哲建ルンバ

アクセスカウンタ

zoom RSS カトリック夙川教会―日本の教会建築(8)遠藤周作文学とともに―カトリック夙川教会とニテコ池【上】

<<   作成日時 : 2014/06/03 00:53   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

[第202回]
【1】   遠藤周作(1923[大正12]‐1996[平成8])の小説に、遠藤周作、もしくは、彼の分身ともいえる人物が通った教会として登場するのが、カトリック夙川教会 らしい。↓
画像

↑ カトリック夙川教会。 南面。
↑ 小学校の1年か2年の頃、地球儀を見ていて、シベリアのバイカル湖の脇に イルクーツクという市が書かれているのを見て、イルクーツクはバイカル湖畔にある街かと思ったのだが、イルクーツクはイルクート川に沿ってあるということでイルクーツクというらしく、実際には、イルクーツクはバイカル湖の最も近い部分のリストビャンカ村から50qほど離れているようだ。 日本で言うと、千葉県の千葉より西の総武線沿線から福島県のいわき市まで車で走って約200q、中間の水戸まで約100q、水戸と いわき の中間の日立から いわき、日立から水戸が約50q だから、いわき と日立、水戸と日立 くらい離れていたということだ。バイカル湖からイルクーツクまでアンガラ川を走る水中翼船に乗ろうと思ってリストビャンカの船着き場で待っていたら、ロシア人のタクシーのドライバーがイルクーツクまで乗って行きませんかと誘ってきたが、アンガラ川の水中翼船に乗りたかったので断ったが、それとともに、もっと近い距離ならまだしも、もしも、途中で何かもめるようなことでもあって、50qの途中で降ろされるようなことでもあったら、死んでまうわ・・・と思ったので、お断りした。(そういえば、 I 工務店にいた時の同僚で、アメリカ合衆国でヒッチハイクをした時、砂漠の真ん中で「ケツに入れさせるかこの場で降りるかどっちか選べ」と言われた、という話を聞かせてくれた人がいた。 その時、彼がどちらを選んだのかは不明であるが・・)

※バイカル湖と「聖なる湖 大いなるバイカル」は
⇒「YouTube-The Holy Baikal - old russian song 」http://www.youtube.com/watch?v=mh89Dsm_4Dk 
⇒「YouTube-Don Kosaken Chor - Baikal」http://www.youtube.com/watch?v=Rt-O0js0EW8&list=PLDB3F4EA4065A86F0&index=17

   それで、それが、このカトリック夙川教会とどう関係があるかというと、『古社名刹巡拝の旅34 西国街道と武庫川 西宮神社 廣田神社 清荒神清澄寺 中山寺』(2010.1.12.日号 2009.12.22.発売。集英社)の「巡拝の達人 廣田神社から西宮神社へ 西宮の味と文学散歩」にカトリック夙川教会が≪ ネオ・ゴシック様式の建築で、作家の遠藤周作が幼少のころ、洗礼を受けた教会として知られる。『影法師』や『黄色い人』など、遠藤のカトリック文学の原点がここにある。≫と出ているのだが、ここに掲載されている「周辺地図」で見ると、カトリック夙川教会 は阪急神戸線「夙川」駅のすぐ近くのような感じがするのだが、実際には「すぐ近く」というわけではないのだ。 ここで、「バイカル湖―イルクーツク」の話と結びつく。 
   「カトリック夙川教会」のホームページ http://www.shukugawa.catholic.ne.jp/ を見ると、住所は、西宮市霞町5−40 と出ている。 駅のすぐ近くのように思い、駅の南側に出るとすぐ見えるかと思って行ったが見えない。さて、探せるだろうか・・と思って歩きだしたが、駅の目の前ではないが、そう難しい場所にあるわけでもなく、すぐ見つかった。↓


画像

↑ 南面。
画像

画像

↑ 東面。
画像

↑ 西面。
画像

↑ 南面、尖塔。
前の電柱と電線が、少々、無粋ではある。

※ カトリック夙川教会 のホームページは⇒http://www.shukugawa.catholic.ne.jp/

  遠藤周作の小説には、遠藤周作、もしくは、その分身のような登場人物がこの教会に通う場面、この教会の神父と接する場面が出てくる。
≪ 彼等は、母の妹の嫁ぎ先に厄介になった。叔父は病院勤めの医者だったが子供のないその家までが、まるで医院のように殺風景で、消毒薬の臭いが台所までしみこんでいるような気がした。ただあまり大きくもない家のどの部屋にも十字架がぶらさがっているのがカラスには奇妙に感ぜられた。
   叔父夫婦はカトリックの信者だったのである。
   叔父は口数の少ない無表情な人だった。妻の姉が子供まで連れて自分の家に転がりこんできたことに文句は言わなかったが彼は病院から戻っても、ちらっと冷やかに義姉とその子供とを見るだけで話しかけようとはしない。こうして彼は自分の態度を示していた。・・・・・
   自分たちが叔父にきらわれているらしいと、カラスは子供心にうすうす気がついた。・・・・・
・・・・
   日曜になると叔母は教会に行ってミサにあずかる。時々叔父も一緒についていく。叔母は母を一度、誘ったが母は戻るなり、右手で肩を叩きながら、
「ああ肩がこるわ。兎に角、お祈りに来ているのか、着物見せに来てるのかわかりぁしない人ばかりだから。」
「でも、教会、行ったほうがいいんじゃないかな。叔母さんだって悦ぶだろ。」
・・・・・
「なら咲子と一緒に行ってよ。母さんなにもそこまでペコペコしたくないわよ。」
・・・・
 その次の日曜日、彼は思いきって玄関で靴をはいている叔父と叔母の背後にたっていた。
・・・・
  二人は叔母と一緒に黙って先に歩く叔父のうしろに従った。阪急の電車に乗せられ夙川という駅でおりる。カトリックの教会は神戸以外はここにしかないのだった。
  始めて見るミサは彼には屈辱的なものだった。まわりの人々は突然たちあがったり跪いたりする。カラスは叔母の命令で、児童の席に腰かけさせられたのだが、子猿のように自分より年下の子供たちのまねをしなければならなかった。他の子供たちが祈りを暗誦する時、彼はぼんやり立っていた。窓からさしこむ陽の光で寝不足の彼は顔が痛かった。そして内陣いっぱいに香炉がただよいはじめるとカラスはその臭いで吐き気さえ催した。
・・・・・
  だが教会から電車までの坂道で叔父はカラスのそばに急によってきたかと思うと、いつになく優しい声で言った。
「いやだったろう。」
  それから毎週、日曜日、カラスは叔母につれられて教会に行くようになった。もしそれを怠ると叔母の機嫌がやはり悪くなるような気がしたからだ。それに彼としてはこうしなければこの家における母の立場がますます悪くなっていくように思えた。・・・≫
(遠藤周作『私のもの』1963.〔『哀歌』1972.講談社文庫 所収〕)

≪  私の嘘は今、考えてみると、母にたいするコンプレックスから出たようである。夫から棄てられた苦しさを信仰で慰める以外、道のなかった彼女は、かつてただ一つのヴァイオリンの音に求めた情熱をそのまま、ただ一つの神に向けたのだが、その懸命な気持は、現在では納得がいくものの、たしかに、あの頃の私には息ぐるしかった。彼女が同じ信仰を強要すればするほど、私は、水に溺れた少年のようにその水圧をはねかえそうともがいていた。 ・・≫
(遠藤周作『母なるもの』1971.〔『母なるもの』1975.8.25.新潮文庫 所収〕)

≪  支那では戦争が拡がっていた。学校に新しい配属将校がやって来て三年生以上の軍事教練は今までよりも、もっときびしくなった。クラスのなかには陸士と海兵を受験しようとする連中の数がふえてきた。
    ある日、急に服装検査があった。校庭に生徒を集めて教師たちが持物を調べるのである。煙草をポケットに入れている者や、女優のブロマイドを持っていた者は列外に立たされた。
    教師は私が足もとにおいた定期入れや汗で黒ずんだハンカチの間から、小さな十字架のついたロザリオを引きずり出した。
「何や、これ」
体操の教師である彼はロザリオというものを始めて見たらしかった。
「アーメンか、おまえ」
   それから彼は疑わしそうな眼で、長い間、私を眺め、列外に出ろと言った。そのあとで私は煙草やブロマイドを持っていた連中と一緒になって教員室までつれていかれた。
「お前の場合は」と国語の教師はロザリオを返してくれながら渋い顔で「別にわるいもんを持っとったわけやない。ないが、天皇陛下のおられる国で、外国の神さんを拝んどる家庭は、どうかと思うな」
   私は自分よりも母が侮辱されている気がした。向こうの席で新任の配属将校がこっちをじっと見つめていた。 ・・・≫
(遠藤周作『ガリラヤの春』1971.〔『母なるもの』1975.8.25. 新潮文庫 所収〕)

≪  ミサが終わりかけ、神父が祭壇に身をかがめて終末部のラテン語の祈りを唱えだした時、突然、背後で烈しい音がした。びっくりしてふりむくと、頭を坊主がりにして国民服を着た眼のするどい男が、伝道師の老人にとめられながら入口に立っていた。
「あんた、待って下さい」伝道師は泣きだしそうになっていた。「ミサがすぐ終るさかい、あとで、話しましょ」
   我々の視線を受けて、男は余計、肩を怒らせた。この時局下に外国人の教会にくる私たちを日本人かと彼は怒鳴っていた。
   半ば怯えながら、しかしそれ以上の快感と好奇心のまじった気持で、祭壇の前に棒立ちになっているミュラン神父を私は見た。彼がこの男を叱りつけ、つまみ出すかどうか、見たかったのである。男のわめいている日本語が神父にわからないはずはなかったからである。
   だが、神父はその時、身動きもせず、驚きと恐怖にゆがんだ顔でこちらを見つめていた。私はその顔をまだ、はっきりと憶えている。靴音をたてながら男が外につれ出されたあともミュラン神父はしばらく祭壇の前にじっと立っているだけだった。
   私は母と一緒に外に出た。男の姿はみえなかった。
  「早く帰りましょう」と母は私に促し、我々は逃げるように急ぎ足で教会の門を出た。
   次の日曜日、祭壇の横に日章旗が立っていた。そんなことは今までなかったのである。説教の時、ミュラン神父は我々に言った。
「今日から、私たち信者も、毎日、戦争に行っている兵隊のために祈ることに決めました」 ≫
(遠藤周作『ガリラヤの春』1971.〔『母なるもの』1975.8.25. 新潮文庫 所収〕)

   どうも、最近の日本は、その頃の状態に近づいているように思えて不安です。
特に、「民間人校長」というのは、その多くが実質「配属将校」ですね。
   教会堂に踏み込んできた≪頭を坊主がりにして国民服を着た眼のするどい男≫というのが、組織的な機関から派遣されてきた者なのか、それとも、その時代の風潮に乗せられた「街の右翼」みたいな人だったのか、この文章だけではわからないけれども、今も、そういう類の人はいるようですね。

   『真説 ニッポンの黒い事件』(2013.10.10.ミリオン出版)所収の乃井伊知郎「報道規制によって“消された”事件」には、モーテルジャック事件がおこった際に皇室関係者の男性がそのモーテルにいたらしい話を「小説」という形で書いて『消えたモーテルジャック』(立風書房)として出版した萩原雄一氏に出版後、脅しの電話がかかってきたり、不可解な「事故」が起こったりしたことが書かれている。
≪ ・・・どう考えてもぼく(萩原雄一)が狙われたのだ。なぜ、ぼくが狙われるのか。
   その理由はいたって明白だ。
   ぼくが『消えたモーテルジャック』を出版してしまったからだろう。
   T.E.さんの組織には、「皇室の名前を明かさない限り、命を保証する」との約束を取りつけてある。しかし、T.E.さんは最後に、こうも付け足したのだ。
 「わたしたちの組織は、萩原さんに今後いっさい手を出さないわ。それは安心してちょうだい。でも、町のバカ右翼までは統制がきかないの。せいぜい命には気をつけてね」
        ●
  萩原氏はここで口を結んだが、気がつくと、彼の顔面は蒼白だった。≫
(乃井伊知郎「報道規制によって“消された”事件」[『真説 ニッポンの黒い事件』2013.ミリオン出版 所収])
   遠藤周作『ガリラヤの春』で、カトリック夙川教会に踏み込んできた≪頭を坊主がりにして国民服を着た眼のするどい男≫というのが、諜報機関のような「組織」の人間なのか、「町のバカ右翼」のような存在なのか、もしくは、諜報機関のような「組織」からあおられて動いた「町のバカ右翼」なのか、この文章だけではわからない。その時、教会にいた人にもおそらくどちらなのかわからなかったでしょう。 戦後の日本は、その頃とは違った国になったと思っていたのだが、最近、その頃の状態に戻りかけているように思えるし、戻そうとしている人たちがいるようで、極めて不安である。
   大阪は「町のバカ右翼」みたいな男が大阪市長になってしまったし、和泉高校の「民間人校長」にもなっているようだが、あれは「町のバカ右翼」なのか、組織的諜報機関の方の人間なのか、どちらなのだろう。 いずれにせよ、大阪市の人間はとんでもない男を市長に選んでしまっている、ということに気づくべきだと思うのだが・・。
   東京都知事の舛添要一が、現在の日本の政治家は外交の無策を恥じるべきだと述べたようだが、その点、舛添は良心的だと私は思う。 外交の努力をせず、近隣諸国に好戦的な態度ばかり取る安倍晋三は反省するべきであるし、それに輪をかけた橋下徹はもはや病的である。



   『古社名刹巡拝の旅34 西国街道と武庫川 西宮神社 廣田神社 清荒神清澄寺 中山寺』(2010年1月12日号 2009.12.22.集英社)の「巡拝の達人 廣田神社から西宮神社へ 西宮の味と文学散歩」には、このカトリック夙川教会の南東側から撮影した写真が掲載されているのだが、南東側のビルの窓から撮ったものか、それともヘリコプターから撮ったものか、きれいに写っているのだが、↑の写真を撮った時は、小雨が降ったりした天候であったために少々暗くなったということもあるが、地上からは同紙の写真のようには見えないし撮れない。

   カトリック夙川教会のホームページhttp://www.shukugawa.catholic.ne.jp/ の「教会のあゆみ」http://www.shukugawa.catholic.ne.jp/contens/ayumi.html には、
≪ 1921年11月、夙川教会の創立者S.ブスケ神父は札場筋と旧国道との交差点の借家に「聖なるロザリオの教会」を設立しました。二年後、神父は夙川(現在地)に土地を購入、神戸居留地にあった「悲しみの聖母教会」の旧建屋を移設して仮聖堂とするとともに、本格的な聖堂の建設計画に取り組みました。1931年5月に定礎されたヨゼフ梅木省三氏の設計になるネオ・ゴシック様式の聖堂が翌年4月に落成します。新聖堂はブスケ神父が敬愛して已まなかった聖女テレジアに献げられ、以後夙川教会は「幼きイエズスの聖テレジア教会」とも「小さき花の聖テレジア教会」とも呼ばれます。・・・≫ と出ています。
1932年(満州事変の翌年)に竣工で、設計者の名前が「ヨゼフ梅木省三」さんということは、カトリックの洗礼を受けた日本人の設計者ということでしょうか。 「ネオ・ゴシック様式」というのか何と言うのか、きれいな教会堂です。 但し、
1. 信徒が教会の行事をおこなう為の施設として考えた時、ここまで装飾豊かな豪勢なものを建てる必要があるのだろうか、ということも考えました。 阪急の神戸線沿線で、比較的裕福な人が多い教会なのかもしれませんが、しかし、どうなのだろうな、といったことを考えました。
2. 同時に、「日本にある教会」として考えた時、入母屋・唐破風にしなければならないなどということはないと思いますが、同時に、何も絶対に「洋風」にしなければならないということもないでしょうし、「ネオ・ゴシック様式」にしなければならないこともなかったのではないだろうか、なんだか、一生懸命ヨーロッパの教会堂を日本に作ろうとしたような教会堂だな、という点も考えました。
   でも、少なくとも、東京カテドラル聖マリア大聖堂よりはこちらの方が好きです。
   《ウィキペディア‐カトリック夙川教会》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E5%A4%99%E5%B7%9D%E6%95%99%E4%BC%9A には、
≪1932年 - 夙川公園の傍にゴシック・リバイバル様式の壮麗な大聖堂(聖テレジア大聖堂)が落成。≫と出ています。 「ゴシック・リバイバル様式」と「ネオ・ゴシック様式」は、同様の言葉でしょうか。
   やはり、教会堂というものは、外から見るだけではなく、実際に教会の行事に参加してみてこそ価値がわかるのではないかと思うのですが、しかし、お寺や神社はさりげなく行ってさりげなく帰ることもできるのですが、教会の場合は、プロテスタントの教会で「礼拝」というものに参加させてもらおうとすると、歓迎してもらえるかもしれないけれども、礼拝の終わりころに牧師さんが「きょうは、お客様がお見えです」とか言い出して、誰やいなあと思うと自分だったりして、それで立って挨拶を求められたり、さりげなくその場にいてさりげなく帰るということが難しい場合があり、カトリックの教会で≪まわりの人々は突然たちあがったり跪いたりする。カラスは叔母の命令で、児童の席に腰かけさせられたのだが、子猿のように自分より年下の子供たちのまねをしなければならなかった。他の子供たちが祈りを暗誦する時、彼はぼんやり立っていた。≫(遠藤周作『私のもの』)という状況になるのも抵抗がある。 東京カテドラル聖マリア大聖堂は、受付で「見せていただいてもよろしいでしょうか」と言うと、「どうぞ」と言って快く見せてもらえたのだが、それはあくまでも「世界の丹下建三」の建築の見学を許可していただいたのであり、その後、「ここの教会の行事には誰でも参加させていただくことはできるのでしょうか」と尋ねると、どうも、東京カテドラル聖マリア大聖堂では、一見さんの来場者は誰もが「姓は丹下、名は健三」の建築を見学に来ているのだという観念があるようで、話がうまく通じなかった。 東京カテドラル聖マリア大聖堂では、12月などにはコンサートが開かれることがあり、一度、讃美歌やオペラアリア、オルガン曲などの演奏会で入らせてもらい聴かせてもらったことがある。 しかし、音楽ホールとして考えてもあまりいいとは思わなかった。 また、座席の前の木製の台は信徒が跪いて祈りをささげるためのものだと思うのだが、司会者がそこには靴をのせないでください、荷物を載せないでくださいと話していたものの、あくまで演奏会に来たというつもりの人たちには通じないようだった。 そうはいっても、東京カテドラル聖マリア大聖堂は、演奏会の際に入場させてもらって席に座らせてもらうことができた。 『古社名刹巡拝の旅 西国街道と武庫川』(集英社)の「巡拝の達人」によると、カトリック夙川教会は≪クリスマスやイースターの時期には、教会バザーやバロック音楽の演奏会なども催される。≫と出ているので、そういう際にでも入らせてもらえればと思う。  もっとも、カトリックの教会の「ミサ」というのかなんというのかに今まで参加したことがあるかというと、フランスのルールドゥのシュぺりウール寺院で、日本語のものはないので英語ならなんとかなるかならんかわからんがフランス語やドイツ語よりはなんとかなるかもしれんと思って参加させてもらったことがあるが、特別に気難しいものでもなかった。そのあたりから考えると、日本の教会というのはヨーロッパの教会よりも入りにくいようなところがあるようにも思う。 夙川あたりの教会だと、私らのようなびんぼうに〜んが入っていいのかな、などと考えてみたりもするが、バザーというのは、金持ちのもらい物を貧乏人に売って教会の費用にするものだと思うので、そういう際にでもびんぼうに〜んは入らせてもらうといいのかもしれない・・・・などと考えたのでした・・・。 間違っていたらごめんなさい。
  (2014.6.2.) 


【2】 「夙(しゅく)」とは。 及び、漫画・小説等での記述に求められる正確性について。多くの漫画・小説に対してと異なり、『美味しんぼ』に対して偏執的に加えられた攻撃。
[1]  阪急神戸線「夙川(しゅくがわ)」の西は「芦屋川」で、「芦屋」というのは東京の田園調布に匹敵する関西の高級住宅地・・のように言われていて(タイプは違うかもしれないが)、この付近は金持ちの多い地域とされているが、白土三平『カムイ伝』には、非人の生まれであるカムイの生まれた場所の地名が「夙谷(しゅくだに)」として出てくる。 「夙(しゅく)」とはいったいどういう意味なのだろう。 高級住宅地を意味する漢字なのか、逆に、非人部落が配置されるような条件の場所を示す言葉なのか、と思い、漢和辞典・国語辞典を引いてみた。

【夙】 シュク 
 ・・・つつしんで仕事をする意を表す。またつつしむ意の「踧踖(しゅくせき)」を「夙夕」とも書いたところから、夕に対して、朝早く、「はやい」意に用いられるようになった。
[意味](1)つつしむ。つつしんでつとめる。 (2)あさ。早朝。 (3)つとに。はやく。(ア)朝早くから。(イ)むかしから。以前から。 (4)はやい。
 (小川環樹・西田太一郎・赤塚忠『新字源』1968.1.5.角川書店)

しゅく【夙・宿】 (天皇陵の番人である守戸の訛という) 賤民の一。御陵に富む畿内に多い。 尸供・守公・守宮とも書く。しく。 →しゅくのもの
しゅくのもの【宿の者・夙の者・祝の者】(1)賤民の一。しゅくどの。→夙(しゅく)。 (2)江戸時代の一種の賤民で、大和・河内・摂津などでは、年始の万歳、獅子舞、陰陽師などを職としたもの。
 (新村 出『広辞苑 第二版』1969.5.25.岩波書店)

と出ている。 白土三平は『カムイ伝』『カムイ外伝』などを書く際に、実によく調べて書いていると思うが、この夙川がどの意味から来ているのかはわからない。

〔(追記)  天野太郎 監修『阪急沿線の不思議と謎』(2015.4.16. 実業之日本社 じっぴコンパクト新書)には、≪夙川は、もともと「宿川(しゅくがわ)」と呼ばれていた。 江戸時代、夙川駅から阪神香櫨園駅一帯は西国街道と中国街道が交わる交通の要衝にあった。 多くの旅人が行き交ったことから、周辺にはそうした旅人を見込んだ宿や商店が多く建ち並んだ。 夙川は、宿場町として発展してきたのである。 その宿場町を流れていたのが、現在の夙川だ。 ・・・・ 「宿場の川」と旅人たちから呼ばれていた川は、短縮されて「宿川」となり、いつしか「夙川」へと転じたのである。≫と出ている。 しかし、難しい漢字が簡単で一般的な字に自然と変わる、悲惨な事態などを示す字が喜ばしい字に意図的に変えられる、特に悲惨な事態を示すほどのものでなくてもそれよりも喜ばしい字に変えられる<「荒野」「荒谷」が「幸野」「幸谷」へ、「埋めた」が「梅田」へなど)、音が良くないとされて喜ばしい読みの字に意図的に変えられる<「葦原」(「あしはら」、「あし」は「悪し」に通じる)が「吉原」へなど>ということはあっても、一般的な「宿」という字がそれよりも難しく一般的でない、また、特に喜ばしい意味でもない「夙」という字に変わるだろうか・・・・。 (2016.10.3.)〕

[2]   『カムイ伝』『カムイ外伝』他、白土三平の漫画は実によく調べた上で書かれているとは思うが、しかし、専門の歴史学者から見れば不正確なものも部分的にあるかもしれない。「時代小説」と言われるものも、「歴史を題材にしたお話」であって歴史そのものではないが、よく調べた上で実際の歴史にそって小説仕立てで書かれたものもあれば、勝手な創作だらけのものもある。遠山金四郎・大岡越前守・水戸黄門は実在したがテレビドラマの話は事実とは相当異なる。「暴れん坊将軍」も事実ではないし、「鬼平」長谷川平蔵も実在したようだが池波正太郎の小説は「お話」である。「桃太郎侍」なんか、いてたまるか、あんなもん。田沼意次は、かつては賄賂をとったけしからん男のように言われていたが、最近では、江戸時代の三大改革と言われたものは実はたいした改革ではなく、むしろ、田沼意次こそ真面目に改革を考えていた良心的な政治家であったという評価が出てきたようだが、池波正太郎の小説で、今、「コミック乱」(リイド社)に大島やすいち 氏の漫画で連載されている『剣客商売』に登場する田沼意次は比較的高く評価されている方の田沼意次像で描かれている。
   漫画や小説は、専門の学者から見ても、よく調べて書かれていると思われるものもあれば、最初からいいかげんなものもあるが、よく調べて書かれていると思われるものでも、専門の学者が細部にわたって吟味すれば部分的に問題点を発見することはできるというケースもある。 専門の学者の著作でない漫画や小説はそのレベルのものでも、特に悪意でない限り、問題視されず、評価されてきた。 ところが、雁屋哲 作・花咲アキラ 画『美味しんぼ』が福島第一原発事故による放射能汚染の問題をとりあげると、その内容に対して、不正確だと嵐のように攻撃を加える人たちが出てきた。『美味しんぼ』は、これまで、中には賛否のあるものもあるかもしれないし、金持ちだけが楽しむ高級料理をとりあげるなどというつもりはないと登場人物も述べてはいたものの、しかし、やはり、金持ちのじいさんでもないと食べられないのではないか、私ら庶民には関係ないものではないかと思われるものもあったと思うが、しかし、全体としてよく調べて書かれていたと思う。福島第一原発事故による放射能汚染の問題についても、これまでの作者の態度から考えて、そういいかげんな書き方はしていないと思うのであるが、もしも、専門の学者から見て、部分的にでも正確といいがたいと思えるものがあれば、指摘するのは悪いことではないであろう。しかし、これまで、漫画や小説において、部分的に不正確なものがあったとしても、今回のような猛烈な嵐のような攻撃がなされるということはなかった。それが、放射能汚染を起こす危険な原発を設置・操業した者に対しての攻撃ではなく、原発事故による放射能汚染について述べた者に、不正確なところがあったかなかったかという点について偏執的な攻撃がなされたというのは、それは、『美味しんぼ』が述べたものに、権力側・体制側にとって不都合なものがあった可能性を示している、と考えてよいのではないか。
   大阪市長の橋下徹は、元弁護士の職業病なのか、何かとすぐに「法的措置を考えます」とか言い出して威嚇するというところがあるが、『美味しんぼ』に対しても、大阪で燃やした瓦礫についての記述に対して、その得意技というのか職業病というのかを出してきているようである。しかし、「法的措置」どうこう言うのであれば、まず、大阪で瓦礫を引き受けることに問題はないのかどうかを考える必要があるのではないのか。 武田邦彦教授のブログ(http://takedanet.com/ )の《大阪の瓦礫は何が問題なのか?》http://takedanet.com/2014/05/post_da39.html に
≪1. 東北大震災の瓦礫は東北で処理できたし、その方が東北復興に役立った(数値などは後で)。
  2. 放射性物質の移動などを定める法令に違反して行った。
 3. 動機は不明だが、1トン数万円の処理費に対して20万円近く出した所もあり、受け入れる自治体が儲かるか、業者との癒着ではないかと疑われた. ≫ と出ている。
特に、この2、≪放射性物質の移動などを定める法令に違反して行った≫という点。 その瓦礫について述べた『美味しんぼ』の発行元・小学館に、≪大阪府、大阪市として厳重に抗議するとともに、・・・・場合によっては法的措置を講じる旨、申し添えます。≫(「大阪府・大阪市 週刊ビッグコミックスピリッツ 『美味しんぼ』に関する抗議文」 [《『美味しんぼ』福島の真実編に寄せられたご批判とご意見》(「ビッグコミックスピリッツ」2014.6.2.号 小学館 所収)]とまるで脅迫状のような「抗議文」を送りつけたというのは、なんだかなあと思いますね。
≪何より放射線管理区域にしなければならない場所から避難をさせず、住まわせ続けているというのは、そこに住む人々を小さな子どもも含めて棄てるに等しく、犯罪行為です。≫(小出裕章氏)[《『美味しんぼ』福島の真実編に寄せられたご批判とご意見》(「ビッグコミックスピリッツ」2014.6.2.号 小学館 所収)]という状況で、そういう違法な状態に対して「法的措置を講じる旨、申し添え」ずに、その状況について述べた者に対して、正確と言い難いところがあるかないかといったことについては「法的措置を講じる旨、申し添え」るというのは、いったい、何なんだろうな、と思いますね。
  橋下徹の場合、韓国に対しても、従軍慰安婦というものがあったというなら証拠を示せなどと言いだしたこともあったと思います。この思考は元弁護士の職業病ではないかという印象を受けます。民事裁判であれば、賠償金・慰謝料を払えと請求する者に対して、請求された側は、請求の原因と主張される行為が実際にあってもなくても、それならそういったことがあったという証拠を示せ、と言っていいわけです。 しかし、外交の問題においてそういう態度をとったならば、それなら、証拠を示すことができなければ、どんな非道をおこなっても、やった方はやり得、された側は泣き寝入りをしろということか、ということ、そういう態度を日本側が取ったということになってしまいます。 戦後の日本の韓国や中国に対しての対応は、「証明まではされていないものについても、ともかく、全体として申し訳ないものがあったことは否定しがたい」とするものであったはずです。 裁判における弁護士の態度なら、証明できないなら証明できない方が悪いというのでいいでしょうけれども、外交の態度をそれと一緒にしてしまっているのは適切な外交姿勢とは言えないと思います。
  だいたい、何かと≪法的措置を講じる旨、申し添えます≫と好戦的な態度を取らないと気がすまないというあたり、いかがなものでしょうか。たとえ、不適切な記述が部分的にあったとしても、それに対しては、それはこのように違うと述べて指摘すればいいことであって、行政の立場で、何かと≪法的措置を講じる旨、申し添えます≫と好戦的・攻撃的態度にでるというのは、その態度は、言論弾圧を志向していると考えざるをえません。
  又、大阪市・大阪府の行政を一体化させようという「大阪都構想」については、交通の問題、地下鉄を大阪市交通局が運営しているけれども、これなどは大阪市・大阪府が一体となって対応した方がうまくいくのではないかとか、空港をどうするかといったことについても、大阪市・大阪府が一体となって対応した方がうまくいくのではないかといったことを考え、その点については、一理あることを橋下は述べていると私は思ってきたのですが、今回の「大阪府・大阪市 週刊ビッグコミックスピリッツ 『美味しんぼ』に関する抗議文」[《『美味しんぼ』福島の真実編に寄せられたご批判とご意見》(「ビッグコミックスピリッツ」2014.6.2.号 小学館 所収)]を見ると、もし、大阪府知事が橋下と一体の人間でなければ、たとえ、知事・市長ともに保守系の人間であっても、大阪府には大阪府の対応、大阪市には大阪市の対応があったはずであるのに、橋下と一体の人間が大阪府知事になっているために、市長になっている者、知事になっている者それぞれの考えのもとに、それぞれの対応がなされるということがなかった、という弊害の面を見せられました。こういうことなら「大阪府」と「大阪市」の行政は一緒にならない方がよさそうに思えます。 また、大阪府民は、大阪府知事には、もっと、独立自尊の精神を持った人間を選んだ方がよいのではないのか、という気がいたします。
   福島第一原発の事故が起こった後、原発に賛成・推進の発言をしていた「文化人」や芸能人・運動選手・元運動選手で、自分の発言について自己批判をする人もあったが、知らぬ存ぜぬで通した人もあった。 芸能人・運動選手・元運動選手というのは、政治家や専門の学者と同じだけの責任まで求めるのは難しいとしても、だからといって何の責任もないのだろうか。 原発推進・賛成の発言をした者については、芸能人・運動選手・元運動選手については、芸能人だからしかたがない、運動選手なんてそんなもの・・という調子で免責にしてしまって、一方で、原発事故による放射能汚染の問題について扱った漫画については、(原作者の雁屋哲氏は漫画であってもきっちりとしたことを述べようという姿勢だと思いますが)「漫画だから」とはせずに叩きまくるという、その「ダブルスタンダード」というのか、対応の違いというのは、いったい何だろうなあ、と思います。
  (【2】部分、 2014.6.5.追加) 


☆ 今回は、当初、カトリック夙川教会 と 満池谷 ニテコ池 とを一緒に、遠藤周作と野坂昭如 の副題で公開しようと考えましたが、ブログの字数制限もあり、2つに分けた方がいいと考えて分けました。
[第203回]《『火垂る(ほたる)の墓』の舞台 西宮市満池谷ニテコ池・震災追悼碑―カトリック夙川教会とニテコ池【下】 》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201406/article_2.html  も見ていただくとうれしく思います。
  阪急今津線「甲東園」から西に進むと関西学院の正門に至り、関学から南西に歩くと、(西宮神社ともに、阪神タイガースが年始の祈願に行くという)廣田神社に至り、廣田神社の南側を西に進むと野坂昭如(あきゆき)『火垂るの墓』の舞台のニテコ池。ニテコ池を西に行くと夙川にぶつかり、夙川沿いに南下すると阪急神戸線「夙川」駅に着き、夙川駅の南の道を西に進むと、カトリック夙川教会の南側に出ます。 関学神学部・ランバス記念礼拝堂と関西学院教会 について、[第201回]《関西学院教会 と 関学 ランバス記念礼拝堂、関学神学部 他―日本の教会建築(7) 》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201405/article_2.html で公開いたしました。そちらもご覧いただければと思います。
   (2014.6.2.) 

☆ 日本の教会シリーズ
神奈川県
  慶應義塾大学 YMCAチャペル[横浜市港北区](W=M=ヴォーリズ)http://tetsukenrumba.at.webry.info/201206/article_3.html
  日本キリスト教団 清水が丘教会[横浜市南区]http://tetsukenrumba.at.webry.info/201309/article_1.html

大阪府
  日本キリスト教団 南大阪教会[大阪市阿倍野区](村野藤吾)http://tetsukenrumba.at.webry.info/201206/article_2.html
  カトリック大阪梅田教会[大阪市北区] http://tetsukenrumba.at.webry.info/201405/article_1.html

兵庫県
 神戸文学館(旧・関学 ブランチメモリアルチャペル)[神戸市灘区](ウィグノ―ル)http://tetsukenrumba.at.webry.info/201311/article_1.html 
 日本基督改革派神港教会・カトリック六甲教会[神戸市灘区]http://tetsukenrumba.at.webry.info/201312/article_1.html
  関西学院教会 と 関学 ランバス記念礼拝堂(一粒社ヴォーリズ建築事務所)、関学神学部棟(ヴォーリズ) 他[西宮市]http://tetsukenrumba.at.webry.info/201405/article_2.html
 もご覧くださいませ。 

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
カトリック夙川教会―日本の教会建築(8)遠藤周作文学とともに―カトリック夙川教会とニテコ池【上】 哲建ルンバ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる