哲建ルンバ

アクセスカウンタ

zoom RSS 神戸文学館(旧 関学 原田キャンパス・ブランチメモリアルチャペル)(ウィグノール)―日本の教会建築4

<<   作成日時 : 2013/11/28 23:14   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

[第196回]日本の教会建築(4)
  現在、関西学院(http://www.kwansei.ac.jp/index.html)は、その大部分が、阪急今津線の「仁川」か「甲東園」から西に歩いたところ、兵庫県西宮市上が原一番町 にあるが、発祥の地は神戸市の原田地区で、関西学院が大学になろうとした時に、西宮市の上が原地区に移ったらしい。 「原田」とはどこなのかというと、神戸市灘区の、阪急神戸線「王子公園」駅より西に少し歩いた所にある神戸市立王子動物園(http://ojizoo.jp/ )の大部分と神戸市立スポーツセンターのプールの部分、それに、神戸文学館と道路を隔てた向いにある横尾忠則現代美術館(http://www.ytmoca.jp/ )・原田の森ギャラリー 兵庫県立美術館王子分館・王子神社と神戸文学館の場所らしい。
  関学関係者は、現在、関学の大部分がある場所を「上が原」と言うらしいが、私などは「上が原」と言われてもどうもよくわからない。「甲東園」とか「仁川」と言った方がわかりやすいし、関西在住の多くの人には「仁川」「甲東園」の方がわかりやすいのではないかと思う。 同様に、「原田地区」も、すぐ近くにすんでいる人以外は、「原田」よりも「神戸の王子」とか「王子公園の付近」「阪急神戸線の王子公園駅の西のあたり」「神戸市灘区」と言った方がわかりやすいのではないかと思います。 東京圏住人など非関西人には、たとえば、「神戸市の『三宮』駅・『神戸』駅などより東側で比較的山手の方」とでも言うとだいたい感じがわかるでしょうか。(もっとも、この言い方で、「有馬」とかを思い浮かべられても困るのですが、そこまでいったら、そうですね。下の方↓に「地図貼付」しましたので、地図見ましょう。)
  その「原田地区」「原田の森 キャンパス」にあった関西学院の建物で、途中で補修工事をいくらかはおこないながらも今も存在しているのが旧・ブランチ メモリアル チャペルで、現在は神戸文学館http://www.kobe-np.co.jp/info/bungakukan/ )となっている建物です。
  阪急・神戸線の「王子公園」駅で降りて北側に出ると目の前に陸上競技場などがある王子公園が見えます。私は、今回、王子公園駅の東口で降りて阪急に沿って三宮方向に歩き、帰りも東口から帰りましたが、地図で見ると王子公園駅には東口と西口があって神戸文学館には西口の方が近いようです。 王子公園駅は各駅停車しか停まりませんが、神戸の三宮からは2駅目、大阪梅田からは、特急に乗ると、私が子供の頃は阪急神戸線の特急は梅田から三宮までの間は十三(じゅうそう)・西宮北口しか停まりませんでしたが、今は夙川と岡本にも停まるようなので、岡本で乗り換えるとすぐに行けます。 又、地図を見ると、JR東海道本線の「灘」駅からも遠くないようです。住所は神戸市灘区王子町3丁目1番2号 になるそうです。
〔 なお、東京の人間が、関西の高校で、唯一、「進学校」と認める兵庫県の灘高校は、学校名は「灘」ですが、神戸市の灘区ではなく東灘区(最寄駅はJR東海道線の「住吉」)にあります。〕
  
画像

↑ 神戸文学館(旧・関学 ブランチ メモリアル チャペル) 南東側から見たもの。
阪急 王子公園駅から歩いて来ると、↑ まず、この外観が見えます。
画像

↑ 西側から。
画像

↑ 北西側から。

   南よりに入口があり、東よりの部屋が、かつては礼拝堂であったのではないかと思えます。

   ≪…1908年、学院(関西学院)は専門学校令により神学部の認可を文部省から獲得したが、それを受けて本格的な校舎の整備が行われた。 その最初のものが「神学館」(1912年落成)であり、設計はヴォーリズに委ねられた。ただし、ヴォーリズ自身はまだ来日6年目、「建築家としての志は高くとも、建築設計の経験は少なく」といわれるように、1910年に設立されたヴォーリズ合名会社開設直後はじめての本格的学校建築であり、その様式は彼が後期に用いた煉瓦建築によるものであった。彼がそこで煉瓦建築様式を採用したのは、すでに学院原田校舎にはイギリス人ウィグノールにより煉瓦建築のブランチ・メモリアル・チャペルが建てられており(1904年落成)、神学館の位置関係からみても、そのチャペルとの一体性、統一性を考慮したものと思われる。≫
(田淵 結〔たぶち むすび〕「ヴォーリズと関西学院―重なり合うそれぞれのあゆみ」〔山形政昭監修『ヴォーリズ建築の100年』2008.2.10.創元社 所収〕)
   《神戸文学館の部屋 神戸文学館のすべて》http://www.geocities.jp/miyamoto_tadao/ によると、
≪明治37年(1904) アメリカの銀行家、ジョ ン・ブランチ氏 他の寄付により礼拝堂として建てられ、 ブランチ・メモリアル・チャペル と呼ばれていました。≫≪ 設計は 英国人・ M.ウィグノール氏、 施工者は 吉田伊之助氏≫ということで、branch(枝、支流、分家、支店)とは関係なく、又、昼飯(ランチ)とも関係ないみたいです。
  ≪平成 5年(1993) 神戸市立王子市民ギャラリーとしてオープ ン≫した時の≪設計は 一粒社ヴォーリズ建築事務所≫であったようですが、最初に建設された時の≪設計は 英国人・ M.ウィグノール氏≫だったようです。 〔一粒社ヴォーリズ設計事務所のHPは⇒ http://www.vories.co.jp/ 〕
画像

↑ 南面。 道路を隔てた向かい、横尾忠則現代美術館の前から撮影。
 
  西側の道路を隔てた向かいに、横尾忠則現代美術館(http://www.ytmoca.jp/)があります。 2階・3階に横尾忠則現代美術館の展示がされており、今回は横尾忠則現代美術館を目的に行ったのではありませんが、せっかくなので見学させていただきました。 4階には入館料を払わずとも入れてもらうことができ、4階の窓から神戸文学館(旧・ブランチ メモリアル チャペル)と旧・関学 原田の森キャンパス(現・王子動物園他)の全体を見ることができます。それが↓
画像

午後の後半に訪問しましたので、後の方で撮影した写真は、かなり暗くなっていますが、夕暮れ時もまた悪くありません。
  王子動物園には、今回は残念ながら入る時間がありませんでしたが、王子動物園の中に、5か所、かつての関学の建物についてのプレートが設置されているそうです。 王子動物園にもパンダがいるらしい。 王子動物園内には重要文化財の旧・ハンター住宅(《神戸市HP 旧・ハンター住宅》http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/foreigner/sub6.html  《ウィキペディア―旧・ハンター住宅》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E4%BD%8F%E5%AE%85)もあるようですが、今回は行けませんでした。


   神戸文学館(旧・ブランチ メモリアル チャペル)や王子動物園の北側に 神戸海星女子学院高校 と 松蔭高校という女子高があり、高校生の女の子たちが何人も付近を通行しています。 それで、「やっぱり、高校生くらいの女の子というのはかわいらしいな・・・」と思ったのです。 どこが「やっぱり」かというと、今となっては30年ほど前、東京都港区三田の慶応義塾大学に行った時、三田に慶應女子高校という慶應の女子高があったのですが、そこの生徒を見て、「普通、高校生くらいの女の子というのは、もうちょっとかわいらしいものじゃないかと思うのだが、なんで、こいつら、こんなに憎たらしいのだろう」と思ったのです。 慶應の内部進学の方に怒られそうですが。正直な話。「いったい、どうすれば、こういう憎たらしい娘ができるのだろう」と思ったのです。正直なところ。 いつであったか、慶應の生協で、慶應女子高の憎たらしいかわいげのない小娘どもがたむろしていて、そのうちの一人が財布から小銭を出そうとして落とし、それがコロコロと転がって、生協内の陳列棚の下に転がりこんだところ、その小娘が即座に「見捨てよう」・・・と言ったのです。 「見捨て」るそうです。おのれで生活費を稼いでいない高校生が、お金を即座に「見捨て」るそうです。 それを見た後、実は私も同じように小銭を転がして陳列棚の下に入れてしまうことがありました。そのバカ娘を見た印象が強烈であったこともあり、ビンボー人の私は床にはいつくばって手を伸ばし、それでも届かないので、付近にあった棒状のもの(ほうき だったか何か)を伸ばして手元に引き寄せて10円玉を取り戻したのでした。ほこりまみれになって。 慶應女子高のバカどもと一緒になってたまるか!  あんな奴らとは違うんだ!という矜持から、自らの存在をかけて取り戻しました。(バックミュージックとしては、ロシア民謡の「ドウビヌーシカ」あたりはどうでしょう。 ⇒《YouTube―SHALYAPIN Folk Song 1910 & 1924 ミ飯σアミクミスムτ威コミー ミィミ籍嶢ッミ渙侑�  》http://www.youtube.com/watch?v=xeLxsBpzYDg 、 《ドゥビヌーシカ(仕事の歌 オルゴール版) 》http://www.utagoekissa.com/dubinushka.html )
   慶應女子高の小娘どもみたいなのを、「ブルジョア」とか「資本家」とか「支配階級」とか言うのだろうか? となると、こちらは「プロレタリア」「無産市民」「労働者」「被支配階級」ということになるのだろうか?・・・・・とか思ったりもしましたが、・・・まあ、落ちついて良く考えるとそういうものでもないような気もするのですが、しかし、感じの悪い、にくにくしい、小娘どもでした。 その後、卒業してからも、「三田」「田町」付近に行くことがあると、慶應女子高の生徒を見かけることがありましたが、「年年歳歳 花相似たり 歳歳年年 人同じからず」とでも言うのでしょうか、人間は違うはずなのですが、どいつもこいつも憎たらしいかわいげのない・・・というところは変わらない。 かわいげのないにくたらしい・・というのは慶應女子高の伝統じゃないのかという感じがする。 「わしゃ、貧乏やからな」「わしゃ、日陰の月見草」とでも言ってやりたい気持ちもしないでもないのですが、しかし、慶應義塾高校や慶應女子高のバカどもを見る限り、「ええなあ、うらやましいなあ」という気持ちにはならない。 むしろ、彼らを見て「かわいそうになあ」という気持ちになった。 「変な学校に行かされてかわいそうになあ」と。 1980年代前半、慶應義塾大学の学生であった時、神奈川県の公立高校から千葉大の教育学部に行って卒業して神奈川県の中学校だったか小学校だったかの先生をやっているという女性と話をする機会があり、「最近は、私学に進学させようという親が多くなってきたから」と彼女が言うので、「私学って、慶應義塾高校とかですか。」と私が言うと、彼女は「いや。」と言い、私が「しかし、たとえ、慶應大学にほとんど無条件に進学できたとしても、俺が親なら、自分の息子や娘にあんな学校に行かせたくないけれどもなあ。」と言うと、「そうでしょ。たいてい、皆、そう思うから」と彼女は答えました。 神奈川県にもまともな人間いるんだと、その時、思いました。 
   もっとも、慶應の内部進学の人はすべての人が「ほとんどビョーキ」というわけでもなく、ある時、慶應大学の学生で「ゆりかごから墓場まで慶應(from cradle to tomb)」の人(慶應幼稚舎〔小学校〕→慶應中等部〔中学校〕→慶應義塾高校→慶應義塾大学工学部)が、「きのう、テレビを見ていたら、小学生の受験塾というのをやっていたんだけど、小学校の時から、『東大、行くんだ』とか言ってるやつなんて、俺、気持ち悪くってしかたがねえよお」と、大きな顔をして言うので、つい、私は言ってしまった。 「何、言うてんねん。 そんなこと言うなら、『小学校の時から慶應行ってるやつ』なんか、気持ち悪くってしかたがない!」と。 口に出してから、「しまった。言うのじゃなかった」と思った。 たいていの内部進学者は、こういうことを言うとかんかんに怒るのです。 小学校の時から「東大、行くんだ」とか言っているガキどもがいいかどうかは別の話。 というより、小学校の時からそんなこと言っていても、実際のところ、成績が伸びなければ行きようがないので、言おうが言うまいが、あまり現実的な話ではありません。 しかし、それを公立小学校→公立中学校→公立高校から大学に進学した人間が言うならわかるのですが、「小学校の時から慶應(慶應幼稚舎)に行ってるやつ」に言われたあかつきには、やっぱり、「何、言うてんねん。 そんなこと言うなら、『小学校の時から慶應行ってるやつ』なんか、気持ち悪くってしかたがない!」と言いたくなるのです・・・が、私のような公立小学校→公立中学校→公立高校…→国立大学・・・に行くはずだったんだけど・・・という人間にとってはそうなのですが、慶應の内部進学者さまにとってはそうではなく、「何、言うてんねん。 そんなこと言うなら、『小学校の時から慶應行ってるやつ』なんか、気持ち悪くってしかたがない!」と思う人間はけしからんのです。 だから、つい、口に出してしまった後、彼がかんかんに怒りだすだろうと思い、「しまった。内部進学の人間に言っちゃだめなこと、言ってしまった。 逆らうとうるさいから逆らっちゃだめだったんだ。しまった。」と思ったのですが、驚いたことに、彼は怒りだしたりはせず、「うん。たしかにそうだ。それ、一番、気持ち悪い。」と言ったので、「内部進学者にしては珍しいな。普通、内部進学者なら、かんかんに怒りだし、殴りかかるかするところなのに。」と感心しました。内部進学の人にも百人にひとりか千人にひとりくらいはそういう人もいるようです・・・が、慶應の内部進学者には、自分は「小学校の時から、『東大、行くんだ』とか言ってるやつなんて、俺、気持ち悪くってしかたがねえよお。」と言ってもひとから「何、言うてんねん。そんなこと言うなら、『小学校の時から慶應行ってるやつ』なんか、気持ち悪くってしかたがない」と言われるとかんかんに怒って殴りかかったりする人たちが多い。
〔 「小学校の時から『東大、行くんだ』とか言ってるやつなんて、気持ち悪くってしかたがない」かというと、そうでもないと思う。私が高校に進学するくらいの頃、1970年代半ばおいては、大阪では、公立中学校→公立高校→国立大学を目指すのが一般的で、かつては神戸高校などを落ちた人が行く滑り止めの高校であったのがいつしか東大合格者数1位の高校になった私立受験校の灘中学校→灘高校などは「変な学校」と見ていた。私が行っていた中学校の先生もはっきりと「変な学校」と言っていたし私もそう思っていた。 しかし、東京圏においては私立の六年制受験校は珍しくなく、又、麻布高校など中学校からしか採らない学校もある。 世の中には「どこの高校、予備校に行ったからどこの大学に行けるというものではない」とか「学校はどこでも一緒や」とかギャースカ言いたがる人がいるが、あまり良心的な発言ではないと思う。 進学校でない高校から「一流大学」に合格する人も中にあるけれども、できれば「進学校」に行っておいた方が受験・進学しやすい環境がある。「東大合格者数1位の高校」には東大に合格しやすい条件がある。「京大合格者数1位の高校」には京大に合格しやすい条件がある。 もしも、大学を東大に行きたいと思うなら、できれば、東大合格者数の多い高校に行っておいた方が行きやすいのは間違いない。京大に行こうと思うなら京大合格者数の多い高校に行っておいた方が行きやすい。 今はむかし、私は北野高校を卒業して東大を受けて落ちてしまったが、大学受験はそれぞれの科目に対しての学習をどれだけ努力してやったかだけではなく、進学しようと思う大学学部の試験に対してどれだけ対策を取ったかで合否が決まる。私が入学した頃の北野高校は京大合格者数1位の高校であったが東大には合格者は毎年十数人の高校だった。灘高校は東大合格者数1位の高校だった。 京大・阪大なら北野で悪いことは何もないが、もし、東大に行きたいと思うなら、灘高校に行っておいた方が行きやすかったと思う。 私の場合は、高校の時、最も魅力を感じていた大学は京都大学だったが、家を出たかったので東大を受けたが、そういう事情がなければ、私が行っていた頃の北野高校のような京大志向の高校から、あえて、東大に行く必要はないという考え方もある。 私は中学校から高校に進学する頃は、高校にも合格していないのに大学のことを考えるのは、来年のことを言って鬼に笑われるような事だと思っていたが、そうではなく、行く高校によって行きやすい大学行きにくい大学が変わってくるので、高校に進学する時点で、どの大学に行きたいのかということも考えて高校は選んだ方がいい。 中学校を市町村立の中学校に行くのなら、そういった選択は高校からで良いが、最近の私立受験校は中学校・高校一貫校がある。中学校から行った方が、高校受験を飛ばして大学受験を考えることができるので、高校受験に必要でも大学受験に必要でないものについてそれほど力を入れてやらなくてすむので、その点、一貫校の方が大学受験に有利になりそうな感じもするが、灘とか開成とかの中学校からと高校からの両方で入学できる学校では、一般に高校から入った人間の方が成績がいい場合が多いらしい。 もし、そういうタイプの学校に行くなら、中学校から行くのか高校から行くのかという選択がある。 高校から行くなら、行く高校によって行きやすい大学行きにくい大学が違うので行きたいと思う大学に進学しやすい高校を選ぶべきだという問題が、中学校から行く場合には小学校の高学年の時点で発生する。 そうなると、最終的に行けるかどうかは別として、小学校の高学年の時点で、すでに、どの大学に進学したいのかということを、ある程度は考えないといけないことになる。 だから、この点から考えて、「小学校の時から『東大、行くんだ』とか言ってるやつなんて、気持ち悪くってしかたがない」かというとそうでもないことになる。 小学校の高学年の時点で、どの大学に行きたいのか、ある程度以上考えるべきだ。但し、小学生が考えても、考える材量もたしいてないし考えられないだろうから、その点は親が配慮するしかないだろう。 私が大学に進学する時でも、親が京大や東大を卒業しているような親の息子は得だなあと思ったが、親は子供の中学進学の時点でそのあたりも考えるようにした方がいいと思う。 東京圏においては、慶應中等部・普通部などに行けば慶應義塾大学には進学しやすいだろうけれども、東大に行きたいなら麻布とか開成とかに行っておいた方が行きやすいだろう。 慶應義塾大学に行くんだという前提で慶應幼稚舎(小学校)に行っている人間が、「小学校の時から『東大、行くんだ』とか言ってるやつなんて、気持ち悪くってしかたがない」と言うのがおかしい。慶應幼稚舎に行っている人間というのは、中学校受験の時からではなく小学校に行く時から慶應義塾大学に行くんだということで慶應幼稚舎に行ったはずだ。 慶應幼稚舎→慶應中等部・普通部→慶應義塾高校・慶應女子高校・慶應志木高校から慶應義塾大学以外の大学に行く人も中にはあって、「建築家」の槇文彦氏は「ウィキペディア―槇文彦」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A7%87%E6%96%87%E5%BD%A6 によると慶應幼稚舎・慶應普通部から東大工学部に進学したらしいが、一般には慶應幼稚舎・慶應中等部というのは慶應義塾大学に進学するコースであり、やっぱり、公立小学校→公立中学校→公立高校と進んだ人間が言うならともかく、慶應幼稚舎→慶應中等部→慶應義塾高校→慶應義塾大学 と進学した男の口から「小学校の時から、『東大、行くんだ』とか言ってるやつなんて、俺、気持ち悪くってしかたがねえよお」という文句が出てきたあかつきには、「何 言うてんねん」ということになる・・・と思う。 よく言うよな・・と思うが、慶應の内部進学の人にはその「よく言うよな」ということを口にする人が多い。 かつ、それを指摘するとかんかんに怒るのだ。なんで怒るのかわからんのだが。〕
   今はむかし、慶應義塾大学で、「口語英語102」という講座があり、「自由科目」で履修しました。 アメリカ合衆国人の若い女性の講師が担当で週に1コマ、「サロン形式」とでも言うのでしょうか、すべて英語でその時間を過ごしましょうという時間、それともう1コマは日本人の女性の教授か助教授かが、各机にヘッドホン付きの音声受信装置のついた部屋で、英語のニュース番組などを流して聞き取りをするというもので、その2つがセットになった講座でした。 その日本人の女性の教授か助教授かの講座で、ある時、ヘッドホンの設備が人数分なく、隣りの準備室にあるから、不足している人は隣りに行って取って来てくださいと言われ、私と他、何人かが取りに行ったことがありました。 戻って来ると、私などが隣りの部屋に取りに行っている間に器具の取扱い方を説明されたようで、H本という女性の教授だか助教授だかが「さあ、始めますよ」と言ってヒアリングの試験を始めようとされたのはいいのですが、私は説明をされていた間、隣りの部屋に取りに行っていてそこにいなかったので、使い方がわからないのです。それで、隣りの席の人間にきこうとしたところ、その女性の教授だか助教授だかが、「慶應義塾ではカンニングはしないというのが伝統です。カンニングをするような人は慶應の学生とは言えません」と言って、こちらを睨むのです。 私はカンニングなんかしていないし、その教授だか助教授だかのおばはんが人数分をあらかじめそろえていないから隣りの準備室まで取りに行く手間をかけたのであって、その間に取り扱い方を説明してしまう女の方がおかしいのであり、私は小学校から今までカンニングなんかしたことは一度もないのに、そういうことを言うのです。 私はカンニングなんかしていないししようともしていないので、私の事を言っているのではないだろうと思って再度隣りの者に取り扱い方をきこうとしたところ、その女は再度、私の方を見て「慶應義塾ではカンニングはしないというのが伝統です。カンニングをするような人は慶應の学生とは言えません」と言うので、「もう、いいや」「こんな学校に入学してしまったのが間違ってるんだ」と思って、そのヒアリングの試験はいいかげんに書きました。 その時、気づいたのです。 その教授だか助教授だかの女性が慶應女子高の出身者であることに。 こいつ、内部進学のニオイがする、と。ぷんぷんする、と。 本当は、カンニングとかは内部進学の人間がよくすることであるのに、「外部の連中」のせいにしようとする。 内部進学独善主義がそこに出ている、と。 「口語英語102」の成績は「B」でした。 そのヒアリングの試験をいいかげんに書いたからというよりも、それがあって、その講座に嫌気がしてしまったことの方が「A」をとれなかった原因です。 他にも、慶應の内部進学の教授は、口に出さなくても、「あ、こいつ、内部進学だな」と気づかされる人が何人もいました。 梶原一騎の『巨人の星』に、星飛雄馬を青雲高校という「ブルジョア高校」に行かそうとする父・星一徹に、飛雄馬が「なんで、こんな感じの悪い学校に行かせようとするんだ」と腹を立てる場面がありましたが、慶應大学という学校では、それと同じような気持ちに何度もならされました。 王貞治は台湾人で、王の父親は、王貞治が子供の頃から、「我々は、ここでは外国人なんだ。だから、まわりの人には好かれないといけないんだ。決して嫌われてはならないんだ。」と教えたという話が、たしか、何十年も前の「朝日新聞」に出ていましたが、そんな感じでした。「慶應義塾大学は内部進学者さまの学校なんだ。ここでは我々は『外国人』みたいなものなんだ。内部進学者さまは間違っていても正しいんだ。」とそう考えるしかないと思いましたが、残念ながら、王貞治みたいに人間ができていないものですから、100回に1回、というより10回に1回くらいは、「何、言うてんねん。 そんなこと言うなら、『小学校から慶應行ってるやつ』なんか、気持ち悪くってしかたがない!」と、言うたらいかん、言うたらいかん、と思いつつ口からポロポロ出てしまって、やっぱり俺って正直・・・・・。 
   慶應の内部進学の人間で、女子大生を「合コン」に誘っては、強制わいせつを繰り返していた人がいました。内部進学の人にはそういう人間が多い。おそらく、今でもそういう「サークル」が存在しているでしょう。内部進学の人からすれば、公立の学校に行っている人間なんかドジンだと思っているので、ドジンに強制わいせつしようが強姦しようが(植民地支配者の白人のような)内部進学者は正しい、といったところなのでしょう。 アメリカ合衆国の映画『マルコム=X』では、「アメリカ(合衆国)の黒人の女は、毎年、何人もが白人の男から強姦される。  黒人の男は思うのだ。『やりかえしてやる』と。」とナレーターが語るところがありました。 たしかに。 慶應の内部進学の者の態度を見て私も同じような思いにならされた・・・が、しかし、だからといって、慶應の内部進学の女や慶應女子高の女を見て、「やりかえしてやる」という気持ちになるかというと、ならなかった。 「やりたくない」。なぜかというと、魅力ないもの。マルコム=Xはどうだったのかわからないが、やっぱり、魅力のない女を対象に「やりかえしてやる」という気持ちにはなかなかならないようだ。 内部進学のわいせつ男には、私も慶應の大学生であったことから自分たちの仲間だと思う人もいたようですが、「悪かったねえ。私はあんたの仲間ではなく、あんたがドジンだと思ってわいせつ行為をした“ドジン”の方の仲間なんだよ。“ドジン”を騙して強制わいせつをおこなう連中の仲間にはなれないんだよ」と思ったものでした。
   まあ、彼らは、たいてい、みのもんちっち の息子みたいに金持ちで社会的地位にある人の息子・娘なので、私なんかと違って、名前と受験番号だけでも書けば日本テレビでもどこなと入れてもらえるでしょうから、「でも、結婚するには、」私なんかと結婚するよりよっぽど「いいかもしれない♪」けれども。 いつであったか、テレビに加藤登紀子が出ていて、加藤登紀子が結婚した時のことを話していたが、加藤登紀子の夫は同志社大学の学生の時、全学連の委員長で安保闘争を指導したことから刑務所に入っていたといい、加藤登紀子の父親が「あんたも、あんたのお母さんと一緒で難儀な男の人と結婚されますなあ」と話したという。 「あんたのお母さん」が結婚した「難儀な男の人」とは誰かというとその父親である。自分の人生をふりかえり、あんまり得した人生を送ってないないなあと思い、そして、自分と結婚してくれた女性に、なんか、自分のまきぞえを食わせてしまったかもしれないなあという気持ちを持ち、そんな男と一緒に人生を送ってくれた女性に感謝の気持ちとともに口にした文句だったのでしょうか。結婚する時に刑務所に入っているというのはともかく、得するとか損するとかよりも自分として納得いく人生を送るしかできず、そのために損したような人生を送ることになってもしかたがないと思う男性や、そういう男性と結婚してともに人生を歩んでいいと思う女性の気持ちは、“ドジン”の女性に強姦したり強制わいせつしたりして平気で「一流企業」に就職して「勝ち組」になったような気持ちでいる男性、そういう男性を「思考の柔軟な慶應ボーイ」だとか「福沢精神を身につけている」とか思っているような女性、そういう男が「エライ」と思っている男・女には理解できないでしょうね。
※「でも、結婚するには、いいかもしれない♪」を知らない方は
⇒《 シャインズ 「私の彼はサラリーマン」 》http://www.youtube.com/watch?v=RykB69Hzn6I
   なんだか、ずいぶんと話が横道にそれたが、神戸文学館(旧・関学 ブランチ メモリアル チャペル)の周辺の高校生の女の子たちを見て、そんなことを思いだしたのでした。

   田淵 結(たぶち むすび)〔関西学院大学文学部教授〕が「ヴォーリズと関西学院―重なり合うそれぞれのあゆみ」(『ヴォーリズ建築の100年』所収)に≪・・・「日本一美しいキャンパス」と自負を込めて語りたくなる関西学院西宮上ヶ原キャンパスは、ウィリアム・メレル・ヴォーリズの全体構想・設計によって1929年(昭和4)に完成した。≫と書かれているが、神戸文学館を見て、横尾忠則現代美術館の4階の窓から旧・関学・原田の森キャンパスであった王子動物園を見てかつてを想像し、上ヶ原にしても原田にしても関学の建物はいいなあと思いました。
  (2013.11.28.)

   今回の神戸文学館(旧・関学 ブランチメモリアルチャペル)は、次回の[第197回]《日本キリスト改革派神港教会・カトリック六甲教会・神戸松蔭女子学院 と 安藤忠雄「六甲の集合住宅」 》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201312/article_1.html  と同日に行きました。 [第197回]もぜひ御覧下さいませ。

☆ 日本の教会建築 シリーズは
(1) 日本基督教団 南大阪教会 (大阪市阿倍野区)http://tetsukenrumba.at.webry.info/201206/article_2.html
(2) 慶應義塾大学 YMCAチャペル (横浜市港北区)http://tetsukenrumba.at.webry.info/201206/article_3.html
(3) 日本基督教団 清水が丘教会 (横浜市南区) http://tetsukenrumba.at.webry.info/201309/article_1.html
に続き、4回目。 今後もちびちびと続けます。(1)〜(3)もぜひご覧くださいませ。 





マルコムX [DVD]
パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン
2006-11-02

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by マルコムX [DVD] の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
神戸文学館(旧 関学 原田キャンパス・ブランチメモリアルチャペル)(ウィグノール)―日本の教会建築4 哲建ルンバ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる