なことではありません。でも、落ちるとむかつくのです。 「早稲田ごときに落ちるなんて」とか思って。 松嶋みどり さんなんて、今はどうか知らんが、若いころは正直だったようで、『東大入試合格作戦』にそのまんまの気持ちを書いておられたようです。 で・・・、慶應は1970年代から80年代の途中まで、経済・商・法・文学部でも入試に数学が必須であったので、私立大学に数学なしで合格しようという人は受けないか受けても落ちるので、国立大学と併願の人間は早稲田よりも慶應の方が通りやすい傾向がありましたが、それでも、旧帝大系国立大学に通って慶應に落ちたとか、さらに、同志社に落ちたとかいう話はあります。(私の場合、結果として2浪もしてしまったため、現役で通った人間になら話さない「落ちた話」を正直の教えてくれる方がありまして)知っています。慶應に通って関学に落ちたという人もいましたね。 「どちらが上かあ、下かあ」という考え方はあまり絶対的なものとして考えない方がいいと思いますが、そうであるとしても、一般にどちらが評価が高いかという点で見て、評価が上の方がの大学に通って、一般的にはそれより評価が下の方の大学に落ちた・・・・という話はけっこうあります。 珍しくもなんともありません。 そういうことを、予備校の職員は、経験がなくてよく知らない生徒に教えてあげるのが良心的だと思うのですが、YMCAは逆の態度をとっていたのです。 けしからんです。

   私は高校3年の12月に代々木ゼミナールが実施した東大模試を受けたのですが、その年は共通一次試験はまだ実施されておらず、東大は1次と2次の試験をおこなっており、数学・英語・国語・理科・社会の5科目の1次と文科1類・2類・3類では理科以外の4科目の2次の試験の模擬試験でしたが、結果は、1次については1番上の判定、「合格80%以上」だかで、それだけ見れば、すごい! 「天下の東大」「天下の文一」で「合格80%以上」て、俺って優秀? て感じがしないでもありませんが、2次の方はかなりひどいものでした。 一番大きな問題は、京大阪大型の社会科の問題では高校の定期テストでも模擬試験でも北野高校の生徒の中でも旧帝大系国立大学の受験生の中でも良い方の成績をとることができたのですが、「・・・・について、800字以内で述べよ」といった東大の社会科の問題は、どうも、書けなくて苦労しました。 その代ゼミの東大模試の1次と2次は受験生は同じ人間です。 実際の共通一次試験前の東大の試験は一次に落ちると二次を受けることはできませんでしたが、模擬試験は1次と2次は2日で続けておこないましたから、一次試験と二次試験は同じ人間が受けています。 ところが、その代ゼミの東大模試では、一次では「相当優秀」であったのに、二次ではだめだったのです。 二次に理科がないからだけではありません。 他の4科目だけで見てもです。
   この経験から、私は、「同じ科目でも、試験問題の傾向によって良い点数がとれたりとれなかったりする」ことを強く認識し、高校の模擬試験の1回目・2回目で「京大の合格圏まであと少し」という点数をとれていたことと合わせ、浪人したからには、「東大に行きたいなら、あくまで東大の試験問題に対する対策を中心にやる」と考えて、それ以外はどうでもいい・・とまでいかないとしても、「どちらかといえば、いいにこしたことはない、という程度」と考えることにしたのです。 ところが、YMCA予備校の「主事」だという男が、「そんなことはない。 どんな試験問題でもできる人間はできるし、できない人間はできない」とトンチンカンなことを言い出して、私が「そんなことはないはずです」と言うと、「きみみたいに、逆らう人間は会社員は無理だから経済学部には行ってはいかん」とか言い出したのです。 アホか!?! というより、アホです。YMCA予備校は。

   「ひとつの試験で良い成績をとることができれば、他の試験でも良い成績をとることができる」かというと、そんなことはありません。 但し、この試験に通るとこちらの試験にも通る可能性が高い、この学校の試験に通るならこちらの学校の試験にも通るであろう、というケースはないわけではありません。 私が高校を受けた頃、大阪府の府立高校の入試は学校ごとにおこなわれましたが、入学試験の問題は府立高校であればどこでも同じ問題でしたから、各学区の1番手校に合格できるようなら、2番手校・3番手校でもおそらく合格できたでしょう。しかし、私の場合、大学受験において、その経験が少しはマイナスにはたらいたところもあるかもしれません。 問題が違えば、1番評価が高い所に通って、それより評価が低い所に落ちることだってあります。
   インターネットで見ていたところ、右翼・橋下徹のファンみたいな人がいて、「橋下って、早稲田大学の試験で早稲田の文系のすべての学部に通ったらしい。すげえ!」とか書いている人がいたのを見ました。《ウィキペディア―橋下徹》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E4%B8%8B%E5%BE%B9 によると、橋下徹は早稲田大学の政治経済学部の経済学科を卒業したらしいが、政治家としての彼をどう評価するかという場合、他に彼がどこを受けていようがいまいが、どこを通っておろうが落ちておろうが、いっこうに関係はありません。 五流大学卒でも政治家として優秀で国民のために働いてくれるならそれでいいし、「一流大学」でても国民のためにならない人なら好ましくありません。 大学進学については、ウィキペディアなど見ると、彼は北野高校を卒業した後、一浪の上、早稲田の政治経済学部経済学科に入学したようですから、京大など国立大学志向の北野高校を卒業しておきながら、あまり金持ちでもなかったらしいのに、カネのかかる早稲田大学に一浪の上で行ったということは、京大か阪大かどこか知らんが、国立大学を浪人しても落ちてしまった、ということでしょう。 通った方がいいか落ちた方がいいか、現役で通った方がいいか浪人した方がいいかというと、「浪人した方が人間性が磨かれるから浪人した方がいい」とかなんとかかんとか無責任なことを言う人が時々ありますが、そんなもの、現役でさっさと通った方がいいに決まっていますが、それはあくまで本人にとってであって、彼が政治家としてどうかとは関係ありません。 落ちた経験が今現在生きているのならそれならそれでよろしい。 ここで、とりあげるのは、彼が政治家としてどうかではなく、インターネットで、橋下ファンみたいな人が書いていた、「早稲田に全勝ちだったんだって」という部分です。 実際に行かなかった所については、通ったとも落ちたとも、いちいち、人に報告する必要はありません。 きかれても答える筋合いもないし、きかれる筋合いもありません。 それに、松嶋のおばさんみたいに、東大に通ったなら、早稲田に落ちたっていいじゃん、別に・・・・と思って、東大に通るんだから早稲田なんて落ちたっていいわいとか思ってたら、両方落ちたりして・・・・・、わびしいのお〜お・・・とか、それも、そう珍しい話でもないし。 橋下が実際に早稲田の試験に「全勝ち」だったか、1勝3敗だったかなんて、彼を評価する上においてはどうでもよろしい。  1973年、前後期制が実施されたパリーグで前期優勝した南海ホークスは、後期においては、後期優勝の阪急ブレーブスに1勝もできなかった・・けれども、プレーオフでは3勝2敗で勝って年度優勝した。 ≪ もともと私はこう考えていた。「後期は阪急には三勝だけでいい」 つまり、プレーオフに勝てばあとは全部負けてもいいと考えていたのである。≫(野村克也『プロ野球重大事件』2012.2.10.角川書店 角川oneテーマ21) 実際に、南海は後期は阪急に1分け12敗で1つも勝てなかったにもかかわらず、プレーオフでは3勝2敗で勝ち越して年度優勝した。 ここに行きたいと思う所に合格できれば、他は全敗したっていいんだ。 行きもしない所に「全勝ち」したって、「それがなんぼのもんや」ということだ。 
   それはそれといたしまして。 私が高校を卒業した1970年代後半においても、橋下が高校を卒業した年、その翌年など1980年代後半においても、早稲田大学の入試は、法学部・政治経済学部・商学部・第一文学部の4つは試験科目も出題傾向もほとんど変わりはなく、かつ、難易度もそれほど大きくは違わなかったのですから、「全勝ち」か「全負け」の可能性は十分にあったのです。 だから、政治経済学部経済学科に合格したという橋下が「全勝ち」だったとしても、それは十分にありうることで、特別のことでもないと思います。 で、国会議員なり地方議員・知事・市長なりの選挙に出る人はあまり嘘は言わない方がいいとは思いますが、そうでない一般人の場合、就職の際に学歴詐称をしてはいけませんが、誰にでも彼にでも学歴を言う必要はないし、実際に行った所以外にどこを受けたかとか通ったか落ちたかなんて、それから何十年も経ってまで、きかれる筋合いもないし、逐一答える筋合いもない。 「通ったんですか」と言われれば、「はい、はい〜」と言っておけばいいことだし、落ちたなら落ちたで、そこでひとつの経験をしたのなら、それでもいい・・が、早稲田大の法学部・政治経済学部・商学部・文学部の場合、試験科目と配点と出題傾向が似ていて、難易度がそれほど大きく変わるわけではないので、2つ以上の学部を受けた人が「全勝ち」「全負け」する可能性は十分にあり、それこそ、東大に行こうというような人が2つ以上受けて「全負け」なんてしたあかつきには、気分悪いことこのうえない・・だろうけれども、それも、十分にありうることだと思います。
   慶應は1970年代後半から80年代の前半まで、学部によって試験科目が違いました。 経済学部は数学と英語の2科目のみ。 法学部は数学・英語・国語と社会科1科目、商学部は数学・英語と社会科1科目、文学部は数学と英語の2科目のみ。 だから、慶應の場合は、医学部と理工学部を別にして、法・経済・商・文の4学部では経済学部が「聞こえがいい」と考える人がいる大学だったのですが(商学部は戦後、何もないところに新たに作った学部ではなく、「理財科」を国立大学の学部名に合わせて「経済学部」に変更し、戦後、学部の定員を増やそうという話が出た時に、それなら学部を2つに分けようということになって、一方に今までと同じ「経済学部」と名前をつけて、他方に「商学部」と名前をつけたというもので、経済学部だけが「元の理財科」ではなく、経済学部と商学部の両方が「元の理財科」だ、と言っても、「名前がほしい」人にとっては、商学部ではなく経済学部に行きたいらしいのですが)、試験科目が違うので、慶應の場合、複数の学部を受けても、早稲田よりは、「全勝ち」「全負け」にはならない可能性が高かったはずです。(慶應は、「入試に数学がある」ことから、私立だけ受ける人には受けにくく、模擬試験で「偏差値」を見ると早稲田などに比べて低い数字が出ることから「受験生になめられる」ことがあったようで、これではいかん、と1980年代なかばに私立型の試験科目に変えたようですが、最近、インターネットで見ると、また、それとは変わっているようですね。)
   で。 1970年代後半から80年代なかばまでの慶應大のように、学部によって試験科目が違う場合、複数学部を受けた時に「全勝ち」「全負け」になる可能性は比較的低く、早稲田のように試験科目・配点が同じで難易度もそれほど変わらなければ「全勝ち」「全負け」になる可能性は比較的高いのです。
   同じ試験科目、似た配点、似た出題傾向の所を受ける場合は、どちらも通る、どちらも落ちるということは考えられることですが、試験科目が違ったり配点が違ったり、同じ試験科目でも出題傾向が違う場合は、一方は通るが他方は落ちる、ということは十分にあることなのです。 出題傾向が違う所を受けて「全勝ち」したって自慢にもなりません。 1973年のパリーグの南海のプレーオフでの勝利は感動しました。 後期、阪急に1つも勝てなかったのに、プレーオフでは3勝2敗で勝ち越したのですから。「ともかく、勝てばええんや」と。 大学入試は、世の為人の為に受けるのではない。 自分が行きたいと思う所、そこなら自分が納得できるというところに、ひとつ合格することができれば、「ほかは全敗したっていい」のです。 1973年の阪急ブレーブスは後期は前期優勝の南海に12勝1分け無敗・・・で、プレーオフに負けて年度優勝は南海・・・となると、後期12勝1分けとそれだけ勝っても、あれはなんなんだ、ということになるのです。 自分が行きたいと思う所に合格できればいいのであり、自分が行きたいと思う所の試験と相関性が低い模擬試験なんて、「どうでもええ」とまで言わないとしても「どちらかと言えば、いいにこしたことはない、という程度」と考えるべきです。
   それを私が言っても理解せず、さらに、「きみみたいに、逆らう人間は会社員は無理だから経済学部には行ったらいかん」だの、「そういう、きみみたいに逆らう人間は、そういう人間性に問題のある者は入学試験には落ちる」だのと悪態つきやがってからに。 いいかげんにしろ、と思ったのですが、大学受験が大学卒業後に勤めてから受ける資格試験などと違って大変なのは、親にカネをだしてもらっているという点です。 私は、YMCA予備校と「主事」だという藤井という男の言う事は無茶苦茶で、「こいつ、何もわかってない」と認識できたし、その上で、「あんなヤツ、専門家じゃない」「あいつは何もわかってないから、あいつの言うことはきかないで」と親に話したのですが、母親は「あの人はクリスチャンだから悪い人じゃない」だの「YMCAで『主事』をやってるということは、クリスチャンでも並みのクリスチャンじゃない。相当えらいクリスチャンのはずだ」とか言い、父は「専門家のいう事、専門家、せんもんか、センモンカ、せ〜んもお〜んかあ〜あ!」と言って、私の言うことをきかなかったのです。 親が京大とか東大とか卒業したような人である者が本当にうらやましかった。 そういう親は、息子・娘より前に、親の方が私がここで述べたようなことを見抜き、「YMCA予備校の藤井はエセだ。 あいつの言うことはきいてはだめだ」と理解して、親が息子・娘に教えたようです。 「親の違い」を実感しました・・・・が、そんなこと言っても、困ったおっさんやなあ、と思っても、そのおっさんが私の親だったのですから、しかたがありませんでしたが、そういう親につけこむYMCAには強く怒りを感じました。

   共通一次試験は、それまでの試験に比べて、「各科目の学習」と「試験問題に対する対策」で、「試験問題に対する対策」をどれだけしたかで点数が変わる度合いが大きいように思えました。 その理由でそれまでの試験と比べて良い試験問題・試験制度とは言えないと思いましたが、そんなこと言ったって、その試験に合格して入学するしかないのですから、しかたがない。
   YMCAの試験の成績がもうひとつだった後、夏休みに受けた駿台が実施する東大模試では、「文三で合否ぎりぎり」くらいの成績だった。 浪人しても「文三で合否ぎりぎり」というのはショックだったが、その時はショックだったが、今なら別にショックと感じないと思う。 浪人すれば必ず成績は伸びるというものでもないし、「合否ぎりぎり」なら「十分、合格の可能性はある」ということだし、合否線上なら合格可能性50%かもしれないが合格できたなら合格最低点を1点上回っただけの合格でも50%の合格ではなく100%の合格なのだから、「ショックを受ける」必要はないし、文三は、文科では合格最低点は最も低いとしても、それでも東大なんだから、世の中全体から考えれば優秀な方で、「ショックを受ける」ようなものではない・・と今なら考える。 そのあたり、18や19の人間は人生の経験が浅く、ひとつ年下の人間より下の成績をとった経験なんてそれまでなかったのだから、予備校の職員はそのあたりをフォローしてあげるべきだと思うのだが、YMCA予備校はフォローしないどころか逆行することをやっていた、その点で、明らかに足を引っ張っていた。 駿台の東大模試の結果をYMCAの藤井に話すべきかどうか考えて、あんなヤツに話さない方がいいと判断して話すのをやめたが、話さなくて正解だった。
   それにつけても、「あの人はクリスチャンだから悪いひとであるわけない」とか「せんもんか、専門家、センモンカ、せ〜んもお〜んかあ〜あ!」とか言う親には閉口した。 北野高校の某先生の娘が私と同じ歳で、天王寺高校から京大の医学部に現役で通ったという話を聞いたが、うらやましいと思った。 父の友人で高津高校の先生をやっていた人があって、その人の友人で豊中高校の先生をやっていた方の息子は北野高校から現役で阪大の医学部に通ったが、やっぱり、ある程度以上の進学校の先生をやっている親の息子は得だなと思った、・・・・が、そんなこと言ったって、アホな親だなと思っても、その人が自分の親ならしかたがない、と思ったが、そう思っても、うらやましいなあと思うことはあった。大王製紙の2代目は北野高校から慶應大学に行ったが東大に行きたかったけれども行けなかったという人だそうで、何としても息子は東大に行かそうと思い東大に入学させることができた・・が東大に入学・卒業して後を継いだ三代目が「しょうもないことしい」やっちゃった・・らしいが、やっぱり、親が東大や京大に行ったり、行きたかったが行けなかったというような親の息子・娘はそうでない親の息子・娘よりも大学受験においては有利だなと思います。
   『狼男』の映画で、子供というものは両親の愛によって立派な人間に育つ。しかし、不幸にして小さい頃に片親が亡くなることもあれば、両親が離婚することもある。そういう子供は立派な人間になれないのかというと、そうではなく、残った方の親が力を尽くして愛情を注げば立派な人間に子供は育つことはできる。 しかし、世の中には小さい頃に両親ともに亡くなってしまう子供もあるが、そういう子供は、必ず、神さまが守ってくださる、という話が語られていた。 しかし、キリストが十字架につけられてからよみがえるまでの3日間の日に生まれた子供には神さまの力が及ばない、その3日間に生まれた子供が両親ともなくした時、成長して恋をした時にその恋が結ばれればその相手の異性の愛情によって救われるが、その恋が破られた時、おそろしいことが起こる・・・というのが『狼男』の話だったのですが、私が行った大阪市内の小学校の1年2年の時の先生などは「クリスチャン」で、『狼男』の話の両親ともに亡くなってしまった子供に対する神さまのように、そういう子供には小学校の先生が親のかわりの役割もしてあげようというような気持で接しておられたような気がする。 というより、公立小学校の先生をしている人には、そういう気持ちで児童に接している人はいると思うのだ。 親に、京大や東大を出た親のような能力がないなら、京大や東大を出た親のかわりの役割を勤めようと努力するのが予備校職員の仕事と違うのか? それを親に京大や東大を出た親のような判断能力がないと見ると、そこにつけこむような態度をとる学校職員というのは最低だと思う。 それがYMCA予備校だった。 だから、YMCA予備校がつぶれたのは、つぶれるべくしてつぶれたのであり、ざまあみやがれい!という気持ちである。
   (2015.11.22.)

☆ YMCA予備校の間違い
1.「特高右翼」YMCA高槻による思想調査 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201511/article_7.html
2.パチンコを勧める予備校。 聖書を奪い取る「敬虔なクリスチャン」 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201511/article_8.html
3.「通った人8人、落ちた人2人の成績」を取らないと受けてはならないか? http://tetsukenrumba.at.webry.info/201511/article_9.html
4.1つの模擬試験はどこにも通じるか、「弱者の戦術」たる「戦力の集中」か? http://tetsukenrumba.at.webry.info/201511/article_10.html
5.「文学的素養がない人間」・「人間性に問題がある人間」は落ちるか(上) http://tetsukenrumba.at.webry.info/201511/article_11.html
6.「文学的素養がない人間」・「人間性に問題がある人間」は落ちるか(下) http://tetsukenrumba.at.webry.info/201511/article_12.html
7.「地方の受験生は根性がある」か? 受験生に嘘情報を吹き込む予備校 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201511/article_13.html
8.英文はいちいち日本語に訳して書くべきか? http://tetsukenrumba.at.webry.info/201512/article_1.html

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
1つの模擬試験はどこにも通じるか、「弱者の戦術」たる「戦力の集中」か?―YMCA予備校の間違い≪4≫ 哲建ルンバ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる