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zoom RSS 関西学院教会 と 関学 ランバス記念礼拝堂、関学神学部 他―日本の教会建築(7)

<<   作成日時 : 2014/05/27 18:51   >>

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[第201回]
【1】 日本キリスト教団 関西学院教会
   兵庫県西宮市の阪急 今津線「甲東園」駅から西に、えっちらおっちら坂道を登ると、関西学院の正門にたどりつくはずである。 関学までの道は、阪急 今津線の「仁川」からと「甲東園」からは同じくらいの所要時間で、「仁川」からの方が路がなだらかだと思ったのだが、「甲東園」から進んだ方が正門の前に行くはずなので、「甲東園」からえっちらおっちら坂を登った。 その途中で、「日本キリスト教団 関西学院教会」に出くわした。↓
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↑ これは、「関西学院教会」というからには、関西学院が運営しているキリスト教会かしらん。 関西学院は、プロテスタントであるメソジスト教会のウォルター=ラッセル=ランバスが神戸市灘区の原田、現在の王子動物園の場所で始めたミッションスクールで、大学となる時に現在の西宮市上が原に移転した学校で、関西学院のキャンパスはキリスト教の伝道者で建築家(でメンソレの近江兄弟社の)のウィリアム=メレル=ヴォーリズの構想で作られた学校で、日本キリスト教団はプロテスタントであり、プロテスタント同士で関係あるのか、それとも、単に、関学のすぐ手前にあるから関西学院教会と名づけただけなのか、どちらなのかしらん・・と思って、インターネットで検索してみたのだが、同教会には、青年会のface book(https://www.facebook.com/kgchurchym )はあっても、ホームページは見当たらない。 ウィキペディアにもないようだ。 関西学院教会附属仁川幼稚園のHPはある(⇒http://www.eonet.ne.jp/~nigawakgc/summary.html )が、これを見る限り、関西学院と運営母体は別の可能性が高そうだ。
〔≪  関西学院教会は1915年に神戸市内の関西学院内に設立された。 当時は学内の施設を使って活動する会堂を持たない教会であった。 その後 学院と共に西宮市上ケ原に移転したが、自前の会堂を持ちたいとの長年の祈りがかなえられて1953年に現在地が与えられ、会堂を1956年に建てた。
   関西学院の建物群を設計したのは日本の教会建築に多大な足跡を残したW.M.ヴォーリズ(1880〜1964年)だが、この教会堂も彼の志を継ぐ一粒社ヴォーリズ設計事務所の設計であり、同じ風貌と色調に統一されている。
   重厚な礼拝堂内部を演出するのはトラスと呼ばれる三角形を組み合わせた梁組みである。木のぬくもりを伝えるとともに、この工法によって広い礼拝空間を実現させた。
   会堂に隣接して立つ塔屋は、エレベーターを設置してバリアフリーとするために2003年に増築されたものである。 ≫
 (「こころの友」2015.2.日本キリスト教団出版局 「教会堂を巡る」)
 著作権の問題もあるかもしれないけれども、関西学院教会とその建物については、知りたい方はけっこう多いと思うが、インターネットで検索しても、なかなか出ていないので、ここでそのまま引用させていただくことで、多くの方が知ることができると思い、「信徒の友」も単行本ではないので、入手したいと思っても手に入らない場合もあるかと思い、ここではそのまま引用させていただきました。 「こころの友」2015.2.には内部の写真1枚と外部の写真が1枚[↑この一番上の写真を、もう少し左、正面から撮影したもの]が掲載されています。≪エレベーターを設置してバリアフリーとするために2003年に増築された≫という≪会堂に隣接して立つ塔屋≫とは、↑の一番上の写真の会堂に左側の建物のことでしょうか。 )  2015.3.9.〕


【2】 関西学院 ランバス礼拝堂 ・ 神学部棟 他。
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   そこからさらに坂道を進むと関学の正面に出る。 ≪ 「日本一美しいキャンパス」と自負を込めて語りたくなる関西学院西宮上が原キャンパスは、ウィリアム・メレル・ヴォーリズの全体構想・設計により1929年(昭和4)に完成した。≫と、『ヴォーリズ建築の100年 恵みの居場所をつくる』(2008.2.10.創元社)所収の「ヴォーリズと関西学院」という文章の冒頭で、田淵 結(たぶち むすび) 関西学院大学文学部教授が述べておられるが、たしかに、関学の校舎、キャンパスは美しいと思う。 ヴォーリズという人の設計思想がいい、西岡常一『木に学べ』(1988.3.1. 小学館)を読むと、法隆寺宮大工の口伝に「神を崇めず、仏を拝せずして堂塔伽藍を口にすべからず」というものが第1にあると出ているが、それと同じ。 ヴォーリズは単なる建築家ではなく、キリスト教の伝道者にして建築家であり、そういう人の建築だけあると思う。 又、たとえば、東大の本郷なり駒場なりは、それぞれの建物は個々に別の人が建てているのに対して、関学の上ヶ原は、ヴォーリズが全体を構想して作り、後から建てられた建物も、一粒社ヴォーリズ建築事務所(http://www.vories.co.jp/ )が担当して建てているので、全体の調和がとれていると思う。 慶應の三田は、最初は全体を考えて建てたかもしれないが、その後、後からできた建物もあり、全体としての調和という点では関学の方がすばらしいと思う。

   しかし、駅から遠い。 本線の駅から遠いのならまだしも、阪急でも神戸線ではなく、神戸線の「西宮北口」と宝塚線の「宝塚」の間を走る今津線の「仁川」か「甲東園」からで、徒歩で行けないことはない距離だが、近くはなく、かつ、「甲東園」からは坂道である。 

≪ やがて学院は先述のように大学昇格を計画し、その具体的な準備を進める第二の発展期にさしかかろうとする。しかし大学開設にあたって必要な条件を満たすことは当時の原田校地では非常に困難であった。そこで、阪急の小林一三氏の協力を得、神戸原田校地を売却し西宮上が原に全面移転することによって大学昇格の夢を実現させることができた。 その際、学院の新たな時代を切り開くキャンパスもまた、ヴォーリズの構想が採用された。 ≫
と 田淵 結「ヴォーリズと関西学院」(山形政昭 監修『ヴォーリズ建築の100年』2008.2.10.創元社 所収)には出ているのだが、阪急の小林一三氏は、関学の他にも、かつては、中津のあたりにあった萩の寺(東光院)http://www.haginotera.or.jp/ を宝塚線の「曽根」駅の北のあたりに移転させたり、その沿線の評価が上がりそうな施設を自分の沿線に移転させるということを実行してきたみたいで、やり手と言えばやり手であるし、移転したいと思っている施設としては、便宜をはかってもらって助かるということもあるのだろうけれども、関学の上ヶ原キャンパスについては、実際に行ってみると、もうちょっと、便利な場所なかったのかという印象を受ける。 神戸線の駅ではなく支線の今津線の駅からこれだけ歩かないと行けない、しかも、坂道を歩かないと行けないというのは、最近の新設の大学がそこしか場所を確保できなかったというならともかく、関西の私学では同志社とともに歴史のある評価の高い大学としては、もうちょっとなんとかならなかったのか、という印象を受ける。 もしかして、≪阪急の小林一三氏の協力を得、≫てというのは、実際には、阪急と小林一三にうまくしてやられて、条件の悪い土地を買わされた??? のかどうかわからないが、自然環境は悪くないが便利はいいとは言い難い。
   その点、慶應の日吉はうまいことやりよったなあ〜あ・・・・て感じがする。なにしろ、東急東横線の「日吉」駅の駅の目の前だし、私が行っていた頃は、三田と日吉は電車の路線ではつながっていなかったのだが、ふと気づくと、かつては、目黒から田園調布・多摩川園経由で蒲田まで、緑色の芋虫みたいな電車がちんたらこちんたらこと走っていた東急目蒲線が、今は、目黒から田園調布・多摩川(「多摩川園」から駅名変更)を経て蒲田ではなく日吉まで来るようになり、駅にしても走っている電車にしてもずいぶんと近代的な線になり、しかも、東京都営の地下鉄・三田線を「三田」から「目黒」まで延長して「目黒」から目蒲線から名称変更した東急目黒線に乗り入れ田園調布・多摩川から「日吉」まで来るようになっちゃった。 さらに、「日吉」に横浜市地下鉄グリーンラインの駅までできて「センター南」「センター北」でブルーラインに乗り換えると「あざみ野」で東急田園都市線ともつながる。地下鉄の出口の場所を慶應で提供しても十分に割があう。 そのうち、東急は「日吉」から「新横浜」経由で相模鉄道の駅まで行って相模鉄道と乗り入れして、慶應が新しく設けた藤沢キャンパスまで結んじゃおう・・と計画しているというのか、たくらんでいるというのか・・・・。 うまいことやりよるなあ、その点、慶應はたいしたもんや。 「根回し。かき回し」というもの? なのかどうか知らんが、うまいことやりよるわあ・・・、ほんまに、感心する。 都営三田線は「白金高輪(しろがねたかなわ)」から別れて、一方は「三田」から神保町・水道橋を経て西高島平まで行くが、一方は都営南北線として、文京区本郷の東大の農学部の前に「東大前」という駅を作って、そこから駒込を経て赤羽岩淵まで行き、そこから埼玉高速鉄道となって「浦和美園」まで行く。 平田弘史『黒田三十六計』(「コミック乱ツインズ」リイド社 掲載)(『黒田三十六計 官兵衛と秀吉』2014.5.14.リイド社 SPコミックス 所収 第24計)によると、織田信長と信長の長男・信忠が本能寺の変で明智光秀に討たれた後、信長の家臣・羽柴秀吉と丹羽長秀、信長の三男・織田信孝らの連合軍が明智光秀を天王山の戦いで破ったその後、織田の後継者を決める清州会議が織田の家臣である柴田勝家・丹羽長秀・羽柴秀吉・池田恒興・堀秀正・滝川一益の6名で開かれたが、そこで、秀吉は、まず柴田勝家に「柴田殿へは拙者の領土 長浜12万石と光秀の旧領 佐和山18万石 合計30万石を受領していただく」と言いだし、それに対応して秀吉が中国筋を領有することを認めさせてしまったという。最初から自分だけが織田の勢力範囲を広く領有することを主張したのでは譜代の家臣・柴田勝家は承諾しなかったところを、まず先に柴田勝家の領地を増やすという柴田の利益になることを言い出し、その為、柴田勝家は秀吉が中国筋を領有することに反対できなくなってしまったというのだ。これを、秀吉の参謀であった黒田官兵衛(孝高[よしたか])(黒田如水)の「黒田三十六計」では「仮途伐虢(かとばっかく)の計」(甘い汁を吸わせて敵を打つ)と言う・・・とか『黒田三十六計』に出ていた。もしかして、三田線を延長して「三田」と「目黒」をつなぎ、目蒲線を田園調布・多摩川から蒲田に行っていたのを日吉に行くように変更して蒲田から多摩川までを盲腸路線にし、慶應の文法経商の専門課程の三田キャンパスと教養課程と工学部の日吉・矢上キャンパスを鉄道で一直線に結ぶという計画を実行するため、まず、東大の農学部の目の前に「東大前」という都営地下鉄の駅を作り、「東大前」を通る南北線とともに慶應三田チャンパスから来る三田線を東急目黒線から東横線に乗り入れるとすることで、反対を封じてしまった・・・・・、まさしく、「黒田三十六計」のひとつ、「仮途伐虢の計」である・・・・・・というもの? かどうかわからんが、しかし、うまいことやりよった。 うまい! 見事!・・・・、それから考えると、大阪モノレールの駅ですら大学の目の前ではなく離れた場所にしかできない大阪大学とか、そして、この阪急の神戸線ではなく今津線という支線の駅からですら、えっちらおっちら坂道を登らないとたどりつかないようなところにキャンパスを設けさせられてる関学というのは・・・・どんくさいな・・・、というのか、なんか、≪阪急の小林一三氏の協力を得、≫て、実際は、今津線のイメージアップのために利用されて、便利の悪い土地を買わされたんじゃないのお〜お?・・・・・・て感じがする。 ここだけ見ると、きれいな建物配置だなあ、と思うが、慶應の日吉を見た上で考えると・・・・、慶應がうまいのか、関学がどんくさいのか・・、どっちかわからんが、そんな感じ・・・・・。

   もうひとつ、この正門の前で見て、気づいたことがある。 なんで、関学は入口に警備の人がこんなにいっぱい立っているのか・・・と疑問に思ったのだ。 東大とか京大とか、あるいは慶應とか早稲田とかいうような大学は、女子大と違って、キャンパス内に誰が入ろうが何も言わないものだ・・と思っていた、私は。 慶應の日吉キャンパスは大学の中を通った方が近道だという近隣住民が毎日通っている。「構内を御通行の皆様へ。植木を折らないでください。」とかいう看板も立っていたはずだ。そういう看板が立っているということは、学生や教員でない人が通行するものだと前提しているということだ。 三田キャンパスに土曜あたりに行くと福沢諭吉像の前で記念撮影している在学生でも教員でもOBでもなさそうな人をしばしば見る。 東大の本郷は、キャンパスの中に東大病院があるので来院者に入るなというわけにも行かないし、三四郎池や安田講堂は名所旧跡だし、入っちゃいかんなんて誰も思ってない・・・と思って私は何度も入ってきた。慶應に行っていた時、東京工大がある大岡山に住んでいた男で、昼食は慶應の生協食堂・学生食堂で食い、夕食は東京工大の生協食堂・学生食堂で食い、日曜になると本郷に出かけて行って東大の食堂で昼食を食っていたという者がいた。 そもそも、大学というものは、近所の人が、同じ事ならその中を通って行こうと思うか、あんな所、通らない方がいいと思うかというと、誰もがそこを通りたいという気持になる所であるべきだと思うのだ。 それから考えると、関学は、女子大でもないのに、なんで、こんなに警備の係の人がいっぱい立っているのだろうか。ゲバルトの時代でもないのに。
   それで、学生・教員でない人間は入っちゃだめ、と言われるわけではないらしい。 前に、日曜日に来たことがあって、「すいませんが、私は建築関係の仕事をしている者ですが、ヴォーリズ設計の時計台などの建物を外からでかまいませんので見学させていただきたいのですが、かまいませんでしょうか」と警備の人に入口で言うと、「どうぞ」と言ってもらった。 ([第108回]《関西学院 時計台・文学部・経済学部・神学部・ランバス記念礼拝堂・他〜ヴォーリズさんの建築(3)》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201207/article_1.html で公開した時のことです。) だから、そういうのをいかんと言うつもりはないようだ。 だから、今回も、はっきりとお願いしてもいいところだったのだが、マスプロ化している大学の敷地内に入るのに、いちいち断らないといけないというのは、どうもポリシーに反するような気がして、そして、ここのマヌケなところは、正門の前には何人もが立っているが、キャンパスの敷地は広く、出入り口は何か所もあるので、いくらでも他から入れるというところだった。 で、他から入った、今回は。
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↑ 関西学院 時計台(旧・図書館) ウィリアム=メレル=ヴォーリズ設計。
別の経路から入ったおかげで、この角度で見る時計台も悪くないと気づいた。
↓こちらの面ばかりでなく。  今回、正門以外から入りたかったのは、前回、来た時に正門から入らせてもらったので、別の場所から入ると前回と違った印象を受ける場合もあると思ったからでもある。
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↑ この時計台(旧・図書館)は、この秋から博物館として公開される、というようなことが書かれていた。 関学の建物は、実際、美しいと思う。 公開されれば、今までより入りやすくなるかもしれない。爆弾を持ちこんで爆破しようとかいうのなら、やめてくださいと阻止するのはわかるが、建物を見学したいと思うような者にとっては、入っちゃだめと言われることはないとしても、入口に警備の人が何人も立っているというのは、なんだか、あんまりいい感じがしない。

   前回は日曜日に訪問したので静かだったが、今回は平日だったので、普通に学生がいたのだが、「関学もけっこう人口密度が高いな」と思った。 どこと比べてかというと、東大は敷地面積が広い上に、国立大学では最も学生数が多いといっても私学に比べればずっと学生の数が少ないので人口密度が低く、本郷も駒場も平日でもそれほど混雑していない。 慶応の日吉や三田も日曜に行くと静かだが平日はどうもざわざわしている。(慶応の特によくないところは、六大学野球の開催中には「応援指導部」の人間が、講義時間中でもおかまいなしに、教室のすぐ脇で、どんどこ太鼓をたたきながら、「わ〜か〜き血〜に燃ゆ〜る〜ものお〜お♪」とか大声で歌ったりするところである。 昼休みなどには歌を歌って悪いことはないと思うし、太鼓をたたいてもいいと思うが、講義時間中に教室のすぐ脇でそういうことをするというのはいかがなものだろうか。学生である以上、時間割・授業時間の開始と終了時刻はわかっているはずなのだから、教室の脇で太鼓をたたいたり大声で歌ったりするのは休み時間のみとし、授業時間が始まれば控えるべきだと私は思うのだが、彼らからすれば、慶早戦を控えて我々は愛塾心からやっているのだあ。それを控えろとは、おまえはそれでも慶大生かあ〜あ! とでもいうところなのだろう。 そういう人間を見ると、「びょ〜き 持てるや〜つら〜♪」とでも言ってやりたくなるのだが、逆らうと怖いから、黙ってよかなということになる。 江戸時代の終わり、上野で彰義隊の攻防が行われていた時、その当時の慶応義塾の塾生がそれを気にしていると、福沢諭吉は少しの間だけ屋根に登らせて見せて、終わると、「さあ、我々は、何があっても関係なく学問をしよう」と学習に戻らせたという話がある。 慶早戦を見に行こうという人は行けばいいが、大学で学問を行っている人間の邪魔をするのは福沢諭吉の精神に反すると思うのだが、そういう人間に限って、「福沢精神」とか矢鱈と言いたがるところがある。) 関学も、やはり、私学ゆえに人口密度は高いようだ。

   関学は昔から女性に人気のある大学である。 どう人気があるかというと、
1. 「関学の学生は女性にもてる」という俗説がある・・らしい。 誰に聞いたかというと、もう30年以上前、関西地域でアルバイトをした時にその職場にアルバイトで来ていた同志社大学の学生の男が言っていたのだ。 関西で「女性にもてる」ということになっている大学は、「1に関学、2に同志社」だそうだ。 それで、「女性にもてない」ということになっている大学は「なんといっても、ダントツ1位で大阪大学」だそうだ。 なぜかというと、「なにしろ、いもくさいことこのうえない。待兼山芋畑と言われるくらいイモ臭い! 芋のにおいがぷ〜んぷんする」そうだ。 その男の説によると。 『ドクタースランプ』に登場する皿田きのこ ちゃんというキーコキーコと三輪車に乗ってる女の子が言うセリフの調子で「イモねえ。シティギャルは阪大生なんか相手にしないのよ」て、そんな感じだというのだ。(実際、どうか知らんけどな。)
   また、「関学に行くと女にもてる」と信じて関学に行きたいと思う高校生がいるらしい。 誰に聞いたかというと、やはり、関西地域でアルバイトをした時、そこに来ていた高校生のボーズどもが、「関学いいぞお、女にもてるぞお。関学いこうぜえ〜え」と言っていたのだ。 そういうことを考えるボーズどもがいるらしい。 もっとも、そういう動機で「関学行こうぜえ」とか思った人間の過半数は行けないのだけれどもね。 私が知っている実際の関学の学生(男)には、あんなヤツのどこがいいのか・・というのもいたが、「蓼食う虫も好き好き」(There is no accounting for tastes.)ということもあるだろうから、好きにしてもらうしかない。
   慶應の入学式の時、学部長だったかが、「昔から、慶應の学生はもてる、という俗説がありますが、俗説はあくまで俗説ですから、もしも、もてているヤツがいたら、それはそいつがもてているのであって、自分ももてるだろうなどと思っていたらがっかりしますよ」と言われたことがあるので、「関学の学生はもてる」という説もそうなのかもしれない・・・が、実際のところ、石にかじりついてでも京大に行かないと気がすまないとか、たとえ石を投げつけられてもでも東大に行ってやるとかいう男より、「関学でいいよお」という男の方がいいという女性はいるようだ。実際に。

2. もうひとつ。 関学は、「お母さんに人気がある大学」らしいのだ。 30年以上前、まだ、北野高校が京大合格者数全国1位であった頃のこと、大阪でお母さんに最も人気がある学歴は「箕面高校→関学」で、お母さんに最も人気の悪い学歴は「北野高校→京大」だった、らしい。 実際、私の母の知り合いのお母さんで、ふたり兄弟の息子の兄が「北野高校→京大」に行き、弟が「箕面高校→関学」に行ったという人がいて、お母さんは「弟の方が絶対にいい。 お兄ちゃんは嫌い」などと言っていたというのだ。 どこが嫌いかというと、「箕面高校→関学」の弟を馬鹿にして、「なんじゃ、おまえ、こんなこともできんのか」と本当に言うというのだ。 それで、お母さんは「そんなこと言わなくてもいいでしょ。いい子なのに。」と弟につく・・そうだ。 どうも、お母さんにとっては、「関学のぼくちゃん」というのが「いい子」でかわいいらしい。 それに対して、「北野→京大」とかいう男というのは、かわいくないらしいのだ。 昔、『あしたのジョー』という漫画があったが、そこでの矢吹丈の文句、「 相手が強いとかどうとか、勝ち目があるとかないとか、そんなことがいったい、何の関係がある。 3度倒されれば4度倒し返す。7回倒されれば8回倒し返す。 そして、最後にリングに立っているのはこの俺だ。」みたいな、そんな感じ。 「石にかじりつけ」と言われなくても自分からかじりつくような、綿菓子と石とどちらにかじりつくか選べと言われれば大喜びで石にかじりつくようなタイプ。 そういう「北野→京大」のタイプの男というのは、どうも、お母さんには好かれないらしい。 で、一番、好かれるのが「箕面高校→関学」だった、今はどうか知らんが、30年くらい前は。 私の母もそんな感じだったみたいだが、変われないんだよ、「北野→京大」のタイプの男なんか嫌いだと言われても。 「かわいいぼくちゃん」の方がいいと言われても。残念ながら。
※『あしたのジョー』は、
⇒《ニコニコ動画―劇場版「あしたのジョー2」のテーマ〜明日への叫び〜》http://www.nicovideo.jp/watch/sm9248215

3. そして、3番目の意味として、関学の校舎はすばらしい、本当に美しいと人気がある。 これは私もそう思う。 ≪「日本一美しいキャンパス」と自負を込めて語りたくなる関西学院西宮上が原キャンパスは、ウィリアム・メレル・ヴォーリズの全体構想・設計によって1929年(昭和4)に完成した。≫と、田淵 結「ヴォーリズと関西学院」(『ヴォーリズ建築の100年』創元社 所収)に書かれているが、たしかに、男性でもそう思う。
   関学の西宮上ヶ原キャンパスを見て、あそこに行きたい、という気持ちになる人もいるらしいし、お母さんには、もしも、今度、もう一度、生まれてきたら、関学に行きたい、という気持ちになる人もいるらしい。もっとも、ヴォーリズ自身が「教会の建物は特別の建物である必要はない」と語っていたし、キリスト教の施設として見ても、大学・学問をするところとして見ても、大事なことは建物ではなく、そこで何をやるかであり、大学に行く際に、どこに行くかを考える際に建物や施設は2番目以降のもので、あまり重視しすぎるべきものでもないでしょうけれども。
   もっとも、全国のすべての大学を見て回ったわけでもなく、たとえば、≪関西学院のキャンパスと好対照をなす神戸女学院は、開校の神戸から現地への移転を昭和2年(1927)頃に決め、昭和4年から設計に着手され、昭和8年春に岡田山キャンパスが竣工した。スパニッシュ・ミッションという建築様式が関西学院と同じであるのに加えて、キャンパスのデザインと建築の表現に特色があり、キャンパスのもつ恵まれたランドスケープと上質の建築の表現によって、わが国屈指の学び舎として知られている。また神戸女学院と同時期に設計された学校に東洋英和女学院(東京・港区)がある。都内町なかの環境にあり、4階建ての本館を道に接して構えているが、アーチの玄関を一歩入ると、別世界の空気が流れていた。丘上のキャンパスの神戸女学院とは異なる環境にあるが、建築の表現は共に上質で共通点の多いものであった。≫(山形政昭「理想を形に―ミッションスクールの建築」[『ヴォーリズ建築の100年』2008.創元社 所収]と言われると、神戸女学院と東洋英和女学院に見に行きたくなるけれども、女子大は入れないものね。

↓ 関西学院 神学部棟。
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そして、関西学院 ランバス記念礼拝堂。 ↓
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≪ 1957年ごろからヴォーリズは体調を崩して療養生活に入ることとなり、設計監督などに直接従事することはかなわなくなった。 ・・・・
   そのなかでもう一つの建物学院正門を入ってすぐ右手の宗教センター横に、創立者ランバスの名を冠した「ランバス記念礼拝堂」がやはり創立70周年を記念して建設された。これは従来のスパニッシュ・ミッションの伝統にならうものであり、また正門真横というロケーションから関西学院に集う学生・生徒・教職員が毎日かならず目にするチャペルとして、キリスト教主義総合学園のシンボル的な意味を担うものとなっている。このチャペルの設計に対して、ヴォーリズ自身が具体的にどこまで関わりを持ちえたかは明らかではないが、彼の生涯の最後の段階で、この建物が上ヶ原キャンパスに残されたことの意味は非常に大きい。 ≫
(田淵 結「ヴォーリズと関西学院」 [『ヴォーリズ建築の100年』2008.創元社 所収])
  
  関学の建物は本当に美しいと思う。 昔、テレビに焼き鳥屋のちょうちんの文字を書いている職人が、こつをきかれて、「おいしく書く」と話していたことがあった。 「おいしく書く」というのは、「上手に書く」とか「達筆で書く」とかではなく「見た人が、『おいしそう』と感じるような字を書く」という意味らしい。 同様に、ヴォーリズの校舎は、名建築かどうか、名作かどうかよりも、「優しい建物」という印象がある。 「優しく建てる」、それがヴォーリズのキリスト教会やキリスト教系の学校の建築ではないかと思う。

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↑ 関学の北西あたりの住宅なのだが、真中の家は、色使いが、幾分、関学色というのか、関学の校舎の建物と共通するものがある。 関学の校舎を見て、いいなあと思い、自宅にも取り入れたというものだろうか。 たしかに、関学の校舎は美しいと思うのだが、近くにあっても住宅まで合さなくても、とも思うが・・・・。 逆に、すぐ近くでなければ、場所によって合う場所、合わない場所というのもあるだろうけれども、住宅に採用しても美しいデザインだと思う。 もっとも、関学の周囲には、関学の建物がいいと思ってか、特に関学の関係者でもなさそうに思うのだが、関学の建物を意識したのか? と思えるような住宅があるのだが、そこの家の方には申し訳ないが、残念ながら、ヴォーリズ設計の関学の建物と同等にはなかなかならないようだ。

※ 関西学院大学 の ホームページは⇒http://www.kwansei.ac.jp/index.html
     同 西宮上ヶ原キャンパスの地図は⇒http://www.kwansei.ac.jp/pr/pr_001086.html
 
    (2014.5.27.)

  この後、野坂昭如『火垂る(ほたる)の墓』の舞台・ニテコ池 を経由して、遠藤周作の作品にも登場するカトリック夙川教会に向いました。 このブログでは、順番を逆にして、
[第202回]《カトリック夙川教会―日本の教会建築(8)遠藤周作文学とともに―カトリック夙川教会とニテコ池【上】 》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201406/article_1.html
[第203回]《『火垂る(ほたる)の墓』の舞台 西宮市満池谷ニテコ池・震災追悼碑―カトリック夙川教会とニテコ池【下】 》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201406/article_2.html
として公開いたしました。ぜひ、ご覧くださいませ。


☆ 日本の教会建築 シリーズ
(1)日本キリスト教団 南大阪教会[大阪市阿倍野区](村野藤吾)http://tetsukenrumba.at.webry.info/201206/article_2.html
(2)慶應義塾大学 YMCAチャペル[横浜市港北区](W=M=ヴォーリズ)http://tetsukenrumba.at.webry.info/201206/article_3.html
(3)日本キリスト教団 清水が丘教会[横浜市南区]http://tetsukenrumba.at.webry.info/201309/article_1.html
(4)神戸文学館(旧・関学 ブランチメモリアルチャペル)[神戸市灘区](ウィグノ―ル)http://tetsukenrumba.at.webry.info/201311/article_1.html 
(5)日本基督改革派神港教会・カトリック六甲教会[神戸市灘区]http://tetsukenrumba.at.webry.info/201312/article_1.html
(6)カトリック大阪梅田教会[大阪市北区] http://tetsukenrumba.at.webry.info/201405/article_1.html
も、どうぞ、ご覧くださいませ。



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