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zoom RSS 本郷中央教会(J=H=ヴォ―ゲル)(東京都文京区)(日本の教会シリーズ9)+悪名高いかの本富士警察署

<<   作成日時 : 2014/12/06 22:17   >>

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[第206回] 日本の教会建築シリーズ(9)
  「本郷」と言えば、元・加賀前田家の屋敷であった東大の本郷キャンパスhttp://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/map01_02_j.html があるところであるが、東大だけがあるわけでもない。 東京都の「文京区」という命名は、東大本郷キャンパスだけでなく、御茶ノ水女子大も茗荷谷にありhttp://www.ocha.ac.jp/access/index.html 、御茶ノ水の東京医科歯科大学も文京区だしhttp://www.tmd.ac.jp/outline/access/ 、白山あたりにあった東洋大学とかhttp://www.toyo.ac.jp/site/access/ 、けっこう大学や高校が多くある区で、「学問の神さま」菅原道真=天神の湯島天神http://www.yushimatenjin.or.jp/pc/index.htm も文京区にあり、湯島の聖堂 も文京区ですしhttp://www.seido.or.jp/access.html 、横山大観記念館http://members2.jcom.home.ne.jp/taikan/info.htm とか、弥生美術館・竹久夢二美術館http://www.yayoi-yumeji-museum.jp/guide/visit.html とか森鴎外記念館http://moriogai-kinenkan.jp/modules/contents/index.php?content_id=38 とか、文京的な施設がけっこうある というところからの命名かと思う。 
  もっとも、湯島天神は、その北に東大の本郷キャンパスがあり、南には駿台予備校とか、東京医科歯科大・明治大学・日大他御茶ノ水界隈に大学があり、東には東京芸大もあって、いかにも学問の神さまて感じがしないでもないが、夏目漱石の『坊ちゃん』には、たしか、「湯島の陰間茶屋」という言葉が出てきていたと思うが、湯島天神の前あたりには、「陰間」という、男色家を相手にする男がいる茶屋があったとか。  東大の西の菊坂は、私が大学を受験した頃、1980年前後くらいには、まだ、けっこう昔からの木造家屋の街並みが残っていて、なかなか風情のある街並みだと喜んだのですが、最近はかなり変わってきているようですが、『鬼平犯科帳』なんかには、「菊坂」に岡場所があったといった話も出ていたはずで〔⇒《鬼平犯科帳の坂》 http://www.sakagakkai.org/contri/onihei.html 〕、かならずしも、「文京」でない面もあるかもしれません。
  戦後すぐの時代には、下山事件などにも関係したのではないかと言われるキャノン機関があった ジョサイヤ=コンドルが設計した元岩崎家住宅http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/access035.html も湯島天神の北、東大本郷キャンパスの東のあたりにあるのですが、これは文京区と台東区の境目付近の台東区らしい。国立近現代建築資料館http://nama.bunka.go.jp/acces.html なんてのも旧岩崎邸の西側にあるようで、こちらは文京区のようです。 文京区にある天満・天神・菅原・北野系の神社としては、湯島天神が最も有名でしょうけれども、他に、北野神社http://www.ushitenjin.jp/access/index.html もあります。 文京区はけっこう広くて、丹下健三の設計でけっこう有名だが竣工時から雨漏れがしたとか問題も多そうな東京カテドラル聖マリア大聖堂http://www.tokyo.catholic.jp/text/cathedral/access.htm も文京区だし、護国寺 も吉祥寺 も文京区です。 私は本郷三丁目駅のすぐ近くの名曲喫茶「麦」http://tabelog.com/tokyo/A1310/A131004/13018618/ がけっこう好きです。

   さて、本題の 日本基督教団 本郷中央教会です。↓
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↑ 本郷中央教会。 北面。北西側から見たもの。
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↑ 本郷中央教会。 北面。北東側から見たもの。


  ↑東京の街中にある教会ですから、オブジェかモニュメントみたいなデザインのものを作るわけにもいかず、ファサードは「ぺったんこ」ですが、けっこう迫力があって、「なんか、由緒ある教会かいなあ」て感じがしないでもありません。
※ 本郷中央教会 のHPは⇒http://www9.ocn.ne.jp/~hongo189/
   HPアクセス ⇒http://www9.ocn.ne.jp/~hongo189/access/
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↑ 「登録有形文化財」「文化庁」と金属製の板が貼られています。 東京建築探偵団(宍戸 実・河東 義之・藤森 照信・堀 勇良・清水 慶一・増田 彰久)『スーパーガイド 建築探偵術入門』1986.9.25.文春文庫ビジュアル版)にも、掲載されている・・・・ということは、東京建築探偵団も注目するくらいの建物なのかあ?・・・・・と、価値判断をひとに委ねるのがいいとは思わんが、たしかに、同書に出ている。 どう出ているかというと、
≪ (竣工年)  昭和4(1929)年
   (設計者)  ボーゲル
   (所在地)  文京区本郷3−37−9 ≫
と出ている。 そんだけ。 なんや、味気ないのお〜お・・・・。 そんだけかい。

   わたくしといたしましては、「そんだけ」ですますのもどうかと思いまして、インターネットで、「ボーゲル 建築家」と入れて検索してみましたところ、
    《ヴォーリズをたずねて J.H.ヴォ―ゲル 》http://gipsymania.exblog.jp/tags/%EF%BC%AA%EF%BC%8E%EF%BC%A8.%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%AB/ に、
≪ 1910年代にヴォーリズ建築事務所の中心メンバーだった米国人技師で、≫と出ていました。
≪青山学院本部、ルーテル学院高等学校本館(旧九州女学院本館)、≫なども設計した人のようです。
    《 一粒社ヴォーリズ建築事務所 一粒社ヴォーリズ建築事務所のあゆみ》http://www.vories.co.jp/company/history.html に、
≪ 1910年(明治43年)にヴォーリズ合名会社、1920年(大正9年)にヴォーリズ建築事務所と名を変えながら建築設計活動は続き、作品は戦前だけで1500件あまりを数えます。
その組織はL.G.チェーピンに始まり、J.H.ヴォーゲル等、多くのアメリカ人建築技師の協力を得て海外技術の吸収に努め、その中から大丸心斎橋店や大同生命を手がけた佐藤久勝など、多くの日本人所員が習熟して行きます。 ≫ 
    《 ヴォーリズの建築作品 活水学院》(近江八幡観光物産協会)http://www.omi8.com/vories/builds19.html に、
≪ 明治12年(1879)に開校した九州でも屈指の伝統あるミッションスクールである。
鉄筋コンクリート3階建ての上に、屋根窓をともなう急勾配の屋根を掛け、校舎出入り口を八角形の塔体としている。全体はゴシック調である。設計を担当したのは、大正6年までヴォーリズ事務所で活躍したJ・H・ヴォーゲルで、その後彼が香港で建築活動を行っている時に協力して設計されたものである。 ≫ と出ています。
  単に、「ボーゲル」と「ヴォ―ゲル」と名前が一致するだけなら、同じ名前の人が2人いる可能性もありますが、ウィリアム=メレル=ヴォーリズは、キリスト教会の建物、特に、プロテスタントの教会の建物を多く設計した人で、本郷中央教会もプロテスタントの日本基督教団の教会ですから、まず、この J.H.ヴォ―ゲル の設計と考えていいと思われます。
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↑ 本郷中央教会。 東面。
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↑ 本郷中央教会。 南面。 南面は少々、味気ないかもしれません。
(写真はすべて、クリックすると大きくなります。)
南側に幼稚園があります。

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↑ 入口の上には、「中央會堂」 と右から左に書かれています。
   教会の名称ですが、本郷にあるので「本郷」はわかりますが、「中央」とはどういう意味か。
同教会HPの、《教会の歴史》http://www9.ocn.ne.jp/~hongo189/history/ に、≪1890年プロテスタントの一派カナダのメソジスト教派所属のC・Sイビー宣教師により『中央会堂』が創立された。≫ ≪大衆への伝道を行うだけでなく、・・(略)・・・学生に伝道する目的で、帝国大学、第一高等学校(東京大学教養学部)、女子高等師範学校(お茶の水女子大学)などの官立大学に近い本郷の地を選んだ。≫ と出ています。 なるほど。
  ≪賀川豊彦による学生伝道集会、慈善音楽会が催され、また国内外の雑誌の閲覧所が設置されていた。  野口英世、内村鑑三も訪れていたという。≫ ≪1923年9月1日午前11時58分M7.9の関東大震災により焼失。≫ ≪1929年(昭和4年)米国人宣教師ボーゲルの設計により現在の姿に再建された。 ≫ ≪ 1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲で一帯は焼け野原となる。窓ガラスが割れて教会内に火が飛び込んできたが、逃げ込んだ近隣の50〜60名の消火活動により焼失を免れて、数日間は罹災者700名を収容した。消失した元富士警察署が一時教会内に設置された。≫ ≪チャーチゴシック様式特有の装飾が美しく、鐘楼を持つ荘厳な印象の鉄筋コンクリートの建物で、音響楽的にも考慮されており、1998年登録文化財に指定を受けている。 ≫ と出ている。
   登録文化財に指定されたのは1998年で、東京建築探偵団が『スーパーガイド 建築探偵術入門』(文春文庫ビジュアル版)を出したのが1986.9.25.と、東京建築探偵団の方が12年ほど早くに出しています。

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↑  「 真理は汝等に 自由を得さすべし 」

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↑  「 神の道に足跡を残して生きよ 」

  最寄駅は、都営大江戸線「本郷三丁目」、もしくは、東京メトロ丸の内線「本郷三丁目」です。
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↑ 都営大江戸線「本郷三丁目」駅。 本郷中央教会に最も近い出入口。 なかなかおしゃれです。

   この 日本基督教団 本郷中央教会 の北東に かの 悪名高い 本富士(もとふじ)警察署http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/5/motofuji/ )があります。 どう「悪名高い」かというと、東大の「ポポロ事件」の際に、東大に私服刑事が潜入して探っていたのも本富士警察署であるなど、東大に対して警察として何かする場合、登場するのが本富士警察署なのです。
   東大の学生になめられないように、ここの署長は、たいてい、東大出の若い人間がなるとかいう話を聞いたこともあります。 その話を聞かせてくれた人は、東大卒の署長でないと学歴の点で東大生になめられるし、年配の署長でもなめられるので、30歳くらいの東大卒の署長がなることになっていると解釈したようですが、そういう意味ではないのではないでしょうか。  東大卒の「国家公務員1種試験合格者」「キャリア」で警察庁に入省した人は署長になるのは30歳くらいで、年配になって署長になる人というのは高卒か大卒でも(この表現がいいかどうかはさておき)高い位置づけでない大学の出身の「1種試験」に合格していない「ノンキャリア」の人であり、年齢がどうかよりも、東大出でなくても旧帝大系国立大学か早慶くらいの出身で1種試験合格の「キャリア」の署長なら対応できても、ノンキャリアの署長では、東大の学生を相手にして理論的に太刀打ちできない、ということではないでしょうか。
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↑ 警視庁 本富士警察署。 南西側から撮影したもの。 左手前(西側)は 東京消防庁 本郷消防署。
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↑ 警視庁 本富士警察署。 南東側から撮影したもの。
≪  昭和27年(1952年)2月20日、東京大学構内でおこったいわゆるポポロ事件は、教育・研究にたずさわるひとびとに大きな衝撃をあたえた。 これは、東京大学法文経25番教室でおこなわれた同大学公認団体の一つである劇団ポポロ主催の演劇発表会に、本富士署の警備係警察官4名が私服で入場券を買って入場し、会の模様を監視中、学生たちに発見され、逃げ去ろうとしたところを、そのうちの3人が学生たちに捕えられ、警察手帳を奪い取られた事件である。 のちに学生たちによって内容を公表された警察手帳にもとづく東京地裁の事実認定によると、「東京警視庁管下本富士警察署警備係員は久しき以前より(・・・・・・少なくとも昭和25年[1950年]7月末頃以降)その管内にある東京大学の構内において、警備情報収集のための警察活動を続けて来たものであって、その警察活動たるや、私服の警備係員数名が殆ど連日の如く大学構内に立ち入って、張込、尾行、密行、盗聴等の方法によって学内の情勢を視察し、学生、教職員の思想動向や背後関係の調査を為し、学内諸団体並びに団体役員の動向、学内集会の模様、状況等について常時広汎、刻明な査察と監視を続けて来た」(第1審の事実認定)ことがあきらかになった。 このように長期間にわたっておこなわれた私服警察官による警備活動のための学内立入りは、日本国憲法の保障する思想の自由および学問の自由にたいする真向からの挑戦であり、おおくのひとびとを憤激させることになった。 この事件の真相と責任の所在が究明され、将来にたいする保証があたえられるように、わたくしたち国民が希求したことは当然のことであった。
   ところが、この事件の裁判は、加害者と被害者が逆になるという奇妙な形ではじめられることになった。  というのは、警察官の会場潜入の抗議行動に参加した学生のうち、経済学部学生の千田謙蔵、福井駿平の両名が、「東京大学法文経25番教室内に於て手拳で腹部を突き或は同人の洋服内ポケットに手を入れオーバーのボタンをもぎとる等の暴行を加え、・・・・同様演劇観覧中の同署員茅根隆に対し同人の両手を抑え洋服のポケットに手を入れボタン穴に紐でつけてあった警察手帳を引張って其の紐を引きちぎる等の暴行を加えた」として、暴力行為等処罰二関スル法律第1条第1項違反にとわれ、起訴されるにいたったからである。
   この事件の裁判事件としての出発点は、こうして、現実におこった事件のなまの問題状況とはかなりことなることになった。  ポポロ事件の核心は、前記の警察手帳によって暴露されたような警察による大学構内での警備情報活動は、だれの責任と命令のもとに、いかなる理由で、なんの目的のためにおこなわれたのか、そして、そのような活動は憲法のもとで許されてよいのか、かりにそれが許されてよいというのであれば、学問の自由および大学の自治は果たして存立しうるのか、もし反対にこれらの行為が憲法に抵触するのであれば、だれがどのような責任をとり、将来の憲法にたいする忠誠の保証はいかにあたえられるのか、といった諸点にあるといわなければならない。
   ・・・・ ≫
(潮見 俊隆『法律家』1970.5.20.岩波新書)
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↑  警察署の入口の前には、「警乗」という棒をもった警察官が立って、「つまんないなあ〜あ」て感じで、スキップしたり、ケンケンしたりしていることがよくあるのだが、ここには立っていなかった。  
  私は、今となっては20年以上前だが、施設警備の警備員の仕事をやったことがある。 入口の前、あるいは、道路から進入する道路との境界付近に立哨する際には、背筋を伸ばしてきっちりと立つ、人に話しかける際には敬礼をした上で話しかける・・・といったことを研修で教えられたものだ。 研修を担当した、自称「元・警察の相当エライ人」が言うには、「こういうことは、警察官は、きちい〜っと徹底しています。 警備員の研修は4日間ですが、警察官は警察学校で1年間かけて叩き込まれますから」とその研修で話したのだが、その後、警察署の前を通ることがあった際に見ると、警備員と違って「警乗」と言うらしい棒を持っていて、そして、警備員と違って、「つまんないなあ〜あ」て感じで、スキップしたりケンケンしたりしているヤツが多いのを目撃した。 本富士警察署でも、「警乗」持ってスキップしてるやつがいるか・・と思って見たが、立っていなかった。

↑ 私の記憶では、かつては、本富士警察署は東大の竜岡門から南下した道の突き当りのあたりにあったような気がするのだが、今はそうではなく、竜岡門から南下した道がぶつかるT字路の交差点の北西にある。

  ≪1890年プロテスタントの一派カナダのメソジスト教派所属のC・Sイビー宣教師により『中央会堂』が創立された。  大衆への伝道を行うだけでなく、インテリ層が唯物論や無神論を信奉する当時の風潮に対抗するために、学生に伝道する目的で、帝国大学、第一高等学校(東京大学教養学部)、女子高等師範学校(お茶の水女子大学)などの官立大学に近い本郷の地を選んだ。 ≫ と、本郷中央教会のHPの「教会の歴史」http://www9.ocn.ne.jp/~hongo189/history/ に出ている点は、少々、気にかかります。 ( 日清戦争が1894年ですから、1890年はその4年前ということになります。)
   「唯物論」とは、「(究極的には)社会の動きは、経済を基礎として動いている」という経済学上の見解のことで、この場合、「物」とは経済のことですが、自称「クリスチャン」の中には、「唯物論」のことを、「物だけあればいいという考え方で、心をなおざりにしようとするもの」として批判する人があるのですが、 「物だけあればいいという考え方で、心をなおざりにしようとするもの」「ただ、物さえあればいい」という考え方というのは、それは「タダ(唯)もの(物)主義」のことで、唯物論とはまったく別のものです。

   「唯物論」が誤解(もしくは、曲解、中傷)を受けるひとつの原因として、カール=マルクスが「宗教はアヘンである」と『ヘーゲル法哲学批判序説』で述べたという点があります。 しかし、
1. 『ヘーゲル法哲学批判序説』で、マルクスが「宗教はアヘンである」と述べたところの「宗教」とは、キリスト教やユダヤ教のような宗教を念頭において述べたもので、仏教などは念頭において述べたものではない。
2. K=マルクスは『ヘーゲル法哲学批判序説』で一度だけ、「宗教はアヘンである」という表現を使っているが、それ以外の書物では一度もこの表現は使っていない。 フリードリヒ=エンゲルスはどこにおいても一度も使っていない。
3. 「宗教はアヘンである」という表現は、K=マルクスが生きた時代のドイツで、しばしば使われた表現で、詩人のハイネ、哲学者のヘーゲルなども使用しており、マルクスだけが使った表現ではなく、マルクスが最初に使った表現ではない。
4. 「アヘン」という言葉には、「毒薬」という意味と「なぐさめ」という意味の2つの意味がある。 マルクスが『ヘーゲル法哲学批判序説』で「宗教はアヘンである」と述べたのは、「毒薬」の意味でではなく、「宗教は貧しい人たちのなぐさめである」という意味で述べたものと思われる。  「なぐさめ」を必要としない社会を実現することができれば、「なぐさめ」としての宗教は必要なくなるかもしれないが、現実の社会を「なぐさめ」を必要としない社会にすることが実現できていないにもかかわらず、「なぐさめ」だけを取りあげようとするべきものではない。
5. 宗教にもさまざまなものがあり、中には「毒薬」のような宗教もあり、マルクスも、エンゲルスも、≪宗教が人民の苦しみを現実社会の変革によってではなく、あの世で、また精神のなかだけで解決することを説教することによって、人民に幻想をあたえ、反動勢力に奉仕させる役割を果たしてきたという意味をしばしば強調している≫が、そういう意味で宗教批判をおこなう時には、「宗教はアヘンである」という表現を使っていない。
  この1は、高神覚昇『般若心経講義』(角川文庫)に書かれていたもので、そうかもしれないと思ったものです。2〜5は、蔵原惟人『宗教 その起源と役割』(1978.5.25. 新日本新書)所収の『宗教に関する二、三の問題』で述べられているものです。 蔵原惟人氏は本当によく勉強されていると感心しました。
  それで、「なぐさめ」としての宗教は、もし、現実の社会が「なぐさめ」を必要としない社会となればなくなっていく可能性もありますが、すべての人が現実に幸福をつかめる社会になって「なぐさめ」を必要としなくなるのはそう簡単ではありませんし、経済的に豊かな生活ができるようになったとしても、それ以外の面で「なぐさめ」が必要とされる場合もあるでしょう。 「なぐさめ」を必要とする度合の少ない社会を実現するために、資本制の経済体制ではなく社会主義の経済体制にした方が良いと考えた人たちがいたのですが、それなら、資本制の経済を維持しようという「保守」の人たちは、「なぐさめ」を必要とする度合の大きい社会でもかまわないという考え方なのか、というと、そういう「保守」であれば、それは支持できません。 「なぐさめ」を必要とする度合はできるだけ小さくしたいという認識で、それを資本制経済を改めて社会主義の経済体制で実現するのか、資本制経済を維持した上で実現するのか、ということで、資本制経済を維持した上で「なぐさめ」を必要とする度合の小さい社会を実現しようという「保守」であれば支持していこうということが考えられますが、「なぐさめ」を必要とする社会を改善しようという認識のない「保守」であれば、そのような「保守」は支持できません。

   又、自称「クリスチャン」には、「無神論」と「信仰がない」とを混同している人もいます。 「無神論」というのは、ニーチェ、あるいは、サルトルであったり、マルクスであったり、それらの人が認識している「無神論」は「信仰がない」とはまったく別のもので、「神への信仰がある」生活態度をとるのに、「神」を必要としない状態のことを「無神論」としているのです。 「無神論」と「信仰がない」とはまったく別のものです。
  『コーラン』の中では、マホメットは、ユダヤ教・キリスト教の信者のことを「経典の民」と呼び、最もすぐれているのはイスラムの教えであるが、たとえ、イスラム教徒でなくても、「経典の民」が「経典」に基づき、信仰ある生活を営むなら、それは価値あることだと述べていたと思いますが、宗教者にとっては、他の宗教を信仰する者は敵ではなく、敵は「信仰のない」生活態度の者であり、「経典の民」がその経典において信仰ある生活を営むなら、自分の宗教と異なってもそれは評価できるものであり、そして、「神」を必要としないという「無神論者」が「神」を持たなくても「信仰ある人間」に劣らない生活態度で生きるのであれば、それも評価できるものだ、と考えるべきものでしょう。
  ですから、キリスト者にとって、「信仰がない」という立場は肯定できないものでしょうけれども、神のもとでの生活を「神」を必要とせずに実践する「無神論」は、他の宗教の信者と同様、必ずしも敵対すべきものではないはずなのです。 (これは、慶應義塾大学のある講義の時に教授が話され、なるほどと思ったものでもあります。)

   キリスト教は唯物論ではないが、唯物論に敵対するというものでもない。 資本制経済を維持するか資本制の経済体制を改めて社会主義の経済とするかといった問題は経済体制の問題であり、キリスト教は宗教の問題であって、次元の異なるものです。 イタリア映画の『イル・ポスティーノ』では、チリの共産党員で詩人のパブロ=ネルーダに結婚の媒酌人になってもらおうとする郵便配達人に神父だか宣教師だかが、彼は共産党員だからだめだ、と言い、「共産党員は赤ん坊を食うぞ」といった中傷をおこなうが、その目の前で、パブロ=ネルーダは祭壇の前にひざまずき、両手を合わせて神に祈る という場面があったと思う。
※ パブロ=ネルーダ は実在した人物。
《ウィキペディア―パブロ・ネルーダ》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%80 他参照。
  キリスト教は唯物論ではないし、キリスト教は社会主義を目指す動きではないが、同時に、唯物論に敵対するための存在でもなく、社会主義の経済への移行を妨害するためのものでもない。 もしも、≪インテリ層が唯物論や無神論を信奉する当時の風潮に対抗するために、学生に伝道する目的≫で設立された「教会」で、その後も、その姿勢で存続したならば、それは、あくまで「反唯物論」「反社会主義・反共産主義」の団体・働きかけのものであって、キリスト教の機関とは言えないことになります。 1945年、戦争中に、戦中の警察、戦後においてはポポロ事件で東大に潜入、スパイ活動をおこなう本富士警察署に教会堂を貸したというのも、気にかかります。 
   (2014.12.6.)

☆ 日本の教会シリーズ
神奈川県
  慶應義塾大学 YMCAチャペル[横浜市港北区](W=M=ヴォーリズ)http://tetsukenrumba.at.webry.info/201206/article_3.html
  日本キリスト教団 清水が丘教会[横浜市南区]http://tetsukenrumba.at.webry.info/201309/article_1.html

大阪府
  日本キリスト教団 南大阪教会[大阪市阿倍野区](村野藤吾)http://tetsukenrumba.at.webry.info/201206/article_2.html
  カトリック大阪梅田教会[大阪市北区] http://tetsukenrumba.at.webry.info/201405/article_1.html

兵庫県
 神戸文学館(旧・関学 ブランチメモリアルチャペル)[神戸市灘区](ウィグノ―ル)http://tetsukenrumba.at.webry.info/201311/article_1.html 
 日本基督改革派神港教会・カトリック六甲教会[神戸市灘区]http://tetsukenrumba.at.webry.info/201312/article_1.html
  関西学院教会 と 関学 ランバス記念礼拝堂(一粒社ヴォーリズ建築事務所)、関学神学部棟(ヴォーリズ) 他[西宮市]http://tetsukenrumba.at.webry.info/201405/article_2.html
  カトリック夙川教会[西宮市] http://tetsukenrumba.at.webry.info/201406/article_1.html
 もご覧くださいませ。 

イル・ポスティーノ [DVD]
ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント
2003-06-20

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↑ パブロ=ネルーダ に心酔した郵便配達人は、イタリアの労働者の大会に呼ばれ演説をおこなおうとするが、その時、警察官から暴行を受けて命をなくす。 
 

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