哲建ルンバ

アクセスカウンタ

zoom RSS 日本の教会建築(3) 日本基督教団清水が丘教会(横浜市南区)

<<   作成日時 : 2013/09/03 19:46   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

[第194回]日本の教会建築(3)
   横浜市南区の京浜急行「南太田」駅の近くで用事がありました。 南太田駅のプラットホームに鬼子母神・常照寺の広告というのか看板が出ていたので、行ってみました。そこから東に出て見ると、↓の教会が見えてきました。 なかなかの建物ではありませんか。↓
画像


画像

   ↑ 日本基督教団 清水が丘教会(横浜市南区南太田1−37−10)だそうです。
同教会のホームページは、http://www.shimizugaoka.com/



  清水が丘教会のホームページの「私たちの教会とは」には、
≪ 初代、倉持芳雄牧師がエルンスト・ラング宣教師と共に1946年3月から始めた医療伝道「横浜福音医療宣教団」(宗教法人横浜医療伝道会)が契機となって、1947年9月28日、横浜市中区本町・万国橋通りの横浜生糸検査所(現・横浜第2庁舎)2階会議室で「横浜ミッション教会」として設立に至りました。
 1950年、横浜市南区南太田町一丁目100番の現在地を得、「清水ヶ丘教会」と名称を改め、「日本基督教団」に所属しました。 ≫ と出ています。

   今回は、ここを見学しようと思って行ったんではなく、そこを歩いていてたまたま出あったというものです。
   ウィリアム=メレル=ヴォーリズは、教会の建物は決して特別の建物である必要はないと語ったといい、それは確かにその通りだと思うのです。 「“世界の丹下健三”が設計した」という東京都文京区関口の東京カテドラル聖マリア大聖堂などを見ると、な〜んか、そこで教会の行事をおこなうことなんかほとんど考えていない「建築家」の自己満足でしかない勝手な建物で、わざわざそういう変わったものを建てなくても、ヴォーリズさんが言うように、教会の建物は特別の建物である必要はない・・・と思うのですが、この清水が丘教会の建物など見ると、たしかに、キリスト教の教会にとって大事なものは信仰であって建物ではないとしても、やっぱり、できれば、このような教会らしい建物の方がいいと感じてきます。
   この教会のホームページを見ても、教会堂の設計者の名前などはでていませんが、なかなかではないかと思いました。

   しかし、けっこうお金のかかっている建物のような印象を受けるのですが、この教会に来ている人たちというのはどういう人たちなのでしょう。 この教会の向かいのアパートはあんまり豪勢でない方の印象を受けました。   最寄駅は京浜急行の「南太田」駅ですが、そのひとつ横浜よりの駅は「黄金町(こがねちょう)」です。 「黄金町(こがねちょう)」といえば、東京の山谷(さんや)〔いわば、『あしたのジョー』の世界 ⇒《Dily motion あしたのジョー Opening 》http://www.dailymotion.com/video/x73l1w_%E3%81%82%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC-opening_shortfilms〕、大阪の釜が崎(かまがさき)とともに、いわゆる“ ドヤ街 ”。 貧民の住む所、日雇い労働者の街とされていた所です。 
   「実話裏歴史SPECIAL vol.19」(2013.8.5. ミリオン出版)所収の 八木沢高明「追想録・消えた売春街 黄金町〔横浜市中区〕」には、10年ほど前までは、外国人の「立ちんぼ」という売春婦が黄金町の大岡川沿いに立って客をひいていたという話、大岡川沿いには昼間から酒に酔いつぶれた男が寝ていたという話が出ています。 ≪ 戦後、大岡川沿いの小屋で体を売った娼婦たちの中には、その資金を元に京浜急行の高架下などで娼婦を置いた飲食店を経営する者も多かった。そうした飲食店は数を増していき、そこで働く女たちは日本人の娼婦ばかりだったのだが、80年代に入り、プラザ合意により円高が進むと、海外における日本経済の勢いは強まり、東南アジアを中心とした外国人娼婦たちが日本を目指すようになった。・・・≫ ≪戦後生きるために体を売った女たちから黄金町の歴史は始まり、経済成長とともに黄金の国であった日本に吸い寄せられたアジアや南米の娼婦たちの姿があり、黄金町はその時代状況によってその姿を変えてきた。そして250軒のちょんの間がひしめき日本有数の売春街となった黄金町は、グローバルにアジアや南米に繋がることによって、日本売春史の中で象徴的な存在となっていく。・・・≫ 黄金町の大岡川沿いの「ちょんの間」は、≪かつては対岸から写真を撮っていてもヤクザが来た。≫という。
   《ウィキペディア―黄金町》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%87%91%E7%94%BA を見ると、≪戦前から大岡川の船運を活用した問屋街として栄えた黄金町であったが、終戦後は高架下にバラック小屋の住居が集まり、次第に飲食店に変わっていった。そんな店の中から女性が客を取る店、いわゆる「ちょんの間」が現れ、いつしか関東でも屈指の「青線地帯」として知られるようになる。・・≫ ≪日ノ出町周辺や黄金町付近の大岡川沿岸にはバラック群がずらりと建ち並び(大岡川スラム)、さらにはしけを転用した水上ホテルが数隻浮いていた。この船は1950年代半ばまで目撃されており、映画『密航0ライン』(鈴木清順・監督 日活)にも登場している。 「青線地帯」「大岡川スラム」で悪名をはせる一方、戦後の黄金町はヒロポンや麻薬密売の温床でもあった。特に昭和20年代は、大岡川を境界に密売組織による縄張り争いが頻発した。 警察官の巡回すら身の危険を感じて出来ない程荒んだ環境であったという。 ≫と書かれている。 ≪2005年(平成17年)1月11日より、「バイバイ作戦」と名づけられた警察による集中的な摘発がはじまった。同年4月、京急高架下に「歓楽街総合対策現地指揮本部」設置。この結果同年8月までに全店が閉店した。≫といい、最近はかなり変わって来たのかもしれないが、10年ほど前まではそういう感じの所だったはずだ。
   《CHAKUWIKI‐横浜市/南区》http://wiki.chakuriki.net/index.php/%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E5%B8%82/%E5%8D%97%E5%8C%BA を見ると、横浜市南区は、 ≪おまけに生活保護率は市内で二番目に高い。≫ ≪29.治安の悪さでは市内18区中栄冠の第一位に輝いた。 空き巣が多いもんね。 まあ黄金町を抱えてるんだから仕方ない。≫ ≪34.南太田には昭和の初めまで乞食谷戸という関東有数の貧民窟があった。≫と書かれている。 ≪20.横浜では唯一「ステテコ」「草履」姿で歩いていても、違和感のない区。≫とも書かれている。たしかにそうかもしれない。
   最寄駅は京浜急行の「南太田」であるが、少し南を東西に走っている横浜市地下鉄ブルーライン(1号線)では「吉野町」が最寄駅で、吉野町の東隣りは「阪東橋(ばんどうばし)」。 今となっては30年以上前、慶應義塾大学の日吉(横浜市港北区)に入学してしばらくした時、映画『二百三高地』を見たいと思っていたがひととおり上映された後で、今はなくなってしまった情報雑誌「ぴあ」を見ると、阪東橋の映画館でもうひとつの映画と2本立てでやっているのが掲載されていたので見に行ったことがあります(映画『二百三高地』を知らない方は、⇒《YouTube―二百三高地(プレビュー) 》http://www.youtube.com/watch?v=oUroAnCHJa0 )・・・が、なんか、うらさびれたというのか、上品でないというのか、あんまり高級っぽくない映画館でした。 もうひとつの映画も特攻隊を扱った、まあ、なんというのでしょうか、なんか、あんまり知的水準の高い人が見る映画でもない感じのものでした。『二百三高地』と2本立てで上映されるだけあって戦争に関する話を扱った同系列・同グループの映画といえなくもないものなのでしょうけれども、『二百三高地』の場合、『八甲田山』(「天は我々を見放したあ〜あ」 ⇒《YouTube―映画『八甲田山』 予告篇》http://www.youtube.com/watch?v=Aq5rzK279io  )とともに中学・高校で日本史をよく勉強した人が見る映画という性質があり、「右翼の人が喜ぶ映画」でもありましたが、さだまさしが歌った歌が日常的に街に流れていたこともあって普通の人が普通に見る映画であったのに対して、もう1本の映画は、「あまり知的水準の高くない人の見る映画」「教養水準の高くないおっさんの見る映画」という感じのものでした。 なんというのでしょうか、東京の新宿・渋谷・有楽町あたりのロードショーの映画館というのでしょうか、そういう映画館とは雰囲気が違う、子供の頃に見に行った怪獣映画を上映していた映画館とも雰囲気が違う。 にっかつロマンポルノを上映していたわけではないが、そういう映画の映画館に雰囲気が近いような、なんかそんな感じの映画館で、大阪から横浜市に来たばかりで、横浜市についてそれほど知らない者としては、横浜市地下鉄の桜木町・関内といった横浜市の中心部の続きのあたり・・と思って行くと、「みなと 横浜」とかいった“ハイカラ”ぶったデートスポットとしてでてきそうな街というにはほど遠い印象で、なんか、変な街だという印象を受けた記憶があります。 地下鉄ブルーラインの「阪東橋」駅から北に少し行ったあたりが、東京の山谷、大阪の釜が崎とともに、“ドヤ街 ”、貧民の住む町として有名な所だということは、その何年か後で、慶應の講義の中で教授がそういった町のあり方という話題で話された時に知りました。
   又、今となっては20年少し前、この「南太田」駅の南西あたりにある首都高速道路「花の木」入口で、クルマが接触しそうになったということから、いきなり殴りかかられて、大怪我をさせられたという経験があります。 その相手の男は明らかに日頃からそういうことをやりなれている「チンピラ」というのか「ゴロツキ」というのかでした。(その時の警察の対応は極めておかしなものでした。) その時、県道218号(平戸桜木道路)を走って来た雰囲気もあまり良いものではありませんでした。 
  少し前に、JR「桜木町」駅でトイレの排水を長年にわたって下水に流さずに不法に大岡川に流していたという話がヤフーニュースに出ていましたが、これは関係あるのかどうかわかりませんが、どうも、大岡川という川に沿った地域というのが「特別な地域」になっていたような感じがあります。
  私は、最初、1980年に東京圏に来て横浜市港北区の日吉に住んだのですが、ある時、東急田園都市線の「青葉台」に行った時、田園都市線の沿線は、大阪の阪急沿線に幾分似ているような印象を受けて、親しみを感じたのですが、横浜市の緑区・青葉区・都筑区といったあたりの東急田園都市線・横浜地下鉄ブルーライン・グリーンラインの沿線は、関西から東京圏に来て住んでいる人に人気がある地域だということを最近聞きました。 どこの街にであれ、西の方から行った人は西寄りに住むことが多く、北側から来た人は北寄りに、東の方から来た人は東よりに住むことが多いということとともに、その付近が阪急沿線に雰囲気が似ているというだけでなく、新横浜駅に行きやすい、あの電車に乗れば大阪に帰れるんだという安心感があるのだと思います。 港北ニュータウンの「センター北」駅のすぐ横には百貨店の阪急があって、そこには大阪・梅田の阪急三番街を思い出す水の流れのある商店街が形成され、大阪・梅田の阪急梅田本店の向かいのHEP FIVEにある観覧車(http://www.hepfive.jp/kanran.html )とそっくりの観覧車が回っています。(⇒「モザイクモール港北 都筑阪急」http://www.mosaicmall.jp/ )  横浜市は人口では大阪市を抜いて2位になったといっても、ずいぶんと様々な地域の寄せ集めで、田園都市線やブルーラインの田園都市線寄りのあたりと 東急東横線の日吉・綱島・大倉山あたりとは雰囲気が違う。 横浜駅から高島町・桜木町・関内・石川町といったあたりにかけてが本来の横浜なのでしょうけれども、そのあたりもまた、日吉・綱島あたりと違うし、青葉台・あざみ野あたりとも違う。 上大岡あたりも違うし、戸塚あたりもまた違う。 だいたい、金沢文庫まで横浜市で大船の駅の東半分まで横浜市なんだから、それだけ広ければ人口で大阪市を抜いたとしても当たり前であって(横浜市は大阪市の3倍くらいの面積があるらしい)、関西嫌い・大阪嫌いの東京人には「大阪は日本で2番目の都市ではない。横浜が2番目の都市であって、大阪は3番目でしかない。」とか言いたがる人がいるが、「平成の大合併」でド田舎の街がいっぱい合併して人口で見ると“大都市”になったとしても、それで実質的に「大都市」かというと違うと思うが、それと同様であって、横浜市というのは、千葉市と一緒で、各区の人口を合計した市の人口は多くなったとしても、いわば、“連邦制”みたいな市で、それぞれの地域でずいぶんと街の性格が違う。 だから、初めて東京圏で横浜市港北区の日吉に住んだ私が、ブルーラインの「阪東橋」付近に行った時、桜木町・関内という横浜の中心地から地下鉄で、関内(かんない)の次の次の駅と思って、桜木町・関内・石川町あたりの雰囲気の場所を頭に描いて行くと、ずいぶんと雰囲気が違って戸惑ったのも、東京圏で長く住んで、もはや、関西圏で住んだ年数より東京圏で住んだ年数の方が長いくらいになった今となってはそのわけがわかります。
(もっとも、関内〔かんない〕にしても、関内駅の南西に、神奈川県での大規模書店・有隣堂の本店がある所なので文京地区か?みたいに思いがちですが、関内駅の南東、関内と石川町のまん中あたりにある横浜球場は、もともと、幕末から明治初期に横浜港が開港された時に、外国人向けの遊郭が設けられた場所だそうで〔何で知ったかというと、「コミック乱ツインズ」(リイド社)に掲載されている やまさき拓味『竜蹄の門』に出ていた〕、そう考えるとあんまりけっこうな場所でもないみたいですが。)
   それで。 もし、そういう場所として考えるならば、この教会堂は豪華すぎるような印象も受けるのです。 そう思いませんか。 それで、この教会堂を見て、ここって、いったい、どういう地域なんだろう、とますますわからなくなってしまったのです。

画像

≪ イエスはピリポ・カイサリアの地方に来られたとき、弟子たちに問われた、「人々は人の子を何というか」と。 彼らはいった、「あるものは洗礼者ヨハネ、あるものはエリヤ、他のものはエレミヤとか預言者のひとりといいます」。 彼らにいわれる、「あなた方はわたしを何というか」と。 シモン・ペテロが答えた、「あなたはキリスト、生ける神の子です」と。 イエスは答えられる、「ヨナの子シモン、あなたはさいわいだ、血肉ではなく天のわが父がそれをあなたに示されたから。
  わたしもあなたにいう、『あなたはペテロ(岩)で、わたしはこの岩の上にわが教会(エクレシア)を建てる。 黄泉(よみ)の門もそれに打ち勝てない。 わたしはあなたに天国の鍵を与える、あなたが地で縛ることは天でも縛られ、あなたが地でゆるすことは天でもゆるされよう』と」。 それから弟子たちに彼がキリストであるとだれにもいわぬよういましめられた。
  それ以来イエス・キリストは、弟子たちに、エルサレムへ行って、長老、大祭司、学者から手痛く苦しめられ、殺されて、三日目に復活せねばならぬことを示しはじめられた。・・・・ ≫
(『新約聖書 マタイ福音書』16章13節‐21節  前田護郎訳 〔『新約聖書』前田護郎訳 1983.12.10.中央公論社〕)

  清水が丘教会のトップページhttp://www.shimizugaoka.com/ には、≪わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。≫という言葉が出ています。
≪ そのころイエスは言われた、「・・・・・ すべて疲れたもの、重荷を負うものは、わたしのところに来たれ。休ませてあげよう。 わたしは柔和で高ぶらないから、わが軛(くびき)を取ってわたしに学びなさい。そうすれば、こころにいこいを得よう。 わが軛はやさしく、わが荷は軽いから」と。 ≫
(『新約聖書 マタイ福音書』11章28節‐30節 前田護郎訳 〔『新約聖書』前田護郎訳 1983.12.10.中央公論社〕)

  日本の教会建築 シリーズは、
《日本基督教団 南大阪教会》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201206/article_2.html
《慶應義塾大学 YMCAチャペル》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201206/article_3.html
に続き、3件目です。 
  前の2つは意図して行ったのに対して、今回は、他の用件で付近に行ってこの教会堂に出会ったというものですが、教会堂の建築には魅力を感じたものの、その付近の場所との関係を考えて、どうなのだろうと考えることになりました。
  結論は出ません。 おそらく考え続けることになると思います。
    (2013.9.3.) 


実話裏歴史SPECIAL vol.19 (ミリオンムック 88)
ミリオン出版
2013-06-24

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 実話裏歴史SPECIAL vol.19 (ミリオンムック 88) の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル



前田護郎選集 別巻 新約聖書
教文館
前田 護郎

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 前田護郎選集 別巻 新約聖書 の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル



日本の歴史〈下〉 (岩波新書 青版 606)
岩波書店
井上 清

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 日本の歴史〈下〉 (岩波新書 青版 606) の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル



はるかなる山河に―東大戦没学生の手記 (東大新書)
東京大学出版会
東京大学学生自治会戦歿学生手記編集委員会

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by はるかなる山河に―東大戦没学生の手記 (東大新書) の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
日本の教会建築(3) 日本基督教団清水が丘教会(横浜市南区) 哲建ルンバ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる